石拾いが好きで、普段、地元を散歩しているときや旅行の際、気になる石を見つけたら拾って家に持ち帰っている。北ドイツに住むようになってから目にするようになり、ずっと気になっている石の一つがフリントだ。ドイツ語ではFeuerstein(「火の石」の意味)と呼ばれている。
一番最初にフリントを目にしたのは、北ドイツのリューゲン島でだった。観光リゾート、ビンツ(Binz)から隣のプローラ(Prora)まで足を延ばしたときのこと。バルト海海岸とボッデン(Bodden)と呼ばれる水域に挟まれた細長い陸地にこんな景色があった。
まるで日本の石庭のような風景。一体これは何?と目を見張った。地面を覆い尽くしている石は、ほぼすべてがフリントという石だという。フリントはバルト海の海岸にたくさん転がっていて、きっとそれまでも目にしていたはずだけれど、特に意識していなかった。ここは、見渡す限り、フリント、フリント、フリント。思わずしゃがみこんで、まじまじと見てしまった。遠目ではどこにでもあるようなグレーの石に見えるが、近づいて見てみるとなんとも不思議な見た目をしている。色は黒っぽいグレーだが、表面はまだらに白く、割れているものの断面はガラスのようにツルツルとしている。形もまちまちで、丸いものもあれば長細いもの、平たいものもある。
でも、波打ち際から2km近くも離れたここになぜこんなに大量の石が溜まっているんだろう?後から知ったことには、およそ3500-4000年前、激しい嵐が繰り返しリューゲン島を襲い、その際に発生した洪水によって大量のフリントが陸に運ばれた。
「火の石」という名が表す通り、フリントは古代の人々が火を起こすのに使った。フリント同士をうまく打ち合わせると、火花が飛ぶ。非常に硬く、剥離する性質があって加工しやすいフリントは道具作りにも使われた。ドイツ国内で考古学博物館へ行くと、石器時代の石刀や石斧などが展示されているが、その多くはフリント製だ。
フリントは、一般的にはバルト海の石として知られているが、見られるのは海岸やその付近だけではない。不思議なことに海岸から250kmくらい離れたブランデンブルクの我が家周辺にも、フリントがよく落ちているのである。なぜ海岸の石が遠く離れたブランデンブルク州の森の中で見つかるのか。それを知るには氷河期の氷河の流れを理解する必要があった。
氷河時代、北ドイツは氷河に覆われていたが、その大きさは氷期ごとに違った。上の図の茶色い線は直近のヴァイクセル氷期の氷河の範囲で、オレンジ色の線はその一つ前のザーレ氷期、紫の線はさらに古いエルスター氷期のものだ。これらの氷期における氷河の流れによって北から南へと運ばれた土砂や岩石が、北ドイツの大地を覆っている。フリントも氷河と一緒に南へと広がった。地図の下の方に見える点線は、「フリント前線(Feuersteinlinie)」である。3つの氷期の最大拡大範囲と見事に一致している。つまり、フリントは氷河の及んだギリギリのところまで運ばれて来た。言い換えると、フリント前線を超える地域には見られないのである。
ちなみに、よく見るフリントはグレーから黒っぽい色をしているけれど、そうでないものもある。黄色いフリントはグレーのものよりも若い地質時代にできたものらしい。ヘルゴラント島という島には特徴的な赤いフリントがあるそうだ。(私はまだ持ってないので、ぜひ欲しい)。他には白っぽいもの、緑がかったものもある。
ところで、先日、デンマークのシェラン島へ行った話を書いたが、デンマーク東部の海岸でもフリントが見られる。シェラン島の海岸のフリントは、ドイツの海岸で見るものよりも一回り大きかった。
石は北から南へ移動したのだから、ドイツよりも北にあるデンマークの方が石が大きいのは当たり前かもしれない。氷河で運ばれた石はフリントだけではないが、他の石もデンマークの方がずっと大きかった。
こんなに大きいと石器も作りやすいというものだ。石器時代のデンマークはフリントを周辺地域に輸出していたそうである。それを聞いて、去年行ったイタリアのエオリア諸島、リーパリ島を思い出した(記事はこちら)。リーパリ島は石器の材料だった黒曜石の一大産地で、その貿易で栄えたのだった。北のフリント(デンマーク)VS 南の黒曜石(リーパリ島)、石器時代の対決!という図式があったかどうかは知らないけれど(たぶんない)、ヨーロッパの石器の材料ごとの分布はどうなっていたんだろうなあと考えてしまう。
さて、このフリントという石、移動の方向はわかったけれど、そもそもどこから来たのだろう?
これまでにドイツのリューゲン島やデンマーク、ドーバー海峡など白亜の崖のある場所に行く機会が何度かあった。そのときに気づいたのは、白亜の崖、つまりチョークの地層には決まってフリントが埋まっていること。
どうやら、フリントはチョークの地層と関係があるらしい。チョークというのは白亜紀の海に堆積した地層だが(詳しくはこちらの記事に書いた)、フリントはなぜそのチョークの中に埋まっているのか?その答えは、デンマーク、ファクセの地質学博物館ショップで買って来たドイツ語の地質学の本、”Das Leben im Kreidemeer”(「白亜紀の海の生き物」)という本に書いてあった。
フリントは石英という二酸化ケイ素の結晶でできている。二酸化ケイ素は水に溶けにくいが、水を含んだオパールというかたちで海水中に存在する。チョークの層のもととなった海の底の泥の中にはウニや貝類などの生き物が生息していた。海水のPHが揺らいで弱アルカリ性から酸性側に傾くと、オパールとして存在していた二酸化ケイ素が析出してフリントが形成される。海水のPHが揺らぐのは、泥の中の生き物が原因であるらしい。ウニなどの殻を持つ生き物の殻の内側にフリントが形成されやすく、化石としてよく見つかるのはそのためだったのか。
ずっと知りたかったフリントがどうやってできたのか、化石とどう関係しているのか、やっと少しわかって嬉しい。
ところで、フリントの表面にはよく丸い窪みがある。
氷河によって運ばれる間に尖った石の先などが当たってこのような窪みができる。鼻の穴のように見えることが多いので、ドイツ語で「Nasenmarken」と呼ばれる。中には穴が貫通しているものも。
穴が空いたフリントはHühnergott(「鶏の神様」)と呼ばれ、ラッキーアイテムとして人気。写真の「鶏の神様」は、ロストックに住む友人、ハス・エリコさんから頂いた私の宝物。なぜこの石が「鶏の神様」なのかというと、かつてドイツのバルト海地域では、穴の開いたフリントをニワトリの止まり木に刺し、神様にニワトリをお守りください、たくさん卵を産ませてくださいとお願いする風習があったからだそうだ。
そして、フリントには表面に奇妙な模様のあるものもある。
虫が這った跡のような白い筋は、実際に生き物が移動したことを示す生痕化石かもしれない。
たかが、石。されど石。石からはいろんなことが見えて来て面白い。