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約3週間の北海道ジオパーク•ジオサイト巡り、ついに最終日。最後の目的地はむかわ町の穂別博物館に決めた。

数年前、北海道むかわ町で見つかっていた恐竜の化石が新属新種であることが判明したというニュースを目にし、興味が沸いた。そして、むかわ竜と名付けられたその恐竜の学名が「カムイサウルス・ジャポニクス」に決まったと知ったときには思わず興奮。カムイの地で生まれ育った者としてはスルーできない。いつかカムイサウルスを見てみたいなあと思っていたのだ。

むかわ町穂別は「古生物学の町」という感じで、町のあちこちに化石や古生物のオブジェが見られる。

交差点のアンモナイト化石

穂別博物館の向かいにあるお食事中のモササウルスのオブジェ

野外博物館のタイムトンネル

野外博物館のアンモナイトオブジェ

 

穂別博物内に入ろう。ロビーで出迎えてくれたのは、カムイサウルスではなく、ホベツアラキリュウのホッピーだ。

ホベツアラキリュウは中生代白亜紀に生きた水棲爬虫類のクビナガリュウ(プレシオサウルス)で、穂別地域でおよそ8000万〜9000万年前に生息していたとされる。   その頃の穂別は、陸から遠く離れた海だった。それにしても首が長い。歯が小さくて細く、硬いものを噛み砕けないので、魚やイカ、タコ、小さいアンモナイトなどを丸呑みして食べていたと展示で読んだけれど、こんな長い首をアンモナイトが丸ごと通過していったと想像すると、どうにも不思議だ。

ホベツアラキリュウの産状復元模型と現物化石

ホベツアラキリュウの名は、1975年に化石を最初に発見した荒木新太郎さんにちなんでいる。その後の発掘調査で頭部・頸部・尾以外を除く大部分の骨格が見つかり、ホッピーは全身骨格が復元された国産クビナガリュウ第二号、北海道では第一号となった。ホッピーは北海道天然記念物に指定され、この貴重な化石の保存や展示を目的に穂別博物館が建設されたのだ。

こちらは、モササウルス類の生態復元模型。モササウルスは後期白亜紀の海性のトカゲ。確かドイツのリューゲン島のチョーク博物館で全身骨格を見た記憶がある(けど、記録していない)。ゲッティンゲン大学博物館にも生態復元模型があった(過去記事)。

モササウルス・ホベツエンシスの化石

穂別博物は大型古生物の標本もすごいけど、アンモナイト標本も魅力的なものが多い。点数は三笠市立博物館ほどではないけれど(三笠市立博物館に関する過去記事 )、内部構造が見えるものがいくつも展示されている。

 

三笠ジオパークの野外博物館で中生代の大型二枚貝、イノセラムスの化石を見た(記事はこちら)が、穂別博物館にもいろいろな種類のイノセラムス化石が展示されている。イノセラムスは示準化石なので、地層から出てくるイノセラムスの種類でその地層の地質年代がわかる。(むかわ町ウェブサイトのイノセラムス関連ページ

いろいろなイノセラムスの標本。その左には、ゆるキャラの「いのせらたん」。

さてさて、いよいよ本命。カムイサウルス・ジャポニクスにご対面しよう。

じゃじゃーん。これが実物化石のレプリカから作成したカムイサウルス・ジャポニクスの全身復元骨格だ!全長は堂々の8メートル!だそうだけど、、、あれ?なんか短くない?それに、なんとなくバランスが良くないような。、、、と思ったら、この展示室には全身が入りきらないので、しっぽ部分を外してあるのだった。

カムイサウルスの大腿部の骨化石(本物)

カムイサウルスの化石は2003年、白亜紀のアンモナイトなどの化石がよく見つかる地域を散歩をしていた堀田良幸さんによって発見された。最初はクビナガリュウだろうと思われたが、2011年に恐竜であることが判明。最初に見つかったのが連結する13個の尾椎骨だったので、全身の骨格が埋まっている可能性が高いということで2013〜14年に大々的な発掘作業がおこなわれた。博物館に展示されている発掘作業の様子を写した写真パネルによると、化石が埋まっていた地層は傾斜がきつく、作業はかなり大変だったらしい。しかし、結果として全身のおよそ8割の化石が見つかり、センセーションを引き起こす。ほぼ全身が丸ごと化石になって保存されていたのには、実際に生活していた陸ではなく、海だった地層に埋まっていたことが幸いした。穂別のカムイサウルスは死んだ後、お腹が腐敗ガスで膨れた状態でプカプカ水に浮いて沖合まで流され、バラバラになることなくそのまま保存されたということである。

むかわ町穂別博物館はとても気に入ったので、ここで今回の北海道ジオ旅を締めることができてよかった。まあ、恐竜は地質学というより古生物学だけど、時間的尺度で考えれば広義の意味でジオに含めて構わないだろう。そして、今回の旅を通して、北海道は古生物学に関連する面白い場所も豊富だと気づいた。今回見られなかった場所はまた時をあらためて訪れたい。

ということで、北海道ジオパーク・ジオサイト巡り2023の記録はこれで終わり。欲張って盛り沢山すぎる計画を立てたので、見切れない部分もあったし、ヒグマ出没のせいでアクセスできない場所も多々あったけれど、毎日面白い景色を見て、いろんな石を見つけて、興味深い博物館を訪れて、とても充実した旅になったと思う。数年中にこの続きがしたい。

