バイエルン州アウグスブルクの州立織物産業博物館(Staatliches Texitil-und Industriemuseum)へ行って来た。

最寄りのトラム停留所からこの「アウグスブルク梳毛糸紡績工場」の建物が見えたので、これが目当ての博物館かな?と思ったけれど、そうではなく、博物館はこの建物の右の道路を少し奥に行ったところにある。毎度のことだが外観の写真を撮り忘れた。外観が見たい方はこちらの画像を。

中はモダンで立派な博物館。常設展示は繊維の材料の紹介から始まり、様々な紡績機や機織り機、アウグスブルクの繊維・織物産業の発展史、布の織り方や模様、そしてファッションに到るまでの総合的な展示で一般の人が楽しめるだけでなく、繊維・織物業やファッション、デザインに携わる人にも見応えのある博物館ではないかと思う。

アウグスブルクは伝統的に織物産業の盛んな町で、17世紀初頭にはアウグスブルクの手工業者の43%が織物業に従事していた。18世紀に東インド会社によってアジアからコットンのプリント生地がヨーロッパにもたらされたことをきっかけにアウグスブルクの企業家ゲオルク・ノイホーファーがコットンプリント生地の生産技術を確立し、アウグスブルクは南ドイツのコットンプリント生産の中心地となった。

コットンプリントの絵柄見本

展示を見ていたら機械室でガイドツアーがあるというので、参加して機械についての説明を聞いた。

いろいろな機織り機が年代順に並んでいる。順番に一つ一つ実演しながら説明してもらった。

ジャガード織機

ジャガード織りという言葉はよく耳にするが、今までそれが具体的に何を意味するのかわかっていなかった。1801年にリヨン出身のジョゼフ・マリー・ジャカールにより発明されたこの機織り機は、下の写真のようなパンチカードを使い、経糸を一本一本上下させることで複雑な模様を織り込むことができる。

ジャガード織りの発明によって、それまでは貴族しか身に付けることのできない贅沢品であった模様入りの布地が大量生産されるようになり、市民社会においてもファッションが発展していく。

ファッション展示コーナー

これまでマイエンブルクのモード博物館ベルリン工芸技術博物館でドイツの女性の服飾史に触れて来たが、思いがけずここでも素敵な展示を見ることができた。

19世紀のウェディングドレス

現代ではウェディングドレスは純白が定番だけれど、ヨーロッパで結婚式に花嫁が白い衣装を着るようになったのは19世紀からで、それ以前は黒い衣装が一般的だった。まず都市の上流社会で白いウェディングドレスが流行し、それ以外の社会層や農村部にまでそれが広がったのは20世紀に入ってからだそうだ。そして初期の白いウェディングドレスは上の画像のようなブラウスとスカートのツーピースタイプが多く、ブラウスも首の詰まったデザインだった。

19世紀の女性の下着

50年代のワンピース

過去のファッションだけでなく、最新のテクノロジーを駆使した高機能ウェアも展示されていた。

下着ブランドTriumpfが発表したソーラーセル付き水着。スマホを充電できるらしい。

ところで、この博物館では現在「モーツァルトのモード世界」という特別展示をやっている。演奏旅行で欧州各地を移動したモーツァルト親子であるが、道中にフランスを中心に様々な流行に触れ、それらの要素を自らの衣装に取り入れていった(詳しくはこちら)。モーツァルト一家が互いに交わした、または友人たちに宛てた書簡には当時のファッションに関する描写が多くあり、この特別展ではそれらの情報を元にモーツァルトが触れたファッションの世界を再現している。

ローブ・ア・ラ・フランセーズ(左)とアビ・ア・ラ・フランセーズ(右)

ローブ・ド・シャンブル

レオポルト・モーツァルトが妻に宛てた手紙

この博物館は展示も充実しているが、ミュージアムショップにも素敵なものがたくさん。

織物産業に関しては、ケムニッツ産業博物館の展示も充実しているのでご興味のある方はどうぞ。

先日、こんな本を読んだ。

Berlin Story Verlagという出版社から出ている”Berlin Geologie(ベルリン地質学)”というもの 。ベルリン関連の書籍は数え切れないほどあるが、地質学という切り口は珍しい。最近、ドイツ地質学が楽しくてしょうがない私。この本を見つけて、「わざわざ遠出しなくても、首都ベルリンでも地質学を楽しめるかも!」と心踊った。

