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「あれ、どうしたの?首から上が真っ赤だよ」

コスタリカ旅行の最終日。朝、目を覚まして夫の顔を見て、思わずつぶやいた。夫は色が白く、日に当たるとすぐに肌が真っ赤になる。でも、昨日は日焼けするほど暑かったっけ?

「え、そんなに赤い?」

「まるでヒメコンドルみたいだね」

屍を探してコスタリカの空を飛び回るヒメコンドルの禿げた赤い頭が思い浮かんだのだ。

「酷いなあ」

私の冗談に憤慨しつつ、夫は起き上がった。この日はポアス火山を見に行くことになっていた。でも、私は出かけるべきかどうか迷っていた。というのも、前の晩からお腹の調子が悪かったのだ。胃腸が弱い私は、熱帯を旅行すると、すぐにお腹を壊してしまう。コスタリカは安心して水道水の飲める国だとされているけれど、少しづつ細菌が体内に蓄積されてしまったのだろうか。今日のトレイルは残念だけどパスして、夫には一人で行ってもらおうか。

しばらく悩んだが、せっかくチケットを購入したし、今日が最後と思うとベッドで寝ているのも惜しい気がして、やっぱり出かけることにした。活性炭の錠剤を水で胃に流し込んで、車に乗り込み出発した。公園のエントランスでヘルメットを借り(義務)、まずは火口の見えるプラットフォームに向かう。火口まではエントランスから300mほどで、あっという間に着いた。

煙を上げるカリエンテ湖(Laguna Caliente)の火口

世界最大級の大きさを誇る火口はモクモクと煙を上げていた。すごいスケールだ。プラットフォームにまで強い刺激臭が漂って来て、むせそうになる。あまり長くはいられない。

プラットフォームからもう一つの火口湖であるボトス湖(Laguna Boto)へ直接続くトレイルは現在閉鎖中で、いったんエントランスに戻り、El Canto del los Avesという森の中の坂道を登る必要がある。長めのトレイルなのでお腹が心配だったが、せっかくここまで来たのだから湖も一目見て帰りたい。幸い、トレイルは思ったほどハードに感じなかった。それなのに、「ああ、けっこうキツいな、これ。」と夫は辛そうなのである。おかしいな、と思った。体力のある夫は、普段、この程度のハイキングで弱音を吐くことはない。

ボトス湖

山道を登りきり、ボト湖に到着。エメラルドグリーンの水を湛えた湖は神秘的な美しさだ。しばらく眺めていたかったが、10分もしないうちに夫が「もう下りよう」と言うので、すぐに戻ることにした。山道を一気に下りて駐車場に戻り、そのまま宿に帰った。

そこからが大変だった。ポアスで私たちが泊まっていたのは、グランピングテントなるものだった。ドーム型をした、こんなテントである。

ネットでたまたまこの宿泊施設を見つけたとき、こういうのも面白いんじゃないか、一度試しに泊まってみたいと思って予約したのである。

内部は比較的広く、ベットとテーブル、チェアーが置かれ、小さなキッチンとシャワーもついている。天井には大きなスクリーンのテレビまであって、テントとはいっても贅沢な感じ。ビニールの窓部分からの眺めも良い。これは快適そうだ。

着いたときにはそう思ったのだが、実はこのテントには重大な欠陥があった。内部の温度調整ができないのである。ここは標高2000m以上あるので、日が沈むと一気に寒くなる。でも、それはまだよかった。毛布が二枚重ねになっていたし、宿主からポータブルヒーターを借りることもできる。問題は昼間だった。午後になると、耐えられないほどテントの中が暑くなってしまうのだ。

ポアス火山から戻った夫は「少し横になって休みたい」と言う。え、こんな暑いところで、とても寝られないでしょう?と思ったけれど、他に横になる場所はない。少しでも涼しい空気を入れようとドアを全開にし、備え付けの扇風機をフルに回した状態で夫はしばらく眠った。私は暑すぎてとても中にはいられず、外の日陰に座って日が沈むのを待った。

休んだら良くなるどころか、夫の体調は急激に悪化した。暑い暑いと訴えるので濡らした冷たいタオルを額に乗せると、しばらく後、今度は寒い寒いとガタガタ震え出す。「体温がうまく調節できない。頭は熱いのに手足は冷たいんだ」。それを聞いて、「マラリア」という言葉が一瞬頭をよぎる。いや、マラリアではないだろう。蚊のいない季節を選んで来ているし、実際、蚊には刺されていない。では何?コルコバード国立公園で私たちは、虫除けスプレーを使っていたにもかかわらず、身体中を小さなダニに噛まれていた。ダニが何か病気を媒介したのだろうか?でも、ネイチャーガイドさんは「ダニに噛まれても特にリスクはない」と言っていたではないか。それとも、ポアス火山で気分がすぐれなかったのは単なる疲れで、戻ってからこのドームテントの気狂いじみた暑さの中で寝ていたので熱射病になったのだろうか?ああ、こんな宿に泊まるんじゃなかった!

朝食以来、何も食べていなかったが、夫はとても食事に出られる状態ではないし、私はお腹を壊していて翌日のフライトまでに治らないと困る。何も食べない方がよいだろうと思い、ただひたすら水だけを飲んで朝になるのを待った。とにかく無事に家に帰らなければならない。辛く長い夜だった。

夜が明けて、そこからは思い出したくもない地獄。くねくね曲がる長い山道を下りて首都サン・ホセまで戻り、レンタカーを返し、空港で長い列に並び、飛行機を乗り継ぎ、ベルリンの空港近くの駐車場に預けてあったマイカーを取りに行き、、、。二人とも絶不調の中、どうにかこうにかやっとの思いで帰宅した。途中で倒れなかったのが不思議なくらい。しかし、自宅に戻ったものの、夫の体調はますます悪化していくように見えた。これは、熱中症ではないのでは?すぐに医者に見せた方がいいだろう。熱帯病かもしれない。

夫を車に押し込み、ベルリン医大病院の熱帯病研究所外来へ運んだ。ひとまずインフルエンザ、コロナ、マラリアの検査がなされ、そのいずれでもないことが判明したが、炎症を示す値がとても高いとのことで、そのままシャリテ大学病院の感染症病棟に入院し、抗生剤の点滴投与を受けることになった。詳しい血液検査の結果が出るには数日かかる。私は気が気ではなく、夫の症状が当てはまる病気がないか、ネットで検索したところ、それらしき病名がヒットした。

レプトスピラ症

スピロヘータに汚染された水や土壌との接触によって起こる感染症、どうもこれらしい。熱帯病ではなく、ほとんどのケースは軽症だが、稀に重症化し、最悪の場合は命を落とすこともあると書いてある。それを読んでゾッとしたけれど、幸い、早々に専門家の手に委ねることができたから大丈夫だろう。でも、いったいいつ、どこで感染したんだろう?コスタリカ滞在中、何度も滝壺で泳いだり、ジャングルの中でぬかるんだ場所を歩いたりしている。でも、滝壺のように流れの速い水が汚染されていたとは考えにくいし、ぬかるんだ川べりを歩いたときはゴム長靴を履いていた。私たちはほぼ常に一緒に行動していたので、夫だけが感染したというのも不思議である。

あっ!

