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ケムニッツを午前中に出発し、途中、リヒテンシュタインの木工美術館、Daetz-Centrumを見てからさらに西へ移動し、ようやくツヴィッカウ(Zwickau)に到着。ツヴィッカウはケムニッツとはまた雰囲気の違う町で、Gründerzeit様式と呼ばれる19世紀後半の建物が残っている地区もあってなかなか趣があった。通りかかった住宅街に建つ教会が見事で、思わず車を停めて写真を撮る。

 

Moritzkirche

 

さて、ケムニッツ同様ツヴィッカウにもミュージアムはいろいろあるが、その日のうちに家に帰らなければならなかったので、的を絞らなければならない。今回、白羽の矢が当たったのは、August-Horch-Museum

 

ツヴィッカウは車の町である。(作曲家ロベルト・シューマンの生まれた町でもある。)ドイツに車の町はたくさんあるが、その中でもツヴィッカウは戦前の高級車ホルヒを生み出した町として有名だ。

と知ったようなことを書いているが、実は私はホルヒという車メーカーのことは全く知らなかった。ホルヒはかの「アウディ」の前身だそうである。1898年ホルヒ社を創立したホルヒ氏が経営陣とケンカして飛び出して1910年に新たに作った会社がアウディだ。その後、ホルヒ、アウディは米国の自動車メーカーのドイツ進出に対抗すべく、オートバイメーカーのDKW及びヴァンダラーとともに「アウトウニオン」を結成。第二次世界大戦までケムニッツを本拠地に自動車・オートバイを生産した。

ホルヒ博物館はかつてのアウディの工場の建物を使っている。

 

ドイツ全国にはなんと250を超える乗り物系(主に車やバイク)ミュージアムがあるらしい!いやはや、、、、。まさに車大国、ドイツ。しかし、自動車工場の建物を利用したミュージアムは全国でもここだけだとか。

 

館内にはホルヒの様々なモデルが展示されているとともに、ホルヒ社が辿った歴史を壁のパネルとオーディオガイドで知ることができる。

 

しかし、、、車に関する背景知識がほぼゼロの私は、どれを見ても「カッコイイ」「なんか凄そう」しかわからない、、、。一応説明は真面目に読み、オーディオガイドも聴いていたが、正直なところ、ちんぷんかんぷんであった。残念。

というわけなので、今回は説明は省いて写真だけ並べさせてもらおう。

 

ホルヒはナチスの公用車としても使われた。このタイプの第一号はブエノスアイレスのドイツ大使館に納品された。

 

 

これはどこかで何かの役に立ちそう?と思い、写真を撮る。

 

軍用車としても使われた。

 

 

 

アウトウニオンは敗戦後、占領ソ連軍により解体された。終戦直前に西ドイツのインゴルシュタットに逃れた経営陣によりアウトウニオンは再結成され、その後ダイムラー・ベンツに吸収合併されて西ドイツのメーカーとして発展を遂げる。かたや東ドイツの町となったツヴィッカウのホルヒ工場は東ドイツ人民公社ザクセンリンク(VEB Sachsenring Automobilwerke Zwickau)の名の元にDDRのシンボルとして今も根強いファンのいる「トラバント」を生産することとなったのである。レーシングカーで華々しいスタートを切り、超高級車ブランドとして世間を魅了したホルヒの工場が後にはトラバントの生産工場になったと思うと、なんだか物哀しさを覚えるなあ。

 

このホルヒ博物館はこの博物館だけ単独で拝観することもできるが、コンビチケットでもう一つの別の博物館とセットで見るのがおすすめだ。そのもう一つの博物館とは、、、、。次回の記事に続く。