私はアルテンブルク(Altenburg)という町の旧市街を歩いていた。アルテンブルクはライプツィヒとツヴィッカウの間にある小さな町。そこへ行ったのはアレクサンダー・フォン・フンボルト関連の展覧会を見に行くためで、町自体には実はそれほど興味を持っていなかった。というよりも、急に計画したので準備不足で何があるのかよくわかっていなかったのだ。観光資源がたくさんあると思わなかったので日帰りの予定にしてしまったが、現地についてすぐに気がついた。アルテンブルクは17世紀にはザクセン=アルテンブルク公国の首都だった町で、見どころが多そうである。

1泊する予定で来ればよかったと思いつつ、ぶらぶらと通りを歩いていると、なにやら気になる建物がある。

外観の写真を撮り忘れたので、Wikipediaからお借りしました。

歴史的美容室(Historischer Friseursalon)と書かれている。ショーウィンドーを覗き込んでいると、中から男性が出て来た。「ハロー。中を見て行かないかい?」「ここはミュージアムなんですか?」「そうですよ。さあ、どうぞ入って、入って!」招き入れられ、中に足を踏み入れた。

 

うわぁ!ここは!?

「ここは1926年にアルテンブルクの美容師、故Arthur Grosseが開いた美容室です。備品もほぼ当時のままです。1966年に店じまいして以来、外側から窓に板を打ち付けたままだったから外からは内部の様子がわからず、ここが美容室だったことはすっかり忘れられていたんですよ。2002年に最後の所有者が亡くなったことで再発見されました。貴重な文化財だということで、こうしてミュージアムとして一般公開することになったんです」

大理石の洗面台に並べられた古い散髪道具の数々。これはワクワクする空間だ。

 

髭剃り道具に髪の毛をカールするためのコテ各種。コテはバーナーの火で熱して使っていた

 

客が座る椅子。上部に不思議なものが取り付けてある

「これ、何ですか?紙が巻いてありますが?」

「ここに頭を乗せるのに前の客の髪の脂が付いていたら汚いでしょ?当時の人は毎日髪の毛を洗っていたわけじゃなかったですからね。新しい客が来るたびにこのハンドルを回して新しいきれいな紙の上に頭を乗せられるようにしていたんです」とガイドさんが説明してくれた。へえー!

 

回るのはロールペーパーだけではない。こちらの椅子は後部のレバーを回すとシートが回転する。「前の客の体温が残った椅子に座るのは気持ち悪いですからね」。なんときめ細かいサービス。

 

抜歯用ペンチ。床屋が簡単な外科処置も行なっていた頃の名残だろう

 

Grosse氏のは美容師の養成も行なっていた。これは弟子の終了試験合格証明書。現在発行されているのものと違い、凝った美しいデザインだ。

 

昔の電動バリカン

 

「何コレェ?」「鼻の矯正具です。これを使うとどんな形の鼻でもまっすぐになるという触れ込みで、すごく売れたそうですよ。夜寝る前に軟骨を柔らかくするクリームをまず鼻に塗って、その上からこの器具を装着してネジで留めるんです」「えええ?まるで鼻のコルセットじゃないですか」「ほら、説明書には医学的にも効果が認められているって書いてありますよ」「ははは。トンデモ商品はいつの時代にもあったんですね」

 

「硫黄入りヘアトニックって?」「昔はこういうのを平気で頭にふりかけていたんですね。それどころかガソリンで髪を洗ったりしてましたからね」「えーっ。臭いじゃないですか」「すごく臭かったでしょうね。でも、シラミ対策にはなったかもね。臭いといえば、当時の人は髪の毛が脂っぽかったから、コテで巻いたりするとかなり臭ったんじゃないかな」

「ところで、この部屋は男性用のサロンです。奥に女性用サロンもあるんですよ」

 

女性用サロンは入り口が別

アルテンブルクのような小さな町では女性用サロンを備えた美容室というのは、当時はかなり画期的だったそうだ。

 

 

演劇舞台用ヘアスタイル

 

ドライヤー
右側のケーブルがたくさん垂れ下がっている装置はパーマの装置

これはパーマをかける際にカーラーで巻いた髪を上から留める金属製のクリップ。あらかじめ熱して使う。「ちょっと1個持ってみてください」「わ、結構ずっしり!」「こんなのを何十個も頭につけていたと想像したらすごいですよね。相当、重かったはず」「ですよねえ?」美しくなるのは大変だね。

