ワイマールに二日滞在した後、そこから20kmほど西のエアフルトへ向かった。エアフルトは人口20万人規模の商業都市である。私はこれまでエアフルトという町には特にこれといったイメージを持っていなかった。そのため、是非とも行ってみたい町ではなかったのだが、せっかくテューリンゲンまで来たのだから、この地方の主要都市を見ておこうと足を延ばした。
行ってみると、エアフルトは見所が多くハイセンスな町であることがわかった。美しいだけでなく、いわゆる「可愛い」「お洒落」「美味しい」な要素も多く、日本人好みかもしれない。
そんなエアフルトで私の関心を強く引いたものがある。それは、この町には中世から多くのユダヤ人が住み着いてコミュニティを形成し、町の発展に重要な役割を担っていたという事実だ。エアフルトにはドイツに今も残る最古のシナゴーグ、Alte Synagogeがある。現在はミュージアムになっていて、中を見学することができる。
シナゴーグ内部は写真撮影禁止で、受付とシナゴーグの間の中庭のようになった場所からのみ外観の写真を撮って良いと言われたが、中庭が狭いので全体像をカメラに収められなかった。
シナゴーグ北側正面の入り口。
中庭には、中世のユダヤ人墓地にあった墓石が展示されている。
エアフルトの旧市街には、11世紀にすでにユダヤ人が定住していたという。当時はキリスト教徒と比較的平和に共存していたが、黒死病の流行をきっかけにユダヤ人への迫害が起こり、1349年のポグロムで多くのユダヤ人が犠牲となった。エアフルトを追われるまでの間、彼らの信仰の中心だったのが、このAlte Synagogeである。ユダヤ教徒が追放された後は、500年もの長い間、倉庫として利用され、19世紀末には舞踏会場やレストランとしても使われた。2009年にミュージアムとして一般公開されるようになった。
ミュージアム内ではヘブライ語の聖書や中世のトーラ、マハゾールなどユダヤ教の文書やエアフルトの数多くの秘宝が見られる。特に中世のユダヤ教徒の結婚指輪が素晴らしかった。エアフルトのこのシナゴーグとそこに収められた秘宝、そして旧市街クレーマー橋のたもとに発見されたユダヤ教徒の沐浴場、ミクワー(Mikwe)は、合わせてユネスコ世界文化遺産に指定されている。
ポグロムにより一旦、姿を消したユダヤ教徒は、19世紀の初めに再びエアフルトへ戻って来た。その後、別の場所に新たなシナゴーグ(現在のNeue Synagoge)が建設されるまでの間、一般家屋がシナゴーグの機能を果たした。
Kleine Synagoge(小さなシナゴーグ)。こちらも一般公開されている。
写真を撮っても構わないと受付の人に言われたので。現在はイベント会場として使われているようだ。
地下には、19〜20世紀のエアフルトのユダヤ教徒の生活を示す展示がある。
現在、エアフルトにはおよそ550人のユダヤ教徒が住んでおり、その大部分はロシア系ユダヤ人だという。現在ドイツに住むユダヤ人といえば、先日、別ブログにこんな記事を書いた。
ドイツのユダヤ人、Shahak Shapira氏の著書を読んでみた
「小さなシナゴーグ」の2階では、現在、エアフルト出身のユダヤ人2家族についての特設展示を開催中で、こちらも非常に興味深かった。エアフルトのユダヤ人の歴史について、もう少し詳しく知りたくなったので、こちらの本を購入。
引き続きこのブログで紹介するが、エアフルトには中世のドイツのユダヤ教徒について、そして彼らが辿らざるを得なかった運命について知ることのできるスポットが多くあって、興味深い。