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地質学アドベントカレンダー 2024年度は化石バージョン
クリスマスも終わり、2024年も残りわずかとなった。
日本ではクリスマスというと12月24日のクリスマスイブのみを指すが、私が住んでいるドイツではクリスマスは年間最大の行事で、「アドベント」と呼ばれるクリスマス前の時期を含めると、延々4週間以上にも及ぶのである。
もういくつ寝ると〜クリスマス〜と、キリストの降誕を待ち望むアドベントにつきものなのがアドベンツカレンダー。12月1日から毎日一つづつ小窓を開けていく。24の窓を全部開け終わったら、いよいよクリスマスイブだ。アドベントカレンダーの風習が生まれた頃は、窓を開けてその中に描かれた宗教画を眺めて楽しんでいたらしいが、いつからか、ちょっとしたプレゼントが出て来ることが一般的になった。
アドベントカレンダーがすっかり商業化した現代では、中にチョコレートが入ったカレンダーが最もポピュラーだけれど、それ以外にも、いろんなフレーバーのお茶を楽しめるカレンダー、使い切りサイズのコスメが入ったコスメカレンダー、毎日違う種類のビールが飲めるビールカレンダーなど、いろんなものがある。
我が家で数年前から買っているのは、鉱物採集の道具や鉱物・化石標本などを販売しているKrantz社が出しているGeologischer Adventskalender(地質学アドベントカレンダー)。窓の中に小さな標本が入っている。
2022年と2023年のカレンダー。右の大きいのがビギナー向け、左の2つは上級者向けのもの。
それぞれの標本について簡単に説明したブックレットがついているので、毎朝、その日の窓を開けて標本を取り出し、朝ごはんを食べながら、「これは何の石だろう?」と夫と二人で当てっこし、ブックレットの説明を読んで「ほー、なるほどー」と感心する、というのが我が家でのアドベントの楽しみになった。
この地質学アドベントカレンダー、なかなか人気があるようで、毎年、種類が増えている。2024年は化石バージョンも登場したので、そちらにしてみた。
化石バージョンもとてもよかった。標本はメジャーなものばかりなので、私たちがこれまでに化石ハンティングに行ってすでに収集したものも多く含まれていたけど、カレンダーの標本と手持ちのものを見比べるのも楽しいし、ブックレットには今まで知らなかったことが書かれていたりして、勉強になる。ただ、化石は多くの場合、生き物の一部なので、ブックレットの言葉による説明だけでは、その生き物がどんなかたちをしていたのか、想像しにくい。ネットで一つ一つ画像検索しながら説明を読んだ。ブックレットに簡単なイラストでも載っていたらより良かったのにと感じる。でも、同じ種でも形のバリエーションが多いものだと難しいのかもしれない。
24の標本のうち、特に面白かったいくつかを挙げておこう。
カルケオラ・サンダリナ (Calceola sandalina)
地質時代: 古生代デボン紀中期アイフェリアン
年代: およそ3億8500万年前〜4億700万年前
産出場所: ドイツ、ラインラント州ゴンデルスハイム(Gondelsheim)
スリッパのような形をしているので、俗にスリッパサンゴ(Pantoffelkoralle)と呼ばれる。群体を成さずに単体で生活していた。縦に成長するのではなく、平らな面を下にしてサンゴ礁などに固着し、横方向に成長した。殻の開口部には泥の侵入を防いだり、捕食者から身を守るための蓋を持っていたが、殻が化石として残っているケースは非常に稀らしい。
Planorbis multiformis (Gyraulus trochiformis)
地質時代: 新生代新第三紀中新世
年代: およそ1500万年前
産出場所: ドイツ、バーデン=ヴュルテンブルク州シュタインハイム
一見、どうってことのない小さな巻貝に見えたが、説明を読んだら面白かった。この標本はシュタインハイム貝砂層と呼ばれる地層から多く産出されるヒラマキガイの化石。ヒラマキガイなのに、殻は平らではなく、とんがっている。これはなぜなのか?
