アイフェル地方へ行って来た。今回から数回に渡って書く記事は「まにあっくドイツ観光火山編」である。ドイツと聞いて火山を思い浮かべる人は少ないかもしれないが、ドイツにも火山はあるのだ。ノルトライン=ヴェストファーレン州南西部からラインラント=プファルツ州北西部に広がる山地、アイフェル地方には「ドイツ火山街道」という全長約280kmに及ぶ観光ルートがある。夏の最後の旅行として、火山街道のおよそ西半分に当たるUNESCOグローバルジオパーク、火山アイフェル(Vulkaneifel)に4泊滞在した。

火山アイフェルで是非とも見たかったのはこの地方に点在するマール湖だ。マールとは火山地形の一つで、上昇マグマが地下水と接触して水蒸気爆発を起こし、周囲の岩石を吹き飛ばすことでできた漏斗状の空洞である。この空洞に水が溜まると湖ができる。まん丸な湖を縁取るように森が広がっているので「アイフェルの目」と呼ばれることも多い。観光ポスターなどで目にして、その神秘的な美しさに憧れていたのだ。

アイフェル地方には75ほどのマール湖があるとされるが、その大部分は干上がっていて、現在、常に水に満たされているマール湖は10ほど。そのうちのダウナー・マーレ (Dauner Maare)と呼ばれるマール群は、ダウン市周辺に数キロメートルづつ離れて存在する。今回、私たちはダウンのマール群の一つ、シャルケンメーレナー・マール(Schalkenmehrener Maar)のほとりにある村、シャルケンメール村を拠点に動くことにした。目標はできるだけたくさんのマール湖を見ること。

では早速、マール湖はしごツアーに出発!

まずはシャルケンメーレナー・マール。湖の向こう側に見えるのがシャルケンメーレン村。アイフェル地方は世界的にも有名(らしい)なスレートの産地なので、この地方のほとんどの建物の屋根はスレート葺きである。シルバーグレーのスレートは真っ白な壁に映え、すっきりと美しい。

反対側から見たところ。湖面がレンズのようで綺麗。ダウンのマール群はおよそ2〜3万年前、最後の氷河期に形成された。湖の向こう側、右上のあたりに円形の平らなスペースが見える。実はシャルケンメーレナー・マールは双子のマールで、片方は干上がり、もう片方のみに水が残っているのでこのような地形になっている。

次はお隣のヴァインフェルダー・マール (Weinfelder Maar)へ。

こちらはよりマール湖らしく、周囲が盛り上がっている。爆発の際に飛び出した噴出物(テフラ)が堆積してドーナツ状の低い丘を形成したのだ。

丘がはっきりわかるね。

マール湖の水はとても透き通っている。私の住むブランデンブルク州には氷河湖が数え切れないほどあり、そのほとんどで泳げるが、アイフェルのマールはとても深く水も冷たいので、泳げるのは特定の場所に限定されている。ちなみにこのヴァインフェルダー・マールの中心部の深さはなんと51メートルもある。

ダウン周辺の3つ目のマールはグミュンデナー・マール (Gmündener Maar)。山の上にある塔、ドロンケ塔(Dronketurm)から見下ろすことができる。

ドロンケ塔

向こうのところどころに見える盛り上がりは火山。これまで持っていた火山のイメージとはだいぶ違うけれど、、、。

ドロンけ塔の側には「マールブランコ」なるものがあり、グミュンデナー・マールを見下ろしながらブランコが漕げる。もちろん、乗ったよ。

さて、ダウンから南下し、次はギレンフェルト(Gillenfeld)のマール群に属するプルファー・マール (Pulvermaar)へ 。

このマールの側のキャンプ場で地質学者による岩石講座をやっていたので参加した。それについては別の記事で書くことにするが、岩石だけでなくマールの成り立ちについても講義してもらい、とても面白かった。日本語版ウィキペディアのマールのページにはマールは「通常は1回だけの噴火で形成され(単成火山)」と書いてあるのだけど、地元の学者先生によるとアイフェルのマールは短期間に30〜40回の爆発を繰り返しながら形成されたそうだ。

お次はマンダーシャイト(Manderscheid)市近くにあるメルフェルダー・マール (Meerfelder Maar)。

日没にさしかかっていたので、こんな写真が撮れた。このマールができたのは約8万年前。周辺に遊歩道があり、泳げる場所もある。

メルフェルダー・マールとは対照的に最も最近形成されたのはウルメン(Ulmen)市にあるウルメナー・マール (Ulmener Maar)。形成時期は約1万900年前。地質学的な時間スケールで考えるとごく最近生まれたマール湖ってことになるかな。

このマールはそれほどまん丸ではないので、見た目のマールらしさが薄い。(ちょっと不満)

でも、やっぱり綺麗。

今回、3日間で7つのマールを回ることができた。どのマールもそれぞれ美しいが、最も気に入ったのはこれから紹介するホルツマール (Holzmaar)だ。このマールの素晴らしさといったら!!

息を呑む素晴らしさで感動!(伝わらなかったら私の下手な写真のせいです。すみません)しばらくウットリとして佇んでいたが、夫が「ドローンで上から写真撮ろう」と言うので、ドローンを飛ばせる場所を探すことに。ドイツはドローン規制が厳しく、マール湖の真上及びその周辺は自然保護区に指定されているため飛ばすことができないが、少し離れた駐車場からドローンを上げて斜めに見下ろすように撮影することができた。

これ、これこそが私が憧れていたマールの姿。森に縁取られた深いブルーの湖水が本当に美しい。

動画も撮ったので見てみてね。

幸いお天気にも恵まれ、たくさんのマール湖を回ることができ、大満足である。しかし、アイフェルの魅力はマールだけではなかった。次回の記事からはマール以外のアイフェルの素晴らしさを紹介していこう。

 

北バイエルンのバンベルクに用があり、行って来た。

バンベルクはユネスコ文化遺産に指定されているとても美しい観光地で見どころも多い。しかし、今回は自由時間が数時間しかなかったので、まにあっく観光は自然史博物館のみ。

かつてのイエズス会コレギウムの建物がバンベルク大学の自然史博物館だ。

この博物館は規模はそう大きくないが、歴史ある美しい「鳥の間 (Vogelsaal)」が有名である。

 

バンベルク大学の付属施設として作られ、1810年に完成した床面積約200平米メートルの鳥の間。陳列棚には1255体、約800種類の鳥類の剥製が展示されている。まだドイツに動物園も存在していなかった頃、自然科学の学生達の学習のために集められたものだ。この鳥の間は現在までの間に壁の塗り替えや補修はされているが、19世紀の博物館の姿をそのまま残していて、それ自体が博物館的価値を持つ。二重の意味で博物館であり、「博物館の中の博物館(ein Museum im Museum)」と呼ばれている。

壁際をぐるりとギャラリーが囲んでいる。

美しい〜〜〜。

展示物のメインは鳥類だが、その他の動植物のキャビネットもある。

博物館キッズ。可愛いね〜。

女の子達はこの棚を見て、「ワーオ!」と歓声を上げていた

鉱物キャビネット

この博物館の目玉展示物の一つは果物モデルのコレクション。18世紀後半から19世紀にかけて作られたとても希少なものだそうだ。様々な種類のドイツ産のりんご、なし、さくらんぼのモデルが並んでいる。

これらモデルの種類の果物の多くは現代では栽培されていない。

こちらは鳥の卵モデルコレクション。

たまたま生物多様性に関するこのような本のサンゴのところを読んでいるところだったので、サンゴの棚はじっくり見た。

クダサンゴ

脳サンゴ

鳥の間のキャビネットはどれも美しく魅力的だけれど、展示物に関する説明がほとんどない(名称と産地のみ)のがちょっと残念だった。

鳥の間以外にも様々な展示物がある。1階フロアのフランケン地方の地質や鉱物に関する展示は説明が充実していて満足。今年(2018)の4月から新しく展示されるようになったものに「バンベルクの驚異の首飾り(Bamberger Wunderkette)がある。さくらんぼの種137個、あんずの種15個を繋いだネックレスで、それぞれの種には繊細な装飾が施されている。約200年前に作られたものらしい。

 

さて、常設展示に関して簡単に紹介したが、バンベルク自然史博物館では現在、とても面白い特別展、「Frankenland am Jurastrand (ジュラ紀の海岸のフランケン地方)」をやっている。この展示は写真撮影が禁止なので画像の紹介ができないのだけれど、すごい化石がたくさんで大興奮!以前、こちらの記事でゾルンホーフェン石灰岩から発掘されるジュラ紀の化石について紹介したが、最近になってフランケン地方のヴァッテンドルフ(Wattendorf)の石灰岩にもジュラ紀の化石の産地が豊富に埋蔵されていることがわかったそうだ。ゾルンホーフェンと比較すると石灰岩地域はずっと狭いが、化石の埋蔵密度はゾルンホーフェン以上だという。ヴァッテンドルフでは翼竜、魚竜、魚やカメの他に爬虫類の化石も比較的多く見つかっている。

どんな化石が展示されているか知りたい方は、以下の動画をどうぞ。化石探しの様子も見られます。(ドイツ語)

 

Dörverdenでオオカミセンターの見学を無事終え、友人Sちゃんをハノーファー空港へ車で送って行くことにした。飛行機の出発時刻まで時間に余裕があったのでどこか途中の町に寄って行こうということになり、立ち寄ったのはニーンブルク(Nienburg)。

ニーンブルク

「なかなか可愛い町じゃない?」などと言いながら、気の利いたカフェでも探そうと目抜き通りを歩いていると、ある建物のウィンドーの前でSちゃんが「あら、これ何?」と足を止めた。目をやると、そこには、、、、

イノシシの剥製があった。傍には警察の制服を着た人形が立っている。ん?これ、普通のイノシシじゃない?見るとこのイノシシは警察犬ならぬ警察イノシシらしい。名前はルイーゼ。ニーダーザクセン州警察により麻薬探知イノシシとして正式に訓練を受け、1987年まで活躍したそうだ。メディアで引っ張りだこのスターイノシシだったと書いてある。なぜそのルイーゼさんがここに展示されているのかというと、たまたま通りかかったこの建物はニーダーザクセン州警察博物館なのであった。何それ、面白そう。無料だったので中に入ってみた。

入り口にズラーっと警察ミニカー。かつてドイツの警察カラーはこのように緑とベージュだった。2004年に緑から青への変更が決まり、徐々に新カラーへ移行した。でも、バイエルン州だけはまだ移行が完了しておらず、まだ緑色のパトカーも見られるらしいね。

警察おもちゃがいろいろ展示交通してある。写真は交通ルールを学ぶためのボードゲーム(さすがボードゲーム大国、ドイツ!)とおまわりさん指人形。指人形は可愛いのか怖いのかよくわからない。この人形を指にはめて子どもたちはどんな風に遊ぶのだろう。

