投稿

「過去旅風景リバイバル」シリーズ米国編、思い出の景色の第二弾はヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)で見た花崗岩ドーム。前回の記事に書いたモノ湖へはサンフランシスコからヨセミテ国立公園を横切るタイオガ・パス・ロード(Tioga Road)を通って行った。以下の写真はその途中で見た景色。

えーと、これはどの地点からどちら方向を見て撮ったんだったっけな?見慣れない風景に「わあ、すごい!」と思ったのは覚えている。でも、9年も前のことで、当時は細かい記録をメモを取っていなかったので、記憶が曖昧だ。Googleマップを見ながら考えるに、タイオガ・パス・ロード沿いのビューポイントの一つ、オルムステッド・ポイント(Olmsted Point)から見た花崗岩ドーム、「ハーフドーム(Half Dome)」ではないかと思う。Twitterにこの画像を上げて、わかる人はいませんかと聞いてみたところ、同じ推測を頂いたので、たぶん間違いない。

ハーフドームはヨセミテ国立公園のアイコンで、ハイキングする人も多い。ネット上によく上がっている写真はグレイシャーポイントという別のビューポイントからの眺めで、球を縦に半分に割ったような形状をしているのでハーフドームと呼ばれているそうだ。オルムステッド・ポイントからは切り立った崖側は見えない。

ヨセミテ国立公園にはハーフドーム以外にもボコボコした花崗岩ドームがたくさんある。このような変わった地形はどうやってできたんだろう?この景色を見た当時はまだ地質学にそれほど興味を持っていなかったので、「すごい景色だなあー」と圧倒されたものの、それで終わってしまった。今さらだけど、成り立ちを調べてみよう。

ヨセミテ国立公園はシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)の西山麓に沿って広がっている。花崗岩は深成岩だから、マグマが地下の深いところでゆっくりと冷えて固まってできる。ヨセミテの花崗岩の丘は、シエラネバダ・バソリスという巨大なマグマ溜まりが固まって形成された岩体が地下から押し上げられ、その上の土壌が侵食を受けることで地表に剥き出しになってできた。

オルムステッド・ポイントの丘の斜面に座る子どもたち

オルムステッド・ポイントの丘の表面には割れ目がたくさんあった。昼間、岩が温まって膨張し、夜間に冷えて縮むことで割れ目ができる。岩は層状になっていて、風化で表面の層が玉ねぎの皮が剥けるように剥離し、そのプロセスが特定の条件下では特徴的なドームの形状を作る。当時ティーンだったうちの子どもたちが座っている斜面のところどころに石がちょこんと乗っかっているのが見える。これらの石は、かつてここを覆っていた氷河が遠くから運んで来て置き去りにした「迷子石」だということに今、気づいた。

えー、9年前にヨセミテで「迷子石」を目にしていたなんて!

というのは、私が住んでいるドイツのブランデンブルク州にはいたるところに迷子石があるのだ。いつからか迷子石に興味を持つようになり、このブログに迷子石に関する記事をいくつも書いているのだ。(「迷子石」でサイト内検索すると関連記事が表示されます)

氷河の置き土産 〜 北ドイツの石を味わう

ブランデンブルクではヨセミテのように岩盤が地表に剥き出しになっていないので、氷河で運ばれた石は土の中に埋まっているか、農作業や工事の際に掘り出されて地面の上にあるので、同じ迷子石でもそのたたずまい(っていうかな?)はヨセミテのそれとはかなり違うが。ヨセミテでそれらの石を見たときにはまだ「迷子石」という概念を知らなかったので、何も考えずにスルーしていた。

このときの旅行では行きたい場所がたくさんあって、ヨセミテ国立公園はサーッと通過してしまった。何日か公園内に滞在して氷河がかたちづくった景観をじっくり味わえばよかったなあ。今になってすごく悔しい、、、。

 

 

ブランデンブルク州に引っ越して来てもう14年になろうとしている。ここに来て以来、ずっと気になっているものがある。それは、この辺りでよく見る大きな石。なぜかブランデンブルクでは至るところに大きな石がある。山もないのに、大きな石が畑や道路脇や公園など、あらゆる場所にごろんごろんと場違いな感じで存在している。一体、それらはどこから来たのか。誰がそこに石を置いたのか。