 

この記事の参考文献・ウェブサイト:

むかわ町恐竜ワールド ウェブサイト

 

 

今回のスポットは滝川市美術自然館。北海道に住んでいる弟が面白いよと勧めてくれたので行ってみた。

滝川市美術自然館はその名の通り、美術部門と自然部門からなる博物館だけれど、今回はあまり時間がなく、目当てが「タキカワカイギュウ」だったので、自然史部門のみを見た。タキカワカイギュウとは1980年に滝川市の空知川河床で発見されたカイギュウの化石だ。北海道で初めての発見で、のちの調査で新種であることがわかり、1984年に北海道天然記念物に指定されている。

滝川市美術自然館の建物

建物前の広場にはホタテ貝のようなオブジェがあり(タカハシホタテ?)、

その中に骨の模型がある。これは、タキカワカイギュウの化石発掘の状況をシンボライズしているのだろう。そこから伸びる水路の先にはカイギュウらしき生き物の像が設置されている。

館内に入る前から期待感を抱かせてくれる。それでは、自然部門の展示室へ入ってみよう。

おおっ?なかなか本格的。カイギュウだけではなく、ティラノサウルスを含むいろいろな古生物の骨格が置かれ、自然史及び地球史に関する総合的な展示がなされていている。滝川市がそれほど大きな町ではないことを考えれば、かなりの充実度でテンションが上がった。大都市の大きな博物館が充実しているのはまあ当たり前だと感じるけれど、地方に良い博物館を見つけると思わず感激してしまう。この自然部門はその2階の子ども博物館と合わせて、とても気に入った。こんな素敵な博物館が身近にある滝川市の子どもが羨ましい。

この博物館のが充実しているのには、やはり、ここ滝川市でタキカワカイギュウの化石が見つかったということが大きいだろう。タキカワカイギュウを特別にしているのは、そのほぼ全身の化石が揃って発掘されただけでなく、発掘作業から、調査研究、レプリカ作り、そして展示に至るまでの全行程が滝川市内でなされたということ、そしてそのプロセスに滝川市の市民が積極的に参加していることだ。展示を見ているとタキカワカイギュウは滝川市の誇りなのだなということが伝わって来て、滝川市民ではない自分までなんだか嬉しくなる。

タキカワカイギュウの全身骨格とその下に展示された化石。後ろには生体復元模型。

滝川市で見つかったカイギュウの化石だからタキカワカイギュウと呼ばれているが、学名はヒドロダマリス・スピッサ。500万年前に生息したヒドロダマリス属のカイギュウで、体長およそ7m 、重さはおよそ4トンと推定される。発見当初はクジラの化石だとみなされたそうだ。発掘にたずさわった市民の会が「滝川化石クジラ研究会」と命名されたのはそのため。なにしろ、北海道ではそれまで一度もカイギュウの化石は見つかっておらず、日本全国でも2例しかなかったのだから、無理もないことだろう。

カイギュウは海に棲む哺乳類のうち、唯一の草食の生き物で、海藻のよく育つ浅い海に暮らす。滝川は今は平野だが、500万年前にはクジラやイルカ、サメなどが暮らす海だった。

現存するカイギュウの仲間であるマナティーやジュゴンは暖かい海に棲んでいるが、タキカワカイギュウが暮らしていた500万年前の滝川の海の水は冷たかった。タキカワカイギュウは体を大きくして筋肉量を増やし、同時に体の表面積を小さくすることで寒さに適応した。ラグビーのボールのような体型なのはそのため。

また、滝川の海の海藻は柔らかかったので、歯が退化してしまったとのこと。

滝川市周辺では貝の化石も23種見つかっている。この標本を見て、あっと思った。というのは、この日の前の日に偶然、近郊の河原で貝化石を含むと思われる石を見たのだ。

やっぱりこれらは貝の化石だったようだ。こんなふうに、実際にフィールドで目にしたものと展示の説明が繋がると楽しい。

その他、滝川方式として知られるようになった独自の化石レプリカ作製メソッドに関する展示なども興味深かった。

 

この記事の参考文献:

前田寿嗣 『見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質

木村方一 『化石先生は夢を掘る 忠類ナウマンゾウからサッポロカイギュウまで

 

 

北海道ジオパーク・ジオサイト巡りの最初の目的地には三笠ジオパークを選んだ。三笠市は2019年1月に娘と一緒に一度訪れている。その際、日本一のアンモナイト博物館として知られる、三笠市立博物館を訪れた。三笠市では明治時代から現在に至るまでに500種以上のアンモナイトが発見されている。「三笠」の名のつく新種アンモナイトも7種ある。一般的な知名度はよくわからないが、アンモニア研究者やマニアの間では世界に知られる超重要な場所なのだ。

三笠市立博物館

館内には「三笠市立博物館」というシンプルな名前からは想像できない、白亜紀の海の世界が広がっている。直径およそ130cmの日本最大のアンモナイトをはじめ、およそ600点のアンモナイト標本や天然記念物エゾミカサリュウ化石などが展示されていて、圧倒的である。凄い博物館なのだが、この博物館についてはこちらの過去記事にすでに書いているので、今回は博物館の裏手に整備されている野外博物館についてまとめておこう。前回来たときは真冬だったので、野外のジオサイトは雪に埋もれていて見ることができなかったのだ。

