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ベルリン軍事史博物館(Militärhistorisches Museum Flugplatz Berlin-Gatow)
日曜の今日はベルリンのGatow地区にある軍事史博物館へ行って来た。この博物館はドレスデンにある連邦軍事史博物館の分館で、航空戦をテーマとした展示を行っている。博物館の敷地はナチスの時代に秘密基地として建設され、第二次世界大戦中は空軍兵士の訓練場となった空港だ。戦後の1948年にベルリンがソビエトにより封鎖された際、西ベルリンへの生活物資を空輸するのに使われた空港の一つだという。
兵士の学びの場としての機能を果たすだけでなく、一般市民にも無料で公開されており、歴史を学び、軍事に関する議論を活発化させることを目的とした展示を行っている。
広い敷地にはすごい数の軍用機が展示されている。私は軍事関係には非常に疎く、ましてや軍用機には全くの無知。空軍にいたことのある夫がいろいろ説明してくれた。
当然のことながら、軍用機にはいろいろなタイプがある。外形区分はこうで技術的にはこう、どのような任務に使われる航空機なのか、どこの国でどの時代に製造されたものかなど、一つ一つ説明してくれるのだが、予備知識がないため、とりあえずチンプンカンプンである。
「これはMiG-23。NATO-CodeではFlogger Hと呼ばれていた」
「NATO-Codeって、何?」
「NATO側が東側の兵器につけた名称だよ。航空機の種類によって、頭文字が違うんだ。Fは戦闘機、ファイターのF。爆撃機(ボンバー)はBで始まる名前がついている。輸送機(キャリアー)はC、ヘリコプターはH」
「これはオレが空軍にいた頃に、パイロットの練習用に最もよく使われていたものだよ。オラフもこれに乗って練習していたよ」
Piaggioという飛行機だそうである。ちなみにオラフというのは夫の空軍時代の同期で、夫は民間人に戻ったが、オラフは兵役後、職業軍人となって空軍パイロットの道を歩んだ。現在はすでに退官して、バルト海のロストック市でパイロット飲み屋を営んでいる。店内が空軍グッズで埋め尽くされている珍しい居酒屋だ。
「これも練習機だね?Schulflugzeugと書いてある」
「これは、スターファイターだ。多くの不幸を生み出して、未亡人製造機と呼ばれた戦闘機なんだよ」
「どういうことなの?」
「事故が圧倒的に多かったんだよ。ほら、ここにも書いてある。1/3が墜落した」
「えーっ!!飛行士は練習中に亡くなったの?」
「練習中に決まっているじゃないか。西ドイツ軍が戦争をしたことはないんだから」
この戦闘機は27年間に渡って訓練に使われたが、その間、合計292機が墜落し、116名が命を落としたそうである。絶句。
墜落した飛行機からパラシュートで脱出し、運良く一命をとりとめた教官が墜落時の状況について描いた図。
「これはナイキミサイル。アメリカ製だけど、ドイツ軍も保有していた。核弾頭を搭載できるんだ」
「でも、ドイツは核を保有していないでしょう」
「ドイツ軍は核兵器は保有していないけど、アメリカの核兵器がドイツの基地に配備されているからね。もちろん、ドイツ軍に起動決定権はない」
博物館敷地内の格納庫内では軍事史の展示が見られる。格納庫の一つ、ハンガー7には第二次世界大戦後についての説明があって、そのそれぞれのエポックに使用された軍用機が陳列されている。
展示は非常に興味深かった。
戦後すぐは東ドイツも西ドイツも独自の軍隊を持たなかった。1955年の再軍備の際、西ドイツ国民からは激しい抵抗の声が上がった。
「ドルのためであろうと、ルーブルのためであろうと、我々は死ぬつもりはない!」
西ドイツ初期連邦大統領、コンラート・アデナウアーも使用した軍用ヘリコプター。
ドイツ連邦軍の兵士養成にあたる教官には第二次世界大戦で戦った軍人らが採用された(他に軍事経験のある人がいなかったから)が、かつての軍の伝統は戦後の新しい価値観にはそぐわず、多くの議論を引き起こしたようだ。新しい価値観を持つ若い兵士らと昔ながらの教官らとの摩擦の末、1971年、長髪やヒゲがOKになると、これではGerman Air Force (ドイツ空軍)ではなくてGerman Hair Forceだと揶揄された。また、西ドイツの連邦軍は東ドイツの国家人民軍と比べると「緩く」、金曜になると兵士らは「やったー。ウィークエンドだ〜」と一斉に自宅や恋人のところへ帰るのが当たり前だった。そんな東西の違いもある。
