Latest News
Everything thats going on at Enfold is collected here
Hey there! We are Enfold and we make really beautiful and amazing stuff.
This can be used to describe what you do, how you do it, & who you do it for.
プレダッツォ・ドロミテ地質学博物館でUNESCO世界遺産ドロミテの地質について知る
イタリアのドロミテへ行って来た。東アルプスに属する山岳地帯ドロミテは2009年にUNESCO世界遺産に登録され、ハイシーズンにはかなり混雑するらしいが、6月上旬はシーズンには少し早く、滞在したのがPie Falcadeという小さな村だったこともあり、とても静かだった。この数年、すっかりジオ旅行にハマっているけれど、今回の旅は友人と会うのが主な目的で、滞在場所も友人が決めてくれたので、ほとんど下調べをせずに現地入り。それでも、軽くハイキングしてドロミテの自然の雄大さを感じることができた。
Passo di Valles峠からCol Margheritaハイキングルートを歩き、途中で振り返ったところ
途中の山小屋レストランRifugio Lareseiのテラスからモンテ・ムラツ方面を眺める
ドロミテの名は、18世紀末、この地方を訪れたフランス人地質学者デオダ・ドゥ・ドロミュー(Déodat Guy Sylvain Tancrède Gratet de Dolomieu)が、新しい岩石を発見したことに由来する。カルシウムとマグネシウムから成るその岩石はドロミューの名に因んで「ドロマイト(苦灰岩)」と名付けられた。うすい灰色をしたドロマイトは、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸が衝突してアルプス山脈を形成する以前に、両大陸の間にあった熱帯の浅い海海に堆積した石灰岩中のカルシウムがマグネシウムに置き変わることでできたものだ。
そうしてできたドロマイトは長い年月の間に氷河や風、水で浸食を受け、尖峰を代表とする特異な自然美を作り出している。
というところまではドロミテへ行く前にもなんとなくは知っていたけれど、実際に現地に行ってみると、「ドロミテはドロマイトでできた山」なんていう単純な説明で片付けられるような場所ではないことがわかった。その成り立ちはものすごく複雑そうだ。ほんの数日、ハイキングしたりドライブしながら景色を見ただけでも風景の多様さに驚かされる。ドロマイトは海洋性の堆積岩だが、そのほかに斑岩など明らかに火山性のものも多く目にした。一体ここはどうなっているのだろう?
ダイナミックに褶曲した地層
パネヴェッジョ湖 (Lago di Paneveggio)の北側の山の岩も気になる
景色に圧倒されて、帰る前にざっくりとでもドロミテの成り立ちを把握したくなったので、プレダッツォ(Predazzo)という町にあるドロミテ地質学博物館(Museo Geologico delle Dolomiti in Predazzo)へ行ってみた。
田舎の公民館のような建物が地質学博物館
ドロミテの地質学博物館がなぜこの小さな町にあるのかというと、ここがドロミテの地質学研究の発祥の地であるかららしい。現在、この博物館が建っている場所から数十メートル離れたところには、かつて、”Nave d’Oro” (Golden Shipの意)という名のホテルがあった(現在は取り壊れていて存在しない)。19世紀、各国から地質学者たちがやって来てNave d’Oroに集い、ドロミテ山塊の調査を行ったのである。
ドイツの地質学者・博物学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトもここで調査をおこなった。
ベルリン出身の研究者、Fedor Jagorのノートブック
北のリエンツァ川、西のイザルコ川およびアディジェ川、南のブレンタ川と東のピアーヴェ川に囲まれたドロミテはいろいろな分け方があるようだが、この博物館の展示によると、ドロミテ山塊は9つのエリアに分けられる。
それぞれのエリアごとに地質学的特徴が異なり、やはり「ドロミテとは〇〇」とひとまとめに語ることは無理があるようだ。私たちが滞在したPia Falcade村は①と②と③の間、つまりドロミテのど真ん中に位置している。
1階フロアにはドロミテの各地に特徴的な岩石が展示されている。
ドロミテの岩石と地層は、海における堆積物の堆積と火山活動、そして造山活動という異なるプロセスを経て形成されて来た。
