LüchowのStones Fan Museumは居心地が良かったが、あまり長居もしていられない。Lüchowまで来たからには、まだ他に見ておきたいものがあった。それは、この地方に特徴的なルンドリンクスドルフ(Rundlingsdorf)と呼ばれる集落である。

ドイツには約3万の村がある。集落の形態にはいくつか種類があって、最もよく見られるのはハウフェンドルフ(Haufendorf)というもの。民家やその他の建物が特に規則性なく集まって形成されている集落だ。一本の道路の両脇に建物がすずなりに並ぶ集落は、シュトラーセンドルフ(Straßendorf)と呼ぶ。私が住むブランデンブルク州ではシュトラーセンドルフをよく見かける。

ネットサーチをしていたら、Lüchow周辺はヴェンドラント地方と呼ばれ、この辺りにはRundlingsdorfという特徴的な形態の集落が多いことがわかった。Rundling(ルンドリンク)とは、輪のように丸く民家が立ち並ぶ集落だ。

 

こんな感じ。(Rundlingsmuseumの展示にあったものをカメラで撮影)

 

Lüchow周辺のルンドリンク群。青い家のマークの場所がルンドリンク集落だ。赤いラインはツアールートである。それぞれの村は数kmづつしか離れていないので、自転車でも回ることが可能。Lüchowを出た私は、まずは4km離れたLübeln村(2の番号の場所)へ行くことにした。この村にはルンドリンクミュージアムがあるという。

 

Lübelnのルンドリンク・ミュージアム(Rundlingsmuseum)。この建物はもちろん、ルンドリンクの建物の一つ。

 

この木のある場所を中心として、木組みの建物が輪のように並んでいるのだが、写真はうまく伝えられない。Lübelnのルンドリンクは現在、野外ミュージアムとなっていて、この地方の伝統的な農村の暮らしを知ることができる。

 

村の教会

 

ヴェンドラント地方には古くからスラブ系のヴェンド人が住みついていた。ルンドリンクという形態の集落がいつ、どのように発生したのかについてはっきりはわからないそうだが、遅くとも9世紀には存在という記録があり、スラブ民族の文化と深い関わりがあると考えられている。18世紀末にはヴェンドラント地方には約320の集落があったが、そのうちの2/3はルンドリンクだった。ヴェンド人は西スラブ語に属するポラーブ語を話していた。ポラーブ語は文語を持たなかったことから、18世紀に死滅した。

 

ポラーブ語(ヴェンド語とも呼ばれる)とドイツ語の対照表。ドイツ語とは似ても似つかない。

 

野外ミュージアムの敷地内。

 

工房

 

 

 

Lübelnだけでなく、他のルンドリンクもいくつか見ることにした。

 

 

 

壁の模様は様々。裕福な家ほど飾りが多かったらしい。

 

花のモチーフもこの地方の特徴。

 

いろいろな集落を見たが、特に気に入ったのはSateminという集落。

 

 

ルンドリンクの集落にはホテルやレストラン、ビアガーデンなどもいくつかある。私はSateminのこのカフェで休憩した。

 

ヴェンドラントの多くのルンドリンクがユネスコ文化遺産に登録申請している。

 

関連動画

 


今回で、まにあっくドイツ観光、北ドイツ編はおしまい。まだまだ見足りないが、また改めて北ドイツの面白い場所を探しに行きたい。

 

リューネブルクは塩博物館以外にも見所が多そうだったが、前日の晩、夫から電話があり、「いつ帰って来るの?」と言われてしまったので、サッサと次へ行かなければならない。リューネブルクを後にして向かったのは、Lüchowという小さな町だ。

 

なかなか綺麗な街並み。Lüchowはバウムクーヘンで有名な東ドイツの町、Salzwedelから16km北にある。Lüchowまではギリギリ、ニーダーザクセン州だ。Salzwedelのバウムクーヘンは日本人にも密かな人気で、観光にSalzwedelを訪れる人も結構いると聞いている。しかし、Lüchowまで足を延ばす人はおそらくほとんどいないだろう。ここに何があるのか、知られていないから。

