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これまで数回に渡って書いてきた火山アイフェル・ジオパーク旅行記。締めにはシュトローン(Strohn)にある巨大な火山弾、Lavabombe Strohnを紹介しよう。

朝倉書店「岩石学辞典」によると、火山弾とは

火山砕屑物の中で平均径が64mm以上[Fisher : 1961]あるいは32mm[Wentorth & Williams : 1932]のもの.火山弾は形状や表面構造から一部または全部が熔融した状態で火口から放出されたものである.
手のひらに乗るような小さい火山弾はアイフェルに無数にあり、こちらの記事でレポートしたようにマール湖の周辺などにたくさん落ちている。ドイツ語ではBasaltbobmeまたはLavabombeと呼ばれる。シュトローンの火山弾は、直径約5メートル、重さはなんと120トンもあるという。どんなものなのか、見に行ってみよう。

村は小さいので、「シュトローンの火山弾」はすぐに見つかった。

こ、これは大きい、、、、。この火山弾は1969年、すぐそばにある石切場で発見されたもの。

向こうに小さく見えるのが石切場。あそこから120トンもある火山弾をこの道路脇まで転がして来たそう。

でも、「シュトローンの火山弾」は厳密には「真性の」火山弾ではない。さすがにこんな大きいものが宙を飛んで飛び出して来るわけはないよね。噴火によってできたクレーターの壁から岩石の塊がマグマの中に崩れ落ち、表面にマグマが付着した。それが次の噴火の際に火口の外に放り出され、再び噴火口に落ちて新たにマグマが付着し、、、、というのを繰り返し、雪だるま式に大きくなったものがいつかクレーター壁の中に埋もれたのだそうだ。

アイフェル地方で見つかった最大の「真性」火山弾はこちらである。2007年に発見された。

大きさがわかるように地面に落ちていたリンゴを乗せた。これだって相当な大きさだよね。

火山弾には様々な形のものがある。マグマの塊はまだ柔らかい状態で空中に放り出され、その際の物理的な条件によって形が決まるそうだ。詳しくはシュトローン村の火山博物館、Vulkanhausに説明があった。

Vulkanhaus

この小さな火山博物館の中は硫黄の匂いが充満していて(学習目的で意図的にそうなっている)、日本の火山を思い出して懐かしくなった。

Vulkanhausに展示されている異なるタイプの火山弾。上からシリンダー状火山弾、コルク栓抜き状、潰れた火山弾、回転状火山弾。

このように溶岩が空中で飴玉を紙で包むようにねじれて、真ん中の飴玉部分と包み紙の端っこ部分が分断されていろいろな形の火山弾になる。面白い。

この博物館には火山に関する一般的な説明の他、アイフェル地方の岩石などが展示されている。

これはシュトローンで発見された6 x 4 mの本物の火道壁。発見時、この火道壁の表面は青く光っていた。現在では青い色は失われてグレーの岩壁になってしまっていて、このようにライトアップして青色を再現しているそうだ。

 

さて、今回で火山アイフェル・ジオパークのレポートも終わり。火山大国、日本の出身者にとってドイツの火山地方はもしかしたらそれほど面白くないかな?と思いながらもマール湖を一目見たくてやって来たが、ドイツの火山もなかなかの面白さである。わずか4日間だったが、マール湖を味わい尽くし、化石や鉱石を楽しみ、たくさんの博物館を訪れ、珍しい火山弾なども見ることができて好奇心がとても満たされた。

ジオ旅行があまりに楽しいので、次回は宝石鉱山が有名なイーダー・オーバーシュタインへ行こうと決めた。来月催される化石&鉱物の週末ワークショップに申し込んだ。とても楽しみ!

