2013年の米国旅行の際に印象深かった風景を思い出しながら綴る「過去旅風景リバイバル 米国編」。これまで7回にわたって主にアリゾナの風景について記して来たが、今回が最終回である。最後の風景はアリゾナ州とユタ州にまたがるモニュメントバレー(Monument valley)。

ユタ州からモニュメントバレーに向かってハイウェイ163を南下すると、映画「フォレスト・ガンプ」でフォレストが一直線の道を走ったシーンの撮影場を通過することで有名だ。私たちはアリゾナ州側から北上したので、残念ながらフォレスト・ガンプ・ポイントは通過しなかった。モニュメントバレーはその6に書いたアンテロープ・キャニオン同様にナバホ族の居留地である。ハイウェイ163をナバホ・ウェルカムセンター(Navajo Welcome Center)のところで降りて右折し、モニュメント・バレー・ロード沿いにあるビジターセンターに向かった。

ビジターセンターの展望台からは赤い砂岩の3つのビュート(残丘)が見える。名称は左からそれぞれウェスト・ミトン・ビュート(West Mitten Butte)、イースト・ミトン・ビュート(East Mitten Butte)、そしてメリック・ビュート(Merrick Butte)。左の二つはミトンように見えるからミトンビュートと名付けられた。それにしても、西部劇の舞台が現実にあるんだね。ただひたすら驚き、圧倒される。

ビュートというのは、岩山が川による侵食を受ける際、上部にある硬い地層が蓋となって(キャップロック)その下の柔らかい地層を侵食から守ることでできる。ビュートの末広がりの下部は泥が固まってできたオルガン・ロック頁岩(Organ Rock Shale)で、その上に垂直にde Chelly Sandstoneという砂岩が乗っている。キャップロックの部分はShinarump Conglomerateと呼ばれる礫岩だ。

これらビュートの独特な形状がモニュメントのようだから、この一帯はモニュメント・バレーと呼ばれているわけだけれど、ナバホ族はこの地域をシンプルに「岩の谷」と呼ぶそうだ。この風景もアリゾナの他の多くの風景と同様に、堆積→隆起→侵食というプロセスが生み出している。侵食が進んでモニュメントのようなビュートが残ったこの景色はグランドキャニオンやレッド・ロック国立公園の遠い未来の姿ということだろうか。乾燥していて植物がほとんど生えていないからこそ、そうした自然の作用をこんなにも直接的に感じることができる。

Merrick Butte

それにしても米国の風景はスケールが違う。3週間に渡るこの米国旅行では今回まとめた「過去旅風景リバイバル」で取り上げなかった他のたくさんの場所を訪れた。それぞれ面白かったけれど、旅を終えて8年半が経過した今、振り返ると、特に心に残っているのは驚異的な自然風景ばかりだ。もちろん、都市は都市で興味深いのだけれど、スケールの大きな自然風景に身を置いたときの感動と驚きは、より深く記憶に刻まれるような気がする。私の場合は、だけどね。

さて、「過去旅風景リバイバル」の米国編はこれで一旦おしまい。米国だけでなく、過去に旅した他の国についても、おいおい記憶を辿って記していこう。

 

 

過去旅風景リバイバル、米国編その7はアリゾナ州グランドキャニオン国立公園(Grand Canyon National Park)。言わずと知れたメジャーな観光地で世界中の旅行者に語り尽くされているけれど、アリゾナ州を旅するなら、やっぱり外せない。なぜなら、あれほど巨大でダイナミックな自然の造形に旅行者が簡単にアクセスできる場所は世界中にそれほど多くないと思うから。

 

南縁、サウスリムからの眺め。この写真は2013年のものだが、グランドキャニオンを訪れるのはこのときが初めてではない。私は大昔、二十歳のときに同じ場所に立ち、同じ風景を目にしていた。でも、そのときには、是非とも見てみたいと思って行ったグランドキャニオンなのに、目の前に広がる景色があまりにも不思議で現実のものだという実感が湧かず、感動的なのかどうかもよくわからなかったのを覚えている。それから何十年もの月日が経過し、その間にいろいろな場所でいろいろな風景を見て来たからか、2度目に訪れたこのときには、そのとてつもない規模を実感することができた。

