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ラインラント地方二日目はエッセンのルール博物館(Ruhrmuseum)へ行って来た。「ルール」とは、中学の社会科で習ったあの「ルール工業地帯」の「ルール」である。ルール地方は豊富に埋蔵する石炭を原料に鉄鋼業や化学・機械産業が発達し、近代から戦後まもなくまでの間、ドイツ最大の工業地帯だった。今では石炭産業はすっかり衰退したが、炭鉱や関連施設が産業遺産として保護されており、マニアックな観光スポットの密集地帯となっているのだ。

今回訪れたルール博物館は、ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群第12採掘坑にある。選炭施設の建物が博物館になっている。

 

ツォルフェアアイン炭鉱第12採掘坑

「ツォルフェアアイン」とは関税同盟の意味。ルール地方のかなりの部分は、かつてプロイセンの支配下にあった。しかし、プロイセンの他の領土とはかなり離れていた上に、ルール地方の他の部分は複数の領邦がモザイク状に分割統治していたため物流がスムーズではなく、1834年に関税同盟が結成された。炭鉱名のツォルフェアアインはこの関税同盟にちなんでつけられたもの。

ルール博物館の建物

ツォルフェルアイン炭鉱の第12採掘坑の建物はバウハウス様式だ。それまで産業施設は実用重視で、醜悪な外観が当たり前とされていたが、建築家Fritz Schuppが設計したこれらの建物群は産業施設に初めて「美しさ」を持たせた産業建築の傑作とされている。敷地内には国際的なプロダクトデザイン賞であるレッド・ドット・デザイン賞を受賞したプロダクトが展示される「レッド・ドット・デザイン・ミュージアム」がある。

ミュージアムの入り口は地上から24mのフロアにあり、このような長いエスカレーターを上がる。エスカレーターに乗っただけですでになんとなくワクワク。

受付でチケットを買い、「ガイドツアーはありますか」と聞くと、「すぐに始まりますよ」とのことだったので申し込んだ。でも、月曜だったせいか、私の他に参加者はいなかった。ガイドさんに「では1時間半、館内をご案内します」と言われてびっくり。ツアー料金3ユーロで1時間半のプライベートガイドツアー?なんて贅沢な!(ちなみにツォルフェアアイン炭鉱には複数の種類のガイドツアーがある。私が申し込んだのはルール博物館のツアー)

地上24mのフロア、ミュージアムのエントランス手前のスペースには巨大な選炭設備。

早速、ガイドさんの説明が始まった。これは採掘した原炭から廃石を分離し精炭を取り出すための装置(Setzmaschine)。水の入った水槽に原炭を入れると、軽い石炭が上に浮かび、重い石は沈む。石を取り除いた後の精炭は粒径ごとにふるいにかけられ、それぞれの用途に利用される。コークス製造や製鉄用に使うのは粒の大きな塊炭で、コークス製造の際に発生するガスは化学産業に利用された。そういえば、ケルンの北、レヴァークーゼンという町には化学工業・製薬会社大手のバイエル社本社がある。

 

向こうに見えるのがミュージアムの入り口

オレンジ色に光る階段を降りて下のフロアへ行く。このオレンジ色は燃える石炭をイメージしているそう。

カッコいいねえ。

ルール博物館は製炭設備やルール地方の炭鉱業の歴史のみならず、氷河期から始まるルール地方の自然史、考古学、歴史、社会文化、そして現在のルール地方の地域経済や産業化で破壊された環境の再生に到るまでのあらゆる分野を網羅した総合博物館である。さらには鉱物・化石コレクション、文化人類学コレクション、写真ギャラリーもある。内容があまりに濃くて、1時間半に及ぶガイドツアーの間は写真も取らずに話を聞くのに集中したけれど、最後は時間が押せ押せになってしまった。ツアーを終えてから、また一人で最初から展示室を回った。

ルール地方の全盛期の1857年には、この地方にはなんと300もの炭鉱があったそうだ。しかし、1957年に政府が補助金を打ち切ると、失業者が溢れた。また、環境汚染が深刻化したことから、抜本的な構造変化が求められるようになる。現在もなお失業率は高いが、負の経験から得たノウハウや技術を活かして再生可能エネルギー技術や石炭採掘による地盤沈下で傾いた建物を真っ直ぐにする技術など、この地方ならではの特殊産業の育成に力を入れている。

