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シチリア・エオリエ諸島ロードトリップ その11 アグリジェントの「神殿の谷」
パンタリカのアグリツーリズモで3日間を過ごした後、今度はシチリア島南東部のオリエンタタ・オアジ・ファウニスティカ・ディ・ヴェンディカリ自然保護区(Riserva naturale orientata Oasi Faunistica di Vendicari)のアグリツーリズモに移った。
私が住んでいるドイツ東部のブランデンブルク州には自然保護区がたくさんあり、いろんな野生動物が見られるので気に入っている。ドイツとは気候の違うシチリア島で自然保護区巡りをすれば、ドイツでは見られない生き物が見られるのではないかと密かに楽しみにしていた。ヴェンディカリ自然保護区は特に野鳥が多いと読んだので是非行ってみたかったのだ。
しかし、結論から言うと、いくつか回ったシチリア島の自然保護区はそれほど積極的な保護活動がおこなわれているようには見えなかった。これはあくまで個人的な印象だし、雨が多く緑豊かなドイツと乾燥したシチリア島を同列に見るのはフェアではないかもしれないが、いろんなカナヘビを見た以外は期待したほど多くの生き物を目にしなかった。
でも、ヴェンディカリ自然保護区では少なくともフラミンゴの群れが飛んでいくのを目撃できたし、アグリツーリズモの食事が素晴らしかったので、まあ満足かな。
さて、シチリア島南端から海岸に沿って北西に移動し、次に目指すはアグリジェント(Agrigento)の考古学地区、「神殿の谷(Valle dei Templi) 」だ。
アグリジェントはかつてアクラガスと呼ばれる古代ギリシアの植民都市だった。南東に70kmほど離れた都市ジェーラ(Gela)とロードス島からの移住者によって紀元前581年に建設されたアクラガスは、競馬の飼育で知られる富める町だった。僭主テロンが支配した最盛期(紀元前488〜472年)には人口20万人にも及ぶ大都市に発展していた(現在のアグリジェントの人口は6万人弱)。この町に生まれた哲学者エンペドクレスは、アクラガス市民は「まるで明日死ぬかのように食べ、永久に生きるかのような家を建てていた」と描写したという。紀元前406年にカルタゴ軍によって破壊されるまでは、市民は相当にゴージャスな暮らしぶりだったらしい。アグリジェント市の南部にはそうした古代都市アクラガスの栄華を感じさせるギリシア神殿群が残る。
考古学地区から眺めるアグリジェントの町
1984年にUNESCO世界遺産に登録されたこの「神殿の谷」、これまた広大で圧倒的!
右に見えるのはカストレ•ポルーチェ神殿
神殿の谷で最も古い(紀元前6世紀に建設)ヘラクレス神殿
コンコルディア神殿。ドーリス式神殿の中で最も保存状態の良い神殿 の一つ。1748年に復元された。
崖の上にそびえるユノ・ラキニア神殿
考古学公園の南側、眼科広がる景色を眺めていたら、なぜだかふとエジプトへ行ったときのことを思い出した。ここまで来ると、アフリカが近いと感じる。
公園内には考古学博物館もあって見るべきものが盛り沢山なのだが、今回のシチリア島・エオリエ諸島旅行はこの時点ですでに3週間近くに及んでいたので、すでにかなりの情報過多でとてもじゃないが処理しきれない。もうちょっとよく地中海の歴史を勉強してから出直した方が良さそうだ。それにしても、シチリアの歴史的・文化的コンテンツの驚くべき豊かさよ。もっと知りたいけど、沼にはまりそうでちょっと怖い。そんなことを考えながら神殿の谷を散策した後はレアルモンテ(Realmonte)海岸の白い崖、スカーラ・デイ・トゥルキ(Scala dei Turchi)の見える宿に泊まった。
