ドイツ最北の州、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州は、北海とバルト海という二つの海に挟まれている。州の東側には穏やかな内海のバルト海、西側にはダイナミックな北海。二つの海はとても対照的で、両方を味わえるなんて贅沢な州だなあと思う。どちらにも魅力を感じるが、今回は北海側へ行った。
北海のオランダからデンマークにかけての沿岸には世界最大の連続する干潟、ワッデン海(Wattenmeer)が広がっている。そのうち、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州北部の沿岸海域は、地形が複雑だ。大小の島々があり、成り立ちによってバリアー諸島(Barrierinseln)、ゲースト島(Geestinseln)、ハリゲン(Halligen)など、いくつかのタイプに分類される。その中でハリゲンと呼ばれる島々に特に興味があった。ハリゲンとは、海抜が極めて低く、限りなく真っ平で、強い高潮が来るとほぼ水没してしまう小さな島々だ。堤防らしい堤防はなく、人々は「ヴァルフト(Warft)」と呼ばれる盛土をした小高いエリアに住んでいる。
北フリースラント・ワッデン海にはそんなハリゲンが10島存在する(ちなみに、ハリゲンというのは複数形で、一つ一つの島はハリヒまたはハリクと呼ばれる)。そのうち、もっともアクセスの良いハリヒ・ホーゲ(Hallig Hooge)へ行ってみることにした。オックホルム(Ockholm)という村のSchlüttsielという港から1日に1便、フェリーが出ている。

フェリーに乗り込んで出発!
干潟にはPrielと呼ばれる水の流れがあり、それに沿って航路が整備されている。港を出発したフェリーが航路を進み始めると、ユリカモメの群れがフェリーが立てるさざなみに沿って飛びながら、ついて来た。フェリーの動きによってできた波が海の浅い部分をかき乱し、彼らの餌となる小さな生き物を水面に浮き上がらせる、その瞬間を狙って捕まえているようだ。印象的な光景だった。
曇っていて船の上は寒かったけれど、手すりに寄りかかりながら海を眺めいたら、遠くの砂州の上にアザラシが1頭休んでいるのが見えて感激した。


ハイイロアザラシ(Kegelrobbe)の子どもかな?
北海にはたくさんの洋上ウィンドパークがあるだけあって風が強く、やっぱりどこか荒々しい雰囲気。南の島へボートで出かけるような優雅さはない。ハリヒへ行くんだ!と気持ちが高揚していたから楽しく感じたけれど、そうでなければどちらかというと苦行かもしれない。
出発から1時間ほど経って、右手に最大のハリヒであるランゲネス(Langeneß)、その左に目指すホーゲ(Hooge)が見えて来た。

ヴァルフトが点在する長細いハリヒ、ランゲネス。ヴァルフト以外は見事に真っ平。
ああ、あれがハリゲンなんだ。冷たい海に囲まれ、潮が満ちるたびに地面が消え、盛土をしなければ人が生活することのできない島。これまでに世界各地で見た島のどれとも似ていない、この特殊な島々は、どのようにしてできたのだろうか。
シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の西の海岸はかつては今よりももっとずっと西にあった。つまり、現在、ハリゲンが点在するエリアは、もともとは陸地だった。およそ1万年前、氷期が終わり、海面が上昇すると、沿岸地域は海に沈み、干潟となった。このとき、陸地のうちわずかに高かった場所は島となって残ったが、潮の満ち引きや高潮で何世紀にもわたって土地が削り取られ、別の場所に運ばれて堆積した。海の中で堆積物が少しづつ高さを増し、形成されていったのがハリゲンだ。水のダイナミズムによって生まれたハリゲンは、形成後も潮流によって分断されたり嵐で崩れたりし、頻繁に地形が変化した。かつて、ワッデン海には100以上のハリゲンが存在していたとされるが、そのほとんどは失われ、一部は本土に接続されて、現在残っているのは10島のみだ。

ようやく、ホーゲが間近に見えて来た。島の周囲には石の護岸があるだけで、堤防は見えない。陸の高さは平均満潮水位より約1メートル高いだけ。強い高潮が来ると、建物の立っているヴァルフト以外は水没して見えなくなる。その現象はラントウンター(Landunter)と呼ばれる。

ホーゲの港に到着。
どんよりしていた空が、うっすらと晴れてきた。ハリゲンの中で2番目に大きいホーゲの面積は約 5.78 km²。日帰りの場合、島に滞在できるのは4時間ほどなので、自転車を借りることにした。(馬車によるツアーもある)

道路はよく整備されていて、ヴァルフトからヴァルフトへサイクリングするのは気持ちが良い。でも、7月半ばで「寒くも暑くもない」という感じだから、真夏以外はけっこう寒いんじゃないかな。

