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その地方に特徴的な建材に興味がある。古い建物の多くにはその土地で採れる木や石が使われている。建材が町並みや村の風景を作り、地方ごとに異なる味わいを生み出しているのが魅力的だ。

ベルリンやその周辺のブランデンブルク州は大部分が平地で石切場がほとんどない。こちらの記事に書いたように、古い建物は氷河によって北欧から運搬されて来た野石を積んでものか、レンガ造りが多い。レンガの建物は古くは中世から建てられていたが、教会や修道院などに限られていた。一般的な建物にもレンガが普及したのは、技士フリードリヒ・エドゥアルト・ホフマン(Friedrich Eduard Hoffmann)が考案し、1859年に特許を取得したホフマン窯(Hoffmannscher Ringofen)によってレンガの大量生産が可能になってからである。(ホフマン窯については、過去にウェルダー市グリンドウで窯を見学した際にまとめたので、興味のある方は以下の記事をお読みください。)

レンガは粘土から作られる。ベルリン周辺(つまり現在のブランデンブルク州)には粘土の産地がたくさんある。その中で最も規模が大きかったのはベルリンの北にあるツェーデニク(Zehdenick)を中心とする地域だ。19世紀後半にベルリンに多くの労働者が流れ込み市内の人口が急増したとき、大急ぎで住宅を建設する必要があった。その際に建材として使われたレンガの多くがツェーデニク産だった。ドイツ再統一後、ツェーデニクではもうレンガの生産は行われていないが、かつての工場跡地がレンガのテーマパークになっている。そのパーク、Ziegeleipark Mildenbergにブランデンブルク探検仲間のローゼンさん(@PotsdamGermany)と一緒に見学に行って来た。

うちから車で行ったのだけど、道を間違ったり、ナビに変な道に誘導されたりして、えらい時間がかかってしまった。辛抱強いローゼンさんは道中、文句の一つも言わない。延々3時間の移動後、ようやく現地に到着。で、結果から言うと、レンガパークははるばる行った甲斐のある、大変見応えあるミュージアムだった。

入り口のすぐ横にいきなり立派なホフマン窯が立っている。このテーマパークはヨーロッパ産業遺産の道(European Route of Industrial Heritage, ERIH)のアンカーポイントの一つ。その広大な敷地には4基のホフマン窯の他、粘土の処理施設や粘土の運搬に使われたレール、東ドイツ時代の設備などが残っていて、近郊で採掘された粘土が搬入され、レンガとなって隣接する港から搬出されるまでの行程や近代化の歴史を知ることができるのだ。(敷地の地図はこちら

パーク内に見どころが点在していて、どこから見始めたらいいのかわからない。入場チケット料金に列車でパークを一周するガイドツアーが含まれているので、先に全体像を捉えてから個々の展示を見るとわかりやすいと思う。

可愛い列車でパーク内を周遊。ワクワクする
ホフマン窯の内部

グリンドウのレンガ工場で見たホフマン窯は円形だったが、このパーク内のホフマン窯は全て楕円形である。窯の仕組みについては上記の過去記事に書いたのでここでは割愛しよう。

ツェーデニクを中心とするハーフェル川沿いの土壌に粘土が豊富に含まれるのは、ブランデンブルクの地形が氷河地形であることと関係がある。最終氷期(ヴァイクセル氷期)が終わったとき、溶けた氷は川となって一帯を流れた。その際に堆積した細かい粒子が深さ12mにも及ぶ粘土の層を作った。1885年から1887年にかけてこの地方に鉄道が敷かれた際、豊富に埋蔵する粘土が偶然見つかった。折しもベルリンは建設ブームの最中で、大量の建材を必要としていた。1890年にツェーデニクのミルデンベルク地区に最初のレンガ工場が建てられ、それから周辺に雨後の筍のように次々とレンガ工場ができていった。最盛期にはこの地域は63基ものホフマン窯が稼働する欧州最大のレンガ生産拠点の一つに発展した。それから東ドイツ時代を経て1990年にドイツが再統一されるまでの間、ここではノンストップでレンガが焼かれ続けたのだ。

ハーフェル川沿いのかつての港

焼きあがったレンガは隣接する港から水運でベルリンへと運ばれた。最盛期には1日に30槽もの船がレンガを載せてベルリンに向け出港した。帰りは工場稼働のための燃料となる石炭がツェーデニクへ運ばれて来た。

レンガというと、赤レンガを真っ先に思い浮かべるよね?でも、ツェーデニクのレンガはあまり赤くない。黄色から肌色、もしくはピンクがかった淡い色合いのものが多いのだ。そして、土壌の性質上、ツェーデニク産の粘土はあまり上質とはいえず、建物の外壁に使うのには適していなかった。そのため、首都ベルリンでは市庁舎など見栄えが大切な建物にはより上質な他の産地のレンガがよく使われ、ツェーデニク産のものは主に労働者用のアパートなどに利用された。上から漆喰を塗って隠してしまえば質はさほど問題にならなかったから。

バケットチェーンエキスカベーター

水分をたっぷり含んだ粘土は重く、掘り出すのも運ぶのも形成するのも大変だ。初期のレンガ生産は大部分が手作業で、ものすごい重労働だったが、次第に上記の画像のエキスカベーターなどを含むいろいろな機械が発明され、近代化されていく。

現在は草ボウボウでやや廃墟化しているけど、1839年に建設されたStackbrandtレンガ工場は当時、欧州で最も近代的な設備を備えていた。それまでは春から秋までの季節労働だったレンガ生産を通年で行うことが可能となり、生産性が飛躍的に向上した。

