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今年の7月に友人のライター、久保田由希さん(@kubomaga)との共著で出版した「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ 給水塔」(詳細はこちら)でブランデンブルク州内の給水塔44基を紹介した。その中の1基、アンガーミュンデ(Angermünde)の給水塔は現在、宿泊施設として再利用されている。ページ数の関係により、本の中では詳しく紹介できなかった(P.41に掲載)ので、ここで改めて紹介したい。

アンガーミュンデの給水塔

 

給水塔に泊まるって、どんな感じだろう?と気になり、先日、この塔に実際に宿泊してみた。アンガーミュンデ市はベルリンから北東およそ70km。給水塔は駅の真ん前にある。

 

1901年に建設されたこの給水塔は2007年に大掛かりな改修工事が行われ、現在は宿泊施設となっている。ホテルではなく、キッチン設備のあるアパートメントタイプの宿だ。(ウェブサイトはこちら

 

敷地内に入り、塔の裏手に回ると、外付けのエレベーターと階段があり、アパートメントに直接アクセスできるようになっている。タンク部分には塔の管理人さん一家が住んでいて、借りられるのはその下のレンガで覆われた部分で、2つの階それぞれ丸ごとがアパートメントになっている。私たちが予約したときには両階とも空いていたので、2つのうちの上の階を借りることにした。

着いたのが夜だったので、こんな感じ。真ん中が居間、居間の奥がキッチンとダイニングスペース、反対側がベッドのあるスペースになっている。落ち着いた温かみのある内装だ。

キッチン&ダイニングスペース

 

なんと、キッチンの窓からはもう一つの小さな給水塔が見える!

 

泊まってみて、快適さに驚いた。床暖房で足元ポカポカ、ソファーも深々として気持ちが良い。家具はどれも質の良いもので、こだわりが感じられる。

 

塔を輪切りにした円形アパートメントで円形で、真ん中部分がフロアとなっているのが面白い。向こう側に見えるドアの後ろはバスルーム。左側の緑のドアを開けると、

階段で下に降りることができる。これぞ「塔に住んでます」という感じでワクワクする。

 

給水塔の絵が彫られたフロアの家具

 

階段から地階に降りてみた。出入り口付近には観光パンフレットがたくさん置いてある。アンガーミュンデ市は小さい町で、市内にはそれほどたくさん見所があるわけではないが、周辺にはUNESCO自然遺産に登録されたブナの森(Buchenwald Grumsin)やSchorfheide-Chorin自然保護区Unteres Odertal国立公園など多くの自然保護区が広がり、拠点として便利だ。車があればあちこちへ足を延ばすことができる。でも、車がなくても大丈夫。アンガーミュンデからは各方面へ観光バスが出ている。(情報はこちら

給水塔情報&グッズコーナーがあった。アンガーミュンデ給水塔110周年には記念グッズがいろいろ作られたようである。

こんなカレンダーもあったとは。給水塔の本を書いた私が言うのも変だけど、マニアな人たちがいるもんだねえ〜。

地階はメゾネット構造になっているので上ってみよう。

ミーティングスペース?ここで給水塔ファンの人たちが作業をしたりするのであろうか。

椅子がすごい!!!

大変な凝りようだ。なんかもう、給水塔愛がビシバシと伝わって来る。現存する給水塔は貴重な技術遺産であり文化財である。それを大切に守り継承していこうという強い意思が感じられて、圧倒される。それにしても、改修にはかなりのお金がかかったに違いない。(工事の様子は塔のサイトのこちらのページから見ることができます)

 

裏庭には子どもの遊び場とバーベキューができるスペースがあるのだが、遊び場にまでミニ給水塔が設置されている。

 

こだわりが半端ないね。

 

フロアに置いてあったこの雑誌を手に取ってみた。これまた驚くほどマニアックである。「ドイツ国際給水塔協会(Deutsch International Wasserturm Gesellschaft)という団体が発行しており、ドイツ国内の給水塔に関する最新情報や会員による給水塔見学バスツアーの報告、世界各国の給水塔特集などが掲載されている。この号ではオーストリアと仏ブルターニュ地方の給水塔群の紹介、ドローンで撮った給水塔画像のほか、キリギスタンの高置給水タンクが3ページにわたって解説されている。キリギスタンまで行ったんかい!