あのときかもしれない。頭に浮かんだのは、ドラケ湾の集落で橋が壊れていて、しかたなく車ごと川を渡ったときのことだ。(詳細は「オサ半島での最後の日々 〜 またもやハプニング」)

このとき、川底に穴が開いていたり、角ばった石があってパンクでもしては大変だと、夫は車を下り、歩いて川を渡って川底の状態を確認した。その直後、牛の群れがぞろぞろと川を渡っていったのだ。

牛たちは、毎日、あの川を行き来しているに違いない。水の中に糞尿を垂れ流す牛もいるだろう。川の水は特に汚くは見えなかったけれど、家畜が通り、生活用水が流れ込んでいるかもしれない川が汚染されていたとしても不思議はない。夫がこの川を歩いて渡った際、足の擦り傷かどこかから細菌が体内に侵入した可能性は少なくない。

ああ〜〜〜。

毒ヘビや毒グモのいるジャングルの中では常にあたりに注意を払っていた。人の住む集落に戻って来た途端に気が抜けて、油断してしまったということか。でも、もとを正せば、四輪駆動の車を借りなかったということが最大のミスだったのだ。そのせいで今回の旅のほぼ全行程にわたって悪路に悩まされることになり、ついには夫が病に倒れるという結末を迎えてしまったのだ。

まさに、悪夢に始まり、悪夢に終わったコスタリカ旅行だった。

幸い、これを書いている現在、夫はすでにすっかり回復しており(検査の結果、やはりレプトスピラ症だった)、いろいろあったけど楽しかったねなどと二人で話している。旅にハプニングはつきものとはいえ、ハプニングが重なり過ぎた。同時に楽しい時間や心躍る瞬間も多くあり、いろんな意味でとても濃厚な旅となった。きっとずっと私たちの記憶に残るだろう。

 

(コスタリカ・ジャングル旅行2024の記録はこれで終わりです)

およそ3週間に渡るコスタリカ旅行が終わろうとしている。最後の滞在地に選んだのは、コスタリカ北部に位置するポアス火山国立公園(Parque Nacional Volcán Poás)だった。その中心となるポアス火山は、標高2,697mの成層火山で、コスタリカの火山のうちで最も噴火活動が活発な火山である。火口を間近に見られる数少ない活火山の一つだが、2017年4月の大噴火時には近隣住民や旅行者が避難するほどの事態となり、公園はしばらく閉鎖されていた。2018年9月からまた入場可能になっているので行ってみようと思ったのだ。

ところが、コスタリカに来てまもなくの頃、ローカルな食堂で食事をしていたら、店内のテレビがついていて、たまたまニュースが流れていた。なんと、ポアス火山の映像とともに、「ポアス火山は昨年12月より、断続的に噴火活動が続いています。危険防止のため、近々、公園は閉鎖されるかもしれません」と言っているではないか。すでに宿は予約してしまっているので、公園に入場できない事態になったら、予定を変更しなければならない。以来、ヒヤヒヤしながらこちらのサイトの情報をこまめにチェックしていた。

幸い、滞在予定日直前になっても公園は閉鎖されていなかったので、予定通り、向かうことにする。それまで滞在していたロス・ケツァーレス国立公園(Parque Nacional Los Quetzales)からは国道2号を北上し、首都サン・ホセを経由してさらに北上する。ロス・ケツァーレスからしばらくの間は山道を登るので、標高が高くなるにつれて視界に霧がかかり始めた。そしてそのうち、霧は厚い雲となった。

分厚い層雲が広がっている。これは、もしかして雲海というものでは?

さらに北上すると、ラ・チョンタ(La Chonta)という集落に国道沿いのサービスエリア的なものがあったので、休憩することにした。コーヒーを注文してレストランのテラス席につくと、目の前に広がっていたのはこの景色!

これぞ「雲海テラス」!雲海は、様々な気象条件が揃わないと見ることができない稀な自然現象だと思っていたので、予期せずに見られて感動した。コーヒー一杯でこんな景色が見られて、得した気分。間違いなく、これがこの日のハイライト。

 

と思っていたら、なんとまだ続きがあったのだ。ポアス火山国立公園近くの宿に着き、公園入り口の近くにサンセットスポットがあると知ったので、日の入り少し前に行ってみた。

 

首都サン・ホセを見下ろす山の上で見たものは、夕陽でオレンジ色に染まりゆく空の下、ゆっくりと広がる雲海だった。

こんな日ってある?

 

 

前回はニセコ町の北に位置するニセコ連峯のジオサイトについて記録した。今回はニセコ町の東にそびえる羊蹄山周辺のジオサイトについて。

日本百名山の一つである羊蹄山は標高1898m。溶岩や火山砕屑物などが積み重なってできた成層火山で、富士山に似た美しい円錐状のかたちをしていることから蝦夷富士とも呼ばれる。その存在感は圧倒的。上川地方出身の私にとっては、山といえばなんといっても大雪山系の主峰、旭岳なのだけれど、今回、道央を回って羊蹄山の勇姿を何度も見て、すっかり羊蹄山ファンになった。

雲が切れて、ほぼ山頂まで姿を現した 羊蹄山

ここでも『行ってみよう!道央の地形と地質』を見ながら、京極町から倶知安町まで、羊蹄山周辺のジオサイトを回る。

 

まずは羊蹄山の西側に回って、湧水の湧き出る京極町のふきだし公園へ。

思っていた以上にすごい!ここふきだし公園で1日に湧き出す水の量は8万トンだという。湧き出している水は、羊蹄山を形成する岩石の隙間にしみ込んだ雪解け水や雨水だ。ゆっくりと山体の内部を降りて来た水は、麓の水を通さない粘土層に到達すると地表に湧き出して来る。

ふきだし公園の湧水は環境庁の名水百選に選ばれている。自由に汲んでよいので、容器を持って汲みに来ている人がたくさんいた。ちょっと味見してみたら、確かにとてもおいしい水だった。

 

ふきだし公園から国道275号線をそ1.5kmほど北上したところには、溶岩の流れた跡が観察できる場所がある。

大きな塊の部分には柱状節理が見られ、その上下は細かい構造の層。溶岩流といえば、イタリアのシチリア島アルカンタラ渓谷の風景を思い出す(記事はこちら)。あの景色もすごかったなあ。

 

もう1箇所とても興味深かったのは、倶知安町高砂地区にある露頭。高砂地区には陸上自衛隊の駐屯地があり、敷地の縁が崖になっている。

崖は一面、草に覆われているが、

よく見ると、1箇所、地層が見えているところがあった。

近寄って見ると、ねっとりした粘土の地層である。真ん中ほどの位置の焦げ茶色をした層は、資料によると羊蹄山の噴火によって堆積したスコリア層。粘土層の表面を擦って剥がすと、中はくすんだ青色をしている。

この地層は「湖成層」と呼ばれ、ここがかつて湖だったことを示している。この地層は湖の底に堆積した粘土が固まったものなのだ。黒っぽい細かい横縞がたくさん入っている。季節などの要因によって粘土の量が増えたり減ったりしたためにこのような縞模様ができたのだそう。

縞模様が乱れているところは、湖に住む生き物によって泥がかき乱された跡。倶知安町はかつてそのほぼ全域が湖だった。その湖は町の南部を流れる尻別川が堰き止められてできていたが、川を堰き止めていたものがなくなったことで湖の水はなくなり、湖の底にあった地層だけが現在まで残っている。倶知安の湖成層からは当時、湖に生息していたケイソウなど、微化石が多く見つかるらしい。(もちろん、肉眼では見えない)

数年前からときどき趣味で化石採集をするようになって感じるようになったのは、地球環境は常に変化しているのだなあということ。まったく何の予備知識もないまま初めて化石採集に行ったのは南ドイツだったが、海から遠く離れた場所なのに、地層から海の生き物の化石が出て来て驚いた。でも、よく考えてみれば不思議なことではなく、地球は人間の時間をはるかに超えるスケールの時間の流れの中で変化し続けている。それを意識するようになってから、風景を見にしたときの感じ方が変わった。今、目にしている風景は、止まることのないダイナミズムのある一時点を切り取ったものに過ぎないのだよね。

 

 

この記事の参考文献:

北海道大学出版会 『札幌の自然を歩く 第3版 道央地域の地質あんない

北海道大学地質学会北海道支部 『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地質と地形

 

 

 

 

 

最近、なにかと話題のニセコ町。過疎化した小さな町だったのが、上質のパウダースノーを求めてやって来る海外からのスキー客向けに外国資本のリゾートホテルが次々に建てられ、移住者も増えているという。さらには、国からSDGs未来都市にも選定され、国の内外から注目されている。そんな話をネット上でもよく目にするようになった。

今回、私たちもそのニセコ町に滞在することにした。とはいっても、スキーシーズンでもないし、高級リゾートホテルに泊まるお金もない。私たちの今回の旅の目的はジオサイトを見て回ること。贅沢は必要ないので、ニセコ町に小さなコテージを借りて自炊することにした。ところが、行ってみると、コテージは思った以上に簡素だった。予約する際によく確認しなかったのが悪いのだが、エアコンがないのはまあいいとして、お風呂もシャワーもついていないということが現地に着いてから判明。ええっ、と驚く私たちにオーナー夫婦は「ニセコには温泉がたくさんありますから、お風呂に入りたかったら温泉へ行ってください」と言う。猛暑だというのにシャワーもないなんてとうんざりしたが、ニセコは実際、温泉天国なのだった。

というのも、ニセコ町の北西には東西25kmに渡ってニセコ連峯が連なっている。ニセコ連邦は200万年以上も活動を続ける火山群である。中でもニセコ町に近いニセコアンヌプリからイワオヌプリにかけては、約10万年前から活動を開始した新しい火山だ。温泉湯本を始めとするジオサイトがたくさんある。

まずはイワオヌプリの中腹にある、五色温泉の源泉を見てみよう。

五色温泉の源泉は、すり鉢状をした直径250mの爆裂火口である。地面は白っぽく変質し、水蒸気爆発で吹き飛ばされた岩塊があたりに散らばっている。

湯の谷に敷かれた給油管

熱水が流れた岩の割れ目に硫黄の結晶ができている。

大きな結晶!

