ネルトリンゲンでは真っ先にリース・クレーター博物館へ行き、リース・クレーターとそれが形成される原因となった1450万年前の隕石落下についての展示を見た。ネルトリンゲンを含む表面積およそ1800km²のリース・クレーターは現在、ジオパークに指定されている(Goepark Ries).

このジオパークには全部で6つのジオトープがあり、散策しながら隕石衝突の跡を観察することができる。個人でも歩いても構わないが、専門のガイドさんに案内してもらうこともできると聞き、ツーリストインフォメーションでガイドさんを手配してもらった。運良く、ネルトリンゲンから約1.5km南のジオトープ・リンドレ(Lindle)を案内してもらえることになった。

 

 


リースクレーターは二重のリング構造をしていて、ネルトリンゲンは内側のリング上に位置している。クレーターの形成については前記事に書いたが、今回私たちが歩くことになったジオトープ・リンドレは、上の写真の赤丸の場所で、内と外の両リングに挟まれた「メガブロック・ゾーン」にある。このゾーンは隕石衝突の衝撃で砕けた岩石がクレーターの内側に滑り落ちた崖となっていて、衝撃の跡が観察できる。

ジオトープ・リンドレはかつて採石場として利用されていた。岩肌を見ながら2時間ほどかけてぐるりと回る。

黄土は古くから顔料として使われた。右上に見える赤土はジュラ紀の鉄砂岩。

 

隕石衝突で斜めや縦にずれた岩石。

衝撃波で粉々に砕けた石灰岩。

 

この崖ではアポロ14号および17号の宇宙飛行士らが事前訓練を行った。

 

ジオトープでは岩肌を観察するだけでなく、岩石のかけらをハンマーで叩いて持ち帰ることも許可されている。

 

私は燧石(火打ち石)を採取することにした。

 

艶のあるグレーの部分が燧石。石器時代の人々はフリントとも呼ばれるこの石で火を起こしただけでなく、叩いて加工し、道具として使っていた。

 

ガイドさんがこのジオトープで採集された化石や石をリュックから出して説明してくれた。

真ん中の濃い色をした物体は白亜紀に絶滅したイカ、ベレムナイトの化石だ。バルト海の海岸にはベレムナイトの化石が大量に落ちているので私には馴染みがある。少しピンボケになってしまったが、その下(手前)の物体もやはりベレムナイトで、隕石衝突の衝撃でこのような形に変形してしまったそうだ。

ここの採石場ではスエバイトを切り出していた。前記事でも触れたが、スエバイトとは特殊な角礫岩で、隕石衝突の衝撃で溶融した岩石が急冷してできたガラスの破片がとりこまれている。シュヴァーベンシュタイン(シュヴァーベン地方の石)とも呼ばれ、ローマ時代からこの地方では建築材として利用されて来た。ネルトリンゲンでは市庁舎やゲオルグ教会、バルディンガー門などに使われている。また現代はセメントの強化剤としても使われる。

 

スエバイトのかけらを採る夫。スエバイトには隕石衝突の瞬間の高温・高圧下で形成された衝突ダイヤモンドが含まれているそうだ。でも、すごく小さい(1mmにも満たない)ので、商業利用価値はないらしい。

 



博物館で隕石衝突について知るのも興味深いが、やはり現場を見るのはもっと面白い。他の5つのジオトープも全部歩きたかったが、今回は時間の関係でリンドレしか見られなかった。

書ききれなかったこともあるが、シュヴェービッシェ・アルプおよびネルトリンゲンのジオパーク巡りは本当に楽しく、満たされた。ジオ旅行では野外をたくさん歩くので、健康的なのも良い。私は文化にも興味があるが、文化は価値観と結びついているだけにいろいろと考えさせられ、悩ましいこともある。自然には素直な気持ちで接することができるのがいいな。

これから冬に入ると寒くて野外活動は厳しくなるけれど、また春になって他のジオパークを訪れるのが楽しみ。

 

 

前回の記事ではシュタインハイム・クレーターについて紹介したが、 シュタインハイムの隕石落下とおそらく同時期に、さらに大規模な直径約1000メートルの隕石がそこから40km北東に落下し、直径25kmにも及ぶ巨大なクレーターを作った。リース・クレーターと呼ばれるそのクレーターは、現在ジオパークになっている。クレーターの内側に位置するネルトリンゲンという町にはリース・クレーター博物館(Ries Kratermuseum Nörtlingen)があるらしい。シュタインハイム・クレーターを見たからには、その兄分であるリース・クレーターも是非訪れたかった。ということで、1週間滞在したシュヴェービッシェ・アルプを後にし、ネルトリンゲンへ向かった。

 

ネルトリンゲンは日本でもよく知られる観光ルート、ロマンチック街道沿いにあり、中世の街並みが人気だ。しかし、今回はまにあっく観光旅行なので、街並みを楽しむのは後回しにして、リース・クレーター博物館へ直行する。

 

入り口はあまり目立たない。

ネルトリンゲンのリース・クレーターとシュタインハイム・クレーターの位置関係と大きさの比較。両者は二重の小惑星によって形成されたとされている。

ミュージアムではリース・クレーターについてのみでなく、天体や隕石、クレーター全般について知ることができる。かなり充実した内容だけれど、なぜか展示はドイツ語のみだった。他ではなかなか見られない内容なのだから、英語の説明もあったらいいのに。

