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マニアックな観光スポットを発掘する旅、エアフルト編ではダークツーリズム・スポットの紹介が続いたが、〆はゆるいテーマで。最後に訪れたのは、世界最古のサボテン農園、Kakteen Haageである。

この農園はベルリン在住のフォトグラファー、豊田裕氏にお薦め頂いた。豊田さんはご興味の幅が広く、しかも掘り下げ方が凄い方なのだ。エアフルトに行くと話したら、「すごいサボテン農園があるから、行ってみたら?ドイツ最古で、品揃えも随一だよ」とアドバイスをくださった。そんなマニアックな農園があると聞いたら、行くしかない。

「まわりには何もないよ」とは聞いていたが、確かに中心部からはちょっと外れたところにある。今回は車だったのでよかった。

 

 

意外と地味。

10時開店なのだが、30分も早く着いてしまった。朝ごはんを食べていなかったので、まず何か食べてからと思ったけれど、まわりにはパン屋も見当たらず。しかたないので、そっと中を覗いてみた。

 

大きな温室が6棟ほど連なっているが、やっぱり地味な感じ。手前の温室のドアが開いていて、中に社員と思われるお兄さんがサボテンの手入れをしているのが見えた。

「すみません。開店は10時からですよね?」と聞くと、「そうですが、もう入っていただいても構いませんよ」と言ってくださった。

 

中は、期待通り、サボテンがずらぁ〜〜〜〜〜〜っ。こういう温室が6つも並んでいる。

 

この農園、Kakteen Haageの創業は、遡ること1685年!なんと300年以上も前である。180年ほど前からはサボテン栽培に特化している。サボテンは16世紀にスペインの航海者によってドイツにもたらされたとされる。Kakteen Haageが扱っているサボテンは3500種以上というから凄まじい。ドイツ国内はもちろんのこと、世界中からバイヤーが買い付けに来るらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これもサボテン!?

 

こんな大きな花を咲かせるサボテンもあるのだなあ。

 

Kakteen Haageはサボテンの栽培・販売を行っているだけでなく、近郊にサボテンミュージアムを持つ。また、オンラインのサボテンフォーラムでサボテンの世話の仕方などについて質問することもできる。オンラインショップでは、サボテンの種や苗はもちろん、サボテン関連書、サボテンアートグッズなどを取り揃えている。まさに、サボテンのことならKakteen Haageに聞けという感じだ。見るだけでなく、サボテンを食べたい!という人は、サボテン・ディナーも予約できる。すごいね。

 

私も見ているうちに、いくつかサボテンを買って帰りたくなったが、トゲトゲしたものを長距離運ぶと厄介なことになりかねないので、残念だが、諦めることにした。

来る2017年5月13日(土)は、Kakteen Haageのオープンデーで、サボテンソーセージも食べられる。もうエアフルトから家に帰って来てしまったので、試食できなくて残念だ。

 

しかし、エアフルトまで行けなくても、サボテンの世界を楽しむことはできる。今月14 – 17日までベルリンの植物園では、サボテン祭りが開催される。こちらでもサボテンが食べられるらしいよ。

 

 

 

ワイマールに二日滞在した後、そこから20kmほど西のエアフルトへ向かった。エアフルトは人口20万人規模の商業都市である。私はこれまでエアフルトという町には特にこれといったイメージを持っていなかった。そのため、是非とも行ってみたい町ではなかったのだが、せっかくテューリンゲンまで来たのだから、この地方の主要都市を見ておこうと足を延ばした。

行ってみると、エアフルトは見所が多くハイセンスな町であることがわかった。美しいだけでなく、いわゆる「可愛い」「お洒落」「美味しい」な要素も多く、日本人好みかもしれない。

 

そんなエアフルトで私の関心を強く引いたものがある。それは、この町には中世から多くのユダヤ人が住み着いてコミュニティを形成し、町の発展に重要な役割を担っていたという事実だ。エアフルトにはドイツに今も残る最古のシナゴーグ、Alte Synagogeがある。現在はミュージアムになっていて、中を見学することができる。

 

 

シナゴーグ内部は写真撮影禁止で、受付とシナゴーグの間の中庭のようになった場所からのみ外観の写真を撮って良いと言われたが、中庭が狭いので全体像をカメラに収められなかった。

 

 

シナゴーグ北側正面の入り口。

 

中庭には、中世のユダヤ人墓地にあった墓石が展示されている。

 

エアフルトの旧市街には、11世紀にすでにユダヤ人が定住していたという。当時はキリスト教徒と比較的平和に共存していたが、黒死病の流行をきっかけにユダヤ人への迫害が起こり、1349年のポグロムで多くのユダヤ人が犠牲となった。エアフルトを追われるまでの間、彼らの信仰の中心だったのが、このAlte Synagogeである。ユダヤ教徒が追放された後は、500年もの長い間、倉庫として利用され、19世紀末には舞踏会場やレストランとしても使われた。2009年にミュージアムとして一般公開されるようになった。

 

ミュージアム内ではヘブライ語の聖書や中世のトーラ、マハゾールなどユダヤ教の文書やエアフルトの数多くの秘宝が見られる。特に中世のユダヤ教徒の結婚指輪が素晴らしかった。エアフルトのこのシナゴーグとそこに収められた秘宝、そして旧市街クレーマー橋のたもとに発見されたユダヤ教徒の沐浴場、ミクワー(Mikwe)は、合わせてユネスコ世界文化遺産に指定されている

 

ポグロムにより一旦、姿を消したユダヤ教徒は、19世紀の初めに再びエアフルトへ戻って来た。その後、別の場所に新たなシナゴーグ(現在のNeue Synagoge)が建設されるまでの間、一般家屋がシナゴーグの機能を果たした。

 

Kleine Synagoge(小さなシナゴーグ)。こちらも一般公開されている。

 

 

写真を撮っても構わないと受付の人に言われたので。現在はイベント会場として使われているようだ。

地下には、19〜20世紀のエアフルトのユダヤ教徒の生活を示す展示がある。

 

 

 

現在、エアフルトにはおよそ550人のユダヤ教徒が住んでおり、その大部分はロシア系ユダヤ人だという。現在ドイツに住むユダヤ人といえば、先日、別ブログにこんな記事を書いた。

 

ドイツのユダヤ人、Shahak Shapira氏の著書を読んでみた

 

「小さなシナゴーグ」の2階では、現在、エアフルト出身のユダヤ人2家族についての特設展示を開催中で、こちらも非常に興味深かった。エアフルトのユダヤ人の歴史について、もう少し詳しく知りたくなったので、こちらの本を購入。

 

 

引き続きこのブログで紹介するが、エアフルトには中世のドイツのユダヤ教徒について、そして彼らが辿らざるを得なかった運命について知ることのできるスポットが多くあって、興味深い。