当ブログ、ここのところシチリア旅行のレポートが続いていたが、あまり知られていないドイツ、特にベルリンとその周辺のブランデンブルク州を発掘するYouTubeチャンネル、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」も引き続き更新している。

探検隊チャンネルの動画作りは、相棒の久保田由希さんと私が興味のあるテーマを持ち寄って、一緒に作業するスタイル。共通の興味が多い私たちだけれど、テーマによっては由希さん寄りだったり、または私寄りだったりとバランスはその都度違う。これが楽しいのだ。お互いに相手の興味から学ぶことが多くて、世界が広がっていく。

過去記事で東ドイツ時代の団地「プラッテンバウ」について作成した動画を紹介したが、ドイツの「団地」に関連する動画をさらに2本、アップした。

団地はもともとは由希さんの守備範囲。私は「なんとなく気になるな」程度だったけれど、チャンネル開設以前から由希さんが熱く語るのを聞いているうちに興味を持つようになった。ドイツには日本の団地建設に影響を与えた団地が多くある。ベルリンにある6つの団地はUNESCO世界遺産に登録されている。そうした建物が作られるようになった社会背景や流れを知るのはとても面白い。

新たに公開した2本のうち1本は、「ジードルング」と呼ばれるドイツの集合住宅とはどのようなもので、いつ頃、なぜ作られるようになったのかを解説した以下の動画。由希さんが時間とエネルギーを注いでリサーチしてくれて、私もすごく勉強になった。

以下は公開したばかりの最新動画で、ベルリンの世界遺産団地を一つ一つ紹介している。

 

探検隊チャンネルのメインテーマの一つになりつつある建築物。これからもいろんな時代やタイプの建物について調べていきたい。

 

まだ9月の声を聞いていないのにすでに秋になったようなドイツである。今年の夏はなんだか短かったなあ。

私が住むブランデンブルクでは春から初夏にかけてコウノトリが多く繁殖する。ブランデンブルクで繁殖行為を終えたコウノトリたちは8月にはアフリカに向けて移動する。彼らが飛び立つ前に、コウノトリの村、リューシュテットへ行って来た。ブランデンブルクの外れにあるこの小さな村はドイツ最大のコウノトリの繁殖地でコウノトリの保護に力を入れている。アクセスが大変なのだが、ラジオで偶然、なぜこの村に多くのコウノトリが集まるのかについて聞いて、是非とも行ってみたくなったのだ。

すでに7月だったのでピークシーズンは過ぎていたが、それでも多くのコウノトリを見ることができた。コウノトリは大きな鳥だけあって、たくさんの個体が集まっている様子はなかなか壮観だった。野鳥観察は本当に楽しいなあ。

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」にスライド動画を公開したので、ご興味があったらぜひ見てください。

ドイツに暮らしていて面白いと思うことの一つは、いろいろな時代の建物があることだ。首都ベルリンには実に様々な時代に建てられた趣の異なる建物が不思議な調和を生み出している。

過去数十年間に建てられた近代的な建物は日本の都市にあるものとそう大きな違いはないが、それよりも古い建物は装飾が凝らされていたり、日本では見かけないフォルムや質感だったりでいくら眺めていても飽きることがない。

けれど、ドイツの歴史をほとんど知らずに街歩きをしていた頃は、そうした古い建物をすべて「西洋建築」というたった一つのカテゴリーで認識していて、どれがいつの時代のものなのかまったく見当がつかなかった。最近になってようやく、建物を外観からいくつかのグループに分類して認識できるようになって来て、ますます街歩きが楽しくなっている。

建築史におけるそれぞれのエポックは、単なる美的意識の移り変わりではなく、それぞれの時代の技術革新や政治、イデオロギーとも関わっていることがおぼろげながら見えて来た。