リース・クレーターはわずか10分の間に形成された。小惑星衝突の衝撃で地面がくぼむと同時に周囲が同心円状に盛り上がり、衝突の衝撃で砕けて溶け、空中に舞い上がった岩石が再び地表に降り積もってがれきの層を作った。この時、この地域の地層の様々な層の岩石が複雑に入り混じり、「ブンテ角礫岩(Bunte Breccie)」と呼ばれる特異な礫岩を形成した。また、ブンテ角礫岩の間には、隕石衝突の衝撃によって溶融した岩石が急冷してできたガラスの破片がとりこまれた「スエバイト(Suevite)」という特殊な角礫岩が混じっている。つまり、一言でいうと、リース・クレーターは「すごく珍しい岩石が見られる場所」なのである。

 

様々な岩石がリース・クレーター中心部からの距離と方向がわかるように展示されている。

中心部からやや離れた場所。

中心部のスクリーンでクレーター形成についての説明動画を見る。とても面白かった。しかし、リース・クレーターの形成が隕石によるものであることが明らかになったのはわりあい最近のことだそう。それ以前には火山活動によるものではないか、いや氷河によるものだろう、いやテクトニクスだと、様々な仮説が提示されていた。1904年にエルンスト・ヴェルナーが初めて隕石衝突説を唱えたものの相手にされず、1933年には米国アリゾナ州のバリンジャー・クレーターを訪れたオットー・シュトゥッツアーも改めて隕石説を発表したが、やはり笑い者になっただけだった。しかし、1960年、米国の天文学者、ユージン・シューメーカーがアポロ計画で採取された岩石を分析し、リース・クレーターが隕石衝突によって形成されたものであることを証明した。その後、リース・クレーターはミッション前の宇宙飛行士の訓練場にもなっている。

 

月の石

隕石に関する展示もとても興味深い。隕石のタイプには石質隕石、鉄隕石、石鉄隕石があるが、ネルトリンゲンに落下したのは数の上で最も多い石質隕石である。

これは、1822年にチリのアカタマ砂漠で見つかったイミラックと呼ばれる石鉄隕石。綺麗なので写真を撮ったのだが、あとで調べたところ、かなり希少な石鉄隕石らしい。

これは、2002年4月6日にバイエルン州ノイシュヴァンシュタイン城に落下した隕石。

チェリヤビンスク隕石。私は最近まで大学で自然科学を学んでいたのだが、たまたま小惑星の地球との衝突について学んでいた2013年2月、ふと勉強の合間にツイッターを開けると、「空から何かが降って来た!」と大騒ぎになっていてびっくりした。しばらくするとロシアのチェリヤビンスクに隕石が落下したというニュースが流れて再びびっくりしたのでよく覚えている。

 

リース・クレーターの形成時期は今から約1450万年前と推定されているが、絶対年代は先に述べたスエバイトに含まれるガラス質中の放射性同位体の崩壊を利用して測定される。それと並行して、堆積物中の化石を元にクレーターの地層の相対年代が測定される。

見事なアンモナイト!!

ボーリングの道具を利用した地層の展示。

シュタインハイムのメテオクレーター博物館でも見たが、ここでもモルダバイトが見られる。

 

かつてリース・クレーターは水で満たされ、湖となっていが、湖の岸辺だったと思われる場所では鳥の卵の化石が見つかっている。卵の化石は初めて見た。

 

これは恐竜絶滅をもたらしたとされるメキシコ、ユカタン半島のチュシュクルーブ・クレーター探索において米国ニューメキシコ州ラトン盆地で採取された岩石標本の断面。上部の濃いグレーの層(白亜紀)と下部のグレーの層(第三紀)の間には薄い白っぽい層が見られるが、この境界層には1トンにつき56gという大量のイリジウムが含まれている。イリジウムは地球上にはほとんど存在せず、下のグレーの層(第三紀)には1トンにつきわずか0.03gしか含まれていないことから、この境界の層は隕石が衝突した証拠とみなされるそうだ。

他にも興味深いものがたくさん展示されていたが、紹介しきれないので、このくらいに。リース・クレーター博物館のすぐ脇にはジオパーク・リース・インオメーション(Geopark Ries Infostelle)があり、小さいがこちらもとても面白い。博物館を出て、家で留守番をしている娘に土産でも買おうかと近くのアクセサリーショップに入ったら、店の女主人が「いつネルトリンゲンに来たの?ぜひ、クレーター博物館も見て行ってね!」と言うので、「あ、早速見て来ましたよ」と答えると、「よかったでしょ!やっぱり、ネルトリンゲンに来たらクレーター博物館を見ないと!見ないで帰っちゃう人もいるのよねえ。中世の街並みを見たくて来たって言う人も多いけど、中世の街並みなんて、他のところにもあるでしょう?ネルトリンゲンっていったら、クレーターなのよ」と女主人は力説した。確かにネルトリンゲンに来たならば、クレーター博物館は必見だろう。

しかし、クレーター博物館だけがネルトリンゲンならではの魅力ではない。博物館を見たら、今度は実際にジオパークの中を歩いてみなければこの町がクレーターの中にあることは実感できない。それについては次回の記事に。

 

 

 

シュヴェービッシェ・アルプ旅行では合計11の洞窟を見て回り、心はすっかり氷河期モードだったが、見たのは洞窟だけというわけでもない。拠点として滞在していたハイデンハイム近郊にはシュタインハイムという名の村がある。人口1万3000人弱の小さな村で、私はこれまで聞いたことがなかったのだが、実は知る人ぞ知る興味深い場所だった。というのも、氷河期からさらに時代をずっとずっと遡ること約1500万年前、隕石がここに落下し、その跡がクレーターとして残っているという。シュタインハイム村にはメテオクレーター博物館(Meteokratermuseum)があるが、毎年、10月31日までしか開館していないと読んで焦った。なぜならその日は10月31日。慌てて車を飛ばし、閉館時間の1時間前にギリギリ滑り込んだ!