シュタインハイムは、シュタインハイム盆地と呼ばれる盆地の内側に位置する。およそ1500万年前にそこに隕石が落下し、直径3.5kmのクレーターを形成した。今では牧草地になっているが、かつてクレーターは水で満たされ湖となり、そこには様々な生物が生息していた。長い時間をかけて湖が少しづつ干上がっていく過程で湖水の酸素が減り、塩分濃度が増していったので多くの種は環境変化に適応できず消えていったが、マキガイは環境変化に適応してよく繁殖した。リーフレットの説明によると、尖った形状の殻を持つ個体は捕食者が食べにくいので生存に有利だった。しかし、捕食者の魚がいなくなると、尖った殻を持つ個体はまた減っていったそう。
興味が湧いたのでさらに調べてみると、シュタインハイム貝砂層に見られるヒラマキガイ化石の殻の形状が古い地層から新しい地層へ変化していることに初めて気づいたのは19世紀に活躍した古生物学者フランツ・ヒルゲンドルフ(Franz Hilgendorf)で、この発見はダーウィンの進化論を初めて追認するものとして大いに注目されたとのこと。
実はこちらの過去記事に書いたように、シュタインハイムには行ったことがあり、クレーターの縁を歩いたり、メテオクレーター博物館を見たりしたのだけれど、この貝のことは今まで知らなかった。もしかしたら博物館の展示で言及されているけど、隕石のことで頭がいっぱいで気づかなかったのかもしれない。
Heliophora (West African Sand Dollar)
地質時代: 新生代新第三紀鮮新世
年代: 400万年前〜現在
産出場所: サハラ砂漠
ギザギザが星に見えないこともない12月24日の標本はウニ綱タコノマクラ目のHeliophora 。ウニの仲間だけれど、お煎餅のように平べったいのが特徴。浅い海に群生を成し、しばしば、まるで瓦屋根のように重なり合って生息していたようだ。Krantz社のオンラインショップの説明によると、Heliophoraは絶滅しておらず、現在も西アフリカの海岸に生息する。
ということで、今年のアドベントも、毎日、小さな楽しみがあった。
ノルウェーの英雄フリチョフ・ナンセン オスロのフラム号博物館で辿る北極探検の軌跡
フリチョフ・ナンセン (Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen)の名前を知ったのは15年ほど前になる。当時中学生だった息子が親しくなったクラスメートの名前が「フリチョフ」だったのだ。ドイツでは珍しい名前だなと思ったら、ノルウェーの極地探検家、フリチョフ・ナンセンにあやかって命名されたという。その男子のお父さんは極地研究者なのだった。それでナンセンの存在を知ったのだが、偉大な探検家らしい、ということ以外は知らないままでいた。
今回、初めてノルウェーを訪れることになり、そういえばとナンセンのことを思い出した。首都オスロにはナンセンが北極圏探検に使った船、フラム号が展示されているフラム号博物館がある。見ておかなくちゃ。
毎度のことながら、博物館外観の写真を撮り忘れた。館内に入ると、ナンセン像が迎えてくれる。
館内中央にどーんとフラム号が展示されている。1893年から1896年にかけて、ナンセンはこの船に乗って北極点を目指したのだ。こんな木造の船で?と現代の感覚ではびっくり。しかし、フラム号には特別な設計がなされていた。船体の丸みを帯びたかたちのおかげで、フラム号は北極海に浮かぶ厚い氷に閉じ込められても押しつぶされずに上に持ち上げられるように作られている。実際、フラム号はナンセンによる長期間にわたる航海の間、持ちこたえた。その後、オットー・スヴェルドラップによる第二次北極探検やロアール・アムンセンの南極探検にも使われている。
設計士Colin Archerによるフラム号のモデル
ナンセンの北極探検の構想は、フラム号を氷に閉じ込め、流氷と共に漂流させ、数年かけて北極点に到達するという大胆かつ壮大なものだった。ナンセンはこのアイディアを1881年にシベリア北海岸沖で沈没し、その3年後にグリーンランド沖で発見された米国の探検船ジャネット号から得ている。この探検の途中でナンセンはフラム号を降り、徒歩で北極点を目指したが、結局、北極点に到達することはできなかった。それでも、ナンセンの探検はその後の極地探検の礎を築くことになる、とてつもない業績だったのだ。
