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前々から欲しいと思っていた本を購入した。石材を見ながら街を歩く活動をしておられる名古屋市科学館主任学芸員、西本昌司先生の『東京「街角」地質学』という本だ。ジオパークや石切場に石を見にいくのも楽しいけれど、街の中でも石はいくらでも見られる。建築物やインフラにいろんな石が使われているから、見てざっくりとでも何の石か区別できるようになれば楽しいだろうなあと思って、この本を日本から取り寄せた。読んでみたら、想像以上にワクワクする本だ。石についての説明もわかりやすいし、特定の種類の石が使われた背景も面白い。さっそく自分でも街角地質学を実践してみたくなった。

とはいっても、東京へ行けるのはいつになるかわからないので、まずは住んでいるドイツの町で使われている石材を見に行くことにする。この目的にうってつけの”Steine in deutschen Städtchen(「ドイツの町にある石」)”というガイドブックがあるので、これら2冊をバッグに入れてベルリンへGo!

“Steine in deutschen Städtchen”のベルリンのページでは、ミッテ地区のジャンダルメンマルクトという広場周辺で使われている石材が紹介されている。地図上に番号が振られ、それぞれの番号の場所の石材の名称、産地、形成された時代が表にされているので、これを見ながら歩くことにしよう!

と思ったら、ジャンダルメンマルクトは2024年4月現在、工事中で、広場は立ち入り不可。いきなり出鼻を挫かれた。でも、広場周辺の建物を見て回るのには支障はなさそうだ。

まずはマルクグラーフェン通り(Markgrafenstraße)34番地の建物から見てみよう。

1階部分にアインシュタインカフェというカフェが入っているこの建物は、1994-96年に建造された。地階とそれ以外の階部分の外壁には異なる石材が使われている。

地階部分はイタリア産の蛇紋岩、「ヴェルデヴィットリア(Verde Vittoria)」。

上階部分はCanstatter Travertinというドイツ産のトラバーチン。シュトゥットガルト近郊のBad Cannstattで採れる石で、本場シュトゥットガルトではいろいろな建物に使われているらしい。

 

次に、広場の裏側のシャロッテン通り(Charlottenstraße)に回り込み、フランス大聖堂(Franzözischer Dom)前の石畳を観察する。

フランス大聖堂前の石畳

ここのモザイク石畳に使われている石は大部分がBeuchaer Granitporphyrという斑岩。ライプツィヒ近郊のBeuchaというところで採れる火山岩で、ライプツィヒでは中央駅や国立図書館の建物、諸国民戦争記念碑(Völkerschlachftdenkmal)などに使われているそうだ。

そこから1本西側のフリードリヒ通り(Friedrichstraße)には商業施設の大きな建物が立ち並んでいる。例えば、Kontorhausと呼ばれる建物は赤い壁が特徴的だ。

使われているのは南ア産の花崗岩で、石材名はTransvaal Red。花崗岩というと以前は白と黒とグレーのごま塩模様の日本の墓石を思い浮かべていたけれど、ドイツでは赤い花崗岩を目にすることがとても多い。石材用語では「赤御影石」と呼ばれるらしい。

建物のファサード全体と基礎部分では、同じ石でも表面加工の仕方が違っていて、全体はマットな質感、基礎部分はツヤがある。これは何か理由があるのかな?地面に近い部分は泥跳ねなどしやすいから、表面がツルツルしている方が合理的とか?それとも単なるデザインだろうか。

 

連続するお隣の建物ファサードには、縞模様のある淡いクリーム色の石材が使われている。

この石材は、イタリア、ローマ郊外チボリ産のトラバーチン、Travertino Romano(トラベルチーノ ロマーノ)。ローマのトレヴィの泉やコロッセオに使われているのと同じ石。ベルリンでは外務省ファサードにも使われている。『東京「街角」地質学』によると、東京ではパレスサイドビル内の階段に使われているらしい。

トラバーチンという石を『東京「街角」地質学』では以下のように説明している。

トラバーチンは、温泉に溶けていた石灰分(炭酸カルシウム)が、地表に湧き出したところで崩壊石として沈澱し、積み重なってできたものである。その沈殿は常に同じように起こるのではなく、結晶成長が速い時期や不純物が多く混ざる時期などがある。そのため、木に年輪ができるように、トラバーチンにも縞模様ができるのである。(出典: 『東京「街角」地質学』

なるほど、縞の太さや間隔は一定ではない。小さい穴がたくさん開いている(多孔質)のも、トラバーチンの特徴だ。

 

その隣の建物との境に使われている石は緑色。緑の石というと、蛇紋岩?

ガイドブックによると、ヴェルデヴィットリアとなっているから、最初に見たアインシュタインカフェのファサードと同じ石ということになる。随分色も模様も違って見えるけれど。

180-184番地の建物はガラッと違う雰囲気。建造年は1950年で、東ドイツ時代の建物だ。クリーム色の部分はドイツ産の砂岩(Seeberger Sandstein)で、赤っぽい部分は同じくドイツ産の斑状変成凝灰岩(Rochlitzer Porphyrtuff)だ。

このRochlitzer Porphyrtuffという石はとても味わい深い綺麗な石である。なんでも、この石は多くの重要建造物に使われていて、国際地質科学連合(IUGS)により認定されたヘリテージストーン(„IUGS Heritage Stone“)の第1号なのだそう(参考サイト)。ヘリテージストーンなるものがあるとは知らなかったけれど、なにやら面白そうだ。今後のジオサイト巡りの参考になるかもしれない。ちなみに、Rochlitzer Porphyrtuffの産地はザクセン州ライプツィヒ近郊で、Geopark Porphyrlandと呼ばれるジオパークに認定されていて、石切場を見学できるようなので、近々行ってみたい。

 

さて、次はこちら。

1984年にロシア科学文化院(Haus der russischen Wissenschaft und Kultur)として建造された建物で、建物のデザインはともかく、石材という点ではパッと見ずいぶん地味な感じ。

でも、よく見ると、地階部分のファサードには面白い模様の石が使われている。

Pietra de Bateigという名前のスペイン産の石灰岩で、日本で「アズールバティグ」と呼ばれる石に似ている気がするけれど、同じものだろうか?

 

道路を渡った反対側には、フリードリヒシュタットパッサージェン(Friedrichstadt Passagen)という大きなショッピングモールがある。

ファサードは化石が入っていることで有名な、「ジュライエロー」の名で知られる南ドイツ産の石灰岩。ジュライエローについてはいろいろ書きたいことがあるので、改めて別の記事に書くことにして、ここでは建物の中野石を見ていこう。この建物は内装がとても豪華なのだ。

大理石がふんだんに使われたショッピングモールの内装

地下の床に注目!いろんな色の石材を組み合わせて幾何学模様が描かれている。この建物の建造年は1992年から1996年。ドイツが東西に分断されていた頃は東ドイツ側にあったフリードリヒ通りにおいて再統一後まもない頃に建てられた建物アンサンブルの一つだが、その当時はこういうゴージャスな内装が求められたのだろうか。

白の石材はイタリア産大理石「アラべスカートヴァリ(Arabescato Vagli)」で、黒いのはフランス産大理石「ノワールサンローラン(Noir de Saint Laurent)」。ちなみに、大理石というのは石材用語では内装に使われる装飾石材の総称で、必ずしも結晶質石灰岩とは限らないから、ややこしい。”Steine in deutschen Städtchen”には「アラべスカートヴァリ」は結晶質石灰岩で「ノワールサンローラン」の方は石灰岩と記載されている。

赤い部分はスペイン産大理石(石灰岩)、Rojo Alicante(日本語で検索すると「ロッソアリカンテ」というのばかり出てくるのだけど、スペイン語で「赤」を意味する言葉だからロッホと読むのではないのかな?謎だー)。

こちらの黄色いのはイタリア、トスカーナ産のジャロ・シエナ(Giallo di Siena)。およそ2億年前に海に堆積し、圧縮されてできた石灰岩が、2500万年前のアペニン山脈形成時の圧力と高温下で変成して結晶質石灰岩となった。

 

同時期に建てられたお隣のオフィスビルは、ファサードに2種類の石灰岩が組み合わされている。色の濃い方がフランス産のValdenod Jauneで、クリーム色のがドイツ産のジュライエローだ。

でも、ファサード以上に目を奪われたのはエントランス前の床の石材だった。

床材も石灰岩づくしで、濃いベージュの石材はフランス産のBuxy Ambre、肌色っぽい方も同じくフランス産でChandore、黒いのはベルギー産Petit Granit。Chandoreは白亜紀に形成された石灰岩で、大きな巻貝の化石がたくさん入っている。

このサイズの化石があっちにもこっちにもあって興奮!

そして、花崗岩(Granite)ではないのにGranitとついて紛らわしいPetit Granitもまた、白亜紀に形成された石灰岩で、こちらも化石だらけなのだ。

サンゴかなあ?

これもサンゴ?大きい〜!

これは何だろう?

化石探しが楽しくて、人々が通りすぎる中、ビルの入り口でしゃがみ込んで床の写真を撮る変な人になってしまった。ここの床は今回の街角地質学ごっこで一番気分が上がった場所だ。街角地質学をやりに出て来て良かったと感じた。ただ、ベルリンで街角地質学をやる際、困ることが一つある。それは、ベルリンの町が汚いこと。このフリードリヒ通りはまだマシな方ではあるけれど、せっかくの素晴らしい石材が使われていてもロクに掃除がされていないので、ばっちくて触りたくないのだ。写真を撮るとき、化石の大きさがわかるようにとコインを置いたものの、そのコインをつまみ上げるのも躊躇してしまう。

 

さて、2時間近くも石を見ながら外を歩き回ったので、さすがにちょっと疲れて来たので、初回はこの建物で〆よう。Borchardtというおしゃれ〜なレストランが入っている赤い砂岩の建物である。

この砂岩はRoter Mainsandstein(直訳すると「赤いマインツの砂岩」というドイツ産の砂岩で、ドイツ三大大聖堂の一つ、マインツ大聖堂はこの石で建てられている。この建物は1899年に建てられており、ファサードの装飾が目を惹くが、石的に注目すべきは黒い柱の部分だ。

うーん。写真だと上手く伝わらないかな。光が当たるとキラキラ輝いて、とても美しい。ノルウェー産の閃長岩で、石材名は「ブルーパール(Blue Pearl)」。オスロの南西のラルヴィクというところで採れるので、地質学においては「ラルビカイト(Larvikite)」と呼ばれる岩石だ。東京駅東北新幹線ホームの柱や東海道新幹線起点プレート、住友不動産半蔵門駅前ビルの外壁にも使われているとのことで、東京に行ったときにはチェックすることにしよう。

 

それにしても、世の中にはたくさんの石材があるものだ。少しづつ見る目が養われていくといいな。

 

関連動画:

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で過去にこんなスライド動画を上げています。よかったらこちらも見てね。

約3週間の北海道ジオパーク•ジオサイト巡り、ついに最終日。最後の目的地はむかわ町の穂別博物館に決めた。

数年前、北海道むかわ町で見つかっていた恐竜の化石が新属新種であることが判明したというニュースを目にし、興味が沸いた。そして、むかわ竜と名付けられたその恐竜の学名が「カムイサウルス・ジャポニクス」に決まったと知ったときには思わず興奮。カムイの地で生まれ育った者としてはスルーできない。いつかカムイサウルスを見てみたいなあと思っていたのだ。

むかわ町穂別は「古生物学の町」という感じで、町のあちこちに化石や古生物のオブジェが見られる。

交差点のアンモナイト化石

穂別博物館の向かいにあるお食事中のモササウルスのオブジェ

野外博物館のタイムトンネル

野外博物館のアンモナイトオブジェ

 

穂別博物内に入ろう。ロビーで出迎えてくれたのは、カムイサウルスではなく、ホベツアラキリュウのホッピーだ。

ホベツアラキリュウは中生代白亜紀に生きた水棲爬虫類のクビナガリュウ(プレシオサウルス)で、穂別地域でおよそ8000万〜9000万年前に生息していたとされる。   その頃の穂別は、陸から遠く離れた海だった。それにしても首が長い。歯が小さくて細く、硬いものを噛み砕けないので、魚やイカ、タコ、小さいアンモナイトなどを丸呑みして食べていたと展示で読んだけれど、こんな長い首をアンモナイトが丸ごと通過していったと想像すると、どうにも不思議だ。

ホベツアラキリュウの産状復元模型と現物化石

ホベツアラキリュウの名は、1975年に化石を最初に発見した荒木新太郎さんにちなんでいる。その後の発掘調査で頭部・頸部・尾以外を除く大部分の骨格が見つかり、ホッピーは全身骨格が復元された国産クビナガリュウ第二号、北海道では第一号となった。ホッピーは北海道天然記念物に指定され、この貴重な化石の保存や展示を目的に穂別博物館が建設されたのだ。

