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前々から欲しいと思っていた本を購入した。石材を見ながら街を歩く活動をしておられる名古屋市科学館主任学芸員、西本昌司先生の『東京「街角」地質学』という本だ。ジオパークや石切場に石を見にいくのも楽しいけれど、街の中でも石はいくらでも見られる。建築物やインフラにいろんな石が使われているから、見てざっくりとでも何の石か区別できるようになれば楽しいだろうなあと思って、この本を日本から取り寄せた。読んでみたら、想像以上にワクワクする本だ。石についての説明もわかりやすいし、特定の種類の石が使われた背景も面白い。さっそく自分でも街角地質学を実践してみたくなった。

とはいっても、東京へ行けるのはいつになるかわからないので、まずは住んでいるドイツの町で使われている石材を見に行くことにする。この目的にうってつけの”Steine in deutschen Städtchen(「ドイツの町にある石」)”というガイドブックがあるので、これら2冊をバッグに入れてベルリンへGo!

“Steine in deutschen Städtchen”のベルリンのページでは、ミッテ地区のジャンダルメンマルクトという広場周辺で使われている石材が紹介されている。地図上に番号が振られ、それぞれの番号の場所の石材の名称、産地、形成された時代が表にされているので、これを見ながら歩くことにしよう!

と思ったら、ジャンダルメンマルクトは2024年4月現在、工事中で、広場は立ち入り不可。いきなり出鼻を挫かれた。でも、広場周辺の建物を見て回るのには支障はなさそうだ。

まずはマルクグラーフェン通り(Markgrafenstraße)34番地の建物から見てみよう。

1階部分にアインシュタインカフェというカフェが入っているこの建物は、1994-96年に建造された。地階とそれ以外の階部分の外壁には異なる石材が使われている。

地階部分はイタリア産の蛇紋岩、「ヴェルデヴィットリア(Verde Vittoria)」。

上階部分はCanstatter Travertinというドイツ産のトラバーチン。シュトゥットガルト近郊のBad Cannstattで採れる石で、本場シュトゥットガルトではいろいろな建物に使われているらしい。

 

次に、広場の裏側のシャロッテン通り(Charlottenstraße)に回り込み、フランス大聖堂(Franzözischer Dom)前の石畳を観察する。

フランス大聖堂前の石畳

ここのモザイク石畳に使われている石は大部分がBeuchaer Granitporphyrという斑岩。ライプツィヒ近郊のBeuchaというところで採れる火山岩で、ライプツィヒでは中央駅や国立図書館の建物、諸国民戦争記念碑(Völkerschlachftdenkmal)などに使われているそうだ。

そこから1本西側のフリードリヒ通り(Friedrichstraße)には商業施設の大きな建物が立ち並んでいる。例えば、Kontorhausと呼ばれる建物は赤い壁が特徴的だ。

使われているのは南ア産の花崗岩で、石材名はTransvaal Red。花崗岩というと以前は白と黒とグレーのごま塩模様の日本の墓石を思い浮かべていたけれど、ドイツでは赤い花崗岩を目にすることがとても多い。石材用語では「赤御影石」と呼ばれるらしい。

建物のファサード全体と基礎部分では、同じ石でも表面加工の仕方が違っていて、全体はマットな質感、基礎部分はツヤがある。これは何か理由があるのかな?地面に近い部分は泥跳ねなどしやすいから、表面がツルツルしている方が合理的とか?それとも単なるデザインだろうか。

 

連続するお隣の建物ファサードには、縞模様のある淡いクリーム色の石材が使われている。

この石材は、イタリア、ローマ郊外チボリ産のトラバーチン、Travertino Romano(トラベルチーノ ロマーノ)。ローマのトレヴィの泉やコロッセオに使われているのと同じ石。ベルリンでは外務省ファサードにも使われている。『東京「街角」地質学』によると、東京ではパレスサイドビル内の階段に使われているらしい。

トラバーチンという石を『東京「街角」地質学』では以下のように説明している。

トラバーチンは、温泉に溶けていた石灰分(炭酸カルシウム)が、地表に湧き出したところで崩壊石として沈澱し、積み重なってできたものである。その沈殿は常に同じように起こるのではなく、結晶成長が速い時期や不純物が多く混ざる時期などがある。そのため、木に年輪ができるように、トラバーチンにも縞模様ができるのである。(出典: 『東京「街角」地質学』

なるほど、縞の太さや間隔は一定ではない。小さい穴がたくさん開いている(多孔質)のも、トラバーチンの特徴だ。

 

その隣の建物との境に使われている石は緑色。緑の石というと、蛇紋岩?