博物館の規模が大きく情報が膨大で、新しいことだらけで処理できないので、触りだけにしておこう。
まったく、自分は何も知らないなあ、と思った。軍用機の種類や技術に詳しくなる必要性は必ずしもないが、軍事とは何か、国は自らをどう守るべきなのかについては知っておくべきなんだろう。知らないものについては議論することもできないから。
世界最古の天文盤、ネブラ・ディスクの出土地を訪れる
ある秋の日曜、私と夫はザクセン・アンハルト州の小さな町、ネブラを訪れることにした。世界最古の天文盤とされる「ネブラ・ディスク(die Himmelsscheibe von Nebra)」が出土された場所を見るためだ。
(Flickr/Patrik Tschudin)
ネブラ・ディスク、それは1999年に発見された天文盤だ。紀元前1600年頃の青銅器時代の遺物とされ、現在はユネスコ記憶遺産に登録されている。青銅製の円板の上に太陽と三日月、そして32個の星を表す金のインレーが嵌め込まれている。
この天文盤はミッテルベルク・プラトーという丘陵地にあるネブラに埋まっていた。
ネブラに到着した私たちは駐車場に車を止め、ビジターセンターとおぼしき建物へ向かった。
ビジターセンター(Arche Nebra)
ビジターセンターに入り、「出土地はどこですか」と尋ねると、係員の女性は「ここから約3km、丘を上がったところですよ」と教えてくれた。
丘を3kmも登るのか、、、、。
窓から見える丘の向こうが出土地
「シャトルバスもあります。あと10分で出発しますが、先に出土地を見ますか?それともプラネタリウムを見ますか?」
なんだ、バスがあるんじゃないの。よかった。もうじき出発だと言うので、ビジターセンターを見るのは後回しにして、バスで出土地に行くことにした。間もなくやって来たのは、バスというよりもワゴン車。中年の女性とその息子と思われる小学生男子が乗っていた。
「帰りは好きなときに歩いて戻ってくださいね。下り坂だから、大丈夫ですよね?」
シャトルバスと言いながら、片道であった。
森の中を抜け、あっという間に到着した原っぱにそのスポットはあった。
この丸いフェンスで囲まれたところから天文盤が発掘された
ディスクが掘り出された中央部には現在、このようなステンレス製の円板が埋め込まれている。空を映すこの鏡は「天空の目(Himmelsauge)」と呼ばれるそうだ。
ネブラ・ディスクの発見ストーリーは謎めいている。この天文盤は考古学者らにより発掘されたのではなく、盗掘品であった。違法な取引きによって人の手から手へと渡った後、2002年、正式に保護された。青銅器時代、この地に住んでいたウーネチツェ人が天体を観察するために使っていたとされる。しかし、肝心の天文盤はここにはなく、近郊の都市、ハレの先史博物館にある。丘の下のビジターセンターではそのレプリカが見られるだけである。
すぐそばには見晴らし台が建っている。
見晴らし台からの眺め
そして、この見晴らし台は日時計でもあるのだ。
地面に引かれたラインはブロッケン山という高い山の方角を示していて、夏至にはちょうどこの方角に太陽が沈む。人里離れた静かなこの地で青銅器時代の人たちがディスクを見ながら天体の動きを観測していたのだなあと想像すると、なんともロマンチックである。
さて、出土地を確認した私たちは満足し、3kmの道のりを下った。シャトルバスの運転手さんが言うように、下り坂なのですぐに降りてしまった。ビジターセンターではネブラ・ディスクについての展示やプラネタリウムを見ることができる。(ちなみに、プラネタリウムでは結婚式も挙げられるそうだ)
駐車場前にはこんなレストランがあり、なかなか雰囲気良し。
アプフェルシュトルーデルというリンゴのパイを頼んだら、ネブラ・ディスク風の盛り付けになっていて、でも、雑で可笑しかった。
廃墟感満載なラウジッツの発電所ミュージアム、Erlebniskraftwerk Plessa
春の訪れとともに、出かけたい欲が急激に高まって来た。
冬の間も観光ができないことはないが、ドイツの冬は日が短く、すぐに真っ暗になってしまう。天気が良くない日が多い上に、観光できる時間が限られるとなると、遠出しにくい。特に、屋外や地方のマニアックな観光スポットは、観光客が少ない冬季にはサービスを休止しているところが多い。冬は旅行好きにはもどかしい季節だ。
3月の声を聞いたら、居ても立ってもいられなくなった。ようやくシーズン開幕だ。さて、週末にはどこへ行こう?
