先日、家族の用があってミュンヘンへ行った。ミュンヘンには友人がおり、また見所も多い町なのでじっくり観光をしたかったが、残念ながら諸々の事情でゆっくりしていられずトンボ帰りすることになってしまった。せっかくバイエルンへ行ったのに残念!せめて帰り道にサクッと見られる面白い場所がないものかと車の中からアウトバーンの看板に目を凝らしていた。親切なことにドイツのアウトバーン上には「近くにこんな観光名所がありますよ」という看板がたくさんかかっているのだ。(もしかして日本もそうだっただろうか。すっかり忘れてしまった)

すると、インゴルシュタット近郊に「ケルト・ローマ博物館(Kelten Römer Museum Manching)」なるものを発見!何やら面白そう。しかも、ナビを見るとアウトバーンを降りてすぐのところにあるようだ。家族を説得し、寄ってみることにした。

 

この博物館のあるドナウ川流域のマンヒンクは古代から交通の要所だった。紀元前3世紀から紀元前1世紀にかけて中央ヨーロッパ最大のケルト人集落、オッピドゥムがあったことがわかっている。1892年から始まった考古学発掘調査でケルト文化の遺物が数多く出土されており、ドイツ国内で最もケルト研究が進んでいる地域の一つであるらしい。特に過去50年の間には非常に多くの遺物が見つかり、そのうち最も重要なものが2006年にオープンしたこの博物館に展示されているとのこと。

メインフロア。広々していて見やすい展示だ。

ケルト人の集落モデル。マンヒンクのオッピドウムは1930年代以降、この地域に空港が建設された際にかなりの部分が破壊されてしまったが、かつては長さ約7.3km、直径2.2〜2.3kmの円形の壁に囲まれていた。博物館はオッピドゥムの西の壁のすぐ外に位置しており、博物館を出発点に壁の跡を歩いて見て回ることもできるという(詳しくはこちら)。しかし、今回はそのための時間もなく、ティーンエイジャーの娘がブツブツ文句を言うので館内の展示を見るだけで満足することにした。マンヒンクのケルト人集落は初期から壁に囲まれていたのではなく、写真のような四角い区画がいくつも集まり、より大きな構造を作っていた。それぞれの区画は特定の機能(農業、手工業、神殿など)を有していたと考えられている。

墓地や神殿跡から出土された多くの装飾品や道具、芸術品から、マンヒンクのケルト人社会は明らかなヒエラルキー構造で、分業が発達していたことがわかっている。オッピドゥムの最盛期には5000〜1万人が住んでいたとされる。

マンヒンクのケルト陶器

焼き物を焼いたオーブンの蓋はこのようにたくさんの穴が開いていた

 

イノシシやカバは神聖な生き物とされた。

ケルトの樹木信仰を表す黄金の木

紀元前1〜2世紀頃、奴隷を繋いでいた鎖

マンヒンクは交通の要所であったため、経済の中心地として栄えた。鉄器、ガラス製品、陶器などを輸出していたそうだ。

展示の目玉は1999年に発掘された483枚、重さ合計3.72kgの金貨。これはすごい!

経済のハブだったマンヒンクには現在のヘッセン州やフランス、イタリアなど欧州各地からお金が集まって来た。ヘッセン州といえばフランクフルトはドイツの金融の中心地であるが、紀元前に多くの硬貨が作られていたことと関係するのだろうか??

 

このように紀元前は経済の中心地として栄えたマンヒンクであるが、ケルト社会は次第に衰弱して行き、ついにオッピドゥムは放棄される。北上して来たローマ人が紀元100年頃から定住するようになった。

ローマ人が建設した城塞Kastell Oberstimm

 

この博物館のもう一つの目玉展示物は、1986年に出土された紀元100〜110年製のローマの軍船だ。ドナウ川の支流の川底に眠っていたらしい。

常設展示には重要なものが他にもたくさんあるのだけれど、全部紹介することはできないのでこのくらいにしておこう。

特別展としてローマ人の生活に関する展示をやっていて、子ども向けだがなかなか面白かった。

見ての通り、ローマのトイレ。

トイレ掃除用ではなく、お尻拭き用のスポンジ。うう、、、、。

ローマの歯医者のペンチ。怖いねー。

 

ドイツ国内にはローマに関する博物館や遺跡が数多くあり、今までにいくつか見たが、ケルト文化についてはほとんど知らなかった。見学にあまり時間を取れなかった割には新しいことをいろいろ知ることができてよかった。