ドイツ光学産業の発祥地、ラーテノウの光学ミュージアム

 

今日は午前中から抜けるような青空が広がった。ドライブ日和である。平日だが、仕事は日没後に回し、出かけることにした。

 

目的地はラーテノウ。ブランデンブルク州西部の人口2万5千人弱の小さな町だ。日本人でラーテノウの名前を聞いたことのある人は、おそらく少ないだろう。

 

 

この町に何をしに行ったのかというと、光学博物館(Optik Industrie Museum Rathenow)を見るためである。つい最近まで知らなかったのだが、この町はドイツ光学産業の発祥地だそうだ。ドイツの光学機器メーカーといえば、カール・ツァイスがあまりにも有名だが、ラーテノウではツァイス社創業よりもずっと前の1801年、ヨハン・ハインリヒ・アウグスト・ドゥンカーがプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の許可を得、”Königlich privilegierten optischen Industrie-Anstalt”を創立した。19845年、何代目かに経営権を握ったエミール・ブッシュにより、同社はエミール・ブッシュ社と改名され、一躍、国際的な光学機器総合メーカーに発展した。日本へは「ニコラ・ペルシャイト」という有名なポートレート用の軟焦点レンズが輸出されていた

 

ラーテノウの光学博物館は町中心部の文化会館(Kulturzentrum)の3階にあった。それほど大きなミュージアムではないが、なかなか面白い。

 

 

これはドゥンカーが1801年に発明し、特許を取得したレンズ研磨機である。11個のレンズを同時に磨くことができる。

 

創業当時、同社の主な製品はメガネだった。欧州にはそれ以前にもメガネは存在していたが、レンズのカットが悪く、品質が低かった。ドゥンカーは視力測定のガイドラインを作り、高品質なメガネの生産を開始。こうしてラーテノウは「ドイツの目」として国際的な評価を受けるまでになる。

 

 

ドゥンカー以前のメガネ。最も初期のメガネはNietbrille(ニートブリレ)と呼ばれ、2つのレンズの柄の部分がNiete(リベット)で留めてあるものだった。写真の右端がそれ。当初はメガネを手に持つか、鼻に掛けて使っていたが、やがて、耳にかけるツルのあるメガネが登場した。

 

ドゥンカーが製造したメガネ。かなり洗練され、メガネらしいメガネになっている。

 

かなりお洒落な感じ。

1920年代に作られた同社製メガネ。

 

エミール・ブッシュ社に改名してからは、メガネだけでなく、ルーペ、顕微鏡、双眼鏡、望遠鏡などあらゆるレンズ製品を手がけるようになり、さらには写真撮影用カメラや映像カメラ、視力測定装置に至るまでを製造する光学機器総合メーカーへと発展した。

 

 

 

 

 

 

ラーテノウも他の多くのドイツの都市と同様、第二次世界大戦ですっかり破壊されたが、戦後、人民公社、Rathenow Optische Werkeとして復活し、後にカール・ツァイス・イェーナに吸収された。旧東ドイツ(ドイツ民主共和国、DDR)時代のメガネはすべてラーテノウで作られていたそうだ。

 

ラーテノウの街並みは小綺麗でモダンであり、市内にはOptikpark(光学パーク)と名付けられた庭園もあるが、観光地ではない。光学博物館は興味深いが、最寄りの大きな町、ブランデンブルクから20kmも離れているので、博物館を見るためだけに行くのはちょっと大変かもしれない。

 

と、考えながら帰ってきたのだが、家に着いてから改めて検索したところ、なんとこの町には大黒貴之さんという日本人彫刻家の方がお住まいだとのこと。ベルリン在住のジャーナリスト、中村真人さんが紹介しておられた。

ブランデンブルク州 市制800年 ラーテノウを歩く

 

意外なところに日本との繋がりがあるものだ。これをきっかけに、大黒さんの作品を拝見させて頂こうと思う。

 

 

 

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