前回の記事では、旧東ドイツ時代に建てられた高層住宅群、プラッテンバウジードルングを紹介した。旧東ドイツの遺物を見て回ることができるのはベルリンやブランデンブルクに住む楽しみの一つだ。プラッテンバウはその典型的な例としてよく挙げられるが、プラッテンバウよりもさらに直接的に社会主義時代を想像させるものがある。

それは、街角で見かける社会主義時代のアート。

初めて見たときにはそのインパクトに度肝を抜かれた。私は人生の半分近くをドイツで暮らしているが、最初の10年ちょっとは旧西ドイツエリアにいたので、社会主義についてあまり考えるきっかけがなかった。ブランデンブルクに移り住み、あちこちで西側では見たことのない独特なアートを目にするようになり、社会主義国東ドイツとはどんな国だったのだろう、そこでの暮らしはどんなふうだったのだろうかと考えるようになった。

東ドイツ時代に街角に設置された彫刻や絵はイデオロギーを前面に打ち出していたため、その多くはドイツ再統一後に撤去されている。まだ残っているものについても、今後どう扱っていくべきか、議論が交わされている。

今回、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で相棒の由紀さんが撮り溜めたベルリンの気になる街角アート、そして私が撮影したブランデンブルクの街角アートについて、背景を調べてみたら、今まで知らなかったことがたくさん出て来て興味深かった。

 

 

どの作品も背景はそれぞれ興味深いけれど、私個人にとってはポツダムの情報処理センター(だった建物、現在はアートスペース)の外壁に描かれた、宇宙をモチーフとしたモザイク画が特に想像をかき立てる。旧東ドイツにおける宇宙開発は気になっているテーマの一つなので、いつか掘り下げてみたい。

 

上の動画で紹介しきれなかったが、ポツダムの情報センターの壁はモザイク画だけでなく、小さなタイルが並べられている壁もある。タイルの模様が銀河っぽい?

気になることを調べるって、本当に楽しいな。次は何を調べよう?

 

 

 

 

私が住んでいるドイツ東部には団地が多い。いや、団地はどこにだってたくさんあるのだが、ドイツ東部の団地は特徴的である。規格化されたプレハブ工法の高層アパートがずらりと立ち並ぶ。都市という都市で見かける光景だが、特にベルリンやコットブスなどの大きな都市における団地の規模たるや圧倒的である。

そのような高層アパートは社会主義国であった旧東ドイツ(DDR)時代に建設されたもので、俗に「プラッテンバウ(Plattenbau) 」と呼ばれる。旧西ドイツにも第二次世界大戦後に建設された高層アパートの団地がないわけではないが地域が限られており、数も旧東ドイツほどは多くない。だから、「プラッテンバウ」はしばしば社会主義の象徴として語られる。ドイツが再統一された現在はダサい建物とみなされがちな「プラッテンバウ」であるが、私にはずっと気になる存在だった。なぜかというと、プラッテンバウが並ぶ団地を見ていると、なんとなく郷愁を覚えるのだ。どことなく昭和的というか、、、。いや、ここはドイツ。昭和という時代はここには存在していなかった。でも、プラッテンバウは私が育った昭和の時代によく目にした団地の風景にちょっと似ている。

「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」の相棒の由希さんは団地ファンで、やはりプラッテンバウがずっと気になっていたという。ならば、プラッテンバウを探検しようではないか。

というわけで、スライド動画「東ドイツの”The 団地” プラッテンバウ」が完成。動画では旧東ドイツで多くのプラッテンバウが建てられた背景やプラッテンバウの様々なタイプ、そしてベルリンとブランデンブルク州のいろいろな団地を紹介している。

特に紹介したかったのはプラッテンバウの聖地ともいえるベルリン北東部のマルツァーン地区の巨大団地だが、それらしい写真を撮るのにちょっと苦労した。というのは、地上から撮影したのではなかなかその規模の大きさを伝えられない。そこで、マルツァーン地区にある園芸博覧会跡地の広大な公園、”Gärten der Welt“の上を走るケーブルカーに乗り、その中から団地の景色を撮影することにした。ところが、乗ってみたらケーブルカーのガラスは黒っぽい遮光ガラスでガックリ。あ〜、これじゃまともな写真撮れないよ〜。しかし、乗った以上は引き返すこともできない。仕方なくそのまま乗っていたら頂上駅の横に大きな展望台があるのに気づいた。