2000年のエッセン市の地下水水質調査のサンプル

この地方には石炭を取り出した後の捨石を積み上げたいわゆる「ボタ山」が丘陵風景を作っているが、捨石はわずかに粉炭を含んでおり、それが酸化してゆっくりと燃えるので、気温が比較的高い。だから、ルール地方は地中海と似た植生なのだって。言われて見れば、確かにラインラントの植物はブランデンブルクと随分違うなと移動中の車の中から景色を見ていて思ったんだった。

ボタ山は緑化が進んでいて、現在、ルール地方の60%が緑地である。保養地・リクリエーションエリアとしての再開発も積極的に行われている。ボタ山にはモニュメントや娯楽施設が建設され、ちょっと変わった観光エリアになっている。(このサイトでいろんな面白い写真が見られる)

ボタ山「ハニエル」の円形劇場

屋内スキー場。建設当時は世界一の長さだったそう。今ではドバイに負けた

工業化は地域の環境を大きく破壊してしまうが、産業が衰退し、しばらく放置されると自然が回復して来る。そうして新たに生まれた生態系は破壊以前の環境とは異なり、周辺地域とも違う特殊なものとなる。そのような自然環境を「industrial nature」と呼ぶらしい。そういえばこちらのスポットを訪れたときにも同様の話を聞いた。とても興味深い。

そして、ルール地方にはもう一つ、大きな特徴がある。それはマルチカルチャーであること。産業の発展に伴い、この地方には古くから多くの移民が流入した。なんと現在、62もの民族が共生しているという。エッセンにはシナゴーグもモスクもあり、また、Hamm-Uentropという町にあるヒンズー寺院はインド国外最大規模だそう。そんなわけで、ルール地方の人々は異文化に寛容だと言われている。

さて、このペースでゆっくり説明していると日が暮れてしまうので、詳しく説明したいけれど残りは写真のみで急ぎ足で紹介しよう。

石炭展示コーナー

巨大アンモナイトコーナー。最大のものは直径180cm

石炭紀の見事なシダの化石

約3億年前のシギラリアの幹

凄いアンモナイト

これは化石ではなく最近のもので、紅海のパイプウニ

ナミビアのギベオン隕石。ナミビアはドイツの植民地だった

考古学コーナー

文化人類学コーナー

地方都市の博物館がこんなに凄い展示品のオンパレードなのは意外に思えるかもしれないが、エッセンの博物館は戦前、ドイツ国内屈指の博物館だったそう。工業地帯だから文化とは縁遠いというイメージは正しくないようだ。

メルカトルの地球儀

ところで、エッセンといえば、巨大企業クルップ社が有名だ。展示はまだまだあるけれど、キリがないのでこのくらいに。

最上階にはパノラマルームというものがあって、これがまたすごい。

歩いて見て回れる

ガイドツアーと合わせて合計3時間くらい博物館にいたかな。博物館を出た後は、せっかくなので敷地内を一周した。

Red Dot Design Museum。残念ながら月曜日は閉まっていたけど、外観だけでも十分カッコいいよね。

コークス工場

昼間行ったので、ツォルフェアアインのライトアップされた姿は見ることができなかった。でも実は、7月に別の用事でまたここに来る予定になっているので、その時には是非、Red Dot Desigh Museumとライトアップされたツォルフェアアインが見れるといいなあ。

ツォルフェアアイン炭鉱遺産群は、産業技術に関心のある人、デザインが好きな人、工場写真を取りたい人、歴史好きな人、鉱物や化石のコレクションが見たい人etc. ほぼどんな人にとっても面白い観光スポットではないかと思う。

 

 

今年初めてニーダーラウジッツ地方へ行って来た。ニーダーラウジッツはブランデンブルク州南東の旧東ドイツ時代には豊富に埋蔵する褐炭でエネルギー産業を支えていた地方だ。ドイツ再統一により褐炭の採掘場や関連の工場、発電所の多くは閉鎖されたが、いくつかは産業遺産として保存され、観光化が進められている。そうした褐炭産業関連のスポットを巡る250kmに及ぶ観光ルートは「ラウジッツ産業文化・エネルギー街道」と名付けられている。ドイツに150以上ある観光街道の1つなのだ。