こちらは、モササウルス類の生態復元模型。モササウルスは後期白亜紀の海性のトカゲ。確かドイツのリューゲン島のチョーク博物館で全身骨格を見た記憶がある(けど、記録していない)。ゲッティンゲン大学博物館にも生態復元模型があった(過去記事)。

モササウルス・ホベツエンシスの化石

穂別博物は大型古生物の標本もすごいけど、アンモナイト標本も魅力的なものが多い。点数は三笠市立博物館ほどではないけれど(三笠市立博物館に関する過去記事 )、内部構造が見えるものがいくつも展示されている。

 

三笠ジオパークの野外博物館で中生代の大型二枚貝、イノセラムスの化石を見た(記事はこちら)が、穂別博物館にもいろいろな種類のイノセラムス化石が展示されている。イノセラムスは示準化石なので、地層から出てくるイノセラムスの種類でその地層の地質年代がわかる。(むかわ町ウェブサイトのイノセラムス関連ページ

いろいろなイノセラムスの標本。その左には、ゆるキャラの「いのせらたん」。

さてさて、いよいよ本命。カムイサウルス・ジャポニクスにご対面しよう。

じゃじゃーん。これが実物化石のレプリカから作成したカムイサウルス・ジャポニクスの全身復元骨格だ!全長は堂々の8メートル!だそうだけど、、、あれ?なんか短くない?それに、なんとなくバランスが良くないような。、、、と思ったら、この展示室には全身が入りきらないので、しっぽ部分を外してあるのだった。

カムイサウルスの大腿部の骨化石(本物)

カムイサウルスの化石は2003年、白亜紀のアンモナイトなどの化石がよく見つかる地域を散歩をしていた堀田良幸さんによって発見された。最初はクビナガリュウだろうと思われたが、2011年に恐竜であることが判明。最初に見つかったのが連結する13個の尾椎骨だったので、全身の骨格が埋まっている可能性が高いということで2013〜14年に大々的な発掘作業がおこなわれた。博物館に展示されている発掘作業の様子を写した写真パネルによると、化石が埋まっていた地層は傾斜がきつく、作業はかなり大変だったらしい。しかし、結果として全身のおよそ8割の化石が見つかり、センセーションを引き起こす。ほぼ全身が丸ごと化石になって保存されていたのには、実際に生活していた陸ではなく、海だった地層に埋まっていたことが幸いした。穂別のカムイサウルスは死んだ後、お腹が腐敗ガスで膨れた状態でプカプカ水に浮いて沖合まで流され、バラバラになることなくそのまま保存されたということである。

むかわ町穂別博物館はとても気に入ったので、ここで今回の北海道ジオ旅を締めることができてよかった。まあ、恐竜は地質学というより古生物学だけど、時間的尺度で考えれば広義の意味でジオに含めて構わないだろう。そして、今回の旅を通して、北海道は古生物学に関連する面白い場所も豊富だと気づいた。今回見られなかった場所はまた時をあらためて訪れたい。

ということで、北海道ジオパーク・ジオサイト巡り2023の記録はこれで終わり。欲張って盛り沢山すぎる計画を立てたので、見切れない部分もあったし、ヒグマ出没のせいでアクセスできない場所も多々あったけれど、毎日面白い景色を見て、いろんな石を見つけて、興味深い博物館を訪れて、とても充実した旅になったと思う。数年中にこの続きがしたい。

 

この記事の参考文献・ウェブサイト:

むかわ町恐竜ワールド ウェブサイト

 

 

今回のスポットは滝川市美術自然館。北海道に住んでいる弟が面白いよと勧めてくれたので行ってみた。

滝川市美術自然館はその名の通り、美術部門と自然部門からなる博物館だけれど、今回はあまり時間がなく、目当てが「タキカワカイギュウ」だったので、自然史部門のみを見た。タキカワカイギュウとは1980年に滝川市の空知川河床で発見されたカイギュウの化石だ。北海道で初めての発見で、のちの調査で新種であることがわかり、1984年に北海道天然記念物に指定されている。

滝川市美術自然館の建物

建物前の広場にはホタテ貝のようなオブジェがあり(タカハシホタテ?)、

その中に骨の模型がある。これは、タキカワカイギュウの化石発掘の状況をシンボライズしているのだろう。そこから伸びる水路の先にはカイギュウらしき生き物の像が設置されている。

館内に入る前から期待感を抱かせてくれる。それでは、自然部門の展示室へ入ってみよう。

おおっ?なかなか本格的。カイギュウだけではなく、ティラノサウルスを含むいろいろな古生物の骨格が置かれ、自然史及び地球史に関する総合的な展示がなされていている。滝川市がそれほど大きな町ではないことを考えれば、かなりの充実度でテンションが上がった。大都市の大きな博物館が充実しているのはまあ当たり前だと感じるけれど、地方に良い博物館を見つけると思わず感激してしまう。この自然部門はその2階の子ども博物館と合わせて、とても気に入った。こんな素敵な博物館が身近にある滝川市の子どもが羨ましい。

この博物館のが充実しているのには、やはり、ここ滝川市でタキカワカイギュウの化石が見つかったということが大きいだろう。タキカワカイギュウを特別にしているのは、そのほぼ全身の化石が揃って発掘されただけでなく、発掘作業から、調査研究、レプリカ作り、そして展示に至るまでの全行程が滝川市内でなされたということ、そしてそのプロセスに滝川市の市民が積極的に参加していることだ。展示を見ているとタキカワカイギュウは滝川市の誇りなのだなということが伝わって来て、滝川市民ではない自分までなんだか嬉しくなる。

タキカワカイギュウの全身骨格とその下に展示された化石。後ろには生体復元模型。

滝川市で見つかったカイギュウの化石だからタキカワカイギュウと呼ばれているが、学名はヒドロダマリス・スピッサ。500万年前に生息したヒドロダマリス属のカイギュウで、体長およそ7m 、重さはおよそ4トンと推定される。発見当初はクジラの化石だとみなされたそうだ。発掘にたずさわった市民の会が「滝川化石クジラ研究会」と命名されたのはそのため。なにしろ、北海道ではそれまで一度もカイギュウの化石は見つかっておらず、日本全国でも2例しかなかったのだから、無理もないことだろう。

カイギュウは海に棲む哺乳類のうち、唯一の草食の生き物で、海藻のよく育つ浅い海に暮らす。滝川は今は平野だが、500万年前にはクジラやイルカ、サメなどが暮らす海だった。

現存するカイギュウの仲間であるマナティーやジュゴンは暖かい海に棲んでいるが、タキカワカイギュウが暮らしていた500万年前の滝川の海の水は冷たかった。タキカワカイギュウは体を大きくして筋肉量を増やし、同時に体の表面積を小さくすることで寒さに適応した。ラグビーのボールのような体型なのはそのため。

また、滝川の海の海藻は柔らかかったので、歯が退化してしまったとのこと。

滝川市周辺では貝の化石も23種見つかっている。この標本を見て、あっと思った。というのは、この日の前の日に偶然、近郊の河原で貝化石を含むと思われる石を見たのだ。

やっぱりこれらは貝の化石だったようだ。こんなふうに、実際にフィールドで目にしたものと展示の説明が繋がると楽しい。

その他、滝川方式として知られるようになった独自の化石レプリカ作製メソッドに関する展示なども興味深かった。

 

この記事の参考文献:

前田寿嗣 『見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質

木村方一 『化石先生は夢を掘る 忠類ナウマンゾウからサッポロカイギュウまで

 

 

北海道ジオパーク・ジオサイト巡りの最初の目的地には三笠ジオパークを選んだ。三笠市は2019年1月に娘と一緒に一度訪れている。その際、日本一のアンモナイト博物館として知られる、三笠市立博物館を訪れた。三笠市では明治時代から現在に至るまでに500種以上のアンモナイトが発見されている。「三笠」の名のつく新種アンモナイトも7種ある。一般的な知名度はよくわからないが、アンモニア研究者やマニアの間では世界に知られる超重要な場所なのだ。

三笠市立博物館

館内には「三笠市立博物館」というシンプルな名前からは想像できない、白亜紀の海の世界が広がっている。直径およそ130cmの日本最大のアンモナイトをはじめ、およそ600点のアンモナイト標本や天然記念物エゾミカサリュウ化石などが展示されていて、圧倒的である。凄い博物館なのだが、この博物館についてはこちらの過去記事にすでに書いているので、今回は博物館の裏手に整備されている野外博物館についてまとめておこう。前回来たときは真冬だったので、野外のジオサイトは雪に埋もれていて見ることができなかったのだ。

三笠市はその全体がジオパークに認定されている。6つのエリアに分かれ、ジオサイトの数は全体で45箇所。総面積は300㎢を超えるので、1日で全部のエリアを見て回るのはとても無理そうだ。博物館の職員の方に聞いたら、露頭が見たいなら「野外博物館エリア」が特におすすめとのことだった。

三笠市立博物館外観

真冬に来たときには雪に埋もれていて気づけなかったのだけれど、博物館の前には大きな石標本が並んでいる。

およそ1億年前に生息していた三角貝の化石を含む礫岩

1億年前に波が水底の砂につけたリップルマーク

博物館の裏手に周り、橋を渡ると、幾春別川沿いにかつての森林鉄道跡を整備した散策路が南東に延びている。全部で15の見どころがあり、歩いて往復すると約1時間とのことだった。

野外博物館についてはジオパークのウェブサイトに詳しい説明があるので、ご興味のある方にはリンク先を見ていただくことにして、私にとって印象的だったことを書いておこう。

ジオパークというと、なにかもの凄い絶景が見られると想像する人がいるかもしれない。実際、そのようなジオパークも存在するけれど、三笠ジオパーク「野外博物館エリア」は一見、地味だ。パッと見ただけでは何がすごいのかよくわからない。しかし、各所にある説明を読みながらよくよく考えるとその成り立ちは不思議で興味深く、じわじわと好奇心が刺激される。

三笠ジオパークではその東側におよそ1億年前に海に堆積した地層が分布し、西へ移動するにつれて地層が新しくなっていく。1億年前、まだ北海道は存在せず、現在の三笠市の大地は海の底だった。約6600万年前に陸化し、約5000万年前には湿地となり、約4000万年前には再び海となる。人類が住むようになったのは約3000年前。明治元年(1868年)に石炭が発見されてからは、炭鉱の町として栄えた。

旧幾春別炭鉱立坑櫓。大正時代に完成し、立抗は地下215mの深さまで延びている。

「野外博物館エリア」の遊歩道の面白さはなんといっても、5000万年前の世界から1億年前の世界へと5000年分の時間をひとまたぎでワープできることである。

遊歩道を歩いていくと、「ひとまたぎ覆道」と呼ばれる半トンネルを境に、2つの異なる地層間を移動することになる。覆道の手前、つまり西側は5000万年前に堆積した幾春別層という地層で、覆道の向こう側、つまり東側は1億年前に堆積した三笠層だ。その間の地層は存在しない。

東側から見た覆道

どういうことかというと、約1億年前から約5000万年前の間に大地がいったん陸化したことによって、5000万年分の地層が侵食されて消えてしまったのだ。互いに接する地層が時間的に連続していないことを不整合と呼ぶが、この付近の地層は日高山脈の上昇期に押し曲げられてほぼ垂直になっている。そのため、不整合面が縦になっていて、またぐことができる。つまり、トンネルを抜けると、そこは一気に5000万年後というわけ。なんとも不思議な感覚である。

幾春別層の露頭

若い方の幾春別層は川の底に砂や泥が積もってできた地層で、泥岩層、砂岩層、石炭層から構成される。写真の露頭は植物が生い茂っていてわかりにくいが、表面がでこぼこである。説明によると、差別侵食といって、砂岩よりも柔らかい泥岩層や石炭層が削られて先になくなるためだそう。

石炭が露出している場所もある

ほぼ垂直の地層

垂直な地層に穴が開いている

この穴は「狸堀り」の跡。狸堀りというのは、地表に露出している石炭層などを追って地層を掘り進む採掘方法のことで、その際にできるトンネルがまるで狸の巣穴のようだから、そう呼ばれるそうだ。確かに入口に石炭が見えている。

 

三笠層の方は砂岩層や礫岩層で構成されている。幾春別層とはまったく異なる地層であることは一目瞭然だ。この地層にはアンモナイトをはじめ、白亜紀を生きた様々な生き物の化石が埋まっているのだ。

さらに進むと、巨大な貝の化石が埋まっているところがあった。約2億年前から約6600万年前まで世界中で繁栄した二枚貝、イノセラムスだ。

上記は全部で15ある見どころのうちのいくつかで、他の見どころも面白い。折り返し地点まで来たところで、ちょっと河原に降りてみた。

幾春別川

化石の入ったのジュールが落ちていないかなあとあたりを見回してみたけど、そんなに簡単に見つかるわけもないのだった。

 