ガイドブックによると、ヴェルデヴィットリアとなっているから、最初に見たアインシュタインカフェのファサードと同じ石ということになる。随分色も模様も違って見えるけれど。

180-184番地の建物はガラッと違う雰囲気。建造年は1950年で、東ドイツ時代の建物だ。クリーム色の部分はドイツ産の砂岩(Seeberger Sandstein)で、赤っぽい部分は同じくドイツ産の斑状変成凝灰岩(Rochlitzer Porphyrtuff)だ。

このRochlitzer Porphyrtuffという石はとても味わい深い綺麗な石である。なんでも、この石は多くの重要建造物に使われていて、国際地質科学連合(IUGS)により認定されたヘリテージストーン(„IUGS Heritage Stone“)の第1号なのだそう(参考サイト)。ヘリテージストーンなるものがあるとは知らなかったけれど、なにやら面白そうだ。今後のジオサイト巡りの参考になるかもしれない。ちなみに、Rochlitzer Porphyrtuffの産地はザクセン州ライプツィヒ近郊で、Geopark Porphyrlandと呼ばれるジオパークに認定されていて、石切場を見学できるようなので、近々行ってみたい。

 

さて、次はこちら。

1984年にロシア科学文化院(Haus der russischen Wissenschaft und Kultur)として建造された建物で、建物のデザインはともかく、石材という点ではパッと見ずいぶん地味な感じ。

でも、よく見ると、地階部分のファサードには面白い模様の石が使われている。

Pietra de Bateigという名前のスペイン産の石灰岩で、日本で「アズールバティグ」と呼ばれる石に似ている気がするけれど、同じものだろうか?

 

道路を渡った反対側には、フリードリヒシュタットパッサージェン(Friedrichstadt Passagen)という大きなショッピングモールがある。

ファサードは化石が入っていることで有名な、「ジュライエロー」の名で知られる南ドイツ産の石灰岩。ジュライエローについてはいろいろ書きたいことがあるので、改めて別の記事に書くことにして、ここでは建物の中野石を見ていこう。この建物は内装がとても豪華なのだ。

大理石がふんだんに使われたショッピングモールの内装

地下の床に注目!いろんな色の石材を組み合わせて幾何学模様が描かれている。この建物の建造年は1992年から1996年。ドイツが東西に分断されていた頃は東ドイツ側にあったフリードリヒ通りにおいて再統一後まもない頃に建てられた建物アンサンブルの一つだが、その当時はこういうゴージャスな内装が求められたのだろうか。

白の石材はイタリア産大理石「アラべスカートヴァリ(Arabescato Vagli)」で、黒いのはフランス産大理石「ノワールサンローラン(Noir de Saint Laurent)」。ちなみに、大理石というのは石材用語では内装に使われる装飾石材の総称で、必ずしも結晶質石灰岩とは限らないから、ややこしい。”Steine in deutschen Städtchen”には「アラべスカートヴァリ」は結晶質石灰岩で「ノワールサンローラン」の方は石灰岩と記載されている。

赤い部分はスペイン産大理石(石灰岩)、Rojo Alicante(日本語で検索すると「ロッソアリカンテ」というのばかり出てくるのだけど、スペイン語で「赤」を意味する言葉だからロッホと読むのではないのかな?謎だー)。

こちらの黄色いのはイタリア、トスカーナ産のジャロ・シエナ(Giallo di Siena)。およそ2億年前に海に堆積し、圧縮されてできた石灰岩が、2500万年前のアペニン山脈形成時の圧力と高温下で変成して結晶質石灰岩となった。

 

同時期に建てられたお隣のオフィスビルは、ファサードに2種類の石灰岩が組み合わされている。色の濃い方がフランス産のValdenod Jauneで、クリーム色のがドイツ産のジュライエローだ。

でも、ファサード以上に目を奪われたのはエントランス前の床の石材だった。

床材も石灰岩づくしで、濃いベージュの石材はフランス産のBuxy Ambre、肌色っぽい方も同じくフランス産でChandore、黒いのはベルギー産Petit Granit。Chandoreは白亜紀に形成された石灰岩で、大きな巻貝の化石がたくさん入っている。

このサイズの化石があっちにもこっちにもあって興奮!

