ここのところすっかりシジュウカラブログ化しているが、このブログは本来はマニアックな観光スポットを訪れてそれを記録するためのものであり、今年は以下の記事に書いたように、特に「給水塔」をテーマにブランデンブルク州を回るつもりだった。
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ところが上の記事を書いた直後にコロナ禍で活動を中断せざるを得なくなった。外出が難しくなったので始めた自宅の庭でのシジュウカラ観察もとても楽しいが、ここのところようやく少しづつコロナルールが緩和され、密を避ければ多少の遠出ができるようになったので、ぼちぼちと活動を開始したところである。というわけで、かねてから行きたかったエバースヴァルデ(Eberswalde)市フィノウ(Finow)地区の給水塔を見に行って来た。
1917年に建てられたというフィノウの給水塔はまず、外観がすごい。このようなかたちの給水塔を目にするのは初めてだ。ガンダムの脚のような四角い柱4本の上にこれまた四角い貯水タンクが載っている。塔は高さ40メートルほどあり、すごい存在感。
この辺りでは古くから銅や真鍮の加工業が発達した。この給水塔はかつてこの地区にあった真鍮工場”Hirsch Kupfer- und Messingwerk”(略称HKM)のために建てられたもので、現在、内部は博物館になっている。
地上の入り口を入るとすぐ地下に降りる階段がある。地下には真鍮工場で使われていた設備の一部などが展示されている。でも、メインの展示室はここではなく、柱の中の螺旋階段を上ったところにあるタンク部分らしい。
タンクの壁が一部切開され、入り口になっている。うわー、なんか秘密基地っぽい。
展示内容は真鍮工場HKMの歴史や工場で生産されていた真鍮製品などについてで、HKMの歴史が思いのほか興味深かった。ユダヤ人企業家ヒルシュ家が何世代にもわたって経営の手綱を握ったHKMは、全盛期には650人もの従業員を抱えた大企業だっただけでなく、充実した福利厚生制度をいちはやく導入した優良企業でもあった。工場の周辺には社宅(ジードルンク)が建設され、学校、郵便局、教会、墓地に至るまでの生活インフラが整備された。合唱団などのクラブ活動やスポーツリクリエーションまで、社員とその家族で構成されるコミュニティの中であらゆることが回っていたようだ。つまり、人生=会社。会社=人生。昭和の日本みたいな感じだったのかな。給水塔は工場設備だけでなく、ジードルンクにも生活用水を供給していた。給水塔はフィノウのコミュニティを支えていたんだね。
塔のてっぺんは展望台になっていて、周辺の森が見渡せる。塔の南側には工場のジードルンクが見える。
東にはタイプの違う住宅がいくつか建っている。これは工場で生産した銅板を使い、1931/1932年に発表されたクプファーハウス(「銅の家」の意)と呼ばれるプレハブ住宅のモデルハウスだ。1920年代の不況により経営難に陥っていたHKMが新しい戦略として打ち出したこの近代住宅の生産プロジェクトには、モダニズム建築の巨匠、ヴァルター・グロピウスが指揮を取っていた時期もあるそうだ。
フィノウには8棟のモデルハウスが並んでいるが、ベルリンではダーレム地区やフローナウ地区などにクプファーハウスが見られる場所があるようだ。今度探しに行くことにしよう。これらの住宅を発表して間もなく、ヒルシュ一族は経営から退き、パレスチナへ移住した。クプファーハウスはドイツからパレスチナへ移住したユダヤ人の間でも随分と売れたそうである。
展望台からエレベーターで地上に降りると、4本の柱の間の空間に4枚の慰霊碑が立っていた。ヒルシュは第一次世界大戦のタンネンベルクの戦いでドイツ軍を勝利に導いて英雄視されていたパウル・フォン・ヒンデンブルク元帥にちなみ、この給水塔をヒンデンブルク給水塔と命名していた。これらの石碑は1938年にナチスにより設置されたもので、第一次世界大戦で戦死した兵士の名が刻まれている。第二次世界大戦後、ヒンデンブルクの名前は撤去され、塔の名もフィノウ給水塔という政治的にニュートラルなものになった。
こうして今、博物館としてフィノウの歴史を伝えている給水塔だが、実はこの塔はとっくの昔に消えてなくなっていた可能性があるのだ。第二次世界大戦終盤の1945年、ヒトラーは塔や橋などのインフラストラクシャーを全て破壊せよという「ネロ司令」を出した。しかし、この給水塔の爆破命令を受けた兵士ゲアハルト・ケスラーがギリギリのところで任務を遂行しないという決断を下したため、塔は破壊を免れたのだった。給水塔を救ったケスラーはフィノウ地区の英雄である。
さて、塔を見学した後は、塔の周辺も少し散歩しようか。
ジードルンクの建物はHKM創始者の名にちなんだグスタフ・ヒルシュ広場を囲むように建っており、広場の芝生には小さなショーケースが置かれている。1913年、青銅器時代後期に作られたとされる金製の装飾具、「エバースヴァルトの金の宝(Eberswalder Goldschatz)」がここで発掘されたのだ。しかし、ケースに入っているのは発掘物のレプリカで、本物はロシアのプーシキン美術館にあるんだって。うーむ。返してくれないのかなあ。
なんだか駆け足でまとまりのない紹介になってしまったが、フィノウの給水塔は建築物としての面白さだけでなく、それが建てられ利用された時代の社会背景や政治背景、ユダヤ人コミュニティ、ジードルンク、モダニズム建築、さらには考古学発掘物など、深堀りできそうな要素が盛りだくさんでかなり面白い。この、多方面へと広がっていく感じ。それこそが探検の醍醐味である。次の機会にはいずれかのテーマを掘り下げてみたい。
この近くには過去記事で紹介した船舶昇降機があって、そちらもかなりおすすめ。