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迷子石。ずっと昔、1万年前よりももっと昔、スカンジナビアから氷河の流れによって北ドイツに運ばれて来た石。ブランデンブルク州に住むようになって以来、今も北ドイツのあちこちで見られる、そんな不思議な石に魅力を感じている。

2020年に迷子石(より広範囲には 、氷河によって運搬された石(Geschiebe)」に関して導入編基礎編を書いてから、ずいぶん時間が経った。相変わらず興味が尽きず、この4年の間に少しわかったこともあるので続きをまとめていこう。発展編として長く続くシリーズになるかもしれない。

今回は、ヴィントカンター(Windkanter)と呼ばれる石について。ヴィントカンターとはこんな石。

風(Wind)によって作られた角(Kante)を持つ石のことで、英語ではventifactという。日本語では「風触礫」と呼ばれるようだ。写真の石は近所を散歩中に見つけたもの。ヴィントカンターとは岩石の種類ではなく、特徴的な角ばった形状を指している。

ポツダムのロックガーデン(Geschiebegarten)に展示されたヴィントカンター群

 

氷河によって運搬された石の一部がこのような形状を持つようになる。それはなぜだろうか。

氷河の末端に位置していた場所では、氷に覆われた気温の低い場所から氷のない気温の比較的高い場所に向かって強い風が吹いていた。地表にある石に砂を多く含む強い風が長期間にわたって一定の方向から吹きつけることで石の表面が研磨され、平らな面ができた。風向きが変わったり、石が転がって向きが変わると、今度は別の面が削られ、その境目に尖った角(稜角)ができる。そのため、ヴィントカンターには複数の稜線を持つものがある。

3つの稜線を持つものは特にドライカンター(Dreikanter)と呼ばれる。ヴィントカンターは北ドイツではまったく珍しくないが、きれいなドライカンターを見つけると嬉しくなる。

ヴィントカンターについて調べていたら、日本にも「白羽の風触礫」と呼ばれる石が存在することがわかった。静岡県前崎市白羽がその産地で、国の天然記念物に指定されているらしい。中でもドライカンターは「三稜石」と呼ばれ、極めて珍しいとのこと。石の風触は乾燥地で見られる現象で、北ドイツではありふれた石だけれど、多湿な日本ではこのようなかたちの石ができる場所は限られているようだ。残念ながら、「白羽の風触礫」はすでに採集し尽くされていて、産地に行っても地形を観察することしかできないようだけれど、牧之原市史料館に石が展示されているとのことで、いつか機会があれば見てみたい。

 

普段、住んでいるヨーロッパでジオ活動をしているけれど、気になる石や地形について調べていると日本にある同じようなものについても知ることになって面白いな。

 

 

この記事の参考資料:

Beate Witzel, “Steine, Mammuts, Toteislöcher: Auf den Spuren der Eiszeit in Berlin

Fachgruppe Mineralogie Geologie Paläontologie Potsdam (ポツダム地質学研究会が発行する冊子)” Geschiebe Garten Großer Ravensberg – Arbeitsmappe für Lehrer und Erzieher”

Mineralienatlas- Fossilienatlas のWindkanterのページ

Wikipedia: 白羽の風触礫産地

ニセコ町滞在中、チセヌプリの北側にある神仙沼湿原を歩き、初めて見る高層湿原にとても魅了された(記事はこちら)ので、さらに規模の大きい高層湿原である雨竜沼湿原へ行ってみることにした。雨竜沼湿原は暑寒別岳の東側斜面、標高850mの高さに広がるおよそ100haの山岳高層湿原で、1964 年に北海道天然記念物に、2005年にはラムサール条約湿地に指定されている。

感想から言うと、ここは本当に素晴らしい。今回の旅は私たちにとって興味深い場所盛り沢山になったが、この雨竜沼湿原は間違いなくそのハイライトだ。

ただ、湿原の入り口まで車で気軽にアクセスできる神仙沼と違って、雨竜沼湿原に辿り着くにはまず2時間ほど山登りをしなければならない。なかなかハードルが高そうで、ちょっと不安でもあった。