私はこれまでにそのうちのプレサ(Plessa)の 発電所ミュージアムやコトブス(Cottbus)のディーゼル発電所ミュージアムを訪れた。また、街道沿いではないが、やはり褐炭関連のオープンエアミュージアムFerropolis、褐炭採掘で掘り起こされた迷子石を集めた公園Findlingspark Nochtenにも行ってみたが、どれもとても面白い。ドイツの観光街道は日本ではロマンチック街道やメルヘン街道が有名だが、ラウジッツは褐炭観光というかなりマニアックで興味深い観光ができるのが魅力なのである。

さて、今回訪れたのは産業文化・エネルギー街道の目玉の一つであるオープンエアミュージアム、F60。なんとこのミュージアムでは褐炭の露天掘り場で実際に使われていた高さ74m、長さ502mという巨大なコンベアブリッジを歩いて渡ることができるのだ。周辺に大きな町はないのでアクセスは結構大変。

Lichterfeldという村が最寄りの村で、こんな感じ。

ドイツの村の作りにはいくつか種類があって、これはシュトラーセンドルフ(Straßendorf)というもので、1本の通りの両脇に民家が並び、一番向こうに教会が建っている。ブランデンブルクではこのタイプの村をよく見かける。過去記事で紹介したが、変わった集落タイプとしては広場を中心に丸く家が並ぶルンドリンクというのもある。

 

さて、集落のすぐ向こうはもうミュージアムである。視界に巨大なコンベアブリッジ、がどーんと登場した瞬間、思わず歓声を上げてしまった。しかし、あまりに大きすぎて駐車場からは全体像を撮ることができない。

ビジターセンターでガイドツアーに申し込むとこのコンベアブリッジに登ることができる。ツアーには何種類かあり、私たちは90分間のロングツアーに参加することにした。ロングツアーではコンベアブリッジの先端まで歩いて渡れるのだ。しかし、そもそもコンベアブリッジって何?という人は下の図を見て欲しい。

 

ちょっと見にくいかもしれないが、ビジターセンターに貼ってあった褐炭の露天掘り採掘場の写真だ。地下に埋まっている褐炭を掘り出すためには、まず掘削機で表土を剥ぎ取らなければならない。剥ぎ取った表土はすでに褐炭を掘り出した後の穴に入れて表面を均す。新しく剥ぎ取った表土はそれ以前に掘った穴に入れ、次に剥ぎ取る表土はこれから掘る穴に入れる、という要領で土を掘っては埋め、掘っては埋めしながら採掘用の溝は周辺にどんどん移動して行くのだが、この際に表土をこちらからあちらへと運ぶのがコンベアブリッジである。写真の左側から右に伸びる長い橋のようなものがそれだ。なぜF60という名前がついているかというと、ここで実際に採掘が行われていたときの溝の深さが60mに達していたから。このコンベアブリッジは世界でも最大規模のものなのだが、実際に使われていたのはなんとわずか15ヶ月だったらしい。通常はコンベアの寿命は40年ほどだそうだが、F60が建設が始まったのはベルリンの壁が崩壊する直前の1989年で、このコンベアブリッジが導入された炭田は1992年に閉鎖されたため、ほとんど使われないままお払い箱になってしまったというわけ。しかし、全部で5台建設されたF60のうち残りの4台は現在も稼働中だ。

 

では、登ってみよう。見学は高いところが平気なら子どもでも大丈夫だが、ヘルメットは必ず着用しなければならない。

コンベアブリッジの上まで登ったら、橋を歩いて先端まで行く。足場の網は目が細かく、左右の柵も結構な高さがあるので怖さは感じなかった。ところどころで立ち止まってガイドさんの説明を聞きながら進んで行く。