1階フロアのうちかなりのスペースを占めていたのはニーダーザクセン州ハノーファーで1919年から1924年にかけて24人を殺害した「フリッツ・ハールマン連続殺人事件」に関する展示だった。事件の被害者は若い浮浪者や男娼で、ハールマンに自宅のアパートに連れ込まれ、性行為の相手をさせられた後、喉を嚙み切られて死亡した。ハールマンハールマンは被害者の頭部を石で叩き割り、遺体を包丁でバラバラに解体してバケツに入れ、外に運び出していたそうだ。骨はライネ川に捨て、その他の部分を町の共同トイレに投げ入れ、液体状の部分は下水溝に流し、被害者が身につけていた衣類は古着屋に売り飛ばしたという。

地元の子どもたちがライネ川で5体の頭蓋骨を発見したことからハールマンの犯行が明るみになり、ハールマンは斬首刑に処された。

ハールマンの処刑後、20年も経ってから発見された、犯行に使われたとみなされる包丁。ハールマンは肉の加工業も営んでおり、ソーセージなどを作って売っていた。被害者の遺体を食品に加工していたという憶測もあるらしいが証拠は見つかっていない。このおぞましい事件を私は知らなかった。数々の文芸作品の題材として取り上げられ、映画にもなっていることがわかった。家に帰ってから夫に「ハールマン連続殺人事件って知っている?」と聞いたら、「あー、『Die Zärtlichkeit der Wölfe』だね?」という返事が返って来た。

このハールマン事件は衝撃的な事件として市民をパニックに陥れただけでなく、警察の取り調べのあり方についても大きな議論を引き起こした。取調官はなかなか口を割らなかったハールマンを拷問し、恐怖を与えるため、独房の四隅に頭蓋骨を起き、ベッドの下には被害者の骨の詰まった袋を置いたという。また、ハールマンは警察の情報提供者でもあったため、容疑者リストにありいながら逮捕が遅れたということもあり、警察に対する市民の信頼はガタ落ちした。ハールマンは同性愛者だったために、事件後、同性愛者に対する風当たりはますます強くなっていたらしい。

身の毛がよだつような恐ろしい事件だが、こうした事件が起きた当時のドイツの社会状況は興味深い。第一次世界大戦後の食糧難で犬や猫の肉が闇市で売買されていたり、ハノーファーの中央駅周辺は性を売って飢えをしのぐ孤児の溜まり場になっていたなどの背景があったようだ。

さて、ニーダーザクセン警察博物館ではハールマン事件についてだけでなく警察史も知ることができる。

18世紀の鐘つき手錠

プロイセン時代のおまわりさん

1911年の警察の風刺画

1900年の警察官用の柔術の教科書

ナチス時代の警察の制服

戦後の連合軍軍政期に英国の警察をモデルに導入されたニーダーザクセン州警察の制服

70年代の検査官の制服

それぞれの時代の警察についての説明も面白いのだけれど、記事が長くなり過ぎるので、また改めて取り上げたいと思う。

フォルクスヴァーゲン・ケーファーのパトカー。可愛い!

ふらっと寄ったニーダーザクセン州警察博物館、なかなかの見応えだった。警察博物館はドイツ各地にあるので、他のも是非訪れたい。

まにあっくドイツ観光ニーダーザクセン編(その1その2その3)の続き。南ドイツからはるばるやって来た友人とハノーファーで落ち合い、ニーダーザクセン州立博物館を見た後、私たちはそこから北西に約72kmのところにあるDörverdenという村へ向かった。人口1万人弱のその小さな村に私たちの目指す「オオカミセンターWolfcenter)」があるからである。

近頃、ドイツのメディアでは野生のオオカミに関する記事を目にすることが多くなった。オオカミはかつてドイツ全国に棲息していたが、徹底的に駆除され個体数が減少、1870年頃にほぼ絶滅したとされていた。しかし近年、ドイツ国内で野生のオオカミが再び目撃されるようになっている。中世以降、忌み嫌われて来たオオカミだが、1973年に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約 (ワシントン条約)が採択され、保護の対象となった。旧西ドイツも1975年に条約の締約国となったが、旧東ドイツは加盟しておらず、90年代半ばからポーランドから国境を超えてちらほらと東ドイツの領土に野生のオオカミが入って来るようになると撃ち殺していた。ドイツ統一後はオオカミはドイツ全国において保護の対象となっている。そのためか、ドイツにおける個体数は増え続けている。2000年、旧東ドイツのザクセン州で野生のオオカミのペアが確認され、ポーランドとの国境に近いラウジッツ地方では現在14の群れがいることがわかっている。そしてさらにブランデンブルク州を通過してニーダーザクセン州方面へもオオカミの縄張りは広がりつつある。現時点で全国には72のオオカミの縄張りがあるとされる。生物多様性の観点からオオカミが戻って来たことを喜ぶ人々がいる一方で、家畜を殺される被害も増えており、不安を抱く人も少なくない。狼を巡る議論がこれからますます活発になりそうだ。

そんなわけでオオカミについて知りたいと思っていたところ、Dörverdenにオオカミ学習施設があることがわかったので、動物好きの友人を誘って行ってみることにしたのである。

オオカミセンターは動物園とミュージアム、会議場を合わせた総合学習施設だ。

こんな感じの普通の森の中にフェンスで囲まれた3つの飼育場があり、動物園や大学から譲り受けたヨーロッパオオカミが飼育されている。野生のオオカミの保護施設なのかと思って行ったのだがそうではなく、オオカミと人間の共生についての啓蒙活動を目的としてオオカミを飼育しているそうだ

早速園内を歩いてみたら、いたいた!でも、みんな眠そう。寝ている姿は犬そっくり。フェンスで囲まれてはいるが、走り回れる程度の広さはある。

ヨーロッパオオカミ。よく見るとやっぱり犬とはちょっと違うかなあ。

しかし、真っ白なハドソン湾オオカミはまるで犬。

別料金で飼育場のフェンスの中に入れてもらうこともできる。私たちは外から見ただけだったが、中に入っている人たちがいた。このオオカミは赤ちゃんの頃からここで飼育されているため人懐こい。足を客の膝に乗っけて甘えている!

お腹を見せちゃっているし、、、。

しばらくオオカミたちを眺めていたら、ガイドツアーの時間になった。入館料には約1時間のガイドツアーが含まれている。生物学修士のリヒターさんが案内してくれた。まずは餌やりの見学から。

餌はシカ丸ごと1頭。事故などで死んだ野生動物が近くで見つかるとオオカミセンターへ運ばれて来るそうだ。もちろん、毎日動物の死骸が見つかるわけではないので、これは不定期のご馳走だ。この日はオオカミたちがご馳走にありつく様子を見学することができた。

シカはリヤカーでフェンスの中に運び込まれる。フェンスは二重構造。飼いならされている狼とはいえ、餌を見ればやはり野生の血が騒ぐ。慣れている飼育員でもむやみに食事中のオオカミに近づくことはしないそうだ。素早く餌を運び入れたらすぐに外に出る。

一斉にシカに飛びつくオオカミたち

友人が撮った動画。みんなでぐいぐいシカを引っ張り合ってる。

まもなく数匹は脱落した。切れ端を加えて別の場所へ行ったオオカミが1匹。

残った1匹が悠々と食べている。ボスオオカミだ。オオカミの群は雄オオカミと雌オオカミ、そしてその子どもたちから成る。つまり、群れ=ファミリーである。しかし、この飼育場にいるグループは兄弟で、ボスはお兄さんオオカミ。餌が運び込まれると、一瞬だけは皆でつつくが、その後はボスオオカミが自分だけでゆっくりと食事を堪能するらしい。満腹になると口元を地面に擦りつけて綺麗にし、ご馳走様。他のメンバーがおこぼれにありつくのはその後だ。ガイドさんの説明を聞きながらボスオオカミの食事の様子を眺めていたが、ボスオオカミは随分長いことムシャムシャとやっていた。

オオカミの赤ちゃんは春に生まれる。野生においては一つの群につき平均4〜7匹、多くて9匹ほどだそう。生後数週間は洞穴の中で過ごし、親が食べ物を運んで来る。とはいっても生肉を加えて持ち帰るわけではない。獲物は外で食べてしまう。胃の中で柔らかくなったものを洞窟に戻って吐き出し、赤ん坊に与えるのだそうだ。

夏になると赤ん坊たちは洞穴から出て、家族の集合地点で過ごすようになる。親が狩に出ている間はお兄さん、お姉さんオオカミがベビーシッターをする。この集合地点で赤ん坊たちはサバイバルに必要なスキルを習得し、集団のルールを学ぶ。群から離れるなどの勝手な行動を取ると親に厳しく叱られるらしい。

秋がやって来る頃には赤ん坊たちもすっかり若者らしくなり、いよいよ狩りに参加する。集合地点から離れ、縄張り内を自由に移動するように。ヨーロッパでは野生のオオカミの縄張りの大きさは150〜300 km2ほどである。一つの縄張りにつき群れ一つというのが決まりで、子どもたちは遅くとも2才までには群れを離れ、新しい縄張りを探さなければならない。

そして冬は子作りの季節。妊娠した雌オオカミは63日の妊娠期間を経て子どもを産む。これがオオカミの1年だ。

ところでオオカミといえば真っ先に連想するのは遠吠え。オオカミは集団で生活する生き物なのでコミュニケーション力が高い。匂いによるマーキングや表情を使ったコミュニケーションなど多様な手段を持つが、その中で遠吠えは主に狩りのさいに散らばった群れのメンバー間で情報をやり取りする手段だ。オオカミの遠吠えは森の中でもおよそ16km先まで届くのだって。

「遠吠えでオオカミたちに話しかけてみましょう」と遠吠えの真似をするガイドのリヒターさん。「ウォォォォ〜〜〜〜〜ン!」

すると、それに応えてオオカミたちが一斉に「ウォォォォ〜〜〜〜〜〜ン!」と合唱してくれた。

オオカミセンターではオオカミだけでなく、羊も飼われている。来場者らに家畜をオオカミから守る手段について啓蒙するためだ。オオカミの獲物となる動物は主にシカやイノシシ、エルクなどだが、狩りの成功率はかなり低いのだそうだ。米国のある研究によると、オオカミに狙われたエルク131頭のうち、実際に食べられたのはわずか6頭だった。狩りは多大なエネルギーを要するので、オオカミだってできれば楽をしたい。だから、狙うのは主に子どもや年老いた個体、病気や怪我をした個体だ。でも、もっと楽に餌にありつけるのならその方がいい。家畜の羊や山羊なら捕らえるのは簡単である。それで家畜が狙われる。家畜をオオカミの被害から守るには適切な対策を取る必要がある。

電気フェンスを家畜小屋の周辺に張り巡らせたり、

番犬を飼うのが効果的。この可愛いクレオくんは羊の番係だ。

オオカミの縄張りの多いザクセン州やブランデンブルク州などではガイドラインに沿った保護対策を実施するための補助金制度がある。それでも家畜を襲われてしまった場合、補償を受けることも可能だが、その辺りはケースバイケースで必ず補償してもらえるというわけではないらしい。一般にドイツ国民は自然に対する思いが強く、市民による環境保全や野生動物の保護活動が活発だけれど、ことがオオカミになると市民感情は複雑だ。しかし、オオカミが戻って来ることで生態系のバランスが保たれるという大きなメリットがある。先に書いたようにオオカミは主に弱い個体を獲物として狙うので、動物群における健康な個体の数を高める効果があるそうだ。また、オオカミが不在の自然環境では本来狼の獲物となる動物が繁殖し過ぎてしまい、草が食べ尽くされて草地が減少することで地面が侵食を受けやすくなる。その結果、動物たちの餌となる植物が不足してしまう。実際、オオカミが増え始めて以来、イノシシやシカの個体数も増加しているそうだ。

