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久しぶりに新しい観光マップを作成した。ここのところ、住文化をテーマにした博物館をいくつか紹介して来たので、ドイツ全国の住文化関連の観光スポットを集めてみた。これまでに作成した観光マップ同様、一般公開しているので、ドイツの住文化に関心のある方はぜひ利用してね。

ドイツ住文化観光スポットマップ

今回のマップのカテゴリーは、「住文化博物館」「野外博物館」「労働者コロニー」「田園都市」「モダニズム集合住宅」「ナチ時代の住宅地」の6つ。博物館だけでなく、集合住宅もドイツの住文化を知る上で欠かせない。住文化は建築と密接に結びついているけれど、建築関連のスポットとのどこまでをマップ化の対象にするかの線引きがなかなか難しかった。住文化観光マップなので、「人々の暮らしの場」としての建物であることを基準に、一般住居とその集落に対象を絞ることにした。したがって、お城の博物館などは対象外です。

最初のカテゴリー「住文化博物館」には実際に住居として使われていた建物を利用した博物館などをまとめた。たとえば、以下のようなタイプの博物館ね。

博物館によって展示する住文化の時代や社会層が異なる。また、地域によっても住文化に違いがある。マップに登録した博物館の他、各地の郷土博物館もその土地の住文化を知るにはうってつけだ。ただ、郷土博物館は数が多すぎてとても網羅できないので、マップにはその一例のみ含めた。ほとんどの町に郷土博物館があるので、行く先々で訪れてみるとその土地の伝統的な住・生活文化が把握できる。その地方で豊富に採れる建材を使った建物や民族衣装など特色あるものが見られるので、見比べると楽しい。

個別の博物館だけでなく、集落ごとオープンエアで展示する野外博物館もたくさんある。野外博物館にはもともとある集落をそのままミュージアム化したものと、地方の歴史的建造物を一箇所に集めたテーマパーク的なものがあるが、どちらも面白い。テーマパーク的な博物館には各種体験コーナーがあったり、年間を通じてイベントも催しているので子ども連れで行くのも楽しいと思う。古代ローマやケルトの住居跡を利用したテーマパークもたくさんあるけれど、そこまで時代を遡ると考古学の範疇に入るので、今回のマップでは中世後期以降のものに限定した。考古学観光スポットマップは別に作成してあるので、合わせてどうぞ。私が訪れてとても気に入ったヴェントラントの野外博物館を以下に紹介しよう。

次のカテゴリーは「労働者コロニー(ArbeitersiedlungまたはWerkssiedlung)」。ドイツでは19世紀後半から企業が労働者用の住宅を建設するようになった。産業革命以降、農村から多くの人が労働者として都市に流入して都市の人口が急激に膨れ上がり、深刻な住宅難を引き起こした。労働者の多くは賃貸バラック(Mietskaserne)と呼ばれるじめじめした不衛生なアパートに住み、病気が蔓延していた。大規模企業は工場の近くに住宅を建設し、社員に健康的で文化的な生活環境を提供するようになったのだ。いわゆる社宅である。エッセンの重工業企業、クルップ社が建設した労働者コロニー群は特に有名だ。

ドイツの建物は耐久性が高いので、この時代に作られた労働者コロニーの多くは補修や改築を経て現在も住宅として使われている。いろんなスタイルの社宅があるので、外から見学すると面白い。でも、人が住んでいるので、建物にあまり接近したり内部を覗き込んだりするのはNG。全国にかなりの数の労働者コロニーがあるので、歴史的に重要で文化財として保護されていているものをピックアップした。

ドイツには英国の社会改革者エベネザー・ハワードが提唱した田園都市のコンセプトに基づいて建設された住宅地も多くある。ドレスデン近郊のドイツ初の田園都市ヘレラウが有名だが、クルップ家も田園都市型の労働者住宅を建設している。

次は「モダニズム集合住宅」。ワイマール時代にはバウハウスなどモダニズムの建築家が機能的で合理的なスタイルの集合住宅を建設した。モダニズムの集合住宅は日本では「ジードルンク(Siedlung)」と紹介されることが多い。ベルリンのモダニズムの集合住宅群はUNESCO世界遺産に登録されている。ベルリン以外ではフランクフルトやデッサウが有名だが、ザクセン州ニースキーにこんな木造モダニズムのジードルンクを見つけて、とても気に入った。

最後は「ナチの時代に建設された住宅」。この時代にも住宅は建設されているけれど、住文化の文脈で注目されることは少ない。「血と土(Blut und Boden)」というナチの民族主義的なイデオロギーのもとに建設された住宅地をいくつか見つけたので登録した。

他にもたくさん観光マップを作っているので、カテゴリー「マップ」からアクセスしてみてください。

ここのところ仕事が立て込んでいたり、珍しく風邪を引いたりでちょっと間が空いてしまった。前回の記事ではドイツの航空学パイオニア、オットー・リリエンタールを取り上げた。記事でも触れたように、オットー・リリエンタールは航空学の分野で類を見ない功績を残しただけでなく、蒸気機関やボイラーを始めとして数多くの特許を取得するなど、マルチタレントだった。しかし、オットーの溢れる才能の開花には幼少期から一心同体だったとされる弟グスタフも大きく貢献した。オットーの業績のかなりの部分はグスタフとの活動によって生み出されたものだ。グスタフもオットーと並ぶ航空学のパイオニアである。