イワオヌプリの登山口付近から見たニセコアンヌプリ

 

次はチセヌプリの麓の地熱地帯、大湯沼へ。

駐車場に着いて車を降りたら、強烈な硫化水素のにおいがする。沼の周りには散策路が設けられているが、火山ガスが強く、健康に害があるので、長時間の見学はしないようにと書かれた看板が立っていたので、鼻を押さえながら早足で沼の周りを回った。

沼の底からブクブクとガスが湧き上がっている。

沼の周りの地面を無数の黄色い小さなツブツブが覆っている。これらは温泉から分離した硫黄が溜まった球状硫黄と呼ばれるもので、中は空洞である。

大湯沼を見た後は、道道66号を北上してチセヌプリの北の神仙沼自然休養林へ。神仙沼レストハウスの北側にある展望台へ登りたかったが、霧がかかっていて何も見えそうにないので諦めた。レストハウスでお昼ご飯を食べていたら少し霧が晴れて来たので休養林を歩くことにした。

木道入り口。左右にツタウルシが多いので注意。

木道をしばらく歩くと視界が開け、そこには湿原が広がっていた。

神仙沼湿原はチセヌプリが山体崩壊を起こし、崩れた山体の一部が岩屑なだれとなって山の北側に堆積したことによって形成された高層湿原だ。蓄積した泥炭層の隙間が雨水や雪解け水で満たされた池塘が点在する。

池塘のあちこちでトンボが産卵している。

神千沼

これまでに低層湿原は何度も歩いたことがあったが、高層湿原は初めて。静かでとても神秘的な風景だった。

 

この記事の参考文献:

北海道大学出版会 『札幌の自然を歩く 第3版 道央地域の地質あんない

北海道大学地質学会北海道支部 『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地質と地形

北海道ジオ旅行開始から1週間。遠方から帰省した弟夫婦に加え、道内に住む母も合流したので、みんなで温泉に1泊することにした。選んだのは、北海道に数多くある温泉の中でも特に知名度の高い登別温泉である。

クッタラ火山の活動が生み出した登別温泉は湯量が豊富で、泉質の種類が多いことで知られる。「温泉のデパート」と呼ばれたりもする。

でも、私は暑がりでのぼせやすいので、実は温泉に入ることにはそれほど興味がない。お湯に入った瞬間は気持ちがいいけれど、暑くてすぐに出たくなってしまう。それぞれの温泉には異なる効能があるのだろうけれど、健康効果が得られるほど長く入っていられない。そんなわけで、湯巡りよりも自然景観を眺める方により興味があった。

夕方に温泉街に到着しホテルに荷物を置いたら、さっそく登別温泉の泉源である地獄谷を見に行った。

さすが地獄谷と呼ばれるだけあって、迫力満点。日本に住んでいると、こういう景色はそこまで珍しいものではないけれど、私の住んでいるドイツでは目にすることがないので、火山好きの夫にこれを見せたかったのだ。地獄谷の複雑な地形は、繰り返し起きた爆裂の火口が重なり合うことで形成されている。

谷を流れる湯の川

噴気孔

析出した硫黄

 

翌日の朝、家族は温泉街の散歩に出かけた。泊まっていた第一滝本館のすぐそばの泉源公園に間欠泉があるという。私はその日の朝はなんとなくダラダラしたい気分だったのと、間欠泉はアイスランドのゲイシールを見たことがあるから別にいいかな、、、と思ってパスした。しばらくして帰って来た家族が、「ちょうど噴き出す時間帯だった。なかなか凄かったよ」と言って、撮った動画を見せてくれた。しまった、これは見に行けばよかった!

 

午後は地獄谷から道道350号倶多楽公園線を登って大湯沼へ。

大湯沼の後ろにそびえるのは日和山。

沼からもうもうと湯気が上がっている。表面の温度は40〜50℃ほどだけれど、沼底は130℃を超えるとのこと。

こちらは奥の湯。表面温度は大湯沼よりもさらに高く、75〜85℃。

 

大湯沼駐車場から数分のところに大湯沼川探勝歩道への入り口があり、天然足湯ができる場所もあるらしかったが、暑い中、母を歩かせるのはかわいそうなので、そのまま車に乗り込み日和山展望台へ向かった。

日和山展望台から見た日和山の山頂。噴気孔からゴウゴウすごい音を立てて白煙が上がっている。

展望台にある説明看板によると、「日和山」の名は、昔、太平洋を移動する船が山から立ち上る噴煙の量や流れる方向を見て天気を判断していたことから来ているそうである。

倶多楽公園線はクッタラ湖へと続いている。透明度が高く、ほぼ円形をした美しい姿が人気だと読んで楽しみにしていたのだけれど、観光シーズンを過ぎているからか人気はなく、車を停められると思った場所にうまく停められなくて、湖畔に降りられなかった。そんなわけでクッタラ湖の写真は撮り損ねてしまった。でも、以前の北海道への帰省写真を見返したら、飛行機の中から撮った写真にクッタラ湖が写っていた。

手前に見える外輪山がくっきりの湖がクッタラ湖。

クッタラ湖はおよそ4万年前の噴火活動によってできた。地図上では小さい湖のように感じられたのに、上空から見るとかなりインパクトがあるなあ。

これまでは温泉を「効能のあるお湯のお風呂」としか捉えていなかった。日本人で生まれて、温泉があまりに身近でその不思議さを意識していなかったのだと思う。今回、久しぶりに温泉に入って、温泉を地球の活動という観点考えるのも面白いんじゃないかという気がして来た。

北海道ジオパーク・ジオサイトの旅はさらに続く。

 

この記事の参考文献・サイト:

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地形と地質

登別国際観光コンベンション協会ウェブサイト

 

石狩市望来海岸を楽しんだ後は、次は洞爺湖有珠山UNESCO世界ジオパークへ移動した。日本で初めて世界ジオパークに登録されたジオパークで見どころが多いので、2泊滞在してじっくり楽しむつもりだった。

ところが、お天気がパッとせず、特にフルに使える予定だった2日目は終日雨。残念ながら充分に見て回ることができたとは言えないけれど、いくつかの場所を見ただけでも、このジオパークは凄い場所だなと感じた。忘れないように記録しておこう。

洞爺湖はおよそ11万年前の巨大な火山噴火によって形成された窪地に水が溜まってできた直径およそ10kmのカルデラ湖で、その中央に中島と呼ばれる島群を持つ。洞爺湖のすぐ南には周期的に噴火を繰り返す有珠山がそびえる。1977- 78年の噴火時には私はまだ小学生だったけれど、連日ニュースで噴火について報道していたのを覚えている。当時は何が起こっているのかよく理解していなかったものの、有珠山の名前はかなりのインパクトを持って脳内に刻み込まれた。

まずはロープウェイに乗って有珠山に登った。

向こうに見える赤い山は、昭和新山。山というものは、はるか昔からそこにあるものと普段なんとなく思っているので、自分が生きている時代に新しく誕生したという事実が不思議でとても気になる。

丸く高く盛り上がった溶岩ドームの周りには緑色の尾根山が低く広がっていて、上から見るとなんだか新鮮な卵で作った目玉焼きみたい。有珠山は活動の場を変えながら噴火を繰り返し、次々と新山を作って行くのが特徴。有珠山から噴出するデイサイトと呼ばれる粘り気の強い溶岩は流れにくく、地面を押し上げて新しい山を作ったり、地表に現れて溶岩ドームになる。昭和新山よりも以前の明治時代にできた新山は「明治新山」と名付けられている。明治の噴火の後に温泉が発見されたことで洞爺湖温泉が発展することになった。