見どころがたくさんな火山アイフェル・ジオパーク。次に足を運んだのは、天然炭酸水「ゲロルシュタイナー」の採水地があることで有名なゲロルシュタインだ。火山活動が今尚活発なアイフェル地方には炭酸を多く含む水の湧き出る泉がたくさんある。「ゲロルシュタイナー」はドイツ国内で最も流通しているミネラルウォーターブランドなので、ドイツに住む人で知らない人はいないだろう。世界への輸出量でもナンバーワンらしい。(余談になるが、私たちが滞在していたシャルケンメーレン村から数キロのところにあるダウンで生産されているミネラルウオーター、「ダウナー」もとても美味しかった。)

でも、私たちがゲロルシュタインへ行った目的は水を飲むためというわけではなく、自然史博物館(Naturkundemuseum Gerolstein)を訪れるためだった。

ゲロルシュタイン自然史博物館

この博物館は4フロアから成り、1階が鉱物、2階が化石、3階が考古学、4階が蝶のコレクションという構成である。

特に鉱物の展示が充実している。

そしてここでもガラス化した砂岩をいくつも見た(詳しくはこちら)。やっぱりどう見ても陶器に見えるなあ。

瑪瑙もたくさん見られて嬉しい。ドイツの瑪瑙の名産地として真っ先に頭に浮かぶのはイーダー・オーバーシュタインだが、アイフェルのアーレンラート(Arenrath)という地域では「アイフェル瑪瑙」と呼ばれる瑪瑙が採れるらしい。

では、次は化石コーナーを見てみよう。

アイフェル地方はかつては不毛な地とみなされ、「プロイセンのシベリア」と呼ばれていた。しかし、アイフェルを訪れたドイツの偉大なる博物学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトはここに大量の化石を発見した。見つけた化石を持ち帰るために周辺の農家の女性たちから靴下を買取理、中に化石を詰めて運んだという逸話があるらしい。アイフェルで見られる化石には腕足類、貝、サンゴなどが多い。

中期デヴォン紀のハパリデウム目ハパリデウム科メソフィルム属のmaimum maximumというサンゴ。結構な大きさ。

ダクティリオセラスというアンモナイト。芸術作品みたい。

ブローチ屋?という感じである。

これは何!? Storomatoporoideaと書いてある。家に帰ってから調べたら、日本語では層孔虫類と出て来た。日本大百科全集の説明によると、

石灰質の共有骨をもつ化石動物で、ストロマトポラないしストロマトポロイドともよぶ。その群体の外形は円錐(えんすい)状、半球状、樹枝状、塊状、皮殻状をなし、大きなものは数メートルに達するものがあった。共有骨は垂直な柱状のピラーpillar(支柱)と水平なラミナlamina(葉理)の2要素よりなり、これらの配列、密度、厚さなどにより属種が区別される。また共有骨の表面および内部には、層孔虫特有の星形放射状の星状溝の現れることがある。
層孔虫の所属についてはいままで多くの説があり、そのなかでヒドロ虫類起源説が一般的であった。ところが、海綿動物の硬骨海綿のあるものの溝系(こうけい)(流水系。体内に海水を流通させて摂食や消化などを行う海綿特有の組織系)の出口が、層孔虫特有の星形の溝によく似ているという発見があり、海綿起源説が有力になった。古生代前期から中生代後期まで生存したが、古生代シルル紀からデボン紀にかけてと中生代のジュラ紀に繁栄のピークがあり、標準化石となっているものも多い。わが国でもこの両時期の礁性堆積(たいせき)物中に多数発見されている。
古生代のものにはクラスロディクチオン、アクチノストロマなど、中生代のものにはパラストマトポラ(もとはストロマトポラStromatoporaとされたが、この属名は現在は古生代のもののみに使われる)、ミレポリジウムその他が知られている。[藤山家徳]