そして、花崗岩(Granite)ではないのにGranitとついて紛らわしいPetit Granitもまた、白亜紀に形成された石灰岩で、こちらも化石だらけなのだ。

サンゴかなあ?

これもサンゴ?大きい〜!

これは何だろう?

化石探しが楽しくて、人々が通りすぎる中、ビルの入り口でしゃがみ込んで床の写真を撮る変な人になってしまった。ここの床は今回の街角地質学ごっこで一番気分が上がった場所だ。街角地質学をやりに出て来て良かったと感じた。ただ、ベルリンで街角地質学をやる際、困ることが一つある。それは、ベルリンの町が汚いこと。このフリードリヒ通りはまだマシな方ではあるけれど、せっかくの素晴らしい石材が使われていてもロクに掃除がされていないので、ばっちくて触りたくないのだ。写真を撮るとき、化石の大きさがわかるようにとコインを置いたものの、そのコインをつまみ上げるのも躊躇してしまう。

 

さて、2時間近くも石を見ながら外を歩き回ったので、さすがにちょっと疲れて来たので、初回はこの建物で〆よう。Borchardtというおしゃれ〜なレストランが入っている赤い砂岩の建物である。

この砂岩はRoter Mainsandstein(直訳すると「赤いマインツの砂岩」というドイツ産の砂岩で、ドイツ三大大聖堂の一つ、マインツ大聖堂はこの石で建てられている。この建物は1899年に建てられており、ファサードの装飾が目を惹くが、石的に注目すべきは黒い柱の部分だ。

うーん。写真だと上手く伝わらないかな。光が当たるとキラキラ輝いて、とても美しい。ノルウェー産の閃長岩で、石材名は「ブルーパール(Blue Pearl)」。オスロの南西のラルヴィクというところで採れるので、地質学においては「ラルビカイト(Larvikite)」と呼ばれる岩石だ。東京駅東北新幹線ホームの柱や東海道新幹線起点プレート、住友不動産半蔵門駅前ビルの外壁にも使われているとのことで、東京に行ったときにはチェックすることにしよう。

 

それにしても、世の中にはたくさんの石材があるものだ。少しづつ見る目が養われていくといいな。

 

関連動画:

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で過去にこんなスライド動画を上げています。よかったらこちらも見てね。

石拾いが好きで、普段、地元を散歩しているときや旅行の際、気になる石を見つけたら拾って家に持ち帰っている。北ドイツに住むようになってから目にするようになり、ずっと気になっている石の一つがフリントだ。ドイツ語ではFeuerstein(「火の石」の意味)と呼ばれている。

フリントとはこんな石

一番最初にフリントを目にしたのは、北ドイツのリューゲン島でだった。観光リゾート、ビンツ(Binz)から隣のプローラ(Prora)まで足を延ばしたときのこと。バルト海海岸とボッデン(Bodden)と呼ばれる水域に挟まれた細長い陸地にこんな景色があった。

Feuersteinfeld

まるで日本の石庭のような風景。一体これは何?と目を見張った。地面を覆い尽くしている石は、ほぼすべてがフリントという石だという。フリントはバルト海の海岸にたくさん転がっていて、きっとそれまでも目にしていたはずだけれど、特に意識していなかった。ここは、見渡す限り、フリント、フリント、フリント。思わずしゃがみこんで、まじまじと見てしまった。遠目ではどこにでもあるようなグレーの石に見えるが、近づいて見てみるとなんとも不思議な見た目をしている。色は黒っぽいグレーだが、表面はまだらに白く、割れているものの断面はガラスのようにツルツルとしている。形もまちまちで、丸いものもあれば長細いもの、平たいものもある。