さまざまな種類の堆積物がレイヤーとなり、岩肌に縞模様を作っている。ここはかつて浅い海だったときもあれば、乾燥した砂丘地帯だったときもあった。この風景には20億年にも及ぶ環境変化が記録されている。そして、このような深い谷をその上から一望することができるのは、およそ7000年前、この一帯が地殻変動によって隆起してコロラド高原という台地となったからだ。高いところでは海抜3000メートル以上もある。そこを流れるコロラド川が勢いよく流れて岩盤を削り、深い峡谷を作った。そういえば、規模はこれよりも小さいけれど、似たような景色がカナリア諸島のグラン・カナリア島にもある。グラン・カナリアでは谷に道路が通っていて、ドライブしながら渓谷の驚くべき地形を眺めることができた。

Mather Pointからの眺め。

グランドキャニオンへは2度行ったことになるが、いずれのときもメジャーなサウスリムのみ。いつかまた行く機会があったら、そのときにはノースリムに行ってみたいな。

 

参考: National Park Serviceウェブサイト

 

 

過去旅風景リバイバル、米国編その6は前回に引き続き、アリゾナ州北部にあるアンテロープ・キャニオン(Antelope Canyon)。「キャニオン」という名の通り峡谷で、動物の「レイヨウ」を意味する「アンテロープ」は、かつて、この峡谷をエダツノレイヨウの群れが移動していたことによるらしい。砂岩などの柔らかい堆積岩が水の流れによって侵食されてできた狭いV字型の渓谷で、そのような峡谷はスロットキャニオンと呼ばれる。赤い砂岩の地層を川が削り取ってできた細い渓谷に光が差し込むと、岩肌の縞模様が独特な神秘的な風景をつくり出す。

アンテロープ・キャニオンは先住民ナバホ族(Navajo)の居留地「ナバホ・ネイション」内にあり、自由にアクセスすることはできない。最寄りの町、ページ(Page)でガイドツアーに申し込む必要があった。アンテロープ・キャニオンは「アッパー・アンテロープ・キャニオン」と「ローワー・アンテロープ・キャニオン」に分かれていて、私たちが参加したのは「アッパー・アンテロープ・キャニオン」のツアーだ。

公園の入り口でナバホ族のガイドさんと一緒に数名づつトラックに乗り込んで渓谷まで行く。移動時間はそう長くなかったはずだが、ガイドさんが事前に「地面が凸凹なので、移動中、かなり揺れますよ」と言っていた通り、すごく揺れてまるで波乗りのような状態だったので、途中の景色を写真に撮ることは無理だった。GoogleMapの航空写真で見ると、渓谷の入り口あたりはこんな感じである。

分厚い砂岩の地層に割れ目ができているのが見える。ナバホ砂岩層と呼ばれる、砂丘が固まってできたこの地層は、およそ1億8000万年前に形成された。一帯は見ての通り、カラッカラの乾燥地だけれど、夏期には雨が降ることがある。集中豪雨が発生すると、雨水が鉄砲水となって細い谷間を流れる。勢いよく流れる水で地層が少しづつ侵食されてできたのが、このアンテロープ・キャニオンなのである。

赤い砂岩の地層にできた割れ目。岩肌には細かい縞模様ができている。ナバホ族にとっての聖地であるこの峡谷内部をガイドさんが案内してくれた。中は薄暗く、ところによってはすごく狭い。

岩壁は複雑で滑らかな曲線を描いていて、上から差し込む太陽の光が陰影を作り、とても美しい。光の入り具合によって色が変わるので、刻々と変化する岩のマジックをずっと眺めていたら、さぞかし感動的なことだろう。でも、ここに鉄砲水が流れ込んで来たらと想像すると怖くて、とても長居する気にはなれないのだった。

以下、当時使っていた古いコンデジで撮ったものなので、アンテロープ・キャニオンの美しさを十分に捉えられたとは言えないけれど、写真を何枚か。それにしても、自然の造形って本当に面白い。

 

 

 