だそうだけれど、うーん、よくわからない。今後の課題にしよう。

これまたすごい。いろんな種類の化石がびっしり。

これも、一体どれだけ?というほど化石が埋まった石。

アイフェル地方はデヴォン紀の化石が豊富な地方であるということがよくわかった。ところで、展示を見ていた夫が「うちにもデヴォン紀の化石があったかもしれない」と言い出した。夫も夫の父もいろんなところからいろんなものを拾ったり貰ったりして来て溜め込んでいる人で、家には出所を忘れてしまったよくわからないものがたくさんあるのだが、その多くは古いもので化石もいくつかある。そのうちの一つがアイフェルのあちこちの博物館で見るデヴォン紀の貝の化石に似ていると言うのだ。

家に帰ってから、うちにある出どころ不明の化石を眺めてみた。言われてみればデヴォンっぽい?この問いは今後他の博物館を見ていくうちにはっきりするかもしれない。

この日は頭が地学モードで、3階の考古学、4階の蝶はさらっと見ただけなのでここでは紹介しない。

館内を一通り見て1階に戻り、受け付けに座っていた男性に「化石に興味があるんですが、化石探しのワークショップはありませんか」と聞いてみた。男性は今年就任したばかりのこの博物館の館長だった。残念ながら化石探しのワークショップはないとのことだったが、「私は古生物学者です。歴代の館長は皆、鉱物学者で、古生物を専門とする者が館長になるのは私が初めてなんですよ。今後、古生物学部門をさらに充実させて行きたいと思っています」と言いながら、アイフェルの化石について少し説明してくださった。ゲロルシュタインからそう遠くない場所に化石がたくさん見つかる場所があるとのこと。主にサンゴの化石で、脳サンゴも見つかるという。

「それはどこですか?」と身を乗り出して尋ねたら、場所を教えてくださった。

「早速行こうぜ!」

私たちは慌てて車に飛び乗った。しかし、場所を教えてくれたとはいっても「〇〇村と△△村の間くらいのところ」という大雑把な情報で、正確な地点がわかったわけではないが、とりあえず〇〇村と△△村の間へ行ってみた。畑の広がる、ごく普通の田舎の風景が広がっていた。しかし、夫が「ここ!ここにあるかもしれない!」とトラクターで耕された畑を指差すので車から降りて地面を見ると、

いきなり!サンゴ!

二人で目を見合わせてしまった。そして驚くことに、地面にはゴロゴロと芋のように大量の化石が転がっているのだ。なるほど、アレクサンダー・フォン・フンボルトが靴下を買い占めたわけだ。すごかったなー。

拾って来た化石

 

こんなわけで、アイフェル旅行によってますます楽しくなって来た鉱物&化石探し。ドイツ地学は本当に面白い。

火山アイフェルに関するレポートは次回で最終回です。

旅先の自然史博物館でその地方の自然について知るのは面白い。ダウンの火山博物館では「天然の焼き物」とも呼べそうな表面がガラス化した不思議な石が印象に残った。化石コーナーではデヴォン紀の化石をたくさん見た。(詳しくはこちら

でも、ただ見るだけではちょっと物足りない。最近、フィールドに出て自分で鉱物や化石を探す愉しさに目覚めてしまった私と夫である。これまでに南ドイツのゾルンホーフェンリューゲン島での体験が楽しかったので、アイフェルでも似たようなことができないだろうかと考えた。ダウン市のツーリストインフォメーションで「地質学的なガイドツアーやワークショップはありませんか」と聞いたところ、偶然にも翌日にプルファー・マールの側のキャンプ場で地質学者による「アイフェルの石の見分け方」というワークショップをやるというので申し込んだ。

ワークショップでは引退した地元の地質学者がアイフェルの地質や火山の仕組み、アイフェルで見られる岩石や鉱物について実物を見せながら説明してくれるというも。

参加者は私たちを入れて十名ちょっと。中学生くらいの子どもを連れた家族連れもいた。その日は平日の午前中だったけど、すごくマイナーな内容の有料ワークショップ(一人8ユーロ)でも成立してしまうんだよね〜。しかも、参加者は真剣に説明を聞く。地学博士はなんと90分もかけてたっぷりと説明してくれた。