前回
のデンマーク地質旅行の続き。

ステウンス・クリントの崖は下部が白亜紀後期のチョークの地層、その上にK-Pg境界であるFish Clayという極薄の地層を挟んで古第三紀の石灰岩の地層が重なっていた。ステウンス・クリントのチョークの層を「白亜紀の生き物の化石が埋まっていないかなあ」と思いながら眺めていたら、岩肌にウニの化石らしきものが見える。

紫の丸で囲んだところに何かがある。

ズームレンズを通して見たところ、やっぱりウニっぽい!しかし、ステウンス・クリントは世界遺産で、ハンマーで岩を叩いて化石を取り出したりするのはご法度である。下に落ちているものなら拾っても良いそうだ。下に何か落ちてないかなあ。そう思って、フリントで埋め尽くされた地面を見ると、

おおっ!フリントにうっすらとウニの殻の模様がついているではないか!これはどういうこと?ウニの殻の中にフリントが形成されたのだろうか。

なぜこれらのものがウニだとわかったかというと、これまでに別の場所でウニの化石を大量に拾っているからなのだ。それについては以下の記事にまとめた。

ハノーファーで白亜紀の化石を採集しよう

しかし、ステウンス・クリントの海岸に落ちていたのはこのフリント1つだけ。これでは物足りない。どこか近くに化石を採集できる良い場所はないかと調べてみたところ、内陸に25kmほど移動したファクセ(Faxe)という町に地質学博物館があり、そこで化石収集のガイドツアーを提供していることがわかった。よしっ、そこへ行ってみよう。

これがGeomuseum Faxe(ファクセ地質学博物館)。博物館は採石場の敷地に面している

 

ファクセの石灰岩採石場

うわー、すごい!真っ白な石切場だ。ガイドツアーに申し込むと、ガイドさんの監督のもと、ここで化石を拾うことができるのだ。でも、チョークかなと思ったのが石灰岩だときいて、あれっ?と思った。だとすると、K-Pg境界の上の古第三紀の地層ということになる。白亜紀の地層を期待していたのだけれど、まあ、いいか。せっかくここまで来たので、ツアーに申し込んだ。ツアー前にまずは博物館の展示を見て予習することにしよう。

博物館の内部。展示を見てわかったのは、ファクセの町はステウンス・クリントよりも高い位置にあり、採石場の地層はおよそ6300万年前のものだということ。つまり、白亜紀末の生物の大量絶滅後に形成された地層なのだった。白亜紀同様、古第三紀にも現在のデンマークは暖かい海だった。古第三紀の海にはサンゴ礁が広がり、貝やカニなど多くのサンゴ礁に住む多くの生き物がいた。博物館にはサンゴの化石がたくさん展示されている。

集団死したウニの化石が埋まった岩。ウニの棘がたくさん見える。

6600万年前の隕石の落下による気候寒冷化(「隕石の冬」)が引き金となった生物の大量絶滅で恐竜やアンモナイトは地球上から消え去った。だから、ファクセの採石場からそれらの化石が出ることはない。しかし、サメやワニは今日まで生き延びている。写真はサメの歯の化石。

ということで、いよいよガイドツアーに出発だ。夏休みだからか、子ども連れの参加者が多かった。ハンマーやノミは博物館で貸してもらえるが、私たちはこんな機会もあろうかと自前の化石収集道具を持って来たのだ。ガイドさんの説明によると、石切場はサンゴの化石だらけ。そのほかにカニや腕足類、貝、そしてサメの歯の化石もよく見つかるという。「岩にスパゲティみたいな構造が見えたら、それはサンゴですよ!」と教わり、さっそく探し始めたのだが、、、、。

サンゴだらけという言葉の通り、あたりは見渡す限り、サンゴ、サンゴ、サンゴ。逆にどれを拾ったらいいのかわからない。サンゴは群体を作るものが多いので大きな岩にびっしりサンゴの化石が埋まっていたりする。でも、大きな塊は運ぶのに重いし、かといって小さく割ればサンゴも割れてしまう。

変色したサンゴの化石を拾って来た

一つひとつの生き物の化石を拾うのとは勝手が違って、どこに着目したらいいのか、よくわからなかった。なので、いくつか、かけらを拾った後はサンゴ以外の化石を見つけることに集中することにした。

カニの甲羅の化石

 

いくつかカニや腕足動物の化石を見つけることができたが、うーん、なんかちょっと思ってたのと違う。ウニやべレムナイトなど、ある程度の大きさの化石を期待していたので、小さいものばかりで少し期待外れ。白亜紀の地層の方がいいなあと思ってしまった。

そんなわけで、化石収集のアクティビティとしてはそれほどエキサイティングな場所ではなかったものの、白亜紀末に生物の大量絶滅が起こった後、生態系が復活し、古第3紀にはまた別のかたちで海洋生物相が繁栄したのだということは感じることができた。この小さな体験もまた、今後何かに繋がるかもしれない。

 

 

ダイナミックな自然風景が好きである。

街歩きもとても楽しいけれど、これまでの旅の体験の中でそのときの感動が後々までずっと心に残っているものはどんな体験かと考えると、真っ先に頭に浮かぶもののほとんどは自然体験なのだ。忘れられない景色は数多いが、その中の一つに米国のアリゾナ州にある「化石の森国立公園」がある。そこにはこんな風景が広がっている。

広大な砂漠地帯にたくさんの木が横たわっている。木とはいっても、これらは化石だ。およそ2億5000万年前、地質時代でいうと三畳紀の終わりに洪水によって熱帯の森林から流されて来た倒木が化石化したものだと知って圧倒された。

これらの木の化石は珪化木と呼ばれる。流されて来た木々は近くにある火山の活動によって周期的に火山灰に埋もれた。火山灰の成分である二酸化ケイ素が地下水に溶け込み、その水が木の内部に入り込んで、長い年月をかけて内部組織を二酸化ケイ素に置き換えていったのだという。断面を見ると、それがもはや木ではなく石であることがわかる。これだけでも驚きなのだが、地表に露出しているのは化石化した森林のごく一部に過ぎず、地下にはまだまだ多くの珪化木が埋まっているそうだ。

広い米国の国土には、都会で普通に生活していたら触れる機会のない、とんでもないスケールの自然風景がたくさんあるなあとつくづく感じた。

しかし、この景色を見た数年後、実はドイツにも「化石化した森」と呼ばれる場所がザクセン州ケムニッツにあることに気づいた。アリゾナほどのスケールではないが、ドイツの国土の大きさからすれば堂々たる規模の珪化木の集積地のようである。1740年代に初めて化石化した木の幹が発見されて以来、ケムニッツでは断続的に多くの珪化木が発掘されており、それらは標本としてケムニッツ自然史博物館に展示されている。このたび、ようやく見に行くことができた。

 

博物館のフロアに展示されている「化石化した森」

 

クローズアップ

ケムニッツの「化石化した森」はおよそ2億9000年前のペルム紀の森なので、アリゾナ州の化石の森よりもさらに古い。その頃、ヨーロッパでは火山活動が活発で、ケムニッツの北東ではツァイスィヒヴァルト火山(Zeisigwald-Vulkan)が噴火し、一帯に大量の火山灰を撒き散らした。火山灰に埋まって珪化木となったペルム紀の木が自然史博物館の内部で「森」として再現されているというわけだ。

 

結構たくさんの標本が展示されている

 

 

館内の説明によると、ペルム紀のケムニッツの森にはシダ植物やシダ種子類、トクサ属、その他の種子植物などが生えていた。

いろんな断面が面白い。これは根っこの断面

木にツル植物が絡み付いたまま化石化したもの

 

世界各地の珪化木の断面

木の種類やそれが埋まっていた火山灰に含まれていた鉱物の種類によっていろいろな色や硬さの珪化木になる。

メノウ化したケムニッツの珪化木

 

ケムニッツは観光地としての知名度が高い町じゃないけれど、良い博物館がたくさんあって、私にとってはかなり楽しめる町だ。博物館好きの人には穴場だと思う。

 

 

 

 

これから3回に分けてニーダーザクセン州オスナブリュック近郊の自然公園、TERRA.vitaの見どころを紹介しようと思う。正確にはTERRA.vita Natur- und Geopark(テラヴィタ自然・地質学公園)という名称で、オスナブリュック市を中心に北西から南東に斜めに広がる約1550㎢の大きな自然公園だ。6つのエリアを包括し、見どころがたくさんあるが、特に地質学的に面白い場所が多いようでUNESCOグローバルジオパークに登録されている。

公園内の3つのスポットを訪れた。今回紹介するのはオスナブリュック市郊外にあるピースベルク(Piesberg)という山とオスナブリュック産業博物館だ。なぜピースベルクへ行こうと思ったのかというと、石炭紀の化石が拾いたかったから。当ブログで何度も書いているように、私と夫は最近、化石収集にハマっていて、ドイツ国内のあちこちの地層から出る化石を集めている。これまでにデボン紀から古第三紀までの地質時代の化石を拾ったが、石炭紀のものはまだ持っていなかった。オスナブリュックのあたりは約3億年前、つまり石炭紀には海岸沿いの湿地帯だった。やがてその一帯の植物は枯れて地中に堆積し、石炭となった。だから、ピースベルクからは石炭紀の植物化石が出る。以前、訪れたエッセン市のルール博物館であまりに見事な石炭紀の植物化石の標本を目にして以来、石炭紀の化石は私にとって憧れである。

ピースベルクへの山道を車で登るとオスナブリュック産業文化博物館というのがあったので、入ってみた。

 

 

博物館の建物はかつての炭鉱の建物で、パッと見たところ建材は私の住むブランデンブルク州では見かけないものだ。色や質感から推測するに、砂岩のようだ。後で知ったところによると、ピースベルクでは石炭だけでなくピースベルク砂岩という砂岩も採掘されて来たらしい。

博物館の中には過去150年ほどのオスナブリュックとその周辺地域の産業に関連する展示品が並べられている。蒸気機関のような大型機械から家電、工具、工場の設計図などいろいろなものがあって楽しめる。

建物の内壁には漆喰が塗ってあるのだけど、展示の一要素としてなのか、中の建材がむき出しになっている壁があった。立派な外観の建物なので、中のブロックは整然と積まれているのだろうとなんとなく想像していたけど、いろんな種類と大きさの石材が結構無造作に積んであって意外だ。こういうものなんだろうか?

炭鉱に関する展示にはかなりのスペースが割かれていて、炭鉱で見つかった植物化石の標本もあった。そうそう、こういうのが好きなんだよね。

博物館の展示スペースはかなりの広さだが、この博物館の目玉はかつての坑道内を歩けること。

こういう地下道、大好き!

この坑道はよく整備されてそれほど暗くもなく、今までに入ったことのある坑道と比べて特にスリリングというわけではないかなあ。でも、長さは30メートルもあって、その点では歩きがいがある。

興味深く思ったのは坑道内にあったこの図で、石炭の層は山の斜面に沿って何層もあり、ところどころ断層ができていることがわかった。私が歩いている坑道は一番上の石炭の層から採掘した石炭を地上に運び出すための水平のトンネルというわけね。

 

博物館の敷地はかなり広く、他にもいろいろ見どころがある。でも、ここでは省略して、いよいよ炭鉱跡へ行ってみよう。

 

道路を渡って山を登り出すと、石炭を運ぶトロッコ列車のレールが延びている。レール沿いに山を登って行く。

うわ、面白い風景!