展示されているフラム号の中に入ってみた。
ナンセンを含めて13人が5年分の食料を積んだこの船で生活を共にした。中はかなり広いけれど、氷に閉ざされ、真冬は太陽が昇らない北極圏、船の中で何年も過ごすなんて過酷の極みだ。肉体的にも精神的にも極めて強靭じゃなければ無理だろう。想像の域を完全に超えているよ、、、。
発電のための風車
船員の寝室
食堂。フラム号のFRAMの文字が入った食器が並ぶ。
ナンセンの航海道具
当時、ナビゲーションに使われていた六分儀
海洋学者であり動物学者でもあったナンセンは、この探検を通じて海流や北極地域の環境に関する研究を行い、科学の発展に大きく寄与した。ナンセンを探検に駆り立てたのは、誰よりも早く北極点に到達したいという野望だけでなく、未知の世界を知りたいという圧倒的な知的好奇心でもあったのだ。
さらに、ナンセンはヒューマニストでもあった。第一次世界大戦後、国際連盟で難民高等弁務官を務め、数多くの難民を支援した。ナンセンが無国籍者や難民に身分証明書に発行した、いわゆる「ナンセン・パスポート」は難民の移動や再定住を可能にした。この活動により、ナンセンは1922年にノーベル平和賞を受賞している。
すごい、、、、すごすぎる。まさにレジェンド。まちがいなくノルウェー国民にとってのスーパーヒーローだろう。
フリチョフ・ナンセンの圧倒的な人間力に自分のちっぽけさを痛感してしまった。
さて、このフラム号博物館、フラム号とナンセンについてだけでなく、アムンセンなど他の探検家についての展示も充実していて、人類の極地探検の歴史を辿ることができる。ショップの書籍コーナーに置いてある資料も豊富だ。
今回、買って来た資料
ヨトゥンハイメン国立公園で北欧最高峰ガルフピッゲン (Galdhøpiggen)に登る
ノルウェー旅行記の第二弾は、ヨトゥンハイメン国立公園(Jotunheimen National Park)での山登りについて。
ヨトゥンハイメン国立公園は首都オスロから北西に300kmほど移動したところに広がる山岳地帯。オスロから拠点となるロム(Lom)の町までは車移動で4時間から4時間半かかる。
地形が複雑なノルウェーでは移動にとても時間がかかる。今回のノルウェー旅行は1週間という短い日程だったので、内陸部のジャコウウシが見られるドブレフエル国立公園(詳しくはこちらの記事を)とヨトゥンハイメン国立公園とフィヨルドの両方を見るのは時間的に難しかった。何を優先しようか迷った末、今回はフィヨルドはパスして山地へ行くことにした。その理由は、「氷河が見たかったから」。
いくつかの過去記事に書いているが、北ドイツに住んでいる私にとって、氷河は特別な意味を持つ存在なのである。というのは、北ドイツはかつて氷河に覆われていた。今も風景の至るところにその痕跡を認めることができる。北ドイツの平野に転がっている石の大部分は氷河によってスカンジナビアから移動して来たものだ(過去記事: 氷河の置き土産 北ドイツの石を味わう)。それらの石を眺めるたびに、「これらの石を運んで来た氷河のパワーはどれほどのものだったんだろう?」と考えてしまう。ヨトゥンハイメン国立公園には北欧最高峰のガルフピッゲン山(Galdhøpiggen)があり、登頂するのにはいくつかのルートがある。その中に氷河を横切るルートがあると知り、ぜひやってみたいと思ったのだ。
出発点となるのは標高1851メートルの高さに位置する山小屋、Juvasshytta。ヨトゥンハイメン国立公園への拠点となるLomの町から山道を車で35分ほど登ったところにある。Lomは緑深い森に囲まれているが、山道を登る途中で森林限界を越え、Juvasshyttaに着いたら、そこはまったくの異世界だった。
Juvasshytta。世界一標高の高い宿泊施設だそう。
山小屋は氷河湖Juvvatnetに面している。
グレーと白とブルーのコントラストが綺麗。
うわー、迫力!