このミュージアム、展示品の1つ1つが面白すぎる。

「すごいですね。でも、この美容室、60年代まで営業していたということですが、ずっと20年代後半のスタイルでやっていたんでしょうか」「Grosse氏はイノベーティブな人で最初は新しいものを積極的に取り入れていたようですが、やっぱり後半はそうでもなくなったようです。固定客がいて、変わらないスタイルで営業を続けていたのではないかと思います」

私がブロガーだと話したら、ガイドツアーに申し込まなければ見られない部屋も特別に見せてくださった。

サロンの2階にあるこの部屋はGrosse氏一家が特別な日にだけ使っていた部屋、いわゆるdie gute Stubeだ。非常に珍しいことに、壁に木製の厚板が貼ってある。Grosse氏の美容室が再発見されたとき、この壁は上から漆喰が塗られた状態になっていて、このような立派な木板があるとは誰も想像しなかったそうだ。専門家に木材の年代を測定してもらったところ、1500年代のものであることが判明した。写真に全体像を収めることができなかったが、この部屋は調度品も中央のテーブルと椅子以外はGrosse氏一家が使っていたオリジナルで、当時の市民の暮らしぶりが伝わって来る。

ガイドツアーに申し込まなくても1階のサロン部分は無料で見学できる。このミュージアムは掘り出し物だ。アルテンブルクはライプツィヒから電車で1時間くらいなので、アクセスも良く、おすすめ。動画があったので貼っておこう。

 

【2021年12月30日追記】

このときにミュージアムを案内してくださったClaus Oscheさんが2021年にこの美容室を経営していた故Artur Grosseに関する素敵な冊子を出版され、私のところへも1冊送ってくださった。

この冊子を拝読して、Grosse氏は当時は珍しかった女性用美容サロンをオープンするなど先見の明を持ってビジネスを展開していただけでなく、野鳥の観察や保護活動にもとても熱心な人だったということをあらたに知った。私がアルテンブルクを訪れたとき、市内の自然史博物館 Mauritianumにも立ち寄った。ドイツ全国のいろんな自然史博物館を見て来た中で、気に入った博物館の一つで、特に野鳥コーナーが印象に残ったのだが、この博物館の初代館長、Horst GrosseはArtur Grosse氏の息子なのであった。

このときには私はまだ野鳥観察を始めていなくて、野鳥のことは何も知らなかったけれど、なんとなく気になってこの写真を撮ったのだった。きっとそれがきっかけの一つとなったのだろう、今ではすっかり野鳥ファン。もう一度このコーナーを見に行きたい。

さらに、Oscheさんの本にはアルテンブルクを中心とする自然保護活動の歴史が詳しくまとめられていて、2年前から自然保護活動に参加するようになった私にとってとても興味深い内容である。なんだか奇遇だなあ。

 

十数年前からベルリン近郊、つまりドイツ東部に住んでいるが、東部には東ドイツ人民共和国(DDR)時代に建てられた建物が多くある。社会主義の理想に基づいて設計された建物、とりわけプラッテンバウ (Plattenbau ) と呼ばれる高層の集合住宅は旧西ドイツ側に住む人たちの間ではすこぶる評判が悪い。でも、私にとってはプラッテンバウには昭和の団地風景を思い出させるものがあり、独特の魅力を感じないでもないのである。

Architektur in der Deutschen Demokratischen Republik (ドイツ民主共和国における建築) ” という資料を見つけたので、手に取ってみた。

 

表紙はまさにプラッテンバウの画像

Volk und Wissen Verlag(人民と知識出版社)という学校用教材の出版社が1972年に発行した40ページの資料で、美術の副読本として使われていたようである。

この資料では、DDR時代に建てられた建築物だけでなく、それ以前の歴史的建築物の例として中世の街並みを色濃く残すクヴェドリンブルク(Quedlinburg)の教会や木組みの民家、旧東ドイツ各地の都市の市庁舎やマルクト広場、ドレスデンやポツダムの宮殿やベルリンの歴史的地区についてもかなりのページが割かれ、詳しく図解されている。

でも、そこの部分は別の機会にじっくり読むとして、今回集中したいのは27ページからの「ドイツ人民共和国における社会主義的な住宅建築および都市計画」の部分だ。この資料は現在の視点による客観的な資料ではなく、DDR時代の学校教材なので、当時の理想に基づいた記述がなされているという前提で読むことにしよう。