この崖は、鮮新世ザンクリアン期に起こった洪水で堆積した有孔虫の化石を含む泥灰土でできている。スカーラ・デイ・トゥルキというのは「トルコ人の階段」の意味。トルコからやって来た海賊がこの崖を登って攻めて来たことに由来するそうだ。トルコにもパムッカレという同じような石灰棚の名所があるのを思い出した。
そろそろシチリア旅行も終わりに近づいている。
シチリア・エオリエ諸島ロードトリップ その10 シラクーザの考古学公園
まだまだ続くシチリア島旅行。パンタリカのアグリツーリズモに宿を取っていた私たちは、パンタリカの岩壁墓地遺跡を見た翌日、シラクーザを訪れることにした。宿で一緒になった旅行者夫婦に「シラクーザの観光名所の多くはオルティージャ島に集中している。特にドゥオモ広場は必見だ」と強く勧められていた。オルティージャ島海に突き出たシラクーザの発祥地でとても美しく、ドゥオモ広場の他にもアポロン神殿やマニアケス城など見どころが多い。
でも、私にとってはオルティージャ島よりもネアポリス地区(「新市街」の意)にある考古学公園(Parco Archeologico)の方が面白かった。
行ってみて仰天。この公園、凄すぎる!市街地にギリシアやローマ時代の遺跡がどーん!と、まとまって存在している。
まず、「天国の石切場(Latomia del Paradiso)」と呼ばれる古代の石切場に度肝を抜かれた。町の真ん中なのに、石灰岩質の岩盤が剥き出しになっている。紀元前6世紀から神殿などの大規模建造物のためにここで石が切り出されていた。
石切場の中はヘルメットを装着して見学する。歩いているの私の大きさからそのスケールが想像できることだろう。良質の石は地表付近ではなく深いところから切り出す必要があった。作業に従事したのはカルタゴ軍やアッティカ軍からの捕虜だった。現在、石切場跡の周辺には草木が生い茂り、まるで楽園のようだから「天国の石切場」と呼ばれるようになったらしいが、当時は天国どころか地獄だっただろう。トンネルの中はじめっとしていて、岩肌にはところどころ苔が生えている。
石切場の奥には「ディオニシオスの耳(Orecchio di Dioniso)」と呼ばれる、これまた巨大な石窟がある。高さ23メートル、奥行きは65メートル。中は真っ暗で湾曲している。この洞窟の中ではほんの小さな音でも増幅されて大きく聞こえる。古代ギリシアの植民都市であったシラクーザの僭主ディオニシオスは疑り深い性格で、捕虜たちのヒソヒソ話を聴くためにこの洞窟に彼らを閉じ込めたという言い伝えがあるらしい。洞窟のかたちもまるで耳のようだから、「ディオニシオスの耳」とは上手い呼び名をつけたものだなと思う。
こちらは公園内のギリシア劇場。直径138m、推定観客席総数は1万5000席。紀元前5世紀からここで喜劇や悲劇が上演されたが、ローマ時代には演劇は流行らなかったので、剣闘士の闘技会場に作り変えられて使われていたそうだ。
こちらはローマ時代の円形競技場。アレーナの中心部には特殊効果のための地下装置を設置したとされる穴が開いている。古代のイベントの特殊効果って?まさか、光のショーなんてやっていたわけはないし、どんなものだったんだろう?シラクーザといえばギリシアの科学者アルキメデスの故郷。当時から技術が発達していたというから、いろんなカッコいい仕掛けが観客の目を楽しませていたのだろうね。
考古学公園は広大なので、隅から隅まで歩こうとすると大変である。暑いし、石の坂道を登ったり降りたりしてヘトヘト。シチリア島はどこへ行っても坂道で、しかも地面が硬いので、連日歩き回っているとだんだん腰がバキバキに硬直して来る。土地柄、深々としたソファーに座れるような場所もほとんどなく、カフェやレストランの椅子も硬くてなかなか辛いものがある。公園内にはまだまだ他の見所もあるのだが、先にオルティージャ島も歩いた後だから、もうギブアップ。
シチリア・エオリエ諸島ロードトリップ その9 パンタリカの岩壁墓地遺跡までハイキング