Juvasshyttaは、山小屋と呼ぶのに似つかわしくないほど快適だった。
食堂からの眺め
部屋からの眺め
向こうに見える3つのピークのうち、一番右がガルフピッゲン山。宿から山頂までは片道およそ3時間、頂上での休憩も含め、往復で7時間ほどかかるという。北欧最高峰といっても標高2,469mでそれほど高くないけれど、日頃から山に登り慣れているというわけではないし、氷河をわたるという特殊なシチュエーションなのでドキドキである。氷河渡りは危険を伴うので、プロのガイドなしで渡ってはいけない。Juvasshyttaが提供するツアーに申し込む必要がある(申し込みはこちらから)。
山小屋からガルフピッゲン山頂までのルートは3つのステージから成る。
1つ目のステージは、山小屋から氷河まで(上の地図の黄色い線)。距離は3つのステージの中で一番長く、所要時間は平均でおよそ1時間。2つ目のステージは氷河上の移動(水色の線)で、渡りきるのに大体45分から50分かかる。最後のステージで急な坂を山頂まで登る(赤い線)。地図上で見ると距離が短いけれど、3つのステージの中で最もハードでさらに1時間ほどを要する。
尾根づたいに登る
私は氷河を渡ることに特に不安はなかったが、ふだん平地に住んでいてキツい斜面は登ったことがないので、最後のステージをやりきれるか、自信がなかった。それに、特別山に登りたかったわけでもなく、氷河が渡れればそれでよいという気持ちだった。しかし、氷河を渡ったところでグループから抜けて自分だけ引き返すという選択肢はなく、ツアーに参加するからにはなにがなんでも山を登り切らなければならない。
幸い、当日はまずまずのお天気だった。でも、山は天気が変わりやすいし、ガルフピッゲンでは8月でも普通に雪が降るので、しっかりとした登山靴と冬の服装(手袋、帽子含む)が必須。氷河の上は眩しいのでサングラスもあった方がいい。ランチ、飲み物も各自持参である(ランチ代を払えば、山小屋の朝食ビュッフェから好きなものをお弁当に持っていくことができる)。ガイドさんの説明を聞き、ハーネスを装着して、午前10:00に山小屋を出発した。
第一ステージ
山小屋から氷河までの第一ステージは傾斜が緩やかだけれど、ゴツゴツと角ばった石の上を歩くので、歩きやすいとはいえない。うっかり足を挫いたりしないように注意が必要だ。このステージは各自のペースで歩いてよいが、一定時間以内に氷河まで辿り着く必要がある。1時間半経っても辿りつかない場合は、みんなと一緒に山頂まで登る能力がないとみなされ、山小屋へ引き返すように要請されるとのことだった。この日は参加者全員がほぼ1時間で第一ステージを歩き終えた。いよいよ氷河渡りだ!
氷河に着いたら、装備を装着する。
靴にクランポン(アイゼン)を装着。装備はツアー代金に含まれている。
腰に装着したハーネスのカラビナをロープの結び目に引っ掛けて、全員が1本のロープで繋がった状態で氷河を渡る。
第二ステージ、しゅっぱーつ!
