2017年度もあとわずか。師走で慌ただしいのと日が短いのとで探索活動が停滞気味なのだが、先週、ベルリン在住のライター、久保田由希(@kubomaga)さんにお誘い頂き、素敵な場所へ行って来た。久保田さんはベルリンを中心にドイツのライフスタイルや都市文化、社会文化について幅広く発信されている。私は久保田さんの豊富な情報からよくヒントを頂いているのであるが、久保田さんによると、ベルリンの郊外には「ストーブの町」なる場所があるらしい。ストーブの町って?

ベルリン中心部から北西に約40kmに位置するフェルテン(Velten)は、19世紀から20世紀の初めにかけカッヘルオーフェン(Kachelofen)と呼ばれる陶製ストーブの生産で栄えた町だという。現在、そこにはドイツ国内でも類を見ない様々なカッヘルオーフェンを集めた博物館、Ofen- und Keramikmuseum Veltenがあるとのこと。カッヘルオーフェンというのは日本人には馴染みが薄いかもしれないが、ヨーロッパのお城などでよく目にする外側にタイルを貼った陶製放熱器(クローズ式のタイル張りストーブ)のことだ。面白そうなので、すでにフェルテンに行かれたことのある久保田さんの案内で博物館を見に行くことにした。

 

 

久保田さんとはフェルテンの駅で待ち合わせ。フェルテンは小さな町だが、駅前にはこのような、なかなか立派なベーカリーがあって、中で食事もできる。腹が減っては戦はできぬということで、まずは軽く腹ごしらえをすることに。(このときカメラを車の中に忘れたので、写真は久保田さんが撮影したものをお借りしてます)

©Yuki Kubota

意外にも、と言うのもなんだけれど、このベーカリーのパンはかなりレベルが高かった。他のパン屋では見かけないようなパンもあって、どれも美味しそう。店内の雰囲気も良い。

 

©Yuki Kubota

キョロキョロ見回すと、店の奥にカッヘルオーフェンがあった!

©Yuki Kubota

グレーの壁の前にあるのがカッヘルオーフェンである。ストーブ生産の全盛期にはフェル店には少なくとも37のストーブ工場があった。このカッヘルオーフェンもその一つで作られたものかもしれない。(未確認情報です)

 

食事を済ませたら、遅くならないうちに博物館へ行かなくては。なにしろ、今の時期はあっという間に暗くなってしまう。

フェルテン・ストーブ・陶器博物館(Ofen- und Keramikmuseum Velten)は、フェルテンの最後のストーブ工場、Ofenfabrik Schmidt, Lehmann & Co.の建物の中にある。1899年に建設されたこの建物は2012年に記念物に指定されている。

 

最上階が展示スペースで、そこには様々なスタイルのカッフェルオーフェン75台が展示されている。カッフェルオーフェンは暖房器具であると同時に調度品でもあり、ぱっと眺めただけでも形状や装飾にはその時々の流行があったことが伺える。

そもそもフェルテンでカッフェルオーフェンの生産が盛んになったのは、このあたりの土壌が石灰質を多く含む上質の粘土でレンガやタイル作りに適していたためだ。19世紀後半にドイツが建築ブームに湧くとストーブの需要も増大し、フェルテンに次々とストーブ工場が建てられた。フェルテンの上質な白いホーロータイルを使ったストーブはとても人気で、ベルリンだけでなくドイツ全国、そしてロシアまで運ばれた。

19世紀半ばからドイツでは様々な産業分野で技術革新が起こったが、陶器生産分野も例外ではなかった。1858年に技術士フリードリッヒ・ホフマンが考案し、特許を取得したホフマン窯(Ringofen)という技術は画期的で、釜を環状に配置し順番に利用することでエネルギー効率が大幅に改善した。これによって大量生産が可能となった。

上の写真からわかる通り、カッヘルオーフェンの陶製の放熱面には凝った装飾が施されているが、そもそもなぜこのような形になったのだろうか。このような発達図が貼ってあった。

最初はむき出しだった火床を半球状のフードで覆うことで熱をストーブ内部に蓄えることができるようになった。蓄熱力を高めるようフードが次第に大きくなり、デザイン的・装飾的要素が加味されていったということだろうか。

順不同だが(ミュージアム内では年代順に展示されているのだが、よくわからなくなってしまった)、いろいろなデザインがあって、見ていて楽しい。

 

 

 

 

Damenzimmerofen(婦人の間のストーブ)。

これは子ども部屋用ストーブ。

子供部屋らしい模様?子ども部屋にこんな立派な暖房器具が置かれたことに現代の庶民の私は唖然としてしまうが、このストーブは表面がそれほど熱くならず、熱風が吹き出して来ることもないので、火傷の危険がなくて子ども部屋に適しているのかもしれない。カッヘルオーフェンは溜めた熱をゆっくりと放射して広い室内も満遍なく暖める。ミュージアム内の煙突部分にはベンチ型の座れるカッヘルオーフェンもあったので、試しに腰掛けてみた。座面と背面のタイルはじんわりと暖かく快適で、ゆっくりと本でも読んでいられそうだ。

 

これはマイセン産のカッフェルオーフェン。食器であまりに有名なマイセンだが、カッヘルオーフェンも生産していた。短期間のうちにベルリンのタイル市場で大きなシェアを占めるようになり、フェルテンのメーカーにとって強力なライバルとなったが、マイセンの粘土はフェルテンのものよりも耐火性により優れていたが、タイル表面に細かいヒビが入りやすいという特徴があった。

ところで、フェルテンのタイルはストーブに使われていただけではない。ベルリンを訪れた人なら、ベルリンの地下鉄の駅の壁には駅ごとにそれぞれ色の違うタイルが貼られているのを知っているだろう。地下鉄の駅にもフェルテンで製造されたタイルが使われているのだ。

