ハルツ山地、ゴスラー郊外にあるランメルスベルク鉱山(Weltkulturerbe Rammelsberg)へ行って来た。ゴスラーといえば、木組みの家が並ぶ中世の街並みと魔女伝説が有名な観光地で、神聖ローマ帝国時代、皇帝の館「カイザープファルツ(Kaiserpfalz)」が置かれたことでも知られる。その美しいゴスラーの繁栄の基盤となったのがハルツ山地の豊かな鉱物資源。特に銀・鉛・銅・亜鉛を豊富に含むランメルスベルクの鉱床はゴスラーの発展に不可欠だった。ランメルス鉱山は1988年に閉鎖されたが、その後観光鉱山として整備され、大人気の観光サイトになっている。

ランメルスベルク鉱山の楽しみ方はガイドツアー+博物館。ガイドツアーはたくさんあって、どれも所要時間は最低1時間、博物館も複数の建物に分散されているので、日帰りで全てを回るのは無理。的を絞る必要がある。事前にウェブサイトで説明を読んだらどれも面白そうで悩んでしまったが、トロッコで鉱山に入るツアー(Mit der Grubenbahn vor Ort – AUf zum Schichtbeginn)と、鉱石の選別施設を見学するツアー(Vom Erzbrocken zum Konzentrat – Wie kommt das Kupfer aus dem Erz?!)の2つに参加することに。

ツアーの出発点はかつての脱衣所。作業を終えて坑道から戻って来た鉱夫らは、ここで作業着を脱ぎ、隣のシャワー室でシャワーを浴びた。濡れた作業着は次の作業時までに乾くように、チェーンロープを使って天井の高いところへ吊るしていた。

シャワー室

トロッコのツアーでは、写真の黄色いトロッコに乗り込んで坑道に入る。

地下50mの深さでトロッコを降り、坑道を歩いて奥へ進む。ワクワクする〜。このツアーでは1950年代〜1960年代の鉱石採掘作業について説明してもらった。

作業開始前に鉱夫が朝食を取った場所。壁に設置されたタンクには飲料水が入っていた。

発破作業跡。岩を砕くために岩に穴を開け、火薬を詰めて導火線で爆破する。導火線の長さを変えることで中心から外に向かって順番に爆発させていた。

ドリリングの機械

採掘した鉱石は縦穴エレベーターで地上に運ばれた。

このツアーも面白かったけど、2つめのツアーは私にはより面白かった!

地下から地上へ運ばれて来た鉱石は、近郊の精錬所に輸送される前に「選鉱」という前処理がなされる。鉱山から掘り出された鉱石(原鉱)は、たいてい 目的の金属鉱物と、それ以外の岩石がごちゃまぜになっているので、必要な部分を取り出さなければならない。写真の建物はその作業を行う場所で、山の斜面に階段上に建てられている。一番上から原鉱を投入し、下に向かって処理がなされていく仕組み。ツアーでは工場内部を工程の順に歩いて一連の作業を見学できるのだ。

金属鉱石の「選鉱」のステップはサッカーボールくらいの大きさの原鉱を何段階かに分けて砕いて粉にすることから始まる。

原鉱を載せたワゴンが縦穴エレベーターで最上階に運ばれて来る。

エレベーターから押し出されたワゴンはレールの上を走り、

ここから原鉱をザザーっとクラッシャーに投入し、小さく砕く。

拳大になって出て来た原鉱を取り出して、次の装置へ。

スチールの球が入ったタンブラーに入れて回し、粉々にする。

さあ、ここからが一番肝心!粉になった鉱石にはいろんなものが混じっているので、浮選(Flotation)と呼ばれる方法で必要なものを取り出す必要がある。

浮選装置。

ここが面白い。粉にした鉱石を泡立てた水に入れ、鉱物の種類ごとに異なる薬剤を入れて鉱物の周りに膜を作り、特定の鉱物だけが泡にくっついて浮くようにする。こうして分離された鉱物を回収する。