過去旅風景リバイバル、米国編の5箇所目はアリゾナ州セドナ(Sedona)のすぐ南に広がるレッド・ロック州立公園(Red Rock State Park)。レッド・ロックという名の通り、赤い色をした岩山がそびえ立つ驚異的な景観の自然保護区だ。赤い岩が朝日や夕日を浴びて一層赤く染まる姿が神秘的だからか、パワースポットとしてとても人気があるようだ。セドナについて事前に調べ他とき、「ボルテックス」という言葉を含むサイトをたくさん目にした。私はパワースポットには興味がないのだけれど、レッド・ロック州立公園の風景は是非とも見たかったし、それ以外にも絶景の宝庫であるアリゾナ州を回る拠点としてセドナに滞在することにした。そしてここで、私たち家族は「ヘリコプターに乗って観光する」という初めての経験をすることになる。これが本当に素晴らしく、忘れられない思い出となった。

ヘリコプターに乗るなんて、そんなお金のかかるアクティビティをしようという発想はそれまでまったくなく、旅の計画の中には当然、含まれていなかった。それがなぜ乗ることになったのかというと、ドイツからアメリカへの移動に利用した航空会社のオーバーブッキングのおかげなのである。フランクフルト空港からいざ出発という段になって、出発ゲートにあるアナウンスが響き渡ったのである。

オーバーブッキングのため、ご予約くださったすべてのお客様に搭乗していただくことができません。明日の便に変更しても構わないという方はいらっしゃいませんか?お客様お一人あたり600ユーロを差し上げます

「え?変更したら一人600ユーロくれるの?ってことは、うちは4人だから、2400ユーロ?」

家族で顔を見合わせた。米国旅行をしようということになったとき、「アメリカは広いから移動に時間が取られる。1週間や2週間の日程では十分に見られないだろう」と思い、思い切って3週間の計画を立てていた。しかし、3週間もホテルに泊まるとなると、さすがに高くつく。それで、4人で一つの部屋に泊まり、1つのベッドに二人づつ寝て宿泊費を半分にするという節約モードの旅になるはずだった。

「3週間もあるんだから、1日くらい減ってもそんなに変わらないよね?」

「2400ユーロももらえるなら、旅行をグレードアップできるんじゃない?」

「2部屋に泊まれるよ」

「いや、それはもったいない!せっかくの臨時収入なんだから、普段ならできないことに使うべきだ」

数分のうちに決めないと、他の人に権利を取られてしまう!飛行機の変更を受け入れて旅程が1日短くなる代わりに普段できないことにお金を使おうというのでみんなの意見がまとまった。そして、1日遅れで出発した私たちは、航空会社から貰ったお金を「レッド・ロック州立公園の上をヘリコプターで飛ぶ」ことになったのだった。

このヘリコプターに乗って空から観光するのだ

 

助手席に座ったのは私。機体にドアはなく、シートベルトで体を固定するだけ。ドキドキ、、、。

 

ヘリコプターが上昇を始め、ドアのない機体から眼下に広がる景色を見下ろす感覚は、それまでにまったく体験したことがないものだった。気分は一気に高揚。怖いといえば怖いけれど、興奮がそれを上回る。層を成す赤い岩山、その間に広がる森林、雲の影。息を呑む美しさである。

セドナはコロラド高原の南西の端の断崖、Mogollon Rimに位置している。レッド•ロック州立公園に見られる特徴的な岩山はおよそ3億〜2億7000年前に古代の山から運ばれて来た砂が堆積して固まってできたもので、後に川による侵食を受けて現在のかたちになった。柔らかい地層ほど侵食されやすいので、硬い部分が残った独特のかたちになる。岩が赤い色をしているのは、堆積した砂が鉄分に富む地下水に浸されることで、白い石英の砂粒一つ一つが酸化鉄の薄いレイヤーに覆われているからだ。

ところどころに、帯のような白い層が見える。白い部分の層は砂の粒が他の部分よりも大きく、粒子同士の間の隙間が大きいので水が素早く流れ、鉄分の赤い色がつかなかったそうだ。