雨竜町の道の駅に貼ってあったポスター

まずは車で雨竜町中心部から登山口ゲートパーク(標高540m)まで行き、管理棟で入山受付をし、熊鈴をつけたら登山開始。

登山口からはてっぺんが平らな円山が見える。こんな形をしているのは、地下から上がってきた玄武岩の岩脈が、周りが侵食されてなくなった後に残ったものだから。その標高(853m)は湿原とほぼ同じ。つまり、これからあのてっぺんの高さまで登るだ。大丈夫かなあ。

心配しつつ登り始めたが、とりあえず最初の15分くらいは緩やかな傾斜で楽勝だった。

渓谷を流れるペンケペタン川にかかる渓谷第一吊橋を渡り、さらに15分くらい歩くと、谷の向こう側に大きな露頭が見える。

溶岩や礫岩、砂岩の層などが見える。

白竜の滝

渓谷第二吊橋を渡ったあたりからは険竜坂と呼ばれるだけあって、かなりキツくなる。

登り切って、湿原テラスに到着。

テラスから、しばし湿原を眺める。高原の上に広がる青空は清々しく、がんばって登って来た甲斐があった。向こうに見える山は南暑寒岳(左)と暑寒別岳(右)。熊が出没しているのでこれらの山へは登らないようにと管理棟で言われていた。湿原の奥にある展望台までは行っても構わないとのことだったので、展望台を目指して湿原を歩くことにした。

湿原には木道が整備されている。

山の上にこんな広い平原が広がっているのは、ここが溶岩が積み重なってできた溶岩台地であるからだ。一年の半分以上が雪に閉ざされるので、枯れた植物が腐食せずに堆積して泥炭の厚い凸凹の層を作る。その窪みが大量の雪解け水で滋養されることでこの広大な湿原が形成されているのだ。

湿原には大小様々な無数の池塘がある。円形の池塘は、氷河期に地中にできたレンズ上の氷が気温が上がることで溶け、形成された窪地に水が溜まったものだという。それを知って、私が住んでいる北ドイツの地形との意外な繋がりに気づいた。こちらの記事にまとめたように、最終氷期に氷床に覆われていた北ドイツの低地には氷床の溶け残りによってできた窪地に水が溜まってできた湖がたくさんあるのだ。山の上で似たプロセスでできたものを見るとは思わなかった。

これも不思議な風景。左側の池塘の方が水面が高くなっている。雨竜湿原は雨水や雪解け水のみで滋養され、地下水とは繋がっていない高層湿原(ドイツ語ではHochmoorと呼ばれる)なので、それぞれの池塘の水位は蒸発の程度によって決まる。

池塘には浮島を持つものもある。(実際には浮いているわけではなく、池の底で繋がっている)

湿原の中央にはペンケペタン川が大きく蛇行しながら流れている。

7〜8月にはたくさんのお花が湿原を彩るそうだけれど、もう9月に入っていたので、お花はほとんど咲いていなかった。かろうじて咲いていたのはエゾリンドウくらい。

お花のハイシーズンに来たかったなあ。

湿原テラスから1時間ほど歩いて、ようやく展望台に到着。

展望台

展望台から湿原を見下ろす。すごい景色なのに写真では素晴らしさをうまくキャプチャできず、無念。湿原の向こうにはなだらかな恵岱岳が見える。山が途切れているところが湿原の入り口。

再び木道を歩いて湿原入り口に戻ろう。

 

恵岱岳の斜面はダケカンバの林で、その麓にはチシマザサが群生している。

湿原入り口から登って来た道を下って登山口へ戻る。

ペンケペタン河床の玄武岩溶岩

登山開始から5時間ちょっとでゲートパークまで戻って来た。思ったほどはハードでなく、なかなか見られない素晴らしい景色が見られて最高だった〜。感動の余韻の中、車に乗り込み道道432号を雨竜町に向かう。もう大満足なのだが、帰路で野生動物に次々遭遇し、ますます感動することになる。

