「過去旅風景リバイバル」シリーズ米国編、思い出の景色の第二弾はヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)で見た花崗岩ドーム。前回の記事に書いたモノ湖へはサンフランシスコからヨセミテ国立公園を横切るタイオガ・パス・ロード(Tioga Road)を通って行った。以下の写真はその途中で見た景色。
一番気に入ったのは「パスタ・コン・レ・サルデ (Pasta con le Sarde)」というイワシのパスタ。見た目は地味だけれど、実に美味しいシチリアの定番料理。イワシの他にアンチョビ、干し葡萄やフェンネル、松の実などが入っていて、チーズではなく炒ったパン粉がかかっている。この意外な組み合わせが絶妙なハーモニーを生み出していて旨い!お店によって味がかなり違うので、食べ比べするのが幸せだった。
夜行フェリーでパレルモ港から出発することにしたので、あと丸一日ある。シチリア島の西海岸、トラパニ(Trapani)からマルサラ(Marsala)にかけて広がる天日塩田を見てから帰ることにした。西シチリアの沿岸部には3000年に渡る採塩の伝統がある。交易の民フェニキア人がシチリアに入植した時代から、塩は「白い金」と呼ばれて珍重されていた。近代以降の都市化に伴う環境破壊や1965年にこの地方を襲った大洪水によって塩田が被害を受けたことなどにより採算が取れなくなり、今では大規模な採塩産業は廃れてしまったが、塩沼は自然保護区に指定されていて、小規模ながら伝統的な塩づくりが続いているという。保護区の一つ、 Naturreservats Salinen von Trapani und Pacecoにある塩博物館(Museo del sale)に立ち寄ってみることにした。
公園内には考古学博物館もあって見るべきものが盛り沢山なのだが、今回のシチリア島・エオリエ諸島旅行はこの時点ですでに3週間近くに及んでいたので、すでにかなりの情報過多でとてもじゃないが処理しきれない。もうちょっとよく地中海の歴史を勉強してから出直した方が良さそうだ。それにしても、シチリアの歴史的・文化的コンテンツの驚くべき豊かさよ。もっと知りたいけど、沼にはまりそうでちょっと怖い。そんなことを考えながら神殿の谷を散策した後はレアルモンテ(Realmonte)海岸の白い崖、スカーラ・デイ・トゥルキ(Scala dei Turchi)の見える宿に泊まった。
石切場の奥には「ディオニシオスの耳(Orecchio di Dioniso)」と呼ばれる、これまた巨大な石窟がある。高さ23メートル、奥行きは65メートル。中は真っ暗で湾曲している。この洞窟の中ではほんの小さな音でも増幅されて大きく聞こえる。古代ギリシアの植民都市であったシラクーザの僭主ディオニシオスは疑り深い性格で、捕虜たちのヒソヒソ話を聴くためにこの洞窟に彼らを閉じ込めたという言い伝えがあるらしい。洞窟のかたちもまるで耳のようだから、「ディオニシオスの耳」とは上手い呼び名をつけたものだなと思う。
次に向かったのはパンタリカの岩壁墓地遺跡(Necropoli di Pantalica)。パンタリカはカターニアの南のイブレイ山地に位置する。アナポ川やカルチナラ川が刻む渓谷の間にある台地である。そのパンタリカには大規模な古代墓地遺跡(ネクロポリス)があるという。リーパリ島で見たギリシア・ローマ時代のネクロポリスもとても興味深かったが、パンタリカの古代墓地はさらに古く、岩壁に紀元前13世紀から紀元前7世紀まで使われたと考えられる墓穴がなんと5000以上も残っているという。それは是非とも見に行きたい。
最寄りのビーチは上の地図の緑アイコンのSpiaggia Valle Muriaというビーチである。「坂を降りればビーチ」と管理人はこともなげに言ったが、そんなに楽な話ではなかった。坂道というか、崖のようなところを15分くらい降りると海岸に着く。行きはまだいいけれど、帰りはその崖をまたよじ登って来なければならないのだ。ちょっとひと泳ぎするだけでやたらと疲れる。これがハードモードなエオリエ諸島滞在の始まりであった。
ドイツから4日かけてシチリア島へやって来た。カラブリア州のメッシーナ海峡をフェリーで渡るのだが、ヴィラ・サンジョヴァンニ(Villa San Giovanni)から対岸のメッシーナ(Messina)は目と鼻の先で、20分ほどで着く。陽光にきらめく青い海の向こうに雄大なエトナ火山のそびえるシチリア島が近づくのを船上から眺めるのが楽しみだ。
自宅からオーストリアを抜けてイタリア本島を南下し、カラブリア州ヴィラ・サンジョヴァンニ(Villa San Giovanni)の港から車ごとフェリーでシチリア島のメッシーナ(Messina)に渡り、帰りはパレルモ(Palermo)から夜行フェリーでナポリ(Napoli)へ移動、そこから北上して帰って来た。シチリアへ到着してからの移動ルートは以下のマップの通りである。エオリエ諸島のリパリ島へも車ごとフェリーで渡り、その他の島へは小型ボートで移動した。