人間もオオカミに襲われるのではないかと不安を持つ人も少なくないが、基本的に人間はオオカミの興味の対象ではないので、むやみに恐る必要はないそうだ。とはいえ、これまでにオオカミに襲われた人がいないわけではない。亡くなった人もわずかながらいる。ただし、死亡例の半数以上は狂犬病への感染が原因だそうなので、予防接種で守れた命もあっただろう。もし、オオカミに遭遇してしまったら、慌てて逃げずに(逃げると本能で追いかけて来る)ゆっくりと立ち去ること、万一、オオカミが近くまで来て目が合ってしまったら、手を広げるなどして体を大きく見せ、大きな声を出すと良いそうだ。

ガイドツアーは予定より長引き、1時間半にも及んだ。専門家から興味深いお話がたくさん聞けてとても満足。

さて、ツアーの後はミュージアムだ。

オオカミの生態や人間とオオカミとの関わりの歴史、そして犬についても詳しく展示されている。こちらもとても興味深かった。

このオオカミセンターのあるニーダーザクセン州で最も恐れられたオオカミは「リヒテンモーアのオオカミ」と呼ばれるオオカミだ。1948年にリヒテンモーア地域でほぼ毎晩、家畜が襲われた。しかし、戦後の食糧難の時代でもあったので、肉を求めてリヒテンモーアのオオカミによって殺された動物の死体を探し回る人も多かったという。また、独裁者ヒトラーはオオカミ好きで知られていたらしい。自らの名、「Adolf」の由来はAdal-Wolfで、これはEdel-Wolf(高貴なオオカミ)という意味だと豪語し、ナチスの親衛隊も「mein Rudel Wolf(私のオオカミの群れ)」と呼んだという。他にも情報が盛りだくさんだけれど書ききれないのでこのくらいに。

ところで、オオカミセンターでは宿泊も可能である。

こんなテントや簡素なドミトリー風の部屋、キャンピングカーを停めるスペースもある。

オオカミを上から観察できるこんなツリーハウスも。オオカミの遠吠えを聞きながら眠るなんて楽しそうだけど、宿泊費は朝食付きダブルが420ユーロ。さすがに高すぎるので諦めて、私たちはオオカミセンター近くの乗馬場のゲストハウスに泊まった。

オオカミセンターはオオカミ啓蒙イベントや農家を対象としたセミナー、スロバキアからドイツまで12日間に及ぶ本格的なオオカミスタディツアーなども実施している。ドイツ国内でオオカミについて知りたいならここ!

まにあっくドイツ観光ニーダーザクセン編、ブラウンシュヴァイクで恐竜展を堪能した後はハノーファーへ移動した。ハノーファーでミュンヘンの友人と合流し、一緒にDörverdenという村へ行くことになっていた。せっかくだからハノーファーでも何か見ていこうということで、ニーダーザクセン州立博物館へ。

この博物館の特徴は自然史博物館、考古学博物館、文化人類学博物館、美術館、コイン博物館という5つの博物館がシームレスに合わさって一つの博物館になっていること。外観の写真を撮り忘れてしまったが、マッシュ湖に面した壮麗な建物である。展示物の非常に充実した3階建ての博物館の入館料はわずか5ユーロ(特別展は除く)。私たちが訪れた日はたまたま3階の美術館部分が改装中で、4ユーロに割引になっていた。従って、見たのは1階の自然史部門(Naturwelten)と2階の考古学・文化人類学部門(Menschenwelten)のみだけれど、それだけでも十分に満足できた。

まず自然史部門(NaturWelten)。水中世界の展示から始まっている。

天井のパネルは波を表している。それぞれの水槽には世界の様々な地域の水界生態が見られる。一見、普通の水族館なのだが、この博物館の展示には他の博物館にはない特徴がある。それは、「生き物と一緒に化石を展示している」ことだ。

古生物と現生生物を一緒に展示することで、生物について知ることができるだけでなく、同時に進化や地球の歴史に触れることもできる。これはすごく面白いコンセプトだと思った。

長尾類のAeger tipularius。ゾルンホーフェン石灰岩から発見されたもの

英国、サマセットで発掘されたイクチオサウルス(Ichthyosaurus communis)。

私の好きなベレムナイト化石も珍しいものが展示されていて嬉しかった。

大きい〜!

これはオパール化したもの。綺麗だなあ。

深海コーナーも面白かった。

シギウナギ (snipe eel)

深海の展示で興味深かったのは、マンガン団塊やメタンハイドレートなどの海中資源とその採掘による環境負荷に関する説明やブラックスモーカーとその周辺に棲息する生き物に関する展示など。

自然史部門の展示は水中から始まり、干潟→海岸→陸へと移動して行く。

白亜紀のニーダーザクセンは赤道近く(現在のリビアのトリポリあたり)に位置し、島の連なる環境だった。空には翼竜が飛び、水中や陸にはワニや恐竜、亀が棲息していた。写真の化石は2種類の異なる恐竜の足跡が重なったもの。片方は肉食性の恐竜でもう片方はイグアノドン類のものだそう。出土地はハノーファーから西に20kmほどのMünchhagenという場所。今調べてわかったのだけど、Münchhagenには恐竜テーマパークがある。

プラテオサウルス

古生物がマイブームだからってそればかり紹介するのも偏るので、そろそろ2階のMenschenWelten(ヒトの世界)にも目を向けよう。

ここから人類が登場。これまた面白い。

そしてそのまま考古学の展示へと続いて行く。

石器時代から青銅器時代、鉄器時代へと時系列なのは他の考古学博物館とほぼ同じ。

これは傑作。6〜7 世紀の金の首飾り。出土地はGifhorn。

 

ローマ時代や中世を経て植民地時代へ。ここからは文化人類学の世界だ。

ペルーの陶器

中国のタイプライター

今回見ることのできなかった美術部門(KunstWelten)には中世から近代までの美術作品やコインが展示されている。古生物から近代美術までを一つの流れの中で見せる工夫が素晴らしい。明るいサンルームのカフェもあるので途中で休憩を挟みながらたっぷり時間をかけて楽しむのも良いし、ハノーファー近郊に住んでいるならその時ごとに重点を絞って何度も足を運んでも良いと思う。年間パスも個人が25ユーロ、家族パス50ユーロと手頃。しかも、金曜日はなんと無料!絶対に損のない博物館だ。

前回の記事に書いたように、ブラウンシュヴァイク自然史博物館ではスピノフォロサウルスやイチクロサウルスの化石などを見たが、スピノサウルス展を見るためダンクヴァルデローデ城へ移動した。

ダンクヴァルデローデ城の外観を撮り忘れてしまったが、こんな感じ

受付でチケットを見せると、「スピノサウルス展なら二階の騎士の間です」と言われ、階段を上がる。

わっ。なんか凄そうな広間!入り口に「スピノサウルス 〜 謎の巨大恐竜」と書かれた大きなパネルが置かれている。このスピノサウルス展はナショナルジオグラフィックとシカゴ大学による移動展覧会であるらしい。

「騎士の間」の内装は素晴らしく、それ自体が拝観に値するが、そこに大きなスクリーンが設置され、スピノサウルス発掘ドキュメンタリー動画が流れている。これから何が始まるんだろうという期待感が高まる空間演出だ。

中世の広間と恐竜は一見ミスマッチだが、ブラウンシュヴァイクでスピノサウルス展が開催されているのは偶然ではない。なぜなら、スピノサウルスを初めて学問的に描写したのはブランシュヴァイク出身の古生物学者、エルンスト・シュトローマー男爵だったからだ。1912年、シュトローマー男爵を含むドイツの化石発掘調査隊がエジプトで巨大な生き物の化石を掘り当てた。シュトローマーはこの生き物を「スピノサウルス(Spinosaurus aegyptiacus)=エジプトの棘のあるトカゲ」と命名した。

発掘された恐竜の骨とシュトローマー。

シュトローマーによるスピノサウルスの描写

化石の分析の末、シュトローマーはスピノサウルスはティラノサウルスをも超える巨大な肉食性恐竜だったと結論づけた。発掘した化石の全てをドイツに運ぶことはできなかったが、シュトローマーの持ち帰ったスピノサウルスの骨の一部はミュンヘンの博物館に保管された。しかし、第二次世界大戦におけるミュンヘン空爆で焼失してしまう。

シュトローマーにより再現されたスピノサウルスの棘

失われ、忘れ去られていたスピノサウルスだが、シュトローマーの発見から約100年経過した2013年、再びその化石が発見され、古生物学界にセンセーションが巻き起こった。新たな発見者はドイツ生まれのシカゴ大学古生物学研究者、ニザール・イブラヒム(Nizar Ibrahim)氏。イブラヒム氏のスピノサウルス発掘物語はまるで推理小説のようだ。2008年、博士論文の調査のために赴いたモロッコで同氏はベドウィンの商人からいくつかの「恐竜の骨」を見せられた。そのうちの一つがイブラヒム氏の関心を引く。巨大な棘のかけらのように見えるその化石には赤い特徴的なラインが入っていた。

そしてその数年後、イブラヒム氏はミラノの自然史博物館でモロッコで見たものとそっくりな恐竜の骨に遭遇する。その骨にもやはり赤いラインが入っていたのだ。「あのとき見た骨はこの骨と同一の恐竜のものでは!?」

こうしてイブラヒム氏のスピノサウルスを探す旅が始まった。勢い勇んで再びモロッコへ飛んだものの、あの時の商人の名前も住所もわからない。ほとんど手掛かりの無いまま数ヶ月間探し回ったが、なしのつぶてだった。しかし、諦めて往来の茶屋でミントティーをすすっていると、なんという偶然か、くだんの商人が通りかかったという。「あのときの骨はどこで見つけたんだ?場所を教えてくれ!」2013年、イブラヒム氏率いる発掘調査隊はモロッコへ向けて出発した。そしてベドウィンの男に教えられたケムケム層から、幻のスピノサウルスを含め、数々の恐竜化石が見つかったのである。

すごい話だなあ。このスリリングな冒険物語をワクワクしながら読み終わり、パーティションで仕切られた広間の反対側へ出た。すると、、、、。

うわあああ!凄い!!騎士の間の豪華絢爛な装飾との相乗効果で大迫力の光景。

これがスピノサウルスだ。シュトローマーの研究から100年を経て、イブラヒムの再発見によりスピノサウルスの全骨格標本復元が実現したんだね。

口はワニのように細長い。鼻の穴は小さく、口の先端からはかなり距離がある。スピノサウルスは水棲で、水中の獲物を捕らえる際に息がしやすいように頭部がこのような形に進化したと考えられるそうだ。魚のようなヌルヌルした獲物をしっかりと掴めるよう、指は長く、鋭い爪が付いている。後ろ足の短さも水棲生物の特徴だという。