しかし、私は発見してしまった。このニーダーザクセン州の外れの町にあるマニアックな観光スポットを。

 

Stones Fan Museum。そう、ここはローリング・ストーンズのファンのためのミュージアム。ネットサーフィン中に偶然発見した。でも、田舎町のストーンズミュージアムなんて、どうだろう?たいしたことないのでは?と思わないでもなかった。しかし、平均滞在時間1.5時間と書いてあったし、リューネブルクからそう遠くないので、とりあえずやって来た。

 

 

 

中に入ると、すぐにオーナーの男性が近寄って来た。「ハロー!あんたもストーンズファンかい?」

 

オーナーのUlrich Schröder氏(通称、Uli)。ここではウリさんと呼ぶことにする。

 

「あ、ええ、まあ」と曖昧に答えたが、実は私はストーンズファンではないのだ。ローリング・ストーンズは嫌いではないし、気に入りの曲もあるが、特にファンというわけではない。なぜならば、私はビートルズファン、いや、正確にいうと、往年のウィングスマニアなのである。(理由になってない?)ウリさんにはウィングスマニアであることは伏せておくことにしよう。

 

「ゆっくり見て行ってよ。何か知りたいことがあったら、遠慮なく聞いて」

 

ミュージアムの中はストーンズグッズでいっぱい。

 

ほ〜と思いながら見回していると、ウリさんがまた寄って来た。

「6年前にオープンしたの、このミュージアム。すごいでしょ。こんなの世界に二つとないよ」

世界に二つとしかないとはちょっと信じられないが、ドイツ国内で他に知らないのは事実。でも、なぜこの町に?

「オレ、この町の生まれでさあ。若い頃からずっとストーンズコレクションやってたんだよね。だから、Lüchowにこのミュージアムがあるのは偶然ね。まあ、市の協力なんかも得てね。でも、ローリング・ストーンズっていう名前はつけちゃいけないの。ほら、商標だからさ。それで、ストーンズファン・ミュージアムってことにしたよ」

 

「これがうちのステージ。ここで、ストーンズのコピーバンドが演奏するんだ」

 

 

ストーンズと関係あるか知らないが、いい感じ。

 

「このビリヤード台はね、ストーンズのコンサートで楽屋にあったものなんだよ。うちがミュージアムをオープンするっていうことで、お祝いに貰ったんだ。このストーンズ人形は◯◯っていうアーチストの作品で、、、これから色付けするんだけど」(アーチストの名前を聞いたけれど、忘れてしまった)

 

「こっちの小さいストーンズ人形はルール地方の主婦が趣味で作ってんの。似てるでしょ?」

 

「ビリヤード台はメンバー一人一人のサイン付きだよ」

 

「こないだはアルバート・ハモンドのライブやったばかり」

 

「喉乾いてない?なんでもあるよ」

 

ライブ動画が流れている。う〜ん、なんか居心地いいな、このミュージアム。平均滞在時間1.5時間って、わかるきがする。ここに座って何か飲みながらライブ見ていたいよね。

 

「あ、向こうのドア開いてるところ、トイレね。男子トイレだけど、よかったら見てって。写真撮っちゃっても全然、構わないよ」

 

どれどれ、、、。

おーっ。この後ろ姿、ウリさんだね。

 

 

こちらは女子トイレの壁。

 

 

こんなテーブル、欲しい人いるのでは?