タオルミーナ(Taormina)からエトナ山公園周辺をドライブしながら火山による地形を見て回った後、一足先にドイツに戻らなければならない娘をカターニア空港へ送り届け、私と夫はさらにシチリア島ロードトリップを続けることにした。
次に向かったのはパンタリカの岩壁墓地遺跡(Necropoli di Pantalica)。パンタリカはカターニアの南のイブレイ山地に位置する。アナポ川やカルチナラ川が刻む渓谷の間にある台地である。そのパンタリカには大規模な古代墓地遺跡(ネクロポリス)があるという。リーパリ島で見たギリシア・ローマ時代のネクロポリスもとても興味深かったが、パンタリカの古代墓地はさらに古く、岩壁に紀元前13世紀から紀元前7世紀まで使われたと考えられる墓穴がなんと5000以上も残っているという。それは是非とも見に行きたい。
パンタリカでは、アグリツーリズモ(Agriturismo)と呼ばれる農家の宿に泊まった。今回のシチリア・エオリエ諸島旅行では、アパートメントタイプの宿、B&B、アグリツーリズモといろいろなタイプの宿泊施設を利用してみたが、その中でダントツ気に入ったアグリツーリズモ。コロナ禍のこともあり、なるべく田舎の空いているところがよかったので利用したのだが、景色のいい静かな場所で広々とした部屋に泊まれる上に、そこで育てている新鮮な野菜を使った美味しい料理を出してくれるのがいい。アグリツーリズモにもいろいろあって設備やサービスはまちまちのようだけれど、少なくとも私たちが今回利用したところはどこもとてもよかった。プールがあったり、馬やロバに乗れたり、アクティビティが充実しているアグリツーリズモも少なくないようだ。コンセプトがすごく気に入ったので、今後、イタリアを旅行する際はいろんなアグリツーリズモを泊まり歩きたい。
さて、パンタリカの岩壁墓地遺跡はかなり広範囲に散らばっていて、行き方は何通りかあるが、基本的には渓谷の小道を長時間ハイキングすることになる。私たちは東側からアナポ川沿いを往復15kmほど歩いた。
アナポ川
ゴツゴツした石灰岩に開けられたトンネルをくぐり抜けて進む。中は真っ暗なので懐中電灯が必要
一帯は自然保護区に指定されている。いろんなカナヘビがいて楽しい
しっぽが切れてるのも
茶色く見えるのは紅葉ではなく、山火事で焼けた跡
絶壁に圧倒されながら2時間ほど歩いた。
そしてついに岩壁に開いた墓穴が見つかった!
シチリア島の先住民族は、もともとは海岸付近に集落を作って生活していたが、外部から人が侵入するようになると、海辺の集落を捨て、内陸部の山の中へ避難して住むようになった。パンタリカに形成された集落は規模が特に大きいものだったと考えられているが、この古代墓地(ネクロポリス)と関連のある集落の跡はまだ見つかっていないらしい。しかし、ネクロポリスからはギリシアのミケーネ文化の影響が見られる陶器や装飾品などの副葬品が出土しており、それらは50kmほど離れたシラクーザの考古学博物館に展示されている。
それにしても、あのような崖の上の、一体どうやってアクセスしたのかわからないような場所にわざわざ穴を掘って死者を埋葬したのには、どういう意味があったんだろう?パンタリカの岩壁墓地遺跡はシラクーザとともにユネスコ世界遺産に登録されている。でも、そのわりにはパンタリカのネクロポリスに関する詳しい情報が少なくて、なんだかよくわからない。後日、もう少し良くわかったら書き足すことにしよう。
2時間半ほどアナポ・バレーを歩いたら、パンタリカ・ネクロポリス駅に着いた。といっても、これはかつてこの谷を列車が走っていた頃の名残である。小道はまだずっと先まで続いていたけれど、見たかった墓穴も見られたことだし、ここから来た道を引き返して宿に戻った。
この日もよく歩いたなあ。
シチリア・エオリエ諸島ロードトリップ その8 アルカンタラの溶岩渓谷を歩く