 

こんなわけで、給水塔アパートメントってどんな感じかな?というくらいの気持ちで泊まってみたアンガーミュンデの給水塔はとても快適かつマニア心を大いに満たしてくれる素晴らしい宿であった。一つだけ難点を上げるとすれば、駅の側なので、ホームを流れるアナウンスがまる聞こえなことかな。音に敏感な人だと気になるかもしれない。それ以外は文句なしどころか、大満足だった。良心的な料金設定も嬉しい。これからも愛され続けて欲しい給水塔である。

 

 

 

7月に友人のライター、久保田由希さんとの共著で「ベルリン・ブランデンブルク探検隊 給水塔」を出版しましたが、幸いにも多くの方が興味を持ってくださり、久保田さんが日本へ持ち帰った分は数日で売り切れ、ドイツ国内の在庫も残りごくわずかとなりました。ご購入くださった皆様、ありがとうございます。心よりお礼を申し上げます。

極めてマイナーな内容ということで限定部数しか印刷していませんでしたが、電子版が完成しましたのでお知らせいたします。紙の本同様に電子版もベルリン在住のデザイナー、守屋亜衣(@ai_moliya)さんが担当してくださいました。

紙の本に収録した内容(全48ページ)に、電子版ボーナスページ4ページを加筆しました。価格は980円。私のオンラインショップ「まにあっくドイツショップ」からご購入頂けます。1回のご購入でpdfとePubの両方をダウンロード頂けます。

そして、これまでに「給水塔」をご購入くださった方、これからご購入くださる方全員にプレゼントがあります!!

プレゼント1

紙版・電子版をご購入のみなさまに、私がGoogle My Mapsで作成した「ドイツ全国の主な給水塔マップ」をシェア致します。ベルリンやブランデンブルク州以外の州にも給水塔がたくさんありますので、ドイツの他の地域にご旅行される方、または滞在中の方にご利用頂けると嬉しいです。

プレゼント2

すでに紙版をご購入くださったみなさまに、電子版ボーナスページのpdfを差し上げます。ご注文頂いた際にお知らせくださったメールアドレスまたはSNSのメッセンジャー経由でこちらからご連絡致しますのでお待ちください。

そもそもこの本を作ることになったきっかけは、2018年に私のポッドキャスト「まにあっくドイツ観光裏話」の中の「まにあっくカフェ」に久保田由希さんをゲストとしてお招きし、久保田さんが好きな塔の魅力についてたっぷりと語ってもらったことでした。

まにあっくカフェ 3 塔について語ろう

まにあっくカフェは、いろんな人からその人の好きなことについてお聞きすることで視野を広げたいという趣旨でやって来たものですが、久保田さんからこのときお話をじっくり伺うまでは私は塔にそれほど大きな関心を持っていませんでした。その一年半後に久保田さんと一緒に給水塔の本を作ることになるとは、思いもしませんでした。なんだか不思議ですが、まにあっくカフェという企画をやってよかったなとしみじみ思います。

そこで、今回、電子版を発売するにあたり、久保田さんとのまにあっくカフェの第二弾を収録しました。

まにあっくカフェ 9 「ベルリン・ブランデンブルク探検隊 給水塔」電子版発売記念トーク

よろしければ3と9、合わせてお聞きください。

久保田さんのブログの関連記事はこちらです。

お知らせです。

このたび、ベルリンを拠点に長年活躍されて来たライターの久保田由希さんと一緒に自費出版で「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ 給水塔」を出版しました!

町歩きが趣味の久保田さん、ブランデンブルク州内をあてもなくうろつくのが大好きな私。似たようなことが好きだよねと、二人で探検隊を結成しました。ベルリンの周辺に広がるブランデンブルク州は観光地としてはほとんど知られていません。その未知のブランデンブルク州を歩き、面白いもの、素敵なものを見つけたら写真を撮ってお互いに見せ合う。ときどき一緒に知らない町へ行ってみる。楽しいので、「#ブランデンブルク探検隊 」とタグをつけてTwitterで発信し始めました。最初は面白半分だったのですが、いざ名前をつけたら結構真剣に。

「ベルリンとブランデンブルクの給水塔をテーマにした本を作ろう!」

気づいたらどちらからともなく言い出し、私達の本づくりプロジェクトは走り出していました。

でも、なぜそもそも「給水塔」なの、って?