ベルリン・ブランデンブルク探検隊」では、相棒の由希さんが建物好きなこともあって建物をメインテーマの一つにしているが、今回は旧東ベルリンのカール・マルクス・アレーを中心にスターリン建築を取り上げた。長年ベルリンに住んだ由希さんが撮影した東ベルリンやワルシャワのスターリン建築と、私の手持ちの東ドイツの他の町や本場モスクワのスターリン建築の写真を合わせて以下のスライド動画ができた。スターリン建築は個人的には好みの建築様式というわけではないけれど、インパクトが大きいし、それらが建てられた背景はやはり興味深い。動画で紹介したものだけでなく、旧社会主義国のあちこちに類似の建築物がたくさん残っていることだろう。今後、もっと見る機会があればいいな。

 

前回の記事では、旧東ドイツ時代に建てられた高層住宅群、プラッテンバウジードルングを紹介した。旧東ドイツの遺物を見て回ることができるのはベルリンやブランデンブルクに住む楽しみの一つだ。プラッテンバウはその典型的な例としてよく挙げられるが、プラッテンバウよりもさらに直接的に社会主義時代を想像させるものがある。

それは、街角で見かける社会主義時代のアート。

初めて見たときにはそのインパクトに度肝を抜かれた。私は人生の半分近くをドイツで暮らしているが、最初の10年ちょっとは旧西ドイツエリアにいたので、社会主義についてあまり考えるきっかけがなかった。ブランデンブルクに移り住み、あちこちで西側では見たことのない独特なアートを目にするようになり、社会主義国東ドイツとはどんな国だったのだろう、そこでの暮らしはどんなふうだったのだろうかと考えるようになった。

東ドイツ時代に街角に設置された彫刻や絵はイデオロギーを前面に打ち出していたため、その多くはドイツ再統一後に撤去されている。まだ残っているものについても、今後どう扱っていくべきか、議論が交わされている。

今回、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で相棒の由紀さんが撮り溜めたベルリンの気になる街角アート、そして私が撮影したブランデンブルクの街角アートについて、背景を調べてみたら、今まで知らなかったことがたくさん出て来て興味深かった。

 

 

どの作品も背景はそれぞれ興味深いけれど、私個人にとってはポツダムの情報処理センター(だった建物、現在はアートスペース)の外壁に描かれた、宇宙をモチーフとしたモザイク画が特に想像をかき立てる。旧東ドイツにおける宇宙開発は気になっているテーマの一つなので、いつか掘り下げてみたい。

 

上の動画で紹介しきれなかったが、ポツダムの情報センターの壁はモザイク画だけでなく、小さなタイルが並べられている壁もある。タイルの模様が銀河っぽい?

気になることを調べるって、本当に楽しいな。次は何を調べよう?

 

 

 

 

私が住んでいるドイツ東部には団地が多い。いや、団地はどこにだってたくさんあるのだが、ドイツ東部の団地は特徴的である。規格化されたプレハブ工法の高層アパートがずらりと立ち並ぶ。都市という都市で見かける光景だが、特にベルリンやコットブスなどの大きな都市における団地の規模たるや圧倒的である。

そのような高層アパートは社会主義国であった旧東ドイツ(DDR)時代に建設されたもので、俗に「プラッテンバウ(Plattenbau) 」と呼ばれる。旧西ドイツにも第二次世界大戦後に建設された高層アパートの団地がないわけではないが地域が限られており、数も旧東ドイツほどは多くない。だから、「プラッテンバウ」はしばしば社会主義の象徴として語られる。ドイツが再統一された現在はダサい建物とみなされがちな「プラッテンバウ」であるが、私にはずっと気になる存在だった。なぜかというと、プラッテンバウが並ぶ団地を見ていると、なんとなく郷愁を覚えるのだ。どことなく昭和的というか、、、。いや、ここはドイツ。昭和という時代はここには存在していなかった。でも、プラッテンバウは私が育った昭和の時代によく目にした団地の風景にちょっと似ている。