Dolomia principale
ドロミテ地方全体に見られる、ドロマイトが大部分を占める岩石層 、Dolomia principale(ドイツ語ではHauptdolomit)は、中世代後期三畳紀(約2億3700万年前から2億130万年前)の浅い海に堆積物が積み重なって形成されたもの。厚いところでは2200 mにも及ぶ。この時期にはさまざまな海洋生物や陸上生物が進化し、繁栄した。化石化したそれらの遺骸を含むドロミテの地層は、その後の新生代に起こったアルプス造山運動によって海面から高く押し上げられ、地表に露出した。山なのに海の生き物の化石が見つかるのはそのためである。
かつて、ドロミテの明峰ラテマール山は環礁だった
かつては環礁だったラテマール山の地層中に見つかった化石
魚の化石
ドロミテのあちこちで火山岩を目にする理由もわかった。上述のようにドロマイトが形成される以前のペルム紀は火山活動が非常に活発な時期だった。ドロミテでおよそ2億8000万年前に始まり2000万年間も続いたスーパーヴォルケーノの噴火活動は直径70kmにも及ぶボルツァーノカルデラを形成し、2000km2を超える広大な地域に大量の火山性堆積物を積らせたのだった。ドロミテの火山岩のうち特に多い石英質斑岩は、ドロミテの多くの町の石畳に使われている。
以上は博物館の展示(イタリア語、英語、ドイツ語の3ヶ国語対応)と、博物館ショップで買ったドロミテの地質史の本からわかったこと。でも、ドロミテの地質史はとても複雑で、ドロミテ地方のごく一部を見ただけで全体について把握するのはかなり難しい。ショップで買った本はよくまとめられているように思うのだけれど、残念ながらイタリア語版しかなく、GoogleLensをかざしてドイツ語に翻訳しながら読んだので、正確に理解できたかどうかは、ちょっと自信がない。でも、今後のさらなる理解のためにわかった分だけでもまとめておこうと思った次第。
ドロミテのジオパークGeopark Bletterbachの記事に続く。
この記事の参考文献:
Emanuelle Baldi (2020) “Dolomiti La Formazione di una Meraviglia della Natura”
UNESCO パンフレット ドロミテ
ドイツのジオパーク関連記事まとめ
これまでに訪れたドイツ国内のジオパークに関する記事のまとめ。今後まだまだ増える予定!
隕石が好きなら、
リース・ジオパーク (Geopark Ries)関連
石炭化石から恐竜まで幅広く楽しめる
UNESCOグローバルジオパーク TERRA.vita関連
洞窟探検と考古学がセットで大満足
UNESCOグローバルジオパーク シュヴェービッシェ•アルプ(Schwäbische Alp)関連
実はドイツにもある活火山、しかも神秘的
火山アイフェルジオパーク (Geopark Vulkaneifel)関連
北ドイツといえば氷河地形
氷河期地形ジオパーク (Geopark Eiszeitland am Oderrand)関連
氷河地形ジオパーク (UNESCO Global Geopark Moskauer Faltenbogen)関連
ペルム紀のスーパーヴォルケーノが遺した石とは?
斑岩ジオパーク (Geopark Porphyrland)関連
2億9000万年前の超巨大火山が生んだ石 ザクセン州の斑岩ランド・ジオパーク (Geopark Porphyrland)
気になっていたことがある。数年前、移動中たまたま通りかかったハレ(Halle)という町に立つ、立派な給水塔に目が留まり、車を降りて写真を撮っていたときのこと。ふと、足元を見て、古い石畳にハッとしたのだった。
「あっ、斑岩だ!」と思わず呟いた。私は斑岩が好きなのだ。
赤っぽい石基にそれよりも薄い色の細かい斑晶ができている。このような石はドイツ語ではPorphyr(英語ではPorphyry)と呼ばれている。水玉模様みたいでなんかかわいいな、と思ったのが興味を持つようになったきっかけだった。
私が住んでいる北ドイツの古い石畳のほとんどは、はるかスカンジナビアやバルト海地域から氷河とともに運ばれて来た石の寄せ集めでできている。氷河は北方の様々な石を運んで来たので、北ドイツの石畳はカラフルなのが特徴だ。中には斑岩も含まれているけれど、全体の中では比較的少ないし、色や斑晶の大きさなどもまちまちである。
それがこの石畳ときたら、オール斑岩、それもすベて同じ石なのだ。ということは、この石畳に使われている石はどこか近くの石切場から切り出して来たということになる。ハレは首都ベルリンから南西におよそ170kmに位置しているが、火山もないのに斑岩が採れるんだろうか?