渡る氷河の名前はStyggebreen氷河といい、現地の方言で「危険な氷河」という意味だそうだ。ガイドさんによると、雪がたくさん積もっているとクレバスが見えないのでとても危険だけれど、夏場の今は雪がなくて氷だけなのでクレバスの位置がわかるからそれほど危険ではないらしい。とはいっても、ガイドなし、装備なしで渡るのはダメ。
クランポンをつけていれば、氷の上を歩くのは難しくなかった。ただ、ロープで繋がっていると前後の人と常に歩調を合わせなければならないので、その点で少し緊張する。お天気はよかったのだが、氷河が流れている場所は谷なので風が強く吹きつけ、氷の粒が顔を叩いた。
氷河を無事渡り終え、いよいよ第3ステージである。
この岩崖をよじ登る。
第3ステージでは300メートルを超える急登だ。一部、幅がすごく狭いところがあって、左右は崖なので、高所恐怖症の人にはキツいかもしれない。でも、途中で休憩できるようなスペースはないし、目の前の岩をよじ登るのに背一杯で、崖の下を見下ろしている余裕はそもそもない。前にも後ろにも人がいるのでもたもたするわけにもいかず、一気に登った。
もうすぐ山頂
着いたー!!
Galdhøpiggenは周囲を氷河に囲まれている。すごい眺めだ。これを見られたのだから、登った甲斐があった。
雄大な眺めをたっぷりと堪能!と言いたいところだけど、山頂はやはりかなり寒いので、石造りのロッジに入ってお弁当のサンドイッチを食べ、暖を取った。45分ほど休憩したら下山だ。
登るよりも降りる方がむしろ大変。
そして再び氷河渡り。行きよりも氷が溶けていた。
氷河を渡り終わって、やれやれ、あとは山小屋へ戻るだけ、もうハイキングは終わったようなものだと思ったのだけれど、この時点ですでに足がけっこう疲れてもつれて来たので、石ころだらけの道を戻るのは難儀だった。
ぴったり7時間でJuvasshyttaの暖かい部屋に到着。やりきったー。
子どもの参加者もいたし、ガイドさんは二人とも若い女性だったし、私でも登れたのだから難易度が高いわけでもなく、健康な人なら誰でも登れる山だと思う。でも、氷河を渡るという新しい体験ができたし、「北欧最高峰を登頂した」のだと思うとやっぱりちょっと特別な気持ちがする。
そして、登るのはそこまでハードではないとはいえ、危険がないわけではない。私たちが登った日は幸い、お天気に恵まれたけれど、悪天候になって視界が悪くなれば、崖登りのハードルはその分上がるだろうし、寒いのが苦手な人は防寒対策をしていても辛いかもしれない。それと、山頂のロッジにはトイレはない。7時間に渡るハイクの途中、木も生えていなければ茂みもないので、ちょっとその辺でというわけにもいかない。この点は要注意!
ノルウェー、ドブレフエル国立公園でジャコウウシ・サファリ
ヨーロッパに住むようになって、34年。ヨーロッパはかなり回っているけれど、未踏の地はまだまだある。今回、初めてノルウェーに行って来た。
せっかく夏のノルウェーへ行くなら、オスロだけでなく自然を楽しみたい。しかし、ノルウェーは広い。いったいどこから手をつけたら良いものか。考えていたら、ノルウェー育ちの若い女性がいくつか提案をしてくれた。そのうちのひとつがドブレフエル国立公園(Dovrefjell-Sunndalsfjella-Nationalpark)だ。ノルウェーに数ある国立公園の中で彼女が特にこの公園を勧めてくれたのは、「野生のジャコウウシを見ることができるから」だという。
ジャコウウシと聞いて、飛びついた。実は、半年ほど前から探検家の角幡唯介氏のグリーンランド探検の本にどハマりしている私。角幡さんの本の中で幾度となく登場するジャコウウシに興味を抱くようになっていたのだ。ノルウェーにもジャコウウシが生息しているとは知らなかった。ドブレフエル国立公園はノルウェーで唯一の野生のジャコウウシの生息地だという。公園内にはMusk Ox Trailというハイキングルートがあり、ジャコウウシに遭遇するのはさほど難しくないらしい。でも、確実に見たければガイドツアーに申し込むべしとのことで、近郊の町オップダール(Oppdal)発のこちらのツアーに申し込んだ。
