フランクフルトへ行って来た。15年ほど前まで近郊にしばらく住んでいたことがあり、私にとって馴染みのある町だ。大きな町で外国人も多い。しかし、フランクフルトはそれほど人気の高い観光地ではない。というのも、近代的な高層ビルの建ち並ぶフランクフルト中心部の街並みはあまりドイツらしくないのである。国際空港があるのでアクセスは便利だけれど、フランクフルトをじっくり観光する旅行者は少ないかもしれない。

私もフランクフルトは嫌いではないが、正直なところ、それほど魅力を感じていたわけではなかった。先日、風邪を引くまでは。

風邪で体がだるかったのでソファーでごろごろしながらネットでドキュメンタリー番組を見てやり過ごした。現在のドイツの国土が46億年の地球の歴史の中でどのように形成され、変化して来たかという内容の地質学史ドキュメンタリーで、とても面白かったのだ。

フランクフルトを例に取ると、現在フランクフルトのある場所は3億2000万年前は高い山の上だった。それが2億5000万年前には広大な砂漠の中心となり、 1億8000万年前には海の底に沈み、5000万年前には熱帯雨林が一帯に広がり、2万5000年前には氷河で覆われ、そして2000年前には深い森となった。現在はモダンな国際都市である。様々な環境を経て今の姿があるんだなあと感心してしまった。まあ、考えてみれば当たり前のことなのだけれど、摩天楼がシンボルのフランクフルトを恐竜が走り回っていたこともあったと想像すると、なんだか不思議な気がする。そういえば、フランクフルトのゼンケンベルク自然博物館(Senckenberg)には大きな恐竜の骨がたくさん展示されていたなあと思い出した。それで、久しぶりにまたゼンケンベルク自然博物館へ行きたくなったというわけである。

ゼンケンベルク博物館は地質、植物、動物、人類、古生物など自然史を広範囲に網羅する総合博物館で、ドイツに数多くある自然史博物館の中でも最大規模を誇る。有名な博物館で日本語の情報も多数あるから全体的な説明は省き、ここでは私が特に見たかった古生物学の展示を紹介することにしよう。

まずはゼンケンベルク自然博物館のハイライト、恐竜の間へ。ここの恐竜コレクションはドイツ国内最大だ。

通路には世界各地で見つかった恐竜の足跡が展示されている。これはイグアノドンの足跡。(ボリビア、白亜紀後期)

ブラキオザウルス(スイス、ジュラ紀後期)の足跡。

恐竜の間には、竜脚類(Sauropodomorpha)、獣脚類(Theropoda)、装盾亜目(Thyreophora)、鳥脚類(Ornithopoda)、角竜類(Marginocephalia)の5種に属する恐竜の骨が展示されている。

言わずと知れたティラノザウルス(獣脚類、米国)。

トリケラトプス(角竜類、米国)。

モンゴルで発見された恐竜の卵。他国で発見されたものばかり紹介してしまっているが、ドイツにも恐竜は存在した。ドイツの恐竜について知りたい方は、こちらをどうぞ。(ドイツ語)

恐竜だけでなく、他にも象目やクジラなどの大型生物の骨がたくさんで見応えがある。

象目の進化と移動に関する説明も面白かった。

ところで最近私は化石に興味があって、いろんな博物館で化石を眺めているのだが、ゼンケンベルク博物館の化石コレクションもとても面白い。

イチョウの化石。ヨーロッパ人は17世紀の終わりまでイチョウという植物の存在を知らなかった。日本を訪れた博物学者、Engelbert Kaempferが1691年に発表した書物「日本誌」に紹介されたのが初めてだそうだ。その後、日本からもたらされたイチョウはヨーロッパで非常に珍重され、文豪ゲーテに愛されたことでも有名だ。しかし、実はイチョウはドイツにも生息していたのだ、約2億5000万年前に。ヨーロッパではとうの昔に絶滅してしまったため、イチョウは「生きた化石」と呼ばれる。このように「ヨーロッパでは絶滅したが、アジアやアメリカ大陸では今も生息している」植物は他にも多くある。というのは、ドイツを含めたヨーロッパもかつては熱帯・亜熱帯の環境を経験したが、氷河期に暖かい環境を求めて南に移動しようとした植物の多くがアルプスやピレネーを超えられず、またヨーロッパとアフリカを隔てる海を渡ることができずに絶滅してしまった。だから、現在のヨーロッパの植生はアジアやアメリカなどに比べて種類に乏しい。しかし、ヨーロッパでは冷涼な現在の気候からはかけ離れた、暖かい環境に特有な生物の化石がたくさん見つかる。