不思議に思ったけれど、この疑問はそのまま長らく放置していた。ところが、先日、こちらの記事に書いたようにベルリン中心部に使われている石を見て歩いていたら、また斑岩の石畳に遭遇したのだ。
ベルリン、ジャンダルメン広場前の石畳
手持ちの資料、”Steine in deutschen Städten: 18 Entdeckungsrouten in Architektur und Stadtgeschichte“によると、このグレーに白っぽい斑晶のある石はBeuchaer Porphyrと呼ばれ、ライプツィヒ郊外のボイヒャ(Beucha)というところで採れるらしい。ライプツィヒはハレと40kmちょっとしか離れていない。やっぱりあのあたりは斑岩が採れるのだろうか?でも、あの辺に火山なんてないよなあと再び気になりだし、調べてみるとライプツィヒの東には広さおよそ1.200 km²のジオパークがあり、その名もズバリ「斑岩ランド・ジオパーク(Geopark Porphyrland)」だというではないか!
まったく知らなかったのだが、そのあたりでは約2億9000万年前(ペルム紀)、超巨大火山が噴火を起こし、大規模な火砕流が一帯を覆ったのだという。それが冷えて固まってできたさまざまな種類の斑岩の層は、深いところでは500mを超える。つまり、ライプツィヒ近郊は斑岩の一大産地だったのだ。
ということで、行ってみた斑岩ランド・ジオパーク。
見どころはたくさんあって、1回で多くを回るのは難しい。斑岩ランド・ジオパークは、2億9400万年前の爆発的な噴火によって形成されたカルデラであるロッホリッツ(Rochlitz)エリアとそれよりも後の2億8700万年前にできたカルデラ、ヴルツェン(Wurzen)エリアとの2つの地域に大きく分けられる。より南部のロッホリッツエリアでは主にRochlitzer Porphyrtuffと呼ばれる真っ赤な石が採れる。
ロッホリッツァー・ベルク(Rochlitzer Berg)という山にはかつての石切場があり、現在はジオ散策ルートとなっている。
旧石切場 Gleisbergbruch
ここでは中世から採石が行われ、石臼にしたり彫刻を作るのに使われていた。
深いところは100メートルくらいある。
ロッククライミングをしている人がいた。
こちらは現在も稼働中の石切場
だけど、ちょっと待てよ。これって斑岩?私が思っていたのとずいぶん違っていて、混乱してしまった。これまでに見た石畳や、家の周辺で拾った斑岩は石基の部分がもっと硬くて緻密で、斑晶が模様のようにはっきりとしていたが、この石はもっと密度が低くて手触りもざらざらしている。よく見ると、黒っぽい小さな火山礫が混じっているがそれほど目立たない。Rochlitzer Porphyrtuffと言われる石だから、字面通りに解釈するなら、「斑晶(Porphyr)を持つTuff(凝灰岩)」ということになるが、ジオパークwebサイトの説明によると、Rochlitzer Porphyrtuffは固まった火山灰である一般的な凝灰岩とは異なり、ガスを多く含んだ熱い火山砕屑流が堆積してできた「イグニンブライト (Ignimbrit)」と呼ばれる石に分類される。(ラテン語で「火」を意味する ignis と「雨」を意味する imber の合成語)
私のイメージする斑岩とは違ったが、薄紫から赤へのグラデーションやところどころに走る岩脈が味わい深いとても魅力的な石だ。この石は古くから現在に至るまで建材として広く使われており、2022年に国際地質学連合(IUGS)により、ドイツの岩石では初のヘリテージストーンに認定された。
Rocherlitzer Bergのてっぺんに立つ見晴らし塔、フリードリヒ・アウグスト塔
ヘリテージストーンというくらいなので、きっと最寄りの大都市ライプツィヒ市内にこの石を使った建物が見られるだろう。確認に行ってみたら、実際、旧市街はこの石だらけだった。
ライプツィヒ旧市庁舎。下のアーケードの部分がRochlizer Porphyrtuff。
でも、ライプツィヒだけじゃない。ベルリンやポツダムでも、この石を使った建物を見かけた。きっと、他の町でも幅広く使われているんだろう。知っている石ができると街歩きが楽しくなるなあ。
ベルリン、フリードリヒ通りの建物
次はヴルツェンエリアへ行ってみよう。まず向かったのはThallwitzというところにある山、Gaudlitzberg。