でも、波打ち際から2km近くも離れたここになぜこんなに大量の石が溜まっているんだろう?後から知ったことには、およそ3500-4000年前、激しい嵐が繰り返しリューゲン島を襲い、その際に発生した洪水によって大量のフリントが陸に運ばれた。

「火の石」という名が表す通り、フリントは古代の人々が火を起こすのに使った。フリント同士をうまく打ち合わせると、火花が飛ぶ。非常に硬く、剥離する性質があって加工しやすいフリントは道具作りにも使われた。ドイツ国内で考古学博物館へ行くと、石器時代の石刀や石斧などが展示されているが、その多くはフリント製だ。

バルト海で拾ったフリントのかけら。エッジが鋭くて、このままナイフとして使えそう

フリントは、一般的にはバルト海の石として知られているが、見られるのは海岸やその付近だけではない。不思議なことに海岸から250kmくらい離れたブランデンブルクの我が家周辺にも、フリントがよく落ちているのである。なぜ海岸の石が遠く離れたブランデンブルク州の森の中で見つかるのか。それを知るには氷河期の氷河の流れを理解する必要があった。

Rolf Reinicke著 “Steine in Norddeutschland” P.17の図

氷河時代、北ドイツは氷河に覆われていたが、その大きさは氷期ごとに違った。上の図の茶色い線は直近のヴァイクセル氷期の氷河の範囲で、オレンジ色の線はその一つ前のザーレ氷期、紫の線はさらに古いエルスター氷期のものだ。これらの氷期における氷河の流れによって北から南へと運ばれた土砂や岩石が、北ドイツの大地を覆っている。フリントも氷河と一緒に南へと広がった。地図の下の方に見える点線は、「フリント前線(Feuersteinlinie)」である。3つの氷期の最大拡大範囲と見事に一致している。つまり、フリントは氷河の及んだギリギリのところまで運ばれて来た。言い換えると、フリント前線を超える地域には見られないのである。

ちなみに、よく見るフリントはグレーから黒っぽい色をしているけれど、そうでないものもある。黄色いフリントはグレーのものよりも若い地質時代にできたものらしい。ヘルゴラント島という島には特徴的な赤いフリントがあるそうだ。(私はまだ持ってないので、ぜひ欲しい)。他には白っぽいもの、緑がかったものもある。

ところで、先日、デンマークのシェラン島へ行った話を書いたが、デンマーク東部の海岸でもフリントが見られる。シェラン島の海岸のフリントは、ドイツの海岸で見るものよりも一回り大きかった。

大きさがわかるようにバッグを置いた。バッグはA4のファイルが入る大きさ。

石は北から南へ移動したのだから、ドイツよりも北にあるデンマークの方が石が大きいのは当たり前かもしれない。氷河で運ばれた石はフリントだけではないが、他の石もデンマークの方がずっと大きかった。

割れたフリントの断面

こんなに大きいと石器も作りやすいというものだ。石器時代のデンマークはフリントを周辺地域に輸出していたそうである。それを聞いて、去年行ったイタリアのエオリア諸島、リーパリ島を思い出した(記事はこちら)。リーパリ島は石器の材料だった黒曜石の一大産地で、その貿易で栄えたのだった。北のフリント(デンマーク)VS 南の黒曜石(リーパリ島)、石器時代の対決!という図式があったかどうかは知らないけれど(たぶんない)、ヨーロッパの石器の材料ごとの分布はどうなっていたんだろうなあと考えてしまう。

さて、このフリントという石、移動の方向はわかったけれど、そもそもどこから来たのだろう?

