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三度の飯よりも博物館が好き!

これは誇張ではなく、実際に旅先では食べることよりも博物館を優先してしまう私である。外国へ行ってそこにしかない郷土料理がある場合はもちろん食べてみたいけれど、ドイツ国内旅行のときには、美味しいものは別にいつでも食べられるのだから、限りある時間を博物館を見ることに費やすのだ。

昼過ぎにケムニッツに到着してからケムニッツ産業博物館ドイツゲーム博物館を見終わってから宿にチェックインし、時計を見ると18時。すでにほとんどの博物館は閉館している時刻である。しかし、まだ開いているところがあった!その日は木曜日だったが、ケムニッツの考古学博物館、Staatliches Museum für Archäologie Chemnitzは毎週木曜日、20時まで開いているのだ。

 

ケムニッツの考古学博物館は町の中心部にあって、アクセスがとても良い。博物館らしからぬ雰囲気の建物で、入り口には 「SCHOCKEN」という大きな文字。schockenというのはドイツ語で「ショックを与える」という意味なので、一体何のことだろうかと首を傾げた。

©︎smac

後で知ったことによると、この博物館の建物は元デパートで、Schockenというのは当時のデパート名だそうだ。1930年に建築士エーリヒ・メンデルスゾーンにより設計された。今まで知らなかったのだが、メンデルスゾーンはポツダムにあるアインシュタイン塔も手がけた著名なユダヤ人建築家だという。

 

この博物館には約30万年前にザクセン地方に最初の狩猟・採集社会が形成されてから産業化が始まるまでの間の人類の遺品が展示されている。展示品は約6200点と堂々たる規模である。3フロアに渡って年代順の展示となっている(1階はネアンデルタール人の時代から石器時代初期まで、2階には中世初期まで、3階がスラブ民族の定住から産業革命の前まで)。

 

館内は白で統一されていて、とても綺麗。

 

動物の骨もお洒落にディスプレイされている。デザイン性の高いミュージアムだ。

 

これはsmacの目玉、パノラマギャラリー。

 

考古学的発掘物もこのように飾られると、思わず見とれてしまうね。

 

ドレスデンの聖母教会から発掘されたデスクラウン。未婚の若い女性の遺体が被っていたものだそう。このように繊細で洗練された装飾品がこれほど良い状態で保存されていたことに驚く。

 

マイセンで見つかった紀元前1700〜2200年頃のアクセサリー。うわー、こんな重いものを首につけたら肩が凝りそう、、、。

 

紀元前1000〜1200年ごろの青銅器。

 

とこんな感じで、かなり良い博物館だったのだが、家からケムニッツまで何時間も車を運転し、ほとんど休憩もなく二つの博物館をじっくりと見た後だったので、実はもうヘロヘロの状態だった。オーディオガイドを聞いていてもあまり頭に入って来ない。残念、、、。

 

今回はじっくり味わうことができなかったが、是非もう一度訪れたいミュージアムである。

 

 

 

 

旧東ドイツのマニアック観光スポットはもうずいぶん回っているが、まだまだ未知の領域がたくさんある。特に南部のザクセン州は見所が非常に多く、何度足を運んでも見尽くせない。今回はまだ行ったことのないケムニッツとツヴィッカウ方面を探索することにした。といっても1泊2日の強行軍なので、どれだけ見られるかな。

まずは、あらかじめ目星をつけておいたケムニッツの産業博物館(Industriemuseum Chemnitz)を目指した。

 

ケムニッツはザクセン州でドレスデン、ライプツィヒに次いで3番目に規模の大きな町だ。18世紀、紡績業を中心にドイツ産業革命の重要な拠点として発展を遂げて以来、ザクセン州における工業の中心地である。古くからあった機織り工場から次第に機械工業が発達し、特殊技術を持つ企業が次々と創業した。20世紀初頭にはザクセン州はドイツで最も産業の発達した地域となっていたそうだ。旧東ドイツ時代、「カール=マルクス=シュタット」と呼ばれたケムニッツの街並みは非常に近代的で風情があるとは言い難いのだが、良いミュージアムが多くある。