公園に配置された石

不思議に思っていたら、これらの石は「迷子石(Findling)」なるものであることがわかった。はるばるスカンジナビアから運ばれて来た石であるらしい。といっても、人間がわざわざ運搬して来たのではない。氷河によってドイツ北部に辿り着き、そのまま定着した移民ならぬ移石なのである。

ブランデンブルク州を含む北ドイツは、氷河時代には厚い氷床に覆われていた。特にエルベ川の東側(現在のベルリン、ブランデンブルク州及びメクレンブルク=フォアポンメルン州)は一番最後の氷期(ヴァイクセル氷期)にもすっぽりと氷の下にあった。氷床は気候変動によって拡大したり縮小したりしていたが、それだけでなく、少しづつ移動していた。スカンジナビア氷床は長い長い時間をかけて南へと移動し、その際に氷の下にあった大量の岩石が削り取られ、氷に押されてスカンジナビアからドイツへやって来たのだ。約1万年前、最後の氷期が終わった時、石たちはそのままドイツに置き去りになった。

このような岩石を総称して「Geschiebe(ゲシーベ)」と呼ぶ。Geschiebeとは「押されて移動したもの」という意味だ。北ドイツの土の中にはゲシーベが大量に埋まっていて、土を掘るとごろんごろんと顔を出す。古来から、畑を耕したり、建物を建てるために地面を掘るたびにゲシーベが次々と掘り出された。掘り出したものをまた埋めたりはしないので、野原は石だらけ。だから、ゲシーベは一般的には「Feldstein野石)」と呼ばれている。

せっかく豊富にあるからということで、人々は昔からゲシーベを活用して来た。例えば、建材として。

野石造りの教会と壁

ブランデンブルクの田舎の教会には写真のようなゲシーベを積み上げたものが多い。私は立派な教会よりもこういう野趣のある小さな教会が好き。

それに、よく見て!ゲシーベには実にいろんな色のがあって、並べるとカラフルでとても可愛いのだ。私はこういう「一見同じようでありながら、よく見るとバリエーションが豊富」なものに弱いのだよねえ。

レンガとのこんなコンビネーションも素敵

ゲシーベは石畳の敷石にもよく使われる。大きな石を割って平らな面を上にして地面に敷き詰める。ブランデンブルク州ではこんなカラフルな石畳をよく見かける。上の画像では乾いているけれど、雨に濡れると鮮やかに光ってとても綺麗なので、雨の日はルンルンしてしまう。

小さな石を加工せずにそのまま並べたKatzenkopfpflasterと呼ばれる部分もある。Katzenkopfというのは「猫の頭」という意味。でも、猫の頭にしちゃあ硬い。痛いんだよね、こういう上を歩くのは。

敷石にもトレンドがあるようで、石がいつ敷かれたかによって、またはそのときの行政予算などにもよって石畳のタイプが変わって来るのだろう。ポツダム市の中心部には同じ通りであらゆるタイプの敷石がパッチワーク状に敷かれている場所があり、眺めていると面白くて、つい下ばかり向いて歩いてしまう。

さて、ゲシーベはの大きさは小さな石ころから巨石までさまざまだが、1枚目の画像のような大きいものを迷子石(Findling)と呼ぶ。体積が10㎥以上の特に大きなものはゲオトープとして保護されているそうだ。先日、地元のローカルペーパーを読んでいたら、うちの近所で道路工事中に大きな迷子石が掘り出されたと書いてあった。

北ドイツの地形は氷河の侵食・堆積作用によって形成された氷河地形である。私が住んでいるのは氷床のちょうど端っこだったあたりで、氷河が運んで来た土砂が堆積してできたエンドモレーンという丘が形成されている。モレーンの丘には大小様々なゲシーベが埋まっている。今回、丘のふもとの道路を掘ったらこんな大きな石が出て来たというのだ。専門家が鑑定したところ、かなり珍しいタイプの迷子石だとのことで、ゲオトープとしてこのままこの丘に設置されることになった。

そう、ゲシーベは色とりどりで綺麗というだけでなく、よく見ればどこから来たものかがわかるのだ。ブランデンブルク州で見られるゲシーベの大部分はバルト盾状地(Baltischer Schild)から削り取られたものだが、スエーデン南部やフィンランドの特定の地域でしか見られない岩石と迷子石の化学組成や構成鉱物の種類が一致すれば、その迷子石がもともとあった場所をほぼピンポイントで特定できるらしい。