エゾシマリスだ!小学生の頃、母と山へ行って目にして以来の遭遇。可愛い〜。

今度はタヌキたちが出て来た。実は野生のタヌキを見るのは初めて。こんな昼間に遭うとは。楽しいなあ。

テンションが上がりっぱなしの私たちだった。ところが、そこからほんの数十メートル進んだ先で気分は一転する。前方を何か大きな黒いものが動くのが視界に入ったのだ。

「何あれ?」

「、、、、。」

「クマ?」

「クマだ、、、、」

目の前を動いているのがヒグマだということを把握した瞬間、ヒグマは路肩から右の藪の中に消えた。

ヒグマに遭遇した場所。一瞬のことだったのでヒグマはすでに消え去っているけれど、目撃報告のための記録として撮影。

ふう〜〜〜。車に乗っていてよかった。ヒグマはさすがに怖い。遭遇した時刻をスマホに記録し、ゆっくり気をつけながら運転して町へ戻った。それから登山口ゲートパークに電話して状況を説明したけれど、自分がヒグマ遭遇の報告をしているということがなんだか現実味がなくて、なんとも不思議な感覚だった。

そんな予期せぬオマケもあった雨竜沼湿原トレッキング。きっと、いつまでも記憶に残ることだろう。

 

この記事の参考文献、サイト:

前田寿嗣 『見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質

雨竜沼町観光協会ウェブサイト

 

北ドイツの地形は南ドイツと大きく異なり、基本的に低地である。どこへ行っても平らで、高い山がないのはつまらないと思う人が少なくないかもしれない。でも、私は14年前にブランデンブルク州に引っ越して来て、いや、正確には来る前から、ブランデンブルクの自然環境にとても惹かれた。

というのも、ブランデンブルク州はどこもかしこも湖だらけ。その数はなんと3000近いという。私にはかねてから「泳げる湖の近くで暮らしたい」という夢があったので、ブランデンブルク州に引っ越して来たときには「夢が叶った」と、とても嬉しかった。最初の数年間は当時小学生だった子どもたちを車に乗せて、今日はここの湖、明日はあっちの湖と夏の間は湖ホッピングを満喫したものだ。そのうち付き合ってくれなくなったけれど。

なぜブランデンブルク州にはこんなにも湖が多いんだろうと不思議に思っていたら、あるとき知人が教えてくれた。ブランデンブルク州を含むドイツ北部はかつて氷河に覆われていた、無数にある湖の多くは氷河時代の名残なのだと。ブランデンブルクの地形は氷河によって削り取られた岩石や土砂が堆積して形成された「モレーン」と呼ばれる地形だと聞いても、すぐにはピンと来なかったが、道の脇や畑の縁、または公園などで目につくたくさんの大きな石の塊が氷河によって運ばれて来た「迷子石」というものであることを知ってから、氷河地形に興味を持つようになった。

氷河の置き土産 〜 北ドイツの石を味わう(導入編)

氷河の置き土産 〜 北ドイツの石を味わう(基礎編)

氷河に運ばれた大量の迷子石が並ぶジオパーク、Findlingspark Nochten

(01.04.2024追記) ヒダ状の氷河地形を観察できるUNESCOグローバルジオパーク、ムスカウアー・ファルテンボーゲン

氷河湖や迷子石だけではない、ブランデンブルクの自然に目をやれば、特徴的な氷河地形をあちこちで観察することができる。住宅地になっていたり森林に覆われているとわかりづらいが、広々とした場所を遠目に眺めるとなるほどと思う。ベルリンの北部にはUckermark、BarnimそしてMärkisch-Oderrandの3地域にまたがる3.297 km2  及ぶ広大な氷河地形ジオパークGeopark Eiszeitland am Oderrandがある。何度か足を運んだので、これまでに見たものをまとめてみよう。

 

ジオパークは柵に囲まれているわけではなく、入場料を払う必要もないので、好きな場所からアクセスして好きなように見ることができるが、まずオリエンテーションをしてからということなら、Gross Ziethen村にあるビジターセンターを目指すと良いと思う。ジオパークの成り立ちやそこで見られる動植物、発掘された化石などがわかりやすく展示されている。

色口は建物の裏にある

 

ビジターセンターの展示や関連資料には氷河地形の成り立ちが図解されている。眺めているだけでなく自分でも描いてみるとよく把握できるかなと思って、描いてみた。(図を描くのが苦手で、これだけの図でも結構苦労、、、、)