 

Meteokratermuseum in Steinheim am Albuch

シュタインハイムは推定直径80メートル、質量90万トンの隕石が秒速25kmの速度で地球に衝突してできた直径およそ3.5kmのクレーター盆地の内側に位置する。衝撃で周辺が盛り上がって縁を形成し、中央部が隆起して丘となった。以下の図のような目玉焼き型の地形をしている。衝突時に放出されたエネルギー量は2.8 x 1017ジュール。これは、778億kw/hに相当し、シュタインハイム村の消費電力3188年分だというから凄まじい。

 

Meteokratermuseum in Steinheim am ALbuch

クレーターの内側は、ホワイト・ジュラ紀の地層の上に隕石衝突の衝撃で砕け散った岩石が再び落下して降り積もり、礫岩の層を形成している。その上には第三紀及び第四紀の堆積物が重なっているが、縁と中央丘はジュラ紀の地層がむき出しだ。

衝突でできた凹みにはやがて水が溜まり、湖となった。現在、水はなく主に牧草地となっているが、出土された多くの生き物の化石から写真のモデルのような豊かな生態系であったことがわかっている。

ミュージアムの展示はドイツ語のみだが、シュタインハイム・クレーターの誕生についての動画や隕石落下の条件などの説明を読むことができ、とても興味深い。シュタインハイム・クレーターは北東に約40km離れたネルトリンゲンのメテオクレーター(Nördlinger Ries)と同時期に形成されたと考えられている。ネルトリンゲンのクレーター盆地の方がずっと大きく、一般的によく知られているが、そちらに関しては別記事で改めて書くことにして、ここではシュタインハイマー・クレーターに集中したい。
これは今年(2017)、このミュージアムで偶然に発見された隕石のかけら。展示されていた石灰岩の塊にヒビが入ったため、展示から取り除こうとしたところ、亀裂断面に黒く光るものが見つかった。調べたところ、なんと隕石のかけらだった。


これまで、シュタインハイムに落ちた隕石は蒸発して完全に消滅したと考えられていたため、研究者らも驚いたらしい。

 

モルダバイト。隕石衝突時の高温と高圧力下で溶けた岩石が数百キロ遠くまでものすごい勢いで吹き飛ばされ、冷えて固まった天然ガラス(テクタイト)。チェコのモルダウ川周辺で最初に発見されたため、モルダバイトと名付けられた。光沢のある緑色をしている。後で知ったことには、パワーストーンだとして人気の石なのだってね。

 

これは「シャッターコーン」というもの。隕石の衝突時に衝撃波によって岩石表面に形成される円錐状の溝で、1905年にシュタインハイム盆地で初めて発見された。発生のメカニズムについては未だにわからない点があり、研究が続けられている。

展示を一生懸命読んでいたら閉館時間を過ぎてしまったが、「どうぞごゆっくり」と閉館を待ってくれた。ミュージアムを出るとき、「クレーターを一望できる場所はありますか」と聞いたら、すぐそばの小高くなったところから全体を眺められるとのこと。

もうすぐ日が沈みそう。急げ!

いつもと違うカメラだったのでパノラマ機能を素早く探すことができず、うまく全体を撮れなかった。手前の集落がシュタインハイムの村。その向こうのやや高くなっている(50m)ところがクレーター中央の丘だ。米国アリゾナ州のバリンジャー・クレーターを見に行ったことがあるが、バリンジャー・クレーターが「地面にぽっかり空いた穴」でわかりやすいのに対し、シュタインハイムのクレーターは堆積物が積もった上に植物も生えているので、説明されなければクレーターだとはわからない。クレーターに沿って歩くジオハイキングルートがあるので、周辺を観察しながらゆっくり歩いても楽しいかもしれない。

 

全体像のわかる動画を見つけたので貼っておこう。

 

 

 

 

シュヴェービッシェ・アルプでの休暇でたくさんの洞窟に入り、また、考古学パークで氷河期体験をしたことで、すっかり氷河期ファン(?)になってしまった。中を見学した洞窟のいくつかからは人類史最古の芸術作品が発掘されているが、それら出土品はシュヴァーベン地方のあちこちの博物館や美術館に分散展示されている。ホーレ・フェルス洞窟から掘り出されたヴィーナス像と横笛、そして鳥のフィギュアはウルム近郊のブラウボイレン先史博物館(Urgeschichtliches Museum Blaubeuren)にあると聞き、見に行って来た。

ブラウボイレンは人口1万2000人の小さな町だが、ブラウトップフ(Blautopf)と呼ばれる青い泉があることで有名である。観光パンフレットなどに載っている神秘的な写真を見て、いつか行って見たいと思っていた。

 

 

 

あいにく空は曇っていたけれど、それでも泉の青さははっきりとわかる。このブラウトップフはカルスト泉で、ブラウトップフ洞窟と呼ばれる全長4900メートルにも及ぶ地下洞窟の一部なのだ。ブラウトップフ洞窟内部は水で満たされているため、洞窟ダイバーによる調査が行われている。

 