見せてもらった石のうち、一番いいなと思ったのはドイツ語でOlivinbombeと呼ばれるこんな石。マグマが異質の岩石を取り込んだ捕獲岩(ゼノリス)の一種で、地下深くのカンラン石(ペリドット)を捕獲したため、こんな綺麗な緑色をしている。以下の2枚の写真はこの後改めてレポートするゲロルシュタインの博物館で見たものだが、アイフェル地方ではいろいろな捕獲岩が見つかるらしい。

 

ワークショップの最後にはみんなで溶岩の塊を割って中を見た。プルファー・マールの周辺には火山の噴火で噴出されたジャガイモのような形の溶岩の塊がたくさん落ちている。割ると内部に鉱物の結晶が見られるものがあるという。

「さっき、裏の畑でいくつか塊を拾って来ましたよ。さあ、割ってみましょう」

残念ながら、私が割った石の中には結晶は見られず、均一なグレーだった。わ〜ん、悔しい!

「残念でしたね。でも、裏の畑にたくさん落ちてるから、拾って割ってみるといいですよ」と先生。そう言われたら、拾うよねー。ということで、ワークショップの後は石を拾いにGo!

え、こんなところに溶岩の塊なんて見つかるの?

これか〜〜。ジャガイモのような丸っこいのを拾うといいらしい。

早速見つけて割っているところ。

ふと反対側を見ると、耕されてて石がゴロゴロ落ちていた!

収穫。中にキラキラした結晶があるのが見えるだろうか。

でも、私が本当に見つけたかったのはこれじゃなくて、ペリドットが入っているもの。博士によると、ペリドット入りはここにはなくドイデスフェルトという別の場所へ行かなければ見つけられないらしい。そこで私たちはペリドットを求めてドイデスフェルトへ移動した。

ここ!この地層の中にペリドットがあるはずなのだ。

あった!

こんな大きいのも!

アイフェルのOlivinbombeを収穫!

ああ、楽しかった。火山アイフェル・ジオパークのレポートはまだ続く。

 

まだまだ終わらないシュヴェービッシェ・アルプ洞窟探検旅行。今回は、ウルムから西に約60kmの地点にあるベーレンへーレ(Bärenhöhle、熊洞窟の意)とネーベルヘーレ(Nebelhöhle、霧洞窟の意)という二つの洞窟を紹介しよう。

 

ベーレンヘーレは、中からアナグマの骨が多く出て来たことから「熊の洞窟」と呼ばれる石灰洞窟だ。シュヴェービッシェ・アルプシュヴェービッシェ・アルプの洞窟群の中では特に良く観光化されており、周辺には子どもの遊び場や土産物屋などがあるため、家族連れで賑わっていた。

早速、ガイドツアーに申し込んで中に入ってみる。

 

洞窟の中は照明を多く使っているため、苔が生えて緑色になっているところが多く見られる。

 

こんな感じでゾロゾロと見学。保護のため、フェンスで囲まれている部分が多いのも特徴。

 

つらら石や石筍、ストロー(マカロニとも呼ばれる)などいろいろな鍾乳石がぎっしりだ。洞窟内はカラーLEDでライトアップされていて、少々キッチュな感じがしないでもないが、子どもには魅力的だろう。また、わりあい明るいので、小さな子どもでも安心して歩ける。

これが上下繋がって石柱になるまで、あとどのくらいかかるだろうか。1立方センチメートル成長するのに60〜80年かかるとのこと。

これも見事。

この洞窟からはアナグマだけではなく、様々な動物の骨が発見されたことから、一時期、ハイエナの巣穴だったのではないかとされている。人骨も見つかっており、旧石器時代に人々が生活していたこと、また、その後の人類の歴史においてあらゆる時代の人々がゴミ処理場としても使用していたことがわかっている。

