長くて暗いドイツの冬。ここのところ、連日グレーの曇り空で、いつ日が登っていつ沈んでいるのかもよくわからないほどである。21:00頃だと思って時計を見るとまだ17:00だったりして、とにかく夜が長ーい!相変わらずのコロナ禍で夜に町に出ていく感じでもない。暗くても楽しめること、なんかないかなあ?

と思っていたら、Geopark Nordisches Steinreichというジオパークからメーリングリストでエクスカーションイベントのお知らせが来ていた。このジオパークはメクレンブルク=フォアポンメルン州、ニーダーザクセン州、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州そしてハンブルク州という4つの州にまたがり、石の種類が豊富なのが特徴である。以前、なんとなく思いつきでメーリングリストに登録したらお知らせが届くようになった。でも、いずれのエクスカーションもブランデンブルク州の我が家からは遠いので参加したことがなかったのだけれど、先週届いたメールのエクスカーションタイトルに「UVライトを持って夜の琥珀探し」と書かれていて、気になった。というのも、先日、夫がUVライトを買ったばかりなのだ。特に使用目的があるわけではないんだけど、あると面白いかな?というのでネットでポチって、家にある石ころを照らしたりして遊んでいたところ。そうだ、琥珀もUVライトを当てると光るんだよね。

ドイツのバルト海は世界的に有名な琥珀の産地だ。以下の記事にまとめたように、素敵な琥珀博物館もある。

世界有数の琥珀の産地、バルト海の琥珀博物館を訪れる

バルト海の海岸で琥珀探しができたら最高だけど、うちから日帰りで行くには遠い。でも、よくお知らせを見たら、海岸まで行かなくても内陸の砂利の採石場でも琥珀探しができることがわかった。ハンブルクに近いLüttowというところの採石場まではうちから片道2時間ちょっと。これなら参加できる。早速、エクスカーションに申し込んだ。

17:00に石切場の駐車場で集合。参加者は10人ちょっとで、子ども連れの人もいた。地質学ガイドさんの案内で真っ暗な石切場に入って行く。

なんかワクワク〜

採石場には砂利の山がたくさんあって、山の表面を熊手で引っ掻いて琥珀を探す。琥珀以外にもUVライトで光るものがいろいろあるが、黄色く光るのが琥珀だ。

わー、楽しい。大人も子どもも同じ熱量で遊べるのがいいな。参加者同士、ほとんど会話もせずに暗闇の中、黙々と琥珀を探していた。

1時間半ほどでこのくらい拾った。ちっちゃーいのばかりだけど、初めてだから、まあこんなものかな?思ったよりも色のバリエーションがある。

本当に全部琥珀か、塩水に入れてチェックしてみた。一応全部、浮いているので、きっと本物でしょう。

味をしめて、もっと本格的に探してみたくなった。いつか機会があるといいんだけど。バルト海に旅行者用のアパートを借りて、1週間くらい夜の海岸を琥珀を探し歩くという冬の過ごし方も悪くないかもしれない。

ちなみに、ジオパークNordisches Steinreich の琥珀探しエクスカーションはわりと頻繁にやっているようで、ロケーションもいろいろだ。エクスカーションのスケジュールはこちら。このジオパークは他にもハルツ産地やイギリス南部のジュラシックコースト、サルディニア島などへの少人数のジオ旅行も提供していて、とても面白そう。いつまで続くのかわからないパンデミック下、町中での活動を計画するのは本当に難しくなってしまった。自然の中で楽しめることを少しでも見つけていきたいと思う今日この頃。

 

 

 

過去旅風景リバイバル、米国編。今回スポットを当てるのは、カリフォルニア州デスバレー国立公園北部にあるメスキートフラット砂丘(Mesquete Flat Sand Dunes)。カリフォルニア州北東部のマンモスレイクス(Mammoth Lakes)からネバダ州ラス・ベガスへ移動する途中に見た風景である。