そしてなんと、とここからがこの記事の本題なのだが、フランクフルト近郊には世界有数の化石の宝庫、メッセル採掘場(Grube Messel)がある。メッセル採掘場はフランクフルトから南に20km、ダルムシュタットの北8kmの場所に位置する火口湖で、湖の底にはオイルシェールが埋蔵する。かつてここではオイルシェールの採掘が行われていた。採掘事業が廃止された後、湖を産業廃棄物の処理場にする計画があったが、地質学的な重要性が高い場所であることを理由に反対運動が起こり、ゴミ捨て場計画は中止された。そして1995年、メッセル採掘場はドイツ初のユネスコ世界自然遺産に登録された。ゼンケンベルク自然博物館にはメッセル採掘場に関する展示室があり、発掘された多くの化石が展示されている。

メッセル採掘場で発掘された化石の数々。植物から昆虫、魚、両生類、爬虫類、哺乳類とあらゆる種類の生物がほぼ丸ごとの姿で発掘されていて、目を見張るばかりである。

ウマの祖先、プロパラオテリウム。

アリクイ。他にもワニやオポッサムなど、現在は南半球でしか見られない生き物の化石も数多く見つかっている。画像を数枚しか紹介できないのが残念。(本当にすごいので、是非、こちらを見てみてください。)

ドイツには化石の採れる場所がたくさんあるらしいとは気づいていたが、こんな素晴らしい場所があるとは今まで知らなかった。フランクフルト近郊に5年も住んでいたのに、、、。メッセル採掘場へ是非とも行きたくなった(情報はこちら)。

ますますドイツの地質学が面白く感じられて来た。6月には化石掘りワークショップに申し込んだので、とても楽しみ!

(2023.1.17追記) 

この記事を書いてから約4年半後、とうとうメッセル採掘場へ行って来た。

ビジターセンター

メッセル採掘場はグローバルジオパーク、ベルクシュトラーセ・オーデンヴァルトの真ん中に位置している。このあたりは現在、花崗岩質の緩やかな丘陵地帯だ。およそ4800万年前、火山の噴火によって、ここメッセルにマール湖と呼ばれる火山湖が形成された。長い年月の間にさまざまな生き物の死骸が湖の底に沈み、それが化石になったのである。メッセルではこれまでに始新世(約5,600万年前から約3,390万年前まで)の良好な化石が1万点以上も見つかっており、現在も年間3000点ほどがあらたに発掘されているという。

ちなみにマール湖の「マール」というのはドイツ語のMaarがそのまま地質学用語になったもので、ドイツにはマール湖がたくさんある。特にアイフェル地方はマール湖が豊富だ。まるでレンズのような美しい姿に魅せられてマール湖めぐりをしたことがある。そのときの記録はこちら

 

さて、ガイドツアーに参加して、採掘場の敷地を見学することにしよう。

Grube Messelと呼ばれるかつてのオイルシェールの採掘場

ついにやって来たメッセル採掘場。12月だったので寒々としていて、雪もちらちら降っていた。始新世にはこのあたりはサルが飛び交い、ワニが泳ぐ亜熱帯気候だったなんて、とても信じられない。ふと、コスタリカで見た火山湖の景色が頭に浮かぶ。

熱帯コスタリカの火山湖

メッセルもかつてはこんな景色だったのかな。

メッセルのオイルシェールの地層から発掘された化石のサンプルをいろいろ見せてもらう。

特に多いのは魚の化石

オイルシェールは脆く崩れやすいので、化石は樹脂で固めて保存する方法も取られるようになった。オイルシェールの地層がどのようにつくられ、そこでどのように化石が形成されていくのかについてはこの過去記事に書いたので、ここでは割愛しよう。

カメの甲羅化石

メッセルでは後尾中のカメの化石も見つかっている。メッセル採掘場で発掘された化石はメッセル化石・郷土博物館、フランクフルトのゼンケンベルク博物館やダルムシュタットのヘッセン州立博物館をはじめとする多くの博物館に分散所蔵されている。そのうち全部見て回れるといいなあ。

 

 

このところドタバタと忙しく、ちょっと時間が経ってしまったが、まにあっくドイツ観光ラインラント編の続き。

三日目はケルンから南西に35kmのツュルピッヒ(Zülpich)へ行った。目的はローマ浴場の遺跡と、そこに作られた入浴文化博物館(Museum der Badekultur)だ。

ツュルピッヒは古代にはTolbiacumと呼ばれる村で、複数の街道が交差する場所にあった。2世紀にここに浴場が建設され、拡張されながら4世紀の終わりまで存続したらしい。およそ400m平米の広さのこの遺跡は1929年に初めて発掘され、90年代に本格調査が行われた後、2008年ミュージアムとして公開された。

Römerthemen Zülpich – Museum der Badekultur

この辺りは 紀元85年から約500年間、ゲルマニア・インフェリオル(Germania inferior)と呼ばれる古代ローマの属州だった(地図の濃い色の部分)。州都は、コロニア・アグリッピネンシス 、現在のケルン。そこに下のモデルのような浴場施設が存在していたのだ。

古代ローマ人はギリシアから浴場建築を取り入れ、少しづつ改良しながら独自の入浴文化を作り上げていった。紀元前100年頃のギリシアの浴場にはすでに床暖房技術があったが、ローマ人がそれを完成させたそうである。