ツアーの所有時間は、ジャコウウシがどこにいるかによって変わり、4〜8時間。公園の入り口があるヒエルキン(Hierkinn)という小さな集落から(オップダールからヒエルキンまでは各自、マイカーで移動)ガイドさんの誘導でジャコウウシを探して歩いた。
ノルウェーではジャコウウシの化石が見つかっており、2万年ほど前にはジャコウウシが多く生息していたことがわかっているが、氷河期に絶滅してしまった。カナダやグリーンランドから移入の試みが行われては失敗を繰り返し、1947年にグリーンランドから移入された21頭から繁殖し、定着した。現在、ドブレフエル国立公園には推定250〜300頭がいるという。一時は約350頭にまで増えたが、密度が高くなり過ぎたため一部がスェーデンへ移動し、そこでさらに繁殖しているそうである。
ドブレフエル国立公園の自然環境はツンドラだ。夏には地面が解けて湿地帯のようになるが、その下は永久凍土である。「ツンドラ」とはノルウェーの少数民族サーミ人の言葉で「木のない平原」を意味するらしいが、実際、ところどころに白樺が見られる以外、木は生えておらず、灌木と草と苔と地衣類が表面を覆っている。
2時間ほど歩いたら、Snove川の向こうにジャコウウシの姿が見えてきた。川を渡って(橋はないので、飛び石で)、双眼鏡でよく見える距離まで近づいた。ジャコウウシは適切な距離(最低200m)を守って観察する分には人間を攻撃することはないそうだ。でも、うっかり近づき過ぎると、首を振ったり、蹄で地面を引っ掻いたりなど威嚇のサインを発する。体重400kg、走る速さは最大時速60kmだというんだから、体当たりされたらひとたまりもないだろう。オス同士がツノを突き合わせて激しく戦うと、頭突きの衝撃で認知症になってしまうこともあるという。
そこには、オス1頭、メス3頭と子どもが2頭、全部で6頭の個体がいた。ガイドさんによれば、数キロ離れた場所にさらに5頭がいるらしい。
長い毛が風に靡いている。長い毛の下にはキヴィアックと呼ばれる短いフワフワの産毛があり、それが良い断熱材となるので極寒の地でも生きられる。ただし、防水性はないので、雨が降り続けて体が濡れると、子どものジャコウウシは肺炎を起こして死んでしまうことがよくあるそうだ。
あちこちの低木にジャコウウシの産毛が絡まっている。採っても構わないとのことだったので、少しもらって行くことに。
キヴィアック
フワッフワに軽く柔らかい。「ジャコウウシ (Musk Ox)」の名は繁殖期のオスが分泌する強い匂いが由来なので、匂うかなと思って嗅いでみたけれど、特に何の匂いもしなかった。ちなみにジャコウウシはウシ科の生き物ではあるものの、近縁はヤギだそう。
私たちに観察されても特に気にしていないようで、ゆっくりと草を食べている。
ずーっとムシャムシャやっている。1回の食事に大体4時間くらいかかり、食べ終わったら4時間くらい寝て、また4時間かけて食事、、、というのを繰り返すそう。
1頭は川を往復していた。
食べ終わったので昼寝タイム。
私たちが遠くから観察していてもまったく気にしていない様子だったが、一度、近くの道を観光バスが通り過ぎたとき、集まって塊になった。危険を感じるとこうして子どもたちを真ん中に入れてみんなで守るのだそう。
持参したサンドイッチのお昼ご飯を食べながらジャコウウシたちを40分ほど観察し、来た道を引き返した。結局、この日のツアーは5時間ちょっと歩くツアーとなった。たくさん歩いてくたびれたけど、目的を果たすことができて満足満足。ガイドツアーに参加すれば99%の確率で遭遇できるらしい。ジャコウウシはパッと目の前に現れてサッと逃げてしまうような生き物ではないので、じっくり眺めることができるのがいいね。