これは下から見たところ。山肌の赤い色は、昭和新山ができる前にそこにあった土壌がマグマの熱で焼かれて天然のレンガとなったためで、地表の温度は現在でも高いところは100℃くらいあるそうだ。もとは平坦な麦畑だったところが突然、隆起を始め、あれよあれよという間に山ができたというのが本当に不思議。そして、その成長の様子をつぶさに観察し、記録していた人がいるという事実に驚嘆する。

観測者は当時、地元の郵便局長だった三松正夫氏。三松氏による新山隆起図はミマツダイアグラムと呼ばれて世界的に知られるようになった。三松正夫記念館という資料館もあって、氏の残した記録や資料が展示されているそうだけれど、今回は見る機会を逃してしまった。

ロープウェイ降り場から少し歩いて有珠山火口展望台に到着。右手前から大有珠、オガリ山、小有珠が連なり、その左下方に火口(この写真では見えない)がある。

銀沼火口。説明パネルによると、ここはかつては森林に覆われた静かな沼だった。1977-78年の噴火で植生が破壊され、銀沼は火口原となった。オガリ山は分割され、小有珠は沈み、長閑な景観は大きく様変わりした。

丸かった大有珠山頂もかたちが変わってギザギザに。あのときの噴火は、やはりとてつもない規模の噴火だったのだなと実感する。

 

山を降りた後は、洞爺湖ビジターセンター・火山科学館へ。

この施設では2000年の噴火時の被害を実物展示で見ることができる。この噴火時には私は日本にいなかったので、噴火のニュースは耳にしたものの、詳しくは知らなかった。

ぐにゃりと曲がった線路

火山科学館のシアターで見た映画もとてもわかりやすくてよかった。

 

翌日は、雨の合間に金毘羅山火口展望台へ。

展望台から見た洞爺湖と中島

有くん火口

2000年の噴火時に金毘羅山にできた火口群の一つ、有くん火口のエメラルドグリーンの水が綺麗。マグマが地下水と接触して水蒸気爆発を起こし、噴出物がこのように火口の周りに高く積まれた状態になったものを「タフコーン」と呼ぶと知った。水蒸気爆発でできた火口に水が溜まった「マール湖」という地形がドイツのアイフェル地方にあるが、火口の周りにはこのような目立った高まりはなく、水をたたえた火口はレンズのようだ。爆発が激しいと噴出物は遠くに吹き飛ばされて、火口の周囲に溜まらないためらしい。私は神秘的なアイフェル地方のマール湖が大好きなのである。(見学記はこちら

展望台から洞爺湖温泉街を見下ろしたら、廃墟のようなものが目に入った。

これらは2000年噴火時に金毘羅火口から流れ出した熱泥流によって被害を受けた建物で、災害遺構群として敢えてそのまま残してあるそうだ。手前は桜ヶ丘団地、奥にあるのは町営浴場。熱泥流の被害は相当な規模だったにも関わらず、住民の避難は迅速に行われて一人の犠牲者も出なかったというのは凄い。これらの遺構を間近に見学できる「金比羅火口災害遺構散策路」が設けられている。

さらに、ピンク色のかつての消防署の建物を起点とした「西山山麓火口散策ルート」というのもある。この消防署の建物の中にも噴火に関する展示があって、興味深い記録写真がたくさんあった。でも、資料館として公式にカウントしていないのか、ジオパークのビジターセンターでもらった案内マップには記されておらず、建物にも係員はいなかった。(でも、ドアは開いていたので勝手に入って展示を見ました。すみません)

消防署の建物の裏手には沼(西新山沼)がある。電柱や標識があってなんだろう?と思ったら、ここはもともとは国道で、マグマが地表を押し上げたことで下り坂だったところに窪地ができ、そこに水が溜まって沼になったとのこと。散策路を進むと地殻変動や災害の跡がよく観察できるらしい。ぜひとも歩きたいルートだったけど、雨が強くなって来たのでやむなく断念。中島へも行きたかったし、まだまだ見たいものがあったので、ちょっと心残りである。

 

 

約1週間滞在したエオリエ諸島。堪能したので再びフェリーでシチリア島に戻り、タオルミーナ(Taormina)へ移動した。

タオルミーナの町は海沿いでありながら、タウロ山という山の中腹、およそ標高200mにある。ピークシーズンを過ぎていたのでそこまで人が多くはなかったが、メインストリートにはブランドショップが立ち並び、緑の多い、小綺麗でお洒落な雰囲気で、シチリア島きっての観光地である。

ドゥオモ広場

が、私たちはエオリエ諸島で坂道ばかり歩いていたので、すでに坂道に疲れていた。それに、1週間分の洗濯物が溜まっていて早く洗いたい。コインランドリーの場所を調べたら、アパートメントから山を20分くらい登った先だと気づき、ゲッソリである。道が狭くて車で移動するのも簡単ではないので、娘と洗濯物を入れたエコバックを肩から下げてノロノロと坂道を歩き、町外れのコインランドリーでやっと洗濯を済ませてホッとした。そんなわけでタオルミーナでは休憩モードで、あまり積極的に観光しなかった。ロープウェイで海岸に降り、ベッラ島(Isola Bella)でスノーケリングしたり、アパートのプールで泳いだりして過ごした。

タオルミーナについてはそれほど記録することがないが、一つだけ書いておきたいのはこのギリシア劇場についてだ。この劇場にはギリシア時代のオリジナル部分はほとんど残っておらず、大部分がレンガで修復されている。その点ではシチリア島の他のギリシア劇場ほど古くないが、海を見下ろし、同時にエトナ山を仰ぎ見ることのできるこの立地はやはり特別だ。

シチリア島の多くのギリシア劇場同様、この劇場でもよくコンサートが開催されているようだ。エトナ山を背景に古代の劇場の観客席に座ってパフォーマンスを鑑賞するなんて、想像しただけで素敵だなあ。もしまたここに来ることがあれば、そのときには観劇したいものだ。観劇中に噴火が見えたらダブルパフォーマンスだね、と冗談を言いながらエトナ山の方を眺めていたのだが、

実はまさにこのときエトナ山は噴火していたのだった。この角度からは黒煙は見えないので気付いていなかったのだが、後から知り合った人に「9月21日にエトナ、噴火したよね。うちの車に火山灰が降ったよ」と言われて気になってこのサイトを見たら、私たちがこの劇場に立ってエトナを眺めていた朝に確かに噴火していた。

さて、前置きはここまでにして、本題に進もう。書きたいのは、タオルミーナから国道185号線を北西に車で30分弱のところにあるアルカンタラ渓谷(Gole del’Alcantara)についてである。

柱状節理が見たくてこのジオパークへ行ったのだが、想像以上にすごい!この玄武岩の岩はエトナの北にあるネブロディ山脈からアルカンタラ川が流れる谷へエトナ山の噴火による溶岩流が流れ込んでできた。1万5000年前から4000年前の間に少なくとも3つの溶岩流が谷を流れ、それらが重なった場所では50mもの厚みの岩体となった。柱状節理は溶岩が冷えて縮むときに割れ目ができることで形成されるが、この深い渓谷も、冷えて固まった溶岩表面の亀裂に川の水が入り込み、長い年月をかけてゆっくりと亀裂を押し広げてできたものであるらしい(どうやってできたのか知りたくて、このイタリア語動画を日本語とドイツ語に自動翻訳して見ながら一生懸命考えたけれど、翻訳が不完全なので理解が間違っているかも)。これもまた、シチリア島の母なる火山、エトナ山の噴火活動が生み出した景色なんだなあ。

ほぼ垂直の岩壁の高さはおよそ25メートル、幅は狭いところで2メートルくらいかな。ガイドツアーの参加者らがヘルメットを被り、長靴を履いてざぶざぶと水の中を歩き、奥へ入っていく。ツアーに参加しなくても歩くことはできるけれど、水がすごく冷たいので、素足だと結構つらい〜。

 

 

 

アルカンタラ渓谷を歩いた後は、そこからエトナ公園の周りを西周りにぐるっとドライブすることにした。

アルカンタ川の別の地点、Cascate Alcantaraの景色。水がない川底を見るのも面白い。

 

さらにドライブ。1981年のエトナ山の噴火時にはエトナ山公園の北の郊外にあるランダッツォの町まで溶岩流が到達した。

ランダッツォに流れ着いた溶岩流の跡

この溶岩流でランダッツォのワイン畑は壊滅的な被害を被った。溶岩流はアルカンタラ川の岸辺にまで迫り、もし川に流れ混んで水と接触すれば大爆発を起こす危険があったが、幸いなことにその一歩手前で止まったそうだ。