真夏だったので、デスバレーは迂回した方がいいのではないかと思った。なにしろ、デスバレーは世界で最も暑い場所の一つで、56.7℃という世界最高気温を叩き出している。水をたっぷり積んで走るにしても、途中で車がエンコするかもしれない。外に出て灼けた地面を歩いたら靴底が溶けたという体験談も聞いていた。でも、「デスバレー(Death Valley)」という言葉の響きにはやっぱり興味をそそられる。一目見たかった。夫も、迂回すると遠いから、やっぱりデスバレーを突っ切って行こうと言う。一番暑い時間帯に当たらないようにと、早めに出発することにした。

ところが、家族が朝、なかなか起きないので出発が遅れ、途中でマンザナーにあるかつての日本人強制収容所を見学していたらあっという間に時間が過ぎて、午後になってしまった。オーエンズ湖の東側を通り、州道190号線に入ってしばらく走るとデスバレーに突入する。

車を停めて、少し歩いてみる。暑いが、まだこの時点では耐えられないほどではない。

 

さらに190号線沿いを進むと、メスキート・フラット砂丘と呼ばれる砂丘地帯に到達した。駐車場があったので、休憩することにした。

恐る恐る、車のドアを開けて外に出る。うわぁ、暑い!まるでドライヤーの熱風を全身に浴びているかのよう。砂丘の奥に向かって、少しだけ歩いてみる。

眩い光にクラクラしながら眺める風景は、なんだか現実感がなく、不思議だった。

デスバレーは広大なモハーヴェ砂漠の北に位置している。砂漠なんだから砂丘があって当たり前な感じがするが、実際にはそうではなく、砂漠には砂砂漠の他に土砂漠、岩石砂漠、礫砂漠などいろんな種類がある。この一帯は山脈に挟まれていて、風上にある山が侵食を受けて砂が運ばれて来るが、風下にある山がバリアとなって砂がそれ以上飛ばされず、この一帯に溜まることで砂丘となった。デスバレーは「バレー」という名の示す通り谷で、一番低いところは海面下マイナス86mととても低い。北西から南北に伸びるデスバレーの真ん中には活断層がある。その断層が水平方向にずれて谷底が広がり、中央部が沈下していったからそんなに低いのそうだ。(参考: 渡邉克晃「美しすぎる地学辞典」)

砂の上を歩いていたのは10分ほどだったろうか。圧倒的で魅力ある風景だけれど、暑くてとてもじゃないけれどこれ以上は外にいられない。急いで車に乗り込み、出発した。

そこから先の景色も凄かった。もう車は降りず、車の窓ガラス越しに撮ったのでのでぼんやりとしているけれど、ネバダ州へ抜けるには、こんな山を越えていく。

冬が観光シーズンの米国最大の国立公園、デスバレー。このときは夏だったので、サッと通り過ぎてしまったけれど、「アーチストパレット」や「サブリスキーポイント」など、驚異的な風景の宝庫だから、いつかまた行くチャンスがあったらトレッキングしてみたいなあ。

 

 

「過去旅風景リバイバル」シリーズ米国編、思い出の景色の第二弾はヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)で見た花崗岩ドーム。前回の記事に書いたモノ湖へはサンフランシスコからヨセミテ国立公園を横切るタイオガ・パス・ロード(Tioga Road)を通って行った。以下の写真はその途中で見た景色。

えーと、これはどの地点からどちら方向を見て撮ったんだったっけな?見慣れない風景に「わあ、すごい!」と思ったのは覚えている。でも、9年も前のことで、当時は細かい記録をメモを取っていなかったので、記憶が曖昧だ。Googleマップを見ながら考えるに、タイオガ・パス・ロード沿いのビューポイントの一つ、オルムステッド・ポイント(Olmsted Point)から見た花崗岩ドーム、「ハーフドーム(Half Dome)」ではないかと思う。Twitterにこの画像を上げて、わかる人はいませんかと聞いてみたところ、同じ推測を頂いたので、たぶん間違いない。

ハーフドームはヨセミテ国立公園のアイコンで、ハイキングする人も多い。ネット上によく上がっている写真はグレイシャーポイントという別のビューポイントからの眺めで、球を縦に半分に割ったような形状をしているのでハーフドームと呼ばれているそうだ。オルムステッド・ポイントからは切り立った崖側は見えない。