三笠市はその全体がジオパークに認定されている。6つのエリアに分かれ、ジオサイトの数は全体で45箇所。総面積は300㎢を超えるので、1日で全部のエリアを見て回るのはとても無理そうだ。博物館の職員の方に聞いたら、露頭が見たいなら「野外博物館エリア」が特におすすめとのことだった。

三笠市立博物館外観

真冬に来たときには雪に埋もれていて気づけなかったのだけれど、博物館の前には大きな石標本が並んでいる。

およそ1億年前に生息していた三角貝の化石を含む礫岩

1億年前に波が水底の砂につけたリップルマーク

博物館の裏手に周り、橋を渡ると、幾春別川沿いにかつての森林鉄道跡を整備した散策路が南東に延びている。全部で15の見どころがあり、歩いて往復すると約1時間とのことだった。

野外博物館についてはジオパークのウェブサイトに詳しい説明があるので、ご興味のある方にはリンク先を見ていただくことにして、私にとって印象的だったことを書いておこう。

ジオパークというと、なにかもの凄い絶景が見られると想像する人がいるかもしれない。実際、そのようなジオパークも存在するけれど、三笠ジオパーク「野外博物館エリア」は一見、地味だ。パッと見ただけでは何がすごいのかよくわからない。しかし、各所にある説明を読みながらよくよく考えるとその成り立ちは不思議で興味深く、じわじわと好奇心が刺激される。

三笠ジオパークではその東側におよそ1億年前に海に堆積した地層が分布し、西へ移動するにつれて地層が新しくなっていく。1億年前、まだ北海道は存在せず、現在の三笠市の大地は海の底だった。約6600万年前に陸化し、約5000万年前には湿地となり、約4000万年前には再び海となる。人類が住むようになったのは約3000年前。明治元年(1868年)に石炭が発見されてからは、炭鉱の町として栄えた。

旧幾春別炭鉱立坑櫓。大正時代に完成し、立抗は地下215mの深さまで延びている。

「野外博物館エリア」の遊歩道の面白さはなんといっても、5000万年前の世界から1億年前の世界へと5000年分の時間をひとまたぎでワープできることである。

遊歩道を歩いていくと、「ひとまたぎ覆道」と呼ばれる半トンネルを境に、2つの異なる地層間を移動することになる。覆道の手前、つまり西側は5000万年前に堆積した幾春別層という地層で、覆道の向こう側、つまり東側は1億年前に堆積した三笠層だ。その間の地層は存在しない。

東側から見た覆道

どういうことかというと、約1億年前から約5000万年前の間に大地がいったん陸化したことによって、5000万年分の地層が侵食されて消えてしまったのだ。互いに接する地層が時間的に連続していないことを不整合と呼ぶが、この付近の地層は日高山脈の上昇期に押し曲げられてほぼ垂直になっている。そのため、不整合面が縦になっていて、またぐことができる。つまり、トンネルを抜けると、そこは一気に5000万年後というわけ。なんとも不思議な感覚である。

幾春別層の露頭

若い方の幾春別層は川の底に砂や泥が積もってできた地層で、泥岩層、砂岩層、石炭層から構成される。写真の露頭は植物が生い茂っていてわかりにくいが、表面がでこぼこである。説明によると、差別侵食といって、砂岩よりも柔らかい泥岩層や石炭層が削られて先になくなるためだそう。

石炭が露出している場所もある

ほぼ垂直の地層

垂直な地層に穴が開いている

この穴は「狸堀り」の跡。狸堀りというのは、地表に露出している石炭層などを追って地層を掘り進む採掘方法のことで、その際にできるトンネルがまるで狸の巣穴のようだから、そう呼ばれるそうだ。確かに入口に石炭が見えている。

 

三笠層の方は砂岩層や礫岩層で構成されている。幾春別層とはまったく異なる地層であることは一目瞭然だ。この地層にはアンモナイトをはじめ、白亜紀を生きた様々な生き物の化石が埋まっているのだ。

さらに進むと、巨大な貝の化石が埋まっているところがあった。約2億年前から約6600万年前まで世界中で繁栄した二枚貝、イノセラムスだ。

上記は全部で15ある見どころのうちのいくつかで、他の見どころも面白い。折り返し地点まで来たところで、ちょっと河原に降りてみた。

幾春別川

化石の入ったのジュールが落ちていないかなあとあたりを見回してみたけど、そんなに簡単に見つかるわけもないのだった。

 

ゲッティンゲン大学地学研究所博物館へ行って来た。ゲッティンゲン大学は正式名はゲオルク・アウグスト大学といい、天才数学者ガウスやグリム兄弟、マックス・プランクなど多数の著名人を輩出した伝統ある大学である。私の好きな博物学者で冒険家だったアレクサンダー・フォン・フンボルトもゲッティンゲン大学で地質学を学んだ。地学研究所の建物内に地学博物館があり、無料で一般開放されている。