これまでにドイツのリューゲン島やデンマーク、ドーバー海峡など白亜の崖のある場所に行く機会が何度かあった。そのときに気づいたのは、白亜の崖、つまりチョークの地層には決まってフリントが埋まっていること。

リューゲン島のチョークの地層。黒い点々はフリント。

デンマーク、ステウンス・クリントの地層にもフリントが。

人工的に切られた岩肌に縞模様にフリントの層が見える。

どうやら、フリントはチョークの地層と関係があるらしい。チョークというのは白亜紀の海に堆積した地層だが(詳しくはこちらの記事に書いた)、フリントはなぜそのチョークの中に埋まっているのか?その答えは、デンマーク、ファクセの地質学博物館ショップで買って来たドイツ語の地質学の本、”Das Leben im Kreidemeer”(「白亜紀の海の生き物」)という本に書いてあった。

フリントは石英という二酸化ケイ素の結晶でできている。二酸化ケイ素は水に溶けにくいが、水を含んだオパールというかたちで海水中に存在する。チョークの層のもととなった海の底の泥の中にはウニや貝類などの生き物が生息していた。海水のPHが揺らいで弱アルカリ性から酸性側に傾くと、オパールとして存在していた二酸化ケイ素が析出してフリントが形成される。海水のPHが揺らぐのは、泥の中の生き物が原因であるらしい。ウニなどの殻を持つ生き物の殻の内側にフリントが形成されやすく、化石としてよく見つかるのはそのためだったのか。

ずっと知りたかったフリントがどうやってできたのか、化石とどう関係しているのか、やっと少しわかって嬉しい。

表面にウニの殻模様のついたフリント

ところで、フリントの表面にはよく丸い窪みがある。

氷河によって運ばれる間に尖った石の先などが当たってこのような窪みができる。鼻の穴のように見えることが多いので、ドイツ語で「Nasenmarken」と呼ばれる。中には穴が貫通しているものも。

穴の開いたフリント

穴が空いたフリントはHühnergott(「鶏の神様」)と呼ばれ、ラッキーアイテムとして人気。写真の「鶏の神様」は、ロストックに住む友人、ハス・エリコさんから頂いた私の宝物。なぜこの石が「鶏の神様」なのかというと、かつてドイツのバルト海地域では、穴の開いたフリントをニワトリの止まり木に刺し、神様にニワトリをお守りください、たくさん卵を産ませてくださいとお願いする風習があったからだそうだ。

そして、フリントには表面に奇妙な模様のあるものもある。

虫が這った跡のような白い筋は、実際に生き物が移動したことを示す生痕化石かもしれない。

たかが、石。されど石。石からはいろんなことが見えて来て面白い。

 

 

 

前回の記事の続き。前回、北ドイツの至るところで目にする石の多くは、最終氷期に氷に押されてスカンジナビアからやって来たもので、総称してゲシーベ(Geschiebe、「押されて移動したもの」の意)と呼ばれることについて書いた。そしてそのゲシーベには実にいろいろな種類があり、建材や石畳の敷石などによく使われ、北ドイツの町をカラフルにしている。今回はゲシーベの種類についてわかったことをまとめようと思う。

私と夫はよく家の近所の森を散歩するのだが、散歩のついでに綺麗だなと思う石や見た目の面白い石をよく拾って来る。夫は漬物石サイズの石、私は小石やジャガイモ程度のものをよく集める。

森の中で面白い石を探しているところ

拾った石は、特に気に入っているものは家の中に飾り、サイズがちょうど良いものは庭の花壇の区切りに使ったりする。あとは他に使い道が思いつかないので、庭に適当に並べてある。

どうすんのこれ?と思わないでもないけど、、、

しかし実は、これらの石がどういう種類の石なのか、今まで全然わかっていなかった。ちょっと調べてみようという気になったのは、先日、給水塔の写真を撮りに訪れたベルリン近郊の町、Fürstenbergの博物館でゲシーベに関する展示を見たためだ。Museum Fürstenwaldeはいわゆる郷土博物館なのだが、地下にゲシーベ展示室があり、充実したゲシーベコレクションが見られるのだ。

ゲシーベ標本の棚

どうしてかわからないけど、私、こういう標本棚にすごく惹かれるのだよね。いつまで見てても飽きないというか、すごくリッチな気分になれるというか。この日も「わ〜。ゲシーベっていろんな種類があるなあ〜」と喜んで眺めていたのだが、見ているうちに「うちの庭にあるゲシーベたちはこれらのうちのどれとどれなんだろうな?」と知りたくなった。