泉を見た後は先史博物館に向かう。

規模はそれほど大きくないが、とてもわかりやすい展示をしている良いミュージアムだ。

石器の作り方を詳しく説明するコーナーが合った。いろんな洞窟に入った後にこういうものを見ると、本当に面白く感じる。

出土されたものを深さごとに展示しているのが良い。

氷河期のヨーロッパ。スカンジナビア、英国北部、北東ドイツとシュヴェービッシェ・アルプが氷河に覆われている。丸い印は氷河期の遺物が発掘された場所だ。ドイツに特に多いように見えるが、必ずしもドイツに集中して人が住んでいたというわけではなく、発掘調査がドイツで特に盛んなことが理由らしい。

ローネ渓谷とアハ渓谷周辺から特に多く出土されていることがわかる。

これは最近、ホーレ・フェルス洞窟で見つかった三つ穴の装飾品(Dreilochperlen)。4万2000年〜3万6000年前のものと推定されている。

小さなアンモナイトのピアスと貝のペンダント。アンモナイトピアス、いいなあ〜。

 

さて、いよいよこの博物館のハイライト。

世界最古のヴィーナス像。「ホーレ・フェルスのヴィーナス」。

横笛。

水鳥。どれもとにかく素晴らしい。

 

シュヴェービッシェ・アルプに来たなら、洞窟や考古学パークでの生の体験とミュージアムをセットで考古学を堪能するのがおすすめだ。

 

 

まだまだ終わらないシュヴェービッシェ・アルプ洞窟探検旅行。今回は、ウルムから西に約60kmの地点にあるベーレンへーレ(Bärenhöhle、熊洞窟の意)とネーベルヘーレ(Nebelhöhle、霧洞窟の意)という二つの洞窟を紹介しよう。

 

ベーレンヘーレは、中からアナグマの骨が多く出て来たことから「熊の洞窟」と呼ばれる石灰洞窟だ。シュヴェービッシェ・アルプシュヴェービッシェ・アルプの洞窟群の中では特に良く観光化されており、周辺には子どもの遊び場や土産物屋などがあるため、家族連れで賑わっていた。

早速、ガイドツアーに申し込んで中に入ってみる。

 

洞窟の中は照明を多く使っているため、苔が生えて緑色になっているところが多く見られる。

 

こんな感じでゾロゾロと見学。保護のため、フェンスで囲まれている部分が多いのも特徴。

 

つらら石や石筍、ストロー(マカロニとも呼ばれる)などいろいろな鍾乳石がぎっしりだ。洞窟内はカラーLEDでライトアップされていて、少々キッチュな感じがしないでもないが、子どもには魅力的だろう。また、わりあい明るいので、小さな子どもでも安心して歩ける。

これが上下繋がって石柱になるまで、あとどのくらいかかるだろうか。1立方センチメートル成長するのに60〜80年かかるとのこと。

これも見事。

この洞窟からはアナグマだけではなく、様々な動物の骨が発見されたことから、一時期、ハイエナの巣穴だったのではないかとされている。人骨も見つかっており、旧石器時代に人々が生活していたこと、また、その後の人類の歴史においてあらゆる時代の人々がゴミ処理場としても使用していたことがわかっている。

地面には上から滴り落ちる水で濡れ、石筍が形成され始めているところがあった。(右上の丸く盛り上がっているところ)

天井に何か黒いものが見えると思ったら、、、、。

コウモリの死骸だった。冬眠したまま死んでしまったのだろうか。

ベーレンヘーレでは一般ツアーの他に、「宝探しツアー」「メルヘンツアー」など小さな子どもを対象としたガイドツアーもあり、マルチメディアCDも販売されている。ベーレンヘーレのすぐ側には、ネーベルヘーレ(霧の洞窟)がある。ベーレンヘーレは見学できる部分の奥行きが250mだが、ネーベルヘーレは450mとさらに深い。発見は1920年で、シュヴェービッシェ・アルプで最も古くから知られている洞窟の一つだ。ベーレンヘーレほど混んでいなかったのでゆっくりと見学でき、私はどちらかというとネーベルヘーレの方が気に入った。

 

石筍の断面。初めて見た。

なんとも言えない不思議な光景。

 

この二つの洞窟は見応えがありながら観光のハードルが低いので、家族でのお出かけにピッタリ。

 

まだまだ続くシュヴェービッシェ・アルプ洞窟探検旅行、次の目的地はアハ渓谷シェルクリンゲン(Schelklingen)にある洞窟、ホーレ・フェルス(Hohle Fels)だ。ホーレ・フェルス洞窟からは1830年代以降、アナグマやマンモス、野生の馬の骨や石器時代の道具などが発掘されて来たが、2008年の再調査において、考古学的記録を塗り替える約4万2500年前のヴィーナス像と横笛が見つかった。これまでに発見された中で最も古い、人をかたどった芸術作品と楽器である。また、ホモ・サピエンスだけではなく、さらに時代を遡った6万5000年前頃にネアンデルタール人が同じ洞窟には生活していた証拠もあるという。

 

 

シュヴェーヴィッシェ・アルプの一般公開されている洞窟群は冬季はコウモリ達が中で冬眠するため、10月末、または11月のはじめに閉鎖される。その洞窟により見学できる期間が多少異なり、私たちは10月の終わりから11月のはじめにかけて休暇を取ったので、ギリギリ入れるか入れないかだった。ホーレ・フェルス洞窟に着くと周りに人影はなく、入り口のフェンスが閉まっていたので「遅かったか」とガッカリしていたところ、地元の人と思われる男性が数名の客人を連れて近づいて来た。声をかけると、今年の一般公開期間は前日に終了したが、自分は管理者の一人で、特別に案内してもいいと言ってくれた。たまたま良いタイミングで洞窟に着いて運が良かった!