あそこなら撮れる!階段を駆け上がり、展望台から見た景色は、、、、、圧巻であった。

 

 

 

先月、バルト海へ休暇に行って来た。今年初めての旅行である。長い長い旅行制限が続いた後、ようやく遠出をすることができ、短い期間ではあったが満喫した。

滞在したのはダース地方のプレーローという村である。


ダース地方はバルト海に突き出たブーメランに似た形をした細長い半島の中心にある。半島名はFischland-Darß-Zingst。長い名前なのは、かつて3つの別の島だったFischlandとDarßとZingstの間に砂礫が堆積して一続きの陸地になったからだ。自然環境が素晴らしく、半島の東部のZingstは写真ツーリズムで有名で、私も一度写真ワークショップに参加したことがある(そのときに書いた記事はこちら)。プレーローはこじんまりとした静かな村で、Zingst方面へもFischland方面へも移動しやすく大変気に入った。

お天気に恵まれたので、サイクリングをしたり、海に入ったり、野鳥を観察したりと野外活動を大いに楽しんだ。


 

ダースにはいくつかの村があるが、ぶらぶらと歩いているうちに気づいたことがある。とても可愛らしい民家が多く、特にドアが他では見たことのない素朴な可愛さなのだ。

こんな感じ

気になっていたところ、地元の書店でこんな本を見つけて、即買い!

「ダースのドアの小さな本」と題されている

タイトルの通り、ダース地方の伝統的なドアについての本でとても素敵で興味深い。そして、裏表紙を開いたとき、「ヤッタ!」と思わず声が漏れた。

なーんと、滞在しているプレロー村の可愛いドアのついた家のマップが載っているではないか。これはもう、「ドア探検」に行くしかないよね?家から持参した自転車に飛び乗って、かわいいドアを探しに行ったのであった。

数が多くて全部は見切れなかったけれど、ドアのオーナメントにはいろんなモチーフのものがあり、また同じかわいいドアでも時代によってデザインに流行があることがわかって大変面白かった。その探検の成果をまとめたものが以下の動画である。

 

スライド動画には載せきれなかったダースのドアの画像を「ドアギャラリー」にアップしたので、興味のある方はぜひ見てね。

 

 

前回、前々回の記事でシジュウカラの育児観察についてまとめたが、今年は同時にクロウタドリの営巣も観察するチャンスに恵まれた。

以前から我が家の庭にはクロウタドリが3ペアほど出入りしていて、そのうちの1ペアが生垣の中に巣を作ることがよくあった。でも、その生垣は奥行きが2メートル以上あり、去年までは観察用カメラも持っていなかったので、巣の中を見たことはなかった。今年はその生垣を撤去したので、うちの庭にはもう巣を作らないだろうなあと思っていた。でも、垣根を取り除いた場所に花などを植える作業をしているとクロウタドリが飛んで来て、すぐそばの地面で忙しそうに虫を集めている。お隣か裏の家の庭に巣を作ったのだろうなあ。

 

ところが、5月の終わりに庭の反対側の地面にクロウタドリの卵が落ちているのを発見した。

 

こちら側にも小さい生垣がある。もしや、と思って葉をかき分けて中を覗くと、クロウタドリの巣があった。

巣には卵が1つ。そのそばの枝には割れた別の卵の殻が引っかかっている。どうやら、カラスか何かに巣を荒らされたらしい。この巣はこのまま放棄されるのだろうか。せっかく巣作りしたのに、残念だなあ。しかし、この後、休暇に出かけたりして、そのままこの巣のことはすっかり忘れていた。

旅行から帰って来て庭を見回っていると、生垣のあたりが何やら騒がしい。クロウタドリが生垣に出たり入ったりしている。あれ?ひょっとして?