これがツュルピッヒのローマ浴場の実物。

小さな平たいレンガが積み上げてある。床下で床板を支えていたもので、これらのレンガの柱の間を温められた空気が移動していた。

床板の残っている部分。

浴室にはカルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷浴室)という3種類がある。カルダリウムには浴槽があった。お湯の温度は約40℃、室温は50℃、湿度は100%。テピダリウムには浴槽はなく、室温約25℃。ここでは温かい床の上で寛いだり、マッサージや垢すりなどの施術を受けた。フリギダリウムには熱い風呂に入った後に体を冷やす冷水プールがあった。

火を起こす場所

フリギダリウム

じゃーん!これが古代ローマの浴槽だ。

排水口


遺跡の一部はガラス張りで、上を歩くことができる。

浴場断面図モデル。ローマの浴場は午前11時頃に開き、男女別に利用時間が設定されていたそう。

ローマのお風呂4点セット。取って付き洗面器、油壺、リネンの手ぬぐい、それにstriglisというブロンズ製の垢すり道具(一番左)。こんな道具で一体どうやって体を擦るのかと思ったら、、、。

こうやるんだって。うーん、使いやすかったのかなあ?

トイレ。立派なことに水洗。流すのにはお風呂の残り湯を使っていたそうだ。

排水路

遺跡だけでもかなり見応えがあるけれど、この博物館は結構大きくて、ここから先は中世から現代までの入浴文化についての展示が続く。これがかなり面白く、全てをメモすることはできないので、帰りにミュージアムショップで入浴文化史の本を買ってしまった。内容を紹介したいところだけれど、あまりに長くなってしまうので、また改めて別の記事にしたいと思う。

でも、せめて面白い浴槽を二つ紹介しよう。

70年代の蓋つきの浴槽。家具っぽい。

Schaukelbad(ゆりかご風呂?)

さて、ここまでは常設展示の内容で、特別展示室では「東西ドイツの風呂文化」というのをやっていた。

東西ドイツを隔てる壁に見立てた仕切りが中央に

この展示も面白かった〜。

東ドイツのタンポン

旧東ドイツの典型的な浴室風景

この特別展示では、Freikörperkultur(自由な肉体の文化、FKK)と呼ばれるドイツの裸文化に関する東西ドイツの違いに重点が置かれていて、それが興味深かった。FKKというのは、ドイツに住んでいる人なら恐らく誰でも聞いたことがあり、また目にしたこともあるであろうヌーディズムのこと。ドイツではサウナは基本的に混浴で水着の着用は禁止。タオルも体に巻かずに下に敷くのが原則だ。異性の目を気にせず全裸になる人たちが少なくなく、海岸や湖にはFKKビーチと呼ばれるヌーディスト専用のビーチもある。こうしたドイツのヌーディズムは元々は19世紀のドイツ帝国時代に始まった。当時の衣服は現在の普段着よりも手の込んだ作りだったため、窮屈で煩わしく感じていた人たちも多かったらしい。なんとなくわからないでもないけれど、やはり当時は白い目で見られるような行為であったようだ。その後のワイマール共和国時代には自由で健康的なライフスタイルを求めヌーディズムに憧れる人々が現れた。これは性的で後ろめたさを伴う裸体とは別のものである!という意識からFreikörperkulturという言葉がこの頃、生まれたそうだ。

ナチスの時代にはアーリア民族を他民族と区別し、優位性を強調するためにFKKが利用されたが、第二次世界大戦後、再定義されることになる。旧西ドイツでは1949年に「ドイツFKK連盟」が結成された。しかし、アデナウアー時代には「公衆の面前でパンツを脱ぐのは不可」と禁じられた。旧西ドイツではFKKは一般的に批判の対象であり、一部の人々が実践するにすぎなかったが、60年代後半のヒッピームーブメントの流れの中で、抗議の象徴として裸体を晒す若者らが登場した。

一方、旧東ドイツでは事情が異なった。独裁政権下で自由を奪われ息苦しい生活を強いられていた国民は、衣服を脱ぎ捨て自然の姿に返ることに心の解放を求めた。東ドイツ政府もやはりFKK組織を禁じたが、組織化されない個人レベルのヌーディズムは取り締まることが難しく、それどころか政府高官らまでも裸になりたがったため、1953年に禁止が解除される。その後老若男女に広がって「東ドイツのFKK文化」が社会に定着することになった。

FKKは現在も根強い人気があり、良い季節になるとFKK用のビーチで裸で日光浴をする人たちの姿が見られる。そこでは性別も年齢も関係なく、自然と一体化する感覚を楽しんでいるようだ。(決していかがわしいものではないので、誤解のないようお願いします

そんなわけで、古代ローマの浴場遺跡を見学し、その上入浴の文化史も学べるツュルピッヒの入浴文化博物館は充実した博物館である。かなり気に入った。