ここからはおまけ。
ツアーの後、車を止めてあったヒエルキンの駐車場近くにある展望小屋、Viewpoint Snøhettanに寄ってみた。丘を1.5kmほど登ると、片側の壁一面がガラス張りのウッドキャビンがあり、ドブレフエルの山並みを一望することができる。
ウッドキャビン内部。寒い日でもパノラマビューが楽しめる。
素敵なキャビンだけど、この日はお天気が良かったので、小屋の中からガラス越しで景色見るよりも外で見る方がいい。
ドブレフエルの最高峰、スノヘッタ山が綺麗に見えた。氷河の成長によってえぐられてできた圏谷(カール)の迫力がすごい。
この記事の参考サイト:
ドブレフエル国立公園ウェブサイト
氷河の置き土産 〜 北ドイツの石を味わう(発展編 その1風蝕礫 Windkanter)
迷子石。ずっと昔、1万年前よりももっと昔、スカンジナビアから氷河の流れによって北ドイツに運ばれて来た石。ブランデンブルク州に住むようになって以来、今も北ドイツのあちこちで見られる、そんな不思議な石に魅力を感じている。
2020年に迷子石(より広範囲には 、氷河によって運搬された石(Geschiebe)」に関して導入編、基礎編を書いてから、ずいぶん時間が経った。相変わらず興味が尽きず、この4年の間に少しわかったこともあるので続きをまとめていこう。発展編として長く続くシリーズになるかもしれない。
今回は、ヴィントカンター(Windkanter)と呼ばれる石について。ヴィントカンターとはこんな石。
風(Wind)によって作られた角(Kante)を持つ石のことで、英語ではventifactという。日本語では「風触礫」と呼ばれるようだ。写真の石は近所を散歩中に見つけたもの。ヴィントカンターとは岩石の種類ではなく、特徴的な角ばった形状を指している。
ポツダムのロックガーデン(Geschiebegarten)に展示されたヴィントカンター群
氷河によって運搬された石の一部がこのような形状を持つようになる。それはなぜだろうか。
氷河の末端に位置していた場所では、氷に覆われた気温の低い場所から氷のない気温の比較的高い場所に向かって強い風が吹いていた。地表にある石に砂を多く含む強い風が長期間にわたって一定の方向から吹きつけることで石の表面が研磨され、平らな面ができた。風向きが変わったり、石が転がって向きが変わると、今度は別の面が削られ、その境目に尖った角(稜角)ができる。そのため、ヴィントカンターには複数の稜線を持つものがある。
3つの稜線を持つものは特にドライカンター(Dreikanter)と呼ばれる。ヴィントカンターは北ドイツではまったく珍しくないが、きれいなドライカンターを見つけると嬉しくなる。
ヴィントカンターについて調べていたら、日本にも「白羽の風触礫」と呼ばれる石が存在することがわかった。静岡県前崎市白羽がその産地で、国の天然記念物に指定されているらしい。中でもドライカンターは「三稜石」と呼ばれ、極めて珍しいとのこと。石の風触は乾燥地で見られる現象で、北ドイツではありふれた石だけれど、多湿な日本ではこのようなかたちの石ができる場所は限られているようだ。残念ながら、「白羽の風触礫」はすでに採集し尽くされていて、産地に行っても地形を観察することしかできないようだけれど、牧之原市史料館に石が展示されているとのことで、いつか機会があれば見てみたい。
普段、住んでいるヨーロッパでジオ活動をしているけれど、気になる石や地形について調べていると日本にある同じようなものについても知ることになって面白いな。
この記事の参考資料:
Beate Witzel, “Steine, Mammuts, Toteislöcher: Auf den Spuren der Eiszeit in Berlin”