手前の山は鐘の形をしたベル・ロック(Bell Rock)。その右後ろに見えるのはコートハウス・ビュート(Courthouse Butte)。上の硬い地層が残って台地になった地形は、その形状によってメサ(Mesa)とかビュート(Butte)と呼ばれる。メサとビュートの厳密な違いはよくわからないが、上部が細く孤立丘になっているものがビュートと呼ばれるらしい。ベル・ロックやコートハウス・ビュートの色はひときわ鮮やかだった。このオレンジががった色の岩はSchnebly Hill Formationと呼ばれる岩で、およそ2億8000年前に形成された。その頃、セドナ一帯は海岸の砂丘だった。ベル・ロックの裾広がりの下部は丸みを帯びた階段状になっている。

ヘリコプターはベル・ロックの周りを旋回した。カーブを描くときには機体が大きく傾く。もちろん、自分の体も一緒に傾くので落ちそうな感覚になる。でも、高いところというのは中途半端に高い方がむしろ怖くて、一定以上の高さになるとそれほど怖くない気がする。現実味が薄れるからだろうか。

レッド・ロック州立公園というくらいなので、圧倒的な迫力で視界に入って来るのは主に赤い砂岩だけれど、ベル・ロックよりも高い山の上の方は白っぽい色をしている。Schnebly Hill Formationの上に乗っかっているのはココニノ砂岩(Coconino Sandostone)。ココニノ砂岩が形成された2億7500万年前にはセドナの南東にあった海が後退し、一帯は内陸の砂丘になっていた。Schnebly Hill Formationよりも砂の粒が大きく均等で、酸化鉄の色がつかなかった。

それにしても、ダイナミックな景色の中をヘリコプターで飛び回るというのは、想像以上に感動的な体験だった。同じ空から眺めるのでも、飛行機の窓から見るのとはまただいぶ違い、もっと鳥のような感覚だと言えるかな。

さて、レッド・ロック州立公園はもちろん、歩いて回ることもできる。公園内にはたくさんのハイキングコース(トレイル)が整備されている。

ベル・ロックからコートハウス・ビュートを背景に撮った写真

Devil’s bridge

 

カセドラル・ロック(Cathedral Rock)

 

Oak Creek Canyon

写真はたくさん残っているけれど、公園にはとてもたくさんのトレイルやビューポイントがあるので、どの地点で撮ったのかどうしても思い出せないものもたくさんある。この記事をまとめるためにガイドブックやいろんなサイトを見たが、「こんな場所もあったのか。見ればよかった!」と何度も悔しい気持ちになった。広大な自然保護区のすべてを見ることはもちろん不可能だけれど、、、。家族で行けて本当によかったなあ。

 

参考図書: Wayne Rainey  “Sedona Through Time. A Guide to Sedona’s Geology” (2010)

 

 

 

「過去旅風景リバイバル」米国編の4箇所目はアリゾナ州北部ウィンズローという町の近郊にあるバリンジャー隕石孔。バリンジャー隕石孔は、約4万9先年前に地球に衝突した隕石によって形成された直径約1.2キロメートルのクレーターで、その縁に上がってクレーター全体を眺めることができる、すごい場所だ。バリンジャー隕石孔の「バリンジャー」は、地面の巨大な窪みを隕石によって形成されたものだと主張した、鉱山技術者ダニエル・モロー・バリンジャー(Daniel Moreau Barringer)の名字である。隕石や隕石孔にはそれが落ちた場所の最寄りの郵便局の名前をつけられることが多いそうで、「ミティア・クレーター(Meteor Creter)」とも呼ばれる(Googleマップ上はメティア・クレーターと表記されている)。他にもいくつかの呼び名があるようだ。

先に行った人から「ただの穴だよ」と聞かされていたので、あまり期待して行くとガッカリするかな?と思ったけれど、実際に見たら、やっぱりすごーい!