地学研究室建物の1階フロア

ゲッティンゲン大学地質学研究所のコレクションの数は400万点を超え、ドイツ全国でも5本の指に入る規模だが、博物館の展示スペースはそれほど広くはなく、展示されているのはコレクションのごく一部だ。
化石展示室。

モササウルスのモデルとアンモナイト。

亀の甲羅の跡。

ニーダーザクセン州の白亜紀地層に見つかった海綿の化石。私はキノコみたいと思ったのだけれど、Sonnenuhr-Schwämme(日時計海綿)と書いてある。学名はCoeloptychium aganicoides。

「レーバッハの卵(Lebacher Eier)」と呼ばれるジオード。ザールラント地方のレーバッハに見られるロートリーゲント層に見られるもので、鉄鉱石を採掘した際に発見された。乾燥した大陸性気候下にあったペルム紀のレーバッハの動植物が化石となってジオードに閉じ込められている。レーバッハのジオードは卵型をしているのが特徴で、それでレーバッハの卵と呼ばれている。

こちらは第三紀の植物化石。月桂樹やカエデなど馴染みのある植物がほぼ完全な形で残っていてアート作品みたい。

他にもいろいろ面白いものがある。足跡の化石が特に見応えがある。

それぞれ何の生き物の足跡なのか、表記がなくてわからないのが残念。基本的には学生を対象にした展示なので、講師の説明を受けながら展示物を見ることが想定されているのだろう。一般の博物館のような丁寧な説明はされていない。後からネットで調べたところによると、ゲッティンゲン大学は古生物学者マックス・バラーシュテット(1857 – 1945)の足跡化石コレクションを所蔵している。バラーシュテットは200を超える恐竜足跡化石を発見し、足跡化石のスペシャリストとして知られていた。バラーシュテットは足跡の分析の結果、恐竜はそれまで考えられていたよりも動きが敏捷だったはずだと主張した。しかし、博物館における恐竜モデルの展示に彼の説が取り入れられるようになったのは、死後から十数年が経過した1960年代になってからだった。

ゲッティンゲン大学のこの地質研究所博物館には鉱物の展示室もある。また、建物の外が小さなジオパークになっていて屋外で岩石の観察もできる。無料なので満足度が高い。大学付属の博物館は大抵地味だけれど、空いていてじっくり見られるので好きだ。他にもケルン大学の地学博物館ベルリン医大の医学史博物館など面白いのがたくさんある。大学の近くに用があるときについでに立ち寄ると楽しいよ。

前回の記事に書いたように、ブラウンシュヴァイク自然史博物館ではスピノフォロサウルスやイチクロサウルスの化石などを見たが、スピノサウルス展を見るためダンクヴァルデローデ城へ移動した。

ダンクヴァルデローデ城の外観を撮り忘れてしまったが、こんな感じ

受付でチケットを見せると、「スピノサウルス展なら二階の騎士の間です」と言われ、階段を上がる。

わっ。なんか凄そうな広間!入り口に「スピノサウルス 〜 謎の巨大恐竜」と書かれた大きなパネルが置かれている。このスピノサウルス展はナショナルジオグラフィックとシカゴ大学による移動展覧会であるらしい。

「騎士の間」の内装は素晴らしく、それ自体が拝観に値するが、そこに大きなスクリーンが設置され、スピノサウルス発掘ドキュメンタリー動画が流れている。これから何が始まるんだろうという期待感が高まる空間演出だ。

中世の広間と恐竜は一見ミスマッチだが、ブラウンシュヴァイクでスピノサウルス展が開催されているのは偶然ではない。なぜなら、スピノサウルスを初めて学問的に描写したのはブランシュヴァイク出身の古生物学者、エルンスト・シュトローマー男爵だったからだ。1912年、シュトローマー男爵を含むドイツの化石発掘調査隊がエジプトで巨大な生き物の化石を掘り当てた。シュトローマーはこの生き物を「スピノサウルス(Spinosaurus aegyptiacus)=エジプトの棘のあるトカゲ」と命名した。

発掘された恐竜の骨とシュトローマー。

シュトローマーによるスピノサウルスの描写

化石の分析の末、シュトローマーはスピノサウルスはティラノサウルスをも超える巨大な肉食性恐竜だったと結論づけた。発掘した化石の全てをドイツに運ぶことはできなかったが、シュトローマーの持ち帰ったスピノサウルスの骨の一部はミュンヘンの博物館に保管された。しかし、第二次世界大戦におけるミュンヘン空爆で焼失してしまう。

シュトローマーにより再現されたスピノサウルスの棘

失われ、忘れ去られていたスピノサウルスだが、シュトローマーの発見から約100年経過した2013年、再びその化石が発見され、古生物学界にセンセーションが巻き起こった。新たな発見者はドイツ生まれのシカゴ大学古生物学研究者、ニザール・イブラヒム(Nizar Ibrahim)氏。イブラヒム氏のスピノサウルス発掘物語はまるで推理小説のようだ。2008年、博士論文の調査のために赴いたモロッコで同氏はベドウィンの商人からいくつかの「恐竜の骨」を見せられた。そのうちの一つがイブラヒム氏の関心を引く。巨大な棘のかけらのように見えるその化石には赤い特徴的なラインが入っていた。