この長い尻尾と大スクリーンのサハラ砂漠!ただただ圧倒されるのみ。

スピノサウルスの他にもカルカロドントサウルスや、

デルタドロメウス、

アランカ・サハリカなどが展示されている。

これは相当に面白い展覧会。とにかくロケーションが素晴らしい。9月9日までなので、見たい方はお早目に。

イブラヒム氏のTED動画

ニーダーザクセン州へ週末旅行に行って来た。バイエルン州に住む友人とハノーファーで待ち合わせていたが、ハノーファーまでただまっすぐ行くのではなんだかつまらない。途中でどこか立ち寄ろうかと地図を眺めたら、まだ行ったことのない都市、ブラウンシュヴァイクが目についた。軽く検索したら、「ブラウンシュヴァイク自然史博物館」がある。現在、スピノサウルスの特別展を開催中だという。よし!ではそこへ行ってみることにしよう。

州立自然史博物館はブラウンシュヴァイク大学の建物に隣接している。

博物館の前で大きな恐竜が迎えてくれた。これはスピノフォロサウルス(Spinophorosaurus nigrensis)のモデル。名前が似ていて紛らわしいが、スピノサウルスではない。ブラウンシュヴァイク自然史博物館の発掘調査隊が2005年にナイジェリアで発見した植物食の竜脚類のモデルだ。スピノフォロサウルスが発掘されたことにより、2010年に同博物館に恐竜の間(Dino-Saal)が新たに設けられたそうだ。

こちらの小さい恐竜は1998年にハルツ地方のゴスラー付近で発掘されたエウロパサウルス(Europasaurus holgeri)の実物大モデル。モデルの手前に見えるのは恐竜の足跡のついた砂岩の板。また、スピノフォロサウルスとエウロパサウルスの周りには周辺地域で採れた種類の異なる石が配置されている。というのも、ブラウンシュヴァイクはドイツ国内で地質学的に特に興味深いエリアに位置しているのだ。隣接するハルツ地方を中心とする東西約100km、南北120kmのエリアはユネスコ・グローバルジオパーク(UNESCO-Geopark Harz. Braunschweiger Land. Ostfalen)に認定されており、ドイツ最大のジオパークだという。そしてこのジオパークの特色は、古生代から新生代までのほぼ全ての地質年代の岩石が観察できることなんだって。そんなすごい地域だったとは!(詳しい情報はこちら

そのような自然条件の地域に位置する自然史博物館だから、当然、見応えがある。

まずは標本室。素晴らしい〜!

標本室が大好きな私はうっとり。でも、爬虫類などの標本は苦手な人もいるかもしれないね。

でもほら、標本ってこんなに美しい。

哺乳類の剥製は見るとかわいそうな気にもなるけれど、でも、こんな生き生きとした剥製、すごいなあ。

標本室以外にも見所はたくさんだ。フェルディナント・アルブレヒト1世のお宝コレクションを展示したSchatzkammerには珍しいものが並んでいる。

装飾を施したオウムガイとか、、、。

背中の穴で卵を孵化させるコモリカエル(ピパピパ)。ちょっと気持ち悪いけど、あまりに不思議なのでついじーっと見てしまう。こういうの苦手な方、すみません。

2011年にブラウンシュヴァイク付近(Hondelage)で発見されたジュラ紀の魚竜化石2体。ステノプテリギウスの全骨格にユーリノサウルスの骨の一部が重なった状態で埋まっていた。

こちらはプシッタコサウルス。中国で発見されたもの。

これもまた珍しい展示物。ステラーカイギュウと呼ばれる絶滅した海棲哺乳類の骨格だ。1741年にドイツの自然史学者、ゲオルク・ヴィルヘルム・ステラーによりベーリング海で発見された。

まだまだ続々と出て来るが、写真を貼っていたらキリがないので、「恐竜の間」についてはオープン当時の紹介動画を貼っておこう。

思いつきで立ち寄ったブラウンシュヴァイクだったので、実はそれほど期待していなかった。来てみてびっくり。ブラウンシュヴァイクからほど近いニーダーザクセン州ハルツ地方は「ジュラシック・ハルツ」とも呼ばれ、ドイツの恐竜研究の重要拠点であることがわかった。機会があればジオパークも訪れてみたいな。

と、すっかり満足して、うっかりしてこのまま帰ってしまうところだった。そういえばスピノサウルスの特別展示をやっているはずだけれど、肝心のスピノサウルスは一体どこに?スピノフォロサウルスは見たけれど。

受付で聞くと、「スピノサウルス展はここではなくて、ダンクヴァルデローデ城でやっています」とのこと。ダンクヴァルデローデ城は旧市街にあるという。えー、なんで別の場所でやっているの。移動しなきゃならないなんて面倒臭い!と思いながら、せっかく払った入館料を無駄にするのももったいないとシブシブ城へと移動することにした。

ダンクヴァルデローデ城で物凄い光景が私を待ち受けているとはこの時点では思いもせずに、、、、。

(次回に続く)

 

 

週末にバルト海に面するリューゲン島へ行って来た。リューゲン島は広い島で保養地ビンツやナチスの海水浴場プローラなどいろいろな見どころがあるが、今回は白亜の崖とブナの原生林が残る世界自然遺産、ヤスムント国立公園方面へ 直行した。そこに目当ての博物館、「チョーク博物館(Kreidemuseum Rügen)」があるからだ。白亜の崖の「白亜」というのはつまり白亜紀に堆積した地層を意味している。そして白亜とは何かというと、円石藻などの化石から成る未固結の石灰岩、つまりチョークのこと。そのチョークの博物館に行ってみたかったのだ。

海岸沿いの町、Saßnitzに取った宿に到着し、早速レセプションの人に「ここからチョーク博物館へは何分くらいかかりますか」と聞くと、「チョーク博物館って?」と聞き返された。地元のホテルの人でも知らないとは、かなりマイナーな博物館のようだ。

Saßnitzからは車で約20分で着いた。

チョーク博物館は現在は閉鎖されているかつてのチョーク採石場の敷地内にある。

建物に入ってすぐはリューゲン島のチョーク産業史の展示室。

チョーク採石の様子。リューゲン島のチョーク産業の歴史は古い。ハンザ同盟によってバルト海沿岸の貿易が栄えた時代には、リューゲン産のチョークは主に色素や肥料、燃料などとして使われた。現在は化粧品や医薬部外品、タイルなどの床材として使われるほか、環境分野でも様々な用途に使われている。「チョーク」と聞くと真っ先に思い浮かべるのは白墨だけれど、現在使われている白墨はチョークではなく石膏(ギプス)を固めたものなんだそう。

様々なチョーク製品

かつてチョークの採石が行われていた博物館の裏手は現在、こんな風景だ。

そして、少し離れた場所にあり現在も採集が行われている石切場の風景。

チョーク博物館は定期的にこの石切場へのガイドツアーを提供している。
ツアーの目的は化石探しである。このチョークは化石を豊富に含んでいる。ドイツには化石ハンターがたくさんいるようで、全国の多くの石切場が特定の日にハンターに場を開放している。有名なところでは、私と夫が先日行ったゾルンホーフェンなどがある。

リューゲンのチョークの中に見つかるのは、たとえばベレムナイト。白亜紀に絶滅したこの頭足類は現生のイカのような形状をしていた。化石として残るのは写真のような先端部分のみ。

ベレムナイトの他にも貝やウニなど、いろいろな化石が埋まっているけれど、白いチョークの中にチョークにまみれた化石を見つけるのはなかなか難しい。

チョークの地層は白亜紀の浅い海に微小な原生生物の石灰質の殻(円石藻)が堆積してできたもので、それ自体が化石である。写真の丸いのが円石藻(Cocolith)。リューゲン島のチョーク層には1㎤あたり約8億個もの円石藻が含まれているんだって!!

そして、このコッコリスの山の中には、しばしばフリント(Feuersteine)が形成されている。白い地層の中に帯のように黒く光沢のある石が並んでいるのが見えるだろうか。フリントは火打ち石とも呼ばれるもので、非常に硬い上に簡単に剥離するので石器時代の人類はこれを加工して道具や武器を作っていたんだよね。私はフリントが好き。外から見ると白いのに割ると中が艶々と黒くて不思議。考古学博物館ではフリントで作った石器をよく見かける。だから、フリントを手にするとなんだか自分が過去の世界と繋がったような気がするのだ。

私の手持ちフリント。リューゲンやデンマークの白亜の崖で拾ったもの。(注: 左下の丸くて黒い、斑点のある石はフリントではありません)

チョーク博物館にはいろいろなタイプのフリントが展示されている。海岸などで見かけるフリントはこういう感じに白と黒がぶちになっているタイプが多いんだけど、

縞々タイプとか、

鉄分を含んだ赤いものもあるようだ。

でも、そもそもフリントってどうやってできるんだろう?「Geologie Deutschlands(ドイツの地質)」という本のリューゲン島のページを見たら、フリントとは潜晶質石英が長い時間をかけて地層の中で塊になったものであると書いてあった。チョークは湿っていれば柔らかく、モロモロとしてすぐに崩れるが、中にフリントが入っているとずっしりと重い。

博物館内にはいろんな化石の標本も見ることができる。化石には、古生物自体が残っているもの(体化石)と痕跡だけのもの(生痕化石)があルガ、生痕化石には古生物の内側の空洞に詰まった堆積物がその生物の形に固まったSteinkern(石核)と呼ばれるものも含まれる。こんな見事な石核を見てびっくり。

すごくない、これ?

地元のボランティアらにより運営されているというこのチョーク博物館、マイナーだけれど私にはすごく興味深かった。でも、まだまだ地学分野の素養が乏しくて理解が不十分。少しづつ学んでいこう。

チョーク博物館でチョークの展示を見た後、Saßnitzからチョークの崖に沿って歩いた。

岸辺の石はフリント。

崖に斜めの帯状のフリント層があるのが、わかるかな?