火山周辺地域での危険と隣り合わせの生活をこうして目にすると、日本のことも思わずにはいられない。

さて、エトナ山公園の周りを1周することで、いろんな角度からエトナ山を見ることができた。ロープウェイで登り、タオルミーナの劇場から眺め、噴火が生み出した様々な景色を歩き、、、、。たっぷりとエトナ火山を観察することができた。火山探検はこの辺でそろそろ終了して、ここから先はシチリア島の他の魅力を味わうことにしよう。

 

とうとう、エオリエ諸島滞在のハイライトとなるイベントとなるストロンボリ島へ行く日がやって来た。

ストロンボリ島は火口からひっきりなしに真っ赤なマグマのしぶきを吹き上げる「ストロンボリ式噴火」で知られる火山島である。夜間は闇の中で山頂が明るく光るので、「地中海の灯台」とも呼ばれている。そのストロンボリ火山に登る計画だった。

ストロンボリに登ろう!と言い出したのは夫で、私もそれに同意したものの、実は不安があった。「ストロンボリ火山に登る」というフレーズにはなぜかすごくハードな響きがあって、自分にできるようなことではないのでは?という気がしていたのだ。リーパリ島からストロンボリ島へは多数のツアーが出ているが、登山ツアーを提供しているのはMagmatrek 一社だけで、他のツアーはボートで島の近くへ行くだけである。そう聞くと、なんだかますますハードコアなイメージである。Magmatrek社のオフィスで「誰でも登れますか?」と聞いたら、「山に登り慣れている人なら」という返事が返ってきた。歩き慣れているとは自信を持って言えるが、山登りの習慣はない。うーん、大丈夫かな。

ストロンボリ火山は標高約900m。しかし、危険防止のため、観光客は標高400mのところにある展望台までしか登れなくなっている。それを聞いてちょっと安堵。400mならヴルカーノ島のフォッサ火山と変わらないのでいけるかな。

しかし、「夕方から登り始め、展望台で暗くなるのを待って噴火を見てから下山します。帰りは暗いのでヘッドランプか懐中電灯を持参してください」との説明にふたたび自信がなくなった。闇の中の下山なんて、経験したことないよ。やっぱり相当ハードなツアーなんじゃ?

「何をゴチャゴチャ言ってるの。大丈夫だって。行ってみてダメそうと思ったら、その時点でやめればいいだけ。予約するよ!」と夫がツアー参加を申し込んだので、ヴルカーノ島での登山の2日後にストロンボリ火山に登ることになった。

 

お昼頃、リーパリ港から少数の他のツアー客とともに小さなボートでストロンボリ島へ向けて出発。このボートが結構、揺れる。

1時間ほどでリーパリ島とストロンボリ島の間にあるパナレーア島に着いた。ここで休憩。パナレーアの美しいビーチでしばし泳ぐ時間がある。真っ青な海。普段なら喜んで水に飛び込むところだが、私は泳ぐのはパスしよう。ここで無駄に体力を使ってはならないのだ。ストロンボリに登れなくなる!それに、泳いだ後、シャワーは浴びられないのだから、塩でベタベタの体で登山することになってしまうではないか。不快要因は一つでも取り除いておきたかった。

その後、ボートはパナレーア島の港へ回った。レストランで腹ごしらえするために上陸する。でも、どの程度食べたらいいものか。何も食べなければ力が出なくて登山できないし、かといって食べ過ぎても体が重いだろう。この時点でもまだ「ストロンボリ火山に登る=ビッグチャレンジ」という先入観で頭がいっぱいの私である。

このパナレーア島は面積わずか3.4km2ほどの小さな島だが、近頃、とても人気があり、ミリオネアの別荘地になっているとか。うーむ、確かに綺麗な島だけど、このような孤島に住んで何をして過ごすのだろう?とちょっと不思議に思わないでもない。

ああ、そうか。ストロンボリ島を眺めながら遊べるっていうのがポイントなのか。確かに特別なロケーションではある。お昼ご飯を食べた後、私たちは再びボートに乗り、ストロンボリ島へ向かった。パナレーア島付近には海底からブクブクと火山ガスが噴き上がっているのを見られる場所があった。すごい!

さらにボートに揺られること30分。ストロンボリ島が近づいて来た。

あれに登るのか?本当に?(まだ疑ってる)

険しい姿に圧倒される。港に到着し、ボートを降りるとMagmatrek社のスタッフに「教会の前で登山ガイドが皆さんを待っているので、行ってください」と言われたので、指さされた方に向かって皆で歩き出す。すでに坂道だった。「これって、もう登山始まってるのかね?」などと言いながら15分ほど坂を登ったところに教会があった。ガイドさんの説明を聞き、登山靴とストックを借りて、いざ出発。「今日はアフリカからシロッコという熱風が吹いているので、夜でも暑いです。20分ごとに休憩しますが、体調が悪くなったら無理をせずに下山してください。ストロンボリに登るのは素晴らしい体験ですが、具合が悪くなってまで登る理由はありません」。えー、やっぱりそんなにキツいの!?

教会を出発してしばらくの間は硬い石畳が続いた。太陽に向かって歩かなければならず、すでに17:00近いのに暑い!ひえー、もうすでに疲れたよ。こんなんで登り切れるのか?

しかし、しばらく歩くと方角が変わり、日陰になった。これなら意外と大丈夫そう?

立ち止まってストロンボリ町と小島ストロンボリッキオ(Strombolicchio)を見下ろす

だんだん急になり、この先は写真を撮っている余裕はなかったが、心配したほどハードではなく、2時間後、無事に北西側の展望台に到着した。

展望台から見た火口

海底へと続く谷、シアーラ・デル・フオーコ(Sciara del fuoco)。海に日が沈んで行く。

今か今かと固唾を呑んで噴火を待つ。

おお!

15分に1回くらいの間隔で起きる噴火を言葉なくじっと見つめて過ごすこと1時間半。

夜空に燃える火口を本当に見ることができた。こんな体験ができるなんて、なんだか信じられない。登って本当によかった。

何度かの噴火を楽しんだら、さあ下山だ。

懐中電灯で足元を照らしながらの夜の下山も、生まれて初めての体験でなんだか楽しい。こんな歳になっても新しい体験ができるんだなあと良い気分で山道を下る。それに登るのも大したことなかったしね!

と言うのはまだ早かった!帰り道の長いこと長いこと。行きとは別のルートで、緩やかだけれど、その分、長い。8kmもあった。最後の方はもう疲れて嫌気がさして来た。やっと教会に着き、登山靴とストックを返却したが、そこで終わりではないのだ。港まで歩かなければならない。ボートに乗り込んだときにはもうヘトヘト。そして、再びモーターの爆音の中、2時間近く激しく揺られてリーパリ島へ帰るのだ。シートには背もたれがないので眠ることはできず、背筋を伸ばして座っているのも辛い〜。朦朧とした頭で「噴火を見られて感動したけど、こういうのは1回でいいや」「旅行でハードな体験をするたびに寿命を縮めているのでは?」「いや、でも、快適なことしかせずに長生きするよりも、面白い体験をたくさんしてその結果、多少早死にすることになっても、その方が生きる意味があるのでは?」「これでいいのだ」などと考えながら波に揺られていた。

港に着いたら、すでに23:30。そこから車を止めてある場所までまた坂を登り、山の上のアパートメントに戻り、そしてシャワーを浴びなければ寝られない。さすがにうんざりしたが、どうにかこうにかこの冒険の日を無事に終え、深い眠りについたのであった。

 

 

 

リーパリ島をぐるっと一周し、海でも何度か泳いだので、今度は日帰りでエオリエ諸島で3番目に大きい島、ヴルカーノ島(Isola Vulcano)へ行くことにした。火山のことを英語でvolcano、ドイツ語ではVulkanと言うが、それらの言葉の由来はこのヴルカーノ島である。そもそもなぜこの島がIsola Volcanoと呼ばれるようになったかというと、ギリシア神話ではこの島には火の神、へパイストスの鍛冶場があるとされた。ギリシアの神「へパイストス」に対応するローマの神は「Vulkanus」である。

ヴルカーノ島へはリーパリ島から観光ツアーも出ているが、リーパリ島とヴルカーノ島との間は頻繁に連絡船が行き来しているので、それを利用することにする。車はリーパリ島へ置いていくのでヴルカーノ島を自力で回ることはできないが、きっと現地ツアーがあるだろう。