ヨセミテ国立公園にはハーフドーム以外にもボコボコした花崗岩ドームがたくさんある。このような変わった地形はどうやってできたんだろう?この景色を見た当時はまだ地質学にそれほど興味を持っていなかったので、「すごい景色だなあー」と圧倒されたものの、それで終わってしまった。今さらだけど、成り立ちを調べてみよう。

ヨセミテ国立公園はシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)の西山麓に沿って広がっている。花崗岩は深成岩だから、マグマが地下の深いところでゆっくりと冷えて固まってできる。ヨセミテの花崗岩の丘は、シエラネバダ・バソリスという巨大なマグマ溜まりが固まって形成された岩体が地下から押し上げられ、その上の土壌が侵食を受けることで地表に剥き出しになってできた。

オルムステッド・ポイントの丘の斜面に座る子どもたち

オルムステッド・ポイントの丘の表面には割れ目がたくさんあった。昼間、岩が温まって膨張し、夜間に冷えて縮むことで割れ目ができる。岩は層状になっていて、風化で表面の層が玉ねぎの皮が剥けるように剥離し、そのプロセスが特定の条件下では特徴的なドームの形状を作る。当時ティーンだったうちの子どもたちが座っている斜面のところどころに石がちょこんと乗っかっているのが見える。これらの石は、かつてここを覆っていた氷河が遠くから運んで来て置き去りにした「迷子石」だということに今、気づいた。

えー、9年前にヨセミテで「迷子石」を目にしていたなんて!

というのは、私が住んでいるドイツのブランデンブルク州にはいたるところに迷子石があるのだ。いつからか迷子石に興味を持つようになり、このブログに迷子石に関する記事をいくつも書いているのだ。(「迷子石」でサイト内検索すると関連記事が表示されます)

氷河の置き土産 〜 北ドイツの石を味わう

ブランデンブルクではヨセミテのように岩盤が地表に剥き出しになっていないので、氷河で運ばれた石は土の中に埋まっているか、農作業や工事の際に掘り出されて地面の上にあるので、同じ迷子石でもそのたたずまい(っていうかな?)はヨセミテのそれとはかなり違うが。ヨセミテでそれらの石を見たときにはまだ「迷子石」という概念を知らなかったので、何も考えずにスルーしていた。

このときの旅行では行きたい場所がたくさんあって、ヨセミテ国立公園はサーッと通過してしまった。何日か公園内に滞在して氷河がかたちづくった景観をじっくり味わえばよかったなあ。今になってすごく悔しい、、、。

 

 

若い頃に楽しんでいた都市型の旅から自然を楽しむ旅へと移行したのは、子どもが生まれたことがきっかけだったと思う。幼な子と大荷物を抱えて公共交通機関で町から町へと移動することが難しくなった。子どもは美術館や博物館にはすぐに飽きてしまうから、ゆっくり見られない。必然的に自然豊かな場所に滞在する旅が中心となった。

子どもが大きくなるまでの間だけのことと最初は思っていたけれど、気づいたらすっかり自然の美しさ、面白さに魅了されている自分がいる。子どもたちはすでに大人になったが、私と夫の自然を楽しむ旅は終わらない。特に近年は地形や石や化石、野生動物など、自然風景を構成するいろいろなものへ興味が増していて、風景を少しでも「読み解きたい」と思うようになった。

過去数年に訪れた場所についてはこのブログに記録している。それ以前の旅でも印象的な風景をたくさん目にしたけれど、以前は自然について知りたいという欲求が今ほど強くなかったので、「綺麗!」「すごいなあ」という感想だけで終わってしまうことが多かった。過去に訪れた場所についての解説を今になってから読むと、「そういうことだったんだ!」と改めて感動する。地球上に行ってみたい場所は数限りなくあるけれど、次々と新しい場所へ行くだけが旅の楽しみではないのかもしれない。これまでに見た印象深い場所について、一つ一つ調べて味わい直すのもいいんじゃないか?旅は「行ったら終わり」ではなく、その後の人生において繰り返し楽しめるものであって欲しい。