 

「そうそう。ここを出てすぐのところにカフェもオープンしたんだ。よかったら寄って行って。メインストリートね。それから、Gartenstraßeの全長40メートルの壁にストーンズのグラフィティがあるよ」

 

ストーンズに詳しくないからグッズを見てもよくわからなかったが、雰囲気は悪くない。近所だったらちょくちょく遊びに来るかもしれないと思いながら、「ありがとう!じゃ!」と言ってミュージアムを出る。

 

ウリさんのカフェを覗いてみた。

 

カフェっていうか、、、。インビス(軽食堂)という感じ。グラフィティも見るつもりが、メインストリートに素敵なカフェを見つけてしまい、ケーキ食べたりしてるうちにすっかり忘れてしまった。(こちらのサイトに画像あり)

 

バウムクーヘンとストーンズ、両方好きな人はSalzwedelとLüchowをセットにして観光すると良さそうだ。

 

 

 

 

まにあっくドイツ観光旅行、北ドイツ編、ブレーマーハーフェンを堪能した後はリューネブルクへ移動した。「ドイツ塩博物館」を訪れるためだ。 さらに読む

ドイツ船舶博物館の中を見た後は、館外の博物館港に展示されている潜水艦、Wilhelm Bauerを見学することにした。この潜水艦は技術博物館として公開されており、内部を見ることができる。

 

 

 

潜水艦を前から見たところ

Wilhelm Bauerは第二次世界大戦末期の1945年に自沈したドイツ海軍のXXI型潜水艦(艦名U2540)である。それ以前の攻撃型潜水艦と比べて桁外れの速度で水中航行し、完全潜水状態での攻撃が可能な画期的技術で、当時、最も危険な兵器だった。幸い、実際に出撃することなく沈められ、戦後引き上げられた後、調査船として使われた。現在は博物館船として一般公開されている。

潜水艦の前先端に入り口があり、中に入ると船首の部分に潜水艦の仕組みなどに関する展示がある(潜水艦の内部構造)。展示の最初には、以下のような文面があった。

 

潜水艦Wilhelm Bauerは無害な技術遺産ではありません。この潜水艦は、古い技術への郷愁に浸るためではなく、技術の利用について冷静に考えるために展示しています。歴史と意識的に向き合い、事実を明確に提示することで批判的な検証が可能となります。

この潜水艦そのものが戦争で実際に使われたわけではないが、こうした攻撃型潜水艦は殺戮の道具であり、中に入って無邪気にはしゃぐような物ではない。

船首の先端部分は魚雷を格納するスペースとなっている。

一通り展示を読んだ後、中に入った。

船首から奥への入り口

艦長室

兵士の寝床

バッテリー

酸素ボンベ

ずっと奥まで入れる

ペリスコープ(潜望鏡)

 

技術の発展は素晴らしいことだが、技術系の博物館では技術開発のモチベーションが往々にして軍事であるという事実に向き合わされる。また、このような潜水艦に乗った兵士の心理などを想像して、なんとも重苦しい気分。でも、潜水艦が沈む仕組みなどは純粋に興味深いし、潜水艦の中を見る機会など滅多にないので、入ってみて良かった。

 

 

 

ブレーマーハーフェン観光の続き。

ブレーマーハーフェン滞在中は雨だったのだが、この町には面白い博物館がたくさんあり、それが海沿いに集中しているので、天気が悪くても問題なく観光を楽しむことができた。Klimahausの次には、すぐ側のドイツ船舶博物館を見学した。

ドイツには数多くの博物館があり、テーマの似通ったものも各地にあるが、「ドイツ◯◯博物館」と「ドイツ」が最初についているところは大体、見応えがある(と思う)。

 

 

名前の通り、ドイツにおける船舶交通の技術史を展示した博物館。この博物館はいわゆるForschungsmuseum(研究博物館)と呼ばれるタイプの博物館で、同時に研究機関でもある。研究の成果を同じ館内で一般公開するため、研究者は直接的に市民の啓蒙に携わることができ、市民の側も研究を間近で知ることができる。

この博物館も内容が非常に濃く、かなりマニアック!(でも、普通に楽しめる。子ども連れがたくさんいた)

展示分野は多岐に渡るが、この博物館の目玉はなんといっても、中世の難破船、Bremer Kogge(ブレーメン・コグ)だ。

 