ヴルカーノ島の港

ヴルカーノ島に到着。まずは観光案内所でパンフレットでももらおうかと思ったが、そのようなものはなかった。

港から集落への道

島に上陸すると、強い硫黄臭が鼻につく。ヴルカーノ島では古代ローマ時代から硫黄が採取されていた。キツくて危険で健康に悪い硫黄の採取作業は、古代ローマ時代には奴隷が、近代には囚人が担った。しかし、1880年から19990年にかけて起きた最後の噴火の際、硫黄の採取施設はすべて崩壊したそうだ。この噴火時に大規模な森林火災が起き、住民はボートでリーパリ島へ避難したという。

ヴルカーノ島には泥浴場があると読んだので、まずはその浴場を探しに行こう。地図を見ると、港からは目と鼻の先のようだ。

泥浴場は現在、閉鎖中だった。ガッカリ。

娘が「綺麗な洞窟があるらしいよ。それを見に行こう」と言う。案内地図を見ると、東の海岸に確かに洞窟があるようだが、陸路で到達できるようには見えない。島の西側のビーチへ行けば、そこからボートツアーが出ているのではないかと推測し、ビーチSpiaggia Sabbie Nereに向かう。

黒い砂のビーチの奥にボート乗り場があった。持ち主と思われる男性が何人か立っていたので、「洞窟に行くツアーはあるか?」と聞くも、言葉がまったく通じない。シチリア島もエオリエ諸島も基本的に英語はあまり通じないのだ。しかし、娘がどうしても行きたいと言うので、夫が諦めずに片っ端から船長風の人に声をかけていったら、ようやく洞窟までボートを出してもらえることになった。1時間クルーズで一人10ユーロ。さあ、真っ青な海とダイナミックな海岸線を眺めながらの小クルーズの始まりだ。

迫力ある崖の景色

「あの岩はライオンの横顔に見える」とか、、、

「あれはゾウの足にそっくり」とか、船長がいろいろ説明してくれたようだが、イタリア語がほとんどわからないので、他にどんな話をしてくれたのかは不明。こういうとき、現地の言葉がわからないと本当に残念。

そうこうしているうちに、見たかった洞窟、グロッタ・デル・カヴァッロ(Grotta del Cavallo)がいよいよ近づいて来た。

中はどのくらい深いのだろうか。遠くからだと暗くて中がよく見えない。洞窟の少し手前でボートを一時停止してもらったので、青い青い水に飛び込んで少し泳ぐ。最高。

泳ぎ終わってボートに上がると、船長がボートを洞窟の前に寄せてくれた。水面になにかがきらめいている。

 

うわー!

光って見えるものは水面に浮いた細かい軽石だそうだ。軽石と言われればそうかと思うけれど、まるでイルミネーションのようで美しく、魔法を目にした気分だ。ここでボートは来たルートを引き返し、出発したビーチに戻った。1時間ほどとはいえ、10ユーロで普段はできないことができたのだから、悪くない。

しかし、ヴルカーノ島でのアクティヴィティのハイライトはこれからである。vulcano(火山)という言葉の語源となったこの島で最も大きな火山、ヴルカーノ・デッラ・フォッサ(vulcano della Fossa)に登るのだ。

後ろに見えるのがヴルカーノ・デッラ・フォッサ

標高は391m。山頂付近には大きなクレーターがあり、グラン・クラテーレ(Gran Cratere)とも呼ばれる。赤っぽい山肌に斜めに通った黒いラインが登山道で、左上の煙の出ているところまで登るつもり。登山道はそれほど急ではないが、日陰がなく黒い地面が太陽光を吸収して熱いので、昼間登るのはやめたほうが良いとガイドブックに書いてある。夕方4時まで待って登り始めることにした。

午後4時過ぎでも暑ーい!あっという間に超汗だくになり、体力を奪われる。強い日差しにクラクラし、なんでこんなことやってるんだっけー?と叫びたくなった。

でも、1時間ほど頑張って登り、見下ろした景色の素晴らしさは感動的で、報われた。

ヴルカーの島の向こうにリーパリ島とその後ろにサリーナ島が見える。

そしてリーパリ島の東側にはうっすらとパナレーア島とストロンボリ島が見えるではないか。これはすごい!こんな景色、初めて見たよ。

山頂には直径500mほど、深さ200m のクレーターがある。

火山ガスの刺激臭が強くて、むせてしまった。長居はせずに下山しよう。

暑い中、登るのに1時間、降りるのに30分、港に戻るのにさらに30分くらいかかって結構疲れたけど、楽しかった!リパーリ島へのボートが来る時間まで、港のそばのレストランで美味しいご飯を食べて大満足である。充実してるなあ。

ところで、火山の噴火様式の一つに「ブルカノ式噴火」というのがあるが、それはこのヴルカーノ島(ブルカノ島とも表記される)でよく見られる噴火様式のことで、粘り気の強い溶岩の火山で爆発的な噴火が特徴である。桜島など、日本の火山にも多いタイプ。別の噴火様式に「ストロンボリ式噴火」があるが、それもこのエオリエ諸島の一つ、ストロンボリ島の火山が名前のもととなっている。

次回はいよいよそのストロンボリ火山に挑戦だ。

 

シチリア島でエトナ山を軽く見た後、カターニアを離れ、エオリエ諸島(Isole Eolie)へ向かった。エオリエ諸島は海底の火山活動によりティレニア海南部に形成された、リーパリ島(Isola Lipari)、サリーナ島(Isola Salina)、ヴルカーノ島(Isola Vulcano)、ストロンボリ島(Isola Stromboli)、パナレーア島(Isola Panarea)、フィリクーディ島(Isola Filicudi)及びアリクーディ島(Isola Alicudi)の主要7島から成る火山弧である。

シチリア島からはミラッツォ(Milazzo)の港からフェリーが出ている。シチリアを経由せずにイタリア本島のナポリ港から直接行くことも可能だ。

車ごと乗り込み、1時間ほど船に揺られていると、エオリエ諸島のうち最もシチリア島に近いヴルカーノ島が見えて来た。

ヴルカーノ島の港

うわー!美しい景色に気分が一気に高揚する。青い海に飛び込みたーい!しかし、私たちが滞在するのはこの島ではなく隣のリーパリ島。もうしばらくの我慢である。

ヴルカーノ島から20分ほどでリーパリ島に到着した。事前に調べたところ、リーパリ島はエオリエ諸島の中で最も魅力的というわけではなかったが、7つの島の中で一番大きく道路も発達していて、またボートで他の島へも移動しやすいのでリーパリ島を拠点とすることにしたのだ。港のそばに島唯一の町があり、宿泊施設やレストランが集中している。しかし、私も夫もうるさい場所が苦手。町から少し離れた山の上にアパートメントを予約していた。

町からの直線距離はたいしたことがないが、細い蛇行した坂道はとてもきゅうで、舗装されていない部分も多い。車で上るのはなかなか大変だった(といっても運転したのは夫なので、私がした苦労ではないのだけれど)。通りに名前はなく、ナビで見ても宿の場所がわからないので管理人に電話したらバイクで迎えに来てくれた。

坂道を上るのはちょっと大変だけど、アパートメントのテラスからの眺めは抜群だ。ここで約1週間を過ごすことになる。やりたいことはたくさんあるが、まずは泳ぎにでも行こうか。

最寄りのビーチは上の地図の緑アイコンのSpiaggia Valle Muriaというビーチである。「坂を降りればビーチ」と管理人はこともなげに言ったが、そんなに楽な話ではなかった。坂道というか、崖のようなところを15分くらい降りると海岸に着く。行きはまだいいけれど、帰りはその崖をまたよじ登って来なければならないのだ。ちょっとひと泳ぎするだけでやたらと疲れる。これがハードモードなエオリエ諸島滞在の始まりであった。

リーパリの石のビーチ

誤解のないように付け加えると、島にはCannetoのビーチなど楽にアクセスでき、観光客向けに整備されたビーチもある。でも、自然を楽しみにエオリエ諸島に来たわけだから、アクセスの良い場所だけ見るというのもなんだか違う気がするしね。

