久しぶりにドレスデンへ行って来た。ドレスデンは観光資源が豊富で、見たいものがなかなか見終わらない。今回のターゲットはツィンガー宮殿の数学物理学サロン(Mathematisch-physikalischer Salon)。

数学と物理と言われて、何やら難しそうと尻込みする人もいるかもしれないけれど、心配は無用である。ここは博物館というよりも、むしろ美術館である。ここにはザクセン選帝侯(在位:1553 – 1586年)アウグストが収集した様々な科学の道具が展示されている。しかし、実用性のみを追求した道具ではなく、超一流の腕を持った職人らが作り上げた芸術的な計器のコレクションが見られるという。どんなものがあるのだろう。ワクワク、、、。

ギャラリー

入り口を入って左手の細長いギャラリーには13〜19世紀の測量機器、地球儀、天球儀、時計などが並んでいる。

選帝侯アウグストの 測量機器。アウグストはこれらの機器を使い、自ら領土の測量をおこなっていた。右側にある金色の装置はオドメーター(走行距離計)。測量の際にはこのような計器を馬車に取り付け、車輪の周長×回転数で割り出した走行距離を記録していた。

これは塔の高さなど、直に測ることのできないものを測るための正方形の定規(象限儀)。

これは1586年に作られたゼンマイ仕掛けの天球儀。上下の二つの球のうち、天体を表す上の球は24時間かけて一回転する。下の小さい球は地球を示している。この当時はまだ天動説が信じられていたんだものね。

星座は天体に固定されていると考えられていた

1563-1568年にエバーハルト・バルデヴァインによって選帝侯アウグストのために作られた天文時計。この天文時計は非常に複雑な作りをしていて、ここまで精巧なものは世界でも数少ないそうだ。コペルニクス以前の世界観に基づいて設計されているので、現在の天文学においてはもちろん意味をなさないが、当時の人達にとっては崇高の極みであったろう。

ギャラリーと反対側の棟の「時計の間」ではヨーロッパの時計の歴史をなぞることができる。

時計の間

これは時計ではなく、ブレーズ・パスカルの設計した現存する最古の歯車式計算機、パスカリーヌ。手間に並んだ歯車は桁を表し、それぞれをダイヤルのように回して計算する。(でも、足し算と引き算しかできないよね?)

ドレスデンのゼンパー歌劇場に設置された5分計のモデル

高級時計ブランド、A.ランゲ&ゾーネ(A. Lange & Söhne)が1905年に発売した当時最も複雑とされたモデル、Grand Complication No. 42500。この時計、2013年に再び製造されたらしい。価格は約2億円だとか、、、。

さて、三つめの展示室は私好みの「グローブの間」。ここには様々な種類の地球儀や天球儀が展示されている。

いい感じ〜


1288年頃に作られたアラビアの天球儀。プトレマイオスの48星座が描かれている


1872年にドレスデンで作られた天球儀


1875年に月面地図をもとに作られた月球儀


コペルニクス型アーミラリ天球儀


折りたたみ地球儀(1825)


ポケット地球儀

あ〜、楽しい。

最後の展示室は「啓蒙の間」。科学が急激に発展した18世紀から19世紀にかけての数学・天文学の機器が展示されている。

1742年製造のグレゴリー式望遠鏡


1690年製造の太陽光集光レンズ

美術品を見ながら科学の発展の歴史をなぞるというのはとても素敵な体験だと感じた。展示品のうちのわずかしか写真で紹介できなかったが、他にどんなものがあるのか知りたい方は以下の動画をどうぞ。(ドイツ語です)

 


 

Googleマイマップを使ったドイツまにあっく観光マップもついに10個目。今回は手工業関連の博物館をマッピングしてみた。

カテゴリーは「手工業全般」「織物」「皮革」「陶器・磁器」「楽器」「おもちゃ・人形」「木工芸・紙」「時計・彫金」「ガラス」「その他」。

簡単にできるかと思ったら、かなり手こずった。難しかったのは「どこまでを手工業関連博物館に含めるか」ということ。陶器の博物館はその土地の伝統的な焼き物をメインに展示していることが多く、私の頭の中にあった手工業のイメージ通りなのだが、磁器になると地方の伝統産業の枠を超え、美術品の取り扱いになっていく。展示される場所も手工業に特化した博物館よりも、総合的な美術館やお城のコレクションに含まれることが多く、その場合、ドイツだけでなく世界の美術品と一緒に展示される。迷ったが、ドイツの磁器をメインに展示しているところに絞って登録した。