 

洞窟入り口。

 

入り口はトンネルになっており、その奥にドームのような空間が広がっている。

 

想像していたよりも大きくて圧倒される。これは下から上部を見上げたところ。空間の大きさは6000立方メートルだそうだ。

出土されたヴィーナス像と横笛はブラウボイレンの先史博物館に展示されている。

後日、博物館で撮影したVenus of Hohle Fels。フォーゲルヘルト洞窟からの出土品同様、マンモスの牙でできている。

シロエリハゲワシの橈骨から作られた20cmほどの長さの横笛。4万年も前の人々が楽器を作り、音楽を奏でていたとは驚きである。

 

洞窟の上部奥から下を眺める。入り口付近に椅子が並べられているが、こうして見るとまるでベルリンフィルのホールで上部客席からステージを見下ろしているときのようだ。そんなことを考えていたら、案内役の男性が音楽をかけてくれた。プロの演奏家による横笛の演奏を録音したものだそうだ。しばらく聞き入ってしまった。4万年前の人たちがどんなメロディーを奏でていたのかはわからないが、この洞窟の中で同じような音を聴いていたのかと想像すると、とても感動的だった。

最初に発見されて以来、この洞窟ではお祭りのようなイベントがしばしば開催されて来た。戦時中、防空壕や武器の倉庫として使われていたため中断されていたが、1950年からは毎年、洞窟祭りが催されている。ときどき洞窟コンサートも開かれるとのこと。中で火を焚いたら凄いだろうなあ。

 

コンサート動画。

 

 

来る前はそこまで期待していなかったシュヴェービッシェ・アルプだが、どんどんと面白さを増して行く。初日にはCharlottenhöhleVogelherdhöhleという二つの洞窟を訪れたが、二日目はハイデンハイムから南西に移動し、地下洞窟Laichinger Tiefenhöhleへ行くことにした。この洞窟は観光客に一般公開されている洞窟としてはドイツ国内で最も大規模なものの一つである。苦灰岩(ドロマイト)が地下水に侵食されてできた迷宮のような洞窟が地下80メートルの深さまで探索調査されている。そのうち55メートルの深さまでは観光客も潜れるように整備されているという。

 

地下に潜れると言われても、イメージが掴みにくいかもしれない。断面図で見るとこんな感じ。

©Tiefenhöhle Laichingen

図の上部左側に描かれた建物内に洞窟の入り口があり、カルストの通路を伝って地下55メートルの深さまで降りて行く。そこから奥へと移動しながら再び地上に向かって登って行き、最後は右側の建物から地上に出る。一般公開されている通路の長さは約330メートル(洞窟全体の長さは1253メートル)だ。この図を見ただけで、ワクワクして来た。この洞窟にはガイドさんなしで入ることができる。ヘルメット着用は義務付けられていないが、ズボンの裾が濡れないように防水のバンドを脛に巻くように言われた。

 

入り口。いざ、洞窟内へ。

 

いきなり狭い!下がどうなっているのか全然わからない。

 

通路には手すりがついている(水を抜く導管を手すりに利用しているようだ)が、階段はかなり急。足場はしっかりしているので気をつけて降りれば特に危険ではないが、幼児には難しいだろう。閉所恐怖症だったり心臓の弱い人にも向かないかもしれない。

足元に気をつけながらどんどん降りて行く。アドレナリン出まくりである。

 

 

ところどころに音声による説明ポイントがあり、ドイツ語、英語またはフランス語のいずれかで洞窟の地質について学べる。こちらの記事にも書いたように、シュヴェービッシェ・アルプはジュラ紀には海水に覆われていた。この洞窟は地表から28mの深さまでは、ジュラ紀に堆積した石灰岩中の炭酸カルシウムが炭酸マグネシウムに変質した(ドロマイト化)と考えられているそうだ。上層の岩はゴツゴツとして硬いが、空洞が多い。それより下に潜ると岩の密度が高くなり、ずっしりとした質感になる。

 

狭い!!

どのくらいの狭さかというと、この通り。岩の裂け目の中を通るなんて楽しすぎる。

 

言葉でこの感動を伝えるのはとても難しい。

普段どのくらい観光客が訪れるのかわからないが、このときは洞窟の中は私と夫だけだったので、その分余計にエキサイティングに感じたかもしれない。

 

 

うわあーーーーー!!写真では抑揚感を伝えられなくて残念!

これは「カーテン」と呼ばれる鍾乳石だろうか。ガイドさんがいないのではっきりわからないが。

また少しづつ登って行き、外界に出た。所要時間は約40分。面白かったーーーー!!

やはり自然は壮大だ。私はいろんな種類の旅行が好きで、知らない町を街並みを眺めながら散策したり、海で泳いだり、博物館を訪れるのもとても楽しいが、これまで旅して来た中で特に印象に残った場所はどこだったかと思い起こしてみると、そのほとんどはスケールの大きな自然を体感した場所である気がする。このシュヴェービッシェ・アルプ地方は間違いなくこれまでで特に感動的だった場所の一つになった。中でもこの洞窟に潜った体験は後々まで忘れられないものとなりそうだ。

 

 

 

洞窟体験休暇と名付けたシュヴェービッシェ・アルプでの休暇では、まず洞窟、Charlottenhöhleに入った。(その記事はこちら)次に向かうは同じくローネ渓谷にあるフォーゲルヘルト考古学テーマパーク、Archäopark Vogelherdだ。

 