Gaudlitzbergの石の崖
ここで採れるのは石英斑岩 (Quarzporphyr)。岩肌の割れ目から想像できるように、割れやすくかつ硬い石で、石畳や砂利としての利用に適しているのだそう。
左右に動かすと黒雲母の粒がキラキラして見える。
Gaudlitzbergの石の壁はロッククライマーに大人気で、年に一度、ここでクライミングと映画鑑賞のイベントが開催されるらしい。でも、この日は誰もいなくて、あたりにはニセアカシアの甘い香りが漂い、ナイチンゲールの鳴き声が響き渡っていた。
次は、Naunhofの石切場、Ammelshainへ。
1950年まで採石が行われていた跡地は今は水が張られ、自然保護区およびレクリエーションの場となっている。
ここで採れるのは、ジオパークのウェブサイトによると石英花崗斑岩(Quartzgranitporphyr)。それって、石英斑岩なの、それとも花崗斑岩なの、どっち?なんともややこしいが、花崗斑岩のうち、石英の割合が大きいものということらしい。
お次はボイヒャ(Beucha)の石切場、Kirchbruchへ。
石切場の上に教会が載っている。 なんとも言えない光景。
ボイヒャ花崗斑岩 (Beuchaer Granitporphyr)
この石がベルリン、ジャンダルメン広場の石畳に使われている斑岩だ。私はなぜか、このようなピンク色をしたカリ長石の斑晶に惹かれてしまう。石の性質としては、硬く霜や湿気にも強い。磨いてツルツルにするのにも適しているので、さまざまな用途に利用できるらしい。
Beuchaの別の石切場
そして、ボイヒャの斑岩はライプツィヒにある、プロイセン、オーストリア、ロシア、スウェーデンの連合軍がナポレオンを倒したことを記念して1913年に建てられた壮大なモニュメント、諸国民戦争記念碑(Völkerschlachtdenkmal)の建材でもある。是非とも見ておきたくてジオパークの帰りに寄った。
Völkerschlachtdenkmal
迫力!この全体が斑岩でできているのだー。重さ30万トンに及ぶこの巨大な記念碑を建てるのに、ボイヒャの石切場から2万6500個の石が切り出された。
壁のクローズアップ
内部の床。色のバリエーションはグレーっぽいのと赤っぽいのがある。ところどころに見える大きな黒い部分は黒曜石だろうか。
内部の石像には手の込んだ表面加工が施されている。
この記念碑以外に、ライプツィヒの中央駅、ドイツ国立図書館、ゲヴァントハウスなどにも同じ石が使われている。
斑岩といっても、いろんな種類のものがあるんだなあ。斑岩ランド・ジオパークはまだジオパークに認定されて日が浅いせいか、ウェブサイトはよくできているけれど、現地の説明パネルが少ないし、ビジターセンターの開館時間も限定的でその点はもうちょっとなんとかならないかなと感じたものの、斑岩が気になる私にとっては面白いジオパークだった。
ちなみに、このジオパーク訪問の伏線となったハレの石畳の斑岩の産地はまだわからない。ハレの周辺には斑岩ランドの斑岩とは別の時代に生成された斑岩の採れる場所があるらしく、そちらが産地かもしれない。探索は続く、、、。
この記事の参考サイト:
Geopark Porphyrlandウェブサイト
庭で野鳥の営巣観察2024 その3 巣立ちに出遅れたシジュウカラの子
こちらの記事の続き。
庭に設置した3つの巣箱のうち、ハウス3で進行していたシジュウカラの営巣。4/23日に7つの卵からヒナが孵り、しばらくは成長ぶりに大きな個体差も見られず、みんな順調に育っていると思われたけれど、7羽のうち1羽は途中で死んでしまい、6羽となった。
生後およそ2週間後、ヒナたちの目が開き、「ヂヂヂヂヂッ」「ピピピピッ」というヒナに特徴的なフレーズでひっきりなしに鳴くようになった。このフレーズは過去数年のシジュウカラの営巣観察で私の耳にすっかりお馴染みになっている。巣箱の中で、ヒナたちは最初の数日はほとんど声を出さない。その後少しづつ「ピッ」とか「チッ」という単音を発するようになり、その声も次第に大きくなるけれど、「ヂヂヂヂヂッ」「ピピピピッ」というフレーズが出て来るのは巣立ち間近になってからのようだ。巣立った後もしばらくの間はヒナは親鳥に世話をしてもらわなければならないから、自分の居場所を知らせるために特定のフレーズが必要だということなんだろうか?だとすると、シジュウカラのヒナの「ヂヂヂヂヂッ」「ピピピピッ」は、つまり「おかあさーん」という意味かな?