約1週間滞在したエオリエ諸島。堪能したので再びフェリーでシチリア島に戻り、タオルミーナ(Taormina)へ移動した。
タオルミーナの町は海沿いでありながら、タウロ山という山の中腹、およそ標高200mにある。ピークシーズンを過ぎていたのでそこまで人が多くはなかったが、メインストリートにはブランドショップが立ち並び、緑の多い、小綺麗でお洒落な雰囲気で、シチリア島きっての観光地である。
ドゥオモ広場
が、私たちはエオリエ諸島で坂道ばかり歩いていたので、すでに坂道に疲れていた。それに、1週間分の洗濯物が溜まっていて早く洗いたい。コインランドリーの場所を調べたら、アパートメントから山を20分くらい登った先だと気づき、ゲッソリである。道が狭くて車で移動するのも簡単ではないので、娘と洗濯物を入れたエコバックを肩から下げてノロノロと坂道を歩き、町外れのコインランドリーでやっと洗濯を済ませてホッとした。そんなわけでタオルミーナでは休憩モードで、あまり積極的に観光しなかった。ロープウェイで海岸に降り、ベッラ島(Isola Bella)でスノーケリングしたり、アパートのプールで泳いだりして過ごした。
タオルミーナについてはそれほど記録することがないが、一つだけ書いておきたいのはこのギリシア劇場についてだ。この劇場にはギリシア時代のオリジナル部分はほとんど残っておらず、大部分がレンガで修復されている。その点ではシチリア島の他のギリシア劇場ほど古くないが、海を見下ろし、同時にエトナ山を仰ぎ見ることのできるこの立地はやはり特別だ。
シチリア島の多くのギリシア劇場同様、この劇場でもよくコンサートが開催されているようだ。エトナ山を背景に古代の劇場の観客席に座ってパフォーマンスを鑑賞するなんて、想像しただけで素敵だなあ。もしまたここに来ることがあれば、そのときには観劇したいものだ。観劇中に噴火が見えたらダブルパフォーマンスだね、と冗談を言いながらエトナ山の方を眺めていたのだが、
さて、前置きはここまでにして、本題に進もう。書きたいのは、タオルミーナから国道185号線を北西に車で30分弱のところにあるアルカンタラ渓谷(Gole del’Alcantara)についてである。
柱状節理が見たくてこのジオパークへ行ったのだが、想像以上にすごい!この玄武岩の岩はエトナの北にあるネブロディ山脈からアルカンタラ川が流れる谷へエトナ山の噴火による溶岩流が流れ込んでできた。1万5000年前から4000年前の間に少なくとも3つの溶岩流が谷を流れ、それらが重なった場所では50mもの厚みの岩体となった。柱状節理は溶岩が冷えて縮むときに割れ目ができることで形成されるが、この深い渓谷も、冷えて固まった溶岩表面の亀裂に川の水が入り込み、長い年月をかけてゆっくりと亀裂を押し広げてできたものであるらしい(どうやってできたのか知りたくて、このイタリア語動画を日本語とドイツ語に自動翻訳して見ながら一生懸命考えたけれど、翻訳が不完全なので理解が間違っているかも)。これもまた、シチリア島の母なる火山、エトナ山の噴火活動が生み出した景色なんだなあ。
ほぼ垂直の岩壁の高さはおよそ25メートル、幅は狭いところで2メートルくらいかな。ガイドツアーの参加者らがヘルメットを被り、長靴を履いてざぶざぶと水の中を歩き、奥へ入っていく。ツアーに参加しなくても歩くことはできるけれど、水がすごく冷たいので、素足だと結構つらい〜。
アルカンタラ渓谷を歩いた後は、そこからエトナ公園の周りを西周りにぐるっとドライブすることにした。
アルカンタ川の別の地点、Cascate Alcantaraの景色。水がない川底を見るのも面白い。
さらにドライブ。1981年のエトナ山の噴火時にはエトナ山公園の北の郊外にあるランダッツォの町まで溶岩流が到達した。
ランダッツォに流れ着いた溶岩流の跡
この溶岩流でランダッツォのワイン畑は壊滅的な被害を被った。溶岩流はアルカンタラ川の岸辺にまで迫り、もし川に流れ混んで水と接触すれば大爆発を起こす危険があったが、幸いなことにその一歩手前で止まったそうだ。