氷河はドイツの北から南に向かって(図では右から左へ)移動した。氷河の底になっていた部分の地形をグランドモレーンと呼び、末端部分の地形をエンドモレーンと呼ぶ。最終氷期であるヴァイクセル氷期にはその前のザーレ氷期のように現在のブランデンブルク州がすっぽりと氷床に覆われることはなかったので、氷の下になっていた北部と氷の及ばなかった南部は地形が異なっている。その境目のエンドモレーンには岩の塊など大きくて重い堆積物が溜まって残った。エンドモレーン の南にはザンダーと呼ばれる緩やかに傾斜した砂地が広がっている。氷期が終わり、氷の溶け水は氷床の縁に沿って東西に流れ、ウアシュトロームタールと呼ばれる谷をつくった。ドイツの首都、ベルリンはウアシュトロームタールに位置している。その南にはそれ以前の氷期に形成された古いモレーン(アルトモレーン)が広がっている。

 

Gross-Ziethen村の外れにあるビジターセンターの先にある石のゲート

 

ビジターセンター脇のマンモスの像

 

この土手状の丘がエンドモレーンだ 。つまり、この土手のすぐ向こうまでかつて氷床が迫っていたのだね。ヴァイクセル氷期は10万年以上も続いたので、氷河の末端の位置ももちろん変化した。このエンドモレーンはヴァイクセル氷期のうちのポンメルン期(およそ1万8200年前から1万5000年前まで)に氷床の末端があった場所だ。

 

氷床が削り取り、運んで来た岩が土手に埋まっている。

これらの岩ははるかスカンジナビアからここまでやって来たのだ。ダイナミックでスケールの大きな話である。本当にすごいなあ。

 

土手の前に作られた日時計

 

グランドモレーンにはなだらかな丘が広がる。ところどころに部分的な起伏がある。最初の手書きの図に描いたように、起伏にはその出来方によっていろいろな形状がある。

ドラムリンと呼ばれる涙形の丘。氷河が削り取った砂礫が細長く堆積したもの。ドラムリンは以下の動画のようにできると考えられているようだ。

 

 

ドラムリンの他には、氷の塊と塊の間に土砂が溜まり、氷が溶けた後に丸く盛り上がって残ったケイムと呼ばれる丘や、氷の裂け目や底部にできたトンネルに溜まった土砂が堤防状に細長く延びたエスカー(Os)などの形状もあるが、うまく写真が撮れなかった。

 

氷床は縁から徐々に溶けていったが、氷の塊がしばらく溶けずに残ることもあった。そのような氷の塊はToteisと呼ばれ、その下には窪みができた。その窪みに水が溜まり、Toteisseeと呼ばれる湖となった。でも、小さな水溜りは干上がってしまうこともある。そんな「元湖」がブランデンブルクの大地にはたくさんある。中には木が生え、小さな林になっているものもある。

 

北海道で生まれ育ったせいなのか、広々とした場所がとても好きだ。地形の成り立ちを考えることは普段と違うスケールの想像力を働かせることでもあり、縮こまった意識をストレッチするような気持ちの良さがあるなあ。

 

ブランデンブルクには氷河期の名残の湿地もまだたくさん残っている。急激に失われつつあるらしいけれど。

氷河が形づくったブランデンブルクの自然をもっともっと歩きたい。まだまだ知らないことだらけだ。

 

前回の記事の続き。前回、北ドイツの至るところで目にする石の多くは、最終氷期に氷に押されてスカンジナビアからやって来たもので、総称してゲシーベ(Geschiebe、「押されて移動したもの」の意)と呼ばれることについて書いた。そしてそのゲシーベには実にいろいろな種類があり、建材や石畳の敷石などによく使われ、北ドイツの町をカラフルにしている。今回はゲシーベの種類についてわかったことをまとめようと思う。

私と夫はよく家の近所の森を散歩するのだが、散歩のついでに綺麗だなと思う石や見た目の面白い石をよく拾って来る。夫は漬物石サイズの石、私は小石やジャガイモ程度のものをよく集める。

森の中で面白い石を探しているところ

拾った石は、特に気に入っているものは家の中に飾り、サイズがちょうど良いものは庭の花壇の区切りに使ったりする。あとは他に使い道が思いつかないので、庭に適当に並べてある。