そして、生後18日目の朝、巣箱カメラを覗くと、中が何やら騒々しい。
ヒナのうち、2羽が翼を広げて飛び上がっては降り、飛び上がっては降りを繰り返している!いよいよ巣立ちか?
朝ごはんを食べていた私はコーヒーの入ったマグカップとカメラを持って、急いで庭に出た。
あっという間に最初の1羽が巣箱から飛び出し、それから1時間半ほどの間に6羽中5羽が無事に巣立った。ヒナが飛び立つ瞬間は、いつ見ても感動的である。
巣立ったばかりのヒナ。かわいい〜。
でも、広い世界の危険をまだ把握していないヒナたちは地面にいることが多く、危なっかしい。
しかし、ここからが忍耐戦だった。最後の1羽が出てくるのを見届けようと、朝ごはんを中断したままカメラを抱えていたのだけれど、なかなか出て来ない。巣箱カメラを通して中を見ると、末っ子ちゃんは出入り口の穴に飛び上がるのにすら苦労しているようだ。ありゃりゃ、これは時間がかかりそうだなと一旦家の中に入ることにした。
それから数時間が経過。何度巣箱カメラを覗いても、末っ子ちゃんは一向に出る気配がない。お父さんお母さんが交代で何度も何度も迎えに来てはあの手この手で外へと誘導するのだが、どうやらかなり臆病な子らしく、なんとか出口には登っても、そこから飛んで出るのはどうしても怖いらしい。親鳥も巣立った子たちへの餌やりや飛び方指導などしなければならないのだから、この子ばっかりに構ってはいられない。巣箱に来る間隔がだんだん長くなっていく。
今日はこのままもう無理かもしれない。
そうこうしているうちに日が暮れた。鳥も寝る時間である。母鳥は巣立った他の子たちと一緒に外で寝るらしく、巣箱に戻って来ない。末っ子ちゃんはひとりぼっちで夜を明かすことになってしまった。あーん、かわいそう。初めての経験できっとすごく心細いよね?まさか、このままお父さんお母さんに忘れられたりはしまいね?
そして、一夜が明けた。
朝、目が覚めて早速巣箱の中を見ると、末っ子ちゃんはすでに目を覚まして鳴いている。今日も出られないのだろうかと心配になったが、お母さんは巣箱の中にまだもう1羽いることを忘れていなかったようで、ちゃんと迎えに来た。よかったー。
そして、お母さんの誘導の下、飛び出そうとしかけてはまた戻り、を何度か繰り返した後、末っ子ちゃんはついに巣箱から出ることに成功!!
でも、なんとか外には出たものの、羽ばたいて遠くまで飛ぶのはまだまだ怖いらしく、「おかーさーん。おかーさーん」と鳴いて助けを呼んでいる。いやはや、手のかかる子もいるもんだ。
こうして今年は6羽のシジュウカラの巣立ちを無事、見届けることができた。でも、広い世界は危険がいっぱい。1羽でも多くが大人になれますように!