「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」の相棒の由希さんは団地ファンで、やはりプラッテンバウがずっと気になっていたという。ならば、プラッテンバウを探検しようではないか。

というわけで、スライド動画「東ドイツの”The 団地” プラッテンバウ」が完成。動画では旧東ドイツで多くのプラッテンバウが建てられた背景やプラッテンバウの様々なタイプ、そしてベルリンとブランデンブルク州のいろいろな団地を紹介している。

特に紹介したかったのはプラッテンバウの聖地ともいえるベルリン北東部のマルツァーン地区の巨大団地だが、それらしい写真を撮るのにちょっと苦労した。というのは、地上から撮影したのではなかなかその規模の大きさを伝えられない。そこで、マルツァーン地区にある園芸博覧会跡地の広大な公園、”Gärten der Welt“の上を走るケーブルカーに乗り、その中から団地の景色を撮影することにした。ところが、乗ってみたらケーブルカーのガラスは黒っぽい遮光ガラスでガックリ。あ〜、これじゃまともな写真撮れないよ〜。しかし、乗った以上は引き返すこともできない。仕方なくそのまま乗っていたら頂上駅の横に大きな展望台があるのに気づいた。

あそこなら撮れる!階段を駆け上がり、展望台から見た景色は、、、、、圧巻であった。

 

 

 

先月、バルト海へ休暇に行って来た。今年初めての旅行である。長い長い旅行制限が続いた後、ようやく遠出をすることができ、短い期間ではあったが満喫した。

滞在したのはダース地方のプレーローという村である。


ダース地方はバルト海に突き出たブーメランに似た形をした細長い半島の中心にある。半島名はFischland-Darß-Zingst。長い名前なのは、かつて3つの別の島だったFischlandとDarßとZingstの間に砂礫が堆積して一続きの陸地になったからだ。自然環境が素晴らしく、半島の東部のZingstは写真ツーリズムで有名で、私も一度写真ワークショップに参加したことがある(そのときに書いた記事はこちら)。プレーローはこじんまりとした静かな村で、Zingst方面へもFischland方面へも移動しやすく大変気に入った。

お天気に恵まれたので、サイクリングをしたり、海に入ったり、野鳥を観察したりと野外活動を大いに楽しんだ。


 

ダースにはいくつかの村があるが、ぶらぶらと歩いているうちに気づいたことがある。とても可愛らしい民家が多く、特にドアが他では見たことのない素朴な可愛さなのだ。

こんな感じ

気になっていたところ、地元の書店でこんな本を見つけて、即買い!

「ダースのドアの小さな本」と題されている

タイトルの通り、ダース地方の伝統的なドアについての本でとても素敵で興味深い。そして、裏表紙を開いたとき、「ヤッタ!」と思わず声が漏れた。

なーんと、滞在しているプレロー村の可愛いドアのついた家のマップが載っているではないか。これはもう、「ドア探検」に行くしかないよね?家から持参した自転車に飛び乗って、かわいいドアを探しに行ったのであった。

数が多くて全部は見切れなかったけれど、ドアのオーナメントにはいろんなモチーフのものがあり、また同じかわいいドアでも時代によってデザインに流行があることがわかって大変面白かった。その探検の成果をまとめたものが以下の動画である。

 

スライド動画には載せきれなかったダースのドアの画像を「ドアギャラリー」にアップしたので、興味のある方はぜひ見てね。

 

 

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」に10本目のスライド動画をアップしました。今回のテーマはブランデンブルク州カプート村(私が住んでいる村です)にある物理学者アルベルト・アインシュタインの別荘です。

ベルリンから公共交通機関を使って片道約1時間のところにあるアインシュタインの家は、ユダヤ人建築家コンラート・ヴァクスマンの設計によるものです。ヴァクスマンは後に米国に亡命し、バウハウスの創立者で近代建築の巨匠とされるヴァルター・グロピウスと共にプレハブ住宅の普及に大きく貢献します。