北ドイツには迷子石を集めた迷子石公園(Findlingspark)が各地にある。過去記事で紹介したが、ブランデンブルク南部にあるFindlingspark Nochtenには7000個の迷子石が集められていて圧巻だ。

ゲシーベについてはまだまだ書きたいことがあるのだけど、長くなったので導入編ということで一旦ここで区切って、続きは次の記事に回そう。

導入編のまとめ:

北ドイツは氷河時代には氷床に覆われていた。

氷に押されてスカンジナビアから大量の土砂や岩石が北ドイツまで移動して来た。

地質学ではそうした岩石のことをゲシーベ(Geschiebe)と呼ぶ。一般的には野石(Feldstein)と呼ばれている。人々は古くから野石を建材としてや道路の敷石などに大いに利用して来た。

ゲシーベのうち、サイズの大きいものを迷子石(Findling)と呼ぶ。体積が10㎥を超えるものはジオトープとして保護されている。

ゲシーベには色々な種類がある。ゲシーベの化学組成や結晶構造を分析すると、どこから移動して来たものかがわかる。

● (次の記事で書くけれど、石拾いは楽しい)

 

まにあっくドイツ観光、今週末はザクセン州東部、オーバーラウジッツ地方にあるFindlingspark Nochtenへ行って来た。

Findlingsparkとは何か。日本語に訳すと「迷子石公園」となる。迷子石とはなんぞやと思う人もいるかもしれない。実は私も数年前まで、「迷子石」という言葉もドイツ語の「Findling」も知らなかった。

 

まいごいし【迷子石 erratics】

捨子石(すてごいし)ともいう。氷河によって運搬された岩石塊が,氷河の溶けたあとにとり残されたもの。ヨーロッパやアメリカでは氷河時代に運ばれた岩石塊が数百kmも離れた所に見られる。特定の地域にしか産しない岩石の迷子石を追跡調査し,その分布状況から氷河時代の氷床の拡大方向が推察できる。【村井 勇】世界大百科事典第2版

 

そう、ドイツでは氷河時代にスカンジナビア半島から運ばれて来た岩石があちこちに見られるのだ。特に旧東ドイツの褐炭採掘が盛んな地域では、地面を掘り起こすと迷子石が大量に出て来る。小さなものは無数にあるが、巨石も少なくない。ドイツで見つかった迷子石で最大のものは大きさ200㎥、重さ550トンもある。地質学研究において迷子石は重要なもので、大きさが10㎥以上あるものはゲオトープとして保護することになっているが、大きな塊がゴロゴロ出て来るので、置き場に困り、邪魔といえば邪魔だ。そこで近頃は、その土地で産出された迷子石を利用したジオパークが作られ始めている。今日訪れたFindlingspark Nochtenは、ドイツ最大の迷子石公園だ。

コットブス市とゲルリッツ市の中間地点にあり、ポーランドとの国境が近い。

 

なかなか壮観である。2003年に開園した広さ20ヘクタールのこのジオパークには現在、およそ7000個の迷子石が配置されている。このような公園を作った背景には、褐炭採掘で荒れた土地を再生し環境を守ろうという意図や、ドイツ統一後に産業が廃れて人口が減少したこの地域を観光地にして活性化しようという目的もある。

 

公園の西側にあるこの丘は迷子石が流れて来たスカンジナビア半島をシンボライズしている。芝生の部分は海。

 

この図のように、スカンジナビアを覆っていた氷河がヨーロッパ大陸北部へと移動したときに一緒にもたらされ大陸のあちこちに置き去りにされたのが迷子石というわけである。

 

17億7000万年前の花崗岩。

 

斑岩。写真では大きさがよくわからないが、幅は30cmくらい。火山岩は地表に放出されたときに急激に冷え、ヒビが入って細かく砕けることが多いので、大きな塊は珍しい。(と、家に帰って来てから岩石の本で読んだ)

 

ミグマタイト。特殊な岩石らしいが、よくわからない。岩石に詳しい弟を連れて来られればよかったなあ。

 

丘のてっぺん。これは迷子石アート。地面のパイプは氷河が流れたルートを示している。

 

公園内には様々な植物が植えられ、季節ごとに違った表情が楽しめるようだが、たまたま今の季節はあまり花が咲いていなかった。

 

 

公園のすぐ向こうは褐炭発電所。なんだかすごい景色だ。

 

