久しぶりにベーリッツにあるサナトリウム廃墟、Beelitz-Heilstättenへ行って来た。

ベルリン・ブランデンブルクでは廃墟ツーリズムが人気だが、この廃墟は規模が大きく、ベルリンからのアクセスも良いことから特にポピュラーだ。20世紀初頭、結核患者の療養施設として建設された建物群である。

 

 

我が家から近く、今住んでいるところへ引っ越して来た10年前、散歩の途中に偶然見つけた。当時はまだ観光化されておらず、そのときは人通りもほとんどなかったので、ボロボロに崩れた暗い建物の内部に見える病院の名残りに背筋がゾーッとしたのを覚えている。現在はフェンスに囲まれており、入場料を払って見学する。140ヘクタールの敷地には、かつての療養施設や外科病棟、食堂、自家発電所などの多くの建物が崩れかかった状態で残っているが、現在は複数の所有者が異なるツアーを提供している。

今回はBaum & Zeitが敷地内に建設した空中遊歩道(Baumkronenpfad)を歩いてみた。

 

高さ40メートルのタワーの上からは、敷地内のほぼ全体を見渡すことができる。

 

遊歩道の高さは地上23メートル。このような遊歩道が整備されて観光地化されたことで、以前のように「見てはいけないものを見てしまった」ときのようなドキドキ、ゾクゾクずる感じは失われたが、廃墟を真横から見たり、上から覗き込むことができるようになった。

 

 

 

遊歩道を歩いた後は、ガイドツアーに参加した。いろいろなツアーがあるが、今回参加したのは「外科病棟ツアー」。このサナトリムが建設された背景には、19世紀の終わりに産業の発展に伴ってベルリンに大量の労働者が流入したことがある。急激に人口が増えて住宅難となり、多くの人々は劣悪で不衛生な住環境で生活していたため、結核が蔓延した。ビスマルクにより健康保険制度が創出され、結核患者の療養施設として作られたのがこのサナトリウムである。約1200人の患者が収容可能で、当時は国内最大規模だった。

1900年から1930年までは、主として健康的な生活により免疫力を高めることが「治療」であり、栄養のある食事、自然に囲まれた静かで空気の清浄な空間が提供され、リラックスや運動が中心だった。現在のクアハウスの原点と言えるかもしれない。1930年からは外科治療が試みられるようになり、その後、最初の抗生物質であるストレプトマイシンが発見されるまで続けられた。

 

 

 

 

手術室。天井はガラス張りで光がたくさん入る造りになっており、換気扇も備わっている。

 

薬品などを入れてあった戸棚。

 

 

現在は荒廃しきっているが、当時は近代的で美しい建物であったことが伺える。

 

第一次・二次世界大戦中は負傷兵の治療のための病院として使われ、アドルフ・ヒトラーも入院していたことがある。第二次世界大戦後はソ連軍が使用した。1990年の末から翌年の春にかけてはエーリッヒ・ホーネッカーもここで病に伏せていた。

 

外科棟ツアー以外に、サナトリウムでの日常生活を知るツアーやフォトツアーなどもある。詳しくはこちら

 

先日、ドイツの公共放送、ARDでロベルト・コッホの時代のベルリン医科大学を舞台にした連続ドラマ(下動画)を放映していたのを見たばかりなのと、そのドラマに出てきた青い痰壷をこの間訪れたドレスデンの衛生博物館(記事はこちら)を見たこともあって、頭の中でいろいろ繋がって面白かった。

 

このドラマには、ロベルト・コッホ、エミール・フォン・ベーリング、北里柴三郎(日本人俳優)などが登場する。

 

このサナトリウム廃墟のあるベーリッツは白アスパラの名産地で、子ども連れで楽しめる大きな観光農園、Spargelhof Kleistowがある。農園のすぐそばの森の中には本格的なロープアスレチック場も人気。白アスパラの季節に農園と廃墟見学を組み合わせるのがオススメ。