石炭の層が見えるー!さっきの図で見た通り、層が斜めになってるね。

しばらく登っていくと傾斜が急になり、長い階段があった。「地質時代の階段にようこそ」と書かれていて、それぞれの地質時代に典型的な生き物が描かれている。階段はそれぞれの地質時代の長さに応じた段数で色分けされていて、階段を上がりながら地球の歴史を体感できるというコンセプトのようだ。でも、急な階段なので普通に登るだけで結構疲れて、「おっ、今は石炭紀を進んでいるな」とか感慨に浸ってもいられなかったけど、、、、。

階段を登り切ると、そこには大きな風車が立っていて、そのふもとには「化石集め場」が設けられていた。児童公園の砂場のような感じで、一瞬がっかり。ここじゃたいした化石は見つけられないなあ〜。

山の裏側を見下ろすと、大きな石切場が見えた。現在も砂岩の採掘が行われている石切場で、一般人は許可なく入ることはできない。夫は「ああ〜、あそこに絶対いい化石があるはずなのに!」と悔しがっている。実を言うと、この石切場での化石エクスカーションに参加する予定があったのだ。コロナを理由にエクスカーションがキャンセルになってしまったので、せめてその周辺で化石が拾えないかと考えてここまで来たのであった。

まあ、悔しがったところでしかたがないと気を取り直して、地面に撒かれた石の中を見てみる。すると、子どもだましの体験コーナーだとバカにした石捨て場は植物化石だらけ。侮れないのである。石切場から定期的に新しい石を運んで来るんだろうね。そこそこ大きいものもあるし、悪くない。でも、小さい子どもが熱心に化石集めをしている中で大の大人が大量に持って帰るわけにはいかないから、小さいものを少しだけにしておこう。

石炭の地層を見て触れて、化石も拾えるジオパーク。この日は動いていなかったが、通常はレールを走るトロッコ列車に乗ることもできるそうだ。オスナブリュックの市内からも遠くなく、家族連れにもぴったりの観光スポットだ。

 

 

2018年から始めたドイツ国内での化石収集アクティビティも回数を重ね、少しづつ慣れて来た。今のところはまだ特定の地質時代や特定の種類の化石を集めているわけではなく、面白そうなエクスカーションに手当たり次第申し込んでいる段階だ。

初回のゾルンホーフェンエクスカーションから始まり、アイフェル地方フンスリュック山地ハノーファー近郊フランケン地方などを回っていろいろな化石収集を体験して来たが、今回の目的地はホルツマーデンである。これまでに何度も利用しているエクスカーション提供団体、GeoInfortainmentを通じて申し込んだ。2019年2月にホルツマーデンの化石博物館、Urwelt-Museum Hauffを訪れて、その素晴らしさに感動して以来、是非ともホルツマーデンのポシドニア頁岩と呼ばれる地層の化石を収集をしてみたいなあと思っていたのだ。

 

https://chikatravel.com/2019/02/25/urwelt-museum-hauff/

 

さて、一般の人が化石収集のできる石切場、Steinbruchは正確には博物館のあるホルツマーデンではなく、その隣のオームデン(Ohmden)という地域にある。

 

石切場風景

 

ポシドニア頁岩(Posidonienschiefer)は約1億8300万年前〜1億7500万年前、ジュラ紀前期のトアルシアン期に水中に泥が水平に板状に堆積してできた岩石で、化石が多く含まれることで知られる。ポジドニア頁岩の「ポシドニア 」はこの地層によく見られる貝の化石、Posidonia bronniが由来で、貝の他にイクチオサウルスや魚、ワニ、ウミユリなどの化石が多く見つかっている。上の記事に書いたように、ホルツマーデンの化石博物館には世界的に有名な大型標本が多数展示されている。でも、大部分の大型化石は粉々に割れていて、良い状態で取り出せすのは極めて難しいのだそうだ。アマチュアのエクスカーションではアンモナイトや貝などの小さいものを収集する。

 

 

瀝青を含むポシドニア頁岩は黒っぽい色をしていて、層に沿って剥離する性質を持っている。すでに剥がれてそこら中に散乱している破片に化石が含まれているので私はそれを拾って歩いたが、夫は「自分で剥がした岩の中にフレッシュな化石(?)を見つけたい」と意欲満々である。

 

板状の岩の塊を一枚一枚剥がしていく。

 

頁岩は有機物を多く含むので、蓋を開けるようにゆっくり開くと、中からかすかに硫黄臭がする。そして、中にはアンモナイトや貝の化石が入っている。この地層から出る化石の特徴は潰れてぺしゃんこになっていることで、まるで紙のように薄っぺらいので、壊さないように化石を取り出すのは難しい。

 

アンモナイト化石の表面には泥中で腐敗する際に発生した硫化水素が鉄と反応してできた黄鉄鉱の膜ができて金色に輝いている。とても綺麗。でも、触るとすぐに剥がれてしまう。

 

アンモナイトばっかりだけど、たっくさん採って来た。さて、これらをどうしよう?

 

小さいアンモナイトや貝の跡がびっしりついた岩片。

 

金色の光沢がいい感じ

 

石切場にはエクスカーションの参加者の他にも家族連れが結構来ていた。おじいちゃんと一緒に来ていた10歳くらいの男の子がとっても楽しそうだった。

 

なぜか石切場に何度もアイス屋の車が来て、みんな汚い手でアイスを食べていた。

 

ところでこのエクスカーションは予定では二日間のエクスカーションで、1日目がこのホルツマーデン、2日目はシュヴェービッシェ・アルプ地方のモラッセと呼ばれる古第三紀の地層の砂をふるいでふるってサメの歯化石を取り出すことになっていた。そちらも楽しみにしていて、わざわざそれ用のふるいを買って持って行ったんだけど、あいにく2日目は雨で、砂が濡れて全然ふるいが役に立たなかった。

サメの歯化石が出ることで有名なモラッセ地層

残念だけど、サメの歯はまた今度!

 

久しぶりに化石収集に行って来た。今回もこれまでにも何度か参加しているGeoInfortainmentを通じてこちらの日帰りエクスカーションに申し込んだ。今回の目的地は、ジュラ紀の化石が豊富に出ることで知られるドイツ中南部フランケン地方のグレーフェンベルク(Gräfenberg)だ。

バイロイトの南西50kmちょっと、ニュルンベルクの北東30kmちょっとの地点

グレーフェンベルク一帯は、中生代ジュラ紀(今から約1億9960万年前〜約1億4550万年前)には浅い海だった。その頃の気候は暖かく、空気中の酸素と二酸化炭素の濃度は現在の1.3倍から5倍もあったそうだ。そして位置的には現在よりもずっと南の、現在のサハラ砂漠あたりの緯度に位置していた。

今回、化石採集をしたグレーフェンベルクの石切場の地層はジュラ紀後期(マルム期)キンメリッジアン(Kimmeridgian)の地層である。ここでは特にアンモナイトの化石がザクザク出るという。

今回の化石採集の場。ここで採れる石灰岩はセメントの原料になる
手前の石の山の中から化石を探し出す

早速、化石探しを開始。本当にどこもかしこもアンモナイトだらけ。開始から数分以内にもう見つけた!

化石を含む石にノミを当て、ハンマーで軽く叩いて石を割り、化石を取り出す

アンモナイトの表面が青みがかっている。このようなアンモナイトはGrünlingと呼ばれ、グレーフェンベルクの地層に特徴的なものだそうだ。地層に含まれる海緑石(Glaucornite)によって表面が青緑になるという。

化石だらけとはいっても、多くは割れたり欠けたりしている。うんと小さいものは完全な形で地面に落ちていることが多いので、簡単に手で拾えるけれど、大きいものは石を割らないと取り出せない。石が硬いと割るのに力がいるし、うまくやらないとせっかくの化石まで一緒に割ってしまう。ここの地層からはリヤカーがないと運べないほど大きなアンモナイトが見つかることも少なくないそうだが、初心者の私たちには難しい。初心者とはいっても、一番最初に化石探しをしたときは化石の形跡がちょっとでもあったら嬉しくてなんでもかんでももって帰って来ていたが、今回はそれなりに綺麗な形のものを拾おうと試みた。

がんばった結果がこちら。

初回のゾルンホーフェンでのエクスカーション(以下の過去記事)の成果と比べると、少し進歩したかな。今見ると笑ってしまうが、ゾルンホーフェンで拾えたのはバリバリに割れたものばかり。

家に帰ってから、拾ったアンモナイト達の汚れを落としてきれいにした。

アンモナイトは種類がとてもたくさんあって、主催者からもらった画像リストと見比べたけれど、残念ながらどれがどの種類のものなのかはよくわからない。

一番気に入ったのはこれ!

それにしてもすごいよね。私たちよりも1億5000万年くらい前にこの地球に生きていた生き物たちとこうして対面するって。人間はたかが1年や2年の経験の差をもって先輩だ後輩だと言うけれど、このアンモナイトは1億5000万年もセンパイなのだよ。そう考えると、リスペクトの念が湧いて来て、なんだか拝みたくすらなって来る。

これは形は完全じゃないけど、結晶化しているのがよい

アンモナイト以外の化石もいくつか拾った。

大中小のアンモナイトや貝、べレムナイトが埋まった石塊
貝とか小さなハート型のウニ、腕足動物なども見つかった

エクスカーションは午前10時から午後4時まで。たっぷり6時間も化石探しができる。飽きたら途中で帰ってもOK。この日はカンカン照りだったので、さすがに6時間は長過ぎたので早めに切り上げたけれど、楽しかったなあ。化石採集は奥の深い趣味なので、やればやるほど楽しくなる。

今月末はシュヴェービッシェ・アルプ地方での週末エクスカーションに申し込んだ。その1日目の地層は待望のホルツマーデンのポシドニア頁岩なので、今からワクワク感が半端ない。去年、ホルツマーデンの化石博物館で素晴らしい標本を見てものすごく感動したから。自分ではたいしたものは見つけられないだろうとはわかっているけれど、ホルツマーデンで化石探しができるというだけで夢のようなのである。

久しぶりに化石を探しに行って来た。南ドイツのゾルンホーフェンでジュラ紀の化石を採集したときと同様(その際の記事はこちら)、地質学エクスカーション会社GeoInfotainmentの週末エクスカーションに申し込んだ。今回目指したのはジュラ紀の地層ではなく、ハノーファー東部の白亜紀の地層だ。

土曜日10:00にガイドさんに指定された場所に集合。ドイツ全国から化石ファンが20名ちょっと集まっていた。この日の作業場はハノーファー・ミスブルク地区の石切場である。

セメント製造のための石灰石が採掘される広大な石切場だ。露出した泥灰土の地層は白亜紀カンパニアンに堆積した。白亜紀のハノーファー地域は海に覆われていたので、べレムナイト、ウニ、アンモナイト、オウムガイ、カイメン、サンゴなどの化石が多く産出する。サメの歯や脊髄が見つかることもあるという。早速探してみよう。

採ってくださいと言わんばっかりに石から突き出たべレムナイト。ガイドさんに貰った化石識別資料の写真から推測するに、これはBelemnitella mucronataかなあ?オレンジ色に近い茶色で透き通った質感のものがたくさん見つかった。

一緒にエクスカーションに参加した夫は石にノミを当てて金槌でカンカン売って石を割るのに熱心だったが、私は石を割るのは疲れるので地面や石の隙間の泥の中を観察することに集中する。大中小のウニやいろんな形のサンゴ化石が埋まっていた。ウニ化石を見つけるのは全然難しくない。でも、多くは欠けたり潰れたりしていて、かたちの綺麗なものはなかなか見つからない。また、泥をかぶっているので洗ってみるまではどんな状態かよくわからないということもあり、とりあえず良さそうだと感じたものをどんどん集めていく。GeoInfotaimentの前回のエクスカーションではこの石切場でサメの脊髄がまるごと見つかったそうだ。

みんなろくにお昼ご飯も食べず、16:00まで黙々と作業。作業中は疲れを感じないけど、終ってからホテルに帰ってシャワーを浴びたら(泥だらけになったからね)、クタクタになっていることに気づいた。そのまま寝てしまいそうだったけど、ホテル近くのレストランでみんなでご飯を食べることになっていたので寝るのは我慢。今回のエクスカーションの参加者は20名ちょっとでドイツ全国から集まっていた。初心者もいればベテランもいて情報交換は楽しかった。

翌日は朝の9:00にハノーファー郊外Höverの石切場で作業開始!

作業中の私。この日は曇っていてちょっと寒かった〜。ぶるる

こちらの石切場で見つけたのはウニばっかり。でも、ウニ化石にもいろんな種類があるのだ。

ガイドさんに貰った資料

で、2日間でどのくらい集めたかと言うと、このくらい。

少し詳しく見ていこう。

べレムナイト化石。他の場所で収集した手持ちのべレムナイトを友人などにおすそ分けして在庫が少なくなっていたので、たくさん再入荷できて嬉しい!

これらはカイメン化石。

貝の生痕化石っぽいけど、よくわからない。

ハートの形の可愛いウニはMicraster spec.

これもハート型だけど、表面の感じから推測するに、Cardiotaxis spec.かなあ?表面に棘穴がぎっしり。

このコロコロして片側がやや尖ったタイプが一番多かった。Galeola spec.だろうか?

大きーい!これはEchinocorys conicaかな?表面に別の小さな生き物がくっついていた形跡がある。

裏側には4つの傷。ガイドさんが「魚の噛み跡だよ」と教えてくれた。ええー、すごい!

模様がわかりにくいので濡らしてみた。これもたぶん、Echinocorys conica

夫はこれを見つけて大喜び。後ろ側が割れてしまっているけど、てっぺんに黄鉄鉱の結晶ができている。

そして、今回のエクスカーションのハイライトはこれ。

Phymosoma spec.