ここに隕石が落ちたんだね、ひゃあー。直径30〜50メートルの鉄隕石だというが、それがこんなに大きな穴を作るとは。落下のスピードはThe Barringer Crater Companyのサイトによると、秒速12kmと推定されるらしい。途方もないスケールの話で、実際に地球上に起こったことなのに現実味がなく、怖いという感覚は湧かない。

ちなみに、私が住んでいるドイツにも隕石孔がある。ネルトリンゲンのリース・クレーターは直径25kmもあり、このバリンジャー隕石孔をはるかに超える巨大さだ。でも、全体を眺めるには大きすぎるし、クレーターの中に町ができているから、隕石が落ちた場所と言われてもピンと来ない。(ネルトリンゲン市内には「リース・クレーター博物館」というとても面白い博物館がある。それについてのレポートはこちら)そして、ネルトリンゲンの近郊、シュタインハイムにもリース・クレーターと同時期にできたシュタインハイム・クレーターがある。そちらは小さいので、近くの丘からぐるりと見回すことができるけれど(レポートはこちら)、牧草地なので、よーく見ればなるほど窪地になっているのがわかるものの、知らなければそのまま通り過ぎてしまうだろう。それらと比べ、このバリンジャー隕石孔は窪みが一目瞭然で、一度見たら忘れられない風景だ。

バリンジャー隕石孔はバリンジャーさんの子孫の私有地だというのもびっくりした。ビジターセンターで詳しく説明してもらったけれど、メモを取っていなくて、9年も前のことだから、どんな内容だったかすっかり忘れてしまった。やっぱり、面白いと思ったことは忘れないうちに記録しないとなあ。

 

 

過去旅風景リバイバル、米国編。今回スポットを当てるのは、カリフォルニア州デスバレー国立公園北部にあるメスキートフラット砂丘(Mesquete Flat Sand Dunes)。カリフォルニア州北東部のマンモスレイクス(Mammoth Lakes)からネバダ州ラス・ベガスへ移動する途中に見た風景である。

真夏だったので、デスバレーは迂回した方がいいのではないかと思った。なにしろ、デスバレーは世界で最も暑い場所の一つで、56.7℃という世界最高気温を叩き出している。水をたっぷり積んで走るにしても、途中で車がエンコするかもしれない。外に出て灼けた地面を歩いたら靴底が溶けたという体験談も聞いていた。でも、「デスバレー(Death Valley)」という言葉の響きにはやっぱり興味をそそられる。一目見たかった。夫も、迂回すると遠いから、やっぱりデスバレーを突っ切って行こうと言う。一番暑い時間帯に当たらないようにと、早めに出発することにした。

ところが、家族が朝、なかなか起きないので出発が遅れ、途中でマンザナーにあるかつての日本人強制収容所を見学していたらあっという間に時間が過ぎて、午後になってしまった。オーエンズ湖の東側を通り、州道190号線に入ってしばらく走るとデスバレーに突入する。

車を停めて、少し歩いてみる。暑いが、まだこの時点では耐えられないほどではない。

 

さらに190号線沿いを進むと、メスキート・フラット砂丘と呼ばれる砂丘地帯に到達した。駐車場があったので、休憩することにした。

恐る恐る、車のドアを開けて外に出る。うわぁ、暑い!まるでドライヤーの熱風を全身に浴びているかのよう。砂丘の奥に向かって、少しだけ歩いてみる。

眩い光にクラクラしながら眺める風景は、なんだか現実感がなく、不思議だった。

デスバレーは広大なモハーヴェ砂漠の北に位置している。砂漠なんだから砂丘があって当たり前な感じがするが、実際にはそうではなく、砂漠には砂砂漠の他に土砂漠、岩石砂漠、礫砂漠などいろんな種類がある。この一帯は山脈に挟まれていて、風上にある山が侵食を受けて砂が運ばれて来るが、風下にある山がバリアとなって砂がそれ以上飛ばされず、この一帯に溜まることで砂丘となった。デスバレーは「バレー」という名の示す通り谷で、一番低いところは海面下マイナス86mととても低い。北西から南北に伸びるデスバレーの真ん中には活断層がある。その断層が水平方向にずれて谷底が広がり、中央部が沈下していったからそんなに低いのそうだ。(参考: 渡邉克晃「美しすぎる地学辞典」)