そしてその数年後、イブラヒム氏はミラノの自然史博物館でモロッコで見たものとそっくりな恐竜の骨に遭遇する。その骨にもやはり赤いラインが入っていたのだ。「あのとき見た骨はこの骨と同一の恐竜のものでは!?」

こうしてイブラヒム氏のスピノサウルスを探す旅が始まった。勢い勇んで再びモロッコへ飛んだものの、あの時の商人の名前も住所もわからない。ほとんど手掛かりの無いまま数ヶ月間探し回ったが、なしのつぶてだった。しかし、諦めて往来の茶屋でミントティーをすすっていると、なんという偶然か、くだんの商人が通りかかったという。「あのときの骨はどこで見つけたんだ?場所を教えてくれ!」2013年、イブラヒム氏率いる発掘調査隊はモロッコへ向けて出発した。そしてベドウィンの男に教えられたケムケム層から、幻のスピノサウルスを含め、数々の恐竜化石が見つかったのである。

すごい話だなあ。このスリリングな冒険物語をワクワクしながら読み終わり、パーティションで仕切られた広間の反対側へ出た。すると、、、、。

うわあああ!凄い!!騎士の間の豪華絢爛な装飾との相乗効果で大迫力の光景。

これがスピノサウルスだ。シュトローマーの研究から100年を経て、イブラヒムの再発見によりスピノサウルスの全骨格標本復元が実現したんだね。

口はワニのように細長い。鼻の穴は小さく、口の先端からはかなり距離がある。スピノサウルスは水棲で、水中の獲物を捕らえる際に息がしやすいように頭部がこのような形に進化したと考えられるそうだ。魚のようなヌルヌルした獲物をしっかりと掴めるよう、指は長く、鋭い爪が付いている。後ろ足の短さも水棲生物の特徴だという。

この長い尻尾と大スクリーンのサハラ砂漠!ただただ圧倒されるのみ。

スピノサウルスの他にもカルカロドントサウルスや、

デルタドロメウス、

アランカ・サハリカなどが展示されている。

これは相当に面白い展覧会。とにかくロケーションが素晴らしい。9月9日までなので、見たい方はお早目に。

イブラヒム氏のTED動画

こちらの記事に書いたように、突然、私の心の中に「恐竜」が侵入して来た。恐竜の世界はいかにも奥が深そうで、ハマると大変なことになりそうだという懸念もあるが、少しくらい知っておいて損はないだろう。しかし、恐竜はいかんせん種類が多くてどこから手をつけていいかわからない。とりあえず身近な自然博物館にいる恐竜から見ていくことにしよう。

ということで、ベルリン自然博物館(Museum für Naturkunde Berlin)へGo!

ベルリン自然博物館(別名、フンボルト博物館)はドイツに数多くある自然博物館の中でも特にメジャーなので説明するまでもないかもしれないが、館内中央に有名な「恐竜の間」がある。

廊下から見た恐竜の間。どどーんと頭が廊下にはみ出しているのは、アロサウルス(Allosaurus fragilis)。ベルリン自然史博物館に展示されている数々の恐竜の骨は、ヴェルナー・ヤネンシュ率いるドイツの地質学・古生物学研究者チームが1903年から1913年にかけ、タンザニアのテンダグル化石産地のジュラ紀後期の地層から発掘したものである。この探検では合計250トンもの恐竜の骨が見つかっており、史上最も成功した恐竜発掘とされる。

アロサウルスは平均体重約2トン、前長8.55mの大型肉食竜脚類。ジュラ紀後期最大の捕食者だった。やたらと重そうに見える大きな頭だが、大きさのわりには骨はスカスカで軽い。この大きな口をガバッと開けて獲物を捉え、顎をガシャンと素速く閉めて歯で獲物を刺し殺した。

それに比べて小さくて可愛らしいこちらの恐竜はディサロトサウルス(Dysalotosaurus lettowvorbecki)。体重70kgと、私の夫より軽い。尻尾がもっと短ければ、家で飼ってもそれほど違和感ないかもしれない。ディサロトサウルスの骨は複数の固体のものがまとまって発見されたので、群れを作って生活していたと考えられるそう。

こちらはエラフロサウルス(Elaphrosaurus bambergi)。体重は250kgあったらしいけど、スレンダーな感じ。しかし、ディサロトサウルスと違って肉食である。テンダグル層で発掘された恐竜の化石の中では最も状態が良かった。腿が短くて脛が長い体型から、歩行スピード速かった(30-70km/h)と考えられている。

右のキリンのような骨格の恐竜は、ディプロドクス(Diplodocus carnegli)。体重12トン、体長27メートル。残念ながら、この写真の撮り方は失敗だった。なぜなら、ディプロドクスは長い首だけでなく、長い尾も特徴だから。ものすごく長い首と鞭のような尾が脚の前後にシーソーのようにほぼ水平に伸びた体勢が凄いので、それがわかるように撮るべきだった。それにしても、こんなに長い首、ずっと持ち上げていて疲れなかったのかなあ。ちなみにこの標本は1899年に米国で発掘されたもののコピーである。

じゃーん。こちらがベルリン自然史博物館の目玉、ブラキオサウルス。全身骨格標本では世界最大だそうだ。ブラキオサウルスの特徴は前肢が後肢よりも長く、肩が後ろに向かって傾斜していること。このような骨格のため高い木の上の方の葉っぱをうまく食べることができたそうだが、体重50トンで草食だなんて、生きるのに一体どれだけの量の植物を食べてたんだろう?