島のウェブサイトによると、ホーゲの現在の人口は106人。ヴァルフトが11箇所あり(そのうちの1箇所は無人)、家や家畜小屋などはすべてその上に作られている。高潮が来ると、ラントウンター状態になる前に、住民だけでなく家畜もみなヴァルフトへ避難しなければならない。
ホーゲのヴァルフトのうち一番大きいハンスヴァルフトには「Sturmflutkino(高潮映画館)」という小さな映画館があり、住民が撮影したショートフィルムを見せてくれる。ラントウンターとはどういう状態なのかを映像で体験できる。ドラマチックな演出ではなく、島民の日常生活を淡々と撮影しましたという感じなのだが、けっこう怖いと感じた。平時に村の中心部にある子どもの遊び場で子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿が映し出される。高潮がやって来ると、海水が島を覆い、遊び場は遊具もろとも消えてしまう。水が引くまでは、子どもたちが遊び場で遊ぶことはできないのはもちろんのこと、ヴァルフトからヴァルフトへの移動もできない。水に囲まれた半径わずか数十メートルの空間に閉じ込められてしまうのだ。ハリゲンでは一年に数回、ラントウンターが起きるそうで、住民の人たちは慣れっこになっているだろうけれど、自分が実際に体験したら不安になるだろうなあ。
ヴァルフトは5〜7メートルの盛土がされているだけで、コンクリートの高壁で囲まれているわけではない。どの程度の嵐まで耐えられるのだろう?実際、ヴァルフトごと流されたり、盛土が崩れて家屋が崩壊するなどの惨事が、ハリゲンの歴史において繰り返し起こっている。1825年に起きた「ハリゲン洪水」と呼ばれる史上最悪の災害時には、現存するハリゲン以外のハリゲンが水没し、消失してしまった。このとき、ホーゲでは家屋230棟が崩壊し、74名が亡くなっている。ハリゲンは常に自然の脅威にさらされ、変化し続けているのだ。技術の進歩した現代では大きな被害は食い止められているが、ドイツの北海沿岸では、気候変動の影響で過去100年間で約20〜25cmの海面上昇が記録されており、近年、ますます加速傾向にある。ハリゲンを襲う高潮の頻度や強度も高まる可能性がある。
ではなぜ、住民を守るために、周囲をコンクリートの防波堤で固めるなどの強固な対策を取らないのだろうか?
そこには、大規模な人工物で自然を改変するのではなく、できる限り自然本来の性質を利用して被害を抑えようという考えがあるようだ。ワッデン海は世界でも類を見ない生態系と文化を保有する地域としてユネスコ世界遺産に登録されており、その中でハリゲンが位置するシュレスヴィヒ=ホルシュタインのワッデン海はユネスコ生物圏保護区にも指定されている。ハリゲンで繁殖する野鳥は推定およそ6万羽。貴重な生態系をなんとしてでも守っていかなければならないのだ。島の景観を守ることは、観光地としての価値を維持することでもあり、住民の暮らしを支えることにもなる。そうした考えから、沿岸の侵食された部分に砂を補充し、高潮の衝撃を和らげる緩衝地帯を作ったり、高床式の住居を導入するなどのソフトな災害対策が選択されている。

ハリゲンの陸地を覆う草原は、海から運ばれて来る細かい泥やシルト、砂などが堆積して形成される塩性湿地(Salzwiese)だ。熱帯雨林に匹敵する温室効果ガス吸収力を持つ。渡り鳥や昆虫、甲殻類など多様な生物の生息地としても極めて貴重だ。塩性湿地は世界中で失われつつある。ハリゲンの塩性湿地が維持されるためには、定期的にラントウンターが起きることが不可欠なのだと知った。島がたびたび水没するなんて、さぞかし不便で大変だろうと余所者の私は感じてしまったが、そうした自然現象と共に生きることこそがハリゲンに暮らすということなんだなあ。

塩性湿地にはたくさんのミヤコドリがいた。ピィーッというホイッスルのような鳴き声が賑やかだ。
ハリゲンを囲む広大な干潟も野鳥にとって貴重な餌場だけれど、気候変動で海面が上昇すれば、干潟は縮小し、野鳥は充分に餌を見つけることができなくなってしまう。気候変動は、ハリゲンに住む人たちにとってだけでなく、野鳥や干潟の生き物たちにとっても大きな脅威なのだと肌で感じることができた。

満潮時のハリヒ・ホーゲ。干潮時には周囲に干潟が現れる。

ヴァルフトがいかに小さなスペースかがわかる。
わずか数時間の滞在だったけれど、とても印象深い訪問となった。気候変動をリアルな脅威として感じる体験となった。今後、気候変動のキーワードを目にするたび、耳にするたびに、ハリヒ・ホーゲの風景を思い出すだろう。