蒸気機関
東ドイツ時代の工場設備

第二次世界大戦後はツェーデニク周辺のレンガ工場が一つにまとめられ、人民公社となってレンガ生産が継続された。このエポックに関する展示も面白かった。

穴の空いたレンガ。穴を開けることで少ない量の粘土で焼き上がりが早く丈夫なレンガを作ることができる

パーク内の建物それぞれに展示があって、情報量が多い!5時間ほど滞在したけれど、半分くらいしか見ることができなかった。ツェーデニクのレンガ生産が多くの季節労働者によって支えられ、彼らがこの地域の社会文化の形成に重要な役割を担っていたことや、強制労働が行われていた時代もあったことなど、社会史もとても興味深い。ツェーデニクという地名は普段ほとんど耳にしないが、首都ベルリンはツェーデニクのレンガによって作られたと言っても言い過ぎではないだろう。今は過疎地が多いブランデンブルク州は「田舎」「何もない」などと小馬鹿にされることが多いんだけど、ブランデンブルクのかつての産業地を巡っていると、ベルリンの発展がいかにブランデンブルクに支えられていたかを感じるのだ。そのような視点で見るとブランデンブルクは実に面白い。

レンガパークでは展示を見るだけでなく、レンガ作り体験もでき、広ーい敷地には子どもの遊び場や小さな動物園もある。パークのすぐ外側にキャンプ場も整備されているので家族連れで訪れるのにも良さそう。でも、この日は平日だったからか、訪問者はほとんどいなくて、ほぼローゼンさんと私の貸切状態だった。入園料わずか8ユーロでなんと贅沢なんでしょう。

一気に気温が上がってようやく本格的に春になった。お出かけシーズンの到来だ。とはいっても私は季節や天気に関係なくいつもウロウロしているのだけれど、、、、。

今回は私が住んでいる地域の観光スポットを紹介しよう。それは、Märkisches Ziegelmuseum Glindowというレンガ博物館。うちのすぐ近くなのに、行ったのは今回が初めて。「レンガ博物館なんて面白いの?」と思われそうだけれど、これがかなり面白かった。ホフマン窯の中を見学できるのだ。

まずはいつものようにロケーションから。

地図の通り、レンガ博物館はグリンドウ湖という湖に面したところにある。

Märkisches Ziegelmuseum Glindow

この塔が博物館。長い伝統を持つレンガ工場、Neuer Ziegelmanufaktur Geltowに隣接している。1890年に建てられたもので、当時工場で作られていたいろいろなレンガが使われている。博物館という名前がついてはいるが中は小さく、見るものはそれほど多くない。でも、ここで入館料を払うと係の人が隣の工場を案内してくれる。

Glindowのレンガ生産の歴史は古い。Glindowという地名はスラブ語に由来し、「粘土に富んだ土地」を意味するそうだ。古文書によると遅くとも15世紀にはレンガを生産していた。18世紀にはプロイセン王家が工場を所有し、ポツダムを中心にプロイセン時代の建築物の多くにGlindow産のレンガが使われた。

いろんなレンガ。色の違いは粘土に含まれる鉱物の種類と含有量による

実はこのレンガ工場は特別かつかなり重要な工場である。なんと300年前の製法を今も守り続けているドイツで唯一のレンガ工場なのだ。ドイツには教会や修道院、城など文化財に指定されている建物が多くあるが、老朽化したり戦争で破壊を受けたりしたため、修理・修復の必要なものが少なくない。しかし、現在ではそれらの建造物が建てられた頃とはレンガの製法が変わっており、当時と同じようなものを作ることができない。Glindowのこの工場ではそのような建物に特化して伝統の製法でレンガを作り続けている。そして、ドイツ全国だけでなく、なんとフランスやベルギー、スエーデンなど欧州のいろんな国からも注文を受け、カスタムメイドの高品質のレンガを生産しているんだって!

作られたレンガは船に乗せて運搬した

工場敷地

塔の中で展示を見ながら説明を聞いた後、工場に案内してもらった。ところが、工場の中は写真撮影厳禁と強く言われてしまった。残念〜。これは外から撮ったもので、真ん中に見えるのはホフマン窯というものである。こちらの記事にも書いたが、ホフマン窯とは1858年にフリードリッヒ・エドアルド・ホフマンが特許を取得したレンガの焼き窯で、独立したいくつもの区画が煙突を取り囲むように並ぶのでリングオーブンとも呼ばれている。この窯の発明以前は焼成ごとに窯が冷えるのを待っていたが、ホフマン窯では区画に順番に火を移すことで連続で焼成ができるようになった。大量生産を可能にしたこの画期的な技術は日本へも導入されている。(参考

ガイドツアーではレンガ生産過程の最初から最後までの設備を一通り見せてもらえる。これがすごく面白い。一番興奮したのはホフマン窯の中に入ったこと。写真を撮ることができなかったので説明のしようがないけれど、うちに遊びにいらっしゃる方は、よければこのミュージアムにご案内します。一見の価値がありますよ。

釉をかけたカラフルなレンガも

焼成温度は900〜1200℃。1300℃を超えるとレンガがこのように溶けてしまう

床材見本

円形、ひし形、六角形などいろんな形がある

素敵だな〜。でも、上述したようにこの工場は主に文化財用の高品質レンガに特化していて、一般人が自宅用に購入するには高価過ぎる。うちの最寄りの工場だからうちのテラスのレンガはここで注文するか、というわけには残念ながらいかないようだ。でも、地元の伝統ある産業について知るのは興味深い。ちなみにレンガ生産の最盛期にはGlindowにはなんと76もの窯があった。レンガ職人の仕事はハードで、冬場などは高温の窯とマイナス気温の外を出たり入ったりと体への負担が大きく、平均寿命は48歳くらいだったとのこと。

 

帰り道のロータリーに何やらレンガが積んである

 

寄付者の名前?

 

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