ベルリンから南西に40kmほどのところにあるヌテ・ニープリッツ自然公園が好きで、よく遊びに行く。美しい湖がいくつもあるのだ。その中の一つ、ブランケンゼー(Blankensee)の近くに、以前から気になる建物があった。

 

体育館を二つ並べたようなこの建物は何なのだろう?デザインから察するに、ヴァイマル共和政時代に建てられたものではないかと思われるが、古びたレンガ造りの建物が多い田舎の風景の中にドーンと立っていて、場違いな感じがする。何かの格納庫だろうか。でも、このエリアにかつて大きな産業があったとも思えない。謎である。画像検索で調べたら教会だということがわかって驚いた。

教会の名前はヨハニッシェ・キルヒェ(Johannische Kirche)。かつてはEvangelische-Johannische Kirche nach der Offenbarung St. Johannisという名称だったそうだ。「聖ヨハネの啓示を受けた福音主義のヨハネ派教会」とでも訳せば良いのだろうか?耳慣れない言葉だ。それとも、私がキリスト教の知識に乏しいから知らないだけだろうか?それにしても、この外観である。何か特殊な背景があると見て間違いなさそうだ。

最近、”Die Mark Brandenburg“というブランデンブルク州の歴史雑誌が気に入っているのだが、そのバックナンバー、”Lebensreform in der Mark(ブランデンブルクにおける生改革運動*注1)”を手に取ったら、偶然、この教会についての記事が載っていた。生改革運動(Lebensreform)とは、19世紀半ば以降、急激な近代化に反対してスイスやドイツを中心に広がった自然回帰をキーワードとする社会改革運動で、現在、特徴的なドイツの生活文化とみなされているものの多くがこの時期に芽吹いたようである。たとえば、ドイツ全国にある自然食品店、レフォルムハウス(Reformhaus)はこの運動に端を発している。30年前、ドイツに来て初めてレフォルムハウスの看板を目にしたとき、「はて?どういう意味だろう?」と不思議に思ったのをよく覚えている。その頃、reformという言葉から私が連想できたのは「住まいのリフォーム」だけで、住まいとは何の関係もなさそうなのにreformと書いてあるその店が気になって中に足を踏み入れてみた。店内に並べてあるのは健康食品やオーガニックの食品、自然化粧品などで意味がわからず、「健康なものを食べて体をリフォームしようという意味だろうか?」などと、おかしな解釈をしていた。ReformhausのReformが19世紀の生改革運動から来ていると気づいたのは、ずっと後になってからだ。

さて、上記の雑誌によると、ブランケンゼーの近くにある古くて新しい謎の建物は1926年に「聖ヨハネの啓示を受けた」ヨーゼフ・ヴァイセンベルク(Joseph Weißenberg)により建てられた。ヴァイセンベルクはシレジア地方の貧しい家に生まれたが、幼少の頃から予知能力がある不思議な子どもだとみなされていた。また、ヒーリングの能力があり、ヴァイセンベルクが病人に触れると病気が治ったというエピソードがたくさん伝えられている。ヴァイセンベルクは成人後、左官などいくつかの職を経験した後、ベルリンのプレンツラウアーベルクでヒーラーとして開業する。急激な社会変化の中での閉塞感や生活苦、環境汚染などから心身を患う人が多かったのだろうか、いろいろな代替医療やスピリチュアルな施術が世に溢れた時代だったようで、ヴァイセンベルクは「ベルリンの奇跡のヒーラー」として注目を浴びた。やがて、宗教的指導者としても活動するようになり、マイスターと呼ばれて崇められるようになる。第一次世界大戦直後、ヴァイセンベルクは「もうすぐ大インフレになる」と予言し、「金を持っていても価値がなくなるから、今のうちに私に預けなさい」と言って信者らから金を集めた。その資金でブランケンゼー近くのグラウという地域に土地を購入し、人々が安心して暮らせる町を建設すると言い切ったのである。

教会の建設はこうして始まった。約1000人を収容できるという大きな教会の二つのアーチ型天井は「Zwei Lebensstützen brechen nie. Gebet und Arbeit heissen sie.” (祈りと労働は決して折れることのない生の二つの柱である)」というヨハニッシェ・キルヒェの教理を象徴しているそうだ。そしてヴァイセンベルクは教会に隣接するエリアに自らの理想に基づく集落「フリーデンスシュタット(平和の町)」の建設に着手した。しかし、予言通りインフレがやって来ると、資金が足りなくなり、信者らは集落建設を続行するために金の結婚指輪をヴァイセンベルクに差し出した。だから、フリーデンスシュタットは結婚指輪で建設された町と形容されることもあった。集落には学校や病院、博物館やカフェも作られ、近代的なインフラを持つコミュニティが実現した。

 

ざっとここまで読んで、その集落を見に行きたくなった。ブランデンブルク探検仲間のCKさん(@CKCKinT)にこの話をしたら、CKさんは「その集落に行ったことがあるよ」と言う。「医者の診療所が入ったセラピーセンターがあって、宗教的な独特の静かな雰囲気がある。ボロボロの小さな集落なのに、田舎には珍しい自然食品の店があって不思議な感じ」だそうだ。ますます興味深い。そこで、CKさんに案内して貰いながらその集落を散歩することにした。

ということで、ブランデンブルク探検隊、フリーデンスシュタットにGo!