訪れたい場所リストの中から狙いをつけたのは、ブランデンブルク州南部とザクセン州東部にまたがる地域、ラウジッツである。褐炭の豊富なこの地域は、まだドイツが東西に分かれていた頃、旧東ドイツ(DDR)のエネルギー産業を支える重要な工業地帯だった。1990年のドイツ統一後、旧東ドイツの産業は急激に衰退し、多くの発電所や工場が閉鎖されたが、施設のいくつかは産業遺産に指定され、観光スポットになっている。特に、褐炭採掘場や関連施設を結ぶ「エネルギールート」は、ラウジッツ産業観光のハイライトであるらしい。よしっ、このスポットのどれかを見学に行こう!
しかし、やはり少々気が早かったのか、スポットの多くは4月にならないとオープンにならない。なかばがっかりしつつ、どこかないかと片っぱしからリンクを開いてチェックしていたところ、3月から訪問者を受け付けているスポットがようやく見つかった。Erlebniskraftwerk Plessa (プレサ発電所ミュージアム)である。ウェブサイトを見ると、個人ガイドツアー申し込み可とある。早速、オンラインで私と夫の二人分を申し込んだ。
翌日、ミュージアムから電話がかかって来た。
「ハロー。こちらはプレサ発電所ですが、ガイドツアーに申し込まれたのはあなたですか」
「はい、そうです」
「明日、ツアーをご希望とのことですが、他の週末にしてもらえませんかね?」
「エッ!?明日は無理なのですか?」
張り切っていたのに、いきなり出鼻をくじかれた。
「無理っていうか、冬の間、ミュージアム閉めてたもので、水が出ないんですよ。水道管のトラブルがあって、まだ修理してなくて」
「できれば明日伺いたかったんですよね。水が出ないと、ツアーに支障があるんでしょうか」
「トイレに行っても、流せないですよ」
「トイレ?問題はそれだけですか?」
「まあ、そうです」
「トイレなんて、いいですよ。どうにかしますから」
「そうですか?だったらいいけど。じゃあ、明日、お待ちしてますね」
「はい、よろしくお願いしますっ!」
よかった。無事、ツアーを実行することができそうだ。
翌朝、早起きして車に飛び乗った私と夫は、ブランデンブルク州を南下し、プレサへ向かった。
到着。大きくて全体を一枚に収めることができないが、煙突が2本ある赤レンガの建物である。
ツアー予約時刻の10分ほど前に着いたら、まだ門が閉まっていた。カメラを持って周囲をウロウロしていると、中年男性のグループが声をかけて来た。
「あなたもここで写真を撮るんですか?」
「私たちは見学ですよ。写真も何枚か撮るつもりですが」
「私たちは写真を撮る目的で来たんですよ、ベルリンから。ここ、凄いって聞いたからね」
ベルリンの一眼レフ愛好家のグループらしい。
まもなくミュージアムの人が自転車に乗ってやって来て、ツアーが始まった。
プレサ火力発電所は1927年に運転を開始し、ドイツ統一の2年後に閉鎖された。現在、ほぼ操業開始時のままのかたちで残っている発電所としては、欧州で最も古いものの一つだという。
褐炭を積んだワゴンがここに入るとワゴンの側面が開き、褐炭がレール左右の穴に落ちる。
褐炭を運び入れるのに使われた車輌
運転席
しかし、冬場には褐炭がワゴンの中で凍りつき、うまく落ちないことがよくあった。そんなときにはワゴンよりも高い位置に設置したStöckerbühneと呼ばれるプラットフォームから長い鉄棒でワゴンにくっついた褐炭をつついて落とす作業が必要だった。そこに展示してある棒は長く、恐ろしく重い。こんなものを誰が持って作業できるというのだろうと不思議に思ったが、兵士が動員されていたという。