紐解いてみると、地質学を切り口としたベルリン本というよりも、ベルリンを切り口とした地質学の入門書という感じ。想像していたのとはちょっと違ったが、それはそれで興味深かった。日本でいえば新書レベルで読みやすい。地球の誕生から現在に到るまでの大陸移動と地層堆積の歴史を、地球全体からヨーロッパへ、ヨーロッパから北ヨーロッパへ、北ヨーロッパから現在のドイツへ、そしてドイツから首都ベルリンへとズームインしながら説明していく。ベルリンは平坦な土地で、地質学的に特別注目される場所ではないけれど、ベルリン周辺の地層がどのようにして形成されたのか、ベルリンのどこにどんな石が使われているのかなど、わかると面白い。

この本にベルリン、パンコウ地区の植物公園Botanischer Volksparkにはドイツ各地の様々な石を集めて積み上げた「地質の壁(die geologische Wand)」なるものがあると書いてあった。面白そうなので、早速見に行って来た。

かなり郊外なので電車やバスを何度も乗り換えて、ようやく到着。我ながら物好き、、、。

これが「地質の壁」

この長さ約30メートル、高さ約2.5メートルの壁は、地質学を専門とするベルリンのギムナジウム教師、エドゥアルト・ツェッヒェ(Eduard Zeche)  の発案で1891年から1995年にかけて作られた教育用の岩石見本だそうだ。壁にはドイツ全国から集めた123種類の異なる石が使われている。

近くで見るとこんな感じ

石はテキトウに積み上げてあるのではなく、壁の右端から左方向へ、古生代石炭紀から新生代完新世までの地質年代をAからUまでのエポックに分け、それぞれのエポックの地質構造がわかるような形で下から上へと積んであるのだ。

それぞれの種類の石には番号が振ってある。番号を見れば、それがどこで採れたどういう石なのかがわかるのだが、紙の説明図だけでなく、スマホやPC上で閲覧できる「デジタル版」があって、これがとても便利なことがわかった。モバイルデバイスがあれば、実際の壁で石を観察し手触りを感じながら、それぞれの石について確認できるのだ。

ほらっ。画像上で番号を押すとその石の情報が出て来る

持参したiPad mini上でデジタル版地質の壁を開き、片っ端から番号を押してみた。石の用途や実際にどこで使われているかなどが書いてある。

まずはわかりやすい玄武岩(116番)から見てみよう。ノルトライン=ヴェストファーレン州ライン川沿いのUnkelという場所で採れたもの。今から約700万年前の火山噴火によって形成され、古代ローマの時代から建材などに使われていた。ドイツはあまり火山のイメージがないが、これらの石が採れたアイフェル地方は火山地帯なのだよね。火山噴火によってできたマールと呼ばれる丸い美しい湖が点在し、カンラン石の入った火山弾やガラス化した美しい砂岩など、珍しい石がよく見つかる地質学的にとても面白い地方である。(アイフェル地方のレポートはこちらにまとめています)

こちらはベルリン郊外、リューダースドルフ(Rüdersdorf)産の石灰岩。ムッシェルカルクと呼ばれる三畳紀の地層から採れるもので、ムッシェル(貝)という名の通り、貝殻などの化石がたくさん含まれるのが特徴だ。この石に見られるのはMyophoria vulgarisという貝の化石らしい。この石は主にセメントの原料となる。リューダースドルフの採石場は現在では野外ミュージアムになっていて、シャフトキルンという石灰窯が見学できる他、採石場をジープで廻ったり、併設の地質学博物館で化石を見たりなど、一日かけて遊べる楽しい公園だ。

10番の赤い石は10億年前以上も前に形成されたスカンジナビア半島の花崗岩。なぜスカンジナビアの石がドイツの岩石見本に含まれるのかというと、氷河とともに運ばれて来たからだ。ベルリンを含む北ドイツにはこのような花崗岩の塊が至る所にある。山もないのに大きな岩が突拍子もなくゴロンゴロンと転がっている様子を最初に見たときにはわけが分からずなんとも不思議だったが、迷子石(Findling)と呼ばれると知ってなんだか気に入った。小さく割られたものが田舎の教会の壁などによく使われているのを見かける。色は上の写真のような赤だけでなくいろいろあって、配色を考えて並べるとカラフルなモザイクになり、可愛い。

たとえばこんな具合に

迷子石はあまりにもたくさんあるので、観光スポットとしてこんな迷子石パークが作られているほどだ。

、、、という具合に、壁とiPadを見比べながら「これは〇〇地方で見たあの石と同じだ!」と一人で喜んでしまった。たかが石じゃないか、そんな地味なものと思われるかもしれないけれど、石って結構重要だ。建物や敷石などに使われるから、その土地でどんな石が採れるかで街並みが変わって来る。また、石からは産業が生まれ、その産業を基盤に生活文化が生まれ、その土地ごとの歴史を作っていく。ある地域について語るなら、まず石からと言っても大袈裟ではないかもしれない。

それに、カラフルな石は見ているだけで楽しいな。

今後は旅行に出たらその土地の石をよく観察してみるつもり。