覗いてみると、メスが巣に座っているではないか。そして右側にはヒナらしきものの姿が!母鳥は残った1個の卵をちゃんと温め、ヒナが生まれていたのだ。気づいた私と夫はワーワー大騒ぎ。夫が大急ぎで観察用カメラを生垣の中に取り付けた。

 

やった!これでクロウタドリの巣も観察できる。シジュウカラの観察カメラは巣箱の天井につけたから真上からの映像しか見れないが、こちらは横にカメラを設置したのでまた違うアングルから観察できるのもグッド!でも、あれれ?ヒナは2羽いるぞ。巣を荒らされた後もさらに卵を産んでいたのか。

と思ったら、4羽いた!いつの間にこんなに卵を産んでいたんだろう。

気づいたのが遅かったので、ヒナはすでにある程度大きくなっていて、最初から観察できなかったのがちょっと残念だが、みんな元気いっぱいで見ていて楽しい。それもそのはず、親鳥がすごくがんばって育てているのだ。

餌としてヒナに与える虫を集めるお母さん

 

お母さんだけじゃないよ、お父さんも超働き者。夫婦で力を合わせて4つ子育児に奮闘している。私たちがテラスに座っていると、お父さん鳥が頭上をビュンビュン飛んでせっせと餌を巣に運んでいく。そして、このお父さんはなかなか慎重で、巣に直接は飛び込まず、まず近くの別の場所に留まってあたりを見回し、誰も見ていないのを確認してからサッと生垣の中に消える。そして、子どもたちもお利口さんなのだ。母鳥も巣から離れて餌探しをすることがあったが、親がいない間は子どもたちは巣の中に頭を引っ込めて静かにじーっとしている。ふと、「オオカミと7匹の子ヤギ」の話を思い出した。悪い奴がやって来て、食べられてしまったら大変だからね。

 

ぐんぐん成長して、数日後にはこんなに大きくなった!

 

そして7月7日。私は朝から胸騒ぎがしていた。今日あたり、彼らは巣立つのではないかという気がしたのだ。なのに、その日に限ってキャンセルできない予定が入っている。出先でカメラアプリを頻繁に覗き込む余裕もなさそうだ。私が家にいない間にすべてが終わってしまうかもしれないと巣を気にしつつ、家を出た。

数時間後、夫からメッセージが入った。

「オレのビーサンの中にヒナがいる!」

「はあ?」

あああ〜!やっぱり、出ちゃった。でも、なぜ、サンダルの中に着地!?夫はこれをどうしたものかと迷ったが、そのままにしておいたら親鳥が迎えに来て一緒にいなくなったとのことである。

私は慌てて家に帰ったが、時すでに遅し。巣はもぬけの殻であった。

自動録画された映像を巻き戻して巣立ちの瞬間が映っていないかを見たところ、最後の1羽はなかなか飛び立てなかったようで、巣の縁に上がっては中に降り、また縁に上がっては降りをしばらく繰り返した後、ついに飛び出した。

 

生垣の中だから、華麗に飛び立つというより、近くの枝や葉っぱに乗りながら出ていくという感じだね。

 

こんなわけで、シジュウカラのヒナもクロウタドリのヒナも無事に巣立ち、めでたしめでたし。そして私はまた空の巣症候群に陥るのであった。

 

 

前回の続き。

いよいよ始まった、シジュウカラの子育て。

2つ目の卵はいつ孵るかなと思って見ていたが、何が良くなかったのかヒナは生まれなかった。つまり、モコちゃんの赤ちゃんは一人っ子である。去年はたくさんのヒナが成長する様子が見られたので、今回は1羽だけというのはちょっと寂しい気がした。でも、しばらく見ていたら、これはこれで観察のしがいがあることがわかった。ヒナ同士が重なり合うことがないので、その分、体の成長をよく見ることができるのだ。

最初のうちは皮膚が透けていて、体の内部まではっきり見える。非常に興味深い。でも、見ようによってはちょっとコワイ画像かもしれないので、ここにクローズアップを載せるのはやめておこう。

 

生後8日。頭が黒くなり、羽が生えてシジュウカラらしくなった。一人っ子なので、パパとママがせっせと運んで来る餌を独り占めできる。だから、グングン大きくなった。

生後9日。お座りができるように。

生後10日。ママに抱っこしてもらっていたら、パパが餌を運んで来る。大事に育てられているなあ〜。見ていると、ほのぼのしてしまう。

 

生後11日。羽ばたきの練習が始まった!いよいよ巣立ちか!?