そこで、一般向けにわかりやすく書かれた北ドイツの石の本を読んでみた。左の本は北ドイツのゲシーベ全般について説明したもの。右のはバルト海の海岸の石の本。バルト海の海岸はコロコロしたカラフルな石でぎっしりだが、それらも基本的にブランデンブルク州で見られるのと同じゲシーベである。海岸では波に打ち砕かれて小さく丸くなっている。

バルト海で拾って来た小石もたくさんあるので、それらを含めた手持ちのゲシーベと本に載っている写真を見比べながら読んだ。えーっと、では、わかったことを簡単にまとめていこう。

まず、むかーし学校の地学で習ったことのおさらいから。岩石の種類には大きく次の3つがあったよね。

1 火成岩  マグマから固まってできた岩石

2 堆積岩  降りつもったものが固まってできた岩石

3 変成岩  既にある岩石に熱や圧力が加わって変化してできた岩石

1のグループの火成岩は、さらに深成岩、火山岩、半深成岩というサブグループに分けられる。それらの詳しいことは置いておいて、ゲシーベの中で最も多い岩石は花崗岩だ。花崗岩はどんな石かというと、日本ではよくお墓の石に使われるまだら模様の硬い石。御影石と呼ばれているよね。

日本の墓石はグレーっぽいのが多いけど、花崗岩にはいろんな色のものがある。花崗岩に含まれる主要な鉱物は石英と長石だが、その隙間に混じった他の有色鉱物によっていろんな色を帯びる。

断面。ピンクっぽくて綺麗。

ゲシーベに関するkristallin.deというサイトの画像ギャラリーに似たものがないか、探してみた。

うーーーん、似たようなのがいくつもあって特定するのが難しい。Karlshamn-Granitという花崗岩が一番近いように見える。もし、推測が当たっているとすれば、スエーデン南部のブレーキンゲ県にあるカールスハムンという町から転がって来たということになる。カールスハムン花崗岩は比較的若い石のようだ。とはいっても14億年前くらい前に生成されたって、気が遠くなるほど昔だね。カールスハムン、どんな町なんだろう?うちにあるこのピンクがかった石の兄弟石があちこちにあるのだろうか。行ってみたくなるじゃないか、カールスハムン。(うちの子はカールスハムン花崗岩じゃないかもしれないけど)

花崗岩は硬くて風化しにくいので、大きな塊のままドイツまで移動して来ることがが多かった。だから、迷子石(詳しくは前回の記事を参照)には花崗岩が多いんだって。

次のグループは斑岩。花崗岩と同じ1の火成岩の仲間だが、サブグループは火山岩。地表付近で急激に冷えて固まったのでヒビがあって割れやすく、迷子石として見つかることは稀。つまり、小さいものが多い。

おおっ!これは特定できた。特徴的だからたぶん間違いない。発表致します。この子はGrönklitt-Porphyr(グランクリ斑岩)。スエーデン中部のダーラナ県の出身です。ところで、化石には示準化石といって、それが含まれる地層が堆積した地質年代がわかる化石があるが、ゲシーベにも示準ゲシーベがあるらしい。このグランクリ斑岩は示準ゲシーベの1つ。つまり、斑岩系のゲシーベの中ではよく見つかるものみたい。

さて、次は2のグループ、堆積岩を見ていこう。

砂岩

砂岩は主に石英の砂つぶが固まってできたもの。砂岩にもいろいろあるみたいでなかなか難しいけど、こういう縞模様ができているものは見分けやすいな。

フリント

フリント(燧石)も堆積岩の仲間。割ると断面はツルツルとして光沢があり、へりはナイフのように鋭利だ。この特徴から石器時代には矢じりや小刀など道具に加工して使われていた。「火打ち石」の名でも知られている。ドイツ語では一般的にはFeuersteinという。「Feuer(火)Steinn(石)」って、もろそのまま。ドイツ各地の考古学博物館ではフリントの石器が必ず見られる。

バルト海のリューゲン島には広大なフリントフィールドがある。地面がフリントで埋め尽くされている。この光景を初めて見たときには一体これは何だろうとびっくりして、石の上に座り込んで1時間以上、石を見ていた。