どうすんのこれ?と思わないでもないけど、、、

しかし実は、これらの石がどういう種類の石なのか、今まで全然わかっていなかった。ちょっと調べてみようという気になったのは、先日、給水塔の写真を撮りに訪れたベルリン近郊の町、Fürstenbergの博物館でゲシーベに関する展示を見たためだ。Museum Fürstenwaldeはいわゆる郷土博物館なのだが、地下にゲシーベ展示室があり、充実したゲシーベコレクションが見られるのだ。

ゲシーベ標本の棚

どうしてかわからないけど、私、こういう標本棚にすごく惹かれるのだよね。いつまで見てても飽きないというか、すごくリッチな気分になれるというか。この日も「わ〜。ゲシーベっていろんな種類があるなあ〜」と喜んで眺めていたのだが、見ているうちに「うちの庭にあるゲシーベたちはこれらのうちのどれとどれなんだろうな?」と知りたくなった。

 

そこで、一般向けにわかりやすく書かれた北ドイツの石の本を読んでみた。左の本は北ドイツのゲシーベ全般について説明したもの。右のはバルト海の海岸の石の本。バルト海の海岸はコロコロしたカラフルな石でぎっしりだが、それらも基本的にブランデンブルク州で見られるのと同じゲシーベである。海岸では波に打ち砕かれて小さく丸くなっている。

 

 

バルト海で拾って来た小石もたくさんあるので、それらを含めた手持ちのゲシーベと本に載っている写真を見比べながら読んだ。えーっと、では、わかったことを簡単にまとめていこう。

まず、むかーし学校の地学で習ったことのおさらいから。岩石の種類には大きく次の3つがあったよね。

1 火成岩  マグマから固まってできた岩石

2 堆積岩  降りつもったものが固まってできた岩石

3 変成岩  既にある岩石に熱や圧力が加わって変化してできた岩石

 

 

1のグループの火成岩は、さらに深成岩、火山岩、半深成岩というサブグループに分けられる。それらの詳しいことは置いておいて、ゲシーベの中で最も多い岩石は花崗岩だ。花崗岩はどんな石かというと、日本ではよくお墓の石に使われるまだら模様の硬い石。御影石と呼ばれているよね。

 

日本の墓石はグレーっぽいのが多いけど、花崗岩にはいろんな色のものがある。花崗岩に含まれる主要な鉱物は石英と長石だが、その隙間に混じった他の有色鉱物によっていろんな色を帯びる。

 

断面。ピンクっぽくて綺麗。

 

ゲシーベに関するkristallin.deというサイトの画像ギャラリーに似たものがないか、探してみた。

 

うーーーん、似たようなのがいくつもあって特定するのが難しい。Karlshamn-Granitという花崗岩が一番近いように見える。もし、推測が当たっているとすれば、スエーデン南部のブレーキンゲ県にあるカールスハムンという町から転がって来たということになる。カールスハムン花崗岩は比較的若い石のようだ。とはいっても14億年前くらい前に生成されたって、気が遠くなるほど昔だね。カールスハムン、どんな町なんだろう?うちにあるこのピンクがかった石の兄弟石があちこちにあるのだろうか。行ってみたくなるじゃないか、カールスハムン。(うちの子はカールスハムン花崗岩じゃないかもしれないけど)

花崗岩は硬くて風化しにくいので、大きな塊のままドイツまで移動して来ることがが多かった。だから、迷子石(詳しくは前回の記事を参照)には花崗岩が多いんだって。

 

次のグループは斑岩。花崗岩と同じ1の火成岩の仲間だが、サブグループは火山岩。地表付近で急激に冷えて固まったのでヒビがあって割れやすく、迷子石として見つかることは稀。つまり、小さいものが多い。

 

おおっ!これは特定できた。特徴的だからたぶん間違いない。発表致します。この子はGrönklitt-Porphyr(グランクリ斑岩)。スエーデン中部のダーラナ県の出身です。ところで、化石には示準化石といって、それが含まれる地層が堆積した地質年代がわかる化石があるが、ゲシーベにも示準ゲシーベがあるらしい。このグランクリ斑岩は示準ゲシーベの1つ。つまり、斑岩系のゲシーベの中ではよく見つかるものみたい。