火山周辺地域での危険と隣り合わせの生活をこうして目にすると、日本のことも思わずにはいられない。
さて、エトナ山公園の周りを1周することで、いろんな角度からエトナ山を見ることができた。ロープウェイで登り、タオルミーナの劇場から眺め、噴火が生み出した様々な景色を歩き、、、、。たっぷりとエトナ火山を観察することができた。火山探検はこの辺でそろそろ終了して、ここから先はシチリア島の他の魅力を味わうことにしよう。
シチリア・エオリエ諸島ロードトリップ その7 リーパリ島の古代墓地
今回の旅行のテーマは火山だったので、エオリエ諸島滞在中は火山にばかり注目していたが、シチリア島の北に連なるエオリエ諸島にあるのは火山だけではない。リーパリの町を歩いていたら、グリェルモ・マルコーニ通り(Via Guliermo Marconi)脇の空き地のようなところに、なにやら気になるものが並んでいる。
後で知ったことには、この空き地のような緑地はディアナ考古学公園(Parco Archeologico di Diana)という公園の一部である。リーパリ島では1948年からシステマチックな考古学調査がおこなわれている。この公園のあるディアナ地区で古代墓地(ネクロポリス)が発見された。上の写真の左奥に見える石の壁は、4世紀にギリシア人入植者によって建設された市壁の一部らしい。1954年から約20年間、発掘調査を率いた考古学者ルイジ・ベルナボ・ブレアとマドリン・キャバリエが、1971年にこの考古学公園と旧市街中心部、リーパリ城内のエオリエ考古学博物館(Museo Archäologico Regionale Eoliano)を設立した。 ディアナ考古学公園という名称は、ネクロポリスが建設された当時エオリエ諸島で栄えていた文化、ディアナ文化にちなむ。
ネクロポリスからは整然と並ぶ2600を超える墓が発掘されている。古い時代の墓の上に新しい時代のものが重ねられた状態で見つかったらしい。見つかった棺の一部がこの公園に展示(?)されているということなのだろうか。
気になって、エオリエ考古学博物館へも行ってみた。
考古学博物館入り口
エオリエ城の敷地はなかなか広くて、要塞や大聖堂など見どころがたくさんある。考古学博物館もいくつかの建物に分かれてい流。小さな島の博物館なのに規模が大きくて驚く。ここには先史時代からのエオリエ諸島の歴史が詰まっているのだ。地中海の考古学研究においても重要な博物館であるらしい。エオリエ諸島は平地がほとんどなく、ゴツゴツとした岩ばかりで人が住むのに適しているようにはあまり思えないのだが、紀元前5500年頃から人が定住していたことがわかっている。特にリーパリ島は黒曜石が豊富に採れることから、新石器時代にはその交易で栄えた。その後、ギリシアの植民地となり、古代ローマに征服され、838年からは150年間にわたり、サラセン人の支配下に置かれる。1082年にはノルマン人に支配され、イタリアのファシスト党時代には反体制活動家の流刑地となっていた。現在の人口は1万3000人に満たない小島なのに、なんと劇的な歴史なのだろう。
考古学博物館の敷地内にある青銅器時代の集落の跡
博物館を全部回る時間がなかったので、気になっているネクロポリスに関する展示と地質学のセクションのみを見た。
敷地の奥にディアナ考古学公園とは別の考古学公園があり、そこにも棺が並んでいる。
こちらの公園では、半円を描くように棺が配置されている。
博物館内に展示されているリーパリ島のネクロポリスから出土した紀元前6〜4世紀の土器の棺
なるほど、石の棺桶だと思ったものは土器の棺を入れる容器だったのだな。岩だらけのエオリエ諸島では地面に穴を掘って棺を埋めるのは大変だから、頑丈な石の入れ物に入れて地上に置いておいたのだろうか?