 

集落は少し奥まったところにある。集落内に入ると、真っ先に古びた建物が目に入った。かつて役場だった建物らしい。一部の窓にカーテンがかかっているが、現在、誰か住んでいるのだろうか。シーンとしていて、人の姿は確認できなかった。

 

「神とともに始まり、神とともに終わる。それが真の人生である」

 

その隣にはセラピーセンターがある。1996年に再開されたそうだが、小さな集落にある医療機関にしては随分立派だ。ドアを開けて中に入ってみたが、患者がいるのかいないのか、建物の中はひっそりとしていた。

セラピーセンターの内部に飾られたヴァイセンベルクの胸像。壁には”Krankheit ist Geist(病は精神だ)”と書かれている。宗教的な言葉なので、どういう意味なのかはよくわからない

 

集落には当時、約40棟の建物が建てられ、およそ500人が生活していたそうだ。しかし、ヨハニッシェ・キルヒェの信者の数はそれよりもずっと多く、復活祭の礼拝には2万人もの信者が訪れたという。1920年にはヨハニッシェ・キルヒェの支部は全部で20ほどあったようだ。

かつて”Goldene Sonne(金の太陽)”という名前のレストランだった建物。丘の上に立っているので、きっと日当たりの良いレストランだったのだろう。でも、今はすっかり古びて陰気な姿になっていて、太陽という名前は似つかわしくない。というのも、小さな聖地フリーデンスシュタットの平和な日々は長く続かなかった。1933年にナチ党が政権を掌握すると、ヨハニッシェ・キルヒェの活動は禁じられ、集落の建物は国家秘密警察の管理下に置かれたのである。

 

かつての学校。かなり大きな建物で、600 – 700人の児童が学んでいたらしい。階段の前に設置されている説明パネルには「バウハウススタイルで建てられた」と書いてある。当時は体育館や実験室もある近代的で清潔な学校だったらしい。うーん、すっかり荒れ果ててしまっていて、うまくイメージできないぞ。

 

集落で一番大きい建物は高齢者施設だった建物だ。これは再建したものなのでオリジナルと全く同じではないかもしれないが、1930年に大都市でもない集落にこんな立派な高齢者施設が作られたというのには驚かされる。1940年、ナチ党の武装親衛隊が占領し、第二次世界大戦後はソ連軍が兵舎として使った。現在はフリーダ・ミュラーハウスと呼ばれ、公共スペース付きの住宅になっている。

 

四角い広場を囲んで立つ、廃墟化したソ連軍の兵舎

 

これは1970年にソ連軍が建設した将校の娯楽施設。東ドイツ時代、フリーデンスシュタットはソ連の基地として使われたため、ソ連軍が建設した建物が集落のもともとの建物と混じっている。1994年にソ連軍が撤退した後、フリーデンスシュタットは宗教団体ヨハニッシェ・キルヒェに返還され、コミュニティとして再出発した。この建物は現在はコミュニティスペースとして使われている。ナチ時代とそれに続く東ドイツ時代にはどこかでひっそりと生活していた信者の一部がフリーデンスシュタットに戻って来ているそうだ。現在のフリーデンスシュタットの住民は約500人。全員がヨハニッシェ・キルヒェに属しているわけではないだろうが、現在、ドイツ全国にヨハニッシェ・キルヒェのメンバーは3000人ほどいるとされているので、フリーデンスシュタットは再びヨハニッシェ・キルヒェの本拠地となっているのかもしれない。

かつての牛舎。集落には農園もあった

 

集落の自然食品ショップ

集落は全体的にボロボロで、よそ者の私には現実感が薄く、映画のセットかなにかのように感じられるのに、中心部にある自然食品の店だけはまるで都市の一角のような存在感を醸し出している。店の外壁には十字架がかかり、レフォルムハウスならぬレフォルムカウフと書かれた看板がかかっている。

かつて、当時の基準では先進的な町だったフリーデンスシュタット。今、その姿を想像するのは難しい。でも、荒廃しているエリアにありがちな殺伐とした空気は感じられず、どこかおっとりとした雰囲気の漂う不思議な場所である。周辺も含め、人口密度の低い地域だけれど、集落はこれからも引き続き少しづつ補修されて活気を取り戻していくのだろうか。毎年12月には教会でクリスマス市が開かれているとのこと。今年はパンデミックのため開催されないだろうが、来年、または再来年、フリーデンスシュタットのクリスマス市を覗いてみたい。

 

ブランデンブルクにとても詳しいローゼンさん(@PotsdamGermany)に興味深い関連サイトを教えて頂いたので、参考資料として貼っておきます。

ヨハニッシェ・キルヒェに関する短い番組:

Johannische Kirche in Trebbin

現在の信者の方によるポッドキャスト:

Reportage “Weißenberg I”

Reportage “Weißenberg II”

 

*注 Lebensrefomには「生改革」「生活改善運動」など複数の訳語があるようです。定訳がはっきりわからなかったので、ネット上で見つけた複数の学術論文に倣って「生改革」という訳語をあてました。