こんなにぎっしりではないが、ブランデンブルク州でもフリントがあちこちで見られる。バルト海の底で形成されたものがゲシーベとなって南へと押されて移動して来たから。フリントはブランデンブルク州をはるかに超えてザクセン州のドレスデンの南まで移動していた。フリントの見つかる限界線Feuersteinlinie(フリントライン)は40万年前に始まり32万年前に終わったエルスター氷期の末端部(エンドモレーン)とほぼ一致しているので、地面の中にフリントが見つかれば、その場所はエルスター氷期に氷に覆われていたということになる。フリントについて書き始めると長くなりそうなので、また別の機会に。フリント関連の過去記事があるので、貼っておこう。

そして最後は3のグループ、変成岩のゲシーべ。

よく見られる変成岩のゲシーベは片麻岩(Gneis) 。北ドイツでは花崗岩が熱や圧力の作用で変成したものが多い。ぐにゃ〜んとした縞模様が特徴のようで、上の画像のは片麻岩じゃないかなあと思う。もし間違っていたら教えてね。

以上、北ドイツで見られるゲシーベの種類をざっくりとまとめてみた。ゲシーベにはこの他、化石を含んだ岩石や琥珀などもある。ドイツの化石についてはたくさん記事を書いているので、ご興味のある方はカテゴリー「古生物」からどうぞ。琥珀についてはよかったら以下の過去記事を見てね。

さて、北ドイツでの石拾いが楽しいということは伝わっただろうか。先日、知人とお喋りしていたら、彼女が「なんでも突き詰めると地理と歴史に行き着くよね」と言った。名言だと思った。そう、この世に存在するものはすべて、空間と時間という2つの軸のどこかに位置している。うちの近所に転がっているゲシーベは遠い遠い昔、スカンジナビアのどこかで形成され、長い長い旅の末にここ、ブランデンブルクにたどり着いた。私もスカンジナビアよりもずーっと遠い日本からたどり着き、ここで生活している。ゲシーベと私はどちらもドイツ生まれではない、よそ者。なんだか奇遇だね。

ゲシーベについてもっと詳しくわかったら、「発展編」を書こう。

ブランデンブルク州に引っ越して来てもう14年になろうとしている。ここに来て以来、ずっと気になっているものがある。それは、この辺りでよく見る大きな石。なぜかブランデンブルクでは至るところに大きな石がある。山もないのに、大きな石が畑や道路脇や公園など、あらゆる場所にごろんごろんと場違いな感じで存在している。一体、それらはどこから来たのか。誰がそこに石を置いたのか。

公園に配置された石

不思議に思っていたら、これらの石は「迷子石(Findling)」なるものであることがわかった。はるばるスカンジナビアから運ばれて来た石であるらしい。といっても、人間がわざわざ運搬して来たのではない。氷河によってドイツ北部に辿り着き、そのまま定着した移民ならぬ移石なのである。

ブランデンブルク州を含む北ドイツは、氷河時代には厚い氷床に覆われていた。特にエルベ川の東側(現在のベルリン、ブランデンブルク州及びメクレンブルク=フォアポンメルン州)は一番最後の氷期(ヴァイクセル氷期)にもすっぽりと氷の下にあった。氷床は気候変動によって拡大したり縮小したりしていたが、それだけでなく、少しづつ移動していた。スカンジナビア氷床は長い長い時間をかけて南へと移動し、その際に氷の下にあった大量の岩石が削り取られ、氷に押されてスカンジナビアからドイツへやって来たのだ。約1万年前、最後の氷期が終わった時、石たちはそのままドイツに置き去りになった。

このような岩石を総称して「Geschiebe(ゲシーベ)」と呼ぶ。Geschiebeとは「押されて移動したもの」という意味だ。北ドイツの土の中にはゲシーベが大量に埋まっていて、土を掘るとごろんごろんと顔を出す。古来から、畑を耕したり、建物を建てるために地面を掘るたびにゲシーベが次々と掘り出された。掘り出したものをまた埋めたりはしないので、野原は石だらけ。だから、ゲシーベは一般的には「Feldstein野石)」と呼ばれている。