さらに悩ましいのは彫金関連で、展示される場所が秘宝コレクションの域に入ってしまい、お城や聖堂の多いドイツでは全国に分散していていてお手上げ。これも私のイメージの手工業の枠を超えているので、ごくいくつかの彫金関連博物館のみを登録。

また、時代の流れにより、かつては手工業だったが産業革命後、機械化されていったものが多く、手工業という括りのマッピングはちょっと苦しいものがあったかな。

でも、このマップ作りを通してまたいろいろ面白い博物館を見つけたので、とりあえずは満足。

本当はカテゴリーごとにアイコンを変えたかったのだが、Googleマイマップに用意されているアイコンに適切なものがなかったので、全て博物館マークになってしまった。以下のようにカテゴリーごとの表示で見ていただければと思う。

 

ノルトライン=ヴェストファーレン州のヘルネ(Herne)という町にある考古学博物館、LWL Museum für Archaeologie へ行って来た。ヘルネはルール地方のゲルゼンキルヒェンの隣町である。特に目当ての博物館というわけではなかったけれど、たまたまゲルゼンキルヒェンに用があったので、ついでに寄って来た。

ヘルネは大変庶民的な町だ。考古学博物館は駅から伸びる長〜い歩行者天国を歩ききったところにある。(10分くらいかな)

入口がかなりわかりづらく、建物の周りをぐるぐる歩き回ってしまった。写真の縦長のガラス窓の下部ドアから建物内部に入り、地下への階段を降りると博物館の入口がある。

ドアを開けると、そこは太古の森。森を出発してフロアを歩きながら人類の歴史を辿って行くというコンセプト。比較的新しい博物館で、展示室はすっきりと美的でモダンだ。約3000平米の常設展示室にヴェストファーレン地方で出土したものが年代順に展示されている。これがここの目玉展示物!というようなものは特にないので、ややインパクトに欠けるが、見やすい良い博物館だと思う。最近、美的な展示をする考古学博物館が増えているように思う。(美しさという観点での私のイチオシはケムニッツの考古学博物館、SMAC

カラフル石器

展示物は他の考古学博物館でも見たことのあるようなものが多いのだけど、気になったのはこれ。

ギャラリー墓(Galeriegrab)と呼ばれる巨石墓のモデル。古墳っぽい!新石器時代のドイツ北西部で栄えたヴァルトベルク文化において作られていたそうだ。このモデルはパダボーン(Paderborn)とカッセル(Kassel)の中間くらいのところにあるヴァルブルク(Warburg)で発見された巨石墓跡を元にしたもので、実際の遺跡はこんな感じらしい。ギャラリー墓という言葉を初めて聞いた。あまり詳しい説明がなかったので、日本語でググってみた。コトバンクによると、

【巨石記念物】より

…巨大な平石を立てて壁体とし,上を蓋石で覆う。形状によってギャラリー(通廊)墓とかパッセージ(羨道(せんどう))墓などと呼びわけられる。もとは墳丘で覆われ,地上に石が露出していたわけではないが,広義にはこれらも巨石記念物に含められている。…

【ドルメン】より

…巨石記念物の一種。ブルトン語でdolはテーブル,menは石を意味し,大きく扁平な1枚の天井石を数個の塊石で支えた形がテーブルのように見えることからこのように呼ばれた。新石器時代から鉄器時代初期に至るまでに行われた墓葬形制のうち,かなり普遍的なものの一つである。板石を立てたり切石を積んで側壁を築いたものは,ドルメンと呼ばないのが通例である。ただし,ドルメンをいくつかつないで内部の空間を広くし,前方に長い羨道や開口部を設ければ,ヨーロッパでパッセージグレーブpassage grave(羨道墓)とかギャラリーグレーブgallery grave(通廊墓)と呼ばれる巨石墓ないし石室墓となる。…

※「ギャラリー墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

そういえば、学校の社会科で古墳のいろいろな形状について習ったなあ。ヨーロッパにはどんな種類のものがあるのだろうか。今まで気にしたことがなかったので、今後はアンテナを貼ってみることにしよう。