ということで、「過去旅風景リバイバル」シリーズを始めよう。まずは2013年の夏に家族で行った米国の風景から。ドイツからロサンゼルスへ飛び、レンタカーで3週間かけてカリフォルニア州、ネバダ州、アリゾナ州を回った。青春時代を米国で過ごした私にとって雄大な米国の自然を家族と一緒に味わうことは悲願だったので、とても大切な思い出となった。

印象に残った数多くの風景の中でまず最初に甦らせたいのは、カリフォルニア州にあるモノ湖の風景。

白っぽくゴツゴツした柱状の岩が広い湖の水面からニョキニョキと突き出している。この不思議な風景は、ヨセミテ国立公園の東側の外れにある。

私たちが行ったとき、真昼間にも関わらずモノ湖の周りに人影はほとんど見当たらず、ひっそりと静かだった。その静けさが、鏡のような湖面とそこに映る奇岩群がつくり出す景色を幻想的にしていた。これらの奇岩はトゥファ(Tufa tower)と呼ばれる。モノ湖の水はアルカリ性で大量の炭酸カルシウムが溶け込んでいる。モノ湖には周辺から地表水が流れ込むが、独立した水域なので水が外へ流出することはない。そのため、湖の塩分はしだいに濃縮されていく。炭酸カルシウムが飽和すると沈澱し、湖の底に堆積する。それが何十年、何百年という長い年月をかけて大きな岩に成長していく。水の中に形成されたトゥファが湖の水位が下がることで露出したのがこの景色なのだ。

浅瀬にハエが大量にいた。Alkali fly という名前のハエで、このハエを食べにモノ湖には野鳥がたくさんやって来る。モノ湖の「モノ」とはネイティブアメリカンの言葉で「ハエ」を意味するそうだ。

この日は晴天で、湖面は澄んだブルーだった。きっと、日の出や夕暮れ時には美しく染まり、より幻想的なんだろうなあ。モノ湖は1941年から1990年までロサンゼルス市の生活用水の水源として使われ、水量が著しく減ってしまったため、現在は保護されている。保護活動によって水位が上がればトゥファの一部は水面下に隠れ、モノ湖の景色も変わる。いつかモノ湖の景色からトゥファがすっかり姿を消す日が来るだろうか。そうなることが望ましいのだろうけれど、もしそうなったらちょっと残念な気も、、、。

 

 

 

当ブログ、ここのところシチリア旅行のレポートが続いていたが、あまり知られていないドイツ、特にベルリンとその周辺のブランデンブルク州を発掘するYouTubeチャンネル、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」も引き続き更新している。

探検隊チャンネルの動画作りは、相棒の久保田由希さんと私が興味のあるテーマを持ち寄って、一緒に作業するスタイル。共通の興味が多い私たちだけれど、テーマによっては由希さん寄りだったり、または私寄りだったりとバランスはその都度違う。これが楽しいのだ。お互いに相手の興味から学ぶことが多くて、世界が広がっていく。

過去記事で東ドイツ時代の団地「プラッテンバウ」について作成した動画を紹介したが、ドイツの「団地」に関連する動画をさらに2本、アップした。

団地はもともとは由希さんの守備範囲。私は「なんとなく気になるな」程度だったけれど、チャンネル開設以前から由希さんが熱く語るのを聞いているうちに興味を持つようになった。ドイツには日本の団地建設に影響を与えた団地が多くある。ベルリンにある6つの団地はUNESCO世界遺産に登録されている。そうした建物が作られるようになった社会背景や流れを知るのはとても面白い。

新たに公開した2本のうち1本は、「ジードルング」と呼ばれるドイツの集合住宅とはどのようなもので、いつ頃、なぜ作られるようになったのかを解説した以下の動画。由希さんが時間とエネルギーを注いでリサーチしてくれて、私もすごく勉強になった。

以下は公開したばかりの最新動画で、ベルリンの世界遺産団地を一つ一つ紹介している。

 

探検隊チャンネルのメインテーマの一つになりつつある建築物。これからもいろんな時代やタイプの建物について調べていきたい。