途中で後ろを振り返ったところ。このコンベアベルトで表土を運んでいたんだね。

渡っているときには歩くのに忙しくて周辺を眺める余裕があまりなく、先端についてようやく景色を眺めた。

ラウジッツ地方の露天掘り褐炭採掘場の多くは現在、人工湖になっている。このあたりは「ラウジッツ湖水地方(Lauziter Seenland)  」と呼ばれ、リゾート地として開発が進められているのだ。観光を新たな産業にすることで褐炭産業の衰退による人口の減少に歯止めをかけ、地域を活性化させることが狙いだ。

左の地面にソーラーパネルが並び、向こうには風車が見える。リゾート開発だけでなく、褐炭による火力エネルギーから再生可能エネルギーへの転換も進められている。

湖周辺にはビーチ、ボートハーバー、キャンプ場などを整備していく計画で、2005年からは湖での遊泳も解禁となった。(でも、湖水は今のところPH3.2と結構な酸性だそう、、、) また、湖面には宿泊施設としてハウスボートを浮かべる計画である。ハウスボートと言われても日本ではあまりピンと来ないかもしれないけれど、ドイツでは水上で宿泊できるハウスボートが人気で、エネルギー自給自足のハウスボートの開発も進んでいるのだ。

こうした再開発プロジェクトは地域に経済的メリットをもたらすと期待されているが、実はもう一つ大きな意義がある。それは環境保護としての側面だ。褐炭の大規模な採掘でこの地方の自然はすっかり破壊されてしまった。しかし、そのような環境にも「絶滅が危惧される動植物の繁殖地」としてのメリットがあるのだという。人がいなくなった場所には野生が戻って来る。実際、渡り鳥やオオカミなどが多く観察されるようになっており、自然保護団体、Naturschutzverbund Deutschland(通称NABU)が中心となって自然保護プロジェクトを次々と立ち上げているようだ。これについてはまた改めで掘り下げてみたいと思った。

さて、再び橋を渡って地上に降りよう。

晴天とはいえ、1月の寒空の下、90分歩いたらすっかり手が冷たくなってしまった。でも、すごく面白かったので大満足。

 

 

ここのところ忙しくてすっかり間が空いてしまったが、ようやく時間に余裕ができたので、久しぶりにまにあっく観光に出かけることにした。晴天の今日は野外の観光スポットが目的地としてふさわしい。そこで、かねてから行きたいと思っていたデッサウ近郊の野外ミュージアム、Ferropolisへ。

FerropolisとはFerro(鉄の) + polis(町)、「鉄の町」を意味する。そこはザクセン=アンハルト州Gräfenhainichen近郊の湖にせり出した細長い半島。東ドイツ時代には褐炭の露天掘り場だった場所である。ドイツが再統一の翌年、1991年に採掘場は閉鎖されたが、使われていた5台の掘削機が陳列されているという。このブログでこれまでにいくつか紹介して来たように、旧東ドイツには閉鎖後の産業施設が観光地されているところがたくさんある。褐炭産業関連のミュージアムが特に多いが、このFerropolisもその一つだ。デッサウ・バウハウス基金の発案により建設された。

 

 

国道を降りてFerropolisの案内標識に従って周囲に何もない田舎道を進んで行くと、遠くに掘削機が見えてくる。当時の炭鉱従事者のポートレートが壁面一面に描かれた建物のすぐ向こうがミュージアムだ。

駐車場脇の入り口で入場料を払い、オーディオガイドを首に下げて見学開始。

(Image: Ferropolis)

半島を上空から見たところ。中央のアリーナを取り囲むように5台の掘削機が配置されている。

 

湖に面した位置にあるのはMad Maxと名付けられたバケット掘削り機。稼働中は1時間に1920立方メートルもの土を運んだという。

 

Mosquito(手前)とMedusa(奥)。

 

 

 

5つの掘削機のうち、最大規模のGeminiには上ることができる。

 

 

上からアリーナを見下ろす。

 

 

バケットホイールエクスカベーター、Big Wheel。

 

 

 

敷地には小さなミュージアムもある。しかし、展示からはあまりやる気が感じられなかった。

 

採掘中に氷河時代のマンモスの骨が出て来たらしい。

 

「戸籍課」と書いてある部屋。

 

中はかつてのコントロール室。ここで入籍式が挙げられるらしい。ドイツ人は変わったところで結婚するのが好きなようだ。

 