 

 

さて、次は2のグループ、堆積岩を見ていこう。

砂岩

砂岩は主に石英の砂つぶが固まってできたもの。砂岩にもいろいろあるみたいでなかなか難しいけど、こういう縞模様ができているものは見分けやすいな。

 

 

フリント

フリント(燧石)も堆積岩の仲間。割ると断面はツルツルとして光沢があり、へりはナイフのように鋭利だ。この特徴から石器時代には矢じりや小刀など道具に加工して使われていた。「火打ち石」の名でも知られている。ドイツ語では一般的にはFeuersteinという。「Feuer(火)Steinn(石)」って、もろそのまま。ドイツ各地の考古学博物館ではフリントの石器が必ず見られる。

 

バルト海のリューゲン島には広大なフリントフィールドがある。地面がフリントで埋め尽くされている。この光景を初めて見たときには一体これは何だろうとびっくりして、石の上に座り込んで1時間以上、石を見ていた。

こんなにぎっしりではないが、ブランデンブルク州でもフリントがあちこちで見られる。バルト海の底で形成されたものがゲシーベとなって南へと押されて移動して来たから。フリントはブランデンブルク州をはるかに超えてザクセン州のドレスデンの南まで移動していた。フリントの見つかる限界線Feuersteinlinie(フリントライン)は40万年前に始まり32万年前に終わったエルスター氷期の末端部(エンドモレーン)とほぼ一致しているので、地面の中にフリントが見つかれば、その場所はエルスター氷期に氷に覆われていたということになる。フリントについて書き始めると長くなりそうなので、また別の機会に。フリントについては過去記事に詳しくまとめた。

そして最後は3のグループ、変成岩のゲシーべ。

 

よく見られる変成岩のゲシーベは片麻岩(Gneis) 。

以上、北ドイツで見られるゲシーベの種類をざっくりとまとめてみた。ゲシーベにはこの他、化石を含んだ岩石や琥珀などもある。ドイツの化石についてはたくさん記事を書いているので、ご興味のある方はカテゴリー「古生物」からどうぞ。琥珀についてはよかったら過去記事を見てね。

さて、北ドイツでの石拾いが楽しいということは伝わっただろうか。先日、知人とお喋りしていたら、彼女が「なんでも突き詰めると地理と歴史に行き着くよね」と言った。名言だと思った。そう、この世に存在するものはすべて、空間と時間という2つの軸のどこかに位置している。うちの近所に転がっているゲシーベは遠い遠い昔、スカンジナビアのどこかで形成され、長い長い旅の末にここ、ブランデンブルクにたどり着いた。私もスカンジナビアよりもずーっと遠い日本からたどり着き、ここで生活している。ゲシーベと私はどちらもドイツ生まれではない、よそ者。なんだか奇遇だね。

ゲシーベについてもっと詳しくわかったら、「発展編」を書こう。

 

まだまだ続くシュヴェービッシェ・アルプ洞窟探検旅行、次の目的地はアハ渓谷シェルクリンゲン(Schelklingen)にある洞窟、ホーレ・フェルス(Hohle Fels)だ。ホーレ・フェルス洞窟からは1830年代以降、アナグマやマンモス、野生の馬の骨や石器時代の道具などが発掘されて来たが、2008年の再調査において、考古学的記録を塗り替える約4万2500年前のヴィーナス像と横笛が見つかった。これまでに発見された中で最も古い、人をかたどった芸術作品と楽器である。また、ホモ・サピエンスだけではなく、さらに時代を遡った6万5000年前頃にネアンデルタール人が同じ洞窟には生活していた証拠もあるという。

 

 

シュヴェーヴィッシェ・アルプの一般公開されている洞窟群は冬季はコウモリ達が中で冬眠するため、10月末、または11月のはじめに閉鎖される。その洞窟により見学できる期間が多少異なり、私たちは10月の終わりから11月のはじめにかけて休暇を取ったので、ギリギリ入れるか入れないかだった。ホーレ・フェルス洞窟に着くと周りに人影はなく、入り口のフェンスが閉まっていたので「遅かったか」とガッカリしていたところ、地元の人と思われる男性が数名の客人を連れて近づいて来た。声をかけると、今年の一般公開期間は前日に終了したが、自分は管理者の一人で、特別に案内してもいいと言ってくれた。たまたま良いタイミングで洞窟に着いて運が良かった!

