まにあっくドイツ観光旅行、北ドイツ編、ブレーマーハーフェンを堪能した後はリューネブルクへ移動した。「ドイツ塩博物館」を訪れるためだ。

到着して初めて気づいたのだが、リューネブルクの街並みは非常に美しい。

 

 

アム・ザンデという広場で感激して写真を撮っていたら、通行人に呼び止められた。

「あなた、いい写真を撮りたいなら、こんなところで撮ってちゃダメ」

ええ?こんなところって?

「この道をもっと向こうに行くと旧市街。そっちはもっと綺麗ですよ」

言われたとおりに旧市街へ歩いて行くと、さらに美しかった。どこもかしこも綺麗過ぎて、どこを撮っていいのかわからないくらい。今までリューネブルクという町にはこれといったイメージを持っていなかったが、こんなに見栄えのする町だったとは。盲点だった。

しかし、このブログのテーマはマニアック。リューネブルクでは塩博物館を紹介しよう。

 

 

「ドイツ塩博物館」というから、なにやら立派な建物を想像していたら、地味な入り口でびっくり。なんと、スーパーと同じ建物なのである。しかし、中に入ると、それなりに大きな規模で、十分に見応えがあった。(展示及びオーディオガイドはドイツ語のみ)

 

入り口付近に展示されている様々な塩。茶やオレンジ、赤の岩塩に混じって、青色の岩塩も。

 

砂漠のバラ(desert rose)。砂漠で水が蒸発するとき、水に溶けていた石膏などのミネラルが結晶化し、周辺の砂粒と一体化してバラのような形を作る。

 

この巨大な岩塩は重さ6トン!2億3000年前に結晶化したものらしい。

 

中世後期、塩は「白い黄金」と呼ばれ、高価な交易品だった。リューネブルクは塩の産地として栄えた町である。リューネブルクの塩はバルト海のハンザ同盟都市、リューベックの港へ運ばれ、そこから各地へ輸出されていた。リューベックまで続く商業街道は「塩街道(Alte Salzstraße)」と呼ばれ、現在も観光ルートとなっている。

 

この塩博物館ではリューネブルクの製塩の歴史だけでなく、塩に関する総合的な展示が見られる。ドイツは世界の国々の中で特に塩資源に恵まれており、埋蔵量は220兆トンと推定されているそうだ。塩はドイツの文化においても重要で、塩に関係することわざや風習がたくさんある。たとえば、新しく引っ越して来た隣人に塩とパンをプレゼントして歓迎するという伝統があり、私たち家族も現在の家に越して来たとき、お隣りの人から塩とパンを頂いた。リューネブルクの戸籍課は、婚姻届を出したカップルに塩の詰まった袋をプレゼントしているそうだ。

 

しかし、ドイツ国内で取れる塩のうち、食塩となるのはわずか3%。12%が融雪剤として使われ、後は大部分が工業製品の原料となる。1791年にフランスで食塩、硫酸、木炭と石灰石から炭酸ナトリウムを合成する方法(ルブラン法)が発明されて以来、塩は化学工業の基盤だ。

 

北国ドイツでは冬に道路に融雪剤が散布されるが、環境への影響が問題視されている。融雪剤に含まれる塩は土壌に吸収され、地下水にも影響を及ぼす。植物もダメージを受ける。

 

塩の影響で木の年輪も細くなって行っているようだ。

 

 

食卓で使う食塩は現在ではシェイカーに入れるのが普通だが、そのような便利なものが発明されたのは19世紀後半になってからで(発明者は英国人のHenry Thacker氏)、それまでは剥き出しでテーブルに置いたり、蓋つきの容器に入れていた。

 

昔の塩入れ

 

時代とともに洗練されていく

 

 

 

これ、デザインはすごいけど、湿気そうだし、すぐにこぼれそう

 

中世の製塩の様子。塩井戸から汲み出した塩水は、いったん塩貯蔵容庫に貯蔵された。貯蔵庫の上には釜を設置した小屋(Siedehaus)が建てられており、写真左に見える四角い釜で塩を煮詰めていた。製塩作業は年中無休で日曜日もキリスト教の祝日にもストップすることはなかったそうだ。

 

こちらは操業停止直前まで使われていた釜。

 

塩を運ぶベルト

 

製塩体験もできる。夏休みの子どもプログラムで1回5ユーロ。

 

 

ミュージアムショップにはいろいろな種類のハーブソルトやスパイスソルト、塩飴や塩ペンダントなどが売っていた。塩とは関係ないが、特設展示として「リューネブルクの50年代」という展示もやっていた。50年代の家の中や人々の暮らしを再現したもので、これもなかなか面白かったので2倍楽しめた。