ハウス2のアオガラのヒナたちも今のところ、順調に育っている。こちらも巣立ちが楽しみだ。(こちらに続く)
庭で野鳥の営巣観察2024 その2 シジュウカラのヒナたちが生まれた!
2024年春の野鳥営巣観察の続き。前回の記事で、庭に設置した3つのカメラ付き巣箱のそれぞれで営巣が始まったことを書いた。以下はそれからおよそ3週間が経過した、現在の様子を記録しておこう。
まず、ハウス1
シジュウカラが2日間、巣材を運び入れて作業していたが、なぜか放棄されてしまった。今まで3つの巣箱の中で最もよく使われて来た巣箱だけれど、今年はこのまま使われないのか、それとも誰かが引き継いで使うことになるのかはわからない。現時点では空き家状態である。
ハウス2
この巣箱ではシジュウカラが途中まで作った巣をアオガラが引き継いだ。このアオガラのメスは羽が大好きなようで、大量の鳥の羽を集めて来た。
羽は土台に編み込んだりせずにそのままなのでフワフワ舞っていて、なんだかカオス。
4/13から卵を産み始め、全部で5つ産んだ。でも、このフワフワ羽、ヒナが生まれたら邪魔そうなんだけど、いいのかなあ?ちょっと気になっている。
このアオガラのメスはちょっとだらしないタイプなのでは?と思うのだが、気は強いのか、パートナーのオスにしきりに餌をねだっている。
ハウス3
こちらの巣箱のシジュウカラはカラフルな巣材を集めて来た。
卵を7つ産んで、4/11に抱卵を開始。巣材で器用に丸い窪みを作って、ハウス2のアオガラの巣とは大違い。
そして、4/23に最初のヒナが孵った!
次々と誕生するヒナ達。感動的〜。
7羽のヒナ、今のところ元気に育ってる。無事に巣立ちますように!
続きはこちら。
ベルリンで「街角地質学」ごっこ ① ジャンダルメンマルクト周辺の石材
前々から欲しいと思っていた本を購入した。石材を見ながら街を歩く活動をしておられる名古屋市科学館主任学芸員、西本昌司先生の『東京「街角」地質学』という本だ。ジオパークや石切場に石を見にいくのも楽しいけれど、街の中でも石はいくらでも見られる。建築物やインフラにいろんな石が使われているから、見てざっくりとでも何の石か区別できるようになれば楽しいだろうなあと思って、この本を日本から取り寄せた。読んでみたら、想像以上にワクワクする本だ。石についての説明もわかりやすいし、特定の種類の石が使われた背景も面白い。さっそく自分でも街角地質学を実践してみたくなった。
とはいっても、東京へ行けるのはいつになるかわからないので、まずは住んでいるドイツの町で使われている石材を見に行くことにする。この目的にうってつけの”Steine in deutschen Städtchen(「ドイツの町にある石」)”というガイドブックがあるので、これら2冊をバッグに入れてベルリンへGo!
“Steine in deutschen Städtchen”のベルリンのページでは、ミッテ地区のジャンダルメンマルクトという広場周辺で使われている石材が紹介されている。地図上に番号が振られ、それぞれの番号の場所の石材の名称、産地、形成された時代が表にされているので、これを見ながら歩くことにしよう!
