資料に見るドイツシリーズの2回目。今回手に取った古い資料は、1922年4月6日にライプツィヒで発行された挿絵入り新聞、Illustrierte Zeitungだ。Illustriete Zeitungは1843年から1944年まで(つまり第二次世界大戦でドイツが敗戦する前年まで)発行されていたドイツ初の挿絵入り新聞だそうである。そもそも挿絵入り新聞とはなんぞや?ちょっと調べてみたところ、1940年代にはフランスの「イリュストラシオン(Illustration)」、英国の「イラストレイテッド・ロンドンニュース(Illustrated London News)」など、木版画技術を使った挿絵をふんだんに使った新しいタイプの定期刊行物が欧州各国で次々と刊行されていたらしい。Illustrierte Zeitungは初めて目にしたが、挿絵入りを謳っているだけあってビジュアル性が高く、興味をそそられる印刷物だ。

表紙は二重になっている。これは外側の表紙で、この号ではハルツ地方の町、クヴェドリンブルク1000周年が特集されている。クヴェドリンブルクは「ドイツ発祥の地」として知られ、中世の面影を残す美しい旧市街はUNESCO世界遺産に登録されている。と知ったようなことを書いているが、実はまだ行ったことがない。いつか必ず行ってみたい町だ。

外側の表紙をめくると内側の表紙が現れた。表紙イラストはケルンのオーデコロンブランド°4711の「Tosca 」の広告がどーんと載っている。香水に詳しくないんだけど、 Toscaって確か今もあるよね?

次のページは広告のみ。両ページとも温泉保養地の広告ばかりだ。右側にはチェコのカルロビバリ(ドイツ語ではKarlsbad)の大きな広告。この頃は富裕層の間で温泉保養が相当人気だったことがうかがえる。

広告が延々と続く。一つ一つ見ていくと、現在もある会社名を見つけたり、聞いたことがないメーカー名だけれどこの時代にはメジャーだったのかなと思って検索してみたりして面白い。右下の画像はシュタイフ社のうさぎのぬいぐるみの広告だ。

広告ばっかり?と思ったけれど、読むところもちゃんとある。左ページに掲載されているのは1922年に初代エジプト王に即位したフアード1世の肖像と当時のエジプトの様子を示す白黒写真。右のページは投書欄だろうか。下半分にドイツ領東アフリカの最後の総督、ハインリッヒ・シュネーによる「ドイツの植民地の運命」と題された記事が載っている。フラクトゥール文字で書かれていて字も小さいので読みにくいが判読を試みたところ、第一次大戦後に連合国によって分割統治されることになったかつてのドイツの植民地の惨状についての元総督の嘆きと憤りが綴られている。簡単にまとめると、「我々が大変な思いをして野蛮な地を文明化し、安全で静かで秩序ある場所にしたのに、敵国の手に渡ってからはすっかり荒廃してしまった。経済面だけではない、現地人に対する待遇も悪化した。現地人はまともな医療も受けられなくなり、病気が蔓延している。医師ロベルト・コッホがアフリカ睡眠病の制圧に取り組み輝かしい成果を上げていたというのに逆戻りしてしまったとは嘆かわしい。現地人もドイツの統治時代は良かったと言っているようだ。ドイツは是非とも植民地を取り戻す必要がある」というような内容だ。

この号の目玉、クヴェドリンブルク特集。写真がふんだんに使われている。

中綴じ部の見開きの大きな挿絵はミュンヘンのビアガーデンを描いたもの。ノックヘアベルクのサルヴァトールケラーの庭という説明が下に書いてあるけれど、現在、「パウラナー・アム・ノックヘアベルク」という名前になっているビアガーデンかな?

こちらの左ページには演劇舞台の写真。中央下のポートレートは指揮者・作曲家ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのもので、この度ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団およびベルリンフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任したと書いてある。周囲の写真からは1920年代初頭の女性のファッションが見て取れる。右側のページは連載小説で題はナニナニ?「フェリックス・シュピールマン氏の家政婦たち」だって。裏面までびっしり書かれていて、1回分の読み応えがありそう。

その他にも芸術文化記事、アフリカの狩猟採集民サン人(紙面上は「ブッシュマン」と記載)の紹介記事、歴史記事など内容はかなりバラエティに富んでいる。

科学記事も。ウィーン大学微生物学講師による両生類に見られる奇形についての解説記事である。へえ〜。この新聞、真面目に読むとかなり教養が得られたのではないだろうか。ドイツ教養市民層の形成にはこうした視覚的にアピールし、かつ好奇心や知識欲をくすぐるIllustrierte Zeitungのようなメディアが小さくない役割を果たしていたのだろうか。

約100年に渡って発行されていた新聞なので、その時代時代でトーンが変化したことも考えられる。機会があれば他の年代のものも見てみたい。