巨大な展示物!この船は1962年、ブレーメン近郊で北海へ注ぐヴェーザー川沿いの港の拡張工事中、偶然に発見された。調査の結果、1380年頃に建造された帆走商船、Kogge(コグ船)であることがわかった。ブレーメンはハンザ同盟都市の一つであるが、中世における北海やバルト海の貿易にはこの船のようなコグ船が使われていたそうだ。

 

このコグ船の発掘は当時、ドイツ国内のみならず世界的なセンセーションを引き起こし、それがこの博物館の建設にも繋がったとのこと。しかし、600年もの長い間水中に沈んでいたこの大きな船を破壊しないように陸に引き上げ、保存するのは相当に大掛かりな作業で、一般公開されたのは2000年になってから。

 

以下はブレーメン・コグのデジタルモデル。

 

 

難破船と書いたが、実はこのコグ船は実際に後悔に使われたことはなかったとされている。造船後、何かの不具合により使用前にその場で沈んでしまい、そのままになっていたらしい。

 

当時のコグ船の発見者の未亡人が発見時の様子を語るインタビュー。

 

 

このコグ船のインパクトが凄いので、他の展示品がかすんでしまい、あまり他の写真を撮らなかったのだが、これがなかったとしても内容の濃い博物館だ。そして、博物館の建物の中だけでなく、屋外にも現存する世界最古の木造船「ソイテ・デールン号(Seute Deern)」やドイツ海軍の潜水艦などが展示され、博物館港となっている。潜水艦については次の記事に。

 

 

ブレーマーハーフェンでドイツ移民ミュージアムを見た後、今度はそのすぐそばにあるKlimahaus Bremerhaven 8° Ostを見ることにした。「気候」というテーマに特化したミュージアムだ。

 

 

ブレーマーハーフェンに来たら、嫌でも目に入る大きくモダンな建物。

ホール。

 

気候ミュージアムということで、気候について総合的な展示をしているのだろうと想像していたが、入ってみると思ったのとはちょっと違っていて、気候変動に大きなウェイトが置かれていた。

 

 

メインの展示は「Reise(旅行)」と題されている。地球を旅して回り、地球温暖化によって各地域の生活環境がどのように変わるのかを知るというコンセプトだ。この写真に写っているような白いカプセルが全部で9つあり、それぞれスイス、サルディニア、ニジェール、カメルーン、南極、サモア、アラスカ、ランゲネス島(ドイツ)そしてブレーマーハーフェンを表している。旅人として一つ一つのカプセルに入ると、その地域の気候を五感で体験することができ、そこに住む人が「気候変動で変わってしまった生活」について語りかけて来る。とても良く考えられた展示だ。

 

メインの展示の他には気候変動に関して研究者らが行っている研究について展示されている。また、地球の歴史を体験できるブースなどもなかなか面白かった。

 

World Future Labというインタラクティブコーナー。気候変動から地球環境を守るためにはどうすれば良いか。ゲームをしながら学ぶことができる。

 

個人的に面白かったのは洋上風力パークに関するコーナー。

ブレーマーハーフェンはドイツの洋上風力発電の重要な物流拠点であり、2019年にオフショアターミナル・ブレーマーハーフェン(OTB)の開港を予定している。KlimahausのOffshore Centerでは洋上風力パークの展望やファクトを知ることができる。

 

海底ケーブルの断面図。長さがありすぎて写真が撮れなかったが、ブレードのデザイン説明も面白かた。

 

へえ〜と思ったのは、海中に設置する洋上風車の基礎にはこのようにいろいろなタイプがあって、

 

このようなリング状のものもある。Floating foundation(浮体式基礎)と呼ぶそうだ。水深が深すぎて着底式のタービンが建設できない場所ではこのような基礎を使うらしい。

 

この他にも、天気予報士になり切れる「お天気スタジオ」など、子どもも楽しめる仕掛けがいろいろあり、家族連れで訪れるのに良いミュージアムである。

 