アインシュタインはヴァクスマンが設計した家とカプート村をとても気に入っていました。現在、家は週末のみ一般公開されていて、ガイドツアーで中を見学することができます。

カプート村のアインシュタインの家のウェブサイト

この家についてはたくさんの情報があって、20分ちょっとの動画には収まりきらなかったので、こぼれ落ちた内容の一部を補足として動画の下に書きます。まずは是非、動画を見てみてください。

補足)

アインシュタインの家を設計したヴァクスマンは、「この家のインテリアにはバウハウスの家具がぴったりですよ」とマルセル・ブロイヤーがデザインした椅子など、バウハウスの家具をアインシュタインに奨めました。でも、アインシュタインは家具までモダンなもので揃えるのには違和感があったようで、その案は採用せず、手持ちの家具を運び入れて使ったそうです。

1932年にアインシュタインがカプートを去った後、この家は様々な用途に使われました。最初に利用したのは、隣の敷地にユダヤ人の子ども達のための学校を設立していたユダヤ人教育者、ゲルトルート・ファイアーターク(Gertrud Feiertag)でした。ファイヤータークが運営する寄宿舎付きの学校では、主にベルリンに住むユダヤ人家庭の子どもたちが学んでいました。ユダヤ人への迫害が強まる中、ベルリンはユダヤ人の子どもが安心して学校に通える環境ではなくなっていたからです。また、親が先に外国へ移住し、生活の基盤が整ってから子どもを呼び寄せるつもりで子どもを預けているケースもありました。そのうち、他の地域からも庇護を求めてユダヤ人の子どもたちがカプートへやって来るようになります。米国に渡ったアインシュタインは弁護士を通じてファイアータークに家を託し、家は学校の一部として使われました。

しかし、1935年、アインシュタインの家はナチス政権により没収され、カプート村に売り渡されます。ユダヤ人の子どもたちを守るために戦ったファイアータークは1943年、アウシュビッツの強制収容所に送られ、そこで命を落としました。その後、家は幼稚園教諭の養成所や兵士の宿舎として使われるなどいろいろな時期を経て、70年代の終わりに重要文化財に指定されました。1979年に痛んでいた家の修復工事が終わり、アインシュタインの生誕100年を記念して開かれた式典の際には、(地元の人の話によると)家の中にバウハウスの家具が展示されされたそうです。このときアインシュタインはすでに亡くなっていましたが、設計者のヴァクスマンはこの式典に参加しています。ヴァクスマン家の修復状態には内心ちょっと不満があったそうですが、バウハウスの家具を置きたいという彼のかつての希望はこのときようやく実現したと言えますね。

 

昨年からパンデミックで外出もままならない日が続いていましたが、ここのところドイツでは感染者数がかなり減って、規制が緩和されています。冬の長いドイツでは、いつも皆、夏を心待ちにしています。夏場は日が長いので、仕事の後でもたっぷり野外で活動できます。ドイツの夏は湿度が低く、とても爽やか。水場に恵まれたベルリン・ブランデンブルクでは水遊びを楽しむことができます。

湖で泳いだり、ボートやSUPを漕いだり、釣りをしたりなど水遊びの種類が豊富ですが、アクティブなレジャーはあまり、、、という人には遊覧船でのクルーズなど楽なレジャーがたくさんありますよ。

ベルリン・ブランデンブルク探検隊」の相棒、久保田由希さんがベルリンの公共交通を使った水路によるベルリンの楽しみ方を紹介する動画をYouTubeに公開しました。安くて気軽で、それでいてドイツの夏らしさを満喫できる素敵なルートです。

コロナの感染状況はいつまた悪化するともわからないので引き続き注意が必要ですが、ルールをきちんと守りながら短い夏を楽しみたいと思います。

水路によるブランデンブルクの楽しみについても、改めてご紹介するつもりです。

 

 

先日、YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」にブランデンブルク州で最も人気の観光地、シュプレーヴァルトについてのスライド動画をアップしました。私も相棒の由希さん(@kubomaga)も大好きで何度も足を運んでいるシュプレーヴァルト。自然環境が特殊で、少数民族ソルブ人が多く住んでいることから文化的にも異色なとても魅力的な地域です。ベルリンから他の地域へ遊びに行きたいけれど、どこへ行こうか?と迷ったら、ここ!