ご興味のある方は、以下の記事をお読みください。

半年ほどかけて作業し、ついに出来上がりました。

A5版、オールカラー全48ページ。久保田さんがベルリンを、私がブランデンブルク州を担当し、両州合わせて85基の選りすぐりの給水塔を紹介しています。掲載写真はすべて、自分達で撮影しました。文章も分担して書いています。それを、デザイナーの守屋亜衣(@ai_moliya)さんが素敵な本に仕上げてくださいました。表紙の写真は久保田さんのお気に入りの給水塔の一つ、ベルリン・マリーエンドルフ地区の給水塔。

裏表紙にはブランデンブルク州の3つの給水塔(ベーリッツ、ニーダーレーメ、プレムニッツ)。

本を作ると決めた当初は、給水塔の写真をひたすらたくさん撮影してカタログのように並べるつもりでした。給水塔って見た目が素敵だよね、というのがそもそも始まりだったから。でも、給水塔巡りをしているうちに、私たちの中で何かが変化していきました。給水塔は見た目の魅力だけでなく、それらが建てられた背景もとても面白いのです。なぜそこに給水塔が建てられたのか。それはいつ建てられ、それから現在に至るまでの間、誰にどのように使われて来たのか。給水塔を通してベルリンそしてブランデンブルク州各地の過去が見えて来ます。給水塔というものに着目しなければずっと知らないままだったかもしれないベルリンとブランデンブルクの面白さ。それを伝えたいと思いました。

だから、この本は写真で様々な形状の給水塔を紹介しながら、それらの背景についても説明しています。

目次と掲載給水塔マップ

本書を手に取ってくださった方が実際に掲載給水塔を見に行くことができるよう、所在地情報も記載しています。首都ベルリンには数多くの給水塔があるので、ベルリンにお住いの方、または旅行で来られる方に一味違う町歩きのヒントを提供する一冊に仕上がったのではないかと思います。ブランデンブルク州はかなり広く、実際に見て回るのは難しいかもしれませんが、日本語の情報が極めて少ないブランデンブルク州とはどんなところなのか、想像を巡らせ、足を運ぶきっかけにして頂ければ幸いです。

すごくニッチでマニアックな内容ですが、Twitterで事前告知したところ、多くの方にご予約を頂きました。ありがとうございます!!ドイツ及び欧州在住の注文者の方々には発送を開始しています。日本にお住いの方はもうしばらくお待ちください。

ご購入希望の方には価格10ユーロ(日本円価格は1200円の予定)+ 送料実費でお送りいたします。Twitterのメッセンジャーから私(@ChikaCaputh)または久保田さん(@kubomaga)までご連絡ください。もしくはこの記事のコメント欄をご利用ください。(自費出版のため完全限定部数で印刷していますので、在庫がなくなり次第、販売を終了致します。あらかじめご了承ください)

さて、このようにして出来上がった「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ 給水塔」ですが、完成と同時に久保田さんは長年住んだベルリンを離れ、日本へ本帰国されました。ベルリンを拠点に数多くの素敵な本や記事を執筆されて来た久保田さんがベルリンを離れることを残念に思われる人がたくさんいるでしょう。私ももちろん、その一人です。でも、久保田さんが日本に拠点を移されても、探検隊は解散ではありません。ベルリンやブランデンブルクと久保田さんの縁が切れるわけではなく、またちょくちょく戻って来てくださるそうです。

ですから、私たちの「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ」は続きます。今後、いろいろなテーマで展開していく予定です。

ここのところすっかりシジュウカラブログ化しているが、このブログは本来はマニアックな観光スポットを訪れてそれを記録するためのものであり、今年は以下の記事に書いたように、特に「給水塔」をテーマにブランデンブルク州を回るつもりだった。

ところが上の記事を書いた直後にコロナ禍で活動を中断せざるを得なくなった。外出が難しくなったので始めた自宅の庭でのシジュウカラ観察もとても楽しいが、ここのところようやく少しづつコロナルールが緩和され、密を避ければ多少の遠出ができるようになったので、ぼちぼちと活動を開始したところである。というわけで、かねてから行きたかったエバースヴァルデ(Eberswalde)市フィノウ(Finow)地区の給水塔を見に行って来た。

 

 

1917年に建てられたというフィノウの給水塔はまず、外観がすごい。このようなかたちの給水塔を目にするのは初めてだ。ガンダムの脚のような四角い柱4本の上にこれまた四角い貯水タンクが載っている。塔は高さ40メートルほどあり、すごい存在感。

この辺りでは古くから銅や真鍮の加工業が発達した。この給水塔はかつてこの地区にあった真鍮工場”Hirsch Kupfer- und Messingwerk”(略称HKM)のために建てられたもので、現在、内部は博物館になっている。

カッコいい地下空間

地上の入り口を入るとすぐ地下に降りる階段がある。地下には真鍮工場で使われていた設備の一部などが展示されている。でも、メインの展示室はここではなく、柱の中の螺旋階段を上ったところにあるタンク部分らしい。