Klimahausからは「このままでは地球がまずいことになる。アクションを起こそう!」というメッセージが強く伝わって来た。ドイツのミュージアムというのは一般的に淡々とした展示が多く、Klimahausはドイツのミュージアムとしてはエモーショナルな部類に入ると思う。そういう意味ではちょっと珍しいなと感じたが、オルタナティブ・ファクトなどというものがまかり通る昨今の世界状況を考えれば、このくらい感情に訴えかけてちょうど良いのかもしれない。

自分も何かしなければならないなあという気持ちにさせられた。気候変動を気にしていないわけではないが、旅行好きで車や飛行機を頻繁に利用するので、後ろめたい気持ちが常にある。しかし、旅は自分の生き甲斐だから、「環境のために旅行しない」のはあまりに辛いのである。そこがいつもジレンマ、、、。

 

 

 

 

まにあっくドイツ観光旅行、北ドイツ編の続き。

 

ブレーメンで落下塔を見学し、少し他の観光も楽しんだ後、予定通り、今回の旅のメインの目的地であるブレーマーハフェンへ向かった。ブレーマーハーフェンへ行こうと思ったのは、そこにあるという移民ミュージアム(Deutsches Auswandererhaus Bremerhaven)がどうしても見たかったからである。移民とはいっても、Auswandererというのは、ドイツに入って来た移民のことではない。ドイツから国外へ出て行った人たちを指す。

 

私は移民とか移住というテーマに以前からとても興味がある。なぜかというと、私は北海道移民の子孫で、また、自分自身も地球の裏側へ移住することになったから。そして、ドイツ人夫の一族も移住と深い関係がある。彼らのルーツは現在のポーランドである。夫の4世代前に一族の半分がポーランドを離れ、東ドイツに移住した。残りの半分は米国に移住してアメリカ人となった。東ドイツ移住組のうちの一部は第二次世界大戦後、西へ逃れて西ドイツ市民となった。そしてその西ドイツ組のうち、一人はフィリピン人と結婚し、もう一人は日本人と結婚した(←私の夫)。そして、最近、また別の一人がポーランド人と結婚することになり、ポーランドに引っ越した。

米国移住組は今ではすっかりアメリカ人となり、ドイツ語をまともに話せる人はもう数名しかいないらしい。彼らは今でもドイツの親族にクリスマスカードを送って来る。そして、家系図を作成して、製本したものを一冊送って来た。米国では自分たちのルーツに興味を持って調べる人が結構いるらしく、家系図作りはポピュラーな趣味であるとのことだ。

そんなわけで私にとって移住は身近なテーマで、「人はなぜ移住するのか」「人は移住した先でどのようにアイデンティティを確立または維持するのか」などに興味がある。移民文学などを読むのも大好きだ。だから、是非ともこのミュージアムを訪れたかった。

 

 

結論から言ってしまうが、とても興味深く、とてもよくできたミュージアムである。今まで数多くのミュージアムを見て来たが、間違いなくこれまで見た中で特に気に入ったミュージアムの一つ。

入り口でチケットを買おうとしたら、係員に「あなたのルーツはどこです?」と聞かれた。普段、そのようなことを聞かれることが滅多にないので、一瞬、何のことかと思ったが、出身国を聞いているのだなと気づき、「日本ですよ」と答えた。彼は「私はパレスチナです。もうドイツ人になりましたけれどね」と言った。

 

展示室の造りは凝っている。まず足を踏み入れるのは19世紀後半の乗船待合室である。そして、待合室を出ると、そこは埠頭だ。

 

1830年から1974年までの間にブレーマーハーフェンの港から720万人ものヨーロピアンが旅立った。人々が乗船を待つ様子がほぼ実物大に再現されている。

 

このミュージアムには300年間に渡るドイツ人の海外移住関する情報が集積されている。ドイツ人の主な移住先は、米国、カナダ、アルゼンチン、ブラジル、オーストラリア。キャビネットの引き出しにはブレーマーハフェン港から旅立った人々の情報が一人づつ入っている。また、それぞれの家族のオーラルストーリーを聴くことができる。