Fachgruppe Mineralogie Geologie Paläontologie Potsdam (ポツダム地質学研究会が発行する冊子)” Geschiebe Garten Großer Ravensberg – Arbeitsmappe für Lehrer und Erzieher”
Mineralienatlas- Fossilienatlas のWindkanterのページ
Wikipedia: 白羽の風触礫産地
庭で野鳥の営巣観察2024 その4 アオガラのヒナも2軍のシジュウカラのヒナも無事に巣立つ
こちらの記事に書いたように、庭に設置したカメラ付き巣箱3つのすべてで野鳥が営巣をするという、これまでにない展開になった2024年の春。
ハウス1、2、3のうち、ハウス3からはシジュウカラのヒナ6羽が巣立った(詳しくはこちら)。ハウス1とハウス2についても時系列にまとめておこう。
ハウス2
シジュウカラが作り始め、途中で放棄した巣をアオガラが引き継ぎ、4/13から産卵を始めて全部で5つの卵を産んだ。このアオガラのメスは巣材に大量の鳥の羽を使い、パッと見カオスだったので営巣が下手なのかなという印象だったけれど、ヒナが産まれると全員に満遍なく餌を与え、ヒナの成長の個体差はほとんど見受けられなかった。
お母さん、座ったまま寝てる、、、
シジュウカラの子たちと違って、巣箱の中ではみんな静かで、巣立ちギリギリまでほとんど鳴かない。アオガラのヒナはそういうものなのか、それともこの兄弟の特徴なのか。
静かーにお母さんの帰りを待つヒナたち
5/23、5羽のヒナは元気に巣箱から飛び出した。
社会人(鳥)、1日目!
でも、まだ親に食べさせてもらう。
ハウス1の方は冬の間からずっとシジュウカラが寝床として利用し、4月に一旦営巣を始めるたものの、2日で放棄してしまっていた。この巣箱はもうこのまま今年は使われないのかなと思っていたら、5/16、シジュウカラが営巣の続きを初め、5/19に最初の卵を産んだ。冬の間に寝泊まりしていた個体だろうか。
6/6 、6羽のヒナが生まれる。12日後の6/18には目も開いてすっかりシジュウカラらしくなった。しかし、気になったのは1羽、明らかに発達の遅い子がいたことだった。羽毛がまだあまり生えておらず、他の子達よりも少なくとも3、4日分は発達が遅れているように見える。特に弱々しいというわけではなく、餌をもらおうと一生懸命、裸の首を伸ばしてがんばってはいたが、兄弟たちと一緒に巣立てるだろうかと心配になった。そしてその子を含めても巣箱の中には5羽しか見当たらない、6羽目は?
巣箱の中でヒナが重なり合ってカメラ越しには全員が見えないことがよくあるので、きっとそのせいだろうと思ったが、その翌朝見たら、巣箱には4羽しかいない。前日に必死に生きようとしていた5羽目のヒナの姿もなかった。力尽きたのか、それとも元気な兄弟たちの下敷きになって潰れて死んでしまったのだろうか。残念だけれど、しかたがない。過去数年にわたって野鳥の営巣や巣立ちを観察する来た中で、卵が孵らないことや、ヒナがみんな死んでしまうことは珍しくないのだと諦めがつくようにもなった。もちろん、みんなが無事に巣立てば、それ以上嬉しいことはないのだけれど。
6/23、気の早い最初の1羽が巣立った。生まれてから2週間と3日。今まで観察して来た営巣では巣立ちまで平均で3週間くらいかかっていたから、成長が早目である。営巣開始の時期が比較的遅かったから、その分、気温が上がっていて、育ちがよかったのかもしれない。残る3羽も何度も羽ばたきを試みたが、その日は巣箱から飛び出せず、翌日早朝、迎えに来た親鳥に誘導されて次々と大空へ。
そんなわけで、今年はシジュウカラ10羽、アオガラ5羽、合わせて15羽のヒナが巣箱から巣立つことができた。2020年から観察を始めて5年目の今年がこれまでで最高。素晴らしい春だった。
でも、外の世界に出たらもっと危険があって大変。
庭に大きなヘビが来ることもあるし、大家としてはハラハラが続くのであった。