泥の中に埋まっていたのを私が発見したのだ!ウニ化石には大きく分けて正型のものと非正型のものがあって、非正型タイプはたくさん見つかるが正型タイプは滅多になく、あってもうんと小さいものが多いのだそう。これは直径28mmほど。今回の参加者の中でこれを見つけたのは私一人で、「正型のを見つけたの?すごい!見せて見せて」とみんなが見に来た。まあ、これもビギナーズラックというやつでしょう。ちなみにこの化石は上から圧力がかかったようでやや潰れている。正型のウニは非正型のものよりも太く長い棘で覆われていた。参加者の中に棘化石を見つけた人がいて見せてもらった。とても綺麗だった。

こんなわけで今回の化石採集も楽しかった。欲を言えばサメの歯を一本くらい見つけたかったけど、初めて来た石切場でそれなりにいろいろ拾うことができたからまずますかな。

ドイツでは必ずしも化石採集エクスカーションに参加しなくても、バルト海の海岸などで個人で化石を拾い集めることもできる。でも、エクスカーションに参加するのはとてもおすすめである。専門家に教えてもらいながら収集できるし、主催者が個人ではアクセスできない石切場への入場許可を取ってくれる。ドイツには化石エクスカーションを提供している組織が複数あるが、その中で今回私たちが利用したGeoInfotainmentの週末エクスカーションは一人75ユーロ(宿泊費・飲食費は個人負担)で二日間まるまる採集できることを考えると、高くないと思う。

帰ってきてから気づいたのだけど、GeoInfotainmentには日本人のガイドさんもいる。Hiroshi Nakanishiさんという方でフランケン地方のジュラ紀の化石のスペシャリストであるようだ。バイロイトとニュルンベルクの中間あたりに位置するGräfenbergなどでのエクスカーションを担当されている(情報はこちら)。残念ながら今年の中西さんのエクスカーションは終了してしまっているけれど、来年もあるなら是非参加したい。

ご興味のある方、ご一緒にいかがですか?

今回は1931年にライプツィヒで出版された古生物学の本、”Das Leben der Urwelt(原始時代の生き物)”を紹介しよう。アンティークショップの店内をなんとなく見ているとき、変色した布製のハードカバーに恐竜のイラストが描かれているのに惹かれて手に取った。著者はヴィルヘルム・ベルシェ(Wilhelm Bölsche)。専門家向けではなく一般書のようである。1931年といえば日本では昭和6年。その時代のドイツで読まれていた古生物学の本とはどんなものなのだろうか。

多少の変色とシミはあるものの、状態は悪くない

ページ数は全部で約350ページで一般向けにしてはかなりのボリュームだ。中表紙の隣に掲載された絵は海に覆われていたジュラ紀の南ドイツの想像図。プレシオサウルスとイクチオサウルスが魚を捕らえている。

目次はなく、地球の歴史が「現在の地球はほぼ探検され尽くされてしまったが、地下には地球の過去が刻まれており、次々と新事実が発見されている」という導入で始まる長い長い読み物だ。文中挿絵は141点と豊富でビジュアル的にもアピールする。(上のページにはウミユリとアンモナイトの挿絵)

著者ヴィルヘルム・ベルシェ(1861 – 1939)は自然科学を自ら専門的に学んだことはなかったが、作家として科学をポピュラーにするのに大いに貢献した人物のようだ。自然科学の読み物を数多くしたためただけでなく、ドイツの生涯学習機関Volkshochschuleの創始者でもあった。Volkshochschule(直訳すると「市民大学」)はある程度の規模の町には必ずあるカルチャーセンターのような機関で、手頃な受講料でいろいろなことが学べる。私もスペイン語を習ったりなど、よく利用しているのだけど、Volkshochschuleは今年、ちょうど創立100周年を迎えたらしい。その記念すべき年に創始者の著書に遭遇したということになる。ベルシェはドイツ古生物学会の発足時からのメンバーでもあり、古生物学には特に造詣が深かったらしい。古生物に関する本をたくさん書いている。この”Das Leben der Urwelt”はベルシェの晩年の作品なので、長年に渡って蓄積してきた彼の知識の集大成だったのかもしれない。

イクチオサウルスの頭蓋骨
ベルンハルト・ハウフ博士(Dr. Bernhard Hauff)。過去記事で紹介した南ドイツ、ホルツマーデンにある凄い化石博物館、Urweltmuseum Hauffの設立者だ。(過去記事はこちら
フランクフルト、ゼンケンベルク博物館所蔵のトラコドンのミイラ(左ページ)とメガロサウルスから逃げる草食恐竜イグアノドン(右ベージ)。ゼンケンベルク博物館に関する過去記事はこちら
20世紀前半のティラノサウルス・レックス想像図。ティラノサウルスの骨格標本はベルリン自然史博物館で見られる。関連過去記事はこちら

一般向けの本にしては随分と詳しく、読み物の体裁を取ってはいるがかなり学術的な内容である。相当な部数が発行されたようで、90年近くも前にこのような本を読む市民がたくさんいたということが驚きだ。いや、この時代は市民の知的好奇心が爆発していた時代だったから、人々はベルシェの書く科学読み物を貪り読んだのかもしれない。ベルシェは1904年から1999年までほぼ1世紀に渡ってドイツで刊行された一般向け科学雑誌「Kosmos」でもチャールズ・ダーウィンやエルンスト・ヘッケルの進化論を紹介している。

この本はフラクトゥール文字で書かれているので読むのは疲れるけど、挿絵や写真を眺めているだけでも楽しい。もっと挿絵をお見せしたいところだが、あまりに数が多くてどれを選んだらいいのかわからないのでこのくらいに、、、。

今回は博物館の紹介ではないのだが、ニュルンベルク自然史博物館で見つけた資料が興味深かったのでメモがわりに書いておきたい。

ミュージアムショップに”Geheimnisvolle Sauärierfährten aus der fränkischen Trias – Wer hat hier seine Spuren hinterlassen?(フランケン地方の三畳紀地層に見られる絶滅古生物の足跡の謎 〜 痕跡を残したのは誰?)”というタイトルの付いた小冊子があったので手に取った。2013年2月1日から12月31日までニュルンベルク自然史博物館で開催された同名の特別展の資料として発行された冊子で、図表やカラーイラストを多く含んだ31ページで構成されている。

混乱を避けるため最初に書いておくが、上記タイトルにあるSaurierというドイツ語の言葉は恐竜を表すDinosaurierと混同されがちだが、恐竜だけを意味する言葉ではない。かつては恐竜の仲間とみなされていた魚竜や翼竜、首長竜なども含めた大型の古生物を表す一般的な用語であるが、ここでは絶滅古生物と訳した。

ニュルンベルクを訪れる前に立ち寄ったゲッティンゲンの地質学博物館でいくつかの足跡化石を見たところだったので、関係がありそうだと思い、買って来た。

ゲッティンゲン大学に展示されている大型生物の足跡化石

ニュルンベルクを含むバイエルン州北部のフランケン地方の三畳紀の地層からは、絶滅した生き物が遺したと思われる足跡がしばしば発見される。記録されているもので最も古いものは、1833年にニュルンベルク近郊のヒルトブルクハウゼン(Hildburghausen)のブンテル砂岩に教育者フリードリッヒ・ジックラーが見つけた奇妙な足跡だ。四つ足歩行をしたとみなされるその生き物の足跡には指が5本あった。複数の学者がこの足跡を分析しようと試み、有袋動物のものではないか、きっと猿の一種だろう、いや、両生類だなどと様々な解釈をしたが、1835年、ダルムシュタットの動物学教授ヨハン・カウプがChirotherium Barthiiと学術的に命名した。

Chirotheriumは「手を持つ動物」の意味、Barthiiは足跡をスケッチした銅版画家のC. Barthにちなんだ。Chirotheriumは初めて学術的に記載された生痕化石タクソンとなった。その後も同地方のブンテル砂岩からは多くの生痕化石が見つかっている。英国でも似たような足跡が発見され、両生類のものだとするという学説が有力となったが、1925年、ヒルトブルクハウゼンの足跡を丹念に分析したW. Soergelは爪を持つ爬虫類のものだと主張した。

1965年、イタリアのモンテ・ジョルジョの三畳紀の地層から主竜類の骨が発見され、Ticinosuchus feroxと命名される。ドイツでも1990年頃、バーデン=ヴュルテンベルク州のヴァルツフートで骨板を持つ主竜類ラウスキア目の骨が見つかり、Ctenosauriscus koeneniと名付けられた。現在はヒルトブルクハウゼンの足跡はCtenosauriscus koeneniだったとみなされている。

ヒルトブルクハウゼン市役所の側には足跡の実物とともにChirotheriumのモデルが展示されている。画像: Wikipedia (ヒルトブルクハウゼンのHP

しかし、なぜフランケン地方には大型古生物の足跡がよく見られるのだろうか。

フランケン地方を含むドイツ中部の盆地(Germanisches Becken)は三畳紀には乾燥した気候だった。水界は浅く、海と繋がることはほとんどなかったため、繰り返し干上がっていた。しかし、降水量の多い時期には大量の砂が水界の縁で粘土の地層の上に堆積した。そのため、地面は生き物がその上を通過できる程度には硬く、足形の窪みができる程度に柔らかかった。再び乾燥期が来ると乾いた足形の窪みは砂で覆われ、何百万年もの歳月の間に固まり、石板となった。

ブンテル砂岩に見られる足跡化石

フランケン地方ではブンテル砂岩の他に、バイロイト近郊のベンク砂岩(Benker Sandstein)やハースベルゲ郡のコーブルク砂岩(Coburger Sandstein)などからも足跡化石が見つかっている。ヒルトブルクハウゼンで初めて見つかった足跡化石はおよそ2億4700万年前に生きた主竜類のものだったが、恐竜が出現したのはそれから2200万年後のことだ。ドイツで発見された最も古い恐竜の骨はプロコンプソグナトゥス(2億1000万年前)、そしてプラテオサウルス(2億500万年前)である。

様々な足跡化石を時系列で辿ると、主竜類から恐竜への進化が見て取れる。Chirotherium Barthiiに見られた4つ足歩行と5本の指の足跡はまもなく4本指の足跡になり、それから四つ足歩行3本指を経て2本足歩行3本指へと進化して行った。(下の画像を参照)

Chiroteriumからグラレーター(Grallator eubrontes)に至る進化の図

足型や歩幅、位置関係からその生き物がどんな姿をしていたかを推測することは簡単ではないが、骨が発見されれば復元図やモデルは実際の姿により近くなる。

ドイツには恐竜やその他の古生物の足跡化石の見られる場所がいくつかあるが、特にフランクフルトのゼンケンベルク自然博物館の足跡化石は見応えがある(記事はこちら)。

関連サイト: 私がGoogleマイマップで作成した「ドイツ恐竜関連スポットマップ」。

ゲッティンゲン大学地学研究所博物館へ行って来た。ゲッティンゲン大学は正式名はゲオルク・アウグスト大学といい、天才数学者ガウスやグリム兄弟、マックス・プランクなど多数の著名人を輩出した伝統ある大学である。私の好きな博物学者で冒険家だったアレクサンダー・フォン・フンボルトもゲッティンゲン大学で地質学を学んだ。地学研究所の建物内に地学博物館があり、無料で一般開放されている。

地学研究室建物の1階フロア

ゲッティンゲン大学地質学研究所のコレクションの数は400万点を超え、ドイツ全国でも5本の指に入る規模だが、博物館の展示スペースはそれほど広くはなく、展示されているのはコレクションのごく一部だ。
化石展示室。

モササウルスのモデルとアンモナイト。

亀の甲羅の跡。

ニーダーザクセン州の白亜紀地層に見つかった海綿の化石。私はキノコみたいと思ったのだけれど、Sonnenuhr-Schwämme(日時計海綿)と書いてある。学名はCoeloptychium aganicoides。

「レーバッハの卵(Lebacher Eier)」と呼ばれるジオード。ザールラント地方のレーバッハに見られるロートリーゲント層に見られるもので、鉄鉱石を採掘した際に発見された。乾燥した大陸性気候下にあったペルム紀のレーバッハの動植物が化石となってジオードに閉じ込められている。レーバッハのジオードは卵型をしているのが特徴で、それでレーバッハの卵と呼ばれている。

こちらは第三紀の植物化石。月桂樹やカエデなど馴染みのある植物がほぼ完全な形で残っていてアート作品みたい。

他にもいろいろ面白いものがある。足跡の化石が特に見応えがある。

それぞれ何の生き物の足跡なのか、表記がなくてわからないのが残念。基本的には学生を対象にした展示なので、講師の説明を受けながら展示物を見ることが想定されているのだろう。一般の博物館のような丁寧な説明はされていない。後からネットで調べたところによると、ゲッティンゲン大学は古生物学者マックス・バラーシュテット(1857 – 1945)の足跡化石コレクションを所蔵している。バラーシュテットは200を超える恐竜足跡化石を発見し、足跡化石のスペシャリストとして知られていた。バラーシュテットは足跡の分析の結果、恐竜はそれまで考えられていたよりも動きが敏捷だったはずだと主張した。しかし、博物館における恐竜モデルの展示に彼の説が取り入れられるようになったのは、死後から十数年が経過した1960年代になってからだった。

ゲッティンゲン大学のこの地質研究所博物館には鉱物の展示室もある。また、建物の外が小さなジオパークになっていて屋外で岩石の観察もできる。無料なので満足度が高い。大学付属の博物館は大抵地味だけれど、空いていてじっくり見られるので好きだ。他にもケルン大学の地学博物館ベルリン医大の医学史博物館など面白いのがたくさんある。大学の近くに用があるときについでに立ち寄ると楽しいよ。