ブラキオサウルスの頭蓋骨。クシのような歯をしており、装飾の哺乳類のように葉っぱをムシャムシャ噛むことができなかったので、枝ごと折って丸呑みしていた。胃の中にある石が消化を助けていたという説があるらしい。

こちらの頭がなんとなくロバっぽいのは、ディクラエオサウルス(Dicraeosaurus hansemannni)。低いところの葉っぱを専門に食べていたそうだから、高いところ専門のブラキオサウルスとはうまく共存できていたのだろうか。

ケントロサウルス(Kentrosaurus aethiopicus)。ステゴサウルスの近縁だが、ステゴサウルスよりも小さい。背中の板にはいろいろな役割があり、仲間を識別したり異性にアピールするための道具であった他、空調設備の機能も果たしていたそう。

「恐竜の間」にある大型標本はこれだけ。でも、2015年からベルリン自然史博物館にはなんとティラノサウルス(Tyrannosaurus rex)の標本も展示されているのだ。

別室のティラノサウルス。彼の名はトリスタン・オットー(Tristan Otto)。2012年、米国モンタナ州Hell Creekの白亜紀の地層から発掘された。トリスタンの化石は当初、米国やカナダの各地の博物館にオファーされたが、プレパレーションに膨大なお金がかかることから、引き取り手が見つからなかった。バラバラにいろいろな人の手に渡る危機に瀕していたところを化石コレクター、ニールス・ニールセン氏が一括で買い取り、ベルリン自然史博物館に貸し出している。

ティラノサウルスの化石は世界でこれまでに合計50体発見されている。トリスタンの頭蓋骨は55個のうち50個が見つかっており、最も保存状態が良い。

写真では見えないが下顎の歯根に腫瘍があり、トリスタンは歯痛に悩まされていたらしい。気の毒に。推定年齢は20歳。

後ろから見たトリスタン。

この博物館にはもう何度も来ているけれど、恐竜をじっくり眺めたのは実は今回が初めてだった。良く見ると面白いものだ。こんなことなら、先日訪れたフランクフルトのゼンケンベルク自然博物館でもしっかり恐竜を見ればよかったとやや後悔、、、。ゼンケンベルクではメッセル・ピットから発掘された古生物化石の展示が面白すぎて、そちらに注意が集中していた(そのときの記事はこちら)。

今年ドイツで新しい恐竜に関する本が出版されたので、現在、読んでいる。読み始めたばかりだが、面白い。

Bernhard, Kegel    Ausgestorben , um zu bleiben: Dinosaurier und ihre Nachfahren

ちょうど今、「ジュラシック・ワールド」が上映中なので、週末にでも見に行こうっと。

 

ジョン・ケージの「世界で最も長い曲」を聴きにはるばるやって来たハルバーシュタットだったが(前回の記事はこちら)、来てみれば他にもいろいろ見所がありそうな町である。旧市街には木組みの建物が多く残り、博物館もたくさんある。せっかく来たのでもう少し見て行くことにした。あらかじめ情報収集して目星をつけておいたのはMuseum Heineanumだ。

というのも、実は最近、にわかに恐竜に興味が湧いている。きっかけは先日、フランクフルトのゼンケンベルク自然博物館で圧倒的な恐竜の展示を見たことや、ゾルンホーフェンで化石探しをして古生物に惹かれるようになったことにある。それで、図書館からこんな図鑑を借りて来た。

Dorling Kindersley社の古生物図鑑。図鑑が乗っているのは我が家の「拾ったものが入れられる」居間のテーブル

私はDorling Kindersley社の図鑑シリーズが大好きで、これもすごくいい!!感動もの。古生代や中生代の生き物が見たくて借りて来たのだけれど、恐竜もたくさん載っていて、見ているうちになんだか恐竜が面白くなってしまった。私は子どもの頃はそれほど恐竜に興味がなかったので、知っているのはメジャーなティラノサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、、、、あと何がいたっけ?という超低レベル。恐竜の基礎知識が欲しいなと思い、以下の本を読んでみた。

木村雄一著 大人の恐竜図鑑

土屋健著 大人のための「恐竜学」

おんもしろ〜い!!どちらもオススメ。

 

ハルバーシュタットに話を戻すと、この町は恐竜、プラテオサウルスの骨が大量に見つかったことで有名な町であるらしいのだ。Museum Heineanumという博物館でプラテオサウルスが見られるという。Museum Heineanumは郷土博物館(Städtisches Museum Halberstadt)の敷地にある。

郷土博物館。左に恐竜の置物

郷土博物館とHeineanumへは共通チケットで入館できる。郷土博物館の方は今回はパスしようと思ったけれど、運の良いことにたまたま8月26日まで恐竜展「Plateosaurus, Mammut & Co.」をやっているので見ることにした。

プラテオサウルスは三畳紀後半、ヨーロッパの森や湿地にに広く棲息していた竜盤類の恐竜で、最も最初に発見された恐竜の1つ。草食だが、小型の肉食恐竜から進化したとされる。