と思ったけれど、ここからがなかなか大変だった。この子(ピヨちゃんとしよう)は発育状態はとても良いのだが、どうも甘えっ子のようなのだ。母鳥のモコちゃんは「そろそろ巣立てそう」と判断したのか、この翌日から、餌を持たずに巣箱に戻って来て、ピヨちゃんを外に誘い出すような仕草をするようになった。が、ピヨちゃんはなかなか出ようとしないのである。

生後14日目。巣箱に戻って来たモコちゃんに「ママ、ごはんちょうだい、ちょうだい!」とねだるピヨちゃん。モコちゃんは「ダメダメ」というように首を振り、我が子の前に回李、手本を見せるように飛んでみせる。しかし、ピヨちゃんは怖がって出ようとしない。モコちゃん、今度は餌を見せながら「ママと一緒に外に出られたら、これをあげるからね」とでも言うかのように説得を試みる。しかし、それもうまくいかない。延々とそれを繰り返していたら、夜になってしまった。どうやら巣立ちは翌日に持ち越しのようである。

生後15日目。ピヨちゃん、ようやく出ようという気になったのか、ときどき飛び上がってはみるのだが、やっぱり怖いようだ。兄弟がいれば、先に飛び立つ兄弟の勢いにつられて出やすいのかもしれないが、なんせ一人っ子。モコちゃんは延々と根気よく飛ぶのを促している。イヤだイヤだ、こわいもん、とグズるピヨちゃん。いやはや、子どもを巣立たせるのも大仕事だね。私もこの日は今か今かと、10分おきにカメラを覗き込んで、手に汗握っていた。

 

そして、今日もまた出ないで終わりかなあと思いかけた夕方の5時過ぎ、ついにピヨちゃんは勇気を振り絞って巣箱を出たのだった。

 

巣箱から出る瞬間を外から見ようと思っていたのだけれど、ちょうどこのとき取り込んでいてすぐには庭に出られず、気づいたらもう巣箱にピヨちゃんの姿はなかった。慌てて自動録画されていた動画を確認する。動画に残った音からして、ピヨちゃんはスムーズに飛び立ったというより、出口でジタバタしているうちに偶然飛び出せたという感じだったのではと推測する。庭に出て、それらしきヒナがいないか探してみたが、見当たらなかった。残念!でも、パパとママに守られてオークの木のどこかにいるはず。成鳥と区別がつかなくなる前に姿が見られるといいなあ。

 

というわけで、今年は1羽だけだったけれど、巣箱からシジュウカラが無事に巣立った。大家の私と夫にとっては嬉しい限りである。

 

去年、初めて庭に野鳥のための巣箱を設置し、内部にカメラを取り付けた。設置後数時間でシジュウカラが営巣を始めたので、巣作りから抱卵の様子、そしてヒナ達が巣立つまでを観察した。カメラを設置したのも野鳥の育児を観察するのもまったく初めての経験で、ワクワク、ハラハラな数週間を送った。

その一部始終をこのブログに「シジュウカラの育児観察記録」(その1からその10まであります)および「帰って来たシーちゃん、シジュウカラ2度目の営巣」(その1からその3まであります)としてまとめたところ、多くの方が読んで下さったようだ。

それにしても、野鳥の育児観察がこんなに面白いなんて!巣箱は数ユーロで市販されているので気軽に設置できる。カメラも一度用意すれば壊れるまでは使えるから、これからは毎年観察が楽しめる。よし、2021年もいくぞー!とやる気満々でシーズンの到来を待った。今年は巣箱を2つに増やし、古い方を旧館、新しい方を新館とした。それぞれの内部にカメラを取り付けて2月から観察を開始。今年はリアルタイムではブログに記録せず、一連のプロセスが終了してから手元に残った画像と映像記録、メモをもとにまとめることにしたのでリアルタイム観察の躍動感は伝わらないかもしれないけれど、以下、まとめである。