Archäopark Vögelherdは、2013年にオープンした考古学テーマパークで、フォーゲルヘルト洞窟(Vögelherdhöhle)のすぐ下に位置する。今年、2017年にユネスコ世界ジオパークに認定されたシュヴェービッシェ・アルプの洞窟群は考古学的に非常に重要な洞窟群である。これらの洞窟からは今から約3万2000年〜4万年前に作られたとみられる芸術作品が複数の洞窟の中から次々と発見されているのだ。フォーゲルヘルト洞窟からは氷河時代の様々な動物をかたどった11個の小さな象牙の彫り物が出土されている。

 

フォーゲルヘルト考古学パークを洞窟のある丘の上から見たところ。写真の奥に見える細長い建物はビジターセンター。まだオープンして間もないこともあり全体的にシンプルな印象だが、侮ることなかれ。ここは子どもにも大人にも面白いテーマパークなのである。

私たちはガイドツアーに参加することにした。オフシーズンで肌寒い日だったせいか、ツアーは私たち夫婦と二人のティーンエイジャー連れの家族が一家族のみだった。ツアー内容はパーク内の学習ポイントのそれぞれでガイドさんの説明を聞きながら氷河期(旧石器時代)にローネ渓谷に住んでいた人々の生活を体験しながら回るという趣向だ。

 

最初の学習ポイントでは氷河期に人々が使用していた道具について学ぶ。いろいろなハンドアックス(握斧、ドイツ語ではFaustkeilと呼ぶ)を握らせてもらった。ハンドアックスは氷河期のアーミーナイフのようなもので、一つで切る、叩く、削る、砕くなどのいろいろな手作業を行うことができる。試しに皮を切って見たが、よく切れる。ハンドアックスによく使われるのは主に燧石(フリント、火打ち石)がよく使われる。写真中央に見えるのは木の棒の先に石器を紐でくくりつけた石槍だが、紐で結わえるだけでは取れやすいので、何かで接着しなければならない。

当時は白樺のタールが接着剤として使われていた。(写真の黒い物質)熱して溶かし、熱いうちに道具をくっつけて冷えて固まるのを待つ。ホモ・サピエンスだけでなく、ネアンデルタール人も使っていたという。

 

次のポイントでは獲物を捕まえる体験。ネアンデルタール式の槍とホモ・サピエンスホモ・サピエンス式の矢の両方を獲物めがけて放ってみる。

ネアンデルタール式投げ槍。投げてみたけど、届きゃしない、、、、。食糧を得るのは大変だね。

こっちはホモ・サピエンス式の矢。矢のお尻の部分にドイツ語でSperrschleuderと呼バレる投槍器を当てて握り、投槍器は握ったまま矢だけを飛ばす。ネアンデルタール式の投げ槍よりははるかに軽く、飛ばしやすいが、これも私は獲物に全然当たらなかった。今日の晩御飯はなしか、、、。

と思ったが、夫は楽々と50メートルほど飛ばし、命中。憎たらしい。が、これで肉鍋が食べられるのだから良しとしよう。

別の学習ポイントではローネ渓谷で見つかった様々な動物の骨を観察した。これはマンモスの臼歯。

 

パーク内の学習ポイントを回りながら丘を登り、フォーゲルヘルト洞窟へ。

 

中は外よりずっと暖かい。ここで石器時代の人たちが生活していたのかと思うと、なんだか感動的である。それも、ただ生存していただけではない。3万2000年も前にこの洞窟に住んだ人々は芸術作品まで生み出していたのだ。それらはヨーロッパにおいて最後の氷河期の第1亜間氷期から第2亜間氷期まで続いていたオーリニャック文化の一部をなすもので、シュヴェービッシェ・アルプの他の洞窟で見つかったものと合わせ、これまでに発見された最古の「持ち運べる芸術作品」である。パークの入口のビジターセンターではこの洞窟で出土された11の作品のうち、2つが展示されている。

 

モンモスの牙で作ったマンモスのフィギュア。大きさ3.7cm、重さ7.5g。石器の道具でこんな小さなフィギュアを作るなんて、作者は手先の器用な人だったのだな。

同じくマンモスの牙で作ったホラアナライオンのフィギュア。この洞窟からは、これら二つの他に野生の馬、トナカイ、バイソン、アナグマ、パンサーなどが見つかっている。(こちらのページに一覧写真がある) その中で特に人気で野生の馬はこのテーマパークが属するNiederstotzingen市のロゴになっており、実物はチュービンゲン大学博物館で見られる。

 

洞窟を出ると、日没間近になったせいか、さらに寒くなった。ぶるる。でも、この程度の寒さで寒いと言っていたら、氷河期を生きた人には呆れられてしまう。そんなことを考えているとガイドさんが「さあ、みなさん。最後に石器時代の人たちのやり方で火を起こしてツアーはおしまいです」と言った。やった、暖を取れる!

石器時代の焚き火起こしセット。これは後日、先史博物館で見たものだが、当時の人たちは火を起こすのに火打ち石(フリント)、黄鉄鉱(パイライト)、乾燥させたキノコ(火口として使う)、アザミの綿毛などを使っていた。

 

ガイドさんが火打ち石(フリント)と黄鉄鉱(パイライト)をカチカチと打ち合わせると火花が散った。火花を素早く乾燥キノコに接近させて発火させる。

発火したら素早くアザミの綿毛と藁で包み、巣のようなものを作る。

それを手に持ってフウフウ吹く。結構な肺活量が必要そうだ。

やった!