プラテオザウルスは50体以上もの骨格が丸ごと発掘されていることから、研究が良く進んでいる恐竜だそうだ。その大部分はドイツで発見されている。(写真のものは複製)

坐骨と尾椎の一部

左から、坐骨、脛骨、大腿骨

 

郷土博物館の特別展示を見た後は、一旦建物を出てすぐ側のHeineanumへ。Heineanumは基本的には鳥類博物館で充実した鳥類の剥製コレクションがあるので有名だそうだが、全部見ている時間がなかったので、今回は恐竜だけを見た。

プラテオサウルスは四足歩行だったのか二足歩行だったのか、長いこと議論されていた。最近の研究から、「基本的には四足歩行だったが、二足歩行もできた」とみなされている。

足の指と爪(左)と手の指と爪(右)

これは1899年にハルバーシュタットで発掘されたEurycleidus arucuatus。凄いね。でもこれは、大型の海棲爬虫類で、恐竜ではないそうだ。

恐竜の他にも重要な古生物として、長らく鳥の先祖だと思われていた祖始鳥(アーケオプテリクス)がある。祖始鳥の化石が初めて発見されたのは1860年で、南ドイツのゾーレンホーフェンのジュラ紀の地層から羽が見つかった。その後、周辺の地層から12の骨の化石が発見されている。

そういえば祖始鳥の標本はベルリンの自然史博物館で見られるんだった。前に写真を撮ったつもりだけれど探せなくなってしまったので、今度ベルリンの自然史博物館へ行ったらもう一度撮って来てここに追加しておきます。

さて、ハルバーシュタットで恐竜学へのささやかな一歩は踏み出せた。今後、他の自然史博物館へ行ったら、恐竜がないか探して、少しづついろんな恐竜のことを知りたいな。

 

 

フランクフルトへ行って来た。15年ほど前まで近郊にしばらく住んでいたことがあり、私にとって馴染みのある町だ。大きな町で外国人も多い。しかし、フランクフルトはそれほど人気の高い観光地ではない。というのも、近代的な高層ビルの建ち並ぶフランクフルト中心部の街並みはあまりドイツらしくないのである。国際空港があるのでアクセスは便利だけれど、フランクフルトをじっくり観光する旅行者は少ないかもしれない。

私もフランクフルトは嫌いではないが、正直なところ、それほど魅力を感じていたわけではなかった。先日、風邪を引くまでは。

風邪で体がだるかったのでソファーでごろごろしながらネットでドキュメンタリー番組を見てやり過ごした。現在のドイツの国土が46億年の地球の歴史の中でどのように形成され、変化して来たかという内容の地質学史ドキュメンタリーで、とても面白かったのだ。

フランクフルトを例に取ると、現在フランクフルトのある場所は3億2000万年前は高い山の上だった。それが2億5000万年前には広大な砂漠の中心となり、 1億8000万年前には海の底に沈み、5000万年前には熱帯雨林が一帯に広がり、2万5000年前には氷河で覆われ、そして2000年前には深い森となった。現在はモダンな国際都市である。様々な環境を経て今の姿があるんだなあと感心してしまった。まあ、考えてみれば当たり前のことなのだけれど、摩天楼がシンボルのフランクフルトを恐竜が走り回っていたこともあったと想像すると、なんだか不思議な気がする。そういえば、フランクフルトのゼンケンベルク自然博物館(Senckenberg)には大きな恐竜の骨がたくさん展示されていたなあと思い出した。それで、久しぶりにまたゼンケンベルク自然博物館へ行きたくなったというわけである。

ゼンケンベルク博物館は地質、植物、動物、人類、古生物など自然史を広範囲に網羅する総合博物館で、ドイツに数多くある自然史博物館の中でも最大規模を誇る。有名な博物館で日本語の情報も多数あるから全体的な説明は省き、ここでは私が特に見たかった古生物学の展示を紹介することにしよう。

まずはゼンケンベルク自然博物館のハイライト、恐竜の間へ。ここの恐竜コレクションはドイツ国内最大だ。

通路には世界各地で見つかった恐竜の足跡が展示されている。これはイグアノドンの足跡。(ボリビア、白亜紀後期)

ブラキオザウルス(スイス、ジュラ紀後期)の足跡。

恐竜の間には、竜脚類(Sauropodomorpha)、獣脚類(Theropoda)、装盾亜目(Thyreophora)、鳥脚類(Ornithopoda)、角竜類(Marginocephalia)の5種に属する恐竜の骨が展示されている。

言わずと知れたティラノザウルス(獣脚類、米国)。

トリケラトプス(角竜類、米国)。

モンゴルで発見された恐竜の卵。他国で発見されたものばかり紹介してしまっているが、ドイツにも恐竜は存在した。ドイツの恐竜について知りたい方は、こちらをどうぞ。(ドイツ語)