上の写真の右側に白とグレーの層が縞状に重なった崖が写っているが、リーパリ島の地表は軽石と黒曜石で覆われている。白っぽくてスカスカの軽石とガラス質の黒曜石は互いに似ても似つかない見た目だけれど、どちらも同じ流紋岩質のマグマが冷えて固まってできた岩石である。黒曜石といえば石器時代、ナイフや槍の先端などの素材として使われた岩石で、黒曜石が豊富に採れるリーパリ島はその交易で栄えたのであった。今でもリーパリ島の主な土産物として黒曜石のアクセサリーがたくさん売られている。

 

また、リーパリの軽石もとても上質で、主に建材などの用途に世界中へ輸出されて来た。現在は主に島の北東部の石切場で採取されている。

軽石や黒曜石だけでなく、リーパリ島では粘土鉱物カオリナイトも採れる。リーパリ島におけるカオリナイトの利用は紀元前3-4世紀に遡る。島に入植したギリシア人が土器作りに使っていた。第二次世界大戦後から1970年代初めにかけては主にセメントの材料として大々的に採掘されていたが現在はもう採掘は行われていない。その跡地を歩いてみよう。

噴気孔と思われる穴があった。リーパリ島には現在、活発な火山活動はない。

石切場の奥まで歩くと、海へ続く道が延びている

普段住んでいるドイツでは日常的に散歩をしているけれど、同じ散歩でもリーパリ島ではまったく違う体験だ。平坦で直線的な北ドイツとは対照的に起伏が激しく表情豊かな風景に圧倒される。

海岸線も複雑だ。

絶景スポットBelvedere di Quattracchiから眺めたリーパリ島の美しい入江

 

以下は夫がドローンで撮影した写真。かなり高いところに登って撮っているので、危ないから真似しない方がいいです(私もドローン免許持っているけど、恐ろしくてこんなの絶対に撮れない)。

 

島の南部へ行ってみると、そこにも軽石の石切場があった。

 

島の南の先端近くには地質学観測所があり、そこからはヴルカーノ火山がよく見える。

よし!次に向かうのは、あの島だ!

 

 

 

 

 

「火山」がテーマのシチリア・エオリエ諸島ロードトリップ。前回の記事に書いたように、まずはシチリア北東部、エトナ火山の麓の町、カターニア(Catania)の溶岩でできた街並みを見た。その後は実際にエトナ火山に行ってみることにした。

地中海地域では最も高く、また世界で最も活動の活発な火山の一つである。頻繁な噴火によって標高は常に変化しているが、現在の高さはこちらのサイトによると3329mだそう。エトナ山とその周辺はエトナ山自然公園(Parco dellÈtna)という国立公園になっている。(以下のGoogleMapをズームして見てください)

カターニアからはツアーも出ているが、私たちは車があるので自力で行くことにした。エトナ山に登るにはエトナ公園の北側と南側からアクセスする方法がある。カターニアからは公園の南側のニコージ(Nicolosi)という町を経由するのが便利だと現地の人に教わり、ニコロージ方面に向かって、いざ出発。

途中で車を止め、小高くなった場所に上がって眺めた景色。地表の一部が溶岩流に覆われている(グレーの部分)。山麓の火山性土壌は肥沃で柑橘類や葡萄などの栽培に適しており、シチリア島の中で最も人口密度の高い地域の一つだが、恵み多い生活はリスクと隣り合わせでもある。最近では、2001年の大きな噴火の際に溶岩流がニコロージ市のわずか4km手前まで到達したそうだ。

溶岩流で崩壊し、埋もれた家屋

20kmほど緩やかな山道を登って行くと、山岳ホテルや土産物屋、駐車場のあるリフージョ・サピエンツァ(Rifugio Sapienza)に着く。そこからロープウェイ(Funivia Dell’Etna)に乗ることができる。この地点ですでに標高1900mを超えるので、夏でも肌寒い。この日はそれほどでもなかったけれど、風が強い日なら余計に寒いと思うので防寒対策が必要。でも、もし上着を忘れてもロープウェイ乗り場で登山靴と上着を貸し出しているので大丈夫。

 

黒々とした山肌を眺めながら標高2500mの高さまで登る。

ロープウェイの降り場にはミニバスが停まっている。バスでさらに登り、登山ガイドさんと一緒に歩くツアーが用意されているのだが、2017年に起きた噴火で、取材中のBBCのクルーや火山学者、観光客が噴石で怪我をする事故があり、現在は山頂まで行くことはできないことがわかった。残念!もちろん安全第一なのでしかたがない。でも、噴火口を見られないのであればツアーに参加してもあまり面白くないかな?と思い、ツアーには参加しないことにした。

ロープウェイ降り口付近から見た、どこまでも広がる真っ黒な景色。大きな火山だと実感する。周辺を見回すと、右側の小山に登っている人たちがいる。私たちも登ってみることにしよう。

下から見ると結構な急斜面に見えたが、登ってみたらたいしたことはなく、あっという間に上に着いた。この小山はピアノ・デル・ラーゴ(Piano del Lago) という火口丘だ。どんな感じか見たい方は以下の動画をどうぞ。

 

 

 

周囲をぐるっと歩く。ふと夫の背負っているリュックを見たら、テントウムシが1匹止まっていた。え?なんでこんな植物もない場所にテントウムシ?下界からうっかり連れて来ちゃったのかな?と思ったが、後でガイドブックを読んだら、火口周りは温かいので、テントウムシがたくさんいると書いてあった。へえー。

火山国、日本出身の私にとっては火山は珍しい存在ではないけれど、ドイツ生まれの娘には大変なインパクトのようで、「登って良かった!」と大喜びしている。来た甲斐があった。もちろん、私もエトナ山に登れてよかった。

まあ、登山といってもロープウェイに乗って少し小山を登っただけなのでイージーモードだ。しかし、私たちの火山旅行はまだまだ序の口。これからさらなる興奮が待っているのである。エトナ公園は広く、ビジターセンターやいろいろな見所があるようで、たっぷり時間をかけていろんなアクティビティを楽しむことができそうだ。私たちも後に改めてエトナ山を別の角度から見ることになるのだが、その前にシチリア島の北側、ティレニア海南部に連なるエオリエ諸島に向かうことにした。それについては次の記事で。

 

 

 

ドイツから4日かけてシチリア島へやって来た。カラブリア州のメッシーナ海峡をフェリーで渡るのだが、ヴィラ・サンジョヴァンニ(Villa San Giovanni)から対岸のメッシーナ(Messina)は目と鼻の先で、20分ほどで着く。陽光にきらめく青い海の向こうに雄大なエトナ火山のそびえるシチリア島が近づくのを船上から眺めるのが楽しみだ。

と思ったら、港に着いた瞬間に空が急に暗くなり、出港と同時にまさかの大雨である。視界はグレー一色、何も見えない状態でシチリア島に到着した。メッシーナから最初の目的地カターニア(Catania)方面へは高速道路を南下するだけだが、路面のコンディションが良くないので前の車の飛沫が凄まじい。シチリアはインフラが良くないだろうと想像していたが、早速、それを実感することになった。

カターニアはエトナ火山の麓にあるシチリア島で2番目に大きな町だ。今回の旅行では都市は避けると言いながらカターニアに向かったのは、シチリア旅行に飛び入り参加することになった娘をカターニア空港でピックアップしなければならなかったのと、旅の事前準備として読んだ本、「シチリアへ行きたい(小森谷慶子、小森谷賢二著)」にカターニアが「溶岩でできた」町だと書かれていたので、その街並みを是非見てみたかったのだ。

カターニアはかつてギリシア人の植民市として発展した町だが、その当時から現在に至るまで、エトナ火山の噴火の影響を受け続けて来た。1669年の大噴火と1693年の大地震では壊滅的な被害を負い、18世紀にバロック様式で再建された。

大雨の後のドゥオーモ広場

町は全体的に黒っぽく、独特の雰囲気を醸し出している。

地面のあちこちが黒い火山灰で汚れている

ユネスコ世界遺産に登録されている旧市街には美しい広場と大聖堂、城や宮殿、考古学博物館など見所がたくさんある。しかし、それらの観光名所についてはガイドブックやネット記事などに日本語の情報がたくさんあるので、このブログでは私の個人的な興味に沿って話を進めたい。

ヨーロッパでは古い建物の漆喰が剥がれて中の建材が剥き出しになっているのを目にすることがよくある。私が住んでいる北ドイツでは中のレンガが見えるが、カターニアでは溶岩だ。

すごい!

建物だけでなく、石畳や、

 

花壇も溶岩でできている

うおー!