 

ケムニッツ産業博物館入り口。

 

館内に入るとまず目につくのがこのレーシングカー、eGon。西ザクセン大学ツヴィッカウで開発された電気レーシングカーだそう。

 

名前から想像できるように、この博物館はザクセン州の工業の歴史を伝え、産業遺産を保存・維持することを目的としている。これまで東ドイツの産業博物館をいくつか見て来たが、このケムニッツのミュージアムで展示室に足を踏み入れて真っ先に感じたのは「空間が美的であること」だった。他の産業系ミュージアムではどちらかというと錆びついたり塗装が剥がれたり油にまみれた古い機械や装置を目にすることが多かったが、ここに展示されているものは磨き上げられた美しいものばかりなのだ。

 

 

ザクセン州の工業発展の流れを示すプラットフォーム。

 

 

 

著しいスピードで産業革命の進んだザクセン州だが、急激な工業化は市民の中に階層を生み出した。労働者運動が高まる中、現在のドイツ社会民主党(SPD)の母体となった全ドイツ労働者同盟が創設されたのもザクセン州のライプツィヒである。ザクセン州はドイツの社会変革の歴史において中心的な役割を果たして来たようである。

しかし、第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断され、東側にあったほとんどの産業施設は戦後賠償の過程でソ連に接収されることになる。また、約2万社が西ドイツ側に逃れ、新たな拠点で再出発した。

百科事典出版社のブロックハウス、アウディ、レンズのツァイスなど、日本でも名前をよく知られた多くの企業は元々は東ドイツの企業だった。社会主義国となった東ドイツ(DDR)では、全面的な解体を逃れた工場は国営工場として計画経済を担ったが、1989年、国全体に「平和な革命」が広がり、ついにベルリンの壁が崩壊する。

1989年に反政府デモが起きた場所。ザクセン州は特に密度が高い。なんと163箇所でデモが行われたという。

 

なんとなく革命の中心地はベルリンのように思っていたが、ザクセンの市民らがドイツ統一のために果たした役割は大きかったのだなあ。しかし、東西ドイツが統一されてみると東の産業は西側先進国の基準を満たしておらず急激に衰退することになる。統一からわずか3年のうちにおびただしい数の人々が職を失ってしまう。

 

戦後ほぼ全てを奪われ、そしてドイツ統一が果たされたと思ったら再び産業の大部分を失うことになったとは。大変だったのだなあ。

 

 

さて、見慣れないこの大きな機械。第一次世界大戦ごろまで使われていた刺繍機出そう。刺繍機というものを初めて見た。

 

左側の図面上に針を刺し、レバーやペダルを操作することで布地に同じ模様を色ごとに刺繍して行く。

 

ちょうど担当の技術者がいたので実演してもらった。こうした機械は工場ではなく一般農家で使われていたそうだ。畑仕事のできなくなる冬季、農家はこのような機械をリースして刺繍作業に従事した。

 

 

地下には紡績業で使われて来た様々な機械が展示されている。

 

以前は機械にはほとんど興味がなかった私だけれど、このミュージアムの機械を眺めていると、機械というのも美しいものだなと感じる。機能美にすっかり見とれてしまった。

 

 

 

 

美しいとは思うものの、機械については詳しくないので眺めているだけ。でも、だんだんと産業史が面白くなって来た。この「まにあっくドイツ観光プロジェクト」(と自分で勝手に名付けた)を始めてから産業遺産を見て歩くようになったのがきっかけだが、年を取るにつれ物事を時間の経過の中で考えるようになったことも関係しているかもしれない。若い頃には興味が持てなかったいろいろなものを面白いと思えるようになって来たのは嬉しい。

ということで、ケムニッツ観光の最初のスポットには満足した。この博物館ではガラス張りの展示スペースでロボットが車を作っているところを観察することもできるので、小さな子どもも喜びそう。