アイヒシュテットの後に行ったのは、ゾルンホーフェンにある「ゾルンホーフェン博物館」。地元では、かつてゾルンホーフェン市長で化石収集家だったフリードリヒ・ミュラーにちなんでBürgermeister-Müller-Museumと呼ばれている。

世界に名だたるゾルンホーフェンだけど、博物館の外観は、田舎の公民館という感じ。でも、中に入ってみたら、大変な充実ぶりだった。
とても良いと思ったのは、展示の最初にジュラ紀のゾルンホーフェンエリアの環境についての解説があること。
いまから約1億5,300万〜1億5,000万年前、後期ジュラ紀の中央ヨーロッパは、ほとんどが海に沈んでいた。陸地として残っていたのは、いくつかの古い大陸地塊だけで、現在のチェコ西部にあたる「ボヘミア島」や、フランス中央高地などが島として存在した。そのあいだには、巨大な礁の壁(バリアリーフ)が広がり、北の浅い大陸棚の海と、南の深いテチス海を分けていた。礁のあいだにできた窪地には、炭酸塩が幾重にも堆積し、さらにごく浅い海域では小さなラグーンや島が点在していた。現在のゾルンホーフェン周辺は、多くのラグーンを持つ「ゾルンホーフェン群島」と呼ばれる環境を成していた。

ゾルンホーフェン博物館では、ゾルンホーフェン群島の異なる環境から発見された化石が、その環境ごとに分類され、展示されている。濃い青のセクションは外洋に開かれたテチス海、明るい青のセクションはサンゴ礁や炭酸塩台地、薄い水色はラグーン、緑色は島、そして黄色は空。

かつての環境ごとに色分けされた展示
いろいろな化石が展示されているが、圧倒的に魚が多い。


浅いラグーンに漂うぬるぬるした微生物の膜(バイオマット)に絡まって死んだジュラ紀の魚レプトレピデスの群れ。よく見ると、そのまま捕食者に食べられた、頭だけの個体も混じっている。
大きなクラゲの化石もいくつかあった。

海の底に残った波の跡も一緒に保存されたクラゲの化石
他にもいろんなのがあるんだけど、ここに来たら、見たいのはやっぱりアルケオプテリクスだよね。

ゾルンホーフェン標本(オリジナル)現在知られている中で最大のアーケオプテリクス標本。
2階には、”Die Welt in Stein”というリトグラフィー(石版印刷)に関する展示もある。ゾルンホーフェンで化石が大量に発見された背景には、18世紀末、リトグラフィーという印刷技術が生まれたことと密接に関わっているのだ。アロイス・ゼネフェルダーによって発明されたこの新しい印刷技術には、細かい粒子が均一に詰まった特別な石灰岩が必要だった。まさにゾルンホーフェンの石は理想的な素材で、たくさんの石を切り出す過程で化石が次々と見つかったのだ。つまり、リトグラフィーの発明なしには、今日、世界的に有名なゾルンホーフェンの化石群は日の目を見ることなく眠り続けていたかもしれないというわけである。
さて、博物館の展示を見た後は、ゾルンホーフェンにある採石場、Hobbysteinbruch Solnhofenへも行ってみた。

こちらの採石場はブルーメンベルクのよりも狭く、人もまばらだった。この日は運が悪かったようで、石を剥がしても剥がしてもいっこうに何も出ない。残念!

でも、捨てられた割れた石の山の中に、小さな足跡がついたものを見つけた。これはなかなか素敵。
ということで、今回のアルトミュール渓谷化石の旅はこれでおしまい。また来年あたり、来られるといいな。





