 

ベルリンの周辺には、第二次世界大戦敗戦とそれに続く旧東ドイツ時代の社会主義体制の中ですっかりと産業が廃れてしまったが、戦前には重要な産業都市だったところが少なくない。小さな町のミュージアムだからたいしたことがないだろうと決めつけずに入ってみると、ベルリンの興隆とともに発展したそれらの町の過去を想像することができて面白い。

実はこのストーブ博物館の隣にはもう一つHedwig Bollhagen Museumというミュージアムがある。20世紀を代表するドイツの陶芸家の一人、ヘートヴィヒ・ボルハーゲンの作品が見られる。せっかくなので、こちらにも寄ってみた。

私はどちらかというと陶器は日本のものが好きで、洋食器にはそれほど魅力を感じないのだけれど、ボルハーゲンの陶器はとても気に入った。このミュージアムではオーディオガイドでボルハーゲンの一生についての説明を聞きながら、彼女の作品の多様なデザインを楽しむことができる。

 

 

私は幾何学的な模様が好きなので、写真のような作品が特に気に入ったが、花柄や動物柄など、いろいろなものがある。興味のある方は、こちらのサイトのギャラリーをどうぞ。

ボルハーゲンはその人物像も興味深い。ストーブとは別テーマなのでこの記事では詳しく紹介しないけれど、久保田さんがご自身のブログやNHKドイツ語テキストなどで書いておられるので、例えば、フェルテン近郊マルヴィッツにあるボルハーゲンの工房取材後に書かれたこちらの記事などをお読み頂ければ。

 

二つのミュージアムを見て外に出たらもう薄暗かったので、町歩きはできなかったが、再びお腹が空いて来たので、町の中心部に見つけたイタリアンレストランでパスタを食べながら久保田さんといろいろお喋りして楽しかった。そんなわけで久保田さんのお誘いで良い観光ができたというのに、記念のツーショットを撮ることをすっかり忘れていた私である。どうも多方面に気が回らないんだよね、、、。

久保田さん、どうもありがとうございました。

さて、いつもは一人寂しく(?)、または夫を付き合わせて実行している「まにあっくドイツ観光」ですが、アイディア提供、コラボのお誘いなど歓迎です。「うちの近くにこんな場所あるよ!」とか「こういうところへ行くけれど、一緒にいかが?」などありましたら、お気軽にツイッター(@chikacaputh)を通してメッセージください。ドイツ国内に限らず、番外編として周辺諸国へも喜んで行きますよ。

 

 

 

先日、シュヴェービッシェ・アルプの洞窟群を訪れるため、南ドイツのハイデンハイムという町に1週間ほど滞在した。ハイデンハイムを拠点としてブラウボイレンやローネ渓谷など、考古学的見所を回っていたのだが、地図を眺めていたらハイデンハイムはオーバーコッヘン(Oberkochen)が近いことがわかった。オーバーコッヘンは小さな町だが、光学に関心のある人ならきっと知っているだろう。世界的光学機器メーカー、カール・ツァイス社(Calr Zeiss)の本社のある町だ。

ツァイス社は1846年、旧東ドイツのイェーナに設立されたが、第二次世界大戦でドイツが敗戦すると東の「カール・ツァイス・イェーナ」と西の「カール・ツァイス・オプトン」(オーバーコッヘン)に分断され、それぞれ独自の発展を遂げた。ドイツ再統一後、両社はツァイス・イェーナがツァイス・オプトンに吸収される形で統合された。現在、イェーナとオーバーコッヘンのそれぞれに光学博物館がある。これまでにイェーナのツァイス光学博物館とドイツ光学産業の発祥地であるラーテナウの光学博物館を訪れ、どちらもとても面白かったので、オーバーコッヘンのツァイス博物館、ZEISS Museum der Optikへも行ってみることにした。

 

 

光学博物館は独立した建物ではなく、ツァイス社のビルの中にある。1階部分がミュージアムスペース。

見学は無料で、フロアに入ってすぐの場所にツァイス社のプラネタリウム投影機がどーんと置かれている。

 

イェーナの光学博物館とは異なり、博物館というよりもどちらかというとショールーム的な空間だ。フロア中央部にはツァイス社製の医療機器など、最新のプロダクトも展示されている。

 

光学や天文学の歴史、技術史のコーナーもあり、中高生の学習にちょうど良さそうだ。

 

天文学史の展示でザクセン=アンハルト州ネブラで発掘された世界最古の天文盤、ネブラ・ディスクが紹介されていたので嬉しくなった。ネブラ・ディスクについては過去記事で紹介した。

 

館内にはツァイス製のプラネタリウムもある。

 

ツァイス製レンズを使用したカメラのディスプレイ。プロター、プラナー、テッサーなどツァイスの名レンズも見られる。

 

展示を見ていたら、突然「東郷平八郎」の名前が出て来たのでおやっと思った。「東洋のネルソン」と呼ばれた明治時代の海軍指揮官、東郷が日露戦争において日本を勝利に導くことに成功したのには、ツァイス製レンズが一役買っているという。東郷はツァイスの双眼鏡を使っていたそうだ。へえー。

 

他にも様々なものが展示されていたが、あまり写真を撮らなかったので今回はこれだけで。

 

ドイツ光学産業の歴史やツァイス社の歴史を詳しく知るにはイェーナのツァイス博物館の方が展示が充実していると感じたが、ツァイス社の歴代プロダクトや最新技術に興味がある場合はこちらが良いのかもしれない。私は光学の知識がほとんどないので技術的内容は消化できないが、これまでラーテノウ、イェーナ、オーバーコッヘンと回って来てドイツの産業史に興味を持つようになった。光学以外の分野の歴史も今後、探ってみたい。