最古のユーロ硬貨?左はカール大帝の銀貨(792〜821年)、右は西フランク王シャルル3世の銀貨(911年以降)。両方ともケルンで見つかったもの。

 

展示フロアを見るのも楽しいけれど、この博物館でもっと気に入ったのは研究者ラボ(Forscherlabo)だ。

このラボでは考古学者らが実際にどのような方法で研究しているのかを学ぶことができる。

引き出しの中にも展示物がたくさん。こういうハンズオンの展示、大好き。以前訪れた考古学博物館、パレオンにもビジター用ラボがあり、顕微鏡やPCモニターを使っていろいろなものを観察することができた。

古代に生きた人たちがどんな病気にかかっていたのかを示す骨標本。

骨粗鬆症にかかっていた人の背骨

前述のヴァルブルクのギャラリー墓からは200人ほどの人骨が見つかったそうだが、そのうちの何人かの頭蓋骨には通常は見られない変わった骨が見られた。写真の3つの頭蓋骨のうち、左と真ん中の頭蓋骨の中央部に三角形の骨が見える。これはInkabein(interparietal bone、間後頭骨)と呼ばれる余分な骨で、稀にこのような頭骨を持つ人がいる。遺伝性の性質とされている。ギャラリー墓から見つかった三角の頭骨のある骨をDNA分析してみたところ、彼らが実際に親族だったあることがわかったそうだ。面白い。

考古学というと一般的には文系の学問のイメージがある(社会科学に分類されているよね?)けれど、DNA分析など様々な分析技術が発達した現在は自然科学の手法も考古学研究に大いに使われている。考古学に限ったことではなく、他のいろいろな学問分野についても言えることだろう。文系、理系という考え方は今の時代、あまり意味をなさないよね。

 

 

 

 

南西ドイツ弾丸旅行の二日目はシュトゥットガルトへ行った。シュトゥットガルトは大都市で見どころがたくさんありそうだけれど、時間がないので今回は目当てのシュトゥットガルトの州立自然史博物館(Staatliches Museum für Naturkunde Stuttgart)に的を絞ることに。この博物館はMuseum am LöwentorMuseum im Schloss Rosensteinという二つの建物に分かれている。そのうちのMuseum am Löwentorは古生物と地質学の展示がメインなのでそちらへ。

1階展示フロア。地質時代順に化石が展示されている。でも、順路が一直線でないので、ちょっとわかりづらかった。ここでは三畳紀の化石を展示している。三畳紀(約2億5100万年前〜1億9960万年前)はペルム紀の次でジュラ紀の前、中生代の最初の紀である。私のこれまでのドイツ国内化石ハンティングではペルム紀、ジュラ紀、白亜紀などの化石に触れて来たが、三畳紀は未知の世界だ。どんな時代だったのだろうか。

三畳紀はドイツ語ではTrias(トリアス)という。というよりも、Triasを日本語に訳したのが「三畳紀」だと言う方が正確かな。前々回の記事に、ジュラ紀は前期、中期、後期の3つの区分があり、ドイツではそれぞれの区分の地層の色にちなんで黒ジュラ紀、茶ジュラ紀、白ジュラ紀とも呼ばれていると書いたけれど、三畳紀も同じように前期、中期、後期の3つに区分される。区分ごとに地層の色が異なり、それが重なっていることから三畳紀とされた。命名者は南ドイツ、ハイルブロン出身の地質学者フリードリッヒ・フォン・アルベルティ。そしてこの3つの層は上から順にコイパー砂岩(Keuper)、ムシェルカルク(Muschelkalk)、ブンテル砂岩(Bundsandstein)と呼ばれる。地層はもちろん下から上に堆積するから、一番上のコイパー砂岩が最も新しい。一番古いBundsandsteinは、日本語に直訳すると「カラフルな砂岩」という意味だ。カラフルというけど、実際に見ると赤っぽい。

ブンテル砂岩に残ったラウスキア類の足跡。三畳紀前期、この化石が発掘されたあたりではしばしば川が氾濫し、湿った周辺の土の上にいろいろな生き物が足跡を残した。水が引き、土壌が乾燥すると足跡も乾いて固まった。再び洪水が起きると足跡の凹みに堆積物が溜まっていったらしい。