ギリシア時代の墓石
水中考古学のセクションに展示されている160個のアンフォラ
シチリア・エオリエ諸島ロードトリップ その6 ストロンボリ火山に登って夜の噴火を眺める
とうとう、エオリエ諸島滞在のハイライトとなるイベントとなるストロンボリ島へ行く日がやって来た。
ストロンボリ島は火口からひっきりなしに真っ赤なマグマのしぶきを吹き上げる「ストロンボリ式噴火」で知られる火山島である。夜間は闇の中で山頂が明るく光るので、「地中海の灯台」とも呼ばれている。そのストロンボリ火山に登る計画だった。
ストロンボリに登ろう!と言い出したのは夫で、私もそれに同意したものの、実は不安があった。「ストロンボリ火山に登る」というフレーズにはなぜかすごくハードな響きがあって、自分にできるようなことではないのでは?という気がしていたのだ。リーパリ島からストロンボリ島へは多数のツアーが出ているが、登山ツアーを提供しているのはMagmatrek 一社だけで、他のツアーはボートで島の近くへ行くだけである。そう聞くと、なんだかますますハードコアなイメージである。Magmatrek社のオフィスで「誰でも登れますか?」と聞いたら、「山に登り慣れている人なら」という返事が返ってきた。歩き慣れているとは自信を持って言えるが、山登りの習慣はない。うーん、大丈夫かな。
ストロンボリ火山は標高約900m。しかし、危険防止のため、観光客は標高400mのところにある展望台までしか登れなくなっている。それを聞いてちょっと安堵。400mならヴルカーノ島のフォッサ火山と変わらないのでいけるかな。
しかし、「夕方から登り始め、展望台で暗くなるのを待って噴火を見てから下山します。帰りは暗いのでヘッドランプか懐中電灯を持参してください」との説明にふたたび自信がなくなった。闇の中の下山なんて、経験したことないよ。やっぱり相当ハードなツアーなんじゃ?
「何をゴチャゴチャ言ってるの。大丈夫だって。行ってみてダメそうと思ったら、その時点でやめればいいだけ。予約するよ!」と夫がツアー参加を申し込んだので、ヴルカーノ島での登山の2日後にストロンボリ火山に登ることになった。
お昼頃、リーパリ港から少数の他のツアー客とともに小さなボートでストロンボリ島へ向けて出発。このボートが結構、揺れる。
1時間ほどでリーパリ島とストロンボリ島の間にあるパナレーア島に着いた。ここで休憩。パナレーアの美しいビーチでしばし泳ぐ時間がある。真っ青な海。普段なら喜んで水に飛び込むところだが、私は泳ぐのはパスしよう。ここで無駄に体力を使ってはならないのだ。ストロンボリに登れなくなる!それに、泳いだ後、シャワーは浴びられないのだから、塩でベタベタの体で登山することになってしまうではないか。不快要因は一つでも取り除いておきたかった。
その後、ボートはパナレーア島の港へ回った。レストランで腹ごしらえするために上陸する。でも、どの程度食べたらいいものか。何も食べなければ力が出なくて登山できないし、かといって食べ過ぎても体が重いだろう。この時点でもまだ「ストロンボリ火山に登る=ビッグチャレンジ」という先入観で頭がいっぱいの私である。
このパナレーア島は面積わずか3.4km2ほどの小さな島だが、近頃、とても人気があり、ミリオネアの別荘地になっているとか。うーむ、確かに綺麗な島だけど、このような孤島に住んで何をして過ごすのだろう?とちょっと不思議に思わないでもない。
ああ、そうか。ストロンボリ島を眺めながら遊べるっていうのがポイントなのか。確かに特別なロケーションではある。お昼ご飯を食べた後、私たちは再びボートに乗り、ストロンボリ島へ向かった。パナレーア島付近には海底からブクブクと火山ガスが噴き上がっているのを見られる場所があった。すごい!