今回はシュプレーヴァルトはどんな場所なのかをざっくりとご紹介しました。シュプレーヴァルトには四季折々の独特な伝統行事があり、掘り下げていくととても奥深い地域なので、また改めて、続編動画でそれぞれの季節の魅力をお伝えしていくつもりです。

 

 

 

2ヶ月前に友人のライター久保田由希さんと一緒に解説したYouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」。これまでにベルリンとブランデンブルクをテーマに8本の動画をアップしました。

でも、ベルリンってどんなところなのかイメージが湧かない、ましてやブランデンブルクってどこそれ?という方が多いことでしょう。ベルリンとブランデンブルクのそれぞれをざっくりとご紹介する概要動画を作りました。ベルリンの概要動画はベルリンに20年近く住み、ライターとして数々の取材を重ねて来た由希さんの視点で、そしてブランデンブルク概要動画はブランデンブルクじゅうを歩き回っている私が感じるブランデンブルクらしさを凝縮させた内容にまとめています。この2つの動画を見れば、ドイツの首都ベルリンの空気を感じることができ、その周辺に広がるブランデンブルク州の独特の魅力に触れて頂けることと思います。よかったら是非、見てください。

 

 

 

 

 

三度の飯より探検が好き。これまで何度も引っ越しをして来たけれど、その度に新しい環境をくまなく歩くことを楽しんできました。2006年にブランデンブルク州に移りんでからは、徒歩・自転車・車・公共交通機関でブランデンブルク州中を探検し続けています。

 

ブランデンブルク探検は面白い。

なぜなら、情報が少ないから。あまり知られていないからこそ、発見する楽しみがある。

これまでに訪れた場所を地図上に記録しているのですが、ざっとこんな感じです。かなり行ってるでしょう?

 

 

この探検趣味が高じて、2年ほど前、気づいたら長年ベルリンに住んでいた友人のライター、久保田由希(@kubomaga)さんと探検ユニット「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」を結成していました。普段は久保田さんがベルリンを、私がブランデンブルク州を単独で探検し、「こんなところへ行って面白かったよ」「こんなものを見つけたよ」と互いに報告し合いました。ときには一緒に探検します。探検が好きな他の友人を誘って出かけることも。撮った写真はよくTwitterでシェアしていますが、フォロワーの方がハッシュタグ「#ベルリン・ブランデンブルク探検隊」をつけて面白い場所を紹介してくださることもあります。

「探検隊」を名乗ったのは最初は冗談半分だったのですが、やり始めたらけっこう本気で活動し、2020年には初の成果物としてベルリンとブランデンブルク州に現存する給水塔の情報をまとめた冊子、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ 給水塔」を自費出版しました(過去記事: 「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ 給水塔」を出版しました)

そうしたら、意外なほど多くの方が興味を持ってくださり、いくつかのメディアでも取り上げて頂きました。嬉しい限りです。

 

そしてこの度、新たな試みとして、久保田さんと「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」のYouTubeチャンネルを開設しました。

 

現在、ドイツはパンデミックでロックダウンが長く続いており、実際の探検活動はほとんどできない状態ですが、これまでに収集したネタがたっぷりあります。ベルリンとブランデンブルクのニッチな魅力をスライドとトークでご紹介していきます。

 

まずは、給水塔に関する動画を2本アップしています。

 

 

 

よかったら覗いてみてください。もし、気に入ってくださったら、チャンネル登録して頂けたら、とても嬉しいです。