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前回の記事に書いたように昨日はニーダーザクセン州とザクセン=アンハルト州の州境にある考古学博物館を訪れたが、せっかくはるばるブランデンブルク州から来たからには、寄って行きたい町が近くにあった。それはハルバーシュタット(Halberstadt)。聞き慣れない町だが、その町の廃教会で特殊なコンサートが行われていると先日、人に教えてもらった。それ以来、その教会が気になっていたのだ。

コンサートというのは、1992年に亡くなった米国の実験音楽家、ジョン・ケージ作曲のオルガン曲、Organ2/ASLSP (As slow as possible)の演奏会である。元々はピアノ曲だったものだが、1987年にオルガン用に編曲された。「できるだけゆっくりと」と名付けられたその曲の演奏時間は演奏者の解釈に委ねられている。フランス、メッツでの初演時には29分14秒かけて演奏された。

しかし、「できるだけゆっくり」とは、どのくらいゆっくりを意味するのだろうか?ケージが亡くなってから5年後の1997年にドイツのTossingenで開催されたオルガン・シンポジウムで、ASLSPはどこまでゆっくり演奏され得るかという問いが提示された。オルガン演奏家、音楽学研究者、オルガン技術者、哲学者、神学者たちが共に議論し、その結果、ASLSPは理論上は永久に演奏することができるという結論が導き出されたという。少なくともオルガンの寿命が尽きるまでは。そして、次世代に平和と創造性が受け継がれる限りにおいて。

そうして始まったのがジョン・ケージ・オルガン芸術プロジェクト(John-Cage-Orgel-Kunst-Projekt)である。ハルバーシュタットの廃教会、ブルヒャルト教会で2000年から639年間かけてこの現代オルガン曲が演奏されることになった。凄い話だ。639年という長さはどこから出てきたのかというと、ブルヒャルト教会で最初にオルガンが奏でられたのが1361年のことで、ジョン・ケージ・プロジェクトの開始年がその639年後の2000年だから、639年間かけて演奏することにしましょうと決まったらしい。

なんとも奇妙な(というか芸術の極み?)プロジェクトである。なんだかよくわからないものの、興味をそそられる。ましてや演奏場が11世紀に建てられた廃教会だときては、訪れてみたくもなるよね。
 

 

ブルヒャルト教会のある敷地に到着。

中世感が漂っている

ドアを開けて敷地の内側に入ると左手にロマネスク様式のブルヒャルト教会が建っている。建設は1050年頃。宗教戦争の際に一部が破壊され、その後修復されたが、ずっと教会以外の用途に使われていたとのこと。ドアの前に立つと中からかすかにオルガンの音が聞こえたのでなぜか緊張してしまった。ドキドキしながら取手に手をかけると、鍵がかかっていた。隣の事務所の建物まで行って、係の人にドアを開けてもらい、中に入る。

教会内部。薄暗くひんやりした教会の中でオルガンが鳴っている。ずっと同じ音だ。1つの音から次の音に移るのに何年も要するのだ。最後に音が変わったのは2013年10月5日。以来、楽譜の14番目の音が静かに鳴り続いている。

凄い雰囲気、、、、。

これがASLSPを奏でているオルガン。反対側の側廊にはふいごが置かれている。639年間自動演奏する楽器というのもびっくりだ。

動画を撮ろうと思ったら、こういうときに限って携帯が死んでいた、、、(エーン)。どんな音か知りたい方は以下のサイトの音源をどうぞ。

Aktueller Klang

コンサートを聞きにここまで来ても同じ音がずっと鳴っているだけなので、全体としてどんな曲なのかを掴むことはできない。

楽譜

YouTubeにはいろんな演奏家の演奏がアップされているので、短めのものを聴けば少しは全体像がつかめるかもしれない。2013年の音変更の際には大勢の人が教会を訪れ、その瞬間を見守った。以下の動画でその様子が見られる。

 

次の音変更は2020年9月5日だって!!!

いやー、なんかあまりに凄くて何と言ったらいいのかわからないのだけど、とにかく強烈にマニアックなのであった。

 

先週まで異常に寒く、3月の末だというのに雪まで降っていたのだが、今度は突然20度近くに気温が上がり、まるで初夏のよう。おかげで気分もすっかり夏!(これはドイツにありがちなフェイントだとわかってはいるのだが)

ドライブ日和だ。こんな日に家に閉じこもっているのは野暮である。仕事の手を止めてちょっと出かけることにした。行き先は自宅から車で50分ほど西へ移動したZiesarという小さな町にある城、ツイーザー城(Burg Ziesar)に決めた。目当てはその城の中にある聖ペテロ・パウロ教会。いつだったかそのチャペルの内装の写真を目にして以来、是非とも見に行きたいと思っていたのである。

 

ツィーザー城は城といっても山の上に建っているわけではなく、平城だ。全体像は写真に撮れないのだけど、広場を中心に弧を描くような造りをしたなかなか立派なお城。

聖ペテロ・パウロ教会

城内はミュージアムになっている

城の建物の端には塔が建っている

早速、教会の内部を見せてもらう。

うわー、美しい!このなんとも言えない独特の色合い、ドイツの教会では珍しいのではないか。

エッサイの根

私が住んでいる地域は近世になってから発展したので、中世の建造物は少ない。だからたまに遠出してこういう雰囲気を味わうと新鮮。

これだけでもかなり満足したけれど、せっかく来たのでミュージアムも見て行こう。ミュージアムの建物はかつての司教邸で、建物についての展示と特別展示を同時進行で見られる。この建物の目玉は「中世の床暖房設備」だ。

ミュージアム一階の床に穴が空いていて、下に何やら見える。

地下の釜で火を焚いて建物を温めていたようだ。この炉は1300年頃に作られたものだそう。古代ローマには「ハイポコースト」と呼ばれる床暖房のセントラルヒーティング設備があったそうだが、それと同じようなものなのだろうか。

階段を降りて地下を覗いてみる。

 

温めた空気を建物全体に回すパイプの役割を果たしたトンネル。

特別展示のテーマは「ブランデンブルク州のキリスト教化」。先日、ブランデンブルク市の考古学博物館の展示でも見たが、もともとここら辺(東北ドイツ)はスラブ民族の定住地だった。彼らは独自の自然宗教を信仰していたが、8世紀以降に進出して来たキリスト教徒に服属させられ、次第にキリスト教文化に呑み込まれていった。

初代神聖ローマ皇帝、カール大帝。

 

カール大帝の遠征戦争(ザクセン戦争)においてキリスト教徒らと戦い、亡くなったスラブ人の頭蓋骨。おでこの部分に割れ目がある。

この洗礼桶でスラブ人たちが強制的に洗礼を受けさせられた。

12世紀には現在のブランデンブルク州へ大量のキリスト教徒が移住し、各地に町を作っていった。教会も次々に建設されたが、最初から石造りの立派なものを建てたわけではなく、初期には木造が多かったらしい。写真はHaseloffという村で発掘された当時の教会の壁の一部。

 

ミュージアムを見た後は塔にも登って見た。

塔から下を見下ろす

 

あー、面白かった。このお城の情報は日本語のガイドブックにないのはもちろんのこと、ドイツ語でもこの地方に特化したガイドブックでなければ載っていないと思う。でも、チャペルは一軒の価値がある。首都ベルリンからも自動車なら1時間ほどなので、おすすめ。ちなみに、ツィーザー城を見学すると、そのチケットでレーニン修道院博物館ブランデンブルグ大聖堂博物館ブランデンブルク市パウロ修道院博物館(ブランデンブルク市考古学博物館)の入館料が1年間、半額になる。