ラインラント=プファルツ州の小さな町Höhr-Grenzhausenにある「ヴェスターヴァルト陶器博物館(Keramikmuseum Westerwald)」へ行って来た。

ドイツの焼き物といえば、日本では圧倒的にマイセンの磁器が有名だが、ヴェスターヴァルト地方も焼き物の名産地だ。ヴェスターヴァルト焼きはSteinzeug(「炻器」せっき)と呼ばれる焼き締め陶器で、塩釉(しおゆう)のかかったグレーの素地に青い模様の素朴なデザインの陶器が多い。ヴェスターヴァルト地方はカンネンベッカーラント(Kannenbäckerland「水差し職人の土地」の意味)とも呼ばれ、古くから陶器作りが盛んだった。16世紀末からはヨーロッパ中に輸出されるようになり、実用陶器として広く普及した。今でもドイツ、特にライン川流域ではヴェスターヴァルト焼きの水差しやビールジョッキなどがよく見られる。

陶器作りの中心地として発展したヴェスターヴァルト地方はドイツ最古にして最大の粘土の産地である。第三紀(約2500万年前〜500万年前)に堆積した砂岩や粘板岩、珪岩などが風化し、その後火山の影響も受けてさまざまな粘土が集積した。焼き物に適した上質な粘土が豊富で、なかでも、Westerwälder Steinzeugton(ヴェスターヴァルト炻器用粘土)と呼ばれる粘土はほとんど水を通さず、高温で焼いても壊れず、12001300℃で焼くことでしっかりと焼き締まる特徴を持つ。厚みのある丈夫な造りの焼き物は実用品として重宝された。また、塩の交易ルートがこの地方を通っていたので、塩を調達しやすかったことも、塩釉技術の発達を後押しした。

かつては馬車に積まれ、各地の市場で売られた。陶器を運ぶ馬車はDöppewgn(Töpfe陶器Wagen車)と呼ばれた。

Westerwälder Kannnenofenと呼ばれる窯のモデル

グレーに青い模様の水指と並んでヴェスターヴァルトでたくさん作られたものに、ボトルがある。16世紀末、ヴォルムスの医師、ヤーコブ・テオドール・タベルナエモンタヌス(なんちゅう名前!)がヴェスターヴァルト南東に位置するゼルタース村(Selters an der Lahn)で湧き出るミネラルウォーターが健康に良いという見解を発表したことで、ゼルターズ産の水がバカ売れするようになった。それで、ヴェスターヴァルトの焼き物職人はせっせと水を詰めるためのボトルを焼くようになったのだった。ゼルタースヴァッサーは、今でもブランド力の高いミネラルウォーターだ。

ミネラルウォーター用のボトル。表面に産地や陶工の頭文字が刻まれたスタンプが押されている。

博物館には、石器時代から現代に至るまでのヴェスターヴァルト陶器が年代順に展示されている。今まで日用品として使われるシンプルなものしか知らなかったが、時代ごとの美的価値観を反映した凝ったデザインのものも多く作られていたことがわかった。

1700年ごろに作られた水差し

18世紀以降の古典主義時代につくられた装飾的な作品

鉄分をほぼ含まないジークブルク産の粘土で作られた白い陶器

ヒゲのおじさんの顔がついた水差し。ケルンあたりで昔、流行ってたらしい。鉄分の多い粘土から作られたので、茶色い色をしている。

ユーゲントシュティール

飲めや歌え。1920年代にパーティでボウレと呼ばれる飲み物を出すのが流行し、作られるようになったボウレ容器。

著作権の侵害にならないよう、写真を撮るのは控えたが、古いものばかりでなく、現代の作家さんの作品もたくさん展示されていて、見て歩くのがとても楽しかった。この博物館のあるグレンツハウゼンは現在もドイツにおける陶器づくりの中心地で、数年に一度、「ヴェスターヴァルト賞(Westerwaldpreis)」という現代陶芸の公募展が開催される。世界中の作家が応募する、ヨーロッパ屈指の陶芸コンテストであるらしい。

ヴェスターヴァルト焼きの陶器は、有名な絵画にもよく描かれている。あらためて、いかに重要な産業だったかを知った。地域特有の文化や産業と、その背景にある地形や地質について知るのは本当に楽しいなあ。