しかし、前回の記事では主にオットーにスポットを当て、グスタフについてあまり触れなかった。というのも、オットーほどは知られていないが、グスタフもまた、驚くほど才能に恵まれ、その守備範囲の広さではむしろ兄を凌いだのではないかと思われる非常に魅力的な人物なのだ。私はオットーにも感銘を受けたが、より強く惹かれるのはむしろグスタフの方かもしれない。そこで、オットーとセットではなくグスタフはグスタフとして個別に取り上げたかった。

 

兄と同様、アンクラムのギムナジウムを卒業したグスタフは、ベルリンの建築学アカデミー(現在のベルリン工科大学の前身)に進学した。普仏戦争の勃発のためアカデミーは中退したが、その後、発明家、教育者、建築家、社会改革者など複数の顔を持ち幅広いキャリアを築いた。兄のオットーが蒸気機関やボイラーなど工学分野で活躍したのに対し、グスタフは芸術的な方面で優れた業績を残した。代表的なのは「アンカー石積み木(Anker Steinbaukasten)」と呼ばれる積み木の発明である。(下の写真の一番下。写真が’暗くてすみません)

グスタフはこの積み木の製法を実業家、アドルフ・リヒターに売却し、リヒターは「アンカー石積み木(Anker Steinbaukasten)」の名で商品化した。これが世界的な大ヒットとなり、リヒターは大儲け。残念ながらグスタフ自身はこの積み木からはほとんど利益を得られなかったようだ。しかし、グスタフは今度は次の写真の右のような木製のモジュラーおもちゃを考案し、これまた大ヒットとなる。このモジュラーおもちゃはLEGOやフィッシャーテクニックなど、現代の組み立て系おもちゃの元祖とされているそうだ。

画期的な建物づくりおもちゃを開発したグスタフは、おもちゃではなく本物の建物の設計者としても頭角を現すようになる。当時のドイツは社会が大きな構造変化の最中にあった。産業革命により都市の人口が増え、劣悪な住環境で病気が蔓延するなど都市問題が深刻化していたことから、労働者のために「ジードルンク」と呼ばれる集合住宅が建設されるようになった。グスタフは建築家としてはもちろん、社会改革者としてもこの運動に積極的に関わった。ドイツ、特にベルリンのジードルンク群は現在、観光スポットとして人気があるが、そのうちの一つ、ライニケンドルフドルフ地区のフライエ・ショレ(Freie Scholle)は、グスタフが創始者となった労働者建築協同組合のジードルンクである。このジードルンクは後に建築家ブルーノ・タウトにより拡張され、現在はこんな感じで残っている。(写真はジードルンクのごく一部)

 

また、グスタフはベルリン近郊オラーニエンブルクに1893年に創設されたドイツ初の菜食主義者ジードルンク「エデンの建設にも深く関わっている。エデンジードルンクの建物に使われた建材はグスタフの発明品だそう。この「菜食主義者ジードルンク」の話も掘り下げるとかなり面白そうなテーマなので、いつかエデンへも行ってみたい。

と思っていたら、グスタフ・リリエンタールの設計した建物はごく身近にもあった。私はベルリンの隣町、ポツダム市郊外に住んでいるのだが、ある日ポツダムをぶらぶらと散歩中に面白い形の建物を見つけ、なんとなく写真を撮った。家に帰って来てから、「変わった建物だったけど、何の建物なのかな?」と思い調べてみると、なんとグスタフの手によるものだったのだ。

このVilla Lademannは1895年に建てられたもの。なんとも夢のあるお屋敷ではないか。これを発見したことで、ますますグスタフに興味が湧いた。調べたところによると、リリエンタール兄弟が住んでいたベルリン、リヒターフェルデ地区にはグスタフの設計した住宅がたくさん残っているらしい。それは探しに行くしかない!

Lichterfeldeはこの辺り。

グスタフはまず自分の家族用に英国のタウンハウスから発想を得た小さな家を建設した。ベルリンやポツダムで競って豪邸が建てられていた当時、こじんまりとしたグスタフの家は嘲笑の種だった。しかし、身丈に合った家を建てるべきだというのがグスタフの考えだったらしい。

Tauzienwegのリリエンタールの家

個性的な家の多い通りにおいてもひときわ味があるのですぐにわかった。しかし、この家はその後かなりリフォームが加えられており、オリジナルとは随分違ってしまっているらしい。この家にはグスタフ一家は2年半ほどしか住まず、その後はこちらの家に引っ越した。

ここには現在も子孫の方が住んでおられるらしい。グスタフの設計した住居は見た目が魅力的であると同時に実用的な造りだそうだ。見た目が良いだけの高価な建材は使用せず、庶民に手の届く快適な住居をコンセプトにしていたという。リヒターフェルデ地区には全部で22棟を建設したが、現在は残っているのはそのうちの16棟。

では他の建物も見ていこう。数が多いのでコメントなしね。

 

あ〜、楽しい。逆光だったり木が邪魔だったりで写真が撮れないものもあったけれど、全棟見つけることができた。こんな素敵な建物を考案できるグスタフ・リリエンタールはきっと魅力的な人だったのだろうなと感じる。この記事で紹介したのはグスタフの業績のごく一部である。もっと詳しく知りたいな。今後の課題としよう。