南西ドイツ弾丸旅行の二日目はシュトゥットガルトへ行った。シュトゥットガルトは大都市で見どころがたくさんありそうだけれど、時間がないので今回は目当てのシュトゥットガルトの州立自然史博物館(Staatliches Museum für Naturkunde Stuttgart)に的を絞ることに。この博物館はMuseum am LöwentorMuseum im Schloss Rosensteinという二つの建物に分かれている。そのうちのMuseum am Löwentorは古生物と地質学の展示がメインなのでそちらへ。

1階展示フロア。地質時代順に化石が展示されている。でも、順路が一直線でないので、ちょっとわかりづらかった。ここでは三畳紀の化石を展示している。三畳紀(約2億5100万年前〜1億9960万年前)はペルム紀の次でジュラ紀の前、中生代の最初の紀である。私のこれまでのドイツ国内化石ハンティングではペルム紀、ジュラ紀、白亜紀などの化石に触れて来たが、三畳紀は未知の世界だ。どんな時代だったのだろうか。

三畳紀はドイツ語ではTrias(トリアス)という。というよりも、Triasを日本語に訳したのが「三畳紀」だと言う方が正確かな。前々回の記事に、ジュラ紀は前期、中期、後期の3つの区分があり、ドイツではそれぞれの区分の地層の色にちなんで黒ジュラ紀、茶ジュラ紀、白ジュラ紀とも呼ばれていると書いたけれど、三畳紀も同じように前期、中期、後期の3つに区分される。区分ごとに地層の色が異なり、それが重なっていることから三畳紀とされた。命名者は南ドイツ、ハイルブロン出身の地質学者フリードリッヒ・フォン・アルベルティ。そしてこの3つの層は上から順にコイパー砂岩(Keuper)、ムシェルカルク(Muschelkalk)、ブンテル砂岩(Bundsandstein)と呼ばれる。地層はもちろん下から上に堆積するから、一番上のコイパー砂岩が最も新しい。一番古いBundsandsteinは、日本語に直訳すると「カラフルな砂岩」という意味だ。カラフルというけど、実際に見ると赤っぽい。

ブンテル砂岩に残ったラウスキア類の足跡。三畳紀前期、この化石が発掘されたあたりではしばしば川が氾濫し、湿った周辺の土の上にいろいろな生き物が足跡を残した。水が引き、土壌が乾燥すると足跡も乾いて固まった。再び洪水が起きると足跡の凹みに堆積物が溜まっていったらしい。

こちらはブンテル砂岩の上のムシェルカルク層。ドイツ語でムシェルとは貝、カルクは石灰岩なので、要するに貝などがどっさり埋まっている石灰岩ということね。

アンモナイトなどがギッシリ

ムシェルカルクからよく見つかる海棲爬虫類、ノトサウルス

コイパー砂岩層の展示はなぜか写真を撮り忘れてしまった。この博物館にはジュラ紀の化石も多数展示されている。そのうちの黒ジュラ紀化石の多くは前日に訪れたホルツマーデンで発掘されたものだ。素晴らしい標本ばかりでどれも一見の価値があるが、今回の記事ではこの博物館で個人的に面白く感じた「鳥から恐竜への進化」展示をクローズアップする。(黒ジュラ紀の化石が気になる方は、是非こちらを見てね)

最近、恐竜関連の本で”恐竜は厳密には絶滅しておらず、恐竜の一部である獣脚類が鳥類に進化して今現在も生きている“と読んだ。知識としてはそうインプットしたのだけれど、恐竜が、それも「鳥」の字がつく鳥盤類ではなく獣脚類が鳥へ進化したというのがなんともややこしく、イメージ的に今ひとつピンと来ていなかった。一体どうやったらあんな怪獣っぽいやつらがインコやジュウシマツへ進化できたのだろうか?

それを知るには、獣脚類の指と首と尾に注目すると良いらしい。写真はドイツの三畳紀の地層から発掘された最大の獣脚類恐竜、リリエンステルヌス(Liliensternus)の復元骨格。この肉食恐竜の首は前にまっすぐに伸び、尾は長く、指は4本ある。最も古い時代の恐竜は指が5本だったそうだが、1 本少ない4本になっている。

4本

上のリリエンステルヌとジュラ紀後期の獣脚類、アロサウルス(Allosaurus)を比較してみよう。アロサウルスは首がS字型に曲がり、指は前足が3本、後ろ足が4本である。

3本

次にコンプソグナトゥス(Compsognathus)の図を見ると、骨がかなり軽量化しているのがわかる。首の下にV字型をした骨がある。これはGabelbein (Furcula)といって鎖骨が中央で癒合したもので、鳥類に見られる特徴だそうだ。鳥が翼を上げ下ろしして飛ぶ際に重要な役割を果たす。足の指もぐっと華奢になっているね。

コンプソグナトゥスのモデル。羽毛に覆われ、小さいせいもあり、確かに鳥っぽい。

これは白亜紀前期のカウディプテリクス(Caudipteryx)。カウディプテリクスとは「尾に羽毛を持つもの」という意味だそうで、前足と尾の羽毛が長い。歯が描かれていないことにも注目。

カウディプテリクスの化石

カウディプテリクスと近縁のオヴィラプトルのメス

次は白亜紀の前期から後期にかけて繁栄したドロマエオサウルス。尾が固り、腕が長くなっている。後ろ足の指は鳥と同じように鉤爪になっている、木に登る際に枝を掴むのに適していたと考えられるそうだ。

ドロマエサウルス科ミクロラプトルのモデル

このように獣脚類の恐竜は長い年月をかけて次第に鳥的な特徴を獲得していった。

そして1860年、南ドイツのゾルンホーフェンで初めて始祖鳥(アーケオプテリクス、Archaeopteryx)の化石が発見される。

始祖鳥のモデル

始祖鳥という名前からには史上最古の鳥なのかと思えば、羽毛や翼を持ち相当に鳥っぽいものの、現在の鳥の直接の祖先ではないらしい(紛らわしい〜)。この辺りのことは展示には詳しく説明されていなかった、身近にある恐竜関連資料を読んでも説明が微妙にまちまちで今ひとつクリアにならないので、とりあえずここでは保留にしておこう。近々、恐竜の専門家に質問することにする。

現在の鳥

鳥は鳥でさらに進化して、現在は姿かたちの様々な鳥が約1万種もいるとされているのだから進化というのは不思議で面白いね。

 

以上、自分の関心によりかなり偏った紹介になってしまったので、シュトゥットガルト自然史博物館(Museum am Löwentor)の全体的な様子が知りたい方は、以下の動画をどうぞ。

先週、南ドイツのシュトゥットガルト方面へ行く用事があった。シュトゥットガルトといえば、その近郊にかねてから行きたいと思っていた場所があったのでついでに立ち寄ることにした。それは、ドイツ国内で最大のプライベート化石博物館とされる、ホルツマーデン(Holzmaden)のUrwelt-Museum Hauff。ジュラ紀の大型化石標本が多数展示されているというこの博物館を1年ほど前にテレビで見て以来、ずっと気になっていたのである。ホルツマーデンは小さな村なのでアクセスはあまり良くない。宿泊予定だったエスリンゲンからは車で30分くらい。

到着

ガーデンスペースに恐竜のモデルが立っているので、見落とす心配はない

とうとう来たか〜とワクワクしながら館内に入り、チケットを購入。オーディオガイドは残念ながらなかった。事前にウェブサイトで確認してこの日はガイドツアーがないと知っていたけれど、ダメもとで聞いてみる。「今日はガイドツアー、ありませんか?」

すると、「今日は設定されてないけど、個人で申し込むことはできますよ。60ユーロかかりますけど」と受付の女性。60ユーロと聞いて一瞬考えたが、夫と一緒だったので一人あたり30ユーロ。せっかくここまではるばる来たのだし、専門家に案内してもらえるチャンスを逃すのもと思い、お願いすることに。ガイドさんは当館で化石のクリーニングを担当している技術者のクラウス・ニールケンさん。

この博物館、Urwelt-Museum Hauffはホルツマーデン生まれの化石収集家、ベルンハルト・ハウフ氏が設立したプライベート博物館である。ハウフ氏の父親は化学産業に従事しており、粘板岩の採石場を所有していた。その採石場から出る化石に幼少期から魅せられていたハウフ氏は化石のクリーニングの技術を習得し、1936年、自らのコレクションを展示する目的でこの博物館を設立した。息子のベルンハルト・ハウフ・Jr.氏はテュービンゲン大学で古生物学博士号を取得し、父の博物館を引き継いだ。そして現在は孫のロルフ・ベルンハルト・ハウフ氏が館長を務める。一家三代に渡るライフワークとしての博物館。そこからしてすごいスケールの話である。

まず、この地域の地層についてざっと見てみよう。ホルツマーデンはシュヴェービッシェ・アルプという丘陵地帯の麓(北西側)に位置する。(小さい村なので以下の地図には記載されていないけど、Kirchheim u. Teck と書いてあるところのそば)

Image: Thomas Römer, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55865564

シュヴェービッシェ・アルプ地方はジュラ紀にはトロピカルな浅い海に覆われていた。だから、この地方からはジュラ紀の海の化石がたくさん産出されるのだ。ジュラ紀というのは中生代の真ん中、三畳紀と白亜紀に挟まれる地質時代だが、そのジュラ紀はさらに前期(リアス期)、中期(ドッガー期)、後期(マルム期)に分けられる。ドイツではそのそれぞれを黒ジュラ(schwarzer Jura)、茶ジュラ(brauner Jura)、白ジュラ(weißer Jura)と呼ぶことが多い。その地質年代に相当する地層が黒、茶、白という特徴的な色をしているからだ。

以前、当ブログで紹介した化石の名産地、ゾルンホーフェンの地層はジュラ紀の中でも白ジュラ紀の時代に堆積したものだ。実際、ゾルンホーフェンの岩石は白っぽい色をしている。それに対してここ、ホルツマーデンの地層は黒ジュラ紀の地層で、ポシドニア頁岩と呼ばれる粘板岩は歴青を多く含むため、濃っぽいグレーなのだ。ジュラ紀に浅い海に堆積した泥の層が、その上に堆積した地層の重みで1/20の容積に押しつぶされてできたらしい。そのため、このあたりで産出される化石はおせんべいのようにぺしゃんこだ。

入り口を入ってすぐの展示室には地域の地質の説明パネルの他、大きな階段状の地層モデルが展示されている

これはサメの化石。お腹のあたりに何かが密集している?

と思ってよく見ると、、、、エエーッ!!これはベレムナイト!こんなに大量のベレムナイトがサメの胃の中に!?ベレムナイトとは白亜紀に絶滅したイカにソックリな生物である。この短い五寸釘のようなものは、死んで分解されても残りやすい鏃型の殻部分で矢石とも呼ばれる。

「もしかしたら、これがこのサメの死因だったのかもしれませんね」とニールケンさんは笑った。

イカを大量に食べて消化不良で死んだサメなのか、これは?

ふと、その昔、私の母の同僚が映画館で大量のスルメを食べ、ビールを飲みながら映画を見ていたら、胃の中でスルメが膨張して大変なことになり、病院に運ばれたというエピソードを思い出してしまった。イカのドカ食いには気をつけよう。

サメの他にこの博物館ではイクチオサウルス、プレシオサウルス、翼竜やワニなどの大型化石が見られる。

ホルツマーデン周辺の粘板岩から産出する化石の特徴は、生物の軟体部もよく保存されていること。普通は軟体部は分解してなくなってしまい、残るのは骨などの硬い部分だけれど、この辺りの化石は酸素の乏しい地層に閉じ込められたことで軟体部も保存されやすかった。

イクチオサウルスの骨格標本。尾が下向きに折れ曲がっている。

すごく保存状態が良いけれど、なぜ折れ曲がっているのだろう?

その疑問は軟体部分が残っている別のイクチオサウルスの標本を見て解けた。

なるほど、尾びれの下側の部分だったのか〜。

それにしても惚れ惚れとしてしまう立派な標本である。

こんなに隅々まで綺麗に残っていると、ジュラ紀に生きていらしたんですね、と話しかけたくなってしまう。一つ一つの標本がリアルな個体として迫って来る。

これはまた別のイクチオサウルスなのだけど、肋骨の内側に小さなリング状のものがたくさん並んでいるの、見えるかな?

「これはメスで、お腹の中に胎児が5体いますよ」

エエ?胎児?妊婦さんだったの?

「一匹は無事に産まれたみたいですね。ほら、左上を見てください」と言われ、標本の左上に目をやると、

あ、赤ちゃんがーーーっ!!一匹産み落としたところで力尽きたなんて、お母さん、悲しすぎ。

なんだか圧倒される標本の数々。ワニの化石もすごいですね。

ここの化石は軟体部が保存されやすいと先にも書いたけれど、こんなベレムナイト標本、初めて見たわ。

アンモナイトと魚が重なった瞬間が永久スクリーンショットされてる!