砂の上を歩いていたのは10分ほどだったろうか。圧倒的で魅力ある風景だけれど、暑くてとてもじゃないけれどこれ以上は外にいられない。急いで車に乗り込み、出発した。

そこから先の景色も凄かった。もう車は降りず、車の窓ガラス越しに撮ったのでのでぼんやりとしているけれど、ネバダ州へ抜けるには、こんな山を越えていく。

冬が観光シーズンの米国最大の国立公園、デスバレー。このときは夏だったので、サッと通り過ぎてしまったけれど、「アーチストパレット」や「サブリスキーポイント」など、驚異的な風景の宝庫だから、いつかまた行くチャンスがあったらトレッキングしてみたいなあ。

 

 

「過去旅風景リバイバル」シリーズ米国編、思い出の景色の第二弾はヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)で見た花崗岩ドーム。前回の記事に書いたモノ湖へはサンフランシスコからヨセミテ国立公園を横切るタイオガ・パス・ロード(Tioga Road)を通って行った。以下の写真はその途中で見た景色。

えーと、これはどの地点からどちら方向を見て撮ったんだったっけな?見慣れない風景に「わあ、すごい!」と思ったのは覚えている。でも、9年も前のことで、当時は細かい記録をメモを取っていなかったので、記憶が曖昧だ。Googleマップを見ながら考えるに、タイオガ・パス・ロード沿いのビューポイントの一つ、オルムステッド・ポイント(Olmsted Point)から見た花崗岩ドーム、「ハーフドーム(Half Dome)」ではないかと思う。Twitterにこの画像を上げて、わかる人はいませんかと聞いてみたところ、同じ推測を頂いたので、たぶん間違いない。

ハーフドームはヨセミテ国立公園のアイコンで、ハイキングする人も多い。ネット上によく上がっている写真はグレイシャーポイントという別のビューポイントからの眺めで、球を縦に半分に割ったような形状をしているのでハーフドームと呼ばれているそうだ。オルムステッド・ポイントからは切り立った崖側は見えない。

ヨセミテ国立公園にはハーフドーム以外にもボコボコした花崗岩ドームがたくさんある。このような変わった地形はどうやってできたんだろう?この景色を見た当時はまだ地質学にそれほど興味を持っていなかったので、「すごい景色だなあー」と圧倒されたものの、それで終わってしまった。今さらだけど、成り立ちを調べてみよう。

ヨセミテ国立公園はシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)の西山麓に沿って広がっている。花崗岩は深成岩だから、マグマが地下の深いところでゆっくりと冷えて固まってできる。ヨセミテの花崗岩の丘は、シエラネバダ・バソリスという巨大なマグマ溜まりが固まって形成された岩体が地下から押し上げられ、その上の土壌が侵食を受けることで地表に剥き出しになってできた。

オルムステッド・ポイントの丘の斜面に座る子どもたち

オルムステッド・ポイントの丘の表面には割れ目がたくさんあった。昼間、岩が温まって膨張し、夜間に冷えて縮むことで割れ目ができる。岩は層状になっていて、風化で表面の層が玉ねぎの皮が剥けるように剥離し、そのプロセスが特定の条件下では特徴的なドームの形状を作る。当時ティーンだったうちの子どもたちが座っている斜面のところどころに石がちょこんと乗っかっているのが見える。これらの石は、かつてここを覆っていた氷河が遠くから運んで来て置き去りにした「迷子石」だということに今、気づいた。

えー、9年前にヨセミテで「迷子石」を目にしていたなんて!

というのは、私が住んでいるドイツのブランデンブルク州にはいたるところに迷子石があるのだ。いつからか迷子石に興味を持つようになり、このブログに迷子石に関する記事をいくつも書いているのだ。(「迷子石」でサイト内検索すると関連記事が表示されます)

氷河の置き土産 〜 北ドイツの石を味わう

ブランデンブルクではヨセミテのように岩盤が地表に剥き出しになっていないので、氷河で運ばれた石は土の中に埋まっているか、農作業や工事の際に掘り出されて地面の上にあるので、同じ迷子石でもそのたたずまい(っていうかな?)はヨセミテのそれとはかなり違うが。ヨセミテでそれらの石を見たときにはまだ「迷子石」という概念を知らなかったので、何も考えずにスルーしていた。