売店に売っていた石。私は宝石を身につけることにはほとんど興味がないが、石を眺めるのは好きである。ここにはフリントもあったので、ふとリューゲン島で見た広大なフリントフィールドを思い出した。それについても別の機会に書こうと思う。

 

このジオパークは現在のところはまだ観光客もそれほど多くはなく、静かに散策することができる。東ドイツの良いところは、観光地がまだ飽和しておらず、のんびりと見て回れることだ。また、10年後、20年後にはどう発展しているかなと想像する楽しみもある。このジオパークもまだ完成形ではない。今後より充実して行くだろう。

 

エコツーリズムも楽しいが、ジオツーリズムも興味深い。世界のいろんなジオパークを訪れてみたい。ジオパークに関心のある方は、こちらの記事も是非読んでみてください。

 

 

 

 

イースター休暇も過ぎたというのに、相変わらず寒い日が続いていたが、日曜は春らしい天気になった。このチャンスを逃してはもったいない。晴れている日には野外観光スポットのリストから目的地を選ぶことにしている。今回は、ベルリン東部、Rüdersdorfにある北ドイツ最大の露天掘り石灰鉱山に隣接した野外ミュージアムMuseumpark Rüdersdorfを訪れることにした。

 

 

結論から言ってしまうが、この野外ミュージアムはかなり楽しめる!しかも、万人向けである。というのも、内容が盛りだくさんなのだ。

 

13世紀から稼働している石灰石の露天掘り鉱山と、隣接する17ヘクタールの公園は「欧州産業遺産の道」上の観光スポットの一つ。過去に紹介したブランデンブルク産業博物館もこの観光ルート上にある。

公園内では焼成炉を中心に、多くの石灰岩採掘・加工・運搬施設が見学できる。

 

この鉱山では13世紀の初めより採掘が行われていたが、生石灰が生産されるようになったのは17世紀に入ってからのことである。19世紀初頭に、温度調整の可能な画期的な石灰窯が建設された。この窯は発明者のRumford氏にちなんでRumfordofenと呼ばれている。

 

窯の内部も見学できる。お城の中のようで、ちょっとワクワクする。

 

窯の内部はかつて、鉱山労働者の住居としても使われていた。当時の労働者の生活の様子を伺い知ることができる。

 

竪窯(シャフトキルン)と呼ばれる石灰窯。

 

 

公園内にはポニーなどに触れ合うことのできる小さな動物園もあり、また、いろいろなタイプのクレーン車が設置されたクレーンパーク区画もあるので、子どももたっぷり楽しめると思う。

 

 

ガイドツアーに参加すれば、鉱山施設の歴史を詳しく知ることができる。しかし、この野外ミュージアムの目玉はなんといっても、露天掘り場をジープで1時間かけて回るツアーだ。もちろん、私たちはジープツアーに参加した。運転手兼ガイドさんが鉱山についての詳しい説明をしてくれる。

 

広大な採掘場。

 

 

 

よく見ると石灰岩の地層の厚さがまちまちなのだが、それはその地層年代の気温の違いから来るものだという。暖かいとそれだけ生物が繁殖するので、堆積物の量が多くなり、層が厚くなる。

 

と、ここまでたいした説明もせずに写真だけ貼ってしまったが、それには理由がある。このミュージアムには、さらに見所があるのだ。

 

というのも、このミュージアムは産業遺産であるだけでなく、同時にジオパークでもある。氷河の移動が終わった後、このあたりにはエンドモレーンと呼ばれる土砂の山が形成された。このため、Rüdersdorfは非常に重要な地質学研究のフィールドなのである。上述のジープツアーの他、化石掘りツアーにも参加することもできる。ガイドに「化石が見つかる確率って、どのくらいなんですか?」と聞くと、「100%ですよ」という返事が返って来た。

 

ミュージアム敷地内には岩石資料館があり、地質学的説明や岩石や化石お展示を見ることができる。これがかなり面白かった。この資料館を見るだけでもここに来る価値があると思う。

 

 

うまく写真が撮れなくて残念。

 

岩石資料館の前には氷河によって運ばれて来た様々な迷子石が展示されている。

 

マニアックなものが好きな人はもちろん、産業遺産にも化石にも興味ないよ!という人でも、ただ公園内を普通に散策するだけでも楽しいはず。週末や祝日には様々なイベントもやっていて、家族レジャーにも最適と、満足度の高い観光スポットだ。