第二次世界大戦で瓦礫の山となった都市を復興するに当たり、社会主義国家となった東ドイツは社会主義的なコンセプトに基づいた都市開発に着手した。資本主義社会の産物である階級格差をなくし、労働者に人間らしい住環境を提供することが社会主義の理想の実現に不可欠であるとのモットーのもと、住宅の建設が特に重視された。この資料によると、「1949年から1975年までの間に190万戸のアパートが新築または改築され、500万人以上の国民の住環境が改善された」そうだ。西ドイツが引き合いに出され、「西ドイツでも低所得者向けの社会福祉住宅が建設されてはいるものの、家賃は最大で収入の50%にも及ぶのだから問題の解決にはなっていない。その点、東ドイツでは光熱費など含めても家賃が収入の8%を超えることはあり得ない」と誇らしげだ。

住宅の建設は当然、都市開発全体の中で行われたわけだが、既存の都市が社会主義の理想に基づいて再設計されただけでなく、産業都市としてアイゼンヒュッテンシュタット(Eisenhüttenstadt)やホイエルスヴェルダ(Hoyerswerda)の社会主義的ニュータウンなどが新設された。以下の過去記事でレポートした通り、アイゼンヒュッテンシュタットは「ザ・社会主義の町」という感じでとても興味深い。私のお気に入り東ドイツ都市ベスト3の一つ。

トム・ハンクスが絶賛する旧東ドイツの社会主義計画都市、アイゼンヒュッテンシュタット

これはホイエルスヴェルダの駅前大通りに並ぶ高層アパート群。なかなか壮観だ

資料に戻ろう。左上の写真はノイブランデンブルク市の中心部。ノイブランデンブルグは中世の市壁が残る古い小さな町だったが、DDR時代に大掛かりな開発によって拡大されたため、レンガ造りや木組みの古い建造物と社会主義的な建物がほどよくミックスされていてなかなかおもしろい町だ。下の写真はコットブス(Cottbus)中心部に作られたプラッテンバウ団地。

ノイブランデンブルクのマリエン教会は素晴らしいコンサートホールになっている

政治的・経済的・文化的中心地となった首都ベルリンの開発には当然のことながら、特別に力が入れられた。ソ連をモデルにして作られた大通りカール・マルクス・アレー(Karl Marx Allee)沿道のスターリン様式建築物を始め、東ベルリンには社会主義建築が密集している。ドイツ再統一から30年近く経った今は東ベルリンの街並みも随分変化したけれど、DDRの面影が完全に消えることはないだろう。

左上からベルリンのシュトラウスベルガープラッツ(Straußberger Platz)、アレキサンダープラッツ(Alexanderplatz)、共和国宮殿(Palast der Republik) 、国家評議会(Staatsrat)

東ドイツではベルリンだけでなく小規模の都市でも中心部の空間づくりが広々としているのが特徴的だと感じる。ちなみに、社会主義の本家ロシアの首都モスクワはもちろんのこと、他の旧社会主義諸国へ行くと首都のデザインがよく似ていて、お揃いの建物も見つかる。

ドレスデンのプラガー通り(左)とそのモデル(右上)、ハレの歩行者天国
裏表紙は共和国宮殿の階段横のモザイク画。
これも社会主義的な建築エレメント

今回紹介した資料はドイツ社会主義統一党(SED) による自画自賛的な出版物なので、基本的に良いことしか書いていないのだけれど、それでもモダンな高層住宅やその他の公共施設が建設された当時の東ドイツ社会の空気感をいくらか想像することができた。高層住宅のデザインやそこでの国民の暮らしについてもっと詳しく知りたいところだけれど、それにはまた別の資料を探すことにしよう。

 

久しぶりに化石を探しに行って来た。南ドイツのゾルンホーフェンでジュラ紀の化石を採集したときと同様(その際の記事はこちら)、地質学エクスカーション会社GeoInfotainmentの週末エクスカーションに申し込んだ。今回目指したのはジュラ紀の地層ではなく、ハノーファー東部の白亜紀の地層だ。

土曜日10:00にガイドさんに指定された場所に集合。ドイツ全国から化石ファンが20名ちょっと集まっていた。この日の作業場はハノーファー・ミスブルク地区の石切場である。

セメント製造のための石灰石が採掘される広大な石切場だ。露出した泥灰土の地層は白亜紀カンパニアンに堆積した。白亜紀のハノーファー地域は海に覆われていたので、べレムナイト、ウニ、アンモナイト、オウムガイ、カイメン、サンゴなどの化石が多く産出する。サメの歯や脊髄が見つかることもあるという。早速探してみよう。

採ってくださいと言わんばっかりに石から突き出たべレムナイト。ガイドさんに貰った化石識別資料の写真から推測するに、これはBelemnitella mucronataかなあ?オレンジ色に近い茶色で透き通った質感のものがたくさん見つかった。