 

洞窟入り口。

 

入り口はトンネルになっており、その奥にドームのような空間が広がっている。

 

想像していたよりも大きくて圧倒される。これは下から上部を見上げたところ。空間の大きさは6000立方メートルだそうだ。

出土されたヴィーナス像と横笛はブラウボイレンの先史博物館に展示されている。

後日、博物館で撮影したVenus of Hohle Fels。フォーゲルヘルト洞窟からの出土品同様、マンモスの牙でできている。

シロエリハゲワシの橈骨から作られた20cmほどの長さの横笛。4万年も前の人々が楽器を作り、音楽を奏でていたとは驚きである。

 

洞窟の上部奥から下を眺める。入り口付近に椅子が並べられているが、こうして見るとまるでベルリンフィルのホールで上部客席からステージを見下ろしているときのようだ。そんなことを考えていたら、案内役の男性が音楽をかけてくれた。プロの演奏家による横笛の演奏を録音したものだそうだ。しばらく聞き入ってしまった。4万年前の人たちがどんなメロディーを奏でていたのかはわからないが、この洞窟の中で同じような音を聴いていたのかと想像すると、とても感動的だった。

最初に発見されて以来、この洞窟ではお祭りのようなイベントがしばしば開催されて来た。戦時中、防空壕や武器の倉庫として使われていたため中断されていたが、1950年からは毎年、洞窟祭りが催されている。ときどき洞窟コンサートも開かれるとのこと。中で火を焚いたら凄いだろうなあ。

 

コンサート動画。

 

 

洞窟体験休暇と名付けたシュヴェービッシェ・アルプでの休暇では、まず洞窟、Charlottenhöhleに入った。(その記事はこちら)次に向かうは同じくローネ渓谷にあるフォーゲルヘルト考古学テーマパーク、Archäopark Vogelherdだ。

 

Archäopark Vögelherdは、2013年にオープンした考古学テーマパークで、フォーゲルヘルト洞窟(Vögelherdhöhle)のすぐ下に位置する。今年、2017年にユネスコ世界ジオパークに認定されたシュヴェービッシェ・アルプの洞窟群は考古学的に非常に重要な洞窟群である。これらの洞窟からは今から約3万2000年〜4万年前に作られたとみられる芸術作品が複数の洞窟の中から次々と発見されているのだ。フォーゲルヘルト洞窟からは氷河時代の様々な動物をかたどった11個の小さな象牙の彫り物が出土されている。

 

フォーゲルヘルト考古学パークを洞窟のある丘の上から見たところ。写真の奥に見える細長い建物はビジターセンター。まだオープンして間もないこともあり全体的にシンプルな印象だが、侮ることなかれ。ここは子どもにも大人にも面白いテーマパークなのである。

私たちはガイドツアーに参加することにした。オフシーズンで肌寒い日だったせいか、ツアーは私たち夫婦と二人のティーンエイジャー連れの家族が一家族のみだった。ツアー内容はパーク内の学習ポイントのそれぞれでガイドさんの説明を聞きながら氷河期(旧石器時代)にローネ渓谷に住んでいた人々の生活を体験しながら回るという趣向だ。

 

最初の学習ポイントでは氷河期に人々が使用していた道具について学ぶ。いろいろなハンドアックス(握斧、ドイツ語ではFaustkeilと呼ぶ)を握らせてもらった。ハンドアックスは氷河期のアーミーナイフのようなもので、一つで切る、叩く、削る、砕くなどのいろいろな手作業を行うことができる。試しに皮を切って見たが、よく切れる。ハンドアックスによく使われるのは主に燧石(フリント、火打ち石)がよく使われる。写真中央に見えるのは木の棒の先に石器を紐でくくりつけた石槍だが、紐で結わえるだけでは取れやすいので、何かで接着しなければならない。

当時は白樺のタールが接着剤として使われていた。(写真の黒い物質)熱して溶かし、熱いうちに道具をくっつけて冷えて固まるのを待つ。ホモ・サピエンスだけでなく、ネアンデルタール人も使っていたという。