と思ったら、ジャンダルメンマルクトは2024年4月現在、工事中で、広場は立ち入り不可。いきなり出鼻を挫かれた。でも、広場周辺の建物を見て回るのには支障はなさそうだ。
まずはマルクグラーフェン通り(Markgrafenstraße)34番地の建物から見てみよう。
1階部分にアインシュタインカフェというカフェが入っているこの建物は、1994-96年に建造された。地階とそれ以外の階部分の外壁には異なる石材が使われている。
地階部分はイタリア産の蛇紋岩、「ヴェルデヴィットリア(Verde Vittoria)」。
上階部分はCanstatter Travertinというドイツ産のトラバーチン。シュトゥットガルト近郊のBad Cannstattで採れる石で、本場シュトゥットガルトではいろいろな建物に使われているらしい。
次に、広場の裏側のシャロッテン通り(Charlottenstraße)に回り込み、フランス大聖堂(Franzözischer Dom)前の石畳を観察する。
フランス大聖堂前の石畳
ここのモザイク石畳に使われている石は大部分がBeuchaer Granitporphyrという斑岩。ライプツィヒ近郊のBeuchaというところで採れる火山岩で、ライプツィヒでは中央駅や国立図書館の建物、諸国民戦争記念碑(Völkerschlachftdenkmal)などに使われているそうだ。
そこから1本西側のフリードリヒ通り(Friedrichstraße)には商業施設の大きな建物が立ち並んでいる。例えば、Kontorhausと呼ばれる建物は赤い壁が特徴的だ。
使われているのは南ア産の花崗岩で、石材名はTransvaal Red。花崗岩というと以前は白と黒とグレーのごま塩模様の日本の墓石を思い浮かべていたけれど、ドイツでは赤い花崗岩を目にすることがとても多い。石材用語では「赤御影石」と呼ばれるらしい。
建物のファサード全体と基礎部分では、同じ石でも表面加工の仕方が違っていて、全体はマットな質感、基礎部分はツヤがある。これは何か理由があるのかな?地面に近い部分は泥跳ねなどしやすいから、表面がツルツルしている方が合理的とか?それとも単なるデザインだろうか。
連続するお隣の建物ファサードには、縞模様のある淡いクリーム色の石材が使われている。
この石材は、イタリア、ローマ郊外チボリ産のトラバーチン、Travertino Romano(トラベルチーノ ロマーノ)。ローマのトレヴィの泉やコロッセオに使われているのと同じ石。ベルリンでは外務省ファサードにも使われている。『東京「街角」地質学』によると、東京ではパレスサイドビル内の階段に使われているらしい。
トラバーチンという石を『東京「街角」地質学』では以下のように説明している。
なるほど、縞の太さや間隔は一定ではない。小さい穴がたくさん開いている(多孔質)のも、トラバーチンの特徴だ。
その隣の建物との境に使われている石は緑色。緑の石というと、蛇紋岩?
ガイドブックによると、ヴェルデヴィットリアとなっているから、最初に見たアインシュタインカフェのファサードと同じ石ということになる。随分色も模様も違って見えるけれど。
180-184番地の建物はガラッと違う雰囲気。建造年は1950年で、東ドイツ時代の建物だ。クリーム色の部分はドイツ産の砂岩(Seeberger Sandstein)で、赤っぽい部分は同じくドイツ産の斑状変成凝灰岩(Rochlitzer Porphyrtuff)だ。
このRochlitzer Porphyrtuffという石はとても味わい深い綺麗な石である。なんでも、この石は多くの重要建造物に使われていて、国際地質科学連合(IUGS)により認定されたヘリテージストーン(„IUGS Heritage Stone“)の第1号なのだそう(参考サイト)。ヘリテージストーンなるものがあるとは知らなかったけれど、なにやら面白そうだ。今後のジオサイト巡りの参考になるかもしれない。ちなみに、Rochlitzer Porphyrtuffの産地はザクセン州ライプツィヒ近郊で、Geopark Porphyrlandと呼ばれるジオパークに認定されていて、石切場を見学できるようなので、近々行ってみたい。
さて、次はこちら。
1984年にロシア科学文化院(Haus der russischen Wissenschaft und Kultur)として建造された建物で、建物のデザインはともかく、石材という点ではパッと見ずいぶん地味な感じ。
でも、よく見ると、地階部分のファサードには面白い模様の石が使われている。
Pietra de Bateigという名前のスペイン産の石灰岩で、日本で「アズールバティグ」と呼ばれる石に似ている気がするけれど、同じものだろうか?