200段以上あって、けっこうキツい(実はエレベーターもあるが、運動不足なので敢えて階段で)

タンクの壁が一部切開され、入り口になっている。うわー、なんか秘密基地っぽい。

タンク内部から上を見上げる

展示内容は真鍮工場HKMの歴史や工場で生産されていた真鍮製品などについてで、HKMの歴史が思いのほか興味深かった。ユダヤ人企業家ヒルシュ家が何世代にもわたって経営の手綱を握ったHKMは、全盛期には650人もの従業員を抱えた大企業だっただけでなく、充実した福利厚生制度をいちはやく導入した優良企業でもあった。工場の周辺には社宅(ジードルンク)が建設され、学校、郵便局、教会、墓地に至るまでの生活インフラが整備された。合唱団などのクラブ活動やスポーツリクリエーションまで、社員とその家族で構成されるコミュニティの中であらゆることが回っていたようだ。つまり、人生=会社。会社=人生。昭和の日本みたいな感じだったのかな。給水塔は工場設備だけでなく、ジードルンクにも生活用水を供給していた。給水塔はフィノウのコミュニティを支えていたんだね。

塔のてっぺんは展望台になっていて、周辺の森が見渡せる。塔の南側には工場のジードルンクが見える。

東にはタイプの違う住宅がいくつか建っている。これは工場で生産した銅板を使い、1931/1932年に発表されたクプファーハウス(「銅の家」の意)と呼ばれるプレハブ住宅のモデルハウスだ。1920年代の不況により経営難に陥っていたHKMが新しい戦略として打ち出したこの近代住宅の生産プロジェクトには、モダニズム建築の巨匠、ヴァルター・グロピウスが指揮を取っていた時期もあるそうだ。

展示室に置かれたクプファーハウスのカタログ。いろいろなタイプがある

フィノウには8棟のモデルハウスが並んでいるが、ベルリンではダーレム地区やフローナウ地区などにクプファーハウスが見られる場所があるようだ。今度探しに行くことにしよう。これらの住宅を発表して間もなく、ヒルシュ一族は経営から退き、パレスチナへ移住した。クプファーハウスはドイツからパレスチナへ移住したユダヤ人の間でも随分と売れたそうである。

展望台からエレベーターで地上に降りると、4本の柱の間の空間に4枚の慰霊碑が立っていた。ヒルシュは第一次世界大戦のタンネンベルクの戦いでドイツ軍を勝利に導いて英雄視されていたパウル・フォン・ヒンデンブルク元帥にちなみ、この給水塔をヒンデンブルク給水塔と命名していた。これらの石碑は1938年にナチスにより設置されたもので、第一次世界大戦で戦死した兵士の名が刻まれている。第二次世界大戦後、ヒンデンブルクの名前は撤去され、塔の名もフィノウ給水塔という政治的にニュートラルなものになった。

下から見上げた塔。4本の柱がタンクの下で交差し、十字ヴォールトを形成している

こうして今、博物館としてフィノウの歴史を伝えている給水塔だが、実はこの塔はとっくの昔に消えてなくなっていた可能性があるのだ。第二次世界大戦終盤の1945年、ヒトラーは塔や橋などのインフラストラクシャーを全て破壊せよという「ネロ司令」を出した。しかし、この給水塔の爆破命令を受けた兵士ゲアハルト・ケスラーがギリギリのところで任務を遂行しないという決断を下したため、塔は破壊を免れたのだった。給水塔を救ったケスラーはフィノウ地区の英雄である。

 

さて、塔を見学した後は、塔の周辺も少し散歩しようか。

かつて社宅だったジードルンクの建物

ジードルンクの建物はHKM創始者の名にちなんだグスタフ・ヒルシュ広場を囲むように建っており、広場の芝生には小さなショーケースが置かれている。1913年、青銅器時代後期に作られたとされる金製の装飾具、「エバースヴァルトの金の宝(Eberswalder Goldschatz)」がここで発掘されたのだ。しかし、ケースに入っているのは発掘物のレプリカで、本物はロシアのプーシキン美術館にあるんだって。うーむ。返してくれないのかなあ。

かつてのオフィス棟

 

なんだか駆け足でまとまりのない紹介になってしまったが、フィノウの給水塔は建築物としての面白さだけでなく、それが建てられ利用された時代の社会背景や政治背景、ユダヤ人コミュニティ、ジードルンク、モダニズム建築、さらには考古学発掘物など、深堀りできそうな要素が盛りだくさんでかなり面白い。この、多方面へと広がっていく感じ。それこそが探検の醍醐味である。次の機会にはいずれかのテーマを掘り下げてみたい。