あったかいねー。


煙たいのですぐに出てしまった。

1時間ほどのツアーだったが、かなり面白かった。子どもも楽しめるのはもちろん、大人にとっても為になる内容だ。まだ新しいテーマパークなので、今後は一層充実していくだろう。私はこれまで石器時代に特別興味を持っていたわけではなく、先史博物館などに石器がずらりと展示されているのを見ても、何がどう違うのか今ひとつピンと来ていなかった。しかし、この考古学パークで石器時代の手ほどきを受けたおかげで、この後訪れた博物館ではハンドアックスなどの道具が急に生き生きとしたものに見えて来た。たとえ真似事ではあっても自分で少しでも体験してみることで、それまで自分とは無関係と思われたものが意味を持ち始めると実感した。

 

ドイツ語だけれど、関連動画を見つけたので、興味のある方は是非、見てみてください。

 

夫が秋休みを取ったので、私たちは10月の終わりから11月にかけての一週間を南ドイツのシュヴェービッシェ・アルプ(Schwäbische Alb)で過ごすことにした。シュヴェービッシェ・アルプとは「シュヴァーベン地方のアルプス」の意味であり、その名が示す通り、山脈を中心に長さ約400km、幅35〜40kmに広がる地帯だ。シュヴェービッシュ・アルプは今年、2017年にユネスコ世界ジオパークに登録された。ゴツゴツとした岩が剥き出しになった山脈のあちこちに約3万5000〜4万3000年前に人類が住んでいたとされる洞窟がいくつもあり、驚くべきことにそのいくつかからは彼らの残した芸術作品や楽器が数多く出土されているのである。

世界最古の芸術作品が出土された洞窟!!

それは何やら凄そうではないか。そこで今回の旅行を「洞窟探検休暇」と名付けて出かけた私たちである。Heidenheim an der Brenzという町を拠点にシュヴェービッシュ・アルプの洞窟を回った。まず最初に訪れたのは、ローネ渓谷(Lonetal)にあるシャーロッテンヘーレ(Charlottenhöhle)だ。

 

 

Charlottenhöhleは1893年に発見され、当時のヴュルテンベルク王女、シャルロッテにちなんで名付けられた鍾乳洞で、深さはおよそ地下35m、長さ532mの通路。シュヴェービッシェ・アルプの洞窟には一般公開されているものと研究者しか中に入ることのできないものとがあるが、この洞窟は一般公開されているものの中では最も長さがある。早速ツアーに申し込み、ガイドさんの後をついて中に入った。

 

鍾乳石や石筍に関する説明を聞きながら奥へと進む。鍾乳洞は日本やその他の国でも何度も見たことがあるが、ドイツでは初めてなので久しぶりだ。

シュヴェービッシュ・アルプはかつては浅いトロピカルな海だった。海の生物の死骸が堆積してできた石灰岩が地殻変動によって隆起し、二酸化炭素を含む雨水や地下水によって長い時間をかけて侵食されカルスト地形を形成している。石灰岩の割れ目から入り込んだ水が炭酸の作用で周辺を溶かして空洞を作る。空洞を満たしていた水がなくなると、歩いて入ることのできる洞窟となる。このCharlottenhöhleはおよそ250〜300万年前のジュラ紀後期に形成されたものだという。

 

つららがたくさん。

リンゴの木のような形をした鍾乳石。上部の丸いつぶつぶはケイブパール(「洞窟の真珠」の意味)と呼ぶそうだ。

 

大きな石筍。

 

これは、フローストーンというものかな。(間違ってたらすみません)

 

石筍と鍾乳石が繋がって石柱を形成しているところもある。

 

なっかなか面白い。これが最初に入った洞窟だったので、この時点ではかなり興奮していた。この後もっと凄くなるのだが、、、。

 

鍾乳洞の近くにはHöhlenSchauLandというビジターセンターがあり、ローネ渓谷の自然史について展示を行なっている。

貝、魚の骨、サンゴ、、、本当にここはかつて海の底だったんだね。現在は国土の最北にしか海のないドイツに住んでいるとなんだか不思議な気がするが。

 

石筍の断面。縞模様ができているのが見えるだろうか。木の年輪のようなもので、この成長縞を元にウラン-トリウム法という方法を使って石筍の年代を測定する。石筍に取り込まれた放射性アイソトープU234とTh230の半減期がそれぞれ異なるので、両アイソトープの比率を調べることで形成時期を知ることができるのだ。

面白いなあ。でも、これはまだ序の口。これからもっともっと面白くなるのだ!

 

 

 

バイロイトでビール博物館を見た後はビール博物館から丘を徒歩で数分上がった別のビール醸造所、Bayreuther Bierbrauereiに移動した。この醸造所の地下にあるというカタコンベを見るガイドツアーに参加するためだ。

 

こちらでも醸造所の娘さんと思われる若い女性が案内してくれた。パブのカウンターでツアー料金を払い、ガイドさんについて地下への階段を降りる。

ツアーではおよそ900メートルある地下トンネルを移動しながらバイロイトの町の歴史やビール鋳造の歴史について話を聞く。カタコンベというのは普通、地下に作られた墓地のことをいうが、このカタコンベは墓地ではない。15〜19世紀に掘られたものと考えられているが、どうしてできたのかはよくわかっていないそうだ。地下資源を掘る際にできたトンネルだという説が有力らしい。中はひんやりとした一定の温度に保たれているため、19世紀にはビールの貯蔵庫として活用されていた。

 

中にはビール醸造の道具の他にバイロイトの生活文化に関する展示物も並べられている。

 

