前回の記事ではベルリン、ミッテ地区にあるクノーブラウホ邸を訪れたことを書いた。住文化繋がりで、今度はパンコウ地区にあるハイン邸を見に行ってみた。

ハイン邸というのは パンコウ地区博物館(Museum Pankow)の管理する建物の1つで、籐(ラタン)加工工場経営者であったフリッツ・ハイン(Johann Friedrich Heyn)が1893年に現在のハイン通り8番地に建てさせた住宅だ。1974年にミュージアムとして一般公開されている。その直前までハイン氏の娘二人が住んでいたため、建設当時の内装や家具の大部分がそのまま残っていて、1900年ごろのベルリンの裕福な市民の生活空間をほぼオリジナルの状態で見ることができるのだ。

 

 

戦後補修されたオレンジ色の壁の建物(写真撮るの忘れた!)は特にどうという感じでもないのだが、入り口のドアを開けると、おおっ!という感じ。ミュージアムは日本でいう2階部分で拝観は無料。係りの方が「ご案内しましょうか?」と仰ってくださったので、案内して頂くことにした。

Herrenzimmerと呼ばれる応接間

起業家フリッツ・ハインはこの住宅のすぐ側にかつて果樹園だった土地を購入して建設した工場で椅子の材料である籐(ラタン)を加工し、財を成した。住居のうち、このHerrenzimmer(ヘレンツィンマー、直訳すると「男性の間」)と呼ばれる応接間は主にビジネス相手の男性客を迎え入れる部屋だったらしい。

まるでお城のような内装だけど、これでも市民の家なのか、、、。でも、当時の市民(Bürger)の定義は現在の市民とは違うからね。「資本家階級の暮らし」と置き換えてみるものの、わかるような、わからないような。

ハイン夫妻は子沢山であった。16人の子どもをもうけたが、3人は幼少期に亡くなった。ヘレンツィンマーの壁には6人の娘たちの肖像画が描かれている。見事な装飾が施された優雅な部屋だけれど、壁の色はくすんでいる。ガイドさんによると、このような文化財に指定された建物の内装を手入れするときには、表面を白いパンでこすって汚れを落とすそうだ。

サロン

普段は鍵をかけておき、特別な日だけに使ったサロン(gute Stubeとも呼ばれる)。家族や友人が集まって音楽を楽しんだり、文学や芸術について語り合ったりした部屋で、壁にはハイン夫妻の金婚式の際に撮影された親族の集合写真が飾ってある。

各部屋にあるストーブの立派なこと

こちらは「ベルリンの間(Berliner Zimmer)」と呼ばれる部屋。「ベルリンの間」というのは建築用語で、道路に面したメインの建物と横の別棟を繋ぐ連絡通路の役割を果たす空間を指す。敷地における建物の配置や設計によっていろいろなタイプのものがあるが、共通しているのは窓が1つしかないこと。だから、日当たりが良くない。

こうした「ベルリンの間」はベルリン市内のアルトバウと呼ばれる古い建物に多く見られるそうだが、1925年に新しい建築条例により禁じられたため、それ以降の建物にはない。ハイン家ではこの空間を食堂兼居間として使っていた。

床材はハイン邸が建設された当時、流行の最先端だったリノリウム。リノリウムは現在でもよく使われているけれど、このような花柄は珍しい。

バスルーム

バスルームは一見、古いアパートでは今でもありそうなつくりだけど、

このバスタブはハイン氏が特注したものだそう。この頃はまだタイル製のバスタブというものは一般的ではなく、台所のタイルで作らせたという。底部分には滑りにくいタイルを使い、ちゃんと排水の穴もある。階段までつけてあるのが素敵。

ハイン氏は家族の住居としてのこの建物の向かいに従業員用の住居も建設した。福利厚生のしっかりした優良企業という印象だが、第一次世界大戦後、ドイツが植民地を失ったことで籐の調達ができなくなり、ハイン氏の会社は倒産してしまった。

かつての工場の敷地は現在、バーや作業場として使われている。バーに入ってみたかったけど、間昼間だったので閉まっていた。残念。

壁にはハイン氏の肖像とかつての工場のイラスト

このハイン通りのミュージアムで「昔の住文化に興味がある」と話したら、ガイドさんが別の2つのミュージアムを奨めてくれたので、今度はそちらへも行ってみることにする。ドイツの住文化探索はまだ続く、、、、。