目に見える化石が埋まっていないか探したけれど、残念ながらほとんど見つけられなかった。大雨が降って土砂が崩れると探しやすくなる。今年のドイツは日照りで雨がほとんど降っていないからなあ。たまたま親族に円石藻の研究者がいて、私が「化石が見つからなかった」と報告したら、「私にとってはその地層の全てが化石」だと言った。なるほど確かに。そう知ると、もともとロマンチックな白亜の景色がますます魅力的に感じられるね。

Googleマイマップを使った「まにあっくドイツ観光マップ作りプロジェクト」。第一弾は「ドイツ考古学スポットマップ」、第二弾は「ドイツ自然史博物館マップ」だった。第三弾として今回は「ドイツ植物園・植物関連施設マップ」を作った。

マップのサブカテゴリーは「植物園」「ハーブ園」「バラ園」「日本庭園」「その他の植物関連施設」とした。

植物園だけを表示したところ。ドイツの植物園の大半は各地の大学の付属施設で、各州の大学都市にはほぼ必ず植物園がある。花のアイコンは庭園タイプの植物園で木のアイコンは樹木園などのパークタイプと一応分けたけれど、厳密ではない。(分けるのが難しいので、、、、)

これはハーブ園マップ。薬草学は中世に修道院で発達した(修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの薬草学が有名)ので、ハーブ園は修道院との関連性が高い。ほぼ全ての修道院がハーブ園を持っていると思われるが、ごく小さいものまで入れると膨大な数になるのでとりあえず主要なハーブ園を反映している。

これはバラ園。いくつかあるが、バート・ナウハイムのバラ園はドイツ最古、ザンガーハウゼンのバラ園は世界最大らしい。どちらもまだ行ったことがないので、行ってみたい。

日本庭園マップ。庭園はまた別のカテゴリーなのでこのマップには含めなかったのだが(お城の庭園などを含めると尋常ではないので)、例外的に日本庭園のみ入れた。まだまだあると思うので見つけたら随時追加していく。ちなみにアイコンが赤くなっているのはうちの近所の日本庭園、「Japanischer Bonsaigarden Ferch」である。田舎にあるこじんまりとした庭園だけれど、本格的で日本茶や和菓子が楽しめる喫茶コーナーもある。桜や紅葉の時期はとても綺麗でまるで日本にいるかのようだ。

「その他の関連施設」には主に植物関連の博物館を反映した。

情報を集めていたらマニアックで面白そうなものがたくさんあって嬉しくなってしまった。私は植物に疎くて、まだ植物関連博物館はほんのいくつかしか行っていない。行ったことがあるのは、エアフルトにあるドイツ最古のサボテン園と、

ベルリンの「ヘンプ博物館」。特定の植物に特化した博物館は面白い。これから少しづつ行ってみようと思う。

「ドイツ植物園・植物関連施設マップ」はこちらのリンクから見られるように設定したので、植物の好きな方、よかったらどうぞ利用してください。

これまでに3つのマップを作成した「まにあっくドイツ観光マップ作りプロジェクト」、まだまだ続けていくつもり。「こんなマップが欲しい」というリクエストがあればTwitterで投げて頂ければ作るかもしれません。また、すでに作ったマップも更新して行くので、「こんなスポットもあるよ」というご指摘も歓迎です。

 

 

ここのところ、「まにあっくドイツ観光マップ」作りにすっかりハマっている。ドイツ全国にある観光スポットのテーマ別マップを作成しようという試みで、これまでに「ドイツ考古学スポットマップ」と「ドイツ自然史博物館マップ」を作った。第三弾として植物園・植物関連施設マップを作成中である。ドイツ全国にある植物園の他、植物に関する博物館や学習施設の情報を集めていたら、ふと以前訪れたベルリンのヘンプ博物館を思い出した。大麻に関する博物館で、この「まにあっくドイツ観光」ブログを始める前に行ったので記事化していなかった。でも、写真とメモはあるので思い出しつつ記事にしておこう。これが、なかなか面白い博物館なのである。

 

ヘンプ博物館入り口

ヘンプ(大麻)はマリファナなどの違法な嗜好品の原料にもなることからなんとなくタブー視されていて、植物としてのヘンプについて詳しく知っている人はあまりいないのではないか。私もよく知らなかった。ヘンプはその部位ごとに用途が異なる。花は医薬品原料や嗜好品として使われ、種からはオイルが採れる。茎の繊維はテキスタイルや断熱材、建材などに利用できる。産業革命による近代化以前、ヘンプは生活のあらゆる場所で使われていた。ヘンプから採れる繊維は縄や布の原料となり、オイルは食用や石鹸の原料として使われた。

館内に展示されているヘンプの苗

ヘンプを原料とする様々なもの

しかし、近代化にともなって多くの労働力を必要とする大麻の栽培は衰退して行った。また、戦後、学生運動が盛んになると嗜好品としてのマリファナ消費が広がり、その撲滅キャンペーンの流れの中で大麻は産業用も含め全面禁止された。

しかし、1990年代からエコロジカルな建材としてヘンプが再び見直されるようになる。ドイツでは1996年に規制が緩和され、一定の条件のもとで産業用ヘンプの栽培が許可されるようになった。とはいえ、栽培許可が得られるのは専業農家のみで、使用できる種も認証を受けたもの(薬理効果を持つ成分、テトラヒドロカンナビノール、THC濃度が0.2%以下の種類)に限られる。また、栽培が禁じられていた20年ほどの間に栽培技術の継承が途切れてしまったため、ノウハウを持つ農家がいない。ヘンプは丈夫で生育が早く、わりあいどこでも育つのであまり世話は必要ないらしいが、収穫はかなり大変で人手がかなり必要なことや、せっかく収穫しても加工業者がいないなど、ヘンプ栽培に踏み切るために農家が超えなければならないハードルは多いようだ。

 

ヘンプの食料としての利用

農作物としてヘンプを栽培する際にはもう一つ厄介な問題がある。茎から採れる繊維の質が最高の状態になるのは種が熟する8〜12日前なので、昔は収穫してからしばらく置いておき、種が熟すのを待っていた。しかしそれでは工程が多くて効率が悪い。現代では繊維を利用するか種からオイルを採るかのどちらかに特化しなければ採算が取れない状況である。今後、ヘンプ栽培を拡大していくためには、繊維と種の両方を同時に利用する方法の確率が必要だとのこと。

私がこの博物館を訪れたのは平日の昼間だったが、中学生グループが来ていた。展示を見ながらメモを取っていたので、「学校の課題?」と話しかけると、「はい、そうです」と返事が帰って来た。

展示の前半はヘンプの様々な用途や利用の歴史についてだったが、嗜好品としてのヘンプ消費(つまりマリファナ)についても少なくない情報が提示されている。

大麻文化を描いた絵のギャラリー

水パイプなど

この博物館は別に怪しい博物館ではなく、ヘンプという植物に関する総合的な情報が得られる場所なのだが、大麻の合法化を求めるデモ「Hanfparade」参加者の集いの場にもなっているそうで、博物館内に「合法化しようよ」という空気が漂っていないと言えば嘘になる。ちなみに、ドイツでは医療用は2017年に合法化された。

ミュージアムショップにはいろいろなヘンプグッズが売っている。もちろん、薬理作用を持つTHC成分を含まない合法な商品ばかりだ。

ヘンプに関する書籍もいろいろ

ヘンプコンドーム

せっかく来たから何か買っていこうと、いくつか選んでみた。買ったのはヘンプ茶、ヘンプチョコレート、ヘンプドリンク。(念のためもう一度言うけど、THC成分は入ってないので、摂取してもハイにはなりません)

ヘンプチョコレートは甘さ控えめで独特の食感で美味しい。ヘンプ茶はそれほど美味しくはなかったが、飲めないこともない。しかし、ヘンプドリンクは強烈な味だった!あまりにもまずくて、どうしても飲みきれなかった。

 

こないだの「ドイツ考古学スポットマップ」に引き続き、同じくGoogle My Mapsで今度は「ドイツ自然史博物館マップ」も作った。

どんな場所にも自然史があるので、自然史博物館は全国にわりあい満遍なくある。自然史博物館の絶対数が少ないのは人口密度が低い地域だ。

マップのコンセプトはほぼ考古学スポットマップ同様。カテゴリーはマップでは総合的な自然史博物館と特定分野に特化した展示を行なっている博物館や地域の自然学習センターの二つ。カテゴリーごとにも表示できる。赤いアイコンのスポットはすでに行ったことがある博物館で、クリックするとブログ記事リンクが表示される。

青いアイコンは私のまだ行ったことのない博物館だけれど、全てのスポットに簡単なコメントを入れた。自然史博物館もそれぞれ特色があり、その博物館でしか見られない展示物もあるので、展示の重点や見所を書き入れている。クラシカルな標本キャビネットが置かれた雰囲気のある博物館からインタラクティブで学際的な展示を行なっている新しい博物館までいろいろあるので、たくさん見ていけば「自然史博物館の歴史」にも触れられて面白いかもしれない。これまでに情報を得られた範囲でどの博物館にどんな恐竜の骨があるかもコメントとして入れた。恐竜についてはこれとは別に恐竜関連スポットに特化したマップも作る予定である。

メジャーな博物館はほぼ網羅している。地方の小さいけれど特色ある良い自然史博物館を発見したら随時アップデイトしていくつもり。

ドイツ自然史博物館マップはこちらからアクセスできます。

 

グーグルマップを眺めるのも好きだが、マップを作るのも好き。Google MyMapsを使ってよく自分用のマップを作成している。

行った場所や行きたい場所をグーグルマップに登録していくのも楽しいが、分野別のマニアックの地図があったら良いのではないかと思いつき、作ってみることにした。どんな分野でもいいのだけれど、とりあえず「まにあっくドイツ観光」の扱う観光分野で特にスポットが多く、全国に散らばっている考古学スポットの地図を作成した。名付けて「ドイツ考古学スポットマップ」。

アイコンのある場所が考古学関連のスポットのある場所。赤っぽいアイコンは行ったことのあるスポット。こうやって見ると、全国の考古学スポットはすごい数!まだ全然行ってないなあ。Google MyMapsでは複数レイヤーを作成してレイヤーごとに表示できるので、「考古学総合博物館」「ローマ関連遺跡・博物館」「リーメス(古代ローマとゲルマンの領土の境界線)」「ケルト・ヴァイキング・ゲルマン・スラブ関連」「エジプト関連」「古代ギリシア関連」「旧人類関連」「野外博物館」「その他の発掘地」にカテゴリー分けした。ローマ関連の野外博物館はどちらのカテゴリーに入れるか迷ったけれど、だいたいは野外博物館の方に分けた。

ローマ関連とリーメス関連だけを表示するとこんな感じ。当たり前だけれど、古代ローマとゲルマン人の領土の教会であるリーメスの南側の古代ローマの領土に集中している。

アイコンは「博物館」「歴史的建物」「鉱山」(← ローマ時代の炭鉱跡がいくつかある)と「ハイキングルート」の4種類を使っている。複数アイコンが使えないようなのが残念。野外博物館もしくはテーマパークのアイコンもあるとよかったのだが、、、。赤っぽいアイコンを押すと、私が書いた記事が表示されるようにリンクを貼った。

Google MyMapsではルート作成もできるのが便利。たとえば、ハノーファーからミュンスターまで行く途中に考古学スポットを拾って行きたければ、こんな感じになる。これは車で行く場合ね。

この地図を作るのに丸一日かかったけど、なかなか良いものになったと思う。観光スポットの情報は分散しているし、リストにまとめても場所をその度に確認しなければならないのは面倒だから、一目で位置関係がわかるのはかなり便利。田舎のごく小さな遺跡はとても網羅しきれないので完全なマップとは言えないけれど、既存の考古学博物館は大部分を登録したつもり。ときどきアップデイトして最適化していく。それにしても恐るべしドイツ考古学の世界!考古学者でも全て見ることは不可能であろう。

マッピング作業はかなり楽しかったので、これからいろんな種類のまにあっく観光マップを作って行こうと考えている。

 

この「ドイツ考古学スポットマップ」は以下のリンクからアクセスできます。

ドイツ考古学スポットマップ

 

 

このブログを見てくださった方からよく聞かれる。

ああいうマニアックな観光スポットをどうやって探しているのですか

メジャーな観光地ならガイドブックやインターネットの観光サイトに載っているけれど、マイナーなところはそもそも情報が少ないので、偶然人に教えてもらったりしなければなかなか見つけられないのでは?と思う人が多いようだ。