この浮選という選鉱技術、ランメルスベルク鉱山の歴史の中で超重要!というのも、中世から鉱石の採掘が行われて来たランメルスベルクだったけれど、19世紀末から鉱石の品位がだんだん低下して、微細な粒子が混じり合った複雑な鉱石ばかりになってきた。それまでの技術では採算が取れなくなり、1929年から始まる世界恐慌で非鉄金属の価格が下落したことも追い打ちをかけ、1932年には鉱山閉鎖の危機に追い込まれてしまった。それを救ったのが、この画期的な技術だったのだ。その背景にはナチ政権によるテコ入れがあった。多様な非鉄金属を一カ所で供給できるランメルスベルクは海外からの資源輸入が難しくなる戦時体制において国家戦略上の要地とみなされたのだ。斜面に選鉱施設(Aufbereitungsanlage)が建設されたのもその流れにおいてで、機能的かつ美的な建物は近代産業建築のパイオニア、フリッツ・シュップ とマルティン・クレマーが設計したもの。彼らはルール地方のツォルフェライン炭鉱(Zeche Zollverein)の施設も手掛けていて、どちらもユネスコ世界遺産に登録されている。

 

ランメルスベルクはガイドツアーだけでなく、博物館もとても充実している。

縞状鉄鋼

ランメルスベルクで確認されている鉱物およびその変種はおよそ100種類に及ぶ。どうしてそんなに鉱物資源が豊富なのだろう。ランメルスベルクの鉱床の起源は約3億7千万年前(デボン紀)に遡る。その頃、海底ではマグマで温められた熱水が割れ目から噴き出していた。熱水は金属イオンを多く含み、海水と混じり合って冷えることで金属イオンが沈殿し、海底の窪みに積もってレンズのようなかたちに広がった。それが後の造山運動で地中に押し込まれ、今の山の中に取り込まれたのがランメルスベルクの鉱床だ。博物館の鉱物ギャラリーにはグネグネした縞状の鉱石がたくさん展示されている。水平な層状に堆積した鉱石が造山運動の際に変形したってことなんだね。

ゴスラーにちなんで名付けられた鉱物、ゴスラライト。亜鉛鉱石が酸化していく過程で二次的にできる比較的珍しい鉱物で、乾燥した場所で鉱山の坑道に析出することがある。水分と触れると簡単に溶けてしまうから、屋外にはあまり残らないらしい。

 

見るものがあまりにもたくさんあって全然時間が足りない。ガイドツアー2本の後、特に興味がある鉱物に関する展示を見ていたら閉館時間になってしまった。今回見たものの他にも、坑道の水力技術や排水技術について知ることのできるRoeder-Stollenツアーもかなり見応えがあるという評判だし、鉱山業と関連する社会文化についても知りたいし、まだまだいろんな切り口で深掘りできそう。

帰りにゴスラーの町に寄って、カイザープファルツの外観だけ見て来た。神聖ローマ皇帝は、固定の首都を持たず、各地を巡回して統治していた。ランメルスベルク鉱山で採れる銀や鉛が皇帝の財政基盤を支えていたのだ。中を見学する時間は残念ながらなかった。ゴスラーの歴史的旧市街とランメルスベルク鉱山、カイザープファルツはまとめてユネスコ世界遺産に登録されているので、また改めて時間を取ってゆっくり見て歩きたい。

巨大産業建築って、理由はよくわからないけれど惹かれるものがあるよなあ。視界に入ってくると、「うわあ、なんだあれは?」とまず驚く。それが何なのかを知ると、なぜそれがそこにあるのか、いつできたのか、どういう仕組みのものなのか、と次々と疑問が湧いてくる。

ようやく春になって、出かけるのが楽しい季節だ。ザクセン=アンハルト州バート・デュレンベルク(Bad Dürrenberg)にあるGradierwerk(グラディアヴェルク)を見に行って来たグラディアヴェルクとは、塩水を蒸発させて塩を濃縮するための施設で、日本語では一般的に 「塩水濃縮施設」「塩水噴霧施設」 と訳されることが多いようだ。ドイツにはいくつかの歴史的なグラディアヴェルクが残っているが、その中でも バート・デュレンベルクのものは特に有名で、ドイツ最長の規模を誇る。

これがドイツ最長のグラディアヴェルクだ!