この野外ミュージアム敷地ではライブコンサートや蚤の市などの催しが頻繁に開催される。

 

Melt Festival 2012 – Der Freitag – 13.7.2012 (Image: Ferropolis)

こんな感じにライトアップされるらしい。野外コンサートの会場としてはかなり良さそうである。

正直なところ、展示室の展示は充実していないので、この野外ミュージアムは学びの場というよりもイベント会場として捉えた方が良い。子ども連れであれば蚤の市などの昼間のイベントに、大人は夜のイベントが楽しめそうだ。

 

 

イースター休暇も過ぎたというのに、相変わらず寒い日が続いていたが、日曜は春らしい天気になった。このチャンスを逃してはもったいない。晴れている日には野外観光スポットのリストから目的地を選ぶことにしている。今回は、ベルリン東部、Rüdersdorfにある北ドイツ最大の露天掘り石灰鉱山に隣接した野外ミュージアムMuseumpark Rüdersdorfを訪れることにした。

 

 

結論から言ってしまうが、この野外ミュージアムはかなり楽しめる!しかも、万人向けである。というのも、内容が盛りだくさんなのだ。

 

13世紀から稼働している石灰石の露天掘り鉱山と、隣接する17ヘクタールの公園は「欧州産業遺産の道」上の観光スポットの一つ。過去に紹介したブランデンブルク産業博物館もこの観光ルート上にある。

公園内では焼成炉を中心に、多くの石灰岩採掘・加工・運搬施設が見学できる。

 

この鉱山では13世紀の初めより採掘が行われていたが、生石灰が生産されるようになったのは17世紀に入ってからのことである。19世紀初頭に、温度調整の可能な画期的な石灰窯が建設された。この窯は発明者のRumford氏にちなんでRumfordofenと呼ばれている。

 

窯の内部も見学できる。お城の中のようで、ちょっとワクワクする。

 

窯の内部はかつて、鉱山労働者の住居としても使われていた。当時の労働者の生活の様子を伺い知ることができる。

 

竪窯(シャフトキルン)と呼ばれる石灰窯。

 

 

公園内にはポニーなどに触れ合うことのできる小さな動物園もあり、また、いろいろなタイプのクレーン車が設置されたクレーンパーク区画もあるので、子どももたっぷり楽しめると思う。

 

 

ガイドツアーに参加すれば、鉱山施設の歴史を詳しく知ることができる。しかし、この野外ミュージアムの目玉はなんといっても、露天掘り場をジープで1時間かけて回るツアーだ。もちろん、私たちはジープツアーに参加した。運転手兼ガイドさんが鉱山についての詳しい説明をしてくれる。

 

広大な採掘場。

 

 

 

よく見ると石灰岩の地層の厚さがまちまちなのだが、それはその地層年代の気温の違いから来るものだという。暖かいとそれだけ生物が繁殖するので、堆積物の量が多くなり、層が厚くなる。

 

と、ここまでたいした説明もせずに写真だけ貼ってしまったが、それには理由がある。このミュージアムには、さらに見所があるのだ。

 

というのも、このミュージアムは産業遺産であるだけでなく、同時にジオパークでもある。氷河の移動が終わった後、このあたりにはエンドモレーンと呼ばれる土砂の山が形成された。このため、Rüdersdorfは非常に重要な地質学研究のフィールドなのである。上述のジープツアーの他、化石掘りツアーにも参加することもできる。ガイドに「化石が見つかる確率って、どのくらいなんですか?」と聞くと、「100%ですよ」という返事が返って来た。

 

ミュージアム敷地内には岩石資料館があり、地質学的説明や岩石や化石お展示を見ることができる。これがかなり面白かった。この資料館を見るだけでもここに来る価値があると思う。

 

 

うまく写真が撮れなくて残念。

 

岩石資料館の前には氷河によって運ばれて来た様々な迷子石が展示されている。

 

マニアックなものが好きな人はもちろん、産業遺産にも化石にも興味ないよ!という人でも、ただ公園内を普通に散策するだけでも楽しいはず。週末や祝日には様々なイベントもやっていて、家族レジャーにも最適と、満足度の高い観光スポットだ。