 

ずらーっとキャビネットが並んでいる。膨大な情報量。

 

彼らはなぜドイツを後にし、新天地を目指したのか。もちろん、理由は時代ごとに異なる。初期の理由は主に、職と権利を求めてだった。1840年代に飢饉が度重なったことや産業革命で多くの手工業者が職を失ったことなどから、より良い生活を求めて海外移住者が増え続け、1854年には24万人近くのドイツ人がブレーマーハフェンから出港している。1848年には労働者が労働・生活条件の改善を要求し三月革命が起きたことからわかるように、当時は人々の社会的不満も非常に大きかった。

1929年の世界恐慌も大量のドイツ人を海外へ送り出すこととなった。ナチス時代にはユダヤ人を中心に多くの政治難民が生まれ、そして第二次世界大戦後は強制労働者や囚人など、「displaced persons」と呼ばれる人たちがドイツの地を離れた。また、アメリカ的なライフスタイルに憧れ、いわゆるアメリカンドリームの実現を目指して旅立った人たちもいる。

 

キャビネットの並ぶ部屋を出ると、再び埠頭に出た。通路は乗船タラップに続いている。タラップを上がりきってハッとした。そこは船の中なのである。

なるほど。まるで自分も乗船して旅立つかのような気分にさせる展示なのだ。

 

船室の一つ一つが展示室となっている。ブレーマーハーフェン港から移民を運んだ初期の船は「ブレーメン号」という帆船だったが、当時は米国に着くまで6〜12週間もかかり、船内は快適とはとても言えず不衛生で、多くの病人が出た。1877年に蒸気船が登場し、航海は8〜15日に短縮され、いくらか楽になる。

蒸気船「Lahn」の船内の様子。

 

さらに、1929年には旅客船「コロンブス」が航行を開始し、わずか5日でニューヨークへ行けるように。

 

さて、船を降りると(船内の展示を見終わると)、そこは、、、。

入国審査!

1875年までは米国への移住は比較的簡単だったが、当然のことながら入国者が増えるにつれて厳しくなる。コンパートメントに座っている人たちはヘッドフォンで説明を聴いているだけなのだが、まるで審査を待つ人たちのように見えて、なんだかドキドキしてしまう。

 

無事入国(?)した後は新世界のオフィスで米国移民の様々な統計などが見られる。非常に面白くて熱心に見入っていたので、写真を撮るのを忘れてしまった。

展示はニューヨークのGrand Central Terminalを模した部屋に出ることで終わる。そこには米国に辿り着いた人たちのその後が紹介されていた。最初から豊かな生活を享受できた人はもちろんほとんどいない。誰しも初めのうちは非常に苦労したことが見て取れる。

 

ああ、良くできた展示だったな〜と余韻に浸ろうとしたのだが、これで終わりではなかった。展示室を出た途端、目に飛び込んできたのはこんな文字列である。

 

「Wilkommen in Deutschland  ドイツへようこそ」

 

エッ? 今、ドイツを出て行ったのではなかったのか?と一瞬思い、次の瞬間にミュージアムの入り口で係員と交わした会話を思い出した。「あなたのルーツはどこ?」

そう、ドイツから多くの人が海外へ出て行っただけではない。ドイツへも多くの人が入って来たのだ。「移民」にはAuswanderer(流出者)とEinwanderer(流入者)の両方がいる。ここから先の展示は過去300年間にドイツへやって来た人々の歴史。つまり、もう一つの移民物語が始まるのである。

「ドイツはこれまで多くの移民を受け入れて来た。彼らなしに今のドイツはない」というような文面が展示の最初に書かれている。これにはドイツへ移住した者の一人として、ちょっとじ〜んと来てしまった。さらに、ドイツの憲法にあたるGrundgesetz(ドイツ基本法)の第3条3項が。