 

この近くには過去記事で紹介した船舶昇降機があって、そちらもかなりおすすめ。

 

 

 

当ブログ「まにあっくドイツ観光」ではドイツ全国の面白スポットを紹介しているが、紹介スポットのセレクトは完全に私の独断と偏見によるものである。一般ウケは放棄しており、私にとって面白ければそれでいいのだ、と開き直っている趣味ブログだ。取り扱うテーマがあまりに雑多なせいか、検索で当ブログに辿り着いてくださる方たちの検索ワードはものの見事にバラバラで、コアな読者はいるのかいないのか。多分いないんだろうなあ〜。

なにしろ、私の場合、まず見たいものがあって出かけるというよりも、「まず行ってみる、話はそれからだ」という感じなので、自分でも何を基準に動いているのかよくわからない。何があるか知らないけれど、行ったことのないところへ行ってみたい。つまりは探検なのである。

ドイツに移住して30年近くの歳月が経過したが、その間に行ってみた場所はこんな感じだ。

印のついているのがこれまでに行った場所。未踏のエリアもまだあるけど、結構行ったと自負している。これらのうち半分くらいは一人で出かけて行った場所。残りは夫と一緒。青と赤で色分けしているが、赤いスポットはブランデンブルク州内のスポットだ。住んでいるのがブランデンブルク州なので、必然的にブランデンブルク州の密度が高くなる。ブランデンブルクの部分を拡大してみよう。

首都ベルリンをぐるりと取り囲むブランデンブルク州は観光地としての認知度が低い。ブランデンブルク州に何があるのか全く知らない、という人も少なくない。でも、私はその知られざるブランデンブルクを愛していて、暇さえあれば探検しているのだ。何があるのかわからないからこそ、探検のしがいがあるというもの。

こんな物好きは自分くらいだろうと思っていたら、なんと仲間がいた。ベルリン在住のライター、久保田由希さんもブランデンブルクを探検するのが好きだという。そこですっかり意気投合して、「ブランデンブルク探検隊」を結成してしまった。今のところ、隊員は私と由希さんの二人しかいない。由希さんはベルリンにお住まいなので一緒に探検するのはときどきだけ。普段の探検活動はバラバラだけれど、互いに活動報告をし合って楽しんでいるというわけである。

探検のテーマは多岐に及ぶが、目下、熱中しているのは給水塔巡りである。かつて飲料水や工業用水の供給に不可欠だった給水塔がドイツ各地に残っている。ブランデンブルク州にも数多くあるようだ。州内に散らばる給水塔を探し当てるというプロジェクトである。しかし、なぜ給水塔なのか?私の給水塔熱に火を付けたのは、ほかでもない由希さんであった。由希さんは以前から給水塔を含む塔がお好きで、ベルリンを中心に給水塔巡りをしているという。2018年の12月に私のポッドキャスト「まにあっくカフェ」で由希さんに塔の魅力をたっぷりと語ってもらったことがきっかけで、それまでそれほど関心のなかった塔が気になるようになったのだ。

まにあっくカフェ 3 塔について語ろう

さて、前置きが長くなったが、いざ給水塔巡りを始めてみると、いろいろなことがわかって来た。給水塔には様々な外観のものがあり、それが建設された時代の建築の流行が反映されていること、給水塔の用途はいろいろだったこと、そして給水塔というものがほぼ使われなくなった後、それぞれの給水塔がどんな運命を辿ったのか、など。なかなか奥が深い。

でも、給水塔巡りはそれなりに大変だ。ブランデンブルク州は広く、給水塔はアクセスが良いとは限らず、なかなか探し当てられなかったり、あるはずの場所へ行ったら取り壊されて消えていたりする。

このように駅近であれば楽だけれど、、、、
遠かったり、、、、
立ち入り禁止だったり、、、、
遠くからはよく見えるのに、路地裏に建っていてなかなか見つけられなかったりする。
パッと見、給水塔なのかよくわからないものもあるし、
市役所と一体化していたりもする。
時には、塔の中を上まで登って給水タンクを眺めたりもする。
雨の中はるばる古城まで行き、木の下で雨宿りしながらシャッターチャンスを待ったことも。
ここでは側の変電ボックスに給水塔が描かれているのを発見した!
どっしりと存在感ある給水塔

ここに挙げたのはごく一部、給水塔はバラエティ豊かだ。給水塔を巡る冒険。その成果をなんらかのかたちでまとめられたらなあと思っている。