恐竜だけでなく、他にも象目やクジラなどの大型生物の骨がたくさんで見応えがある。

象目の進化と移動に関する説明も面白かった。

ところで最近私は化石に興味があって、いろんな博物館で化石を眺めているのだが、ゼンケンベルク博物館の化石コレクションもとても面白い。

イチョウの化石。ヨーロッパ人は17世紀の終わりまでイチョウという植物の存在を知らなかった。日本を訪れた博物学者、Engelbert Kaempferが1691年に発表した書物「日本誌」に紹介されたのが初めてだそうだ。その後、日本からもたらされたイチョウはヨーロッパで非常に珍重され、文豪ゲーテに愛されたことでも有名だ。しかし、実はイチョウはドイツにも生息していたのだ、約2億5000万年前に。ヨーロッパではとうの昔に絶滅してしまったため、イチョウは「生きた化石」と呼ばれる。このように「ヨーロッパでは絶滅したが、アジアやアメリカ大陸では今も生息している」植物は他にも多くある。というのは、ドイツを含めたヨーロッパもかつては熱帯・亜熱帯の環境を経験したが、氷河期に暖かい環境を求めて南に移動しようとした植物の多くがアルプスやピレネーを超えられず、またヨーロッパとアフリカを隔てる海を渡ることができずに絶滅してしまった。だから、現在のヨーロッパの植生はアジアやアメリカなどに比べて種類に乏しい。しかし、ヨーロッパでは冷涼な現在の気候からはかけ離れた、暖かい環境に特有な生物の化石がたくさん見つかる。

そしてなんと、とここからがこの記事の本題なのだが、フランクフルト近郊には世界有数の化石の宝庫、メッセル採掘場(Grube Messel)がある。メッセル採掘場はフランクフルトから南に20km、ダルムシュタットの北8kmの場所に位置する火口湖で、湖の底にはオイルシェールが埋蔵する。かつてここではオイルシェールの採掘が行われていた。採掘事業が廃止された後、湖を産業廃棄物の処理場にする計画があったが、地質学的な重要性が高い場所であることを理由に反対運動が起こり、ゴミ捨て場計画は中止された。そして1995年、メッセル採掘場はドイツ初のユネスコ世界自然遺産に登録された。ゼンケンベルク自然博物館にはメッセル採掘場に関する展示室があり、発掘された多くの化石が展示されている。

メッセル採掘場で発掘された化石の数々。植物から昆虫、魚、両生類、爬虫類、哺乳類とあらゆる種類の生物がほぼ丸ごとの姿で発掘されていて、目を見張るばかりである。

ウマの祖先、プロパラオテリウム。

アリクイ。他にもワニやオポッサムなど、現在は南半球でしか見られない生き物の化石も数多く見つかっている。画像を数枚しか紹介できないのが残念。(本当にすごいので、是非、こちらを見てみてください。)

ドイツには化石の採れる場所がたくさんあるらしいとは気づいていたが、こんな素晴らしい場所があるとは今まで知らなかった。フランクフルト近郊に5年も住んでいたのに、、、。メッセル採掘場へ是非とも行きたくなった(情報はこちら)。

ますますドイツの地質学が面白く感じられて来た。6月には化石掘りワークショップに申し込んだので、とても楽しみ!

(2023.1.17追記) 

この記事を書いてから約4年半後、とうとうメッセル採掘場へ行って来た。

ビジターセンター

メッセル採掘場はグローバルジオパーク、ベルクシュトラーセ・オーデンヴァルトの真ん中に位置している。このあたりは現在、花崗岩質の緩やかな丘陵地帯だ。およそ4800万年前、火山の噴火によって、ここメッセルにマール湖と呼ばれる火山湖が形成された。長い年月の間にさまざまな生き物の死骸が湖の底に沈み、それが化石になったのである。メッセルではこれまでに始新世(約5,600万年前から約3,390万年前まで)の良好な化石が1万点以上も見つかっており、現在も年間3000点ほどがあらたに発掘されているという。

ちなみにマール湖の「マール」というのはドイツ語のMaarがそのまま地質学用語になったもので、ドイツにはマール湖がたくさんある。特にアイフェル地方はマール湖が豊富だ。まるでレンズのような美しい姿に魅せられてマール湖めぐりをしたことがある。そのときの記録はこちら

 

さて、ガイドツアーに参加して、採掘場の敷地を見学することにしよう。

Grube Messelと呼ばれるかつてのオイルシェールの採掘場

ついにやって来たメッセル採掘場。12月だったので寒々としていて、雪もちらちら降っていた。始新世にはこのあたりはサルが飛び交い、ワニが泳ぐ亜熱帯気候だったなんて、とても信じられない。ふと、コスタリカで見た火山湖の景色が頭に浮かぶ。

熱帯コスタリカの火山湖

メッセルもかつてはこんな景色だったのかな。

メッセルのオイルシェールの地層から発掘された化石のサンプルをいろいろ見せてもらう。

特に多いのは魚の化石

オイルシェールは脆く崩れやすいので、化石は樹脂で固めて保存する方法も取られるようになった。オイルシェールの地層がどのようにつくられ、そこでどのように化石が形成されていくのかについてはこの過去記事に書いたので、ここでは割愛しよう。

カメの甲羅化石

メッセルでは後尾中のカメの化石も見つかっている。メッセル採掘場で発掘された化石はメッセル化石・郷土博物館、フランクフルトのゼンケンベルク博物館やダルムシュタットのヘッセン州立博物館をはじめとする多くの博物館に分散所蔵されている。そのうち全部見て回れるといいなあ。