Niemand darf wegen seines Geschlechtes, seiner Abstammung, seiner Rasse, seiner Sprache, seiner Heimat und Herkunft, seines Glaubens, seiner religiösen oder politischen Anschauungen benachteiligt oder bevorzugt werden. Niemand darf wegen seiner Behinderung benachteiligt werden.  (何人も、その性別、血統、人種、言語、故郷及び門地、信仰、宗教的ないし政治的見解を理由として、不利益を受け、または優遇されてはならない。)

 

さて、ここからはドイツにガストアルバイターと呼ばれる外国人労働者が多く流入した1970年代を彷彿させる空間が演出されている。そしてここでも、ドイツ移民の展示と同じように、ドイツにやって来たさまざまなルーツを持つ移民のライフストーリーを見ることができる。ドイツにおける移民の歴史は古くはスペインでの迫害から逃れてユダヤ人がドイツへやって来たことに遡る。その後はユグノー教徒の受け入れ、近隣諸国からのガストアルバイターの受け入れ、そして定住したガストアルバイターの親族の流入や様々な紛争地からの難民受け入れなど、非常に多様だ。

 

「外国人局」を模した展示室のファイルキャビネット。日本人を含めた外国人にとって外国人局に行くというのは楽しいことではない。なにしろ、滞在許可がかかっているのだ。ここでもまたドキドキしてしまった。

 

ドイツ国籍を取得すると貰える証書。

 

移民に関する様々な統計の他、ムスリム女性のスカーフ着用や二重国籍など移民にまつわる社会議論に関する情報が展示されている。ドイツは基本的には二重国籍を認めていないが、例外もあり、事実上の二重国籍状態になっている人の数は現在200〜450万人と推定されているそうだ

 

このミュージアムでは、移民を交えたディスカッションなどの催しを行っており、移民に関するアンケートに答えるコーナーや報道番組を制作するスタジオもある。さらには、海外へ移住したドイツ人先祖について情報を検索できるデータバンクが公開されている。大変内容が充実していて素晴らしい。

 

このミュージアムを見学して思ったことは、「人は移動する」ということだ。生まれ育った国を離れる人はマジョリティではないが、そこの暮らしにどうしても希望が持てなければ、人は他に生活の場所を見つけようとする。そして、自らの意思で移住した人は、「移住して良かった」と思えるように努力するものだ。移民問題はもともとその社会のメンバーである人たち、つまり受け入れる側の視点から議論されることが多いが、生まれ育った国にずっと住んでいる人達も、ずっとそこにいることは当たり前のことではない。彼らも社会状況によっては移住しなければならなくなるかもしれない。つまり、今まで移住しなければならない理由がなかったというだけのことで、誰でも移民になり得るということ。

 

いろんなことを考えさせられた。行って良かったと強く思えるミュージアムである。

 

 

 

 

5月の「まにあっくドイツ観光 テューリンゲン編」に続き、今度は同じく3泊4日で「まにあっくドイツ観光 北ドイツ編」を実行することにした。今回も一人旅である。最近、「どこへでも運転して行ける自分」になろうとトレーニング中なのだ。幸い、夫が運転を厭わないタイプなので、これまで国内外の様々な場所へ連れて行って貰ったが、これだけ旅好きを自称する自分が人を頼らないと行きたい場所に行けないという状態はどうなのだ?と思ったからである。

さて、今回はこれまでほとんど訪れたことのない北西ドイツに的を絞った。というのは、ブレーマーハフェンに是非とも見たいものがあったのだ。しかし、我が家からブレーマーハフェンまでは400kmも離れている。長距離ドライブに慣れていない自分にはけっこうな距離である。どこか途中に立ち寄れる面白い場所はないものかと検索したところ、ブレーマーハーフェンの手前に位置するブレーメンに大変マニアックなものがあることが判明。

 

それは、ブレーメン大学応用宇宙技術・微小重力センター(ZARM)の微小重力実験設備、Fallturm(落下塔)