驚きの連続。そしてこの博物館の一番の目玉はこのウミユリの群生標本だ。ユリというから植物なのかと思ったら、ウミユリはヒトデやウニなどと同じ棘皮生物だった。標本の真ん中あたりの高さのところに横向きに黒っぽいものが見えるが、これは流木で、5本の腕を持つウミユリの成体がこの流木につかまるように付着してゆらゆらと生きていた。この標本はウミユリ化石の標本としては世界最大で、なんと18×6mもある。クリーニングには18年もかかったという。

細部

感動のガイドツアーが終わった。60ユーロの価値はあると感じたが、一人5ユーロの日曜ツアーも定期的にあるので、興味のある方は日曜を狙って行くのがおすすめ。

博物館のすぐ前(道路を渡った反対側)には化石収集体験のできる小さな石切場もある。でも、子供向けなので本格的にやってみたい場合は博物館から約2.5kmのところにある石切場、Schieferbruch Kromerが良いと教えてもらった。私も絶対行くつもり!

前回、前々回と番外編の日本のまにあっく観光地を紹介しているが、その3(今回で最終回)は東京から大きくジャンプして北海道三笠市の三笠市立博物館。道央にあるこの博物館では日本一のアンモナイトのコレクションが見られると知り、行く気満々だった。

しかし、季節は真冬。実家からはまずバスで旭川駅まで行き(30分弱)、そこから電車で岩見沢まで行き(約1時間)、そこからローカルバスに乗り換えてさらに1時間近く移動しなければならない。行こうと思った日の前日、旭川の最低気温はマイナス21度だった。さすがに無謀では。内心諦めかけたところに我が母は言う。「多分三笠の方はそんなに寒くない。大丈夫だ」と。さすが道産子歴70余年。母がそう言うならと決行することにした。

博物館最寄りの幾春別バス停留所に到着

博物館への道。写っているのは我が母と娘

あった!

ドイツからはるばる来たよ、三笠市立博物館。これで閉まってたら泣くところだった。

おーっ。これは見るからに凄そう!

フロアは巨大なアンモナイトの標本のオンパレード。この光景だけでも一見の価値がある。側面にも大小様々なアンモナイトが展示されている。その数、およそ600点。日本一を誇るアンモナイトコレクションだそうだが、そもそもなぜここにそれだけのアンモナイト化石が大集合しているのかというと、三笠市及びその周辺には蝦夷層という白亜紀の地層が分布しているため。蝦夷層からはアンモナイトやイノセラムス(二枚貝)の化石が多く見つかるのだ。

縫合線くっきりのアンモナイト標本。アンモナイトの内部はたくさんの小さな部屋に分かれていて、そのそれぞれを分ける壁を隔壁と呼ぶ。縫合線とはその隔壁と外側の殻の接線で、このような複雑な模様を描くものもあるそうだ。

日本最大級のこの標本の表面にも縫合線が見られる

展示の説明はかなり詳しく、アンモナイトの系統図から見分け方の説明、さらには新種がどのように論文に記載されるのかまで説明されている。小さな町の博物館とは思えない充実ぶり。

ところでアンモナイト標本の中央の窪みのことを「へそ」と呼ぶが、おへその部分は殻が薄くて風化しやすいので大型標本にはおへそがないものが多いらしい。三笠市立博物館の大型標本にはおへそがある。また、アンモナイトには「正常巻き」のものと「異常巻き」のものがある。アンモナイトと言われて普通、頭に思い浮かべるシナモンロールのようにくるりと巻いたものは正常巻きのアンモナイト、それ以外のものは異常巻き。でも、異常巻きのアンモナイトは病気のアンモナイトということではない。巻いていないタイプを総称して正常巻きのものと区別している。

北海道を代表する異常巻きアンモナイト、ニッポニテス

これもアンモナイトなんだ!

2017年に三笠市で発見された新種のアンモナイト、ユーボストリコセラス・ヴァルデラクサム

とにかくいろんな種類のアンモナイトを見ることができて、本当に面白い。北海道産の標本だけでも十分過ぎる見応えがあるが、世界各地で発見された見事な標本もたくさん展示されている。

あれっ。この黄色い板はもしかしてドイツのゾルンホーフェン産では?

実は私もゾルンホーフェンで採集して来たんだよね。(詳しくはこちらの記事)

北海道では首長竜やモササウルスの化石も見つかっている。

1976年に三笠市で発見されたモササウルスの新種、エゾミカサリュウの模型

他にもコンボウガキと呼ばれる細長いカキの化石とか、面白いものがたくさん!もうー、書ききれない。そして、ここまでに紹介したものは三笠市立博物館に全部で6つある展示室のうちの一つでしかないのだ。他の展示室では日本最古の炭鉱である幌内炭鉱における労使を含めた郷土史の展示が見られる。そちらも大変興味深かった。

アクセスが良いとは言い難いものの、行く価値大いにありの素晴らしい博物館で大満足。今回は雪に埋もれていたため見学しなかったが、この博物館周辺はジオパークになっていて(三笠ジオパーク)地層の観察もできる。

北海道にはこんな面白いものがあったのかと故郷を再発見できたのも収穫だった。そして、この三笠市立博物館だけでなく今回の日本里帰り中に立ち寄った古生物関連博物館の全てでゾルンホーフェン産の化石標本を目にして、世界的に有名な化石の産地で化石収集体験できる環境にいるのは恵まれたことなんだなあと実感したのである。

 

追記:

みかさぐらしさんによる三笠市立博物館館長さんのインタビュー動画がとても面白いです。

過去4回に分けてイーダー・オーバーシュタインでの鉱石観光についてレポートして来た。ここで話はイーダー・オーバーシュタイン滞在1日目の化石エクスカーションに戻る。ガイドさんの案内のもとフンスリュック地方で見つかる様々な年代の化石を探し集めるという大変満足なエクスカーションに参加した。終了時にガイドさんから「これ、知り合いがやってる店なんだけど、よかったら行ってみて」とチラシを手渡された。近郊のヘルシュタイン(Herrstein)という町にあるワインとアクセサリーの店、Goldbachs Weine & Steineのチラシだった。

私はワインは飲めないし、買い物もそれほど好きではないので、店は見なくていいか、、、、と思ったのだけれど、チラシをよく見ると「Geomuseum(地質学博物館)」と書いてある。どうやらこのお店は小さな博物館を併設しているようだ。たいして遠くもなかったので、行ってみることにする。

チラシの住所の建物の中に入ると確かにワインの店である。が、奥の部屋が博物館だという。

なるほど、これが博物館。写真がちょっと暗くなってしまったが、磨き上げられたショーケースに化石が美しく展示され、小さいながらもかなりいい感じの空間だ。さて、では化石をちょっと見せてもらおうかと思ったところに店の主人と思われる男性が入って来た。

「私のコレクションをご覧になりたいのですね。では、ご説明致します」と言うと、店のご主人はここにプライベート博物館を作った経緯を熱く語り始めた。ご夫婦は30年以上に渡って趣味で化石や鉱石を収集しており、それらを展示(一部は販売)するための場所を長らく探していた。ようやく見つけた古い建物を大々的にリフォームし、このショップ兼博物館をオープンするに至ったとのことである。ご主人はとても感じの良い人で説明もわかりやすいが、いわゆる「話が長いタイプ」だ。「ひえ〜、チラッと見るだけのつもりで来たのに、こりゃ時間かかるな」と思ったけれど、まあこちらは休暇中だし、せっかくだからいろいろ見せてもらおうと覚悟を決めた。

店主ゴルトバッハさんの収集した化石は年代ごとに整理されている。写真のケースは最も年代の古いカンブリア代からシルル代の化石。ゴルトバッハさんは一つ一つのケースからお気に入りの化石を取り出して見せてくれた。

目までくっきりの三葉虫化石

気室の一つ一つがはっきり見える頭足類

アンモナイトを含む頭足類は気室と呼ばれる部屋を一つ一つ増やしながら成長し、常に最新の気室野中のみで生活していたそうだ。使わなくなった部屋の中はガスで満たされ、海水の中で浮力を調整していた。

この途中まで巻いている化石は名前を聞いたけれど、このときたまたまメモ用紙を持っていなかったので、残念ながら忘れてしまった。グーグル検索したところ、こちらのリツイテスというものと似ている。年代的にも同じオルドビス紀なので同じものか近縁の古生物ではないだろうか。

年代順に一つ一つのショーケースの中身を説明してくださった。

おおっ、これは先日のアイフェル地方旅行で見たデボン紀のサンゴ化石ではないか!

私と夫がアイフェル地方で見つけたサンゴ化石

アイフェル地方のゲロルシュタイン近郊では耕したばかりの畑に上の写真のような化石がゴロゴロ落ちていて本当にびっくりした。その時の記事はこちら

こちらのケースにはフンスリュックの粘板岩によく見つかるデボン紀の化石が並んでいる。

ヒトデ

ウミユリ

このような粘板岩の化石は1日目のエクスカーションで自分でも拾ったりクリーニングしたりした。

エクスカーションでの化石クリーニング風景

粘板岩に化石が含まれている部分は硬くふくらんでいるが、そのままではなんだかよくわからないものが多い。周囲を削り取ると化石が浮かび上がって来る。

こちらは石炭紀の植物化石。そういえばこの年代の化石はエッセンのルール博物館(Ruhrmuseum)でたくさん見たな。エッセンのあるルール地方はかつて炭鉱業で栄えた地方だ。石炭というのは植物が炭化したものだものね。

エッセンのルール博物館で見たシダの化石

話が横に反れるが、ルール博物館はユネスコ世界遺産に登録されているかつての炭鉱、ツォルフェアアインの建物の中にある第一級の博物館で、ルール地方で見つかった化石の素晴らしいコレクションの展示コーナーもある。化石ファン必見の博物館だと思う。(過去記事

バルト海リューゲン島のチョーク化石。これもこの夏、探しに行って来たばかり。

リューゲン島で見つけたベレムナイト

リューゲン島はチョークの地層自体が微化石の集合体だが、目に見える化石もたくさん見つかる(過去記事)。

当ブログ「まにあっくドイツ観光」でこれまでにたくさんの場所を訪れレポートして来たが、見たものがだんだんと繋がって行く感覚がある。気づいたらすっかりブログのメインテーマのようになっている化石だけれど、実は最近急に興味を持つようになった分野で、最初は化石という広く深い分野の中の何を見ているのか自分でもさっぱりわからなかった。けれど、ここでこうしてゴルトバッハさんのドイツ化石コレクションを眺めていると、すでにドイツ国内のいろいろな年代と種類の化石を目にして来たなあと感じた。

これらは1日目のエクスカーションで拾ったのと同じ年代(第三紀)の松かさ化石

メクレンブルク=フォルポンメルン州Sternbergの貝の化石

ゴルトバッハさんのコレクションは自然史博物館の化石コレクションのように大規模ではないけれど、よく整理されていてドイツで見つかる化石の全体像を掴むのにとても良い!頭を整理するのにとても役立った。それに、マンダーシャイトの鉱物博物館、Steinkisteでも感じたことだけれど、個人の収集家は自分のコレクションを愛していて、とても熱心に説明してくれるので、大きな博物館とはまた違った面白さがある。

Weine & Steineには化石だけでなく鉱石の展示室もあって、ここでも素晴らしいメノウの数々を見ることができた。

 

ところでこのお店兼博物館のあるヘルシュタインは中世の街並みが残る、なかなか素敵な場所だ。

ノスタルジックなCafé Zehntscheuneは料理も美味しい

 

イーダー・オーバーシュタインに来たら足を伸ばしてみる価値あり。

今年のドイツは信じられないほど晴れた日が続いた長い夏だった。しかし、もう10月も半ばである。野外活動を楽しめるのもあとわずかだ。寒さがやって来る前に今年最後のジオ旅行に出かけよう。今回の目的地はラインラント=プファルツ州のフンスリュック山地。宝石の研磨産業で有名なイーダー・オーバーシュタイン(Idar Oberstein)の町があり、ドイツの観光街道の一つ、「ドイツ宝石街道」が伸びている。貴石を旅のテーマにイーダー・オーバーシュタイン周辺で数日を過ごすことにした。

せっかくなので博物館で鉱石を眺めるだけでなく、自分でも探すことができないかとイーダー・オーバーシュタインの観光サイトを見たところ、化石&鉱石ガイドツアー (Steinerne Schätze Hunsrücks – Geführte Mineralien- und Fossiliensuche)なるものを発見した。専門家と一緒に週末二日かけて化石と鉱石を探すエクスカーションだ。鉱石だけでなく化石もついているとは素晴らしい!