地面には上から滴り落ちる水で濡れ、石筍が形成され始めているところがあった。(右上の丸く盛り上がっているところ)

天井に何か黒いものが見えると思ったら、、、、。

コウモリの死骸だった。冬眠したまま死んでしまったのだろうか。

ベーレンヘーレでは一般ツアーの他に、「宝探しツアー」「メルヘンツアー」など小さな子どもを対象としたガイドツアーもあり、マルチメディアCDも販売されている。ベーレンヘーレのすぐ側には、ネーベルヘーレ(霧の洞窟)がある。ベーレンヘーレは見学できる部分の奥行きが250mだが、ネーベルヘーレは450mとさらに深い。発見は1920年で、シュヴェービッシェ・アルプで最も古くから知られている洞窟の一つだ。ベーレンヘーレほど混んでいなかったのでゆっくりと見学でき、私はどちらかというとネーベルヘーレの方が気に入った。

 

石筍の断面。初めて見た。

なんとも言えない不思議な光景。

 

この二つの洞窟は見応えがありながら観光のハードルが低いので、家族でのお出かけにピッタリ。

 

まだまだ続くシュヴェービッシェ・アルプ洞窟探検旅行、次の目的地はアハ渓谷シェルクリンゲン(Schelklingen)にある洞窟、ホーレ・フェルス(Hohle Fels)だ。ホーレ・フェルス洞窟からは1830年代以降、アナグマやマンモス、野生の馬の骨や石器時代の道具などが発掘されて来たが、2008年の再調査において、考古学的記録を塗り替える約4万2500年前のヴィーナス像と横笛が見つかった。これまでに発見された中で最も古い、人をかたどった芸術作品と楽器である。また、ホモ・サピエンスだけではなく、さらに時代を遡った6万5000年前頃にネアンデルタール人が同じ洞窟には生活していた証拠もあるという。

 

 

シュヴェーヴィッシェ・アルプの一般公開されている洞窟群は冬季はコウモリ達が中で冬眠するため、10月末、または11月のはじめに閉鎖される。その洞窟により見学できる期間が多少異なり、私たちは10月の終わりから11月のはじめにかけて休暇を取ったので、ギリギリ入れるか入れないかだった。ホーレ・フェルス洞窟に着くと周りに人影はなく、入り口のフェンスが閉まっていたので「遅かったか」とガッカリしていたところ、地元の人と思われる男性が数名の客人を連れて近づいて来た。声をかけると、今年の一般公開期間は前日に終了したが、自分は管理者の一人で、特別に案内してもいいと言ってくれた。たまたま良いタイミングで洞窟に着いて運が良かった!

 

洞窟入り口。

 

入り口はトンネルになっており、その奥にドームのような空間が広がっている。

 

想像していたよりも大きくて圧倒される。これは下から上部を見上げたところ。空間の大きさは6000立方メートルだそうだ。

出土されたヴィーナス像と横笛はブラウボイレンの先史博物館に展示されている。

後日、博物館で撮影したVenus of Hohle Fels。フォーゲルヘルト洞窟からの出土品同様、マンモスの牙でできている。

シロエリハゲワシの橈骨から作られた20cmほどの長さの横笛。4万年も前の人々が楽器を作り、音楽を奏でていたとは驚きである。

 

洞窟の上部奥から下を眺める。入り口付近に椅子が並べられているが、こうして見るとまるでベルリンフィルのホールで上部客席からステージを見下ろしているときのようだ。そんなことを考えていたら、案内役の男性が音楽をかけてくれた。プロの演奏家による横笛の演奏を録音したものだそうだ。しばらく聞き入ってしまった。4万年前の人たちがどんなメロディーを奏でていたのかはわからないが、この洞窟の中で同じような音を聴いていたのかと想像すると、とても感動的だった。

