身近な環境や旅先で野生動物を目にするのが私の近年の大きな楽しみの一つである。あまりに楽しいので、気候変動や環境破壊によって野生動物が減ってしまうのは辛い。なにか少しでもできることないかなーと思って、昨年(2020)の2月から3月にかけて、自然保護団体BUNDの主催するヨーロッパヤマネコのモニタリングプロジェクトに参加した。それがなかなか楽しく、また、たまたまコロナ対策のロックダウン期間と重なったため良い息抜きになった。それで今年もまた参加することに。
ヨーロッパヤマネコのモニタリングとはなんぞや?
簡単に説明すると、ドイツ国内のヨーロッパヤマネコ(学名Felis silvestris)の分布を把握するためのサイエンスプロジェクトである。ヨーロッパヤマネコはかつてヨーロッパ全域に分布していたが、18世紀以降、個体数が激減し、大部分の場所で絶滅に瀕していた。しかし近年は一部の地域で再び個体数が増えつつあり、ドイツ国内には現在、6000〜8000個体が生息すると推定されている。ドイツ西部から中部にかけて特に多く、次第に生息地を広げているが、私が住んでいるブランデンブルク州にはまだ到達していないと考えられていた。
ところが2019年のある日、ブランデンブルク南西部のLuckenwaldeという町付近を移動中のある人が、車に轢かれた猫の死骸を道路脇に見つけた。猫にしてはいやに大きいなと不思議に思って車を停め、死骸をよく見たところ、ふさふさの大きな尻尾に黒いリング状の模様がある。もしやこれはヤマネコでは?その人は死骸の写真を撮り、地元の自然保護団体に連絡した。専門家の鑑定の結果、それはヨーロッパヤマネコだった。
「ヨーロッパヤマネコはブランデンブルク州にも到達している!」
この新事実をきっかけに、BUNDは2020年からブランデンブルク州でもヨーロッパヤマネコのモニタリングを開始した。プロジェクトには誰でもボランティアとして参加できる。面白そうなので私も参加することにしたのである。
ヨーロッパヤマネコのモニタリングは1月末〜3月にかけて実施される。雄がこの時期に繁殖相手を探して広範囲を移動するからだ。ヨーロッパヤマネコはセイヨウカノコソウ(ヴァレリアン、ドイツ語ではBaldrian)の匂いを好むので、森の各所の地面にセイヨウカノコソウのエキスをスプレーした木の杭を打ち込んでおく。杭のあるところをヤマネコが通れば、きっと杭に体を擦り付けるだろう。そうすれば、杭表面に毛が引っかかる可能性がある。プロジェクトの参加者は定期的に杭を点検に行き、観察結果をBUNDに報告する。
杭は金ブラシで表面をガサガサにし、ナイフで角に傷をつけて毛が引っかかりやすいようにする。表面をバーナーの火で焼いて殺菌し、それからセイヨウカノコソウのエキスをスプレーする。
1週間〜10日に一度、杭を点検。毛が付着していないかどうか、ルーペで確認する。
もし、毛が付着していたらピンセットで取って専用の袋に入れる。地域、杭の番号、日付、毛の本数を記入してDNA鑑定のためにラボに送る。
2019年度、私は4本の杭を担当し、何度か毛を採取することができたが、DNA鑑定の結果は残念ながらヤマネコのものではなく、キツネの毛だった。でも、プロジェクト全体では複数箇所でヨーロッパヤマネコの毛が見つかり、2018年に死骸となって発見された個体以外にもブランデンブルク州にはヤマネコが存在することが判明した。それで、さらに本格的に分布を調べるため、今年度(2021)もモニタリングが実施されるのだ。今年は私の夫も一緒にやると言うので、今回は思いきって10km x 10kmのエリアを2人で担当することにした。打ち込む杭は全部で10本。地図を見て、ヤマネコが移動しそうな場所を考えつつ、場所を決めていった。
ところが、さあやるぞと張り切っていたら大雪が降って、地面が真っ白になってしまった。去年の2月は暖かかったので楽だったが、雪の中の巡回はちょっと大変そう。でも、森に入ってみると、雪が積もっているからこその面白さがあると気づく。森の中は動物たちの足跡だらけなのだ。
1本の杭を打ち込んだ場所は動物たちの交差点になっていることがわかった。昼間でも森の中で野生動物に遭遇することはよくあるし、夜にはたくさんの動物が活動すると知ってはいたけれど、本当にどこもかしこも足跡でいっぱいなのを見ると、森にはたくさんの動物たちがいるんだなあと実感する。逆に言えば、森がないと多くの動物たちは生きることができないってことだよね。
杭のすぐ横をウサギが擦り抜けていっている。立ち止まった様子はない。ウサギはセイヨウカノコソウには興味がないみたいだね。
でも、残念ながら毛はついていなかったので、またセイヨウカノコソウをスプレーしておく。
そうそう。ヤマネコと直接関係ないけれど、面白いことがあった。モニタリング開始前、杭の設置位置を決めるために森の中を歩いていたら、地元の猟師さんの車が通りかかって「こんなところで何をしている?」と聞かれた。BUNDのヤマネコ調査に参加していると説明すると、「あー、ヤマネコね。この辺、いるよね」と猟師さんはこともなげに言うのである。
「え、本当ですか?野良猫じゃないんですよね?」
「いや、あの尻尾はヤマネコだよ。毎晩来てるよ。あっちの方」
私と夫は顔を見合わせ、「よし、そこに杭を打ち込んで来よう」と目くばせした。テンション上がるなー。
「この辺、オオカミもよく出るんだよね」
「ええ?」
なんかちょっと出来過ぎな感じがするが、相手は猟師さん。デタラメを言うとも思えない。
猟師さんに教えてもらったあたりに杭を打ち込みに行くと、すぐそばの湖の凍った表面を動物が歩いた跡があった。
「大型犬っぽいね」と夫が言うが、飼い主が一緒に歩いた形跡はない。こんな人里離れた森の奥の湖を犬が歩くかなあ?
「もしかしてオオカミ!?」
まさかねー。早とちりはやめておこう。
その2週間後、森を巡回中、全く同じ場所でまた同じ猟師さんに遭遇した。
「どうだ?ヤマネコは見つかったか?」
「いえ、まだです」
すると猟師さんは言った。
「今、オオカミのフンを拾って来たよ」
「ええ?」
「見る?」
バケツに入ったオオカミのフンとやらを見せてもらう。(不快な画像、すみませんが、証拠写真と言うことでご了承ください)
「ん?これ、犬のフンではないんですね?」
「オオカミのだよ。シカの毛や骨が混じっているだろう?」
へえーっ。
「あいつら、いつも4、5匹でウロついてるよ。犬と変わらない感じで、かなり近くまで来る」
オオカミの存在が急にリアルになった。ブランデンブルク州でオオカミが増えているのは知っていたけど、そんなに身近な存在になっているとは。
今年のモニタリングはまだ始まったばかりで、今のところ、ヤマネコの痕跡は見つかっていない。でも、森の中にはいろんな情報が詰まっていて面白い。