こちらはブンテル砂岩の上のムシェルカルク層。ドイツ語でムシェルとは貝、カルクは石灰岩なので、要するに貝などがどっさり埋まっている石灰岩ということね。

アンモナイトなどがギッシリ

ムシェルカルクからよく見つかる海棲爬虫類、ノトサウルス

コイパー砂岩層の展示はなぜか写真を撮り忘れてしまった。この博物館にはジュラ紀の化石も多数展示されている。そのうちの黒ジュラ紀化石の多くは前日に訪れたホルツマーデンで発掘されたものだ。素晴らしい標本ばかりでどれも一見の価値があるが、今回の記事ではこの博物館で個人的に面白く感じた「鳥から恐竜への進化」展示をクローズアップする。(黒ジュラ紀の化石が気になる方は、是非こちらを見てね)

最近、恐竜関連の本で”恐竜は厳密には絶滅しておらず、恐竜の一部である獣脚類が鳥類に進化して今現在も生きている“と読んだ。知識としてはそうインプットしたのだけれど、恐竜が、それも「鳥」の字がつく鳥盤類ではなく獣脚類が鳥へ進化したというのがなんともややこしく、イメージ的に今ひとつピンと来ていなかった。一体どうやったらあんな怪獣っぽいやつらがインコやジュウシマツへ進化できたのだろうか?

それを知るには、獣脚類の指と首と尾に注目すると良いらしい。写真はドイツの三畳紀の地層から発掘された最大の獣脚類恐竜、リリエンステルヌス(Liliensternus)の復元骨格。この肉食恐竜の首は前にまっすぐに伸び、尾は長く、指は4本ある。最も古い時代の恐竜は指が5本だったそうだが、1 本少ない4本になっている。

4本

上のリリエンステルヌとジュラ紀後期の獣脚類、アロサウルス(Allosaurus)を比較してみよう。アロサウルスは首がS字型に曲がり、指は前足が3本、後ろ足が4本である。

3本

次にコンプソグナトゥス(Compsognathus)の図を見ると、骨がかなり軽量化しているのがわかる。首の下にV字型をした骨がある。これはGabelbein (Furcula)といって鎖骨が中央で癒合したもので、鳥類に見られる特徴だそうだ。鳥が翼を上げ下ろしして飛ぶ際に重要な役割を果たす。足の指もぐっと華奢になっているね。

コンプソグナトゥスのモデル。羽毛に覆われ、小さいせいもあり、確かに鳥っぽい。

これは白亜紀前期のカウディプテリクス(Caudipteryx)。カウディプテリクスとは「尾に羽毛を持つもの」という意味だそうで、前足と尾の羽毛が長い。歯が描かれていないことにも注目。

カウディプテリクスの化石

カウディプテリクスと近縁のオヴィラプトルのメス

次は白亜紀の前期から後期にかけて繁栄したドロマエオサウルス。尾が固り、腕が長くなっている。後ろ足の指は鳥と同じように鉤爪になっている、木に登る際に枝を掴むのに適していたと考えられるそうだ。

ドロマエサウルス科ミクロラプトルのモデル

このように獣脚類の恐竜は長い年月をかけて次第に鳥的な特徴を獲得していった。

そして1860年、南ドイツのゾルンホーフェンで初めて始祖鳥(アーケオプテリクス、Archaeopteryx)の化石が発見される。

始祖鳥のモデル

始祖鳥という名前からには史上最古の鳥なのかと思えば、羽毛や翼を持ち相当に鳥っぽいものの、現在の鳥の直接の祖先ではないらしい(紛らわしい〜)。この辺りのことは展示には詳しく説明されていなかった、身近にある恐竜関連資料を読んでも説明が微妙にまちまちで今ひとつクリアにならないので、とりあえずここでは保留にしておこう。近々、恐竜の専門家に質問することにする。

現在の鳥

鳥は鳥でさらに進化して、現在は姿かたちの様々な鳥が約1万種もいるとされているのだから進化というのは不思議で面白いね。

 

以上、自分の関心によりかなり偏った紹介になってしまったので、シュトゥットガルト自然史博物館(Museum am Löwentor)の全体的な様子が知りたい方は、以下の動画をどうぞ。