私はマイナーな観光スポットを見つけるのが趣味なので、日々、いろんな手段を使って新たなスポットの発掘に取り組んでいる。主にどんなことをしているかについて書いてみることにしよう。

 

グーグルマップの活用

グーグルマップを眺めるのが趣味兼日課で、行ったことのない場所をクリックし、そこに何があるかを見る。画像はポツダムの例。

「In der Nähe (日本語版では「周辺のスポット」)ボタンをクリックして「Museen(博物館)」と入れると、次のように情報が出て来る。

 

州や都市の公式サイトの観光ページや観光協会のサイトをチェック 

エアフルトのサイト

サイトにある情報を読んで面白そうなスポットがあったら、YouTubeで動画がないかを検索する。例えば、エアフルトのサイトにシナゴーグの情報があったので、動画検索してみた。

 

観光パンフレットの収集

ツーリストインフォメーションや各観光スポットに置いてある観光パンフレットの類をあるだけ貰って来る。田舎のマイナーな観光スポットのパンフレットは現地にしかないことが多い。聞いたこともないような小さな町や村にも結構面白いものがある。そういうスポットを発見したときは嬉しい。

まにあっくドイツ観光企画室の床

 

書店で観光ガイドブックをチェック

ドイツにはマニアックな観光ガイドがたくさんある。しかも、どんどん新しいものが出版される。

壁の棚にある本全部、ドイツ国内の観光ガイドブック

 

ミュージアムショップの書籍をチェック

マニアックな情報を得るのにとても重要!ミュージアムショップにはテーマ関連書がたくさん売っていて、類似スポットの情報が載っている。いろんな分野の本を幅広く読むと、行ってみたい観光スポットの種類が増えるので楽しいよ。

化石や岩石の本

 

Wikipediaの観光スポットリストをチェック

Wikipediaには分野別博物館リストがある。完全に網羅しているわけではないけれど、かなり使える。

Wikipedia: Liste deutscher Museen nach Themen

 

各分野の研究会、支援団体、同好会サイトをチェック

テーマごとの専門サイトは詳しい説明を含む観光情報が充実していて、とても有用だ。例えば化石発掘場所なら、こんなサイトをチェックしている。

Steinkern.de

 

人の話に耳をそばだてる

ドイツ人は旅行好きな人が多いので、「バカンスにはどこへ行った?」などと質問し、面白そうな情報はすぐにメモする。ドイツ人相手に限らず誰に対しても旅行好きであることを日頃から公言していると、いろんな人が「こんな場所があるらしいよ」と面白そうな場所を教えてくれる。実際、この「まにあっくドイツ観光」プロジェクトで行った場所の中には「こんな場所があって面白そうだから、行ってきたら?」と勧められて行った場所がいくつもあるのだ。

 

SNSで良い観光情報を流すアカウントをフォロー

集めたいと思う分野の情報を自分から発信すると、それに詳しい人がふぁぼってくれたりRTしてくれたりするので、その人のアカウントを見に行き、面白い情報を発信していたらフォローすると、観光のヒントになる情報が流れて来るようになる。大変便利。

 

こんな感じで情報収集し、行ってみたい場所に片っ端から行き、そこで得た情報をまとめて記事にして発信しているのが当ブログ。ネット時代の今は情報はいくらでもあるとはいえ、外国のマイナーな場所についての情報はやはり現地語によるものが圧倒的だ。ドイツの観光に関しては、ドイツ語が理解できると得られる情報量が膨大になる。英語の情報もたくさんあるけれど、現地語の情報量にはかなわない。日本語限定となると、すごく少なくなってしまう。

なので、ドイツ在住翻訳者としてのスキルを使って、これからもドイツのマニアックな観光情報を日本語で発信していきたいと思うので、記事のRTなどで応援して頂けたらとても嬉しいです!!

 

noteでも「まにあっくドイツ観光裏話」を音声で配信しています。

 

こちらの記事に書いたように、突然、私の心の中に「恐竜」が侵入して来た。恐竜の世界はいかにも奥が深そうで、ハマると大変なことになりそうだという懸念もあるが、少しくらい知っておいて損はないだろう。しかし、恐竜はいかんせん種類が多くてどこから手をつけていいかわからない。とりあえず身近な自然博物館にいる恐竜から見ていくことにしよう。

ということで、ベルリン自然博物館(Museum für Naturkunde Berlin)へGo!

ベルリン自然博物館(別名、フンボルト博物館)はドイツに数多くある自然博物館の中でも特にメジャーなので説明するまでもないかもしれないが、館内中央に有名な「恐竜の間」がある。

廊下から見た恐竜の間。どどーんと頭が廊下にはみ出しているのは、アロサウルス(Allosaurus fragilis)。ベルリン自然史博物館に展示されている数々の恐竜の骨は、ヴェルナー・ヤネンシュ率いるドイツの地質学・古生物学研究者チームが1903年から1913年にかけ、タンザニアのテンダグル化石産地のジュラ紀後期の地層から発掘したものである。この探検では合計250トンもの恐竜の骨が見つかっており、史上最も成功した恐竜発掘とされる。

アロサウルスは平均体重約2トン、前長8.55mの大型肉食竜脚類。ジュラ紀後期最大の捕食者だった。やたらと重そうに見える大きな頭だが、大きさのわりには骨はスカスカで軽い。この大きな口をガバッと開けて獲物を捉え、顎をガシャンと素速く閉めて歯で獲物を刺し殺した。

それに比べて小さくて可愛らしいこちらの恐竜はディサロトサウルス(Dysalotosaurus lettowvorbecki)。体重70kgと、私の夫より軽い。尻尾がもっと短ければ、家で飼ってもそれほど違和感ないかもしれない。ディサロトサウルスの骨は複数の固体のものがまとまって発見されたので、群れを作って生活していたと考えられるそう。

こちらはエラフロサウルス(Elaphrosaurus bambergi)。体重は250kgあったらしいけど、スレンダーな感じ。しかし、ディサロトサウルスと違って肉食である。テンダグル層で発掘された恐竜の化石の中では最も状態が良かった。腿が短くて脛が長い体型から、歩行スピード速かった(30-70km/h)と考えられている。

右のキリンのような骨格の恐竜は、ディプロドクス(Diplodocus carnegli)。体重12トン、体長27メートル。残念ながら、この写真の撮り方は失敗だった。なぜなら、ディプロドクスは長い首だけでなく、長い尾も特徴だから。ものすごく長い首と鞭のような尾が脚の前後にシーソーのようにほぼ水平に伸びた体勢が凄いので、それがわかるように撮るべきだった。それにしても、こんなに長い首、ずっと持ち上げていて疲れなかったのかなあ。ちなみにこの標本は1899年に米国で発掘されたもののコピーである。

じゃーん。こちらがベルリン自然史博物館の目玉、ブラキオサウルス。全身骨格標本では世界最大だそうだ。ブラキオサウルスの特徴は前肢が後肢よりも長く、肩が後ろに向かって傾斜していること。このような骨格のため高い木の上の方の葉っぱをうまく食べることができたそうだが、体重50トンで草食だなんて、生きるのに一体どれだけの量の植物を食べてたんだろう?

ブラキオサウルスの頭蓋骨。クシのような歯をしており、装飾の哺乳類のように葉っぱをムシャムシャ噛むことができなかったので、枝ごと折って丸呑みしていた。胃の中にある石が消化を助けていたという説があるらしい。

こちらの頭がなんとなくロバっぽいのは、ディクラエオサウルス(Dicraeosaurus hansemannni)。低いところの葉っぱを専門に食べていたそうだから、高いところ専門のブラキオサウルスとはうまく共存できていたのだろうか。

ケントロサウルス(Kentrosaurus aethiopicus)。ステゴサウルスの近縁だが、ステゴサウルスよりも小さい。背中の板にはいろいろな役割があり、仲間を識別したり異性にアピールするための道具であった他、空調設備の機能も果たしていたそう。

「恐竜の間」にある大型標本はこれだけ。でも、2015年からベルリン自然史博物館にはなんとティラノサウルス(Tyrannosaurus rex)の標本も展示されているのだ。

別室のティラノサウルス。彼の名はトリスタン・オットー(Tristan Otto)。2012年、米国モンタナ州Hell Creekの白亜紀の地層から発掘された。トリスタンの化石は当初、米国やカナダの各地の博物館にオファーされたが、プレパレーションに膨大なお金がかかることから、引き取り手が見つからなかった。バラバラにいろいろな人の手に渡る危機に瀕していたところを化石コレクター、ニールス・ニールセン氏が一括で買い取り、ベルリン自然史博物館に貸し出している。

ティラノサウルスの化石は世界でこれまでに合計50体発見されている。トリスタンの頭蓋骨は55個のうち50個が見つかっており、最も保存状態が良い。

写真では見えないが下顎の歯根に腫瘍があり、トリスタンは歯痛に悩まされていたらしい。気の毒に。推定年齢は20歳。

後ろから見たトリスタン。

この博物館にはもう何度も来ているけれど、恐竜をじっくり眺めたのは実は今回が初めてだった。良く見ると面白いものだ。こんなことなら、先日訪れたフランクフルトのゼンケンベルク自然博物館でもしっかり恐竜を見ればよかったとやや後悔、、、。ゼンケンベルクではメッセル・ピットから発掘された古生物化石の展示が面白すぎて、そちらに注意が集中していた(そのときの記事はこちら)。

今年ドイツで新しい恐竜に関する本が出版されたので、現在、読んでいる。読み始めたばかりだが、面白い。

Bernhard, Kegel    Ausgestorben , um zu bleiben: Dinosaurier und ihre Nachfahren

ちょうど今、「ジュラシック・ワールド」が上映中なので、週末にでも見に行こうっと。

 

ハルバーシュタットで訪れた3つ目のスポットは、旧市街にあるSchraube-Museum Wohnkultur Jahrtausendwendeだ。Schraubeというのは「ネジ」のこと。でも、この博物館はネジの博物館ではない。ハルバーシュタットの裕福な洗濯屋兼染物屋の娘に生まれたマルガレーテ・シュラウべ(Margarete Schraube)さんの家が家財道具ごと博物館になっている。博物館の中にはシュラウベさんの両親がそこで暮らしていた1900年頃の様子が再現されているという。

博物館は通りに直接面していなくて、この建物の中庭の奥にある。

この建物自体がすでにいい感じ

中庭

大きな木の向こう、右手の赤煉瓦の建物が博物館だ。この中庭はカフェのテラス席になっていて、とても素敵。座ってお茶を飲みたくなったけれど、それは後からにしてまずは展示、展示。

マルガレーテ・シュラウべさんは1980年までこの建物に住んでいたが、お子さんがいなかったため、両親から引き継いだ大切な家財道具をハルバーシュタットに寄付したという。博物館の展示物は全てがシュラウべ家のものだそう。では、中を見てみよう。

マルガレーテ・シュラウべさん。猫がお好きだった様子

寝室

洗面台。洗面器や水瓶、石鹸入れなどが素敵だなあ

おまる椅子

こじんまりした居間

見事な装飾を施したタイルストーブ

ダイニングキッチン

廊下にはいろんな小物が展示されているが、面白かったのはこれらのカード。スープの素に付いていたおまけのカードだそうだ。日本でもお菓子のおまけのカードを集めるのが子どもの間で人気だったりするが、1900年頃のドイツでも似たようなことをしていたようだ。

日本のカードも

応接間

立派なカップボード

屋根裏にはベビー用品が展示されている

洗礼用ドレス

この博物館には詳しい説明やオーディオガイドなどはないけれど、一つ一つの部屋を見るだけでも楽しく、とても気に入った。

そして、展示を見た後は博物館のカフェで休憩!