最初に発見されて以来、この洞窟ではお祭りのようなイベントがしばしば開催されて来た。戦時中、防空壕や武器の倉庫として使われていたため中断されていたが、1950年からは毎年、洞窟祭りが催されている。ときどき洞窟コンサートも開かれるとのこと。中で火を焚いたら凄いだろうなあ。

 

コンサート動画。

 

 

夫が秋休みを取ったので、私たちは10月の終わりから11月にかけての一週間を南ドイツのシュヴェービッシェ・アルプ(Schwäbische Alb)で過ごすことにした。シュヴェービッシェ・アルプとは「シュヴァーベン地方のアルプス」の意味であり、その名が示す通り、山脈を中心に長さ約400km、幅35〜40kmに広がる地帯だ。シュヴェービッシュ・アルプは今年、2017年にユネスコ世界ジオパークに登録された。ゴツゴツとした岩が剥き出しになった山脈のあちこちに約3万5000〜4万3000年前に人類が住んでいたとされる洞窟がいくつもあり、驚くべきことにそのいくつかからは彼らの残した芸術作品や楽器が数多く出土されているのである。

世界最古の芸術作品が出土された洞窟!!

それは何やら凄そうではないか。そこで今回の旅行を「洞窟探検休暇」と名付けて出かけた私たちである。Heidenheim an der Brenzという町を拠点にシュヴェービッシュ・アルプの洞窟を回った。まず最初に訪れたのは、ローネ渓谷(Lonetal)にあるシャーロッテンヘーレ(Charlottenhöhle)だ。

 

 

Charlottenhöhleは1893年に発見され、当時のヴュルテンベルク王女、シャルロッテにちなんで名付けられた鍾乳洞で、深さはおよそ地下35m、長さ532mの通路。シュヴェービッシェ・アルプの洞窟には一般公開されているものと研究者しか中に入ることのできないものとがあるが、この洞窟は一般公開されているものの中では最も長さがある。早速ツアーに申し込み、ガイドさんの後をついて中に入った。

 

鍾乳石や石筍に関する説明を聞きながら奥へと進む。鍾乳洞は日本やその他の国でも何度も見たことがあるが、ドイツでは初めてなので久しぶりだ。

シュヴェービッシュ・アルプはかつては浅いトロピカルな海だった。海の生物の死骸が堆積してできた石灰岩が地殻変動によって隆起し、二酸化炭素を含む雨水や地下水によって長い時間をかけて侵食されカルスト地形を形成している。石灰岩の割れ目から入り込んだ水が炭酸の作用で周辺を溶かして空洞を作る。空洞を満たしていた水がなくなると、歩いて入ることのできる洞窟となる。このCharlottenhöhleはおよそ250〜300万年前のジュラ紀後期に形成されたものだという。

 

つららがたくさん。

リンゴの木のような形をした鍾乳石。上部の丸いつぶつぶはケイブパール(「洞窟の真珠」の意味)と呼ぶそうだ。

 

大きな石筍。

 

これは、フローストーンというものかな。(間違ってたらすみません)

 

石筍と鍾乳石が繋がって石柱を形成しているところもある。

 

なっかなか面白い。これが最初に入った洞窟だったので、この時点ではかなり興奮していた。この後もっと凄くなるのだが、、、。

 

鍾乳洞の近くにはHöhlenSchauLandというビジターセンターがあり、ローネ渓谷の自然史について展示を行なっている。

貝、魚の骨、サンゴ、、、本当にここはかつて海の底だったんだね。現在は国土の最北にしか海のないドイツに住んでいるとなんだか不思議な気がするが。

 

石筍の断面。縞模様ができているのが見えるだろうか。木の年輪のようなもので、この成長縞を元にウラン-トリウム法という方法を使って石筍の年代を測定する。石筍に取り込まれた放射性アイソトープU234とTh230の半減期がそれぞれ異なるので、両アイソトープの比率を調べることで形成時期を知ることができるのだ。

面白いなあ。でも、これはまだ序の口。これからもっともっと面白くなるのだ!