穴に落ちた褐炭はいったんそこに溜めておき、そのうちの一定量がそのさらに一段下に落ちて燃焼炉に運ばれるのだが、ここでも側壁に引っかかってうまく落ちないことがある。引っかかった褐炭は壁の外側についた三角形の窓を開け、棒で落とす。この作業は女性労働者がやっていたそうだ。
そして、褐炭はこのようなコンベヤーで燃焼炉に運ばれた。
建物の中はどこもかしこも、すごい光景である。年代物の設備の多くがかなり良い状態で保存されている。ガイドツアーの内容も興味深いが、工場萌えフォトグラファーには堪らない場所に違いない。実際、ベルリンから来たフォトグラファー達は興奮して写真を撮りまくっていた。機関室の隅にはモダンなシステムキッチンが備えてあったので不思議に思い、なぜそんなものがあるのかとガイドさんに聞くと、ときどきこのミュージアムはパーティ会場として貸し出しするのだという。赤や紫の照明で照らせば最高にクールだろう。
一つ一つ説明を加えると記事が長くなりすぎるので、ここからは写真のみ。残念ながら私はこの手の写真が得意ではないので(他の写真も別に上手くはないが、、、)、マニアックさがうまく伝わらないかもしれない。
私はこのコントロールルームに痺れてしまった
東ドイツの産業史という観点からも非常に興味深いミュージアムである。DDR時代、この発電所は多くの地域住民を雇用していた。発電所での仕事の大部分は重労働である上に、建物内は熱気や粉塵が酷く、健康への影響も相当であっただろう。その代わり、賃金は比較的高く、年金の条件も良かったという。発電所の閉鎖により人々は職を失ったが、この建物がミュージアムとして一般公開されるようになり、現在はかつての被雇用者数の約1/3にあたる人数が働いている。
さて、発電所の見学を終えた私たちは、周辺を探索してみた。
発電所のすぐ隣はソーラーパークになっている。これも時代を感じさせる光景だ。褐炭による発電はエネルギー効率が低く、環境への負荷も非常に大きい。プレサ発電所のエネルギー効率はなんと、わずか18%。しかし、旧東ドイツ時代には褐炭という資源に頼らざるを得なかった。環境保護など二の次であったに違いない。
発電所から少し離れた場所には、発電所と褐炭採掘場の事務所と思われる建物があった。
そして、その先は森なのだが、森のでこぼこ道を車で走っていたら木々の向こうに湖が見えて来た。ふと湖面に目をやり、
な、なんだあれは!?
衝撃的な光景に慌てて車を止め、外に飛び出した。なんと、湖の水が真っ赤なのである。
まるで血のように赤い!!一体、なぜ?
「わかった、これは褐炭の色だ!」と夫が叫んだ。なるほど、、、。不思議な景色である。
この後、近郊の露天掘り場を見るつもりだったのだが、森の中で迷ってしまい、残念ながら見つけられなかった。その代わりにLauchhammerという場所にこんなものを発見!
これもこの地方の産業遺産の一つで、Biotürme(バイオタワー)と呼ばれるものらしい。ここにはDDRの重工業の礎となった巨大なコークス工場があった。工場が廃止され、設備が解体されたとき、この24のタワーのみが残された。なぜコークス工場なのにバイオタワーなのかというと、コークスを製造する際に出るフェノールを多く含んだ汚水をこのタワーの中でバクテリアを使って浄化していたから。それにしても、たいして何もなさそうな田舎にこんなものが突然そびえ立っているのだから凄い。
このように、ラウジッツ地方には面白い産業遺産がたくさんあるのだ。宮殿や教会のような、いわゆる美しい建物とは一線を画す観光スポットだが、DDRの産業について知ることができ、大変興味深い。