 

次のポイントでは獲物を捕まえる体験。ネアンデルタール式の槍とホモ・サピエンスホモ・サピエンス式の矢の両方を獲物めがけて放ってみる。

ネアンデルタール式投げ槍。投げてみたけど、届きゃしない、、、、。食糧を得るのは大変だね。

こっちはホモ・サピエンス式の矢。矢のお尻の部分にドイツ語でSperrschleuderと呼バレる投槍器を当てて握り、投槍器は握ったまま矢だけを飛ばす。ネアンデルタール式の投げ槍よりははるかに軽く、飛ばしやすいが、これも私は獲物に全然当たらなかった。今日の晩御飯はなしか、、、。

と思ったが、夫は楽々と50メートルほど飛ばし、命中。憎たらしい。が、これで肉鍋が食べられるのだから良しとしよう。

別の学習ポイントではローネ渓谷で見つかった様々な動物の骨を観察した。これはマンモスの臼歯。

 

パーク内の学習ポイントを回りながら丘を登り、フォーゲルヘルト洞窟へ。

 

中は外よりずっと暖かい。ここで石器時代の人たちが生活していたのかと思うと、なんだか感動的である。それも、ただ生存していただけではない。3万2000年も前にこの洞窟に住んだ人々は芸術作品まで生み出していたのだ。それらはヨーロッパにおいて最後の氷河期の第1亜間氷期から第2亜間氷期まで続いていたオーリニャック文化の一部をなすもので、シュヴェービッシェ・アルプの他の洞窟で見つかったものと合わせ、これまでに発見された最古の「持ち運べる芸術作品」である。パークの入口のビジターセンターではこの洞窟で出土された11の作品のうち、2つが展示されている。

 

モンモスの牙で作ったマンモスのフィギュア。大きさ3.7cm、重さ7.5g。石器の道具でこんな小さなフィギュアを作るなんて、作者は手先の器用な人だったのだな。

同じくマンモスの牙で作ったホラアナライオンのフィギュア。この洞窟からは、これら二つの他に野生の馬、トナカイ、バイソン、アナグマ、パンサーなどが見つかっている。(こちらのページに一覧写真がある) その中で特に人気で野生の馬はこのテーマパークが属するNiederstotzingen市のロゴになっており、実物はチュービンゲン大学博物館で見られる。

 

洞窟を出ると、日没間近になったせいか、さらに寒くなった。ぶるる。でも、この程度の寒さで寒いと言っていたら、氷河期を生きた人には呆れられてしまう。そんなことを考えているとガイドさんが「さあ、みなさん。最後に石器時代の人たちのやり方で火を起こしてツアーはおしまいです」と言った。やった、暖を取れる!

石器時代の焚き火起こしセット。これは後日、先史博物館で見たものだが、当時の人たちは火を起こすのに火打ち石(フリント)、黄鉄鉱(パイライト)、乾燥させたキノコ(火口として使う)、アザミの綿毛などを使っていた。

 

ガイドさんが火打ち石(フリント)と黄鉄鉱(パイライト)をカチカチと打ち合わせると火花が散った。火花を素早く乾燥キノコに接近させて発火させる。

発火したら素早くアザミの綿毛と藁で包み、巣のようなものを作る。

それを手に持ってフウフウ吹く。結構な肺活量が必要そうだ。

やった!

あったかいねー。


煙たいのですぐに出てしまった。

1時間ほどのツアーだったが、かなり面白かった。子どもも楽しめるのはもちろん、大人にとっても為になる内容だ。まだ新しいテーマパークなので、今後は一層充実していくだろう。私はこれまで石器時代に特別興味を持っていたわけではなく、先史博物館などに石器がずらりと展示されているのを見ても、何がどう違うのか今ひとつピンと来ていなかった。しかし、この考古学パークで石器時代の手ほどきを受けたおかげで、この後訪れた博物館ではハンドアックスなどの道具が急に生き生きとしたものに見えて来た。たとえ真似事ではあっても自分で少しでも体験してみることで、それまで自分とは無関係と思われたものが意味を持ち始めると実感した。

 

ドイツ語だけれど、関連動画を見つけたので、興味のある方は是非、見てみてください。