欧州唯一の落下塔であり、2ヶ月に一度、一般の人も見学が可能だという情報を見つけたのだ。そして、直近の見学日がなんとブレーマーハーフェンへ行く日の前日。これは絶対行くしかない!早速、問い合わせのメールを送る。直前の申し込みなのでもう定員一杯かもしれないとドキドキしたが、すぐに返信があり、見学できるとのこと。大変ラッキーだ。

見学は17:30からということだったので、昼頃に家を出発した。

 

 

往路は土砂降りだった。しかも、アウトバーンのあちこちが工事中で思ったよりもずっと長くかかり、ヘトヘトに。一体何故こんな思いをしてまで落下塔などというものを見に行こうとしているのかと思わないでもなかったが、ようやく現地に辿り着いたと思ったら、突然、雲が切れ始め、あっという間に青空が広がった。そして目の前には、、、、。

 

 

これが落下塔、Fallturmだ!見た瞬間に疲れが吹っ飛んでしまった。この白い塔は地元の人々にはBremer Spagel(ブレーメンの白アスパラ)の愛称で呼ばれているそうだ。

 

見学時間はたっぷり75分間。研究者の女性が案内してくれた。まず、塔を見る前に会議室に通され、そこでまず無重力状態についての説明を受ける。わかりやすく説明してくれるので、物理の専門知識がなくても大丈夫。いくつか簡単な実験をしながら無重力状態とはどういうことかについて学んだのち、落下塔の仕組みを説明してもらった。

ZARMの落下塔は1990年に建設された。高さは146m(実際の落下距離は110m)で、空気を抜いて真空にした塔内で落下カプセルを自由落下させると、地面に到達するまでの4.74秒間、カプセル内は微小重力状態(ほぼ無重力)となる。落下カプセルの中に実験物を入れて塔内を落下させることで、様々な無重力実験を行うことができる。さらにZARMは2004年、この落下塔にカタパルト装置を取り付け、カプセルを塔の下から一旦てっぺんまで打ち上げてまた落とすことにより微小重力状態を往復9秒間にまで延長した。

この落下塔を利用して国内外の研究チームが様々な分野の基礎研究を行っている。1日に最大3回の実験が可能で、年間の実験数は400〜450件。先にも述べたように欧州では唯一の施設のため、向こう1年間はすでに予約で一杯だとのこと。

 

一通りの説明の後、塔の内部を見せてもらう。

塔を囲むスペースに置かれた落下カプセル。大きい方は2mほど。この中に実験物を入れる。物理学だけでなく、化学や生物学などいろいろな分野の実験が無重力下で行われるのだ。

 

落下塔の下部。

 

これから中に入るところ。

 

円柱状のカタパルト装置でカプセルを上に開いた穴を通して塔の上まで飛ばす。

 

このワイヤーにぶら下がった状態でカプセルが落ちてくる。

 

この円盤部分に落下カプセルを取り付ける(今は取り外した状態)。落ちてきたカプセルが地面に到達したときに衝撃で破損して実験物がダメージを受けるのを回避するため、カプセル下部にはこちらのリンクの写真でわかるように円錐状のキャップを取り付ける。着地時に、床に置かれた発泡スチロールビーズの入った容器にキャップ先端が突っ込む仕組み。着地とともにビーズが飛び散ってカプセルを破損から守る。

 

床に散らばったビーズ。

 

ZARMが一般の人の落下塔見学を受け付けているのは、人々に基礎研究に対する興味を持ってもらい理解を得るためだけでなく、研究者の卵を育てる意図もある。この施設では政府の助成を受けた高校生の研究グループも独自の研究を行っているそうだ。

 

落下塔のてっぺんにはガラス張りのパノラマラウンジがあり、借り切ってパーティなどに使用できる。ブレーメンを見渡せるこの絶景ラウンジで、結婚式を挙げることもできる。

 

わずか8ユーロで滅多に見られないものを見れて嬉しかった。今後、無重力実験について耳にすることがあったら、この落下塔をすぐに思い出すだろう。