全長およそ 636メートル。もともとは5つのグラディアヴェルクが一続きになっていて全長1821mあったのが、一部は失われてしまった。それでも一枚の写真にはとうてい収まらない大きさ。1739年 – 1765年にかけて建設されたこのグラディアヴェルク、今でも町のランドマークだけれど、全盛期には圧倒的な存在感だっただろうなあ。

近づくと、確かに塩の匂いがする。

グラディアヴェルクを作った製塩は以下の手順で行われる。

  1. 天然の塩水(Sole)が地下からポンプでくみ上げられる。

  2. くみ上げた塩水をスモモの一種であるスピノサスモモ(Schlehdorn)の枝が組まれた壁に上から散布する。

  3. 塩水が枝を通る間に自然に蒸発し、塩の濃度が高まる。

  4. 塩水の霧が空気中に広がる。

  5. 塩分が濃縮された水を採取し、塩として加工する。

この巨大な壁を塩水が滴り降りて来る。

足場が組まれていて、壁伝いに歩くことができる。

 

枝を組んだ壁に付着しているのは、塩水に含まれていた石灰(カルシウム)、石膏(硫酸カルシウム)、鉄鉱物などの溶けにくい不要な成分。

これまでにシチリア島トラパニ、ドイツのリューネブルクやハレなど製塩業の発達した場所をいくつか見てきたが、同じ塩作りでもいろんな方法がある。シチリア島では海岸に作った塩田に海水を引き入れ、太陽の熱で塩水を濃縮する天日採塩の方法が取られていた。

 

これに対してドイツでは、塩水ではなく岩塩を使った製塩が行われる。現在のヨーロッパ大陸北部は約2億5000万年前には「ツェヒシュタイン海(Zechsteinmeer)」と呼ばれる広大な浅い海に覆われていた。乾燥した気候のもとで海の水が繰り返し蒸発し、濃縮された塩分が海底に塩化ナトリウム(NaCl)として析出し、岩塩ができた。そのプロセスは数百万年にわたって繰り返されたので、ドイツの地下には厚い岩塩層が堆積しているのだ。

ツェヒシュタイン海でできた岩塩の堆積範囲

岩塩層に地下水が浸透すると、岩から塩が地下水に溶け出して天然の塩水(Sole)ができる。これを汲み上げて濃縮することで塩が得られるのだ。

ドイツ国内にはドイツ塩街道という観光ルートがあるほど多くの製塩都市がある。でも、それらの場所すべてにグラディアヴェルクがあるわけではない。これまでに行ったことのあるリューネブルクでもハレでも、グラディアヴェルクは使われていなかった。これはなぜなんだろう?

それは岩塩層の深さに関係しているらしい。リューネブルクやハレでは、岩塩層は地下約250~300mと比較的浅いところにある。高濃度の塩水が得られるので、それを直接煮詰めて塩を取り出すことができる(煮沸製塩法、)。これに対し、バート・デュレンベルクの岩塩層はもっと深いところにあって地下水が浸透しにくく(この辺りのメカニズムは複雑でよく理解できないが)、塩水の濃度が低い。だから、組み上げた塩水をいったんグラディアヴェルクを通して濃縮してから煮詰める必要があるのだそう。

岩塩の塊

最初は塩の生産の目的のみに使われていたグラディアヴェルクだが、19世紀になると、塩水(Sole)の霧を吸い込むことで喘息・気管支炎・アレルギーなどの呼吸器系の疾患に効果があることが注目され、療養施設としても活用されるようになった。バート・デュレンベルクのグラディアヴェルクの横には療養のための公園「クアパーク」が広がっていて、現在も利用されている。グラディアヴェルクのそばを歩くだけで塩分を含んだミストを吸い込むことができ、健康に良いと人気らしい。

クアパークには塩をモチーフにした子どもの遊び場もある。

クアパークにあるクア施設。マッサージなどの施術が受けられるようだ。

泉の水をちょっと舐めてみたら、思った通りしょっぱかった。

クアパークの横を流れるザーレ川。バート・デュレンベルクとハレはどちらもサーレ川沿いの塩ルート(Salzhandel an der Saale)上にある。作られた塩は川を使って運ばれた。

旧塩務局(Altes Salzamt)。現在はホテルになっている。

塩水を汲み上げるための塔、Borlachturm。当時のザクセン選帝侯領の塩産業の発展を担った技術者で、バート・デュレンベルクの製塩業を近代化しJohann Gottfried Borlach(ヨハン・ゴットフリート・ボルラッハ)(1687-1768年)によって設計・建設された。
現在、中はミュージアムになっている。

私が行った日は定休日で閉まっていたけれど、クアパークの中にはカフェやレストラン、植物園、体験コーナーなどいろいろあって、お出かけにぴったりの場所だなと思った。

この記事の参考サイト:

Bad Dürrenberg市ウェブサイトのグラディアヴェルク関連ページ

Bad Dürrenberg LandesgartenshauWebサイト