第二次世界大戦の終わりにはこの地下トンネルは防空壕としても使われた。1945年4月に投下された3つの爆弾でバイロイト市街地の1/3が破壊されル事になったが、その際、多くの市民がこのカタコンベに避難した。避難者は3日間外に出られず、肉屋のマイスターがカタコンベの中で作ったスープで飢えをしのいだという。

カタコンベの中では負傷兵の緊急手術も行われた。

 

面白かったのは通路のあちこちにビールやビールを使った料理のレシピが貼ってあることだ。

古代エジプトにおけるビールの作り方や、

ゲルマン民族のビールレシピなど。ゲルマン民族はビールに生姜やキャラウェイなどのスパイスや蜂蜜を入れていたようだ。現在のビールとは随分違う味だったに違いないね。でも、最近はこちらで試したようにいろんな変わったクラフトビールもあるようだから、ゲルマン民族のビールの味と通じるところがあるのかな。ドイツでは19世紀まで大人も子どもも朝食として「ビールスープ」をよく食していたそうだ。パンをビールで煮てバターを入れ、塩や砂糖で味をつけたものが一般的だったらしい。しかし、壁にはもっと凝ったレシピが貼ってあったので紹介したい。

 

ビールスープの材料

 

気の抜けたビール 1/2l

シナモン 1本

レモンの皮 1個分

卵黄 3個

砂糖 120g

生クリーム 1/8l

乾いた白パン

 

作り方は書いていなかったが上記の材料を煮立てるのだろう。美味しいのだろうか、、、うまく想像ができないが。ガイドツアーの終わりにはパブでこの醸造所のビールが1杯タダで飲める。

 

 

夫が1週間の休暇を取ったので、南ドイツへ行って来た。目的地はシュヴェービッシュ・アルプ地方だが、行く途中で休憩を兼ねてバイロイトに立ち寄った。バイロイトにカタコンベがあると読んだので行ってみることにした。しかし、16:00からのガイドツアーまで2時間以上も時間があって手持ち無沙汰である。近くにビール博物館なるものがあったので時間調整と思って中に入ってみた。すると、ビール博物館のガイドツアーがちょうど始まる時間だという。私はビールを飲まないのでそれほど興味はなかったが、時間もあるし、せっかくなので参加してみることにした。これが思いがけず大変面白買ったので紹介することにする。ドイツビールファンは多いので、知っている人も少なくないだろうとは思うけれど。

バイロイトのこのビール博物館(Maisel´s Bier-Welwbnis-Welt)は、1887年創業の老舗ビール醸造所、マイゼル醸造所(Brauerei Maisel)の創業当時の建物を利用している。

 

マイゼル醸造所は家族経営の醸造所で、代々引き継がれて現在は4代目。娘さんと思われる20歳くらいの女性が案内してくれた。大きな建物の内部にはマイゼル醸造所でかつて使われていた古い設備や機械、道具が展示されている。その多くは使われていた当時のポジションのままだ。

1930年代に製造されたスチームエンジン。

 

このスチームチャンバーは1905年製。購入費用で家が一軒買えるほど高価なものだったそうだ。

仕込み釜。

ホップ貯蔵室。ホップはビールに不可欠な原料だが、雌株と雄株があり、苦味成分を含むルプリンを有する雌株しかビールには使われない。かつてホップは農家から写真のような袋に詰めて納入されていたが、ホップは酸化しやすく長期の保存に適しないため、現在はペレットになったものが使われている。

ビア樽製造場。醸造所が独自に樽の製造場を持つのは、費用が嵩むことからとても珍しいことだったそうだ。

 

初期のボトリング装置。これでビールを一本一本ボトリングしていたとは大変な手間だったろうな。

 

次第にボトリング装置やボトルの洗浄装置も改良されていった。

 

ビア樽クリーナー。

 

昔のビール造りについて一通り見た後は現在の醸造所設備も見せてもらう。

近代的なこれらの装置は全てiPadで管理できるそうだ。

ごく簡単な紹介になってしまったが、ビール博物館のガイドツアーは一時間以上に及び、ビールの醸造についてだけでなく、ビールのラベルやビールグラス、ジョッキのコレクションなども見られてかなり楽しい。

 

ところで、マイゼル醸造所は「マイゼル&フレンズ」のブランド名で新感覚のクラフトビールも醸造している。と言われても、ビールに疎い私には何がどう違うのかよくわからないのだが。

 

ミュージアムショップ。

ミュージアムにはレストランも併設されており、そこでは100種類以上のビールを楽しむことができる。ツアーが終わって時計を見ると、カタコンベツアーにはまだ30分以上あった。喉も渇いている。ビールは苦手だけれど、ここまで来ておいてビールを試さずに帰るのもつまらない気がする。一杯くらいは試してみようかとカウンターに腰を下ろした。

とはいっても、何を注文すればいいのか全くわからない。どうせ味の違いはよくわからないのだからショップにあったチョコレート味のビールを飲んでみるべきか、、、。迷っていると店の人が「クラフトビールのテイスティングはいかがですか?5種類を試せますよ。チョコポーターも含まれていますよ」と言うので、それを頼むことにした。

一番右の色の濃いのがチョコポーターというビール。5種類を一口づつ試してみた。

 

うーん、、、、全部苦い。やはり無理!

残念ながらビールの味のわからない女なのであった。残りは夫に飲んでもらった。しかし、ビールは飲めなくともビール博物館はかなり面白かった。ビールの好きな人だったらもっと楽しめるに違いない。