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まだまだ続くシチリア島旅行。パンタリカのアグリツーリズモに宿を取っていた私たちは、パンタリカの岩壁墓地遺跡を見た翌日、シラクーザを訪れることにした。宿で一緒になった旅行者夫婦に「シラクーザの観光名所の多くはオルティージャ島に集中している。特にドゥオモ広場は必見だ」と強く勧められていた。オルティージャ島海に突き出たシラクーザの発祥地でとても美しく、ドゥオモ広場の他にもアポロン神殿やマニアケス城など見どころが多い。

でも、私にとってはオルティージャ島よりもネアポリス地区(「新市街」の意)にある考古学公園(Parco Archeologico)の方が面白かった。

行ってみて仰天。この公園、凄すぎる!市街地にギリシアやローマ時代の遺跡がどーん!と、まとまって存在している。

まず、「天国の石切場(Latomia del Paradiso)」と呼ばれる古代の石切場に度肝を抜かれた。町の真ん中なのに、石灰岩質の岩盤が剥き出しになっている。紀元前6世紀から神殿などの大規模建造物のためにここで石が切り出されていた。

石切場の中はヘルメットを装着して見学する。歩いているの私の大きさからそのスケールが想像できることだろう。良質の石は地表付近ではなく深いところから切り出す必要があった。作業に従事したのはカルタゴ軍やアッティカ軍からの捕虜だった。現在、石切場跡の周辺には草木が生い茂り、まるで楽園のようだから「天国の石切場」と呼ばれるようになったらしいが、当時は天国どころか地獄だっただろう。トンネルの中はじめっとしていて、岩肌にはところどころ苔が生えている。

石切場の奥には「ディオニシオスの耳(Orecchio di Dioniso)」と呼ばれる、これまた巨大な石窟がある。高さ23メートル、奥行きは65メートル。中は真っ暗で湾曲している。この洞窟の中ではほんの小さな音でも増幅されて大きく聞こえる。古代ギリシアの植民都市であったシラクーザの僭主ディオニシオスは疑り深い性格で、捕虜たちのヒソヒソ話を聴くためにこの洞窟に彼らを閉じ込めたという言い伝えがあるらしい。洞窟のかたちもまるで耳のようだから、「ディオニシオスの耳」とは上手い呼び名をつけたものだなと思う。

こちらは公園内のギリシア劇場。直径138m、推定観客席総数は1万5000席。紀元前5世紀からここで喜劇や悲劇が上演されたが、ローマ時代には演劇は流行らなかったので、剣闘士の闘技会場に作り変えられて使われていたそうだ。

こちらはローマ時代の円形競技場。アレーナの中心部には特殊効果のための地下装置を設置したとされる穴が開いている。古代のイベントの特殊効果って?まさか、光のショーなんてやっていたわけはないし、どんなものだったんだろう?シラクーザといえばギリシアの科学者アルキメデスの故郷。当時から技術が発達していたというから、いろんなカッコいい仕掛けが観客の目を楽しませていたのだろうね。

考古学公園は広大なので、隅から隅まで歩こうとすると大変である。暑いし、石の坂道を登ったり降りたりしてヘトヘト。シチリア島はどこへ行っても坂道で、しかも地面が硬いので、連日歩き回っているとだんだん腰がバキバキに硬直して来る。土地柄、深々としたソファーに座れるような場所もほとんどなく、カフェやレストランの椅子も硬くてなかなか辛いものがある。公園内にはまだまだ他の見所もあるのだが、先にオルティージャ島も歩いた後だから、もうギブアップ。

 

 

 

 

タオルミーナ(Taormina)からエトナ山公園周辺をドライブしながら火山による地形を見て回った後、一足先にドイツに戻らなければならない娘をカターニア空港へ送り届け、私と夫はさらにシチリア島ロードトリップを続けることにした。

次に向かったのはパンタリカの岩壁墓地遺跡(Necropoli di Pantalica)。パンタリカはカターニアの南のイブレイ山地に位置する。アナポ川やカルチナラ川が刻む渓谷の間にある台地である。そのパンタリカには大規模な古代墓地遺跡(ネクロポリス)があるという。リーパリ島で見たギリシア・ローマ時代のネクロポリスもとても興味深かったが、パンタリカの古代墓地はさらに古く、岩壁に紀元前13世紀から紀元前7世紀まで使われたと考えられる墓穴がなんと5000以上も残っているという。それは是非とも見に行きたい。

パンタリカでは、アグリツーリズモ(Agriturismo)と呼ばれる農家の宿に泊まった。今回のシチリア・エオリエ諸島旅行では、アパートメントタイプの宿、B&B、アグリツーリズモといろいろなタイプの宿泊施設を利用してみたが、その中でダントツ気に入ったアグリツーリズモ。コロナ禍のこともあり、なるべく田舎の空いているところがよかったので利用したのだが、景色のいい静かな場所で広々とした部屋に泊まれる上に、そこで育てている新鮮な野菜を使った美味しい料理を出してくれるのがいい。アグリツーリズモにもいろいろあって設備やサービスはまちまちのようだけれど、少なくとも私たちが今回利用したところはどこもとてもよかった。プールがあったり、馬やロバに乗れたり、アクティビティが充実しているアグリツーリズモも少なくないようだ。コンセプトがすごく気に入ったので、今後、イタリアを旅行する際はいろんなアグリツーリズモを泊まり歩きたい。

さて、パンタリカの岩壁墓地遺跡はかなり広範囲に散らばっていて、行き方は何通りかあるが、基本的には渓谷の小道を長時間ハイキングすることになる。私たちは東側からアナポ川沿いを往復15kmほど歩いた。

アナポ川

ゴツゴツした石灰岩に開けられたトンネルをくぐり抜けて進む。中は真っ暗なので懐中電灯が必要

一帯は自然保護区に指定されている。いろんなカナヘビがいて楽しい

しっぽが切れてるのも

茶色く見えるのは紅葉ではなく、山火事で焼けた跡

絶壁に圧倒されながら2時間ほど歩いた。

そしてついに岩壁に開いた墓穴が見つかった!

シチリア島の先住民族は、もともとは海岸付近に集落を作って生活していたが、外部から人が侵入するようになると、海辺の集落を捨て、内陸部の山の中へ避難して住むようになった。パンタリカに形成された集落は規模が特に大きいものだったと考えられているが、この古代墓地(ネクロポリス)と関連のある集落の跡はまだ見つかっていないらしい。しかし、ネクロポリスからはギリシアのミケーネ文化の影響が見られる陶器や装飾品などの副葬品が出土しており、それらは50kmほど離れたシラクーザの考古学博物館に展示されている。

それにしても、あのような崖の上の、一体どうやってアクセスしたのかわからないような場所にわざわざ穴を掘って死者を埋葬したのには、どういう意味があったんだろう?パンタリカの岩壁墓地遺跡はシラクーザとともにユネスコ世界遺産に登録されている。でも、そのわりにはパンタリカのネクロポリスに関する詳しい情報が少なくて、なんだかよくわからない。後日、もう少し良くわかったら書き足すことにしよう。

2時間半ほどアナポ・バレーを歩いたら、パンタリカ・ネクロポリス駅に着いた。といっても、これはかつてこの谷を列車が走っていた頃の名残である。小道はまだずっと先まで続いていたけれど、見たかった墓穴も見られたことだし、ここから来た道を引き返して宿に戻った。

この日もよく歩いたなあ。