すごく気に入ったのは、テラス席に座ると、カフェの女主人が注文したものをこんなバスケットに入れてカフェ入り口の台に置いてくれること。手作りケーキ(カスタードとグレープフルーツのケーキで、スポンジがふわふわだった)もすごく美味しかった。

マニアックというわけではないけど、博物館の中もカフェも素敵で思わぬ掘り出し物に満足。

今回でハルバーシュタット編はおしまいです。

ジョン・ケージの「世界で最も長い曲」を聴きにはるばるやって来たハルバーシュタットだったが(前回の記事はこちら)、来てみれば他にもいろいろ見所がありそうな町である。旧市街には木組みの建物が多く残り、博物館もたくさんある。せっかく来たのでもう少し見て行くことにした。あらかじめ情報収集して目星をつけておいたのはMuseum Heineanumだ。

というのも、実は最近、にわかに恐竜に興味が湧いている。きっかけは先日、フランクフルトのゼンケンベルク自然博物館で圧倒的な恐竜の展示を見たことや、ゾルンホーフェンで化石探しをして古生物に惹かれるようになったことにある。それで、図書館からこんな図鑑を借りて来た。

Dorling Kindersley社の古生物図鑑。図鑑が乗っているのは我が家の「拾ったものが入れられる」居間のテーブル

私はDorling Kindersley社の図鑑シリーズが大好きで、これもすごくいい!!感動もの。古生代や中生代の生き物が見たくて借りて来たのだけれど、恐竜もたくさん載っていて、見ているうちになんだか恐竜が面白くなってしまった。私は子どもの頃はそれほど恐竜に興味がなかったので、知っているのはメジャーなティラノサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、、、、あと何がいたっけ?という超低レベル。恐竜の基礎知識が欲しいなと思い、以下の本を読んでみた。

木村雄一著 大人の恐竜図鑑

土屋健著 大人のための「恐竜学」

おんもしろ〜い!!どちらもオススメ。

 

ハルバーシュタットに話を戻すと、この町は恐竜、プラテオサウルスの骨が大量に見つかったことで有名な町であるらしいのだ。Museum Heineanumという博物館でプラテオサウルスが見られるという。Museum Heineanumは郷土博物館(Städtisches Museum Halberstadt)の敷地にある。

郷土博物館。左に恐竜の置物

郷土博物館とHeineanumへは共通チケットで入館できる。郷土博物館の方は今回はパスしようと思ったけれど、運の良いことにたまたま8月26日まで恐竜展「Plateosaurus, Mammut & Co.」をやっているので見ることにした。

プラテオサウルスは三畳紀後半、ヨーロッパの森や湿地にに広く棲息していた竜盤類の恐竜で、最も最初に発見された恐竜の1つ。草食だが、小型の肉食恐竜から進化したとされる。

プラテオザウルスは50体以上もの骨格が丸ごと発掘されていることから、研究が良く進んでいる恐竜だそうだ。その大部分はドイツで発見されている。(写真のものは複製)

坐骨と尾椎の一部

左から、坐骨、脛骨、大腿骨

 

郷土博物館の特別展示を見た後は、一旦建物を出てすぐ側のHeineanumへ。Heineanumは基本的には鳥類博物館で充実した鳥類の剥製コレクションがあるので有名だそうだが、全部見ている時間がなかったので、今回は恐竜だけを見た。

プラテオサウルスは四足歩行だったのか二足歩行だったのか、長いこと議論されていた。最近の研究から、「基本的には四足歩行だったが、二足歩行もできた」とみなされている。

足の指と爪(左)と手の指と爪(右)

これは1899年にハルバーシュタットで発掘されたEurycleidus arucuatus。凄いね。でもこれは、大型の海棲爬虫類で、恐竜ではないそうだ。

恐竜の他にも重要な古生物として、長らく鳥の先祖だと思われていた祖始鳥(アーケオプテリクス)がある。祖始鳥の化石が初めて発見されたのは1860年で、南ドイツのゾーレンホーフェンのジュラ紀の地層から羽が見つかった。その後、周辺の地層から12の骨の化石が発見されている。

そういえば祖始鳥の標本はベルリンの自然史博物館で見られるんだった。前に写真を撮ったつもりだけれど探せなくなってしまったので、今度ベルリンの自然史博物館へ行ったらもう一度撮って来てここに追加しておきます。

さて、ハルバーシュタットで恐竜学へのささやかな一歩は踏み出せた。今後、他の自然史博物館へ行ったら、恐竜がないか探して、少しづついろんな恐竜のことを知りたいな。

 

 

前回の記事に書いたように昨日はニーダーザクセン州とザクセン=アンハルト州の州境にある考古学博物館を訪れたが、せっかくはるばるブランデンブルク州から来たからには、寄って行きたい町が近くにあった。それはハルバーシュタット(Halberstadt)。聞き慣れない町だが、その町の廃教会で特殊なコンサートが行われていると先日、人に教えてもらった。それ以来、その教会が気になっていたのだ。

コンサートというのは、1992年に亡くなった米国の実験音楽家、ジョン・ケージ作曲のオルガン曲、Organ2/ASLSP (As slow as possible)の演奏会である。元々はピアノ曲だったものだが、1987年にオルガン用に編曲された。「できるだけゆっくりと」と名付けられたその曲の演奏時間は演奏者の解釈に委ねられている。フランス、メッツでの初演時には29分14秒かけて演奏された。

しかし、「できるだけゆっくり」とは、どのくらいゆっくりを意味するのだろうか?ケージが亡くなってから5年後の1997年にドイツのTossingenで開催されたオルガン・シンポジウムで、ASLSPはどこまでゆっくり演奏され得るかという問いが提示された。オルガン演奏家、音楽学研究者、オルガン技術者、哲学者、神学者たちが共に議論し、その結果、ASLSPは理論上は永久に演奏することができるという結論が導き出されたという。少なくともオルガンの寿命が尽きるまでは。そして、次世代に平和と創造性が受け継がれる限りにおいて。

そうして始まったのがジョン・ケージ・オルガン芸術プロジェクト(John-Cage-Orgel-Kunst-Projekt)である。ハルバーシュタットの廃教会、ブルヒャルト教会で2000年から639年間かけてこの現代オルガン曲が演奏されることになった。凄い話だ。639年という長さはどこから出てきたのかというと、ブルヒャルト教会で最初にオルガンが奏でられたのが1361年のことで、ジョン・ケージ・プロジェクトの開始年がその639年後の2000年だから、639年間かけて演奏することにしましょうと決まったらしい。

なんとも奇妙な(というか芸術の極み?)プロジェクトである。なんだかよくわからないものの、興味をそそられる。ましてや演奏場が11世紀に建てられた廃教会だときては、訪れてみたくもなるよね。
 

 

ブルヒャルト教会のある敷地に到着。

中世感が漂っている

ドアを開けて敷地の内側に入ると左手にロマネスク様式のブルヒャルト教会が建っている。建設は1050年頃。宗教戦争の際に一部が破壊され、その後修復されたが、ずっと教会以外の用途に使われていたとのこと。ドアの前に立つと中からかすかにオルガンの音が聞こえたのでなぜか緊張してしまった。ドキドキしながら取手に手をかけると、鍵がかかっていた。隣の事務所の建物まで行って、係の人にドアを開けてもらい、中に入る。

教会内部。薄暗くひんやりした教会の中でオルガンが鳴っている。ずっと同じ音だ。1つの音から次の音に移るのに何年も要するのだ。最後に音が変わったのは2013年10月5日。以来、楽譜の14番目の音が静かに鳴り続いている。

凄い雰囲気、、、、。

これがASLSPを奏でているオルガン。反対側の側廊にはふいごが置かれている。639年間自動演奏する楽器というのもびっくりだ。

動画を撮ろうと思ったら、こういうときに限って携帯が死んでいた、、、(エーン)。どんな音か知りたい方は以下のサイトの音源をどうぞ。

Aktueller Klang

コンサートを聞きにここまで来ても同じ音がずっと鳴っているだけなので、全体としてどんな曲なのかを掴むことはできない。

楽譜

YouTubeにはいろんな演奏家の演奏がアップされているので、短めのものを聴けば少しは全体像がつかめるかもしれない。2013年の音変更の際には大勢の人が教会を訪れ、その瞬間を見守った。以下の動画でその様子が見られる。

 

次の音変更は2020年9月5日だって!!!

いやー、なんかあまりに凄くて何と言ったらいいのかわからないのだけど、とにかく強烈にマニアックなのであった。

 

日の長い夏の間にできるだけ頻繁に遠出したい。今週はニーダーザクセン州シェーニンゲン郊外にある考古学博物館、Forschungsmuseum Schöningenへ行くことにした。Paläonは2013年にオープンしたばかりの博物館で、下の地図を見ればわかるように相当な田舎にある。シェーニンゲン褐炭採掘場のすぐ側だ。なぜそんな場所に博物館が建設されたのかというと、ありがちな話なのだが、掘っていたら考古学的にすごいものが出て来てしまったから。シェーニンゲン褐炭採掘場からは1994年〜現在までに、約30万年前のものとみられる木製の槍が全部で8本、完全な形のまま出土されている。なんと、これまでに発見された槍の中で最古のものらしい。

博物館の周辺には褐炭採掘場以外は何もなく、私のカーナビにPaläonは登録されていなかった。たどり着くのがなかなか大変だったが、どうにか見つけることができた。

外観の写真を撮り忘れたので、Wikipediaよりお借りします。

Foto: de.Wikipedia.org

入館料は12ユーロ。先日行ったハレの州立先史博物館が5ユーロだったことを考えると、ちょっと高いな〜。

吹き抜けのフロアから階段を上がると最上階が常設展示室だ。壁一面の地球の歴史を表すパネルは美的かつ迫力があって良い感じ。地球は常に変化しているのだということが感覚的にわかる。

このパネル以外の展示は旧石器時代に的を絞っており、大半は動物の骨や人骨だった。いくつか例を挙げると、

ゾウの足の比較。左は古代のゾウ(Palaeoloxodon antiquus)、右は現在のインド象のもの。

ザクセン州南部で見つかった古代のサイ(Stephanorhinus hemitoechus)の頭蓋骨。

しかし、全体的に説明が少なめで、説明を読むのが好きな私にはやや残念。

窓からシェーニンゲン採掘場が見える。ここから見えるのは一部だけだが、かなり規模の多い採掘場である。

この博物館のハイライト、シェーニンゲンの槍は常設展示の奥にあった。

これらが現存する世界最古の槍、シェーニンゲンの槍だ (全部で8本見つかっているうちの5本)。30万年前もの人類の道具がほぼ無傷で出て来たというので、大いに注目されたそうだ。といっても、それを知らないとただの木の棒で、それほどのインパクトはないかもしれない(写真もうまく撮れなくて、、、)。でも、30万年も前にニーダーザクセンに住んでいたホモ・ハイデルベルゲンシス(homo Heidelbergensis)が狩猟に使った道具ということだから、やっぱりすごいよね。