このときの旅行では行きたい場所がたくさんあって、ヨセミテ国立公園はサーッと通過してしまった。何日か公園内に滞在して氷河がかたちづくった景観をじっくり味わえばよかったなあ。今になってすごく悔しい、、、。

 

 

若い頃に楽しんでいた都市型の旅から自然を楽しむ旅へと移行したのは、子どもが生まれたことがきっかけだったと思う。幼な子と大荷物を抱えて公共交通機関で町から町へと移動することが難しくなった。子どもは美術館や博物館にはすぐに飽きてしまうから、ゆっくり見られない。必然的に自然豊かな場所に滞在する旅が中心となった。

子どもが大きくなるまでの間だけのことと最初は思っていたけれど、気づいたらすっかり自然の美しさ、面白さに魅了されている自分がいる。子どもたちはすでに大人になったが、私と夫の自然を楽しむ旅は終わらない。特に近年は地形や石や化石、野生動物など、自然風景を構成するいろいろなものへ興味が増していて、風景を少しでも「読み解きたい」と思うようになった。

過去数年に訪れた場所についてはこのブログに記録している。それ以前の旅でも印象的な風景をたくさん目にしたけれど、以前は自然について知りたいという欲求が今ほど強くなかったので、「綺麗!」「すごいなあ」という感想だけで終わってしまうことが多かった。過去に訪れた場所についての解説を今になってから読むと、「そういうことだったんだ!」と改めて感動する。地球上に行ってみたい場所は数限りなくあるけれど、次々と新しい場所へ行くだけが旅の楽しみではないのかもしれない。これまでに見た印象深い場所について、一つ一つ調べて味わい直すのもいいんじゃないか?旅は「行ったら終わり」ではなく、その後の人生において繰り返し楽しめるものであって欲しい。

ということで、「過去旅風景リバイバル」シリーズを始めよう。まずは2013年の夏に家族で行った米国の風景から。ドイツからロサンゼルスへ飛び、レンタカーで3週間かけてカリフォルニア州、ネバダ州、アリゾナ州を回った。青春時代を米国で過ごした私にとって雄大な米国の自然を家族と一緒に味わうことは悲願だったので、とても大切な思い出となった。

印象に残った数多くの風景の中でまず最初に甦らせたいのは、カリフォルニア州にあるモノ湖の風景。

白っぽくゴツゴツした柱状の岩が広い湖の水面からニョキニョキと突き出している。この不思議な風景は、ヨセミテ国立公園の東側の外れにある。

私たちが行ったとき、真昼間にも関わらずモノ湖の周りに人影はほとんど見当たらず、ひっそりと静かだった。その静けさが、鏡のような湖面とそこに映る奇岩群がつくり出す景色を幻想的にしていた。これらの奇岩はトゥファ(Tufa tower)と呼ばれる。モノ湖の水はアルカリ性で大量の炭酸カルシウムが溶け込んでいる。モノ湖には周辺から地表水が流れ込むが、独立した水域なので水が外へ流出することはない。そのため、湖の塩分はしだいに濃縮されていく。炭酸カルシウムが飽和すると沈澱し、湖の底に堆積する。それが何十年、何百年という長い年月をかけて大きな岩に成長していく。水の中に形成されたトゥファが湖の水位が下がることで露出したのがこの景色なのだ。

浅瀬にハエが大量にいた。Alkali fly という名前のハエで、このハエを食べにモノ湖には野鳥がたくさんやって来る。モノ湖の「モノ」とはネイティブアメリカンの言葉で「ハエ」を意味するそうだ。

この日は晴天で、湖面は澄んだブルーだった。きっと、日の出や夕暮れ時には美しく染まり、より幻想的なんだろうなあ。モノ湖は1941年から1990年までロサンゼルス市の生活用水の水源として使われ、水量が著しく減ってしまったため、現在は保護されている。保護活動によって水位が上がればトゥファの一部は水面下に隠れ、モノ湖の景色も変わる。いつかモノ湖の景色からトゥファがすっかり姿を消す日が来るだろうか。そうなることが望ましいのだろうけれど、もしそうなったらちょっと残念な気も、、、。