————–

結果から言うと、今年も去年同様、シジュウカラの営巣からヒナの巣立ちまでを観察することになったが、今年は去年とはだいぶ様子が違っていた。まず、なかなか本格的な営巣が始まらなかった。2月の終わりにかなり暖かい日があって、新館の方でも旧館の方でもアオガラとシジュウカラが代わりばんこに巣箱に入って中を偵察してはいた。気の早いアオガラが新館に巣材を持ち込み始めたが、数日後に冬に逆戻りしたような低気温になり、アオガラはあっさり断念。4月に入って今度は旧館でシジュウカラが営巣を始め、結構いいところまで進んだ。しかし、5月に再び寒い日が続いてこちらも中断。ニュースによると、今年の5月は30年来の寒い春だったそうだ。日が長くなって来ても昆虫の姿もほとんど見られない。これではヒナが生まれても与える餌もないだろう。私も毎日巣箱カメラを覗き込んでは何も起こらずガッカリする毎日。

しかし、ようやく気温が安定して来た5月29日、旧館でようやくシジュウカラが中断していた巣作りを再開!

営巣再開から3日目の様子

今度こそ、子育て本格開始か!?

やっぱり暖かくなるタイミングを待っていたのだろう。すごいスピードで巣が整えられ、6月3日、卵が一つ産み落とされた。

 

去年、この巣箱で営巣したシジュウカラのシーちゃんとは別のメスのようだ。うなじの白いあたりがしーちゃんとは違う感じで、巣の作り方もかなり違う。季節がズレているから手近にある巣材の種類が違うからかもしれないけれど、なんだか随分とモコモコした巣を作るなあと思って、このメスは「モコちゃん」と命名。

シーちゃんは毎朝1つづつ卵を産んだけれど、モコちゃんはそうではなく、1つ目の卵を産んでから6日目にもう一つ産んだ。そして、それきりもう卵を産まなかった。シジュウカラにしては少ない。今年の春は気候が安定しなかったことと関係があるのか、別の理由なのかはわからないが、モコちゃんは多産ではないのだった。

ここからモコちゃんは抱卵モードに入ったが、6月に入ると今度はいきなり猛暑となり、30度越えの日が続いた。巣箱の中は一体、何度あるんだろう?卵が煮えてしまうのでは?と心配になる。モコちゃんもそれを心配してか、それとも自分が暑くてとても座っていられないのか、立ち上がって上を仰ぎ見て口を開けていることが多かった。大家の私としては、エアコンつけてなくてすみませんと謝りたくなる気分である。

そして、最初の卵が産み落とされて20日が経過、卵の1つが孵った!かわいい〜!生まれたての我が子を愛おしそうに見つめるモコちゃん。モコちゃんのダンナもせっせと餌を運んで来て、夫婦力を合わせての子育てが始まった。

 

長くなったので、続きはその2に。

 

 

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」に10本目のスライド動画をアップしました。今回のテーマはブランデンブルク州カプート村(私が住んでいる村です)にある物理学者アルベルト・アインシュタインの別荘です。

ベルリンから公共交通機関を使って片道約1時間のところにあるアインシュタインの家は、ユダヤ人建築家コンラート・ヴァクスマンの設計によるものです。ヴァクスマンは後に米国に亡命し、バウハウスの創立者で近代建築の巨匠とされるヴァルター・グロピウスと共にプレハブ住宅の普及に大きく貢献します。

アインシュタインはヴァクスマンが設計した家とカプート村をとても気に入っていました。現在、家は週末のみ一般公開されていて、ガイドツアーで中を見学することができます。

カプート村のアインシュタインの家のウェブサイト

この家についてはたくさんの情報があって、20分ちょっとの動画には収まりきらなかったので、こぼれ落ちた内容の一部を補足として動画の下に書きます。まずは是非、動画を見てみてください。

補足)