一緒にエクスカーションに参加した夫は石にノミを当てて金槌でカンカン売って石を割るのに熱心だったが、私は石を割るのは疲れるので地面や石の隙間の泥の中を観察することに集中する。大中小のウニやいろんな形のサンゴ化石が埋まっていた。ウニ化石を見つけるのは全然難しくない。でも、多くは欠けたり潰れたりしていて、かたちの綺麗なものはなかなか見つからない。また、泥をかぶっているので洗ってみるまではどんな状態かよくわからないということもあり、とりあえず良さそうだと感じたものをどんどん集めていく。GeoInfotaimentの前回のエクスカーションではこの石切場でサメの脊髄がまるごと見つかったそうだ。

みんなろくにお昼ご飯も食べず、16:00まで黙々と作業。作業中は疲れを感じないけど、終ってからホテルに帰ってシャワーを浴びたら(泥だらけになったからね)、クタクタになっていることに気づいた。そのまま寝てしまいそうだったけど、ホテル近くのレストランでみんなでご飯を食べることになっていたので寝るのは我慢。今回のエクスカーションの参加者は20名ちょっとでドイツ全国から集まっていた。初心者もいればベテランもいて情報交換は楽しかった。

翌日は朝の9:00にハノーファー郊外Höverの石切場で作業開始!

作業中の私。この日は曇っていてちょっと寒かった〜。ぶるる

こちらの石切場で見つけたのはウニばっかり。でも、ウニ化石にもいろんな種類があるのだ。

ガイドさんに貰った資料

で、2日間でどのくらい集めたかと言うと、このくらい。

少し詳しく見ていこう。

べレムナイト化石。他の場所で収集した手持ちのべレムナイトを友人などにおすそ分けして在庫が少なくなっていたので、たくさん再入荷できて嬉しい!

これらはカイメン化石。

貝の生痕化石っぽいけど、よくわからない。

ハートの形の可愛いウニはMicraster spec.

これもハート型だけど、表面の感じから推測するに、Cardiotaxis spec.かなあ?表面に棘穴がぎっしり。

このコロコロして片側がやや尖ったタイプが一番多かった。Galeola spec.だろうか?

大きーい!これはEchinocorys conicaかな?表面に別の小さな生き物がくっついていた形跡がある。

裏側には4つの傷。ガイドさんが「魚の噛み跡だよ」と教えてくれた。ええー、すごい!

模様がわかりにくいので濡らしてみた。これもたぶん、Echinocorys conica

夫はこれを見つけて大喜び。後ろ側が割れてしまっているけど、てっぺんに黄鉄鉱の結晶ができている。

そして、今回のエクスカーションのハイライトはこれ。

Phymosoma spec.

泥の中に埋まっていたのを私が発見したのだ!ウニ化石には大きく分けて正型のものと非正型のものがあって、非正型タイプはたくさん見つかるが正型タイプは滅多になく、あってもうんと小さいものが多いのだそう。これは直径28mmほど。今回の参加者の中でこれを見つけたのは私一人で、「正型のを見つけたの?すごい!見せて見せて」とみんなが見に来た。まあ、これもビギナーズラックというやつでしょう。ちなみにこの化石は上から圧力がかかったようでやや潰れている。正型のウニは非正型のものよりも太く長い棘で覆われていた。参加者の中に棘化石を見つけた人がいて見せてもらった。とても綺麗だった。

こんなわけで今回の化石採集も楽しかった。欲を言えばサメの歯を一本くらい見つけたかったけど、初めて来た石切場でそれなりにいろいろ拾うことができたからまずますかな。

ドイツでは必ずしも化石採集エクスカーションに参加しなくても、バルト海の海岸などで個人で化石を拾い集めることもできる。でも、エクスカーションに参加するのはとてもおすすめである。専門家に教えてもらいながら収集できるし、主催者が個人ではアクセスできない石切場への入場許可を取ってくれる。ドイツには化石エクスカーションを提供している組織が複数あるが、その中で今回私たちが利用したGeoInfotainmentの週末エクスカーションは一人75ユーロ(宿泊費・飲食費は個人負担)で二日間まるまる採集できることを考えると、高くないと思う。

帰ってきてから気づいたのだけど、GeoInfotainmentには日本人のガイドさんもいる。Hiroshi Nakanishiさんという方でフランケン地方のジュラ紀の化石のスペシャリストであるようだ。バイロイトとニュルンベルクの中間あたりに位置するGräfenbergなどでのエクスカーションを担当されている(情報はこちら)。残念ながら今年の中西さんのエクスカーションは終了してしまっているけれど、来年もあるなら是非参加したい。

ご興味のある方、ご一緒にいかがですか?