そんなわけで参加することになったジオ・エクスカーションである。プログラムによると、1日目の土曜日は化石探しとのことだった。朝9:15分にイーダー・オーバーシュタイン近郊の指定の場所で集合とのことだったので、ホテルで朝食を取り、車で集合場所へ。番地はおろか通りの名前もないハイカー用の小さな駐車場に数名の参加者が待っていた。

ガイドさんはオランダ人の地質学者Wouter Südkamp氏、参加者は高校の地学教師とその母親、それに趣味の化石コレクター2人、そして私たち夫婦の合計6人である。ガイドさんが自分のオランダ名Wouterが発音しづらければドイツ式にヴァルターと呼んでもらって構わないと仰るので、ここではヴァルターさんと書かせて頂こう。ヴァルターさんによると、フンスリュック山地では様々な地質年代の化石を見つけることができる。3つの異なる地層を結ぶ約40kmのルートを案内するから私の車の後についていらっしゃいとのことで、5台編成で山道を移動することになった。

まもなくSteinhardt(石のように硬い、という意味)という村の石灰岩採石場場採石場に到着。まだ半分寝ぼけていて周辺の写真を撮るのを忘れてしまったが、この石切場では第三紀の植物化石がよく見つかるらしい。ヴァルターさんは瓦礫の山を指差し、「ジャガイモのような丸い石を探してください」と言う。見ると砂にまみれた白っぽくてまん丸な石がところどころに見える。丸いものは重晶石の塊で、割ると中に木の断片や松ぼっくりのようなものが入っているかもしれないというのだ。

収穫。松ぼっくり入りはなかったけれど、木や葉っぱの化石入りは結構たくさん見つかった。炭化した木が入っているものも。ジャガイモのような石をハンマーで叩いて、パカっと割る。何も入っていない「はずれ」も多いけど、「あたり」だったときはかなり嬉しい。ドイツには卵型をした「びっくり卵」なるチョコレート菓子があって、中からおまけが出て来るので子どもに人気なのだが、この石の塊は「大人のびっくり卵」という感じだ。

満足するまでおまけ入り卵を採ったら、今度はレンガ工場の敷地に移動した。ここではRotliegend層と呼ばれる赤い地層に緑色をした板状の石が混じっている。このRotliegend層に見られるのはペルム紀の化石で、主にシダなどの植物化石である。板の側面から層の間に垂直に鑿を当ててハンマーで叩いて剥がす。ゾルンホーフェンの板状石灰岩に化石を探したときと同じ要領だ(やり方はこちら)。

小さな丸い葉っぱがたくさん。

こちらは葉脈くっきり。

一番すごかったのはこれ。開いた瞬間に大きな葉と茎が現れて、「うわぁ!」と叫び声が出てしまった。内側になっていた表面はしっとりとしている。乾かないように新聞紙に包んで保存する。

そして3箇所目は、ブンデンバッハというところにあるフンスリュック粘板岩(スレート)という石の廃棄場だった。フンスリュック山地やその周辺地方ではスレート葺きの屋根をした建物が多い。

これはフンスリュックではなくアイフェル地方の村だけれど、フンスリュックの建物もだいたいこんな感じである。

スレートを建材として使う場合、できるだけ表面が平らできれいなものが望ましいで、凸凹のあるものは破棄された。しかし、化石ハンターにとっては凸凹なスレート板こそ目当ての石なのだ。なぜかというと、その凸凹はそこに化石が入っていることを意味しているかもしれないのだから。

山の斜面にこのようにスレートの瓦礫がぎっしり捨てられている。これらの板を一枚一枚見て、化石が含まれていないかチェックする。でも、この作業、かなり大変。斜面なので不自然な格好でしゃがんで作業しなければならない上に足場がすぐに崩れてしまう。上の方からもスレートが崩れ落ちて来る。

初めて知ったのだが、フンスリュック粘板岩は化石を豊富に含むことで世界的にもよく知られているそうだ。デヴォン紀の海の生き物が微細なものも含め、かなり良い状態で保存されている。

化石であることは明らかだけれど、これらがなんなのか、実はまだわからない。

三枚目の画像の板は左上のもの以外、まだプレパレーションしていなくてわかりづらいと思うけれど、小さい丸い出っ張り部分に化石が入っている。ヴァルターさんに聞いたら、丸いものはおそらく小さな三葉虫や腕足動物だろうとのことだった。プレパレーションというのは、採った化石をよく観察できるようにきれいにする作業のこと。

粘板岩の場合はナイフなどで化石の周辺を削る。こうすることで、化石が浮き彫りになり、はっきり見えるようになる。でもこれ、なかなか根気の要る作業。

実はヴァルターさんは化石の中でも特にこのフンスリュック粘板岩の専門家で、化石特定のためのこういう本を出版されている。

鉱石が目当てで出かけたイーダー・オーバーシュタインだったが、フンスリュック山地は同時に重要な化石の産地でもあることがわかった。一日に3種類もの異なる年代の化石を見つけることができた上にプレパレーションの仕方も教えてもらえて、エクスカーションの一日目はとても充実していた。

(翌日の鉱石エクスカーションについては次の記事に書きます)

Googleマイマップを使ったまにあっくドイツ観光マップの第5段、「ドイツ恐竜関連スポットマップ」を公開した。

カテゴリーは「恐竜パーク」、「恐竜の展示が見られる博物館」、「恐竜の足跡が見られる場所」の3つ。

恐竜パークはインドアの遊技場的なものとオープンエアのテーマパークがある。オープンエアのテーマパークの規模はまちまちだが、2kmの遊歩道に150体もの実物大恐竜モデルを設置しているパークもあり、モデルといえども見応えのありそうな恐竜パークがいくつも見つかった。子どもと一緒のお出かけにぴったり。

博物館へ行けば、本物の恐竜化石が見られる。マップには厳密な定義での恐竜だけでなく、首長竜や魚竜、祖始鳥などの展示が見られる博物館も含めた(ドイツ語で〇〇サウルスという名前がついているもの)。マップ上で赤くなっているスポットは私がこれまでに訪れた恐竜関連の展示のある博物館だ。他のまにあっくドイツ観光マップ同様、当ブログの記事をリンクしている。

説明の欄には、それぞれの博物館でどんな恐竜(または恐竜に順ずるもの)が見られるのかを書き入れた。これまでに行った博物館については自分の目で見て確認しているけれど、それ以外は博物館のウェブサイトの情報を拾ったので、全ての展示物の情報を網羅しているわけではなく、目玉展示物のみ。今後、見に行って確認できた情報を追加していこう。(ここの博物館でこんな恐竜を見たよ!という情報があれば、教えてくださると嬉しいです

その他に、ドイツ国内には恐竜の足跡の見られる場所もいくつかある。ハイキングルートになっているので、散策がてら恐竜について知ることができて楽しそう。

 

恐竜ファンの方、ドイツ在住でお子さんを連れてのお出かけ先を探している方、よかったら是非、このマップを利用してくださいね。

 

見どころがたくさんな火山アイフェル・ジオパーク。次に足を運んだのは、天然炭酸水「ゲロルシュタイナー」の採水地があることで有名なゲロルシュタインだ。火山活動が今尚活発なアイフェル地方には炭酸を多く含む水の湧き出る泉がたくさんある。「ゲロルシュタイナー」はドイツ国内で最も流通しているミネラルウォーターブランドなので、ドイツに住む人で知らない人はいないだろう。世界への輸出量でもナンバーワンらしい。(余談になるが、私たちが滞在していたシャルケンメーレン村から数キロのところにあるダウンで生産されているミネラルウオーター、「ダウナー」もとても美味しかった。)

でも、私たちがゲロルシュタインへ行った目的は水を飲むためというわけではなく、自然史博物館(Naturkundemuseum Gerolstein)を訪れるためだった。

ゲロルシュタイン自然史博物館

この博物館は4フロアから成り、1階が鉱物、2階が化石、3階が考古学、4階が蝶のコレクションという構成である。

特に鉱物の展示が充実している。

そしてここでもガラス化した砂岩をいくつも見た(詳しくはこちら)。やっぱりどう見ても陶器に見えるなあ。

瑪瑙もたくさん見られて嬉しい。ドイツの瑪瑙の名産地として真っ先に頭に浮かぶのはイーダー・オーバーシュタインだが、アイフェルのアーレンラート(Arenrath)という地域では「アイフェル瑪瑙」と呼ばれる瑪瑙が採れるらしい。

では、次は化石コーナーを見てみよう。

アイフェル地方はかつては不毛な地とみなされ、「プロイセンのシベリア」と呼ばれていた。しかし、アイフェルを訪れたドイツの偉大なる博物学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトはここに大量の化石を発見した。見つけた化石を持ち帰るために周辺の農家の女性たちから靴下を買取理、中に化石を詰めて運んだという逸話があるらしい。アイフェルで見られる化石には腕足類、貝、サンゴなどが多い。

中期デヴォン紀のハパリデウム目ハパリデウム科メソフィルム属のmaimum maximumというサンゴ。結構な大きさ。

ダクティリオセラスというアンモナイト。芸術作品みたい。

ブローチ屋?という感じである。

これは何!? Storomatoporoideaと書いてある。家に帰ってから調べたら、日本語では層孔虫類と出て来た。日本大百科全集の説明によると、

石灰質の共有骨をもつ化石動物で、ストロマトポラないしストロマトポロイドともよぶ。その群体の外形は円錐(えんすい)状、半球状、樹枝状、塊状、皮殻状をなし、大きなものは数メートルに達するものがあった。共有骨は垂直な柱状のピラーpillar(支柱)と水平なラミナlamina(葉理)の2要素よりなり、これらの配列、密度、厚さなどにより属種が区別される。また共有骨の表面および内部には、層孔虫特有の星形放射状の星状溝の現れることがある。
層孔虫の所属についてはいままで多くの説があり、そのなかでヒドロ虫類起源説が一般的であった。ところが、海綿動物の硬骨海綿のあるものの溝系(こうけい)(流水系。体内に海水を流通させて摂食や消化などを行う海綿特有の組織系)の出口が、層孔虫特有の星形の溝によく似ているという発見があり、海綿起源説が有力になった。古生代前期から中生代後期まで生存したが、古生代シルル紀からデボン紀にかけてと中生代のジュラ紀に繁栄のピークがあり、標準化石となっているものも多い。わが国でもこの両時期の礁性堆積(たいせき)物中に多数発見されている。
古生代のものにはクラスロディクチオン、アクチノストロマなど、中生代のものにはパラストマトポラ(もとはストロマトポラStromatoporaとされたが、この属名は現在は古生代のもののみに使われる)、ミレポリジウムその他が知られている。[藤山家徳]

だそうだけれど、うーん、よくわからない。今後の課題にしよう。

これまたすごい。いろんな種類の化石がびっしり。

これも、一体どれだけ?というほど化石が埋まった石。

アイフェル地方はデヴォン紀の化石が豊富な地方であるということがよくわかった。ところで、展示を見ていた夫が「うちにもデヴォン紀の化石があったかもしれない」と言い出した。夫も夫の父もいろんなところからいろんなものを拾ったり貰ったりして来て溜め込んでいる人で、家には出所を忘れてしまったよくわからないものがたくさんあるのだが、その多くは古いもので化石もいくつかある。そのうちの一つがアイフェルのあちこちの博物館で見るデヴォン紀の貝の化石に似ていると言うのだ。

家に帰ってから、うちにある出どころ不明の化石を眺めてみた。言われてみればデヴォンっぽい?この問いは今後他の博物館を見ていくうちにはっきりするかもしれない。

この日は頭が地学モードで、3階の考古学、4階の蝶はさらっと見ただけなのでここでは紹介しない。

館内を一通り見て1階に戻り、受け付けに座っていた男性に「化石に興味があるんですが、化石探しのワークショップはありませんか」と聞いてみた。男性は今年就任したばかりのこの博物館の館長だった。残念ながら化石探しのワークショップはないとのことだったが、「私は古生物学者です。歴代の館長は皆、鉱物学者で、古生物を専門とする者が館長になるのは私が初めてなんですよ。今後、古生物学部門をさらに充実させて行きたいと思っています」と言いながら、アイフェルの化石について少し説明してくださった。ゲロルシュタインからそう遠くない場所に化石がたくさん見つかる場所があるとのこと。主にサンゴの化石で、脳サンゴも見つかるという。

「それはどこですか?」と身を乗り出して尋ねたら、場所を教えてくださった。

「早速行こうぜ!」

私たちは慌てて車に飛び乗った。しかし、場所を教えてくれたとはいっても「〇〇村と△△村の間くらいのところ」という大雑把な情報で、正確な地点がわかったわけではないが、とりあえず〇〇村と△△村の間へ行ってみた。畑の広がる、ごく普通の田舎の風景が広がっていた。しかし、夫が「ここ!ここにあるかもしれない!」とトラクターで耕された畑を指差すので車から降りて地面を見ると、

いきなり!サンゴ!

二人で目を見合わせてしまった。そして驚くことに、地面にはゴロゴロと芋のように大量の化石が転がっているのだ。なるほど、アレクサンダー・フォン・フンボルトが靴下を買い占めたわけだ。すごかったなー。

拾って来た化石

 

こんなわけで、アイフェル旅行によってますます楽しくなって来た鉱物&化石探し。ドイツ地学は本当に面白い。

火山アイフェルに関するレポートは次回で最終回です。