アインシュタインの家を設計したヴァクスマンは、「この家のインテリアにはバウハウスの家具がぴったりですよ」とマルセル・ブロイヤーがデザインした椅子など、バウハウスの家具をアインシュタインに奨めました。でも、アインシュタインは家具までモダンなもので揃えるのには違和感があったようで、その案は採用せず、手持ちの家具を運び入れて使ったそうです。

1932年にアインシュタインがカプートを去った後、この家は様々な用途に使われました。最初に利用したのは、隣の敷地にユダヤ人の子ども達のための学校を設立していたユダヤ人教育者、ゲルトルート・ファイアーターク(Gertrud Feiertag)でした。ファイヤータークが運営する寄宿舎付きの学校では、主にベルリンに住むユダヤ人家庭の子どもたちが学んでいました。ユダヤ人への迫害が強まる中、ベルリンはユダヤ人の子どもが安心して学校に通える環境ではなくなっていたからです。また、親が先に外国へ移住し、生活の基盤が整ってから子どもを呼び寄せるつもりで子どもを預けているケースもありました。そのうち、他の地域からも庇護を求めてユダヤ人の子どもたちがカプートへやって来るようになります。米国に渡ったアインシュタインは弁護士を通じてファイアータークに家を託し、家は学校の一部として使われました。

しかし、1935年、アインシュタインの家はナチス政権により没収され、カプート村に売り渡されます。ユダヤ人の子どもたちを守るために戦ったファイアータークは1943年、アウシュビッツの強制収容所に送られ、そこで命を落としました。その後、家は幼稚園教諭の養成所や兵士の宿舎として使われるなどいろいろな時期を経て、70年代の終わりに重要文化財に指定されました。1979年に痛んでいた家の修復工事が終わり、アインシュタインの生誕100年を記念して開かれた式典の際には、(地元の人の話によると)家の中にバウハウスの家具が展示されされたそうです。このときアインシュタインはすでに亡くなっていましたが、設計者のヴァクスマンはこの式典に参加しています。ヴァクスマン家の修復状態には内心ちょっと不満があったそうですが、バウハウスの家具を置きたいという彼のかつての希望はこのときようやく実現したと言えますね。

 

昨年からパンデミックで外出もままならない日が続いていましたが、ここのところドイツでは感染者数がかなり減って、規制が緩和されています。冬の長いドイツでは、いつも皆、夏を心待ちにしています。夏場は日が長いので、仕事の後でもたっぷり野外で活動できます。ドイツの夏は湿度が低く、とても爽やか。水場に恵まれたベルリン・ブランデンブルクでは水遊びを楽しむことができます。

湖で泳いだり、ボートやSUPを漕いだり、釣りをしたりなど水遊びの種類が豊富ですが、アクティブなレジャーはあまり、、、という人には遊覧船でのクルーズなど楽なレジャーがたくさんありますよ。

ベルリン・ブランデンブルク探検隊」の相棒、久保田由希さんがベルリンの公共交通を使った水路によるベルリンの楽しみ方を紹介する動画をYouTubeに公開しました。安くて気軽で、それでいてドイツの夏らしさを満喫できる素敵なルートです。

コロナの感染状況はいつまた悪化するともわからないので引き続き注意が必要ですが、ルールをきちんと守りながら短い夏を楽しみたいと思います。

水路によるブランデンブルクの楽しみについても、改めてご紹介するつもりです。

 

 

先日、YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」にブランデンブルク州で最も人気の観光地、シュプレーヴァルトについてのスライド動画をアップしました。私も相棒の由希さん(@kubomaga)も大好きで何度も足を運んでいるシュプレーヴァルト。自然環境が特殊で、少数民族ソルブ人が多く住んでいることから文化的にも異色なとても魅力的な地域です。ベルリンから他の地域へ遊びに行きたいけれど、どこへ行こうか?と迷ったら、ここ!

今回はシュプレーヴァルトはどんな場所なのかをざっくりとご紹介しました。シュプレーヴァルトには四季折々の独特な伝統行事があり、掘り下げていくととても奥深い地域なので、また改めて、続編動画でそれぞれの季節の魅力をお伝えしていくつもりです。