さらにボートに揺られること30分。ストロンボリ島が近づいて来た。
あれに登るのか?本当に?(まだ疑ってる)

険しい姿に圧倒される。港に到着し、ボートを降りるとMagmatrek社のスタッフに「教会の前で登山ガイドが皆さんを待っているので、行ってください」と言われたので、指さされた方に向かって皆で歩き出す。すでに坂道だった。「これって、もう登山始まってるのかね?」などと言いながら15分ほど坂を登ったところに教会があった。ガイドさんの説明を聞き、登山靴とストックを借りて、いざ出発。「今日はアフリカからシロッコという熱風が吹いているので、夜でも暑いです。20分ごとに休憩しますが、体調が悪くなったら無理をせずに下山してください。ストロンボリに登るのは素晴らしい体験ですが、具合が悪くなってまで登る理由はありません」。えー、やっぱりそんなにキツいの!?
教会を出発してしばらくの間は硬い石畳が続いた。太陽に向かって歩かなければならず、すでに17:00近いのに暑い!ひえー、もうすでに疲れたよ。こんなんで登り切れるのか?
しかし、しばらく歩くと方角が変わり、日陰になった。これなら意外と大丈夫そう?
立ち止まってストロンボリ町と小島ストロンボリッキオ(Strombolicchio)を見下ろす
だんだん急になり、この先は写真を撮っている余裕はなかったが、心配したほどハードではなく、2時間後、無事に北西側の展望台に到着した。
展望台から見た火口
海底へと続く谷、シアーラ・デル・フオーコ(Sciara del fuoco)。海に日が沈んで行く。
今か今かと固唾を呑んで噴火を待つ。
おお!
15分に1回くらいの間隔で起きる噴火を言葉なくじっと見つめて過ごすこと1時間半。
夜空に燃える火口を本当に見ることができた。こんな体験ができるなんて、なんだか信じられない。登って本当によかった。
何度かの噴火を楽しんだら、さあ下山だ。
懐中電灯で足元を照らしながらの夜の下山も、生まれて初めての体験でなんだか楽しい。こんな歳になっても新しい体験ができるんだなあと良い気分で山道を下る。それに登るのも大したことなかったしね!
と言うのはまだ早かった!帰り道の長いこと長いこと。行きとは別のルートで、緩やかだけれど、その分、長い。8kmもあった。最後の方はもう疲れて嫌気がさして来た。やっと教会に着き、登山靴とストックを返却したが、そこで終わりではないのだ。港まで歩かなければならない。ボートに乗り込んだときにはもうヘトヘト。そして、再びモーターの爆音の中、2時間近く激しく揺られてリーパリ島へ帰るのだ。シートには背もたれがないので眠ることはできず、背筋を伸ばして座っているのも辛い〜。朦朧とした頭で「噴火を見られて感動したけど、こういうのは1回でいいや」「旅行でハードな体験をするたびに寿命を縮めているのでは?」「いや、でも、快適なことしかせずに長生きするよりも、面白い体験をたくさんしてその結果、多少早死にすることになっても、その方が生きる意味があるのでは?」「これでいいのだ」などと考えながら波に揺られていた。
港に着いたら、すでに23:30。そこから車を止めてある場所までまた坂を登り、山の上のアパートメントに戻り、そしてシャワーを浴びなければ寝られない。さすがにうんざりしたが、どうにかこうにかこの冒険の日を無事に終え、深い眠りについたのであった。