以前、Brandenburg an der Havel市にあるブランデンブルク州立考古学博物館を訪れて以来、ずっと気になっていたニーダーラウジッツ地方のRadduschに再建されたスラブ人の城をようやく見に行って来た(過去記事: 住んでいる地域について知る。ブランデンブルク州考古学博物館)。
ベルリンの周辺を取り囲むブランデンブルク州はかつて神聖ローマ帝国の辺境で、ドイツ人が入植する以前は西スラブ人の定住地だった。スラブ人の多くはキリスト教徒の入植者たちに次第に同化していったが、ドイツ人と接触するまでは自然宗教を主体とした独自の文化を育んでいた。ニーダーラウジッツ地方のスラブ人部族であるLusizi族は独特なドーナツ型の城をたくさん建設していたそうだ。ニーダーラウジッツはドイツ民主共和国時代には褐炭産業の中心地だったが、ドイツ再統一後に採掘場の多くが閉鎖されることになった。2003年、その一つであるSeese-Ost採掘場の跡地にスラブ人の城、Slawenburg Radduschが再建された。その城は褐炭採掘の際の出土した物を展示する考古学博物館になっている。
Slawenburg Radduschはベルリンから日帰りで行ける人気の観光地、シュプレーヴァルトのすぐ外側に位置している。よく知られているように、シュプレーヴァルトには現在もスラブ系民族、ソルブ人の集落が多くある。先に述べたように大部分のスラブ人は長い年月の間にドイツ文化に吸収されていったけれど、一部は今でもドイツの少数民族として独自の文化を継承している(ソルブ人については、こちらの記事をどうぞ)。
再建された城は9世紀後半〜10世紀にこの地方に住んでいたとされるLusizi部族のもので、現在のソルブ人とどれほどの関係があるのかはよくわからない。でも、ドイツにありながら古代ローマの遺跡でもなくドイツの中世の古城でもない城。なんだか興味をそそられる。
ドーナツ状の城壁は遠くから見ると王冠のようにも見える。
城壁の直径は約56m(外側)で、厚さは10mくらい。城壁の内側が博物館スペースになっている。展示されているのは石器時代からのニーダーラウジッツ地方の発掘物だ。
10世紀前半からニーダーラウジッツ地方に次々と城を建設したLusizi部族は、963年にゲロ辺境伯に征服され、衰退してしまった。でも、それよりもずっとずっと前の青銅器時代から鉄器時代初期にかけて、この地方にはラウジッツ文化という豊かな古代文化が存在したようだ。ベルリン大学(現在のベルリン医大、シャリテ)の病理学者で、同時に民族学者・先史学者でもあったルードルフ・フィルヒョー(Rudolf Virchow)が発掘調査を行い、出土した土器を「ラウジッツ式土器」と命名したことからこの地方で栄えた文明をラウジッツ文化と呼ぶようになったた(ルサチア文化ともいう)。フィルヒョー博士といえば、ベルリン新博物館(Neues Museum)に彼の考古学発掘物コレクションが展示されていることを思い出した。今度、もう一度じっくり見て来ることにしよう。
ラウジッツ文化の遺物、Vogelwagen。青銅製の車輪は太陽を意味し、その上には鳥が乗っている。ラウジッツ文化において崇拝の対象だった太陽と鳥が一体化したこのようなものは近郊のBurgという村の周辺からこれまでに全部で7つ発掘されているという(画像のものはレプリカ)。ラウジッツ文化は気候変動による環境の砂漠化で衰退し、消滅した。
博物館にはLusiziの文化とラウジッツ文化の他、古代ローマやゲルマン民族についても展示されている。
展示を見た後は中庭から階段を上がって城壁の縁を歩いてみた。中庭はイベントスペースのようだ。
城壁の周りには堀が掘られ、その外側は野草ガーデンになっているのだが、続く日照りで残念ながら野草はすっかり枯れてしまっていた。
円形の城を上から撮ったら面白いかなと思ってドローンを飛ばしてみた。
ニーダーラウジッツ地方は褐炭産業の衰退で寂れてしまった印象があるが、過去記事で紹介したように閉鎖された採掘場のいくつかはマニアックな観光スポットになっている(たとえば、巨大なコンベアの上を歩ける野外ミュージアム、F60)。そして、褐炭を採掘したからこそ得られた豊富な出土物を利用したこのような考古学ミュージアムの存在も嬉しい。他にはない独特な魅力のある地方なので、これからもちょくちょく出かけようっと。