と変なことに盛り上がってしまう。石造りの建物が多いヨーロッパに住んでいると、「町の景観はその土地の石がつくる」と感じるようになった。その町のある地域の自然条件によって多く採れる石材が異なるからだ。石が違えば町の色も質感も変わる。だから、知らない町を訪れるときには「どんな石の町だろう?」と気になるである。

カターニアの町は17世紀末にエトナ山の噴火で破壊されたと先に書いたが、旧市街のあちこちにギリシア時代や古代ローマ時代の遺跡が見られる。

ローマ帝政時代の円形競技場、Anfiteatro

全体の一部しか発掘されていない状態だが、総客席数はおよそ15000席と推定されるそうだ。当時の人口がどのくらいだったのかわからないが、こんな大きな競技場があったのだから繁栄していたんだなあ。黒い玄武岩でできたこうした古代建造物の名残を見ると、カターニアはまさにエトナ火山が生んだ町なのだと感じるのである。

競技場のエントランス

ローマ劇場(Teatro Romano di Catania)も見応えがあった。

 

 

溶岩という視点でカターニアの町を見た。それではエトナ火山を見に行くことにしよう。レポートは次回の記事で。

 

 

 

これまで数回に渡って書いてきた火山アイフェル・ジオパーク旅行記。締めにはシュトローン(Strohn)にある巨大な火山弾、Lavabombe Strohnを紹介しよう。

朝倉書店「岩石学辞典」によると、火山弾とは

火山砕屑物の中で平均径が64mm以上[Fisher : 1961]あるいは32mm[Wentorth & Williams : 1932]のもの.火山弾は形状や表面構造から一部または全部が熔融した状態で火口から放出されたものである.
手のひらに乗るような小さい火山弾はアイフェルに無数にあり、こちらの記事でレポートしたようにマール湖の周辺などにたくさん落ちている。ドイツ語ではBasaltbobmeまたはLavabombeと呼ばれる。シュトローンの火山弾は、直径約5メートル、重さはなんと120トンもあるという。どんなものなのか、見に行ってみよう。

村は小さいので、「シュトローンの火山弾」はすぐに見つかった。

こ、これは大きい、、、、。この火山弾は1969年、すぐそばにある石切場で発見されたもの。

向こうに小さく見えるのが石切場。あそこから120トンもある火山弾をこの道路脇まで転がして来たそう。

でも、「シュトローンの火山弾」は厳密には「真性の」火山弾ではない。さすがにこんな大きいものが宙を飛んで飛び出して来るわけはないよね。噴火によってできたクレーターの壁から岩石の塊がマグマの中に崩れ落ち、表面にマグマが付着した。それが次の噴火の際に火口の外に放り出され、再び噴火口に落ちて新たにマグマが付着し、、、、というのを繰り返し、雪だるま式に大きくなったものがいつかクレーター壁の中に埋もれたのだそうだ。

アイフェル地方で見つかった最大の「真性」火山弾はこちらである。2007年に発見された。

大きさがわかるように地面に落ちていたリンゴを乗せた。これだって相当な大きさだよね。

火山弾には様々な形のものがある。マグマの塊はまだ柔らかい状態で空中に放り出され、その際の物理的な条件によって形が決まるそうだ。詳しくはシュトローン村の火山博物館、Vulkanhausに説明があった。

Vulkanhaus

この小さな火山博物館の中は硫黄の匂いが充満していて(学習目的で意図的にそうなっている)、日本の火山を思い出して懐かしくなった。

Vulkanhausに展示されている異なるタイプの火山弾。上からシリンダー状火山弾、コルク栓抜き状、潰れた火山弾、回転状火山弾。

このように溶岩が空中で飴玉を紙で包むようにねじれて、真ん中の飴玉部分と包み紙の端っこ部分が分断されていろいろな形の火山弾になる。面白い。

この博物館には火山に関する一般的な説明の他、アイフェル地方の岩石などが展示されている。

これはシュトローンで発見された6 x 4 mの本物の火道壁。発見時、この火道壁の表面は青く光っていた。現在では青い色は失われてグレーの岩壁になってしまっていて、このようにライトアップして青色を再現しているそうだ。

 

さて、今回で火山アイフェル・ジオパークのレポートも終わり。火山大国、日本の出身者にとってドイツの火山地方はもしかしたらそれほど面白くないかな?と思いながらもマール湖を一目見たくてやって来たが、ドイツの火山もなかなかの面白さである。わずか4日間だったが、マール湖を味わい尽くし、化石や鉱石を楽しみ、たくさんの博物館を訪れ、珍しい火山弾なども見ることができて好奇心がとても満たされた。

ジオ旅行があまりに楽しいので、次回は宝石鉱山が有名なイーダー・オーバーシュタインへ行こうと決めた。来月催される化石&鉱物の週末ワークショップに申し込んだ。とても楽しみ!

火山アイフェル・ジオパークでの休暇レポートの続き。(これまでのレポートは、その1 「アイフェルの目」と呼ばれる美しいマール湖郡、その2 マール湖跡からも化石がザクザク。Manderscheidのマール博物館、そして番外編 35年かけて集めた素晴らしい石のコレクション。Manderscheidのプライベート鉱物博物館、Die Steinkiste をどうぞ)

今回紹介するのは宿泊していたシャルケンメーレン村から数kmのダウン(Daun)市にあるアイフェル火山博物館(Eifel Vulkanmuseum)。

アイフェル火山博物館では世界の火山及びアイフェルの火山活動に関する展示が見られる。

展示室

火山は主にプレートとプレートの境い目にできるが、アイフェル火山地方はプレートの境界線上には位置していない。アイフェルの火山はいわゆる「ホットスポット火山」だ。プレートの下の「ホットスポット」と呼ばれる場所ではマントルが周辺よりも高温になっていて、マントルプルームと呼ばれる大規模な上昇流が発生している。つまり、アイフェルの地面の下にはグツグツとマグマが煮えたぎっているのだ。そして、アイフェル地方の地殻には亀裂が多い。約3億2000年前に起こった造山運動によってあちこちにヒビが入っている。そのをヒビを通ってマグマが上昇してくるのだそう。

マールの成り立ちを示すモデル

こちらの記事に書いたように、アイフェル地方には多数のマール湖がある。陸地化したものも入れると75にも及ぶという。これほどマール湖が集中して形成されている地域は世界でも類を見ないらしい。でも、アイフェルの火山=マールなのかというと実はそうではなく、アイフェルの火山地形のうちマールは3割ほどで、残る7割はスコリア丘と呼ばれる円錐状の丘だ。火山アイフェルでは山の上のところどころにポコンポコンと帽子をふせたように火山が盛り上がっている。アイフェルの火山活動が始まったのは第三紀で、その後休止期間を経、約80万年前から再び活発化した。火山アイフェル・ジオパークはアイフェル地方西部に位置するが、アイフェル西部では100万年間に少なくとも275回、火山が噴火したとされる。直近の噴火は最も新しいマールであるウルメナー・マールが形成された約1万1000年ほど前。ということは、仮に噴火が定期的に起こるとすれば、もうとっくに噴火していてもおかしくない?そう考えるとちょっと不安になって来る。もちろん、火山学者らが常に活動をモニタリングしていて、現在のところ活動が活発化する兆候は見られないとのことで安心した。

さて、この博物館にはアイフェル地方の様々な岩石が展示されている。

陳列棚の石を眺めていたら、面白いものを見つけた。

表面がツルツルで濡れたような光沢を放っている。これは一体?

こちらはややマットな質感ながらも表面は滑らか。

まるで釉薬をかけて焼いた陶器のようで、びっくりしてまじまじと眺めてしまった(というのも、最近、趣味で陶芸を始めたので、、、、)。これらはガラス化した砂岩で、マグマの熱で表面が溶けてこのようにツルツルになるらしい。後日、日本に住む二人の地学研究者に画像を見せたら、こういうのは初めて見たと言っていた。他の地方では滅多にお目にかかれないもののようだ。面白いなあ。

化石コーナー。こちらに書いたように、デヴォン紀に浅い海だったアイフェル地方は化石の多産地域でもある。この地方では主にどんな化石が出て来るのだろうか。展示されている標本はサンゴが多かった。

サンゴの化石も種類がものすごく多くて、まだ何が何だかさっぱり把握できないのだけれど、ここでサンゴ化石のサンプルをいくつか見たことがこの後大いに役に立つことになる。その話は次回に。