せっかく豊富にあるからということで、人々は昔からゲシーベを活用して来た。例えば、建材として。

野石造りの教会と壁

ブランデンブルクの田舎の教会には写真のようなゲシーベを積み上げたものが多い。私は立派な教会よりもこういう野趣のある小さな教会が好き。

それに、よく見て!ゲシーベには実にいろんな色のがあって、並べるとカラフルでとても可愛いのだ。私はこういう「一見同じようでありながら、よく見るとバリエーションが豊富」なものに弱いのだよねえ。

レンガとのこんなコンビネーションも素敵

ゲシーベは石畳の敷石にもよく使われる。大きな石を割って平らな面を上にして地面に敷き詰める。ブランデンブルク州ではこんなカラフルな石畳をよく見かける。上の画像では乾いているけれど、雨に濡れると鮮やかに光ってとても綺麗なので、雨の日はルンルンしてしまう。

小さな石を加工せずにそのまま並べたKatzenkopfpflasterと呼ばれる部分もある。Katzenkopfというのは「猫の頭」という意味。でも、猫の頭にしちゃあ硬い。痛いんだよね、こういう上を歩くのは。

敷石にもトレンドがあるようで、石がいつ敷かれたかによって、またはそのときの行政予算などにもよって石畳のタイプが変わって来るのだろう。ポツダム市の中心部には同じ通りであらゆるタイプの敷石がパッチワーク状に敷かれている場所があり、眺めていると面白くて、つい下ばかり向いて歩いてしまう。

さて、ゲシーベはの大きさは小さな石ころから巨石までさまざまだが、1枚目の画像のような大きいものを迷子石(Findling)と呼ぶ。体積が10㎥以上の特に大きなものはゲオトープとして保護されているそうだ。先日、地元のローカルペーパーを読んでいたら、うちの近所で道路工事中に大きな迷子石が掘り出されたと書いてあった。

北ドイツの地形は氷河の侵食・堆積作用によって形成された氷河地形である。私が住んでいるのは氷床のちょうど端っこだったあたりで、氷河が運んで来た土砂が堆積してできたエンドモレーンという丘が形成されている。モレーンの丘には大小様々なゲシーベが埋まっている。今回、丘のふもとの道路を掘ったらこんな大きな石が出て来たというのだ。専門家が鑑定したところ、かなり珍しいタイプの迷子石だとのことで、ゲオトープとしてこのままこの丘に設置されることになった。

そう、ゲシーベは色とりどりで綺麗というだけでなく、よく見ればどこから来たものかがわかるのだ。ブランデンブルク州で見られるゲシーベの大部分はバルト盾状地(Baltischer Schild)から削り取られたものだが、スエーデン南部やフィンランドの特定の地域でしか見られない岩石と迷子石の化学組成や構成鉱物の種類が一致すれば、その迷子石がもともとあった場所をほぼピンポイントで特定できるらしい。

北ドイツには迷子石を集めた迷子石公園(Findlingspark)が各地にある。過去記事で紹介したが、ブランデンブルク南部にあるFindlingspark Nochtenには7000個の迷子石が集められていて圧巻だ。

ゲシーベについてはまだまだ書きたいことがあるのだけど、長くなったので導入編ということで一旦ここで区切って、続きは次の記事に回そう。

導入編のまとめ:

北ドイツは氷河時代には氷床に覆われていた。

氷に押されてスカンジナビアから大量の土砂や岩石が北ドイツまで移動して来た。

地質学ではそうした岩石のことをゲシーベ(Geschiebe)と呼ぶ。一般的には野石(Feldstein)と呼ばれている。人々は古くから野石を建材としてや道路の敷石などに大いに利用して来た。

ゲシーベのうち、サイズの大きいものを迷子石(Findling)と呼ぶ。体積が10㎥を超えるものはジオトープとして保護されている。

ゲシーベには色々な種類がある。ゲシーベの化学組成や結晶構造を分析すると、どこから移動して来たものかがわかる。

● (次の記事で書くけれど、石拾いは楽しい)