道路を渡った反対側には、フリードリヒシュタットパッサージェン(Friedrichstadt Passagen)という大きなショッピングモールがある。
ファサードは化石が入っていることで有名な、「ジュライエロー」の名で知られる南ドイツ産の石灰岩。ジュライエローについてはいろいろ書きたいことがあるので、改めて別の記事に書くことにして、ここでは建物の中野石を見ていこう。この建物は内装がとても豪華なのだ。
大理石がふんだんに使われたショッピングモールの内装
地下の床に注目!いろんな色の石材を組み合わせて幾何学模様が描かれている。この建物の建造年は1992年から1996年。ドイツが東西に分断されていた頃は東ドイツ側にあったフリードリヒ通りにおいて再統一後まもない頃に建てられた建物アンサンブルの一つだが、その当時はこういうゴージャスな内装が求められたのだろうか。
白の石材はイタリア産大理石「アラべスカートヴァリ(Arabescato Vagli)」で、黒いのはフランス産大理石「ノワールサンローラン(Noir de Saint Laurent)」。ちなみに、大理石というのは石材用語では内装に使われる装飾石材の総称で、必ずしも結晶質石灰岩とは限らないから、ややこしい。”Steine in deutschen Städtchen”には「アラべスカートヴァリ」は結晶質石灰岩で「ノワールサンローラン」の方は石灰岩と記載されている。
赤い部分はスペイン産大理石(石灰岩)、Rojo Alicante(日本語で検索すると「ロッソアリカンテ」というのばかり出てくるのだけど、スペイン語で「赤」を意味する言葉だからロッホと読むのではないのかな?謎だー)。
こちらの黄色いのはイタリア、トスカーナ産のジャロ・シエナ(Giallo di Siena)。およそ2億年前に海に堆積し、圧縮されてできた石灰岩が、2500万年前のアペニン山脈形成時の圧力と高温下で変成して結晶質石灰岩となった。
同時期に建てられたお隣のオフィスビルは、ファサードに2種類の石灰岩が組み合わされている。色の濃い方がフランス産のValdenod Jauneで、クリーム色のがドイツ産のジュライエローだ。
でも、ファサード以上に目を奪われたのはエントランス前の床の石材だった。
床材も石灰岩づくしで、濃いベージュの石材はフランス産のBuxy Ambre、肌色っぽい方も同じくフランス産でChandore、黒いのはベルギー産Petit Granit。Chandoreは白亜紀に形成された石灰岩で、大きな巻貝の化石がたくさん入っている。
このサイズの化石があっちにもこっちにもあって興奮!
そして、花崗岩(Granite)ではないのにGranitとついて紛らわしいPetit Granitもまた、白亜紀に形成された石灰岩で、こちらも化石だらけなのだ。
サンゴかなあ?
これもサンゴ?大きい〜!
これは何だろう?
化石探しが楽しくて、人々が通りすぎる中、ビルの入り口でしゃがみ込んで床の写真を撮る変な人になってしまった。ここの床は今回の街角地質学ごっこで一番気分が上がった場所だ。街角地質学をやりに出て来て良かったと感じた。ただ、ベルリンで街角地質学をやる際、困ることが一つある。それは、ベルリンの町が汚いこと。このフリードリヒ通りはまだマシな方ではあるけれど、せっかくの素晴らしい石材が使われていてもロクに掃除がされていないので、ばっちくて触りたくないのだ。写真を撮るとき、化石の大きさがわかるようにとコインを置いたものの、そのコインをつまみ上げるのも躊躇してしまう。
さて、2時間近くも石を見ながら外を歩き回ったので、さすがにちょっと疲れて来たので、初回はこの建物で〆よう。Borchardtというおしゃれ〜なレストランが入っている赤い砂岩の建物である。
この砂岩はRoter Mainsandstein(直訳すると「赤いマインツの砂岩」というドイツ産の砂岩で、ドイツ三大大聖堂の一つ、マインツ大聖堂はこの石で建てられている。この建物は1899年に建てられており、ファサードの装飾が目を惹くが、石的に注目すべきは黒い柱の部分だ。
うーん。写真だと上手く伝わらないかな。光が当たるとキラキラ輝いて、とても美しい。ノルウェー産の閃長岩で、石材名は「ブルーパール(Blue Pearl)」。オスロの南西のラルヴィクというところで採れるので、地質学においては「ラルビカイト(Larvikite)」と呼ばれる岩石だ。東京駅東北新幹線ホームの柱や東海道新幹線起点プレート、住友不動産半蔵門駅前ビルの外壁にも使われているとのことで、東京に行ったときにはチェックすることにしよう。
それにしても、世の中にはたくさんの石材があるものだ。少しづつ見る目が養われていくといいな。
関連動画:
YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で過去にこんなスライド動画を上げています。よかったらこちらも見てね。