シェーニンゲンからは槍の他にも、肉の塊を突き刺すのに使ったと思われる串やその他の木製の道具、石器など多くが見つかっている。

クリップのような道具

そしてさらに、木槍で仕留めた獲物と思われる動物の骨が1万2000 体も出て来たのだ。それらの骨の分析により、このあたりでホモ・ハイデルベルゲンシスがどんな食生活をしていたのかが明らかになった。掘り出された骨の9割は馬( Equus mosbachensis) の骨である。

馬は栄養価が高く、柔らかい脂肪もたっぷり含んでいるので子どもに食べさせるのにも適していたらしい。

これらの骨には道具を使って叩き割った跡が残っている。骨髄の中の脂を取り出した形跡だ。

 

さて、Paläonは一般人向けの展示を行なっているだけでなく、同時に研究博物館でもある。

研究ラボがガラス張りになっていて、考古学者の作業を見学することができる。この日は中に誰もいなかったが、窓の外側に取り付けられたディスプレイで作業ビデオを見た。将来、考古学者になりたい中高生にもいいんじゃないかな。

 

研究ラボの隣には入館者用のラボもある。

ここでハンズオン体験ができる。

ボックスや引き出しの中にはいろんなものが入っていて、手に取って観察したり、PCの指示に従いながら分析したりできて面白い。学校の自由研究をここでするというのも楽しいかもね。

左下はネアンデルタール人の下顎。右のホモ・サピエンスと比べて頑丈そう

この博物館は研究者らのカンファレンスを行うなど、学術交流の場としても活用されている。

博物館の外には体験スペースもあって、槍を投げたり火を起こしたりなど、石器時代体験ができる。小学生のグループが熱中していた。私はすでにフォーゲルヘルト考古学パークで体験済みなので、今回はパスした。

考古学的にかなり重要なものが見られる博物館なのだけれど、発掘物のビジュアルインパクトが小さく、アクセスが良くないし、しかも入館料12ユーロと割高なので、来館者を多く集めるのはちょっと厳しいのではないかと思った。もうひと工夫欲しいところだ。でも、まだ開館して数年の新しい博物館なので今後に期待しよう。

 

PaläonのYouTube動画はこちら。

 

 

前記事ではハレの州立先史博物館について記録した。ハレで次に向かったのはBeatles Museumである。まにあっくドイツ観光ブログでは過去にドイツにあるローリング・ストーンズマニアのためのミュージアムを紹介した。 ↓

こんなところにこんなものが?Lüchowのストーンズ・ファン・ミュージアム

ストーンズのミュージアムへ行ったなら、当然ビートルズのミュージアムへも行かなければならないね。そうでなければ片手落ちである。しかし、一体なぜハレにビートルズ・ミュージアムが?彼らは確かにドイツで下積みをしていたことがあったが、それはハンブルクだった。ハンブルグには「ビートルマニア」というミュージアムが存在したが、2012年に閉鎖されている。それとは別にケルンにあったもう1つのビートルズ・ミュージアムのコレクションが増えて手狭になり、新しい場所としてたまたま白羽の矢が当たったのがハレだったということらしい。2000年、ハレの中心部に再オープンした。

私は中学生の頃にビートルズを聴き始め、東芝EMIが出していたLPはほぼ全部持っていた。ドイツにまでは持って来られなかったので、現在は弟の所有になってしまっているが。であるから、ビートルズ・ファンを名乗っても差し支えないだろう。しかし、私の本業はウィングス・ファンである。ここで敢えて名言しておく。

これがビートルズ・ミュージアムの建物。

中庭に面した入り口

中に入ってすぐのフロアはショップになっている。ミュージアムは3階建てで結構広い。入り口で館内案内の紙がもらえる。日本語もあるよ!

内部は文字通り、ビートルズ関連グッズや写真、メディアの切り抜きなどで埋め尽くされている。どこに注目するかはファン一人一人違うことと思うので何を紹介したらいいのかよくわからない。そこで今回は野暮な解説は省略して、写真でどんな雰囲気かを伝えられたらと思う。

展示はハンブルク時代から始まっている。これは1962年のスタークラブでのライブの様子かな。

ビートルズのレコードというと、私はアップル版しか知らないのだが、これらはオデオン版シングル。

こっちは旧東ドイツ国営レーベル「アミーガ」が出していたシングル。

 

当然ながら館内はずっとビートルズの曲が流れている。60年代の家の中を再現したコーナーではテレビにライブ映像が映っていた。

いろんなビートルズ・グッズが展示してあった。ビートルズ・ストッキングやビートルズ・パンツ(下着の)まである。そうか、ビートルズって現役の頃はアイドルだったんだね。私が聴き始めた頃にはすでにグループは解散していたし、アルバムも時系列で聴いたわけではなかったから、ビートルズをアイドルをアイドルグループだと思ったことがなかったな。

西ドイツのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ宣伝コースター

いろいろある中で面白かったのはビートルズ切手のコーナー。ビートルズってアフリカ諸国でも切手になっていたんだね。

ザイールのビートルズ切手

ガーナ

ブルキナ・ファソ

チャド

イエロー・サブマリンのグッズコーナー。アニメ映像も流していた。

東ドイツ製イエロー・サブマリン冷蔵庫。ええーー?

うーん。あんまり似てない気が、、、。ストーンズ人形と比べてみよう。

こっちの方がいい感じでは?

テーマは変わって、リンダ・マッカートニーがプロデュースしたベジタリアンフードのパッケージ。

 

ジョンのリトグラフ。そういえばジョンは美大出身だったね。エロチックなリトグラフも描いていたようでいくつか展示されていた。写真をここに上げたら不適切なコンテンツ扱いになるかもしれないのでやめておこう。

「ジョン・レノン」ブランドのベビーグッズ。ジョンが息子ショーンのために描いたイラストを元にヨーコが商品化したもの。

ビデオルーム。ティーンエイジャーでびっしり。2018年現在もなお、若者をこんなに惹きつけるのだからすごいね。

このイラストはかわいい

全体的にジョンとポールに関する展示物が多かった。ジョージとリンゴ関連もちょっとは載せておこう。

 

ミュージアムにはカフェもある。レコード風のテーブルが楽しい。

ビートルズ・ミュージアムは近々さらに拡張される予定だ。定期マガジン「Things」を発行している他、オンラインショップで商品の販売も行なっている。ファンの人には何かお宝が見つかるかも。

 

ハレにある州立先史博物館 (Landesmuseum für Vorgeschichte)へようやく行って来た。ここへはかねてからどうしても行きたいと思っていたのだ。ネブラ・ディスク (Himmelsscheibe von Nebra)を見るために。

ネブラ・ディスクとは、1999年にドイツ、ザクセン・アンハルト州ネブラで発見された世界最古の天文盤である。2017年3月にネブラの出土地及びビジターセンターを訪れたが、ビジターセンターに展示されていたネブラ・ディスクはレプリカだった。オリジナルはハレの州立先史博物館にあると知り、いつか見に行きたいと思っていたのだ。

ネブラ・ディスクに関する記事はこちら。↓

世界最古の天文盤、ネブラ・ディスクの出土地を訪れる

これが州立先史博物館。いい味を醸し出している。きっと良い博物館に違いない!入館料は大人5ユーロと割安。しかも、ハレの博物館は1箇所で入館料を払うと他の10の博物館には半額で入れるとのことである。なんとお得な!

この先史博物館には、ドイツ中央部で発掘された旧石器時代からローマ帝国時代までの出土品が展示されている。ネブラ・ディスクが見たいということしか頭になかったのだが、展示を見て初めてザクセン・アンハルト州が考古学的重要度の非常に高い地域であるらしいことに気づいた。

これはチューリンゲン州Bilzingslebenで発掘された約37万年前のホモ・エレクトスの集落跡の一部。ホモ・エレクトスの集落跡は欧州全体で他に6つしかない。

ホモ・エレクトスが動物の骨を加工して作った道具。

ホモ・エレクトスが火を使っていたことがわかる木炭。

サイの下顎。すごい!

これまた状態の良いアナグマの足の指の骨。

 

こちらは石器を一列に展示した壁。

石器は考古学・先史博物館ならどこでも展示されていて、なんとなくどれも似たように見えていたのだけれど、よく見ると実に様々なタイプがあるものだ。出土地によって石の種類が違うのはもちろん、カットも様々である。

 

美しいハンドアックス

これなんか持ちやすそう

スマートなデザインがおしゃれ

詳しい説明はなかったが、石器の種類について知りたくなった。

 

新石器時代にはドイツ中央部では線帯文土器文化が発達した。模様だけでなく、色といい形といい、なかなか素敵である。

ブランデンブルク門っぽい模様

下が丸いタイプはどのように使ったのだろう?

 

考古学系の博物館では埋葬文化の展示がつきものだが、この州立先史博物館では埋葬文化にかなりのウェイトが置かれている。

これはWesterhausenで発掘された球状アンフォラ文化時代のお墓。左の四角い囲みは個人の墓で右側に埋まっているのは数頭の牛。

新石器時代初期のヨーロッパでは膝を曲げた形で死者を埋葬するのが一般的だった。地域によって遺体を埋める方向が異なっていた。中央ドイツでは性別に関係なく、頭を南、顔を東に向けて埋葬した。その他の地域では男女で反対向き、または体の反対の側を下にして埋めたらしい。

ここからかなり衝撃的な話になるのだが、2005年、ナウムブルク近郊のオイラウ(Eulau)で約4600年前の墓地が発見された。それぞれの墓には家族が数人ずつ一緒に埋葬されていた。死者ほぼ全ての頭蓋骨に重度の損傷が見られることから、集団殺戮の犠牲となったと考えられている

両親と子供達の墓

このように埋葬されたと見なされる

こちらの墓では3人の子供のうち、一人は母親に抱かれるように埋葬され、後の二人には母は背を向けている。DNA鑑別の結果、二人の子どもは母親と血の繋がりがないことが判明した。つまり、女性は彼らにとって継母なのであった。

 

次は石器時代の部屋へ。

芸術的な燧石のダガー

 

さあさあ、青銅器時代といえば、ネブラ・ディスクである。ついにネブラ・ディスクの本物にお目にかかるときがやって来た。

この入口の向こうがネブラ・ディスクの展示室である。

じゃーん!

と言いたいところだが、残念ながら写真撮影は禁止だった。でも、部屋の中は私一人だけで、ガラス越しに見るディスクの美しさにとても感動した。わざわざ来た甲斐があったなあ、としみじみ。

この博物館も私のお気に入り博物館に追加しよう。考古学がますます魅力的に感じられてしょうがない。