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パンタリカのアグリツーリズモで3日間を過ごした後、今度はシチリア島南東部のオリエンタタ・オアジ・ファウニスティカ・ディ・ヴェンディカリ自然保護区(Riserva naturale orientata Oasi Faunistica di Vendicari)のアグリツーリズモに移った。

私が住んでいるドイツ東部のブランデンブルク州には自然保護区がたくさんあり、いろんな野生動物が見られるので気に入っている。ドイツとは気候の違うシチリア島で自然保護区巡りをすれば、ドイツでは見られない生き物が見られるのではないかと密かに楽しみにしていた。ヴェンディカリ自然保護区は特に野鳥が多いと読んだので是非行ってみたかったのだ。

しかし、結論から言うと、いくつか回ったシチリア島の自然保護区はそれほど積極的な保護活動がおこなわれているようには見えなかった。これはあくまで個人的な印象だし、雨が多く緑豊かなドイツと乾燥したシチリア島を同列に見るのはフェアではないかもしれないが、いろんなカナヘビを見た以外は期待したほど多くの生き物を目にしなかった。

でも、ヴェンディカリ自然保護区では少なくともフラミンゴの群れが飛んでいくのを目撃できたし、アグリツーリズモの食事が素晴らしかったので、まあ満足かな。

さて、シチリア島南端から海岸に沿って北西に移動し、次に目指すはアグリジェント(Agrigento)の考古学地区、「神殿の谷(Valle dei Templi) 」だ。

アグリジェントはかつてアクラガスと呼ばれる古代ギリシアの植民都市だった。南東に70kmほど離れた都市ジェーラ(Gela)とロードス島からの移住者によって紀元前581年に建設されたアクラガスは、競馬の飼育で知られる富める町だった。僭主テロンが支配した最盛期(紀元前488〜472年)には人口20万人にも及ぶ大都市に発展していた(現在のアグリジェントの人口は6万人弱)。この町に生まれた哲学者エンペドクレスは、アクラガス市民は「まるで明日死ぬかのように食べ、永久に生きるかのような家を建てていた」と描写したという。紀元前406年にカルタゴ軍によって破壊されるまでは、市民は相当にゴージャスな暮らしぶりだったらしい。アグリジェント市の南部にはそうした古代都市アクラガスの栄華を感じさせるギリシア神殿群が残る。

考古学地区から眺めるアグリジェントの町

1984年にUNESCO世界遺産に登録されたこの「神殿の谷」、これまた広大で圧倒的!

右に見えるのはカストレ•ポルーチェ神殿

神殿の谷で最も古い(紀元前6世紀に建設)ヘラクレス神殿

コンコルディア神殿。ドーリス式神殿の中で最も保存状態の良い神殿 の一つ。1748年に復元された。

崖の上にそびえるユノ・ラキニア神殿

考古学公園の南側、眼科広がる景色を眺めていたら、なぜだかふとエジプトへ行ったときのことを思い出した。ここまで来ると、アフリカが近いと感じる。

公園内には考古学博物館もあって見るべきものが盛り沢山なのだが、今回のシチリア島・エオリエ諸島旅行はこの時点ですでに3週間近くに及んでいたので、すでにかなりの情報過多でとてもじゃないが処理しきれない。もうちょっとよく地中海の歴史を勉強してから出直した方が良さそうだ。それにしても、シチリアの歴史的・文化的コンテンツの驚くべき豊かさよ。もっと知りたいけど、沼にはまりそうでちょっと怖い。そんなことを考えながら神殿の谷を散策した後はレアルモンテ(Realmonte)海岸の白い崖、スカーラ・デイ・トゥルキ(Scala dei Turchi)の見える宿に泊まった。

この崖は、鮮新世ザンクリアン期に起こった洪水で堆積した有孔虫の化石を含む泥灰土でできている。スカーラ・デイ・トゥルキというのは「トルコ人の階段」の意味。トルコからやって来た海賊がこの崖を登って攻めて来たことに由来するそうだ。トルコにもパムッカレという同じような石灰棚の名所があるのを思い出した。

そろそろシチリア旅行も終わりに近づいている。

 

 

まだまだ続くシチリア島旅行。パンタリカのアグリツーリズモに宿を取っていた私たちは、パンタリカの岩壁墓地遺跡を見た翌日、シラクーザを訪れることにした。宿で一緒になった旅行者夫婦に「シラクーザの観光名所の多くはオルティージャ島に集中している。特にドゥオモ広場は必見だ」と強く勧められていた。オルティージャ島海に突き出たシラクーザの発祥地でとても美しく、ドゥオモ広場の他にもアポロン神殿やマニアケス城など見どころが多い。

でも、私にとってはオルティージャ島よりもネアポリス地区(「新市街」の意)にある考古学公園(Parco Archeologico)の方が面白かった。

行ってみて仰天。この公園、凄すぎる!市街地にギリシアやローマ時代の遺跡がどーん!と、まとまって存在している。

まず、「天国の石切場(Latomia del Paradiso)」と呼ばれる古代の石切場に度肝を抜かれた。町の真ん中なのに、石灰岩質の岩盤が剥き出しになっている。紀元前6世紀から神殿などの大規模建造物のためにここで石が切り出されていた。

石切場の中はヘルメットを装着して見学する。歩いているの私の大きさからそのスケールが想像できることだろう。良質の石は地表付近ではなく深いところから切り出す必要があった。作業に従事したのはカルタゴ軍やアッティカ軍からの捕虜だった。現在、石切場跡の周辺には草木が生い茂り、まるで楽園のようだから「天国の石切場」と呼ばれるようになったらしいが、当時は天国どころか地獄だっただろう。トンネルの中はじめっとしていて、岩肌にはところどころ苔が生えている。

石切場の奥には「ディオニシオスの耳(Orecchio di Dioniso)」と呼ばれる、これまた巨大な石窟がある。高さ23メートル、奥行きは65メートル。中は真っ暗で湾曲している。この洞窟の中ではほんの小さな音でも増幅されて大きく聞こえる。古代ギリシアの植民都市であったシラクーザの僭主ディオニシオスは疑り深い性格で、捕虜たちのヒソヒソ話を聴くためにこの洞窟に彼らを閉じ込めたという言い伝えがあるらしい。洞窟のかたちもまるで耳のようだから、「ディオニシオスの耳」とは上手い呼び名をつけたものだなと思う。

こちらは公園内のギリシア劇場。直径138m、推定観客席総数は1万5000席。紀元前5世紀からここで喜劇や悲劇が上演されたが、ローマ時代には演劇は流行らなかったので、剣闘士の闘技会場に作り変えられて使われていたそうだ。

こちらはローマ時代の円形競技場。アレーナの中心部には特殊効果のための地下装置を設置したとされる穴が開いている。古代のイベントの特殊効果って?まさか、光のショーなんてやっていたわけはないし、どんなものだったんだろう?シラクーザといえばギリシアの科学者アルキメデスの故郷。当時から技術が発達していたというから、いろんなカッコいい仕掛けが観客の目を楽しませていたのだろうね。

考古学公園は広大なので、隅から隅まで歩こうとすると大変である。暑いし、石の坂道を登ったり降りたりしてヘトヘト。シチリア島はどこへ行っても坂道で、しかも地面が硬いので、連日歩き回っているとだんだん腰がバキバキに硬直して来る。土地柄、深々としたソファーに座れるような場所もほとんどなく、カフェやレストランの椅子も硬くてなかなか辛いものがある。公園内にはまだまだ他の見所もあるのだが、先にオルティージャ島も歩いた後だから、もうギブアップ。